第七話(担当:RinnE)
「……さ、着いたわよ、ハル」
極度の恐怖で気絶した俺が、次に見た景色は、
「おお……」
『天界』と呼ぶに相応しい、見事な街並みであった。
潰される前の眼に映った、耳ありの少女ラロックの館も美しいものだったが、この地の、美の結集ともいえる建造物と比べれば、児戯にも等しいものであった。
この天使には見慣れた風景でも、俺にとっては鳥肌の立つ光景だ。
この街は、それ程に美しいのだ……。
「ほらっ、何ボーッとしてんのよ」
「うごっ」
天使のビンタで、俺の意識は、己の思考から解き放たれた。
「ててて……」
「さっさと行くわよ。『エル様』のとこにね」
「ちょ、ちょっと待った!」
その『エル』という奴の事も聞きたいが、それ以前に、
「俺は、誰だ⁉︎」
この訳のわからない状況において、初めて現れた話の通じる相手。
そいつに、最大の疑問をぶつけない訳にはいかなかった。
「何言ってんの? あんたはハルよ。……さっきから変よ? 魔法に変にびっくりしたりさ」
「いや、そもそもだな……んおっ」
言い終わる前に、天使が俺に掴みかかってきた。逃れようとするが、相当な力の持ち主のようで、ビクともしない。
「あんた、まさかあのファッキンデビルに記憶の改竄でもされた? ……ええ、きっとそうね。でも心配要らないわ。『エル様』が何とかしてくれるわ……さっ、行くわよ」
「お、おい! せめて離せ! ちょっ!」
……撤回だ。やはり、話が通じる奴は、まだ現れない。
半ば諦めたような気持ちで、天使に引き摺られていった。
俺が連れて行かれたのは、白亜の宮殿だった。
どうやらこの天使は、相当顔が効くらしく、幾つもの門を、数分で抜けていった。
「随分と顔が効くんだな」
俺がそう言うと、天使はますます怪訝な顔をした。
「……着いたわよ、『エル様』のとこに」
誰だ?エルとは。この娘と同じ『天使』である事は間違いないのであろうが……、では、知り合いのように接されている俺も『天使』なのか?
(……認める事は、簡単だよな……)
でも。
この胸に刺さる、確かな違和感は何だ?
この娘の言うように、本当に俺はデビル族に記憶を操作され、奴隷として下界に投げ込まれたのかもしれない。
エル、という者に会えば、俺の記憶は蘇るのかもしれない。
もし本当にそうで、これで全ては一件落着。
それほど楽な道も、そうないだろう。
……けど。それって。
「ほらっ‼︎ 何ボサっとしてんの?」
「‼︎」
背中を叩かれ、己の思考から再び覚める。
天使は扉をノックした。そして、ゆっくりとその要件を口に出す。
「エル様……ハルを、お連れしました」
すると、扉の向こうから聞こえてきたのは、優しい少女の声だった。
「ご苦労様、セレナ。報告は受けているわ。さ、入ってきて」
「かしこまりました」
そう言うとセレナは、鈍重な扉を手で押し開けた。
「天使・セレナ。ここに参上仕りました」
セレナは、開かれた空間を3歩ほど進むと、そこに傅いた。俺もそれに習う。
その空間には、玉座の左右に立つ二人の兵士と、その中心の玉座に座った、まだ幼さを残した銀髪の少女。
幼くも美しいその顔は、憂いに満ちていた。
……俺は、彼女にとってどういう存在だったのだろうか。
そんな事を考えていると、
「あっ……」
少女と、目があった。
瞬く間に、少女の目の端に涙が溜まっていく。
あっという間にその堤防は決壊し、その瞬間、
「ハルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウゥウ!」
玉座を蹴るような勢いで飛び出した少女は、俺の胸に飛び込んできた。
「うおっと!」
傅いた体勢にぶつかられ、倒れた俺にも構わず、少女・エルは抱きついてきた。
眼から涙を流しながら、周囲の眼も気にせず、俺の身体に、その小さな身体をすり寄せてきた。
「ハル……ハル……!」
「……」
セレナから発せられる視線を痛く感じながらも、俺は本来の目的を忘れてはいなかった。
見つめてくるセレナを、こちらからも見つめ返すと、セレナは頷いた。
「……女王様」
「うん? 何?」
涙目ながらも満面の笑みを浮かべたエルは、顔だけを起こして返事をした。
「実は……」
セレナの事情説明が、始まった。
「そんな……記憶が無いなんて……」
「残念ながら、そうかと」
そう聞くとエルは、よいしょ、と身体を起こして、俺に言った。
「私の事……覚えてる?」
こんな美少女に、泣き出しそうな声で尋ねられたなら、嘘でも「覚えてる」と言ってあげたい。
でも、それはできないのだ。俺に彼女を喜ばせることはできない。
「いや……ご、ごめん」
伏せ目がちに、そうボソボソと答えるしかなかった。
再び、エルが涙目になる。
それでも、少女は気丈に笑顔を見せた。
「でも、大丈夫よ、ハル。貴方の記憶、私ならきっと戻せるから……セレナ」
「はいっ」
「ハルを、儀式室へ連れて行って」
「仰せのままに」
命令を受けたセレナは、俺の方を一瞥すると、
「行くわよ」
「……ああ」
後に続け、と言うように、歩いていった。
俺もそうしようとすると、
「……ハル」
エルに、声を掛けられた。
「……女王、様」
「心配、しないでください。私の力なら、きっと何とかできますから」
「ああ……ありがとうございます、女王様」
それだけ言うと、俺は振り返ることはせず、セレナを後を追った。
儀式室は、地下に存在していた。
セレナの説明によると、大規模な術を行う際に使用する部屋らしい。
巨大な部屋の中心に敷かれた魔法陣の上に、俺は座して待機していた。
「……ねぇ」
「ん?」
セレナに話しかけられる。
「あんた、本当に何も覚えてないの?」
「……ああ。目覚めたら、俺は奴隷扱いされてて、眼を潰されて殺されそうになったとこをデビル族に助けられて……」
「それで、次は私、ってわけね」
「まあ、そんなとこだ」
俺の言葉を受けたセレナは、少しだけ表情を険しくしながら、言った。
「……もしかしたら、あんたは『ハル』じゃないかもしれない」
「! マジか⁉︎」
「でも」
そこで、気に満ちた青の双眸が、俺を貫く。
「女王様を傷つけるような事をするなら。いくらハルでも、いいえ、誰だろうと……私は許さない」
「……」
二人の間を緊張が駆け抜ける。
すると、扉が開いた。
「女王様……」
そこには、白い衣に身を包み、その手に錫杖を握ったエルの姿があった。
マナというものをイマイチ理解していない俺にも分かった。
……エルは今、マナに満ちている。それこそ、空間が歪む程に。
「それでは、儀式を執り行います」
魔法陣の端に錫杖が突き刺さると、エルは、そのマナを身体から解き放ち始めた。
その小さな身体が、虹のオーラに包まれる。
魔法陣が光を出し、その光が俺の身体を侵食していく。
その瞬間。
「お、おおおおおー‼︎」
針を突き刺されたような痛みに襲われ、床に突っ伏す。
……アタマが痛い。視界が白くなる。
何かが、見えた。
ガラスノナカ、エキタイガミタサレ、オレハナカ、ソトガワ、ダレカイル、ソイツハ。
『おっと、君は「まだ」だ』
次の瞬間。頭痛が消えた。
はっとなり、周囲を見る。
あの声の主は、どこへー。
「‼︎」
そこに広がっていた光景に、俺は何も言えなかった。
事実だけを言うなら……エルは。
死んでいた。
頭を撃ち抜かれ、消し飛ばされ、その首から下だけが、壊れた人形のように倒れていた。
セレナも……同様であった。
両腕を捥がれ、心臓の位置には、穴が空いていた。
その眼には、抵抗の証ともいえる、涙がにじんでいた。
「セレナ……」
記憶にないとはいえ、彼女は俺を救ってくれたのだ。
俺には何の感情も無しに、彼女の死体を見る事ができなかった。
「ほう? 会ったばかりの死体に対して、随分と感慨深いじゃないか、え?」
さっきと同じ声。振り返ると、そこには。
白衣の男がーエルの首をその右手に収めた、血濡れの男が、そこに悠然と立っていた。
「ッ‼︎ 貴様ァ‼︎」
激昂し、立ち上がる。
こいつが、エルと。セレナを殺した。
俺を助けようとしてくれた奴らを、殺した。
おい、『ハル』。眠る記憶なんてどうでもいい。
目覚めたくないならまだ俺の底で怠けてればいい。
だから。こいつを殺す力をよこせ。
俺の身体に、『マナ』が流れ込んでくる。
「オアアアァァァアアァァァアアァァァ⁉︎」
全身に焼け付くような痛みが疾る。マナの雷が身体の中で暴れまわる。
だが。
これでいい。ーこれで。
「殺せる‼︎」
右手を開くと、その掌が、力を纏う。
「ウオオオオオオオオオアアァァァ‼︎」
右手に巻き起こる、圧倒的な破壊の奔流が、白衣の男を貫くー。
はずだった。
「⁉︎」
「……やれやれ」
次の瞬間に起こっていた事は、現実のスケールを、遥かに超えていた。
右手から放たれた突きは……俺の身体に突き刺さっていた。
位置は左肩。見事なまでに貫通し、俺の左腕を吹き飛ばしていた。
「あがぁ…あ…?」
今更痛みを感じた俺は、地に伏し、のたうち回った。
最早、恨み言を吐く理性も、助けを請う精神も、残ってはいなかった。
「意思とは恐ろしいものだ……たった2人の死で、ここまでの力が引き出されるとはな」
男が腕を一閃する。
すると、そこには、セレナが天界へ来る際に通っていたものと良く似た、裂け目が現れた。
「だが。さっきも言ったろう? 『まだだ』とな」
その裂け目に、投げ込まれた。
「それではさらばだ、『ハル』」
男の声が、聞こえなくなった。
おそらく、穴を閉じたのだろう。
……俺は、これからどこへ行くのだろう。
いや、違う。
どこへ行こうが関係無い。
俺はさっき、あの男を殺そうと思った。殺したいと、心から願った。
エルとセレナ。俺には彼女たちとの記憶が無い。
それでも。二人は俺にとって、暗闇から差した光明であったのだ。
だから。俺の勝手でも、自己満足でもいい。
俺は、あいつを殺す。
左腕を失った異国奴隷は、今にも死にそうだ。
それでも、生きる目的を手に入れた彼の眼は、確かにあるべき輝きを取り戻し始めていた。
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↑RinnE氏のマイペ