第六話 『急転直下』
部屋に来客が来る少し前、ベルは一人、夜風に吹かれながら宿の屋根にいた。宿以外に二階建ての建物は他になく、民家と思しきものは全て平屋だ。村の西にはモンターニュ山が、東には針葉樹林がそれぞれ広がっている。
ここからは、村の全体がよく見える。視界を遮るものがないからだ。今は夜ではあるが、猫と身体特徴を同じくするベルは、夜目が利く。暗さは問題にはならない。
彼女の目が届く範囲では、不審な動きは見られない。気にかかるのは、ついさっきのユウとの問答。一軒しか光が灯っていない村は、とても静かで、不気味であった。
こんな様子の村を、ベルは何度か見てきた。ベルが住んでいたのは、帝国から遥かに西の地だ。そこから帝国までの道のりで、何度も目にした光景だ。こんな様子の廃れきった村は、ほとんどが無人で、日常の後だけが残されたものばかりだった。
だから、彼女は興味が湧いた。今までとは違う、例外に含まれる村。そこにはどんな理由で人がいて、何をしていて、何を為そうとしているのか。それを探るために、まずは村の全部が見える場所へとやって来た。
それにしても、動きが見られない。退屈だ、期待外れかしら、と思い、部屋に戻ろうとすると、ユウがいる部屋から何かが割れる音が聞こえてきた。次いで聞こえてきたのは怒号。男と女の大声が鼓膜に響く。
面白いことが起こっている、そう思ったベルは部屋へと戻ろうとし――眼が合った。
恐れ知らずのベルも、体を硬直させてしまう。部屋に戻ろうと、出てきた時と同じ窓から入ろうとした時、部屋の中から出ようとした誰かと、眼がばっちりと合ってしまった。
「いた!!」
そこからは早かった。ベルは猫を扱うように、首根っこを誰かに掴まれる。その誰かが、ユウではないことははっきりと分かった。その誰かは捕らえたベルを、袋の中に入れ何処かへと疾走していく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――そのまま、無警戒に開けた。
次の瞬間飛び込んできたのは、振り下ろされる酒瓶。顔を守るように左手を掲げ、後ろに飛び退く。振り下ろされた酒瓶はユウに当たることなく、床を殴りつけて割れる。
尻餅をつくユウを見下ろしているのは、宿の主である女性。それに加えて、ユウ達が来るまで馬鹿騒ぎしていた男たちだ。総勢で五人の大所帯だ。
「……物騒ですね」
冷や汗を浮かべたまま、どうしたものかと思案する。生憎と、得物は全て机の上に置いたままだった。しくじった、そう思ったところで後の祭りだ。
「まぁ、私らはそういうことをする集団だからねぇ」
粘着質な笑みを浮かべる女性に、ユウは嫌悪感しか出てこない。周りの男達もそうだ。こういう笑みを浮かべる人間に、ロクな者はいなかった。
ユウは警戒心むき出しに、尻餅をついたままゆっくりと机の方に近づいていく。数的不利な上に、無手であるという状況は不味いからだ。女の手には、さっき割れた酒瓶が、男たちは棍棒をそれぞれ持っている。囲んで叩かれれば、ただでは済まないだろう。
「それで、物騒なアナタたちは私に何用ですか?」
答えの分かりきった問をして、少しでも時間を稼ぐ。女達は部屋に踏み込み、すぐにでも襲える距離に近づいてくる。
「あの猫は一体どこだい? 大人しく渡してくれれば、まぁ、悪いようにはしないさ」
含みのある言い方に眉をひそめながら、ユウは意地の悪い笑みを浮かべながら、
「さぁ? 彼女は気まぐれなので。もしかしたら、台所で魚を漁っているかもしれませんよ」
「……こんな季節に窓を開けているなんて、おかしいねぇ!」
目聡い女だ、とユウは内心舌打ちをする。ベルが見つかれば、事態は厄介なことになる。それだけは避けたかった。
ユウに、じわりじわりと距離を詰めてくる男たち。一旦、体制を整えようと、中腰になり、前を睨みつける。
「ちょっと眠ってもらおうか!」
女の合図に、一人の男が棍棒を振り下ろす。横に飛び退き、ベッドの上に飛び乗る。そのままベッドのシーツを剥がし、男たちに投げつける。
「いた!!」
一人窓に近づいていた女が、何かを捕まえてそのまま麻袋の中に突っ込む。突っ込まれたものは抗議の声を上げることなく、大人しくされるがままだ。女はそのまま部屋から出ていき、何処かへと走り去っていく。
「チッ!!」
大きく舌打ちをして、悠然と構える男たちを見やる。部屋にいる男は全員で五人。ガタイのいい男ばかりで、ユウが力勝負をすれば間違いなく負けるだろう。
さっき投げたシーツは、一瞬の間を作ったものの、もう取り払われている。何かないものか、どうしたらいいのか、助かる算段を立てるユウを待つことなく棍棒が振り下ろされる。
顔を守るように交差させた両腕に、容赦の無い連撃。次第に、腕の感覚が麻痺してくる。そのうち、ユウは両腕をだらりと下げ、膝を付いた。
数度振り下ろされた棍棒は、赤い血を付着させ、獲物が動かなくなったのを見て止められる。
「連れて行くぞ」
髭面の男が合図し、二人の男が棍棒を置いて、ユウの上半身と下半身をそれぞれ持ち上げる。その様子を見て、髭面の男を先導に部屋から出て行く。
ベルの種族であるケット・シーは、高値で取引される。ケット・シーの血肉には魔術の素養を高める効果があるやら、彼らの知恵で国は大戦に勝利したとか、希少さ故に怪しげな噂が囁かれている。そして、猫の手でも借りたい貴族たちは、眉唾ものの噂を信じて彼らを買う。それを知っているからこそ、男たちはベルを捕まえた。彼らはそうして、生活を成り立たせている。
髭面の男ともう一人の男が外に出ると、雪が降り始めていた。今日は冷えるなと、髭面の男は身震いをする。
一仕事終えた、と伸びをしながら、残りの男たちがやってくるのを待つ。青年一人を抱えているんだ、遅くても仕方ない、そう思い、屋根の下で気長に待とうとする。
「お返しです」
何かが、目の前に落ちてくる。構えようとするより早く、何かが腕を振るう。髭面の男が最後に見たのは、自分の頭部を打つ棍棒だった。
次回更新は、三月二十日(金)を予定しています。