第二章からあげ 四節目
午後6時を迎えようとして、逍子は割りと焦っていた。もう開店時間だというのに、道悟と遙花が帰ってこないからである。
二人の身に何か起きたのではないか、お茶に使うお湯を沸かしながらそんな事を思案していると、まだ解錠していなかった戸口が開かれた。
「おかえりなさい♪」
二人が帰還したと思い、逍子は厨房から飛び出していく。すると予想通り、道悟と遙花が戸口から店内へと入って来ていた。
「まったくもう、二人とも遅・・・い・・・あら?」
店内へ入ってきたのは、二人だけではなかった。もう一人、紺色の帽子と衣服に身を包んだ男が同伴している。
「誰、というか・・・警官さん?」
そう、日章輝く紺色の帽子と衣服に身を包んだ男性警官が同伴していたのである。
「あ、あの・・・うちの二人が、何かしたのですか?」
逍子は笑顔を硬直させながら、ぎこちなく警官に問い掛けた。
「ああ、いえ、そういうわけでは無いんですよ。パトロール中に、こちらの二人が公園で佇んでいたのを見掛けたので、注意喚起の為に軽い職質をしただけです」
「注意喚起・・・それは、例の?」
「ええ、何かの動物だと考えられていますが、まだ正体も掴めていないので、不必要な外出はなるべく控えてもらいたいという注意です。ちなみに、ネット等で近くの動物園からベンガルトラが脱走したという噂が流れていますが、そういった事実は無いので信じないようにしてください」
「そうでしたか・・・あのでも、何故うちまでご一緒に?」
「ああ、これはですね・・・」
警官が答えようとしたその時、道悟がそっと手を上げた。
「それは、俺から説明しますよ、三山巡査長・・・職質で、俺と若女将の関係性を説明する為に、この店の事を話しました。巡査長はその段階で信じてくれたのですが、確認して頂いた方が後腐れが無いと思ったので、お連れしたんです」
「ええ、そうなんですよ。むしろ、自分の方が疑われていたのですが」
三山が困った様に笑うと、遙花は突発的な思い出し笑いに陥った。
「ふふっ・・・職質してきた警官を詰問し返す人、初めて見た・・・ぷふっ」
「自分も罵声を浴びせられる事はありましたが、理路整然と正真正銘の警官である事を証明せよと詰め寄られたのは初めてでした・・・制服も手帳も偽造出来ると切って捨て、拳銃や警棒は買えると譲らず、結局は交番に連絡入れて身元を確認して納得してもらえました」
「いや、だって・・・警官の成り済ましが出る時代だし・・・・・・その、すみませんでした」
堪らず、道悟が陳謝すると一同から笑いが漏れ出した。特に、逍子は安堵のため息がついて出る。
「ふぅ・・・良かった、新田君が警察沙汰でも起こしたのかと心配になっちゃったから♪」
「何故、俺が犯人確定・・・これでも、清く正しく生きてきたつもりなのですが・・・おかしいな」
「そうね、新田君は手を汚さない。どちらかと言うと・・・知能犯?」
「おっと、結局は犯罪者・・・いや、それよりもお客様を待たせてはいけません。すぐに準備を始めましょう」
「・・・お客様?」
逍子はキョロキョロと店内を見回し、首を傾げた。
「はぁ、流石は女将・・・ただ確認の為に連れてきた訳ないでしょう。三山さんはお客様ですよ?」
「ええ、新田君から美味しいトンカツ定食が頂けると聞きましたから、確認ついでに休憩を・・・確か今は、サービス価格で頂けるんですよね?」
「いえ、お代は頂けません。うちの若いのが御迷惑をお掛けしたわけですから」
「あはは、それはお気持ちだなくで遠慮しておきます。ですのでその分、とびきり美味しいものをお願いしますね」
三山をカウンター席へ座らせ、道悟達は各自、思い思いの行動に移っていった。道悟は座敷で手早く着替えを済ませ、逍子は暖簾を飾ってから三山へのお茶出し、遙花は欠伸をかきながら、奥の自宅へと消えていく。どうやら、遊び疲れたらしい。
その後は、道悟と逍子で定食の準備を進めていった。道悟がトンカツを揚げ、逍子が汁物を温めかえしていくのだ。トンカツが揚がり、道悟が短冊状に裁断し出せば、逍子はさらに千切りキャベツを皿に盛り、ご飯と汁物の椀を載せた盆を用意する。そして、トンカツがキャベツの傍らに添えられたのと同時に、彼女は厨房からカウンターへと繰り出していった。
「お待たせしました、トンカツ定食です♪」
目の前に置かれた定食を見て、ほうじ茶を啜っていた三山はにっこりと微笑んだ。
「これは、期待大ですね・・・では早速、オススメのトンカツから、頂きます!」
三山は定食に手を合わせてから、割り箸でトンカツをつまみ上げ、口へと運んだ。
「ふむふむ・・・・・・っ!?」
目を見開き、驚愕した様子の三山は、口の中のものを呑み込んでから、さらに息も呑んでから口を開いた。
「美味しい! いや、美味すぎる!! 特にソースは癖になる良いアクセント、同じ価格帯のコンビニ弁当を遥かに凌駕している・・・凄いな」
その感想と反応に、逍子はカウンターの陰でガッツポーズを決め、厨房の陰から覗いていた道悟はそっと胸を撫で下ろしていた。
「うふふ、ありがとうございます♪」
「これは、通いたくなりますね・・・今度、妻と子も連れてきてやらないと」
「あら、お子様がいらっしゃるんですか?」
「ええ、9才の息子と6つになる娘がいますよ」
「素敵な家族ですね♪ ぜひお連れくださいませ、ばっちり歓迎しますよ☆」
「ありがとうございます、家族揃って近々・・・もしかしたら、女房が泣いてしまいそうですが」
それから三山は、あっという間に定食を平らげ、色紙への署名と支払いを済ませて、駅前の交番へと帰っていった。同僚にも勧めておいてくれるらしい。
「それで・・・三山さんを連れてきた本当の理由は何だったの?」
三山を見送った後、逍子は意地の悪い笑みを浮かべて問い掛けた。
「・・・いったい何の話ですか?」
道悟は特段焦る様子も無く、鍋に浮かぶ揚げ滓を取り除き続けている。
「惚けないの♪ あんな演技で、ドラマ好きのお姉さんを騙せると思って?」
「ふふっ、お姉さんって・・・まあ、本心では無かった事は認めましょう。とはいえ、女将が期待おられるほど、大した事ではありませんよ?」
「ほほう・・・その心は?」
「新規顧客の獲得を大前提に・・・ここを、実質的な警察官立ち寄り所にしようかと思い付いたんです」
「う~ん・・・何故?」
「何故って、それは・・・物騒な世の中ですからよ、心強いでしょう?」
「そうだったの・・・うふふ、心配ありがとう♪」
「それは、まあ・・・雇用主ですから」
「・・・人助けスピリットは、変わらないのね」
どこか含みを持たせた逍子の言葉に違和感を覚えた道悟、質問してみようとしたが直後に店の戸口が開かれて新たなお客がやって来た事でお流れになる。その日の閉店時間になる頃には、逍子の謎めいた呟きなど忘れ去ってしまっていた。三山を入れて8人の客入りがあった事で、トンカツ定食が晴れて修行明けしたのが大きい。
加えて、終業後に作る事になっていた唐揚げの試作すらも忘れ、道悟は帰り支度を調え、逍子の了承を得てから、店を出ていった。実は本業に、急な依頼が舞い込んできたのである。