第二章からあげ 五節目
鈴原幹雄と名乗る人物は、すぐにでも会いたいという趣旨のメールを送ってきていた。
それを休憩中に確認した道悟は、迷う事無く受諾の返信を送っている。その意図は、せっかちな輩ほど、道を踏み外し易いからだ。
ゴドーの姿となり、団地の一室に出迎えた人物は、痩駆で青白い、高身長の男だった。明らかに、栄養失調気味の容姿だったが、ゴドーは気にしない。魔性の使徒であるゴドーにとって重要なのは、彼が願いを聞くに足る人物かどうかなのだ。
「初めまして、鈴原様・・・私が案内人のゴドーでございます」
現れたゴドーの姿に鈴原は目と口を大きく開け、よろよろと背後の手すりまで後退した。
「な、何なんだ、あんた・・・」
「ですから、ゴドーでございます」
「そうじゃなくて・・・・・・まあ良い、答えたくないみたいだしな」
「寛大なるご配慮、感謝致します」
「・・・それよりも、本当にここで願いが叶うのか? まさか、インチキなんじゃないだろうな?」
「ふむ・・・インチキとしか思えない取引に、すがり付かねばならない程の願いが、貴方には有るのではないですか?」
「っ・・・ああ、有る」
「ならば、こちらへ。ここは人目に付きますし、迷惑にもなります」
「・・・わかった」
鈴原は眉間にしわを寄せながらも、ゴドーの待つ室内へと歩み寄って来た。だが、部屋の敷居を跨ごうとした次の瞬間、彼は瞬時に身を退いてしまう。
「き、危険な事は、無いんだろうな!?」
「それはもちろん、有りますとも。私の指示に従わなければ生きて帰れませんので、お忘れ無く・・・」
「くっ・・・」
逡巡の結果、鈴原は部屋の中へと飛び込んできた。
「はい、上出来ですとも・・・」
ゴドーが指を鳴らすと、部屋の扉が独りでにしまり、室内は暗闇に塗り潰されてしまった。
「な、何なんだ!? 」
もはや半狂乱に陥る鈴原、それに対して、ゴドーの呆れた様子の声が暗闇から響いてくる。
「はぁ、少しは信用して欲しいものですね・・・ご安心を、捕って食べるつもりはありませんよ」
ゴドーが再度指を鳴らすと
、灯籠に火が点り、彼らは例の如くカグの社殿の廊下に、向かい合って立ち呆けていた。
「こ、ここは・・・っ!?」
「ようこそ、魔性の世界へ」
この後の、鈴原のリアクションが、実にテンプレートであったため、カグの炎との邂逅まで割愛する。
「さあ・・・魔性の者に願わねばならないない望みを、その炎へ告げてください」
ゴドーが慣れた様子で炎への告白を促すと、鈴原は吃りながら、自らの願いを叫んだ。
「お、俺が・・・俺が、か、叶えたい願いは・・・あり得ない程に高性能な、ゲームエンジンが欲しい!」
案の定、第一声では何も起きない。
「騙したのか!?」
そしてこちらも案の定、依頼者が猛犬の様に吠え掛かってくる。
(道悟、ゲームエンジンとは・・・何だ?)
同時に主様から、ゴドーの脳裏へ直接、質問が届く。
(俺も詳しくは知らないよ、カグ。いつも通り幻覚を見せて、その在り方を確かめてみよう。不合格なら叶える必要も無い)
(うむ、そうだな)
話がまとまったところで、ゴドーはギャーギャーと吠え続ける鈴原に語り掛けた。
「お待たせして申し訳ありません。準備が整いましたので、再度篝火をご覧ください」
鈴原が渋々、視線を篝火に戻した次の瞬間、炎は激しく燃え上がり、閃光となって室内を呑み込んだ。
やがて閃光が収まると、鈴原は自室に佇んでいた。驚いて辺りを見回すと、アルコール飲料の空き缶の山が目に付く。
「まさか・・・全部、夢?」
鈴原は力無く、その場にへたり込んだ。ずっと感じていた期待感は全て、実体の無い夢幻に過ぎなかったのか。絶望の淵から転げ落ちそうになったその時、自室に見慣れぬ椅子が在る事に気がついた。
安物家具しか無い室内で異彩を放つ、本革と金属で構成された白い椅子。人間工学を全面に採り入れましたと言わんばかりに、前衛的で流線型なデザインをしている。
鈴原は何の気無しに、その椅子へ腰を下ろしていた。素晴らしい座り心地、背もたれに頭を預け、ひじ掛けに腕を載せたその時、PCの起動音に似た音が響くと、椅子の背部から装甲が展開していき、椅子は鈴原を包む、白い球体へと変貌する。
しかし、鈴原は動揺しない。これが何なのかを、知っている様な気がしたからだ。
「スクリーンを・・・点けろ」
彼がおっかなびっくり言葉を漏らすと、球体内部、鈴原の視線の先が72インチほど四角く輝き出した。
これが、この椅子こそが鈴原の望んでいたゲームエンジンなのだ。願いは叶っていた、燃え上がる期待で頭が沸きそうになり、歓喜のあまり狂い叫びたくなる。想定通りなら、これは完全防音なので叫んでも大丈夫だ。
「Yeahーー!!」
生まれてこの方、これほどの歓声を挙げた事は無い。そして早速、このエンジン最大の機能を呼び覚ます。
「起動しろ、Yana」
You are not alone engine、その最大の特徴とは、意図を察する事すら出来る人工知能。主人のオーダーから好みを学習し、永遠に遊べるゲームを作り出す。
終わらないストーリー、偶発的に発生するイベントに圧倒的なグラフィック。登場人物に割かれるリソースは計り知れない、同じ台詞を本人が意図しない限り吐かないほどに作り込まれている。
現実と見紛う世界、これはまさに新たなる宇宙の想像なのだ。
「おはようございます、Master」
Yanaは起動した。それから鈴原は、寝食を忘れてゲーム作りに没頭する。まずは、ファンタジーだ。この為に金を貯め、貯まったと同時に会社も辞め、すぐに魔性の元へと赴いたのだ。
一週間掛けて、遂にゲームは一応の完成を迎えた。プレイするのが待ちきれない、逸る気持ちのまま、専用のコントローラーを握った次の瞬間、彼は再び閃光に包まれ、気が付けばあの篝火の前に立っていた。
「おめでとうございます、合格ですよ」
鈴原が目を白黒させていると、ゴドーが拍手をしながら歩み寄ってきた。
「今のは、貴方が我々の与えたものを悪用しないか確かめる為のテストだったんです」
「テスト・・・つまり・・・体験版?」
「まあ、そうなりますね。しかし、これでこちらの実力はお分かりになったことでしょう。それで、契約は為さいますか?」
「もちろん、するさ! だから、早く遊ばせてくれ!!」
「畏まりました・・・契約には条件がございます。まずは此処で知り得た情報を他人に伝える事を禁じます。漏らした方含め、処断させて頂きますのでご留意ください」
「ああ、分かった!」
「次に、与えた力をゲーム製作以外に使用する事を禁じます。以下同文です」
「分かったから!」
「最後に製作したゲームでの必要以上の金儲けは・・・」
「あのスペックを他の機材で行なえるものか!」
「分かりました・・・では、契約成立でございます。報酬を受け取り次第、転送させて頂きま・・・」
鈴原は食い気味に対価の入った封筒をゴドーに押し付けた。
「・・・確かに」
中身を確かめたゴドーは、指を打ち鳴らした。それにより、鈴原は炎に包まれ、そのまま消失していく。自宅へと転送したのである。
「また魂を逃したぞ、道悟? これでは力の使い損だ」
カグに苦言を呈され、元の姿に戻った道悟は、苦笑してみせた。
「せっかちだな、カグ。言ったろ、願いを叶えるのは先行投資だって・・・彼は必ず道を踏み外すから、大丈夫さ。見張りを付けておくと良いだろうね」
「だが・・・」
これ以上、文句を言われる前に道悟は指を打ち鳴らし、カグの社殿を後にした。