第三話(担当:佐東鳴狐)
「おい、お前! お嬢様が御呼びだ、付いてこい!」
俺が口を開いた瞬間だった。そんな声が俺の耳に聞こえてきた。
方角は大よそ俺の真後ろ。つまり、この懲罰房の唯一の出口から。
その声は一度聞いている。そうだ、ラロックと呼ばれていたウサミミ少女の隣にいた、こちらもウサミミ……いや、耳ありだったか、その女性。
エーテルと呼ばれていたのをしっかりと記憶している。
大部分の記憶がないとはいえ、まだ脳の機能は働いていることを確認したのち、ゆっくりと立ち上がり、声のした方に歩いていく。
足枷はまだ俺の両足を縛めている。満足にも動かせないその足で、それでも俺は気持ち急ぎ足で、エーテルの元に向かう。
「遅い。行くぞ奴隷、お嬢様が待ち侘びていらっしゃる。お嬢様の時間を無駄にすること、それがここの屋敷での最重罪だ」
エーテルに手枷の鎖を引かれ、俺は静かに歩みを進める。
足元の感覚が、ゴツゴツとしたものから、非常に滑らかな物へと変わった。どうやら屋敷の廊下を歩かされているようだ。
俺の耳に、ひそひそと小声で話す声が聞こえる。
俺の肌が、ねっとりとした嫌味な視線を感じ取る。
それだけで、奴隷という立場が嫌というほどに理解させられる。人間という存在が、この世界でどれだけの存在価値も有していないかということを、俺は今更ながらに理解した。
暫くは彼女にされるがままに引っ張られて歩く。時折何度か転びそうになるが、そのたびに『転んでしまったせいで足の指を切り取られた』と言っていた奴隷の男の言葉が脳裏に浮かび、恐怖心からなんとか足で持ちこたえた。
目的の場所に到着したのか、それともただの寄り道か、エーテルの足が止まった。
引っ張られていた鎖が緩んだのを察して、俺は転ばないように歩みを止める。
「こんな調度品」
エーテルの凍えるような声が聞こえる。
「こんなに素晴らしい調度品、見られる人間はお前か、給仕をしているごく少数の奴隷だけだぞ、っと、お前は目が見えないのだったな」
「……はあ」
一言そう呟いて再び歩き出す。引っ張られた鎖の勢いに慌てて、俺もその後を付いて行く。
なんだコイツ。嫌味か、嫌味なんだなそうなんだな。
睨むことが出来ない代わりに、細やかながら歩くペースを乱してやった。引っ張られた。
痛てぇよ。
歩くペースを少し速めながら、エーテルは苛立ちの声を上げる。
忙しなく動く気配だけはあるので、もしかしたら腕時計でも見ているのかもしれない。何度も服が擦れる音が聞こえてきた。
そういえば彼女は、どんな服を着ていたのだろうか。覚えていない。
さらに少し進んだところで、俺の足が柔らかい何かを踏みつける。それは一歩踏みしめるごとに、俺の足を優しく押し返してくる。
久しぶりの、感覚だった。
そんな優しい感覚に浸っていた俺の頬を、重い衝撃が走る。
その衝撃で尻餅を付きそうになるところを、寸でのところで耐える。唇に生暖かい温度を感じる。口の中に広がる鉄の味に似たモノに、俺は戦慄を覚える。
「簡単に絨毯に足を踏み入れるな奴隷。視覚の次は足を失いたいのか?
……くそっ、お前の所為で余計な時間を使ってしまった! おい、急ぐぞ奴隷」
エーテルはそう言って小走りになる。
鎖は限界まで引き伸ばされ、そこでピンと伸びきった状態で止まる。エーテルが舌打ちをしながら戻ってくるのが分かった。
俺の足元で、金属がぶつかり合う音が聞こえる。
「走れ」
「……は?」
「走れっつったんだよ! ほら走れ! 付いてこい!」
「はああああああッ!?」
足枷が外れたのを確認したようで、エーテルは俺の背中を叩くと鎖を引きながら走り出した。
慌ててその後ろを追うようにして走り出す。もっとも、追うべきその背中が全く見えないが。
……だから見えねえっつってんだろ!?
「ホント、目え切ったの誰だよったく……。奴隷なのに目が見えないとか使えなさすぎでしょ」
「テメェのご主人様だろが」
再度頬を殴打された。
じょ、冗談の通じない人々である。
「口の利き方もなってないッ! 目も見えてないッ! おまけに顔がなんかダサいッ! はっきり言って好みじゃないッ!」
「テメェのタイプなんざ知るかァッ!」
三度の殴打が顔面を捉える。
は、歯が折れる……。歯が折れりゅぅぅぅ。あ、欠けた。
「ち、父上と母上に頂いたこの顔を侮辱することだけは許さん……」
「知らねえよ。ダセぇモンはダセぇんだし。つかマジで私が殺される……。いや、お嬢様の時間を無駄にしてしまうことだけはいかん……。
走れ奴隷! 走れば間に合うぞッ!」
結局俺は、エーテルの背中に背負われて運ばれた。
◆
「ああ、遅かったなエーテル」
「申し訳御座いません。 なにぶん、懲罰房からここまでの距離がありすぎるもので……」
「当然だ。奴隷の近くで生活しようとなんて誰が考えると思う?」
「御もっともです。ところでお嬢様、私の部屋、いつになったらあの懲罰房の隣から移動させていただけるのでしょうね」
「さ、さあ? ……い、イツカナー」
「あ、ちょ、コラ! 露骨に視線を逸らさないで下さい!」
背負われて、担がれて、最終的にお姫様抱っこに落ち着いた俺とエーテルは、チーターもビックリの駆け足であっという間に目的の場所に到着した。
尤も、俺の目は相変わらずなので、目的地が一体どのような場所なのかは、自分の想像力に頼るしかなかった。
ギギィと扉を開ける音がして、すぐに俺は中へと引っ張られる。古びた扉なのか、はたまた頑丈に作られた堅牢な扉なのか、目の見えない俺には分からないことではあるが。
中は思ったよりも獣臭くはなかった。むしろ、ふわりと甘い香りがして、思わず緊張で強張っていた体が落ち着いたくらいだ。
そして奥から聞こえてきた、こちらも聞き覚えのある特徴的な可愛らしい声に、エーテルが応答しているのが、現在の状況だ。
「んで? 私が頼んでおいた『モノ』は?」
「はい、しっかりと連れてきま……おおい!? なにお嬢様の部屋に座り込んでんだ奴隷ッ! 分かってんの!? 罪だよ? 重罪だよ?」
「いや、さっき走ったせいでどうにも呼吸が落ち着かなくて」
「なあエーテル。どうしてこいつはちょっと見ない間にこんなにも生意気になったのだ? あれか? こいつの記憶能力はハト以下なのか? 三歩歩いたから自分が何をされたのかも忘れたの?」
「あ、それニワトリな。犬みたいに芸が覚えられない脳みそをそんな例えで表したんだってな」
「あ、へえ……。そーなんだ。でもハトも芸、覚え無くね? ってそんな話がしたいんじゃないッ!
なに? 奴隷のくせに主人に口答え? いい度胸じゃねえかちょっと足出せ切り落とすからッ」
なんだろう、この雰囲気。俺好きだわ。
そうじゃねえ! 今まで自分が何をされて、この世界はどんな場所か、散々その目に焼き付けて来たばかりじゃないか、俺! いや、目、ねえけど。
何が言いたいのかというと、このままでは本当に俺の足が切断されるという事実。
謝らなくては。
プライドなんてとっくに捨ててある。あるのは生きたいという信念のみ。
こんな場所で死にかけている場合ではない。なんなら靴を舐める覚悟で、俺は彼女に誠意を込めて謝ることにした。
「まあ? 土下座して謝ったついでに『ラロック様可愛い』ってちゃんと三回言えたら? 許してやることも……なくはないけど? たぶん」
「ワーラロックサマカワイイー」
「殺す」
「わ、わー。ラロック様可愛いー……。メッチャ可愛いー……。ちょー可愛いー……」
「嘘つけ見えてないだろテメェ」
「嵌めやがったなッ!?」
それでも一応、土下座して無理やり靴を舐めたら許してもらえた。
むしろ許してと言われたのは不思議だったのだがはて。何かいけないことでもしたのだろうか。
そういえば、かなり暖かくて柔らかい靴だった。まるで少女の生足のように滑らかな靴だった。
「ひ、人のあああ、足を! なんだと思ってるのだ貴様ぁ」
「お嬢様! まだ拭き終えてません、じっとしてて下さい!」
「もぉー嫌だぁぁ」
「お嬢様じっとしてて! おいコラ奴隷。お前何したか分かってんだろうな」
「目ぇ見えてないんだし、分からねえ」
「なあエーテル。私、さっきからアイツを殺したくて仕方ないんだけど」
「もう少しの辛抱です。どうせ今日が終われば死んでますから!」
その言葉に疑問を覚えた俺は、エーテルに問いかける。
今日が終われば死んでいる……? その背後に、只ならぬモノを感じる。俺がこの屋敷に、記憶も曖昧な状態で奴隷として買われたことに関わる事が、隠されていそうだ。
「な、なあ……いや、すみません。えっと、俺、いや自分! 自分、何で呼ばれたんでしょうか?」
その問いかけに答えたのは、意外にもラロック自身だった。
彼女は、その特徴的な声を弾ませて、俺に説明してくれた。
曰く。
「お前をここに呼んだのは他でもない。
お前と他の奴隷との立場、それについて少し話しておこうと思ったのでな。
単刀直入に言うぞ。お前は、他の奴隷のように『ただひたすらに労働させるため』だけの奴隷として雇ったわけでは無い。お前はな、私のそ、そ、……エーテル。次はもっと私が読める字で書いてこいと言っただろう。私が読めるのは、簡語と、分かりやすい造形語のみだと、何度言えば分かる?」
「あ、申し訳ございません。真面目にノエル先生の授業を取っていれば、このくらいの造形語、なんら問題なく読めるものと思っておりまして。
ではそうですね、授業の進みが遅いのでしょう。ノエル先生にはもう少し課題の量を増やすように言っておきます」
「や、止めろエーテル! あれ以上増えるのはダメだ。あれ以上はもはやテロだ。
つ、次からは真面目に受ける。とりあえずフリガナを振ってくれ」
仰々しい態度で、これから何を説明してくれるのかと思ったら、突然話が中断させられ、そんな会話が聞こえてきた。
簡語やら造形語やらと聞こえてきたが、ここの世界の文字だろうか?
だとしたら、なんだ。ラロックはカンペを見ていたのか?
「察するな奴隷。続けるぞ。
あ、あー……。どこまで話したっけ?
ああ! そうそう、それでだな、お前は他の奴隷とは違い、特別に。
本当に特別に、『私の添い寝奴隷』となることが今さっき決定した。喜べ」
「……は?」
聞こえてきた単語に、俺は自分の耳を疑った。
今、目の前の耳あり少女ラロックは何と言った? 『添い寝奴隷』?
……いや、まあ目は見えてないんだけど。だから目の前って言っても本当に目の前にいるかどうかも分からないんだけど。
もしかしたらさっきから俺は見当違いな方向を向いて喋っていたのかもしれないし。
混乱する俺を余所に、耳ありたちの会話は続く。
「お嬢様、今度は大丈夫でしょうね?」
「わ、私にも分からん」
「三日前に買った奴隷はどうしたんでしたっけ?」
「一昨日首が取れた」
「その前の奴隷は?」
「窒息」
「その前は?」
「四肢が取れてた。泡吹いてたし、ベッドが白から赤になってたから、きっと出血多量」
「とまあ、このような状態で、私たちも奴隷を買ってはお嬢様の添い寝奴隷にし、そのたびに殺されるので始末が追い付かなくてな。お前には期待しているぞ、目のない奴隷よ。
お嬢様、奴隷もタダではありません。毎回決められた金貨を支払って買っているのです。
そりゃ、確かに人間ですから、お嬢様の『普通の奴隷』である限りいくら殺しても構いはしません。
ですが、メイド長として言わせていただきます。
すーはーすーはー……。ひっひっふー。ひっひっふー……。
では……」
何度か深呼吸の音が聞こえ、ついでに不思議な呼吸の音も聞こえてきた。
そして、彼女は叫んだ。
「お金もタダじゃねえんだよォッ! どこかの泉みたいに湧き出てくるもんじゃねえんだよォッ! ついでに私の給料と部屋、何とかしてくださいよォッ!」
心の叫びだった。魂の叫びだった。
それを聞いた彼女は……。
「あ、うん。分かった分かった。大丈夫、次のこいつは多分耐えるから!」
何ら根拠のない自信の元、堂々と俺を痛めつける宣言をして俺の鎖を引っ張るのだった。
鎖が引っ張られるのにつられて、俺も引っ張られる。少し歩いた先で、彼女が立ち止った。
そして、その鎖が何かに巻き付けられる音が聞こえてきた。
今度は、俺の手を掴み、そのまま押し倒される。背中に柔らかいものが当たり、それがベッドであるとすぐに理解することが出来た。
その手を、手錠か何かでベッドの支柱に繋がれる。
「じゃ、そろそろ寝る時間だし、こいつが逃げないようにベッドに繋いだし、もう帰って寝ていいよ、エーテル」
「は。では私はこれにて失礼いたします。……いや、恐れ入りますがお嬢様。少しだけ、やはり話しておきたいことが」
ドアの開く音が聞こえて、エーテルが部屋を出たのかと思ったが、直後に彼女の冷たい声が聞こえてくる。
「なんだエーテル。早く行けよ」
「私はですね。賭けております」
そう言ったエーテルの顔は、見えなくてもわかる。
主人を信じている、従者のしての言葉ではなく、もっと親しい関係の者が向けあう、優しい表情をしているのだろう。声色から、彼女がラロックを信じ切っている様子が窺える。
「……何を?」
「実は前の奴隷で、お嬢様が殺した奴隷の処理を頼みにメイド室に訪れたときですね」
「……いつだっけ?」
「頭から真っすぐに串が刺さったまま死んでいた奴隷を、お嬢様がお持ちになられた時ですよ。あの時は串の先に目玉が二つ刺さっていたものですから、思わずなんのジョークかと笑ってしまいましたよ」
「あれは受けただろう」
「メイド共も皆、『お嬢様のセンスには何かこう、光るものがございますね』と絶賛しておりました」
「なあお前ら、それの何が面白かったんだ? なあ! おいちょっと!」
「で、賭けているとは、なんだ?」
「無視かよ! なあおいちょっと!」
「いえ、それ以来『お嬢様の添い寝奴隷が、今回こそは死なずに耐えるのか』ということを毎回こうして賭け合うことが、この屋敷での恒例行事になっておりまして」
「最悪だな!」
「面白いじゃないか」
「お前もお前で最悪だなおい!」
「私はですね」
そこで、エーテルは言葉を切った。一度、深い深いため息をついて、彼女はラロックに呟いた。
「あなたが、今度こそは奴隷を生かす方に、毎回五十枚の金貨を賭けているのです」
「……馬鹿じゃないの?」
「馬鹿でも構いません。これ以上は屋敷が持ちません。今は、財産も残っておりますし、お嬢様が経営している店も、まだまだ繁盛しています。だからギリギリで持ち堪えていますが、それでももう限界が近いです。
奴隷一匹にも馬鹿にならないくらいの値段が掛かるのです。どうか、私とこの屋敷が破産しないうちに、こんなことはおやめ下さい」
最後にエーテルはそう言った。扉が閉まった音がする。どうやら出て行ったらしい。
ラロックは一人、深いため息を吐くと、俺の方に近づいてくる。ベッドに繋がれている状態では、まともに身動きが取れない。
そのまま、ラロックは俺の腹に跨った。
「エーテルは本当に、いいメイドだ」
誰に向かってか、そんなことを呟くラロック。
心なしか、息遣いが荒い。
「でも、私はそう、『添い寝』しているだけだから、無意識なんだよ」
首筋に冷たい何かが当たる。
彼女が、楽しそうに笑った。
「さて、今度はどんな殺し方をしようかな?」
その言葉の意味が、俺には理解できなかった。
これは添い寝じゃない。添い寝なんていう生易しいものではない。
でも、分かることはいくつかあった。
助けてください。
俺は今、死にそうです。
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↑佐東鳴狐氏のマイペ