第三話 『道中談話』
宿で一泊し、ユウたちは出発の準備を進めた。準備といっても、馬の調子を確かめたり、食料を補給したりするだけだ。ものの数十分でそれらを終わらせ、朝食を取る。
「忙しないのね、貴方たちって」
「まぁ、時間との戦いですからね」
「ふぅん、私はごめんね、そんな生活」
宿屋の女性とそんな軽口を交わしながら、朝の時間は過ぎていった。
ユウは昨日のうちに、地図で大体のルートを把握しておいた。だから、道で迷う心配はなかったが、天候の方は昨日と同じで、厚い雲が空を覆っている。
「どうするの、行くの?」
ベルの問い掛けに、ユウはわずかに考え込む。途中で雪に降ってこられたら、野宿は確定だ。その後、雪が止むまでその場で立ち往生することになるだろう。しかしながら、ここで立ち止まって、折角の機会を逃すのも惜しい。
「そうだね、進もう」
利益と損害を天秤にかけた結果、ユウは目的地へ進むことにした。損害といっても、商品が傷つくこともなければ、凍え死ぬこともないだろう、という予想によるものだ。
「なら、早く行きましょうよ」
ベルは淡々と言い、一人御者台の上に飛び乗る。遅れてユウも御者台へと乗り、ゆっくりと馬を進ませた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中継地までの道のりは、単調であった。馬車の右側をモンターニュ山の山肌を、左側を針葉樹林で占められている森に挟まれている道を、ずっとずっと進んでいくだけであった。景色はどれだけ進んでも変わることはなく、飽き飽きとしてくる。
中継地点の村まではどれだけ掛かるのか聞いていなかったのを、ユウは今更になって後悔していた。全体の行程は二日半とのことだが、途中に村はいくつあって、ピエールとその村まではどれほど離れているのか全くわからなかった。
今から引換えそうにも、もうすでに結構な距離を――道中で休憩を挟みつつも――踏破してしまっていた。大体四時間ほど進んだところで、ようやくこのことに気づいたのだ。気づくのが遅かった。
「そういえば、ずっと気になってた事があるのよ」
出発してからずっと眠り続けていたベルが、不意に口を開いた。眠りすぎたのか大きなあくびをしながら、ユウの横で体制を直して座る。
「どうして、帝国北部に行くのかしら。ワタシ、何も聞かされていないのだけれど」
そうだったかな、と思い出そうとするが、どうせ反論したところで悪態を疲れることは分かりきっていた。素直に言うのが一番なのだ。
「儲け話を小耳にしたからだよ」
「それだけ?」
「それだけ、だけど?」
「……嫌な予感しかしないわ」
ベルは、やれやれといった様子でため息をつく。彼女は、かれこれ一年以上もユウと共に行商生活を続けている。もちろん、その間の苦楽も共にしてきた。
ユウの運であったり、商人としての手腕は、はっきり言って並か、良くてそれよりも少し上である。商人として抜きん出たところを、ベルはこれまで見たことがなかった。
「ほら、師匠も言っていたじゃないか。『チャンスの尻尾が目の前にあったら、とりあえず手を伸ばせ』って」
「けれども、破滅への尻尾があったら掴めとは言っていないわ」
ユウの言う師匠は、商才に満ちていた。ベルもその師匠とは、深い関係があった。彼女が外に出る要因となった人物だ。
その商才に満ちた人物が育て上げたユウは、生憎と並みの商人となった。言いつけは守っているのだが、どこかズレている彼は、少し解釈を間違っていたりしている。だから、時に大失敗、時に大成功、それらを何度も経験している。
今回はどうなるのか、彼女には分からないが、なんだか面倒事に巻き込まれそうな気はしていた。
「けど、今回ばかりは確証があるんだよ」
「へぇ、どんな?」
「まずは北部での物価上昇。これはさっきの街でも聞いたから、間違いないよ」
「確かに、あの若造がそう言ってたわね」
戦争の影響が物資が行き渡っていなく、元々、北部は農作に向いていない、というのが余計に物価の上昇に拍車をかけている。だから、この物価上昇は自然なことだった。そして、商人はこういう事態を付け狙う。
「だから、今北部の商会に食料を売り込めば、南で売るよりも利益が出るんだよ」
南でも超過需要ではあるが、物価の上昇は北部ほどではない。戦争に釣られた数多くの商人が、供給をある程度支えているからだ。尚且つ、豪雪地帯である北部と、温暖地帯である南部。どちらへ行き易いかといえば、当たり前だが南部だろう。
行きやすさ、利益、その両方で多くの商人は南部へ行くことを選んでいた。その中で、あえて北部へ行く商人は数少ない。そこを、ユウは狙った。
「南は同業者が多いし、噂では『マルシャン商会』が国との取引を独占しているみたいだから、コネはできない」
「だから、今のうちに北に自分を売っておくってこと?」
「そういうことだよ。『商人はモノより先に、恩を売れ』って師匠も言ってたしね」
「それには同意ね」
ベルは一度欠伸を挟んでから、
「まずはってことは、もう一つあるんでしょう?」
「まぁ、あるよ、うん」
ユウは少し口篭ってから、
「戦場に近づきたくないから、ね。もしかしたら、があるかもしれないからね」
「ふぅん」
やけに暈した言い方だが、ベルは深く追求はしない。ユウがこういう言い方をするときは、触れて欲しくない時だ。そして、目付きが鋭くなる。まるで、周りを威嚇しているかのようにだ。
互いの過去に関しては深く追求しない、これはユウとベルと師匠が三人で旅していた時からの暗黙の了解のようなものだった。それは、二人になった今でも変わることはない。
互いに分かっているのは、この旅の目的、それだけだった。
ユウは、この国から出ていくこと。
ベルは、世界の果てを見ること。
この目的のための資金作りとして、彼らは行商をしているのだ。
「あれが、村かな?」
ユウが目を凝らして見た先に、木で出来た柵のようなものが見えた。そして、入口のようなところには、松明が燃えている。
「そうみたいね。まぁ、泊まるにはちょうどいい頃合じゃない」
太陽は雲に隠れているが、ベルには大体の時間が分かる。そろそろ夕刻になろうという頃だ。
「座りっぱなしも疲れたし、丁度いい」
ユウは馬の歩調を少し早め、村へと向かっていく。
次回更新は、三月七日(土)を予定しています。