序章 いらっしゃいませ、御客人
「いらっしゃいませ、御客人」
夕焼けと夜の帳がせめぎ合う時分、空きの多い新築団地の一室において、二人の人物が相対していた。
先ずは部屋の扉を開けた男、初老過ぎだが身体は引き締まっており、仕立ての良い特注のスーツを身に纏う事で逆三角形の体型を強調させている。もちろん、肌は浅黒い。
もう一人は玄関先で男を出迎える、ハットとコートで全身を覆う紳士然とした人物。人物と形容したのは、性別が判らないからだ。本来肌が覗くはずの場所には、金属が露出していた。つまり、金属の手足を持ち、顔面は金属製の溶接マスクのような物で覆われ、目出し部分では赤く光る球体が眼の様に揺れていた。かなりの大柄である事と低音で渋味のある声から、一応は男であると推察は出来る。
「こ・・・ここに来る様にと、ゴドーという人物から指示されたのだが・・・」
男がややパニックを起こしながら訪問理由を述べると、不可思議な紳士は胸に手を当て、会釈をした。
「もちろん、心得ておりますよ、三枝様。私がゴドーですので、御安心ください・・・っと言っても、この姿では説得力に欠けますかね?」
紳士が唐突に茶目っ気を披露すると、初老の男、三枝は警戒を緩め、玄関へと足を踏み入れた。
「そ、そういう事は、先に言って欲しいものだ・・・それで、金を払えばどんな願いも叶えられるというのは、本当なんだろうな?」
「ええ、嘘ではありませんとも・・・ですがその前に、ドアを閉めて頂いても?」
「あ、ああ、すまない・・・」
三枝はすぐに振り返り、扉を閉めて施錠すると、再びゴドーへと視線を戻した。
「これで良・・・な、何だこれは!?」
紳士の後ろに広がる背景が、団地の一室などでは無かった。伊勢か厳島か、定かではないが、どこか格式高い神社の渡り廊下の様になっていたのだ。
廊下の周囲は真っ暗闇で、屋根を支える柱に掛けられた灯籠だけが唯一の光源であり、幻想的な雰囲気を演出していた。
三枝は慌てて顧みて、さらに驚くことになる。そこに閉めたばかりの扉は存在せず、正面と同じように廊下は果ての見えぬ暗闇へと伸びていた。
「ようこそ、魔性の世界へ・・・これはちょっとしたデモンストレーションですよ、我々がペテン師ではないというのを証明する為のね? さて、先ずは主の元へと案内しましょう・・・はぐれずに付いてきてくださいね、暗闇に呑まれたら死にますよ? もちろん、廊下の手すりから身体を乗り出すのも言わずもがな、どうかお控えください」
軽快かつ丁寧な説明を終えると、ゴドーは踵を返して廊下を進み始めた。そして、それと連動するように三枝の背後の灯籠が消え、ゴドーの進む先の灯籠が点いていく。暗闇に呑まれたら死ぬ、その言葉を思い出した三枝は、血相変えてゴドーの後に続いた。その胸中は複雑で、けったいなモノに関わってしまったという不安とこれなら願いが叶うという期待が渦巻いていた。それほどまでに、追い詰められているのである。
しばらく廊下を進んでいくと、暗闇の中にぼんやりと扉が浮かび上がってきた。ゴドーは扉に触れるなり、それをスライドさせて開放してみせる。
「どうぞ御入りください、三枝様」
ゴドーは脇へ退き、三枝に入室を促した。彼は逡巡した後、意を決して室内へと足を踏み入れる。謎の室内では、部屋の真ん中で護摩焚きの如く、篝火が盛大に焚かれていた。だが不思議な事に、熱が三枝には伝わって来ない。目の前でこれほどまでに轟々と、音を発てて燃え盛っているというのに。
「これは・・・綺麗な、炎だな・・・」
炎に魅入られ始めていた三枝は、大きな物音で我に返った。ゴドーが入室し、後ろ手で扉を閉めた音だ。
「気に入って頂けて幸いです・・・それでは三枝様、その炎に願いを伝えてくださいませんか? 貴方が魔性に頼ってまで叶えたい願い事を。その想いが本物ならば、願いは必ず成就する事でしょう。あぁ・・・御代は願いが成就したと実感した後で構いませんよ?」
「あ、ああ・・・その前に、聞きたい事があるんだが?」
「答えられる範囲であれば、何なりと」
「その・・・どんな願いも叶えられるのだろう? 何故、現金なんか欲しがるんだ?」
三枝は自身の尻ポケットに、そっと右手をあてがった。
「なるほど、もっともな疑問ですね・・・簡単に申し上げますと、お代は貴方の身代わりに成るのですよ。何事にも、対価というのは必要ですからね」
「そ、そうか・・・それは、大事だな」
「はい、大事ですよ・・・さて、主は願いを待っています。どうぞ、お告げください」
ゴドーの催促に従い、三枝は篝火に向かって手を合わせた。
「どうか・・・どうか、私の窮地を救って欲しい!!」
三枝が声を張り上げ、願いを伝えたものの、何も起こらなかった。
「・・・どういう事だ! やはりインチキなのか!?」
「失敬な・・・三枝様の願いが、要領を得ないからですよ。願い事は詳細かつ正確にお願いします」
「なっ・・・知らないのか!? テレビを見ないのか、お前達は!?」
「生憎、私は魔性の者なので・・・受信料も極力払いたくないですし?」
「くっ・・・・・・判った、言えば良いのだろう?」
「ええ、その通りです」
「・・・私が、私が脱税を行なったと疑われている。このままでは会社は人手に渡り、家族を路頭に迷わせてしまう事になりそうだ。どうか、脱税の捜査を差し止め、永久に掘り起こされない様にして欲しい」
三枝が願いを口にすると、炎が大きく揺れ始めた。彼がその変化に気付いた次の瞬間、目が眩む閃光が三枝の意識を遠退かせる。そして意識が回復すると、三枝は自宅のキングサイズベッドの上に横たわっていた。
「・・・これは」
ついさっきまで、ゴドーという奇妙な人物と共に、奇妙な場所に居たはずなのに。三枝は寝間着を纏っているし、その傍らでは20年連れ添った妻が寝息を発てている。
「夢・・・だったのか?」
まさにふざけた夢の様な出来事だったが、彼処へは苦労して辿り着いたはずなのだが、それすらも夢だったというのか。確かめる方法は、一つしか無い。
三枝はベッドから起き上がると、下階のリビングへと向かった。そして、自慢の壁埋め込み式薄型テレビの電源を入れる。朝の情報番組を観る為だ。映像が流れ出すと、三枝は目を見張った。画面にはデカデカと大手三枝製薬社長による脱税の疑い晴れるという文字が映し出されていたのだ。
三枝は興奮を抑え切れず、他番組も確認して見た。どこも、同じ報道をアホみたいに垂れ流している。三枝は実感を得ると共に、笑みが溢れ始めた。あの絶望的な状況が好転したのか、昨日までメディアに執拗に追われ、有ること無いこと報道され続けた日々を思い返したのだ。
それから三枝は、妻や子ども達を叩き起こして、報道をありありと見せ付けた。どうだ私は無実だと言ったろう、そんな風に威張ってみせる。
身支度を整えてから、敷地外に群がる記者達の前に姿を見せた。フラッシュがバカみたいに焚かれる中、三枝は名誉毀損で国やメディアを提訴する旨を、大々的に告知する。これで世間は、国やメディアへの批判に注力する事になるだろう。
その後、出社して、事後処理を滞りなく進めていく。急落した株価も復調し、依然より上昇してすらいる。今日は早めに退社する事が出来そうだ。目立たない様に普通の乗用車に乗り込み、ある場所へと急ぐ。子どもの歳に近い愛人との待ち合わせ場所だ。家族には忙しくて帰れないと伝えてある。
向かったのは、都内某所の三ツ星ホテル。ここで騒動以来御無沙汰だった愛人と食事を楽しみ、甘く濃密な一時を過ごすつもりだ。逸る気持ちを抑えながら、ホテルへと急ぐ。だが不意に、今後の事が不安になった。今はまさに絶好調だが、あの様な連中と取引をして大丈夫だったのだろうか。そんな不安も、ホテルに着く頃には朧気になり、食事を終えて愛人と部屋に入った時にはすっかり忘れ去っていた。
御膳立てなど、待っていられない。三枝は愛人を背後から抱き締め、愛の言葉を囁く。すると、愛人は見返りながら囁き返した。
「貴方は、失格です」
ゴドーの様な、低音で渋味のある声で。
「・・・へ?」
一転して、腕の中にいた愛人は霧散し、三枝の目の前にはあの篝火が燃え盛っていた。状況を把握する前に、背中に強い衝撃を感じる。誰かに勢い良く突き飛ばされたらしい。篝火に倒れ込み行く最中、三枝が目にしたのは、手を振るゴドーと呆然と佇む自身の肉体だった。
「お別れでした、三枝様」
三枝はそのまま炎に呑まれ、生きたまま焼かれる苦痛を味わいながら、薪として消費されていった。
「・・・終わったな」
三枝の魂が燃え尽きるのを見届け、ゴドーはそう呟いた。
「カグ、今回の薪はどうだった? 旨かったかい?」
ゴドーが問い掛けると、篝火の炎が変形を始め、人の右半身の形に落ち着いた。
「・・・並み、と評価する。罪に値する欲の持ち主ではあったが、所詮は小者。前菜の様なものだ」
酷く雑音の混じった声で、カグと呼ばれた存在は返答する。おそらく、初見では判別不可能だろうが、ゴドーは問題なく聞き取っていた。
「そうか、残念だったな・・・だが、支払いは期待出来そうだぞ?」
ゴドーは黙して佇む三枝の尻ポケットから封筒を抜き取ると、中身を確認した。
「ふむふむ・・・・・・よし、500万丁度あるな。状況を鑑みれば色が付いていても良かったが、まあ贅沢は言わないさ」
「そうだ、欲張るのは良くないぞ。我も、唯一の使徒を薪にはしたくないからな」
「大丈夫、足るは知っているつもりだよ? ・・・でもね、人の世、特にこの国で生きていくには、嫌でも金が掛かるのさ。ほんと、天涯孤独には生き辛い世の中だよ」
「やはり、人の世そのものが悪徳に満ちているようだな。欲深き者共を殲滅する為、一刻も早く力を取り戻さねばならない・・・が、今日はこれで満足だ。帰って休むが良い」
「そうかい? ありがたいが・・・この抜け殻の後始末、忘れないでくれよ?」
「安心しろ、既に始めている。良いから帰れ、道悟」
「はいよ、お疲れさん」
ゴドーが金属の指を打ち鳴らすと、一瞬全身が炎に包まれ、彼の代わりに濃紺のパーカーを纏った10代後半程度の少年が姿を現した。
「じゃあね、カグ」
少年、新田道悟はカグに手を振るなり、扉を開けて室内から脱出していく。扉を抜けると、そこは最初に三枝と待ち合わせた団地の一室の前であった。
「ふぅ・・・・・・冷えるな」
残暑も過ぎ、最近の気温は乱高下を繰り返している。今日は特に肌寒い、秋を飛び越してもう冬が来たのかと不安になるくらいだ。道悟はパーカーのファスナーを最大まで引き上げ、ポケットに手を突っ込みながら帰路に就いた。
東京の中にひっそりと存在する南峰城市、ここはその中心地である本丸町の南部。道悟の住まいはここから一駅隣、二ノ丸町のマンションである。
団地群を足早に抜け、一本坂を下り、最寄り駅へと急ぐ。防寒具がパーカーだけでは足りないらしく、寒くて堪らない様だった。駅前にはコンビニやスーパーマーケットが在るので、ホットミールでも買い求めようという魂胆のようだ。
だが不意に、道悟の足が駅前の通りで留まった。そして、一件の店の暖簾を注視している。食事処しょうよう、暖簾には達筆な字体でそう書かれていた。
冬の足音が確実に近付いてきている今日この頃、何となく人恋しくなるというか、人の作った料理が何となく食べたくなるものだ。道悟も自炊しないわけではないのだが、それとこれとは別問題である。
半年くらい前になるが、道悟はこの店に来た事があった。豪放磊落な大将とその奥さんが家庭料理をメインに提供していて、その当時はトンカツ定食を注文したが、癖になる特製ソースが印象に残っている。色々とたて込んでいたのでそれ以来訪れていなかったが、寄ってみるのも一興かもしれない。
暖簾を潜り、引き戸を開けると、その先にはまさに食事処と言える光景が広がっていた。右手に小さめの厨房とL字のカウンターテーブル、左手には三つのテーブル席、そして奥には座敷席といった具合だ。綺麗に手入れされていて、場末の中華料理屋よりかは入りやすい。
そこまでは記憶していた通りなのだが、L字カウンターの中に立っている人物だけは異なっている。少女だ、道悟と歳の近そうな少女が制服の上から割烹着を纏うという、もの凄く給食当番を思い起こさせる姿で佇んでいた。
あの大将どころか、奥さんも居ないのか。きっと外れの日なのだと思い、道悟は引き返そうとした。
「あっ、いらっしゃいませ~♪」
しかし、少女に気付かれ、満面の笑みで迎えられてしまった。こうなると、どうにも後には退けなく成ってしまうのが人情というものだ。
「こちらへどうぞ♪」
意気揚々と目の前のカウンター席を促される。それを無視してテーブル席に着ける程の胆力を、残念ながら道悟は有していない。素直に着席すると、少女は嬉々とした様子で袖をたくし上げた。
「お客さん、ご注文は!」
勘違い江戸っ子みたいな語気で問われた道悟は、苦笑いを浮かべながら返答した。
「その・・・トンカツ定食を」
「は~い、少々お待ちください♪」
少女はお冷やを道悟に差し出すと、厨房の奥へと移動していった。
「この寒いのに、お冷や・・・まあ、店内は暖かいから良いか?」
釈然としない気持ちを抱きながらも、お冷やを口にし、店内の様子を窺っておく。前に来た際には、けっこうな客入りだったはずだが、今は道悟一人しかいない。時間のせいなのだろうか、他に原因があるのかは現時点では判別不可能だ。
その後は流石に手持ち無沙汰なので、賢い携帯電話をいじくりたいところだが、充電が危うい。なので、道悟は店内に置かれた垂れ流し状態のテレビをぼんやりと眺める事にした。テレビを見るのは何年ぶりだろうかと道悟は思う。受信料の請求に辟易してからだから、一年も経っていなかった。賢い携帯すら対象になってしまったら、現代の利器とはオサラバしないといけなくなりそうだ。
少女が観ていたであろうバラエティ番組を、失笑しながら観ていると、熱した油で水分が蒸発する音が響いてきた。所謂、揚げ物の音というやつだ。一人暮らしの道悟は、揚げ物なんて滅多にしない。一人だとコスパが悪く、後処理に手間も掛かるからだ。揚げ焼きが精々なので、たっぷりの油で揚げ物をする音を久しぶりに聴いていることになる。
最後に耳にしたのはいつだったか、そんな事をウトウトしながら思案していると、トンカツ定食が盆に載せられ、しずしずと運ばれてきた。
「は~い、お待たせしました。トンカツ定食です♪」
「えっと・・・・・・これが?」
道悟は運ばれてきたモノを二度見してしまった。彼が記憶しているトンカツ定食は、白米と香の物や味噌汁、千切りキャベツと切り分けられ、特製ソースが程よく掛けられたトンカツなのだが、運ばれてきたトンカツは、むしっただけと思われるキャベツの葉の上に一塊で置かれていたのだ。ソースは掛かっているものの、印象がだいぶ異なる。
(お、落ち着け・・・問題は味だ)
そう自分に言い聞かせながら、道悟はカウンターに置かれた箱から割り箸を取り出すと、綺麗に二つ割りしてからトンカツを持ち上げた。そして口元へと運び、思い切ってかじり付いてみた。
「・・・・・・ぬっ!?」
道悟は困惑した。それはソースが特製のではなく、一般的な中濃ソースで、しかも中まで火がぼんやりとしか通っておらず、それに何より使われていた肉が豚では無く、牛肉だったからだ。
「あの、お味はどうですか?」
もしや、これは試されているのだろうか、と道悟は思い至る。明らかに可笑しな料理を出された時、ちゃんとツッコめるかどうか、それを試されているに違いない。漫才の相方を捜しているのかも。
「あの・・・これ、牛肉なんですけど?」
そんなわけが無い、道悟はブッ飛んだ妄想を自嘲しながら、普通に指摘することにした。
「えっと・・・はい?」
笑顔が硬直した少女に、道悟はトンカツ改め牛カツの断面を見せた。
「この通り牛肉なうえ、衣の表面は揚げ過ぎなのに内側は半生、当然の帰結として肉はレア・・・なのに、塩コショウの塩梅は絶妙で、不思議と不味いとは思えない・・・ええ、実に不思議です。名の有るシェフに出されたら、そういう料理なのかなと信じてしまいそうな一品なのですが、いかんせん俺が頼んだのはトンカツ・・・なので遺憾ながら苦言を呈するしかありません」
「・・・・・・がはっ!?」
突然、少女は苦悶の声を漏らすと、頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「あ、あの・・・大丈夫ですか?」
「わ、私は・・・またやってしまったというのね」
「えっと・・・・・・また?」
「私、店を継いだばかりなのですが、常連のおじいさんに糞みたいな料理だとお叱りを受けたばかりでして・・・」
「はぁ・・・ちなみに、どんな料理を出したんですか?」
「・・・こんなです」
少女は携帯を取り出すと、撮影した画像を表示し、道悟に差し出した。
「赤の他人に携帯を手渡すとは・・・・・・それはともかく、何ですか、これ?」
携帯を受け取った道悟は、映し出されていた画像に嫌悪感を込めて眉をひそめた。
「・・・サバの味噌煮、です」
「・・・俺には、茶色く粘性の強い液体に浸かったサンマにしか見えないのですが?」
画像には、並々と注がれた茶色い液体にまるまる一尾のサンマが沈められている異様な光景が、しっかりと切り取られていた。
「やっぱり。。。糞みたいですか?」
「いや、その・・・サンマの断末魔って感じの料理ですよね。俺はサバじゃない! って感じで、その・・・お叱りを受けるのも、仕方がないとしか・・・はい」
「うぅ・・・やっぱり、変ですか。私は誠心誠意、サバの味噌煮を作ったつもりなのですが・・・」
「まあ、サンマである以上、どう工夫しようがサバの味噌煮にはならないわけで・・・さっき店を継いだと言ってましたけど、経営していた大将夫婦に何かあったのですか?」
「・・・父と母は、2ヶ月前に自動車事故で亡くなりました」
「・・・不躾な質問でした、すみません」
「いえ、当然の疑問ですから・・・父と母に代わり、この店を守ろうと、喪が明けてから店を再開したんです・・・でも、これまで料理はしたことが無くて」
「ちなみに・・・その話って、長いですか?」
「はい、まだまだ終わりません」
「あはは・・・・・・帰って良いですか?」
「出来れば、話を聞いて頂きたいなぁ~と」
「はぁ・・・赤の他人、しかも初対面の客に何を求めていらっしゃるのですか?」
少女はスッと立ち上がると、カウンターに両手を乗せ、深々と頭を下げた。
「ピンチなんです、助けてください!」
あまりにも、悲痛な願い。他人事とはいえ、目も当てられない状況の人物からのSOSを、道悟は無下には出来なかった。
「はぁ・・・なら、条件があります」
「条件・・・まさか、私を手込めにッ!?」
唐突に、少女は自らの身体を抱き締め、数歩後ろに後退した。
「いや、手込めって・・・ふざけているなら、帰りますよ?」
「ふざけてません!」
「本気、だったのか・・・では、はっきり言いますと、俺は貴女に興味がありませんので、御安心を」
「なんだ、良かったです・・・良かったのですが、でも何故でしょう・・・心が、痛い?」
「はぁ・・・条件というのは、今すぐ営業を停止すること。これ以上、犠牲者と悪評を増やさない為にも」
「それは・・・そうですね♪」
少女は鼻唄を奏でながらカウンターから店先へと出ていき、やがて暖簾を回収して戻ってきた。
「これで、お話聞いてくれますね?」
「そうですね・・・不本意ですが」
道悟は嘆息を漏らしながら、肩を深く落とした。
「じゃあ・・・最初から、教えてください」
「はい、私は波多野逍子です。趣味は映画鑑賞、生年月日は・・・」
「ストップ! 必要以上の個人情報は結構です」
「そう、ですか・・・残念」
少女、波多野逍子は言葉通り残念そうにため息をつくなり、2ヶ月前の事を語り始めた。
それは、夏も盛りを迎えていた時の事、波多野逍子の両親はスリップ事故を起こし、帰らぬ人となった。異常な高温の道路でタイヤが熔け、滑りやすくなってしまっていたそうだ。
波多野家には、長女の逍子と中学に上がったばかりの末っ子の遙花が残された。どちらも未成年の彼女達は、父方の祖父母が引き取ることになったのだが、逍子が突然、店を継いで、この街に残りたいと言い出したらしい。 祖父母は店を売りに出し、田舎へ来るように説得したが、失敗に終わる。逍子の、両親の開いた店を潰したくないという一念に、彼女の祖父母は気圧されたのだ。
そして、数日前から食事処しょうようを再開したそうだ。本格的な料理など、した事が無かったというのに。
「・・・売っちゃえば良かったのでは?」
道悟は率直な感想を述べた。
「ヒドイ!? 正論だわ!!」
「正論だと判っているのなら、さっさと店を畳んだ方が良いのでは? 悪評が立ってからでは地価が下がりますよ?」
「それは・・・両親の店を潰したくないというのは確かだけど、それ以外にも理由はあるんです」
「・・・どんな理由ですか?」
「・・・祖父母は米農家として現役なのですが、急に10代の孫二人の面倒を見るのは大変でしょうし、その・・・お金も掛かります。この店を売りに出したところで、足しになるのかどうか・・・」
「・・・それでも、売りに出すのが最も現実的な方法なのは明白。となると、心の問題という事になりますね。せっかくなので、本心をどうぞ?」
「私の本心・・・もしかしたら、ここを離れたくないだけなのかもしれません。学校や友達の事も大きいですけど、何より生まれ育った街ですから。本当に行き詰まるまでは、頑張りたいんです」
「生まれ育った街、ですか・・・どうやら、辞める説得ではなく、続ける為のアドバイスを求められているようですね」
「はい、その通りです♪」
「それなら、簡単ですよ・・・ちゃんとした料理を作れれば、問題ありません」
「うっ・・・それが難題なんですよ。我ながら、料理の才能が壊滅的で・・・トホホ」
「まぁ・・・今のままだと、何時食中毒が出ても可笑しくない状態ですからね」
「ヒドイ!? けど事実だわ!!」
「感情的な様で、冷静な見方をしますね・・・とりあえず、誰かに料理を教わるか、雇ったらどうです?」
「ああ、なるほど♪ では、明日からお願いしますね?」
「あはは・・・ナゼソウナル?」
「ごめんなさい、そうする流れかと思って・・・つい♪」
「ついって・・・流れではなく、腕で決めてくださいよ。ちなみに、俺に突出した才能はありませんからね?」
「でも、料理は出来るのでしょう? それに・・・我が家の個人情報を知った貴方を、ただで帰すわけにはいきませんし」
「全部勝手に喋ってきたのに!?」
「うふふ、冗談ですよ♪ 歳の近いお客様が来るのは初めてだから、つい色々聞いてきたくなってしまって・・・ごめんなさいね?」
「はぁ・・・友達が来たり、呼んだりはしないんですか?」
「トンデモナイ!? こんな料理、とても友達には出せませんよ!」
「・・・こういうのは、どこに通報するんだっけ? 消費者庁?」
「止めて、取り潰されてしまうわ! 冗談、冗談だからね?」
「ふふっ、こちらも冗談ですよ・・・さてと、俺は帰りますね。お代は・・・前途を祈願して、払いますね」
道悟は席から立ち上がると、小銭入れを取り出し、500円硬貨をいつの間にか平らげていた定食の傍らに置いた。
「そんな頂けません、こんな糞みたいな料理で・・・」
「相当ショックだったんですね・・・味は悪くありませんでしたよ。ただ、赤い液体の滴る牛カツを食べるのに、大変な勇気が必要になるだけで」
「・・・ありがとうございます」
「いえいえ・・・それで、明日は何時に来れば良いのですか?」
「・・・え?」
「雇うという話も、冗談でしたか?」
「いえ・・・良いのですか?」
「まあ、料理の腕は並みという点と、既にしている稼業というかバイトの事を考慮してもらえるなら、貴女の願いに協力させてください」
「はい、お願いしますね♪」
「あはは・・・それで、何時頃に窺えば?」
「私は学校が終わり次第帰ってきますので、そのくらいに」
「分かりました・・・はあ・・・では明日」
道悟は一礼すると、引き戸を開け、店から出ていった。