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第三章ドライビーフシチュー

 3人目の犠牲者が出ると、さすがに各種メディアが黙ってはいなかった。ワイドショーではワンコーナー程度の扱いだが、ネット上ではお祭り騒ぎである。サイコパスやら人狼、果てはエイリアン等といった根拠の無い噂が我が物顔で飛び交っていた昨日までとは打って変わって、現実的な獣狩りが検討され出していた。

 時を同じくして、道悟や逍子らには中間試験が襲来していた。努力の甲斐あって、道悟としては納得の出来であったが、逍子は意気消沈気味なので、あまりよろしくなかったようである。試験期間が明ける頃には、唐揚げ定食も修行明けし、逍子は新たな修行メニューを求めていた。

「自分が発案したことですけど・・・もう止めても良いんじゃないですか、新人女将の修行メニュー?」

「それは駄目よ、まだ私の修行が明けたとは言えないもの・・・それに、期待は裏切れ無いわ」

「評価は勝ち得ていると思うのですが・・・まあ、まだメニューが二品しかないのも味気ないですよね」

「ええ、今日で試験も終わったことだし、営業時間までにメニューを捻り出しましょう♪」

「と言われましても・・・とっさに思い付きませんね」

「う~ん・・・頂いた挽き肉が大量にあるのだけれど、どうする?」

「そういえば、貰ってましたね。挽き肉か・・・選択肢は依然多いですね。種類は何でしたっけ?」

「確か・・・牛と豚?」

「牛豚は汎用性高いですよね・・・ハンバーグ、餃子、肉団子・・・あれ、そうでもないか?」

「うふふ・・・困った時は、私に任せなさい♪」

 逍子はそっと携帯を取り出すと、数回タップし、そっと耳に寄せた。

「・・・・・・あ、もしもし、遙花ちゃん? 挽き肉使うとしたら、何食べたい? ・・・ドライカレー? あの炒めるやつ? なるほど、なるほど・・・了解で~す♪」

 通話を終えた後、逍子は澄まし顔で親指を立てた。

「さて・・・ドライカレーで決まり、ね?」

「さも何事も無かったかの如く・・・・・・流石は女将、人使いが粗い、というか雑」

「うふふ、優秀な人が周りに居て、私は幸せ者ね・・・しみじみ♪」

「使い倒す気満々ですね・・・それで、カレールーとかあります?」

「確か・・・あったはずよ?」

「なら出来そうですね。挽き肉を解凍して、具材を切らないと・・・微塵切り、面倒だなぁ」

「うふふ、私に任せなさい♪」

「任せなさいって・・・まさか、若女将投入ですか?」

「うふふ、とりあえずいらっしゃいな♪」

 逍子に手招かれ、厨房へと移動する道悟。逍子は作業台の下から、あるものを取り出していた。

「じゃ~ん、フ~ドプロセッサ~♪」

「おお、凄い! そんな便利器具、あったんですね?」

「ええ、そうなのよ♪」

「ではそれで、玉ねぎと人参を粗微塵に・・・カレールーはどこに?」

「ああ、それはこっちに・・・」

 戸棚を探り始めた逍子の動きが、ピタリと止まる。

「あらら・・・」

「どうしたんですか?」

「・・・これ」

 逍子が手渡してきたのは、カレーではなく、ビーフシチューのルーだった。

「Oh・・・マジか。カレールーは無かったんですか?」

「ええ・・・」

「う~ん・・・買いに行きます?」

「・・・・・・それで作ったら、どんな味になるのかしら?」

「チャレンジャーですね・・・やりましょう」

 では早速、料理開始。解凍した挽き肉をニンニクと共に炒め、色が変わったらフードプロセッサーで粗微塵にした野菜を加え、さらに炒めていく。

 野菜がしんなりとしてきたら、フライパンの3分の1ほどの水を加え、煮たったら火を止めて、ルーを溶かす。それから水分を飛ばす様に火に掛けて、ドライビーフシチューの完成とする。

「ふむ・・・面白い風味ですね、悪くない」

「ええ、意外だわ」

「何で、失敗前提でチャレンさせているんですか!」

「失敗は成功の素・・・だけど失敗しないに越した事は無い。今は成功を喜びましょう♪」

「そうですね・・・若女将にも食べてもらいましょうか」

「ええ、呼んで来るわね♪」

 そう言い残し、逍子は厨房の奥へ掛けていった。電話で良かったのではないか、それを伝える暇も無い。

 道悟が椅子に腰を下ろし、一息つこうとしたその時、彼の携帯が鳴動した。どうやら、メールが届いたようである。鳴動したのは、仕事用の携帯。確認すると、それは待ち望んでいた相手からの着信だった。ようやく、重い腰を上げてくれたらしい。

「さて・・・やっと狩り出せそうだな」

 道悟は画面を見つめながら、妖しく微笑んだ。


 諸々の事情とちょっぴりの好奇心で生まれたドライビーフシチューは、遙花の許しも得て、即日で修行メニューとして採用された。

 様子見という事で5食限定にして提供したところ、5人目のお客の時点で完売する珍事が発生。その後も、多くの客に売り切れを惜しまれた事から、道悟達はこのメニューでも戦えると判断し、思いきった増産を決定する。道悟としては、そう思わせてくれる程の客入りがあったという実績が何より嬉しかった。4時間で20人のお客、今の作業効率と利益、そして在庫管理的にもニッコリな調子である。願わくば、継続的に来てほしいものだと、道悟は願う。

 そう願いながら、彼は駅の個室トイレに入っていった。用を足しに来たわけではなく、変身しに来たのである。

 ゴドーの姿になると、指を鳴らして、裏庭へ移行し、駅の屋上へと転移した。物理干渉が出来ないので、恥ずかしながら、個室の扉が開けられないのだ。

「・・・さて」

 ゴドーは携帯を取り出し、メールを確認した。待ち人は、北本丸町に在るちょっとお高いカラオケの個室にいるらしい。最近、頻繁に北本丸町を暗躍している気がするが、ゴドーが内部を知らない場所ゆえ、直接の転移は出来ないが、ひとまず店前まで移動する。それから、自動トビラ越しに見えるフロントまで転移し、階段で上階へと向かう。部屋番号は302、ここも扉の中から部屋の内部を観察し、転移する。薄ぼんやりと見える人影の隣に腰を下ろし、服装を調えてから指を鳴らした。

「お待たせしました、鷺沼様」

 突然隣に現れ、声を掛てきたゴドーに驚く素振りすら見せず、鷺沼と呼ばれた男性は爽やかに微笑んでみせる。

「やあ、久しぶりだね、ゴドー氏」

「良かった、接触して来て頂けると思っておりましたよ」

「立場上、接触しないわけにはいかないからね・・・単刀直入に聞くけど、ここ最近発生している事件に関係していたりしないかい?」

「いえ、全然」

「即答、か・・・まあ、こちらとしても想定していなかったのだけどね。君達には良識があるからね。他勢力の仕業という事で宜しいで、良いのかい?」

「ええ、私も我が主様もそう考えておりますよ・・・そこで、協力をお願いしたいのです」

「それは願ってもない、我々からも要請するつもりでいたんだ。断られた場合、部隊を送り込まない理由が無いからね」

「ええ、彼らに引っ掻き回されては困りますし、他に行くべき案件があるでしょう・・・代わりと言ってはなんですが、呼んで頂きたい方々がいるのです」

「おっと、どこの誰かな?」

「横浜の聖職者・・・殺人犯は兎に角隠れる事に長けていましてね、彼らに炙り出して頂こうかと」

「なるほど、了解だ。派遣には少し時間が掛かるかもしれないが、不可能じゃない」

「ええ、折衷を宜しくお願いします。我々は少しでも被害を防げるように善処しておきますね」

「来てくれてありがとう、これで不要な争いを回避出来た」

「ではまた、事後処理の時に」

 ゴドーは鷺沼と握手を交わすと、霞の如く、姿を消した。


 殺人犯を捕まえる算段はついた。後は鷺沼が客人を招待してくるまで、犯行を防げ無くとも発生を遅らせるべく巡回を厳とすれば、良い。鷺沼との接触が叶った事で、道悟の指針はそう定まった。

 鷺沼が何者かというと、政府機関に席を置く魔性向けの交渉人的な存在である。ぼんやりとした表現なのは、それが鷺沼の明かしている唯一の情報だからだ。表向きには平の職員なので、交渉人としての名刺が作れないと嘆いていた。ちなみに、通常の所属もプライバシー保護の為、秘密としている。

 つまり、物的証拠の無いペテン師臭い男なのだが、道悟自身は彼を信用していた。何故なら、これまで彼と交わした約束は必ず実現してきたからである。知り合ってから4年ほど経つが、反故にされた事も無ければ、果たせなかった事すらない。彼のバックが意図通りに動くという事は、つまり彼が本物の交渉人だという何よりの証拠なのだ。

 とはいえ信用する一番の理由は、彼が道悟の設ける交渉人としてのハードルを易々とクリアしているところにある。裏側の人間だというのなら、所属が曖昧で普段の姿を明かせないのは、むしろ当然。重要なのは、理性的に物事を捉え、双方に利がある決断を捻り出せるか、である。

 彼のおかげで、道悟とカグは安全に潜伏出来ている。政府としては、相手を把握し、危険性が少なければ、交渉の為のパイプを維持するだけで事を荒立てない穏健策を旨としているのだ。魔性との全面戦争が勃発すれば、この国、いやこの世界に安住の地は無くなり、人心は大いに乱れ狂い、今の社会基盤はあっさりと崩壊してしまうと考えているからである。今の社会は、目に見えない恐怖を否定することで成り立っているのだ。

 道悟としても、特殊部隊が送り込まれるのは、どうしても避けたい結末だった。一方的な虐殺は、趣味ではないからである。まあ、呼び寄せている勢力こそが、魔性に対して一番の過激派だったりするのだが。

 道悟が今日も何事も無く、下校しようとした際、コインロッカー風の下駄箱を開けると、靴の上にコジャレた封筒が置かれていた。

「なん・・・だと」

 鍵は掛かっていたのに、どうやって中へ入れたのか。道悟は戦慄しながら、手紙を手に取った。手紙の内容をかいつまんで説明すると、何者かが道悟を学校の屋上へと呼び出している。手紙の最後には、名前が掛かれていた。

「諏方・・・悠梨(すわ ゆうり)?」

 聞き馴染みの無い名前である。字面的には女性名だが、少なくとも交遊関係はないし、正直顔も浮かんで来ない。つまり、出向く義理は無いというわけである。端的に言えば、一階から屋上に行くのが面倒なのだ。校庭から一礼して帰れたりしないだろうか。

「駄目なんだろうなぁ・・・」

 道悟はため息をつくと、階段へと踵を返した。

「女の子から手紙をもらった!?」

 階段を登りながら、道悟は逍子に電話を掛けていた。

「何それ、楽しそう♪」

「楽しそうって・・・そういう訳で会ってきますね。遅れる事は無いと思いますが、一応連絡を」

「それは御丁寧に・・・なら、私も行こうかしら♪」

「来ないでください・・・他校ですよ?」

「うふふ、冗談♪ ・・・それじゃあ、後でね」

 道悟が屋上前へ辿り着いたのを見計らったかの様に、逍子は電話を切った。道悟は携帯をしまい、扉を開けて屋上へと足を踏み入れた。


 屋上では、少女が一人、黄昏ていた。

「・・・・・・」

 何と声を掛けたものか、悩んだ末に道悟は、屋上の扉を思いっきり力を込めて閉めたのだった。

 金属製の扉がけたたましい音を発てて閉まり、少女は小さく悲鳴を上げて振り返る。

「貴女が、諏方悠梨?」

 展開がややこしくなる前に、道悟は機先を制して質問をぶつける。これで、主導権は彼のものだ。

「そ、そうだけど・・・判らないの?」

「・・・え?」

 謎の質問返しに、道悟の思考が止まる。あの口振りからして、道悟は諏方と顔を合わせた事があるのだろう。しかし、顔を凝視しても思い出せない。目を惹く程美しくも無いが、特筆する程悪くも無い顔、記憶に残り難い平均顔というやつである。誰だ、誰なんだ、道悟は素直に切り出せず、混乱の渦へと落ちていく。

「ちょっ、そんなに見ないでよね、穴が開きそう・・・それで、あれでしょう? 逆光とかでよく見えなかっただけでしょう? ねぇ?」

 何故か、懇願するかの様に問いかけてくる諏方に対し、混乱する道悟は意図せぬトドメの一撃を彼女に放った。

「その・・・どこかで、会いましたか?」

「あっ・・・」

 道悟の言葉に、諏方は表情を失い、硬直する。だがすぐに、頬に赤みが戻り、眉間にシワが寄せられ、柳眉が逆立つ。

「ク・ラ・ス・・・メイトでしょう!!」

 どうやら道悟は、地雷を踏み、竜の逆鱗にアッパーカットまで食らわせてしまったようである。

「Oh・・・」

 道悟には、それしか言えなかった。申し訳程度に、苦笑を浮かべながら頬を人差し指で掻いておく。主導権は完全に奪い返されてしまった。

「クラスメイトの顔と名前も判らないわけ!?」

 諏方は、何がそこまでショックだったのか、大変御立腹の様子である。

「その、何と言うか、すみません・・・でも、諏方さんだって、顔と名前が一致しないクラスメイトが何人か居たりするでしょう?」

「そんな事は!? ・・・あるかも?」

「そうでしょう? これが面と向かって話したことのあった人なら、俺だって覚えていたはずです・・・きっと」

「・・・・・・話した事、あるんだけど」

「・・・え?」

 ワイヤートラップに掛かってしまった時の様な、やっちまった感が否めない。道悟は覚悟を決め、因縁を確かめる事にした。

「それは・・・いつの事ですか?」

「少し前になるけど・・・体育で組まされて、ストレッチとかキャッチボールした」

「ああ、なるほど・・・・・・思い出せない。しかもそれって、特に会話していないんじゃ・・・」

「それは、そうね・・・・・・そんな事より、ここへ呼び出したのは確かに私よ、新田道悟君?」

「そう、それが聞きたかったんですよ・・・鍵の掛かった下駄箱に、どうやって手紙を? というか、何故手紙?」

「気になるとこ、そこ? ・・・あの下駄箱、引っ張ると隙間が出来るのよ。それと、手紙ならノコノコ来てくれると思ったから」

「なるほど、俺はまんまと術中に嵌まっていたわけですか・・・それで、御用は何ですか?」

「勘違いとかしてないのね・・・抜かったわ」

「勘違い?」

「何でもないから・・・呼び出したのは、聞きたい事があったからなの」

「聞きたいこと?」

「新田君、南峰城から来てるんでしょう? 例の事件について、何か知ってるんじゃないかと思って」

「・・・例の事件?」

「はぐらかさないで。聞かせて欲しいの、報道以上の事をね」

「・・・さあ? あの町に事件の詳細を知ってる人間は居ないと思いますよ。念の為に用心しているくらいで・・・何故そんな事を知りたがるんです?」

「強いて言えば・・・好奇心からかしら? 噂話とか都市伝説が好きなの、私。何て言うんだっけ・・・耳年増?」

「はぁ・・・それ意味が違うので、控えた方が良いと思いますよ」

「そうなの? それはそうと、新田君は詳しそうね、ちょっと協力してよ」

「お断りします」

「即答!? 手強いわね・・・事件だけじゃなくて、都市伝説に事欠かないのよ、あの地域・・・気にならない? だから現地に乗り込もうと思っているのよ」

「止めておいた方が身の為ですよ、都市伝説を真に受けると碌な事が起きない」

「心配なら、付いてきたら? 案内役も欲しいし」

「それは無理です、バイトで忙しいので・・・」

「そっか・・・バイト? バイト禁止なのに?」

「・・・・・・あっ」

「はは~ん・・・後は言わなくても、判るわよね?」

「に・・・日曜日で、お願いします」

 口は禍の元、本当に人ってやつは間違いを繰り返す。道悟は深々とため息をつく事しかなかった。


「事件の事を・・・聞かれた?」

 夕暮れ時、しょうようへ出勤した道悟は、逍子に事の顛末を聞き出されていた。

「ええ、どうにも興味津々のご様子で・・・適当にもてなして、さっさと帰って頂こうかと思ってます」

 これから市内は慌ただしくなり、一触即発のデリケートな状態に置かれる事になる。本来、素人に興味本位で立ち回られては困るのだが、放置すればどの様に場を荒らされるか分かったものではない。ならば、目の届くところで心置き無く探索させ、拍子抜けして帰ってもらう。そうすれば、2度と興味を示すことは無くなるはずだと、道悟は目論んでいるのだ。

「ということは・・・デート?」

「デート? ツアーの間違いでは?」

「はぁ・・・ツレナイのね、新田君。これだと将来が心配になるわね、雇用主として」

「雇用主が心配すべきは、店の行く末です。早く料理が出来る様になってください」

「ぐふっ・・・・・・これでも、夕食や休日に挑戦しているのよ? 遙花ちゃんにも、ようやく食べられる物になったって、太鼓判を押してもらえたのよ?」

「あはは・・・良かったですね」

「なんて、憐れみを帯びた目付き!? さすがの私もへこむわ!」

 こうして、しょうようの営業が始まる。

 暖簾を掛けてからしばらく経った頃、戸口が開かれ、見知った顔が入店してきた。

「あら・・・三山さん?」

 訪れたのは、駅前駐在の警官、三山であった。

「やあ、どうも・・・もう営業してますよね?」

「ええ、してますよ。 ・・・どうなされたんですか?」

「いえね、ちょっと食事休憩をしに来たんですよ・・・どうぞ、袖崎さん」

 三山には連れが居た。よれたスーツの上にグレーのトレンチコートを羽織った男性、眼鏡を掛けているのに、目付きが嫌に鋭い。

「いらっしゃいませ♪ 三山さんの知り合い・・・というか、警察の方かしら?」

「ええ、本庁からちょっと・・・その・・・ね?」

「ああ、なるほど・・・知る必要の無い事ね。それで・・・御注文は?」

「新しいメニューが出てましたよね? それを二人分お願いします」

「は~い♪」

「・・・待て」

 注文を受けた逍子が厨房へ下がろうとしたその時、トレンチコートの袖崎がそれを制止した。

「何でしょうか?」

「この店の責任者は、誰だ?」

「少し前までは父でしたが、今は私が継いでおります♪」

「ほう・・・見たところ、未成年者の様だが、認可はちゃんと下りているんだろうな?」

 高圧的で物々しい雰囲気に、道悟も思わず厨房から顔を覗かせる。そういえば、法的な事情を確認したことが無かった。

「・・・・・・それは」

 逍子は袖崎から目を逸らし、あらぬ方向に視線を向けた。

「どうなんだ?」

「・・・・・・」

 表情を張り詰めさせ、何も答えない逍子に、道悟は一抹の不安を覚える。まさか、認可を受けていなかったのか。一番大事だが、見落としがちな事、道悟が失念していた自分を責め始めたその時、突然逍子がカウンターにしゃがみ込んだ。

「ジャ~ン♪」

 立ち上がった逍子の腕には、二つの額縁が抱えられていた。

「消防所に保健所、私が継いだ後の日付で、双方から認可を頂いております♪」

 どうやら、まんまとしてやられた様である。皆が、逍子の寸劇に踊らされていたのだ。

「・・・確かに。認可が下りているなら、問題ない。煩わせて、すまなかった」

「いえいえ、お気になさらず・・・すぐに御用意致しますので、少々お待ちください♪」

 逍子微笑みながら一礼し、厨房へと下がってきた。

「ヒヤヒヤしましたよ、女将・・・何ですぐに出さなかったんですか?」

「それが・・・どこに置いたか、ド忘れしちゃってね。頑張って思い出していたの・・・認可状、飾ろうと用意したまま、忘れてたみたい♪」

「・・・すぐに飾っといてください」

「うふふ、は~い♪」

 あの如何にも刑事な客の相手を、この天然系女将に任せて大丈夫なのか。なんとなく胃に痛みを感じる道悟であった。

「あ、ビーフシチューは出来てますよ?」


「ドライビーフシチューです♪」

 深さのある丸皿へ、白米を円柱状に盛り、その上にドライビーフシチューを掛けてある。見た目はドライカレーなのだが、色が濃く、スパイスの代わりに牛の旨味が香っていた。

「ほう・・・奇抜だな」

 この料理を新種の深海魚かの如く見据えていた袖崎は、スプーンでルーと白米、そして彩りで散らしたグリンピースを掬い上げ、口内へと運んでいった。

「(咀嚼)・・・・ふむ、悪くない」

 袖崎が問題なく食べ進めていくのを見届けてから、三山も料理を食べ始めた。遠慮していただけで、警戒したわけではない。

「おお、これはまた!? 唐揚げといい、この店には外れがありませんね」

 とにもかくにも、道悟が警戒していたほど、場は荒れなかった。むしろ、逍子は興味深い話を聞き出していた。

「やっぱり、この辺りには危ない動物が徘徊しているんですか?」

「・・・いいや、公式の発表や報道でもあるように、猛獣が逃げ出したという事実も付近に野犬が住み着いている事実も無い。気を付けるべきは人間というわけだな」

 つまり、警察の見解としては、猛獣が犯人とは最初から想定しておらず、別の線を辿っているようだ。例え妄言の様な捜査方針であろうと、今は少しでも侵入者の情報が欲しい。そこで道悟は、袖崎の後を手下の火猿に追跡させていた。

 そして仕事帰りに、道悟はゴドーへと姿を変え、袖崎が拠点としているビジネスホテルへとやって来ている。場所と室内の構造は室内に潜入している火猿と情報を共有しているのでゴドーも把握出来ていた。

 指を鳴らし、机で書類を整理しているという袖崎の背後へと転移する。そして、手に灯した炎を彼の眼前に差し出し、そのまま意識を失わせた。彼は今、夢を見ている。捜査状況を上司へ報告する夢を。ゴドーは袖崎の頭を鷲掴みにし、その内容を盗み見た。

「進捗状況は?」

「当初の調べ通り、被害者には買春の前科があり、事件当日にも誰かと接触していたようです。自分としては、この相手がサービス提供者を装った殺人犯に違いないと考えています。とはいえ通販を装った違法サイトでやり取りを行なっていたのですが、接触しようとしていた相手は捨てアカウントに嘘八百の個人情報、アカウント名もアルファベットと数字の適当な羅列で役に立ちません」

「今後の方針は?」

「例のサイトを利用し、潜入捜査を行なおう予定です。上手く事が運べば、現行犯で逮捕出来るかと」

 袖崎は、意外な視点から事件の核心へ迫ろうとしていた。これは自分だけでは考えることも無かっただろうとゴドーは無い舌を巻く。十分な情報は得られたが、少しだけ確かめておきたい事がある。

「・・・美味い飯屋はあったか?」

「ん? はい、地元の警官が教えてくれました。未成年が切り盛りしている店でしたが、味は意外にも絶品でしたよ。解決までに何度か通いたいと思います」

「・・・そうか、御苦労」

 ゴドーは袖崎の頭から手を離し、指を鳴らしてホテル向かいの建物屋上へと退避した。

 面白い事になってきた、ゴドーは気持ちほくそ笑みながら、夜闇に消えていった。


 その週の日曜日、道悟は午前中から本丸町の駅前広場で佇んでいた。思いがけず結ばされた諏方との約定を果たす為である。約定とはもちろん、南峰城市本丸町辺り見学弾丸ツアーの事だ。

 11時には来るはずなのだが、既に時刻は11時を回っている。何か不都合でも起きたのだろうか、待つのは正午までだと心に決めておく。

 道悟は広場のベンチに腰掛けると、ぼんやりと待ち呆け始めた。肌寒い季節だが、快晴の為、太陽光が身体を温めてくれる。日向ぼっこなんて爬虫類か老人達がするイメージだったが、案外やってみると乙なものだと実感していた。

 そんな時、何者かが道悟の前に立ち、麗らかな日差しを遮られる。諏方が来たのか、道悟が顔を上げると、そこには見知らぬ可憐な少女が立っていた。もちろん、イメチェンした諏方とかではない。垢抜けた自然な色合いの装いをしている。

「すみません、西岡さんですか?」

「西岡? いいえ、違いますよ?」

「あ、ごめんなさい。誰かを待っていた様なので、つい・・・言われてみれば、若過ぎますものね」

「若・・・なんです?」

「ごめんなさい、人違いでした。貴方も早く、待ち人に会えると良いですね」

 そう言い残して、少女は何処かへ歩き去っていった。人違いはままある事だが、問い掛けられた言葉には違和感の残る。顔を知らない相手との待ち合わせ、といった感じだ。そして何故か、道悟は彼女に既視感を抱いていた。見覚えというより、聞き覚えだろうか。だが脳内検索の結果が出るよりも先に、待ち人の方がやって来てしまった。

「おはよう、待たせちゃってごめん」

「ん? ああ、諏方さん。何か急な用事でもあったんですか?」

「いや、その・・・電車が遅延しちゃってて・・・大丈夫?」

「ええ、まあ・・・あと15分で帰るところでしたが」

「むぅ・・・待っててくれたのはありがたいけど、大人しく連絡先を交換していたら、良かったんじゃないの?」

「それはそうですが、度々呼び出されたりしては面倒なので、シークレットでお願いします・・・それで、何処へ行きたいんですか?」

「それはもちろん、遺体の発見現場だけど・・・他にも見てみたい場所があるの」

「それは・・・例えば?」

「願いゴドーの噂、この町に住んでいるなら、聴いた事無いかしら?」

「・・・さあ、存じ上げませんね」

「そうなの? もしかしてアマチュア?」

「ええ、アマチュアですとも。不都合なら帰りますよ。道先案内は地図アプリにでも頼ればよろしい」

「そう怒らないでよ・・・何でもこの町には、お金を払えば何でも願いを叶えてくれるゴドーっていうのが存在するらしいの。噂に依ると、南の山に建つ団地の一室が異界と通じているとか」

「へぇ・・・そうなんですか」

 道悟はあえて素っ気ない相槌を返した。それは俺ですよとは言えないし、その噂も俺が過去に流した撒き餌の一つに過ぎませんよとも言えないからである。

「というわけで、レッツゴー! ・・・したいんだけど、南の山に建つ団地ってだけで判ったりする?」

「ええ、なんとか」

「よし、レッツゴー!」

 こうして、他に類を見ない程の時間の無駄ツアーが開始された。



「ここが噂の団地・・・・・・って、真新しいな!?」

 諏方の願い通り、道悟はいつも客を迎え入れる団地へと彼女を案内してきた。

「ええ、今の時代珍しく増え続ける人口に対応すべく建てられた新興住宅ですからね。建築から一年経っていないかと」

「え? 願いゴドーの噂は何年も前から掲示板で囁かれていたのに? おかしくない?」

「さあ・・・・・・引っ越しのお知らせだったのでは?」

 ちなみに、引っ越しのお知らせというのは事実である。少し前までは里山に建つ小さな御堂を利用していたが、駅からのアクセスが悪く、同じ場所に留まり続けるのはリスクが高い為、高校進学を期にこの団地へ引っ越してきたのだ。まあ、空き部屋に憑いたというのが正しい表現だろうが。

「いや、引っ越しのお知らせって・・・・・・ありそうね! 非合法店ぽくって、テンション上がる!」

「はいはい・・・次はどこですか?」

「え? 何言ってるの? 異界への扉を見つけ出さないと!」

「はい? どうするつもりなんですか?」

「それはもちろん、全部屋の呼び鈴を鳴らすの。そうしたら、ひょっこりゴドーが出てきてくれるかもしれないじゃない?」

「普通に人が住んでいるんですから、止めてください。出てくるわけないじゃないですか」

 そのゴドーは貴女の隣に居るのだから。

「えぇ・・・何もせずに帰れって言うの?」

「ここで何をしようと、そういう類いのものは出てこないですよ。ちゃんと正規の手順を踏んで、フラグを立てないと」

「その正規のルートが見つからないから直接来たの!」

「ふむ・・・確かに」

 カグとの接触は、基本一見さん御断りにしてある。既に魂を抜かれた人形と接触してきた者のみに正規の連絡先を教えているのだ。本当に欲深い者なら、そのくらいの遠回りは朝飯前のはずと踏んでの判断である。

「とりあえず、デマだったと判って良かったじゃないですか。空想に淡い期待を持ち続けなくて良くなりましたし」

「身も蓋もねぇ、というか然り気無くディスられてるぅ・・・・・・判った、次に行きましょう」

「はい、喜んで」

 こうして、団地での用件は終了し、道悟は次のスポットへと案内させられた。驚くべき事に、そこは先日、遙花と缶蹴りをした公園であった。

「此処ね、あの噂の公園は・・・」

「・・・その、噂とは?」

「石投げ地蔵の噂・・・ある日散歩をしていた男性が、誰もいない公園の真ん中に空き缶が置かれている事に気が付いた。男性がけしからんと片付ける為に近付こうとしたその時、どこからともなく小石が飛んできて、空き缶を弾き飛ばしたの。そして、石が飛んできた方向に目をやると・・・」

「あぁ、えっと・・・地蔵があった?」

「ええ・・・公園の隣のぶどう園を越えた先に、地蔵様があったそうよ。凄い投球フォームよね、恐ろしいわ」

「はい? 地蔵の存在がこじつけ過ぎる・・・というか、ネタに心当たりがあります」

「え、そうなの?」

「ええ、ここでは以前、子供たちが缶蹴りをしていたそうなのですが・・・ほら、見通しが良いでしょう? 特別ルールで石で弾いても良かったそうです。つまり、それは缶蹴りの練習だったと考えられます」

 おそらく犯人は若女将、それは言葉にしなかった。

「え、それじゃあ・・・また無駄足?」

「ええ、残念ながら」

「そんなぁ・・・」

 大きく肩を落とす諏方に対し、道悟は憐れみを込めて肩に手を置いた。

「ドンマイ」

「絶対思ってないよ・・・絶対ざまあって、内心ほくそ笑んでるよ」

「おっと、バレましたか」

「こいつ・・・はあ、気を取り直して、メインディッシュに食い付くしかないようね」

「遺体の発見現場・・・ですか?」

「ええ、その通り。大本命よ、張り切って行きましょう!」

「解放の時は近いぞー」

「ちょっ、どういう意味!?」

 そのままの意味である。


 野暮用を済ませた二人は、線路を越え、北本丸町へとやって来ていた。

「それにしても、不思議なところよね。郊外なのに、オフィス街があるなんて」

 諏方は、歩き回って来た南本丸町を思い返しながら、ビルの林立する街並みを見渡す。

「地価がお手頃なうえ、都心へのアクセスが容易ですから、成長株の企業が幾つか、本社を置いているんですよ。それが呼び水となって関連企業やサービス業が集結し、世界一通勤し易いビジネス街があっという間に形成されたというわけです」

「へぇ・・・詳しいんだね。もしかして、歴史好き?」

「特にそういうわけでは・・・小学校の自由研究で調べた事があるだけですよ」

「自由研究でそのチョイス!?」

 そんな無駄話をしているうちに、二人はとある路地の前に行き着く。そこには、団体名入りの黄色いテープで規制線が張られていた。

「もしかして・・・ここが?」

「ええ、この奥が御所望の現場ですよ・・・見ての通り、立ち入り禁止ですが」

「それはそうよね・・・・・・ふむ、見張りは居ないのね」

「まさか・・・入るつもりじゃあないでしょうね?」

「もちろん、入らなきゃ始まらないもの!」

「まあ、そう言い出すと思ってましたよ・・・・・・ここは大通り、人の目が多いので、止めてください。行くつもりなら、裏通りから回りましょう」

「え、ええ・・・止めないの?」

「止めて聴かないでしょうし、後で無茶されても困るんですよ。ほら、少し先の路地から回り込みましょう」

 道悟に促され、諏方は協力的な彼に戸惑いながらも、指示された路地へと、道悟に続いて足を踏み入れていった。

「ちょっと・・・いえ、だいぶ意外ね。ここまでアグレッシブに手伝ってくれるなんて」

「これが一番早く、一番平和裏に事を終わる判断しただけですよ」

「あのさ・・・怒ってる?」

「・・・まあ、強迫されたわけですから、それなりには」

「・・・それでも、手伝ってくれて、ありがとう」

「いきなり何なんですか?」

「こういう性格だからかな、友達にも一線引かれちゃってて・・・まあ、向こうは友達とすら思ってないかもだけど・・・新田君は私の同類だと思ってた」

「・・・はい?」

「誰とでも話せるのに、誰ともつるまないで、一線を引く。ずっとボッチ仲間だと、思ってた」

「ボッチ仲間って・・・・・・思っていた? 過去形?」

「最近変わったなって、生き生きした顔で帰っていくから・・・ボッチ卒業したのかなって」

「ボッチ言わないでください・・・自覚はありませんよ?」

「自覚があったらイタイでしょう・・・実は気になってたの、何がキッカケ? もしかして、例のバイト?」

「ふむふむ・・・バイトの件を忘れてくれるなら良いですよ」

「それくら・・・」

 諏方が何かを言い掛けたその時、けたたましい破裂音が路地にこだました。

「・・・何?」

 二人が周囲を見渡したその時、近くのビルの硝子が割れ、そこから人影が転落してきた。彼らの、眼前に。

「嘘でしょ・・・」

 トレンチコートを身に纏ったその遺体は、胸に風穴が開いていた。


 上空から人が降ってきたという状況を、諏方がしっかりと認識する前に、道悟は手に炎を現出させ、彼女の眼前へと差し出した。

 すると、諏方は瞬く間に意識を失い、その場に倒れ込みそうになったので、道悟はすぐ彼女を受け止める。そしてそのまま、業務用の巨大室外機の陰まで引きずっていった。

 人の遺体というだけで心に傷を負わせかねないというのに、この様な惨状では一生涯残る程の深い傷が刻み込まれてしまう。そんな気遣いもあっての事だが、何より大事なのは、この惨状を引き起こした存在が未だ上に、あの一室に居る可能性があると判断したからだ。

 それが件の殺人鬼なら、遺体を裏庭へ捨てようとするはずだ。しかし、生身では太刀打ち出来ない。ゴドーに姿を変えられる環境を調えるのが急務だったわけであり、悲鳴を上げられ、察知されるては困るというわけだ。

 そういうわけで、環境を調えた道悟は、音が響かない様に指を鳴らし、ゴドーへと変化した。

「むっ・・・あれは・・・?」

 ゴドーは、遺体が落ちてきた窓に人影を捉えた。しかし、そのフォルムは人間とは大きく異なっている。

 何と形容すべきか、強いて言うなら猫人間だ。全身がビロードの様な短い金毛で覆われた、人型の化け猫。すらりとした嫌に長い手脚を持ち、体高は3メートル程だろうか。脚だけが逆間接になっていて、右手には血を滴らせている。

 奴こそが殺人鬼、やっと姿を捉えられたのは不幸中の幸いと言えるが、一つ問題があった。翡翠色の猫の目とバッチリ視線が、合ってしまっているのだ。ゴドーが隠れる時間までは無かったのである。

 化け猫野郎は、即座に窓枠から飛び出し、三角跳びの要領であっという間に建物の屋上へと駆け上がっていった。

「あっ、待て!?」

 ゴドーもすぐさま屋上へと転移したが、既に化け猫野郎の姿は遥か遠くを跳ねていた。恐ろしい脚力である。

 追い付くことも可能なのだが、諏方と遺体を放置していくのは流石に不味い。ゴドーは火猿に追跡を任せ、再び路地へと降り立った。まずは、遺体の状態を検分していく。

 遺体の顔には見覚えがあった。袖崎刑事、何だかんだ全メニューを食しに来てくれた人、新たな常連に成ってくれたであろうに、残念な事で仕方ない。彼が命を奪われたという事は、皮肉にもあの捜査方針が正解だったのだと暗にしめしている。化け猫野郎は屋内に獲物を連れ込み、始末すると、死体は裏庭へ遺棄していたというわけだ。マークしていればどうにかなるが、裏庭からでは現実の建物内を隈無く把握するのは容易ではない。路地で犯行に及んでいるという監視前提は間違っていたのだ。

 だが、今回は奴もヘマをやらかした様である。瀕死とはいえ、被害者を逃がした結果、姿を晒してしまったのだから。何故、袖崎だけは一瞬でも魔の手から逃れられたのか。答えは彼の手に握られていた、回転式拳銃だ。

 刑事が潜入してくるとは、奴も想定外だったはずだ。本性を現したところを、銃撃したのだろう。それは、先程聴こえた破裂音とも合致する。予想外の反撃を受け、奴も焦ったらしい。手で胸を刺し貫いたようだが、心臓を外している。致命傷ではあるが、即死では無かったはずだ。どうにかして手から逃れた袖崎は、窓を破り、路地へと落ちてきた。少しでも、証拠を遺す為に。だが結果的に、高所からの転落で命を落としてしまった。

 他にも色々と調べておきたかったが、部屋の方がにわかに騒がしくなってきている。銃声を聞き付けてきたのかもしれない。ゴドーは袖崎の遺体を彼に任せる事にし、眠らせた諏方を抱えて、路地から転移していった。


「・・・・・・あれ、ここは?」

 諏方が目を醒ますと、そこは石投げ地蔵の件で訪れた公園だった。ベンチに腰掛け、前のめりに寝入っていたようである。

「何で・・・あれ、私・・・」

 記憶に靄が掛かったかの如く、意識を失う直前の事を上手く思い出す事が出来ない。頭を抱え込んでしまった彼女の眼前へ、唐突に暖かいお茶入りのペットボトルが差し出された。

「おはよう、諏方さん」

 差し出したのは、もちろん道悟である。道悟の顔を見るなり、諏方は血相を変えて、彼の肩に掴み掛かった。

「ねぇ! 私達って、死体遺棄現場を見に行ったよね? 何でさっきの公園にいるの!?」

「・・・ん? 何を言っているんです? まだ寝惚けているんですか?」

「良いから、説明して!!」

「はぁ? ・・・現場を見に行って、規制線が張られていたのを、覚えてますか?」

「え、ええ・・・だから、私は・・・・・・規制線を、越えようと・・・した?」

「その通り。ヤバイから諦めて帰ろうと、俺は再三申し上げたというのに・・・公衆の面前で、貴女は平気で潜り抜けようとした。そして丁度良く、その場面を巡回中の警官に見られてしまったというのは?」

「・・・・・・あっ」

 そう言われた途端に、諏方の思考を邪魔していた靄が晴れていき、先程までの苦悩が嘘の様に、記憶をスムーズに引き出す事が出来た。

「そう、見つかっちゃって・・・私達は全速力で逃げた、この公園まで」

「ええ、まさに息も絶え絶え・・・あそこまで本気で走ったのは体力測定以来でしたよ」

「だから、このベンチで一休みする事にして・・・えっ、私そのまま寝ちゃったの!?」

「呼吸を調えているのかと思いきや・・・寝息だと気付いた時は開いた口が塞がりませんでしたよ」

「そ、そうね、我ながら驚きを隠せないわ・・・私って、どのくらい寝ていたの?」

「正確には判りませんが・・・俺が自販機へ行って帰って来てから間もないので、まあ5~10分程度じゃあないですか?」

「ほっ、ガッツリ寝てなくて良かった・・・・・・待って、今どこへ行ったって?」

「自販機ですが・・・何か?」

「何か、じゃない! 寝てる私を置いて自販機へ行くとか、どんな神経してるの!?」

「いや、すぐそこの自販機ですよ? ここからでも見える位置ですよ、ほら」

 道悟は、ベンチから3時の方向、100メートルほど先に在る自動販売機を指差した。

「距離じゃなくて、気持ちの問題なの! うっかり寝ちゃった女の子を放置していくなんて、少しは思いやりなさいよ!」

「だから、様子はちゃんと見てましたって・・・購入して手に取る時以外は」

「買いに行った時点でアウトだって言ってんの!」

「Oh・・・それじゃあ、これは要りませんね」

 道悟が肩を竦め、差し出していたペットボトルを引っ込めようとしたその時、諏方がガッチリと彼の手首を掴んだ。

「それは・・・頂きます」

「はぁ・・・では、どうぞ」

 諏方は道悟からペットボトルを受け取ると、所在無さ気に蓋を開け、遠慮がちに飲み始めた。

「・・・・・・はあ、やっと一息つけた感じ。その・・・取り乱して、ごめんなさい。落ち着いたから、大丈夫」

 元気を取り戻したかの様に振る舞う諏方に、道悟は曖昧に微笑み返した。

 やはり、偽りの記憶を刷り込んだとしても、受けた衝撃は残ってしまうものである。正体不明の不安感に襲われており、取り乱しがちなのも仕方がない。解消法は忘れる事、気を逸らしてやるのが一番だ。今日はこのまま言い含めて、帰宅させるべきだろう。

「無理しないでください、色々と回った疲れが出たのかもしれませんよ?」

「そう・・・かな? 確かに疲れてはいるけど・・・」

「学校もあるんですから、今日はこの辺で・・・」

 不意に、道悟は他方からの視線を感じ、言葉を切った。そして、視線を感じた方向に目をやる。すると、公園の入り口に道悟達を窺う人影を見付けた。

「お・・・かみ」

 人影の正体は、満面の笑みを浮かべる逍子であった。道悟が振り向いたのに気付くと、それに応える様に手を振り始める。

「・・・知り合い?」

「えっと・・・その、雇用主」

 道悟には、頭を抱える事しか出来なかった。


「見つかっちゃった♪」

 逍子に気付いた道悟は、彼女の元へ駆け寄り、詰問していた。

「はぁ・・・ここで何をしているんですか、女将?」

「ほら、今日は良いお天気でしょう? だからお散歩していたのよ♪」

「いや、お散歩って・・・この物騒な時期に?」

「うふふ・・・歩いていたら、新田君達と遭遇したりしないかな、なんて。淡い期待はしていたけれど♪」

「それって、ガッツリ捜索してるじゃないですか!」

「うふふ♪」

「・・・否定しないんですね、もはや」

 道悟が逍子の取り扱いに苦慮していると、痺れを切らしたのか諏方が歩み寄ってきた。

「ちょっと、今ってどういう状況なの? 雇用主って?」

「いや、その・・・彼女は」

「うふふ、端から見れば新田君、まるで間男ね♪」

「愉しそうに何て事言うんですか・・・」

「大丈夫、任せて♪ ・・・初めまして、私の名前は波多野逍子。近くで食堂?を経営しているの。新田君は、そこでお手伝いをしてくれているから、私が形式上では雇用主なの」

 女将が誤解を招かない真っ当な説明をしてくれている、道悟は予想外に良好な対応に驚き、何故か目頭が熱くなるほど感動している。

「とどのつまり・・・・・・私が女帝よ」

「じょ・・・女帝・・・」

 決め顔でトンデモナイ事を言い出す逍子に、諏方は言葉を失ってしまう。道悟の感動は数秒で瓦解してしまった。つまり、株価大暴落である。

「何を言っているんですか、女将!」

「うふふ、ジョーク、ジョーク♪ スカンジナビアンジョ~ク♪」

「北欧感、皆無じゃないですか! 諏方さんだってドン引きして・・・」

「・・・ふふっ、あっはっはっ!」

「大爆笑していた!?」

「ふふっ・・・波多野さんは面白い人ですね。私は諏方悠梨、新田君のClassmateです」

 諏方はクラスメートの部分を強調しつつ、道悟に対して目配せをした。彼女なりに気を使ったつもりなのだが、道悟はクラスメートとして認識していなかった事への痛烈な皮肉だと解釈してしまう。

「諏方ちゃんも中々いける口じゃない♪ (うち)、来ちゃう?」

「えっと・・・良いの?」 

「もちろん、お昼まだでしょう? 何か、御馳走させて♪」

 こうして、道悟と諏方の二人は逍子により、しょうようへと持ち帰られていった。

 しょうようへ着くまでの間に、諏方は今日のツアーの顛末を逍子に語り聞かせていた。

「というわけで、空振りに終わったの・・・波多野さん、何か知らないかな?」

「う~ん・・・だいぶ昔に流行ったものしか知らないわね。それよりも、私としては今の噂に興味津々なんだけど♪」

 そんな話をしながら店へ入ると、逍子は案の定、招待しておきながら道悟に調理を丸投げしてきた。ある程度予想していた道悟は、文句も言わずに厨房へ向かい、手を洗ってから冷蔵庫を漁る。唐揚げとトンカツが残っているので、適当に揚げ焼きにしてしまおう。大きめのフライパンへ多めにサラダ油を注ぎ入れ、火に掛ける。油が熱されてきたら、トンカツと唐揚げを敷き並べていく。後は焼けていくのを待つばかりだ。

 道悟が少し呆けていると、厨房の奥から遙花が現れた。

「お姉ちゃん帰ってき・・・って、新田さん?」

「・・・石投げ地蔵」

「え、何ですか?」

「はっ、すみません・・・こんにちは、若女将」

 道悟は簡単に、ここまで連行されてきた経緯を説明した。

「姉がいつもすみません・・・プライベートにまで踏み込んで」

「いや、プライベートって言うほどプライベートでは・・・そういえば、この前缶蹴りをした公園で・・・」

 また、道悟は石投げ地蔵の噂について、遙花に紹介した。

「これって、やっぱり若女将ですか?」

「う~ん・・・」

 問われた遙花は難しい顔で眉間に皺を寄せた。

「たぶん、違うと思います」

「え? 違うんですか?」

「ええ、私は一人で練習とかしませんでしたから。それはおそらく・・・彼かと」

「・・・彼?」

「昔から、いつの間にか参加している子が居たんです。とても石投げが上手だったけど、誰も身元を知らなくて・・・」

「えっと・・・それって、まさか」

「彼は・・・プフッ」

「プフ?」

「すみません、我慢できませんでした・・・冗談ですよ、新田さん。たぶん私ですね、石投げ地蔵」

「え、えぇ・・・何でまた、そんな冗談を」

「さあ、何故でしょうか・・・それより、いつまでもフライパンから目を離していたら、焦げちゃいますよ?」

「あ、はい!」

「お腹空いてるので、早めにお願いしますね~」

 そう言い残し、遙花はカウンターの方へと歩き去っていった。

「・・・何だったんだ?」

 道悟は首を傾げながら、良い焼き色のついた揚げ物を裏返していく。再び、焼けるのを待っていると、仕事用の携帯にメッセージが届いた。カグから、あの化け猫を見失ってしまったそうだ。残念だが、正体が割れただけでも良しとするしかない。

 終わりは確実に近付いているのだから。


 昼食を食べ、ひとしきり会話に花を咲かせて、日が暮れる頃に諏方は帰路に就いた。 道悟もガールズトークが盛り上がっている間に後片付けを済ませ、諏方と共に駅へと向かっている。

 望んだ収穫は無かったが、思いもよらないお土産が出来た一日だった。そう、諏方は今日という日を締め括る。  今度は客として食べに来る為に、道悟がタダ働きのバイトをしている件は内密にすると諏方は誓い、道悟とは改札前で別れた。彼が寄るところがあると言い出したからだ。

 道悟は、駅のトイレへ入っていくと、珍しく無人である事を確認し、用心して個室でもって、指を鳴らして転移した。

 転移した先は、カグの社殿。あの篝火が焚かれた大部屋である。転移に際して、道悟はゴドーの姿へ変化していた。

「待っていたぞ、道悟」

 篝火の在る場所では、人の半身の形になったカグが、激しく燃え盛っていた。

「・・・面目無い、今回は完全にやらかした。力の使用も事後報告だったしな」

 ゴドーは姿勢を正し、深々と頭を下げた。だが、カグは未だ憤慨の炎を猛り狂わせている。

「フンッ、確かに悪手とは言えるが・・・命じた事では無いゆえ、そこは目を瞑ろう。我が怒りを覚えているのは、件の化け猫に対してだ。小一時間追い回した末、霞の如く掻き消えよった。何と小賢しい、腸は煮えくり返り、怒髪は天をも衝きそうだ!」

 カグの一喝で社殿全域が大規模な横揺れに襲われた。これはカグの怒りは、相当なものだという事を表している。

「カグ、どうか気を鎮めてほしい、今日はこれから客が来るんだ・・・敵の正体が掴めたんだ、対策を講じて始末すれば良い。あいつは既に袋のネズミなのだから」

「フッ・・・相手は猫だが、な。あの姿、猫神バーストの使徒に違いない」

「ケットツィーの使徒という線もあるが、猫系列で心臓を捧げる習慣があるのはバーストだけだ。奴は心臓を捧げられる度に、捧げた使徒へ力を与えていく。あの殺人鬼は経験値稼ぎに来たのだろうな。行動から推測するに、裏庭へは限定的にアクセスしか出来ない半人前なのか?」

「バースト・・・忌々しい侵入者め、一歩でもこの地に足を着けようものなら、消し炭にしてくれるわ!!」

 また激しく社殿が揺さぶられる、今度は縦揺れだ。

「カグ・・・分かっているとは思うが、我々は今、埋伏の時だ。本懐を遂げるまで、表だって動くのは得策じゃない」

「・・・分かっている。我は闇に潜み、ひたすらに力を蓄えるのみ。奪われた半身を取り戻すその時まで、な」

「覚えていてくれて嬉しいよ・・・使徒は使徒同士、俺が必ず仕留めると誓う。だから、怒りを鎮めてほしい」

「ヌゥゥ・・・・・・分かった、任せるぞ、道悟」

「ああ、次は逃がさないさ・・・そろそろ、お客が来る時間だ。気持ち、切り替えていきましょう」

「うむ・・・力の乱用は避けるようにな」

 カグは、半身の形から燃え上がる炎へと姿を変え、実は急上昇していた部屋の温度も適温へと下降していく。篝火が落ち着きのあるインテリアになったのを確認してから、ゴドーは佐武を迎えるべく、団地部屋の玄関へと転移した。

 佐武へ返信をすると、今日中に出向きたいという申し出がすぐに帰ってきた。どうかしたのだろうかと考えてみたが、以前の接触から数週間の時が経っている事を鑑みれば、痺れを切らしたとしても不思議ではない。さて、今回は何を説明するのだったか、そんな事を思案していると、不意に部屋の呼び鈴が鳴り響く。扉を開けると、ダッフルコートを纏った佐武が佇んでいた。

「こんばんは、ゴドーさん。今日は無理を通して頂いてありがとうございます」

「いえいえ、前回から期間が空いてしまいましたからね。どうぞ奥へ、お入りください」

 後は一度経験したので慣れたもの、特に問題も無く篝火の前にたどり着き、ゴドーはとある質問をぶつけた。

「実際の裏庭へ訪れて、身を危険に晒し、体力をすり減らしながら案内を受けるコース。そして、危険を排した幻覚による時間無制限コースでしたら、どちらをご希望ですか」

「そうですねぇ・・・では幻覚でお願いします。よくよく考えたのですが、あの体温を徐々に吸い取られていく様な状態では、落ち着いて説明を聴けませんから・・・しかし、嘘偽り無しでお願いしますよ?」

「それは、もちろん・・・では、参りましょうか」

 ゴドーが指を鳴らすと、佐武の視界は暗転し、気付けば前回に訪れた高層ビルの屋上に立っていた。

「ここは・・・本当に幻覚なのでしょうか?」

 佐武は自身の身体を確認しながら呟いた。普通の夢とは違って、意識はハッキリとし、五感も機能している。選択肢を問われねば、そのまま来ても幻覚と気付くには相当な時間を要した事だろう。

 佐武がぼんやりと、裏庭の空で耀く太陽を見上げていると、彼の隣にゴドーが現れた。

「お待たせしました・・・今日は宗教とその神々について、でしたね」

 ゴドーは太陽とは別の方向に人差し指の先を向けた。

「各宗教が奉じる神々は、我々の素であるヤルハンク・ゥエルより下位の存在で、無限の出力を持つという彼の一部を摂取して力を得ているのです・・・ほら、見てください」

 ゴドーの指差す先には、太陽へと還っていく多くの燐光の中、あらぬ方向へ飛び去っていく燐光の姿があった。

「あの魂は、自身が信じた神の世界へと招かれているのです。神の世界とは、我が主の社殿のような、裏庭内でも隔絶された空間を指しています。例えば、あの教会を有する団体の信じる世界には天国と地獄、煉獄がありますが、天国へは敬虔な信徒が、地獄へは信じていながら教義に逆らったものが送られるのです。具体的に説明すると、彼ら好みの味になっている信徒達はすぐに吸収され、悪の強い者は、地獄、煉獄という下茹で工程が入るというわけです。つまり、宗教を信じた者は魂のリサイクルの輪から離れ、良くも悪くも最終的に吸収される運命にあります。なので、どこの宗教も熱心に信徒を集めます。大手は何もしないでも信徒が集まりますが、弱小では様々な特典を振り撒いて、誘き寄せているというわけです」

「待ってください・・・それってつまり」

「ええ、貴方もまた・・・」

 ゴドーが核心めいた事を口にしようとしたその時、彼は唐突に言葉を切った。

「おや、今来てしまいましたか・・・仕方ないですね」

「あの・・・何かあったんですか?」

「ああ、すみません・・・商売敵が入らした様なので、少し席を外させていただきます」

「え・・・?」

 ゴドーは佐武を一瞬で眠らせると、現実の団体前へと転移した。

「突然お越し頂いては困りますねぇ・・・聖職者の方々?」

 団地の敷地への入り口には、黒いスーツに白無地の外套を羽織った男女二人が立っていた。


「見つけたぞ、魔性の者よ」

 聖書を手にした男性が、ゴドーを指差しながら顔をしかめる。まるで親の仇でも見つけたかの様だ。

 女性の方は、無言で鎖で吊るした香炉を面白いくらい振り回していた。何が何でも煙を拡散させたいらしい。彼らは人避けの香を持っていると聞いたことがある。特殊な力などではなく、モスキート音の様なもので、無臭ながら人を無意識に遠ざける人間工学の粋だそうだ。彼らからすれば、これも主の奇跡なのだろうが。

「遠くから入らしたのですからお茶でも差し出したいところですが・・・今はそれどころではありませんね?」

「その通りだ、殺人鬼め」

「・・・・・・はい?」

「罪無き魂を不当に貪る悪魔め、今すぐにでも地獄へ叩き返してやろう!」

「う~ん・・・これは」

 良くも悪くも魂を食らうのはそちらの主も同じだし、今回の犠牲者は刑事さん以外罪が無かったか怪しいものである。何より問題なのは、おそらく頭の固い(マニュアル漬け)新人が派遣されてきたのだろう。あちらの元締めは、どうにもこの事件を重要視してはいないらしい。まあ、端から見ればよく有る案件の一つに過ぎないので、まだ分別の出来ないぺーぺーを送り込むのに最適だと判断したのだろう。まったくもって面倒な事態である。これで、拳でもって語り合わねばならなくなった。

「せっかちですねぇ・・・話し合いはしてもらえないのですかなか?」

「悪しき存在と交渉することなど無い。早々に滅してくれる!」

 男は懐から、首に下げていた小さな銀製の十字架の取り出すと、それをゴドーに目掛けて突き出した。すると、十字架より鎖が現出し、ゴドーの身体を幾重にも拘束していく。

 この鎖は、動きを止める以外にも、裏庭への移動を阻害する効果がある不可視性のもので、おそらく聖職者たちには、十字架を向けたら、相手がもがき苦しみ始めた様にしか見えないはずだ

。あくまで特殊なのは道具であり、人間自体は普通という事である。

 さて、ゴドーの動きが鈍ったのを見計らい、男性の方が聖書を構えて突貫してきた。

「主よ、我らに道を示したまえ!」

 男性がゴドーの目と鼻の先で聖書を振り下ろすと、またも常人の目では見えない変化が起きた。魔性の存在には、たとえ物質世界に姿を現していようと、力の膜で物理的な攻撃が通らないのだが、あの本は膜を問答無用に断ち切ってくる。つまり、ゴドーは物理的攻撃に対して丸裸になったというわけだ。

 すかさず、女性の聖職者が水で満たされた小瓶を、ゴドーへ投げ付ける。小瓶はゴドーにぶつかると、簡単に粉砕し、中身を彼にぶちまけた。

「・・・ッ!?」

 中身の液体はゴドーに接触すると、急激に泡立ち、非常に分かりにくいが、濃硫酸の如く彼の表面を焼いていった。彼らが聖水と呼ぶその液体は、魔性の存在のみを焼け焦がす代物である。彼らの言う悪魔払いでは、これで大体フィニッシュなのだが、悪魔本体しかいない場合は物理的に始末する必要があった。

 聖職者の二人は、懐から消音器付きの拳銃を取り出すと、弾切れになるまで容赦無くゴドーへ銃弾を浴びせ続けていく。後は死骸を燃やすだけ、ゴドーは炎に包まれた。

「何だ・・・と」

 聖職者たちは、動揺を隠せなかった。まだ火を放っていないというのに、ゴドーの身体が火に包まれていたからである。

「先攻はここまで、という所でしょう・・・では後攻、張り切っていきましょうか」

 燃え盛るゴドーは見えない鎖を引きちぎり、男性聖職者へと肉薄した。

「おのれ、悪魔ぁ!」

 渾身の叫びの直後、ゴドーの拳が男性の顔面を捉える。左眼窩を粉砕されて、男性の身体が宙を舞う。残された女性聖職者に対して、ゴドーは肩を竦めてみせた。

「女性をいたぶる趣味は、残念ながら持ち合わせていないので・・・すみません」

 ゴドーが指を鳴らすと、女性の身体は炎に包まれ、金切り声を上げながら、その場に崩れ落ちた。

「・・・さて」

 ゴドーは拳銃を現出させると、顔の左半分を潰され、地面に転がる男性の元へ歩み寄った。

「一つアドバイスするなら、相手の力量を計ってから行動を決めないと・・・こうなってしまいますよ?」

 ゴドーが足を使って男性を仰向けにした瞬間、男性が手にしていた拳銃の銃口がゴドーへ向けられる。しかし、彼が引き金を押し込むよりも速く、ゴドーの放った銃弾が男性の手首を撃ち抜き、拳銃共々、その右手を炎上させた。

「だから言ったというのに・・・」

 男性の身体も炎で包み込んで、事態は収拾する。ゴドーは男性が悲鳴を上げなくなるまで待ってから、指を鳴らして、彼らに見せていた幻覚を解いた。彼らが凄惨な最期を迎えるという幻覚を。

「・・・・・・へ?」

 息を吹き返した二人は、自身が無傷である事を確認し、首を傾げた。

「夢オチ、というものですな。私が攻撃を仕掛ける辺りから、幻覚にすり替えさせて頂きました。私は殺戮ではなく、話し合いを致したいので」

「・・・・・・用件は、何だ?」

「我々は殺人鬼を捕まえ、行ないを贖わせたいのです。その為に、貴方達には奴を探して頂きたいのです」

「・・・邪悪な存在である貴様が、何故その様な善行を働こうとする?」

「善行・・・ですか。まあ、悪人が善行を為してはいけないという法律は無いということで、一つ」

「・・・・・・分かった。だが、我々は犯行現場から殺人鬼の残滓を採取し、追跡をして此処へ行き着いた。だから、それ以上の協力は出来ない」

「それは・・・私の物を採取したのでは? 遺体をこちら側へ返したりしましたから」

「より濃い方を採取して、ランタンが現在地を示した。だが、ランタンは今も貴様を指していない・・・建物を指している」

「建物・・・?」

 団地の住人に、魔性に関わる者がいないのは既に確認している。外部から来ている人間と言えば、誰か。

「貴方達は帰りなさい!」

 ゴドーは指を鳴らし、カグの社殿へと転移した。


 ゴドーが篝火の間へ戻ると、そこには予想だにしない光景が拡がっていた。

 社殿は全壊して、破片は宙を舞い、その中心では途方もなく巨大な存在が取っ組みあっているのだ。片方は人の半身の姿をした炎の化身、足りない半身を青い炎で補っているその姿こそ、カグが全力を出している証拠である。もう片方は、耳の尖った獅子の頭とオリエンタルな衣装を纏った女体を持つ存在だった。両者の力は拮抗し、押し合い圧し合いの攻防を繰り広げていた。

「何なんだ、これは・・・」

 自分が参戦して足しになる戦いなのだろうか。ゴドーが逡巡していると、横から声を掛けられた。

「おかえりなさい、ゴドーさん。遅かったので、先に始めてしまいましたよ?」

 この異常な状況下で、佐武雫は落ち着いた口調で、まるでパーティへの参加が遅れた客に対する様に振る舞っている。

「・・・やはり貴方が、バーストの使徒でしたか、佐武さん?」

「この状況で違う方がおかしいでしょう? そうですとも、僕が貴方達の縄張りを荒らした殺人鬼・・・当人です」

 佐武は嫌味の無い、優雅な一礼を披露した。

「・・・最初から、目的はここの襲撃だったのですか?」

「ええ、まあ・・・実は、魂を溜め込んでいる土着神が居るというのは、一部の間では有名なんですよ? だから、防寒の主は、その土着神を見つけ出すように命じたのです」

「それが、依頼者に扮して近付いた理由・・・どうやって、ここの情報を?」

「ああ、それは簡単でした。特定の区域の魔性を調べたいなら、まずは都市伝説を探るべきです。その中でも願いゴドーの噂、一目で分かりましたよ。これは餌を集める為の巧妙な罠だとね。そこから、此処へ辿り着くまでは、スムーズに事が運びました」

「ほう・・・なら、殺人を行なう必要は無かったのではありませんか?」

「そんな事はありませんよ? 知られていると思いますが、我が主は心臓を求めておられる。そして、捧げる毎に力を授けてくださるのです。あれはもはや日課なんですよ、さらなる力を手に入れる為のね。それに・・・」

「・・・それに?」

「心臓を一撃で引き抜く程の力、使いたくならない方がおかしいでしょう? それに大半が救い様の無い連中ばかり、今日の警官には驚かされましたが、見られたからにはというやつですね」

「・・・信じられないくらい、色々とあっさり答えて頂けるのですね?」 

「ええ、まあ・・・僕の使命は、標的の位置を把握し、主が乗り込む為の門を開け放つ事・・・面が割れてしまい、大急ぎで取り組んだわけですが、それももう完遂しました。後は神々のどちらかが倒れるまで、観戦するしかない。そんな暇な時間の戯れとして、お答えしたまでですよ」

「つまり・・・門を操作しているのは貴方というわけですね?」

「フフッ・・・気付いてしまいましたか。その通り、僕を倒せば門は閉じます。門が閉じれてしまうと、バースト様に勝ち目は無くなってしまうでしょうね」

「・・・それも、戯れですか?」

「いいえ、慢心ですよ・・・貴方に、さらなる力を得た僕は倒せませんから」

 言い終えるや否や、佐武の身体がまるで風船の様に膨れ上がり、やがては破裂する。そして現れたのは、先日邂逅したばかりの化け猫だった。

「あの時は勝ち目が無かったので、尻尾を巻いて逃げましたが・・・今回は違いますよ?」

「そうみたいですね・・・パワーアップですか?」

「ええ、使命を果たしたので、大きな力を賜れたのです」

 すると、佐武は霞と成って消え失せ、次の瞬間にはゴドーの背後へ現れた。長く鋭利な爪がゴドーの頚椎部分を狙うも、今度はゴドーが炎となって掻き消えてみせる。そして、佐武の直上に現れたゴドーは、落下エネルギーを乗せた拳を見舞った。今回は霞と成らず、重い一撃を受け止める。

「どうやら未だ、使いこなせていないようですね?」

「ついさっき手に入れたばかりですからね!」

 そこからは、荒ぶる神々を背景にしてゴドーの拳と佐武の爪の応酬が続き、時たま転移を織り交ぜてぶつかりあったが、そこは一日の長であるゴドーが圧倒する。最終的には単純なステゴロ勝負へと移行していき、最後は佐武の右爪を受け流したゴドーが、顔面への右フック、右肘鉄、右裏拳からの、鳩尾を抉り取らんばかりの左正拳突きでフィニッシュを飾った。

「ぐっ・・・これでも、未だ・・・足りないのか」

 卒倒し、仰向けに倒れ込んだ佐武。ゴドーは人間の姿に戻った彼を拘束しながら、カグとの意思疏通を図った。

「カグ、遅くなってすまない。門を繋いでいた使徒は倒した。門は閉じ、お相手は力の供給が止まって弱体化するだろう。畳み掛けてくれ!」

『・・・承知した!!』

 カグは掴み合っていた両手から炎を迸らせ、バースト神の全身を呑み込んでいった。耳をつんざく悲痛な叫び声が空間中にこだまする。それも、カグがバースト神を丸呑みにするまでの事だが。

「ふむ、美味い・・・思いの外少ないが、それでも消費した分を大きく上回るエネルギーを回収出来た。良い援護であったぞ、道悟」

「それなら良かったが・・・社殿、というか領域が滅茶苦茶だな。これは、しばらく休業にした方が良いか?」

「ふむ、復元など造作も無い事だが・・・一から奇襲に備える造りにしても酔いつぶれだろう。それに、少しずつ直した方が燃費が良い」

「どれくらい掛かりそうだ?」

「・・・一ヶ月もらおう」

「一ヶ月か・・・まあ、依頼者達もやきもきして欲が熟成されるかもしれないしな・・・よし、休みにしよう!」

「後片付けをしたら、な?」

 こうして、南峰城市で起きた連続殺人事件は幕を閉じたのであった。

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