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第一章トンカツ 二節目

「新田君、遙花とは仲良くなれた?」

 後から厨房へやって来た道悟に、逍子は開口一番言い放った。

「はぁ・・・すみません、自分では判りません」

 道悟は、率直な意見を述べた。

「うふふ、そうね・・・あの子に、惚れるなよ?」

「絶対に無いというのも失礼だし、有るというのもあれなので、俺は曖昧に微笑んでおきますね」

 宣言通り、道悟は困った様な笑みを浮かべた。

「ふむ・・・新田君は照れたりしないのかしら?」

「照れる時は、照れますよ?」

「へぇ、どんな風に?」

 右手で後頭部を軽く掻き、左手を腰に当てながら、道悟は口を開いた。

「いや~面映い」

「・・・さてと、トンカツ作りに再挑戦しないと」

「・・・そうしましょう」

 二人は眼前の、まな板に載った豚肉に意識を向けた。

「今回は、女将が下味を付けてください」

「あら、何故?」

「気になる事があるので、お願いします」

「そう、分かったわ」

 逍子が適当に塩コショウした後は、道悟が先と同じ工程でトンカツを仕上げていく。そして、揚がったトンカツを切り分け、自らの口へ放り込む。

「・・・・・・っ!? どうやら、予想通りみたいですね」

「えっと・・・どういう事?」

「女将も食べてみてください」

 道悟に促され、逍子もトンカツを摘まみ上げて、かじり付いた。

「これは・・・とっても、美味しいわ!?」

「ええ、塩コショウの効かせ方だけで、俺のとは段違いです。やはり、女将には絶妙な塩梅で味付けが出来る才があるようですね」

「わ、私にそんな才能が!? ・・・なんだか、地味ね」

「何を仰る、これならトンカツは合格点ですよ? あとは、女将が普通に調理を出来るようになれば、問題解決です」

「そうなの? それじゃあ、やってみるわね♪」

 次は一から、逍子だけでトンカツを作らせてみた。

「あぁ・・・悪い冗談に違いない」

 表面が真っ黒に成りながらも中が生焼けのトンカツを目の当たりにし、道悟は天井を仰いだ。

「おかしいわ、今度は間違えていないのに・・・?」

「油の温度が高かったのか? いや、そこまで高温になっていはずは・・・もはや、呪われているとしか」

「の、呪われ・・・・・・がはっ」

 逍子は、目眩でも起こしたかの様にフラフラとよろめき、厨房の壁に凭れ掛かった。

「上達するまでは味付けのみで、調理は他に任せるのが良いかもしれませんね・・・若女将は、どうなんです?」

「若・・・女将?」

「貴女の妹さんの事ですよ、料理の腕はどうなんです?」

「あの子も未だ、あまり料理が得意ではなくて・・・」

「・・・しばらくは、俺が調理を担当するしか無さそうですね」

「はい、お願いします♪」

「何だかなぁ・・・・・・そういえば、この店は自家製のソースが売りだったはずですが、どうなったんです?」

「ソース? ・・・あっ、もしかして!?」

 逍子は閃きを表現する様に手を打ち合わせ、唐突に厨房の戸棚を漁り始めた。

「あった、これだわ♪」

 取り出されたのは、梅干しでも漬かっていそうな陶器の壺、御丁寧に秘伝の文字が記された封がなされている。

「すっかり忘れていたけれど、たぶんこれがソースのはず」

 逍子は意気揚々と蓋を開けたのだが、即座に蓋は戻されてしまった。

「・・・どうしました?」

「うふふ、これ・・・腐ってるわ♪」

 逍子から壺を手渡されたので、道悟も蓋を開けてみた。

「・・・うっ!?」

 悪臭に鼻腔が焼かれる様に感じた道悟は、即座に壺を封印した。

「もはやバイオテロ・・・・・・いつから放置していたんですか、これ?」

「えっと、事故からだから・・・2か月以上?」

「なるほど、夏真っ盛りから・・・納得です」

「継ぎ足しに継ぎ足してきた秘伝のソースらしいけど、これはもう駄目ね。諦めて、作り直しましょう」

「おお・・・作り直すという事は、レシピが遺っているのですか?」

「いいえ、レシピは存在してないの。だから・・・記憶に残る味を再現してみせるわ!」

「それは・・・不安、です」

「大丈夫、タライに乗ったつもりで待ってて♪」

 逍子は胸を叩くと、厨房中から様々な材料をかき集めに向かい、秘伝のソースの再現作業を開始した。

「もはや、船ですら無い・・・」

 道悟は小さく笑うと、手慰みとばかりにトンカツとは異なる料理を作り始めた。そして、それが完成する頃、逍子がアルミのボール皿を抱え、道悟の元へ戻ってきた。

「近いものが出来たと思うの、御賞味あれ♪」

「あはは・・・俺が?」

「御賞味あれ♪」

「いや、でもその・・・」

「あれ♪」

「あっ・・・はい」

 道悟は小匙を手に取ると、やや粘りけのある手作りソースを掬い上げ、口へと運んだ。

「うぐっ・・・・・・これ、とんでもなく美味しいですよ!?」

「うふふ、でしょう? かなりの再現率だと思うの♪」

「確かに、このソースとしてのコクを保ちつつ、後味が残る事なく過ぎ去っていく感じは俺の記憶にあるソースとも合致します。大変素晴らしいと言わざるをえないのですが・・・それの原材料、教えてください」

「見果てぬ夢と青臭い希望・・・そして、甘酸っぱい恋心♪」

「ああ・・・とりあえず、玉ねぎとリンゴが入ってそうですね」

「これは秘伝のソースだから、おいそれと教えるわけにはいかないわ。というか、企業秘密?」

「ほぅ・・・覚えていないだけなのでは?」

「そうとも言う~♪」

「言うのですね・・・ひとまず、おめでとうございます。貴女は天才なのか?」

「ふふ、ありがとう♪ ところで新田君は、うちの食材を使って何をしているのかしら?」

 逍子は、結構な圧力を込めた笑みを道悟へ向けた。それには道悟も、流石にたじろいでしまう。

「す、すみません・・・トンカツに合いそうな汁物を試作してみようかと思いまして・・・」

「汁物? お味噌汁じゃあ、駄目なの?」

「う~ん・・・個人的に、トンカツと味噌汁の組み合わせに隔たりを感じるんですよね、和と洋の隔たりというか。そこで、コンソメ味噌スープなら親和性が高いのではないかと思い、気付いたら作ってました・・・あはは」

「ふむふむ、コンソメ味噌スープ・・・美味しかったら、食材の無断使用を赦し、定食に採用しましょう。 美味しかったらね?」

「自信はありますよ、後は御賞味あれ」

「それは、期待大ね♪ とりあえず、出来たものを遙花ちゃんのところまで運びましょう?」

「はい、そうしましょう」

 道悟はコンソメ味噌スープを盛ったお椀を、逍子は共同製作したトンカツと再現した秘伝ソースを携えて、カウンター席へと舞い戻ってきた。カウンターでは現在、皿を空にした遙花がぼんやりとテレビを鑑賞している。

「遙花ちゃん、お待たせ♪」

 目の前に新たなトンカツとスープで満ちたお椀を置かれた遙花は、露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

「うわぁ・・・やっぱりまだ食べさせられますか、そうですか」

「そんな事言わずに、御賞味あれ♪」

「時間が空くと食欲が・・・」

「うふふ・・・お小遣い」

「いただきます!」

 逍子が何やら耳打ちすると、遙花は先程までの渋りが無かったかの如くトンカツにかじり付いた。

「さっきと変わら・・・何か判んないけど、美味しいよ!?」

「うふふ、そうでしょう? これが、姉の本気よ♪」

「凄いよ、お姉ちゃん! まともな料理が出来るようになったの?」

「もちろん♪ 味付けだけで、後は新田君に任せたわ!」

「えぇ・・・お姉ちゃん、カッコ悪・・・せっかくコンビニ弁当ローテーションが終わると思ったのに」

「待って、落胆するのは早いわ! このソースを掛けて、もう一回食べてみて!!」

 逍子はトンカツに、再現した秘伝のソースを回し掛けた。

「どれどれ・・・・・・これって、お父さんの?」

「ええ、そうよ。お父さんの考え出した、擦り下ろし玉ねぎを加える事で大抵のものがあっさり美味しく頂ける醤油ベースのソース、お姉ちゃんが再現してみたの」

「お姉ちゃん・・・」

 企業秘密もあっさり漏洩してますよ、そんな場違いなツッコミを入れるのを道悟は必死に堪えていた。

「ちょっと物足りない気もするけど、お父さんのとそっくりだと思う・・・お姉ちゃんは、やっぱり凄いね」

「もちろん、姉ですもの♪」

「うん、凄い・・・基本、人任せだけど」

「がはっ!?」

 血でも吐きそうな苦悶の叫びを漏らしながら、逍子は膝を屈したのであった。その姿を、道悟は呆れた様子で見下ろしている。

「はぁ、本当に元気な人ですね・・・若女将、すみませんがスープの味見もお願い出来ますか?」

「スープ? 味噌汁じゃないんですか?」

「はい、コンソメ味噌スープにしてみました。具は玉ねぎ、大根、キャベツです」

「えぇ、コンソメだけの方が美味しいんじゃ・・・ススッ・・・合うな、コンソメと味噌!?」

「割りと知られた方法ですが、トンカツにも合うかと・・・如何ですか?」

「うん、ベストマッチ! あ、すみません・・・」

「いえ、問題が無くて良かったです」

「はい・・・新田さんのお料理は何処と無く、お母さんのに似てる気がします。ほっとするところとか・・・」

「そうなんですか? それはきっと、このエプロンのお陰ですね」

 道悟がパツパツのエプロンで胸を張ってみせると、遙花は口を真一文字に固く結び、瞳は感情を殺した様な虚ろなものに変化していった。

「止めてください、危うく大惨事を引き起こすところでした」

「大惨事? よく判りませんが・・・すみません」

「その、謝るほどの事では無くて・・・とにかく、美味しいです。ほら、お姉ちゃんも食べてみて!」

「うぅ・・・?」

 遙花がお椀を手渡すと、逍子は震えながらだが確実に、お椀の縁に唇を寄せ、スープを口に含み、次いで喉を鳴らした。

「・・・ホッとする味、合格としましょう」

「合格? ・・・まあ、これで店を建て直せたら良いね。もう21時になるし、私はもう戻るから」

 遙花は気だるそうに立ち上がると、胃の辺りを擦りながら厨房の奥へと消えていった。厨房の奥と彼女らの住居が繋がっているのだろう。

「さてと・・・明日からはどうするんです、女将?」

「・・・ふぇ?」

 生気の抜けた面でスープをちびちびと飲んでいた逍子、とんでもなく気の抜けた返事を返す。

「・・・立ち直って頂けると、助かります」

「他力本願の女将に、何か御用?」

「負った傷は深いというわけか・・・他力本願でも良いじゃないですか、あらゆるものを利用していくスタンスも、嫌いじゃないですよ」

 フォローなのか怪しいフォローを道悟が送ると、逍子は儚げに微笑んだ。

「・・・そうね、こんな所で死ぬわけにはいかないわ」

「まったくです。せっかく光明が見え始めたのですから、死んでる暇はありませんよ? 明日にでも、試験的に営業再開してみるのも良いかもしれません」

「ええ、その通りね・・・こほん、片付けは私が済ませておくから、新田君はもう帰ってもらって大丈夫よ。明日は仕入れから始めましょう。今日よりも、早く来れたりする?」

「まあ・・・不可能では無いでしょう。善処します」

「うふふ、よろしくね♪ ・・・そうだ、連絡先を交換しておかないと。約束を忘れた挙げ句に全速力で走る事になってしまうから、電話出来るようにしておかないと、ね?」

 まるで、彼が遅れた経緯を見透かしているかの様な逍子の発言、道悟は背筋に何やら薄ら寒いものを感じつつも、携帯を取り出していた。

「そっ・・・そうですね」

 だからといって、自ら明かす必要も無い。道悟は手早く連絡先を交換すると、エプロンを外し、パーカーに袖を通した。

「では、失礼しますね」

「ええ、おやすみなさい。明日からも宜しくね」

 笑顔で手を振る逍子に一礼し、道悟は店を後にした。



 店を出た後、道悟は駅への大通りを歩きながら、携帯を耳元に寄せていた。

「用事は済んだよ、カグ」

 本当に電話をしているわけではないが、携帯を触媒にして道悟はカグと意思疏通を図っている。

「大事な時間を浪費して、可笑しな事を始めたな、道悟よ」

「我ながら、そう思うよ・・・誰かの為に料理をするなんて、初めてだったかもな」

「そうか・・・非日常は楽しめたか?」

「ああ・・・まるで別世界だったよ」

「ならば、日常に戻ろう・・・火猿が巡回中に興味深いものを見つけた。仔細を確認してきて欲しい」

「了解だ、主様」

 道悟は、ごく自然に人気の無い路地へと曲がり、指を打ち鳴らした。すると、彼は一瞬、炎に包まれ、晴れた時には怪人たるゴドーの姿に変貌していた。また、変貌していたのは道悟だけでは無い。彼を取り巻く世界もまた、変貌していた。

 大通りを行く人々が半透明となり、人工の光がまったく届かない月明かりの世界。ここは物質世界のバックヤード、知っている者は端的に裏庭と呼称している。彼方側の人々からはゴドーを視認することは出来ない。

 ゴドーは大通りへ戻ると、再び携帯に耳を傾けた。

「それで、その場所はどこなんだ?」

「本丸町の北部、そこからは火猿に案内させる」

「駅の反対側か・・・急ぐべき?」

「ああ、頼む」

「了解」

 ゴドーは携帯をしまうなり、炎に包まれ、次の瞬間には数百メートル先の建物の屋上に現れた。瞬間移動、僅かな距離だがゴドーにはそれが出来る。これを繰り返して、あっという間に駅を通り越し、オフィス街となっている本丸町北部の大通りで一旦動きを止めた。

 すると、どこからともなく、黄金の東洋風鎧と燃え盛る炎を纏った、赤茶けた体毛を持つ、成人男性の膝辺りの体高の猿が駆け出してきた。

 あれが火猿、カグの手下である。あんなのが、何百匹とカグに仕えているのだ。案外可愛らしい見た目をしているので、ゴドーこと道悟は彼らを気に入っている。

「キィーーッ!」

 火猿は、ゴドーの前で直立し、敬礼でもって尊敬の意を表した。ゴドーは彼らにとって現場指揮官の様な立場なのだ。

「案内を頼む」

 ゴドーが要求すると、火猿は放たれた矢の如く、踵を返して駆け出した。ゴドーはその後を、同等のペースで追い掛ける。導かれたのは、とある路地裏。3匹の火猿が何かを囲んで、守護していた。

「これは・・・遺体か?」

 火猿が守護していたのは、人間の遺体だった。路地に放り出され、血溜まりを作っている。ゴドーは携帯を取り出し、カグと意思疏通を図った。

「カグ、これは何だ?」

「人間の死体だ、道悟」

「それは判っている。俺が聞いているのは、肉体がこちら側にある理由だ。発見した時は、どんな状態だったのか教えてくれないか?」

「うむ・・・つい先程、定期巡回中だった火猿達が、妙に集まった夜犬の群れを発見した。追い散らし、原因を確かめたところ、その死体が転がっていた」

「食い荒らされた後か、納得の酷い有り様だな・・・この人、迷い込んだだけだと思うか?」

「幼子ではあるまいし、成人体である人間が迷い込む可能性は極めて低い」

「ああ・・・つまり何者かが、こちら側に放り込んだということになる。証拠隠滅の為か・・・とにかく、余所の使徒が俺達の縄張りを荒らしたのは確かだな」

「この者が例え悪人であったとしても、我が領土内での無断の殺生は万死に値する。下手人を見つけ出し、我が薪とするのだ」

「まったく、物騒な輩が入り込んだものだな・・・目的は何だ?」

 ゴドーが遺体を検分してみたところ、ある点に気が付いた。

「ふむ・・・心臓が無いな。残留思念が見当たらない理由は判った。だが手足が残っているというのに、いきなり大穴を開けて心臓を食べるグルメな夜犬が居るか? まず居ないだろうな」

「然り、目的は心臓だな。心臓を彼方側で引き抜き、此方側へ投棄したと見て間違いないだろう」

「こっそり動いているということは、まだまだ欲しがっていそうだな・・・少し、動き難くしてみようか?」

「どうする気だ、道悟?」

「遺体を彼方側へ戻し、騒ぎにする。この有り様だから、大騒ぎになるだろう。人々は警戒を厳とするはずだ。加えて、この街の此方側で俺達が目を光らせている限り、奴は身動きを取り辛くなる。後は痺れを切らして現れたところを、押さえれば完了だ」

「うむ、相も変わらず良く回る頭だ。だがそれは、更なる厄介者をも招くのだろうな?」

「おそらくは・・・どうやら、リアルの方も忙しくなりそうだ。睡眠時間がみるみる減っていくな・・・やはり、移動に力を使っては駄目なのか?」

「駄目だ、力の乱用はお前の為にならない。これまで通り、公共交通機関を利用するが良い、そもそも、あの技術も人には過ぎたものであって・・・」

「疲労の蓄積の方が、よっぽど為にならないと思うがな・・・指針には従うよ、主様」

 携帯をしまったゴドーが遺体に手を翳すと、それは炎に包まれ、彼方側へと送還されていった。

「・・・必ず、報いは受けさせる」

 ゴドーはそう誓いを立てると踵を返し、路地を後にした。

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