知らない所で動いてる人達 ~アルバイトは涙が止まりません~
AM7:00 瀬良優樹、朝食の準備をす。
今朝はスクランブルエッグにソーセージ、食パン。付け合わせにコーンスープ。
どうやら手料理のようだ……食べたい。
今の俺はあんパンに牛乳……いつの時代の刑事だよ!
AM8:30 瀬良、登校。
三分後に【安藤俊之】と合流。……今日は妹の瀬良真奈も一緒のようだ。
彼女の見た目は瀬良の目を少し釣り目にした感じで、性欲…もとい愛らしさを湧き立たせる。
少し気が強いようだが、これはこれでアリだと思う。
AM9:00 無事に登校を完了。
先回りをして下駄箱のチェック……またラブレターの山を発見。
気になったので内容を確認……悍ましい。
これは瀬良が見て良いものでは無いので処分する。
内容は別の報告書に表記するが、これは正直ドン引きモノの危険な内容であった。
手紙の宛て主を突き止め制裁をする必要性高し。
「同士シャドー、御苦労」
「同士ケモナー……いつもの日課だ。苦労などしていない」
「夏休み前とは言え、今は大事な時期だ。二学期の例のイベントの為、前準備がある有らな」
「承知してる。しかし、有志は集まるのか?」
「問題ない。後は許可を得る為に、我等が勝利を掴まねばならん」
彼等は裏で暗躍する【新生優ちゃんを生温かく見守る会】のメンバーである。
彼等は優樹のファンクラブであり、今や他の派閥を併合して一大勢力を築き上げていた。
当の本人の意思を無視し、必要ならストーカー行為を辞さないアホ共の集まりなのだ。
「しかし、本当にあの計画が可能なのか?」
「学校行事であれば瀬良も嫌とは言えまい? 後は我等がいかに上手くやるかだ」
「だが、クラスの連中が否定する可能性も高い。特に女子がだ」
「そこは上手くやる。同士ナースと同士魔女っ娘が手を貸してくれるだろう」
「奴等か……本当に信用できるのか?」
「それは午後のホームルームの時間に解る。最善を尽くすのみだ」
彼等のファンクラブは規模は大きくなったが、それは同時に幾つもの派閥に別れ決して一枚岩では無い。
一つの事に関しては皆意見は一致しているのだが、それ以外が好き勝手に動いていて纏まりが無いのである。
これも優樹が男の癖に、普段の行動が限りなく乙女なのが悪い。
更に本人に自覚が無いのが拍車をかけていた。
そして、その運命の時間がやって来る事になる。
時間は五時限目、空腹を満たし眠気に誘われる時間帯である。
教団の前にはクラス委員の野々村京子。
その隣に担任の野原伸介が陣頭指揮を執り、クラス全員の意見を黒板に書き綴る。
そこに書かれた物は……
1.メイド喫茶。
2.お化け屋敷。
3.水着相撲。
4.ヌーディストビーチ。
5.雀荘。
7.緊急救護班。
8.キャバクラ。
つまり、二学期から始まる学園祭の催し物を決める話し合いであった。
一学期の内に催し物を決め予算内に収まるかを検討、その分配と売り上げを見積もる査定をする。
元から学園イベントの少ないこの高校は、修学旅行が存在しない分こうしたイベントに力を入れる傾向があった。
しかし、どうでも良い事だが2から下が碌でも無い。
欲望駄々漏れで始末に悪く、緊急救護班に至っては何を目玉にするか理解不能。
頭がおかしいとしか思えない。
「あぁ~…では、前に書かれた以外で他に提案はあるか?」
「無いならこの中から独断と偏見で選ぶわ。そうね……ヌーディスト……」
「「「「「誰がそんなのをやるんだよ!! この高校を潰す気かっ!!」」」」」
正気とは思えない。
「でも、斬新だと思うわよ? ヌーディストビーチ」
「「「「「斬新すぎるだろ!! 規制を喰らうわ、ボケェ!!」」」」」
「人と同じ事をして何が楽しいの? これは新たな革命となるイベントになると思うわ」
「「「「「革命どころか、俺達の人格を疑われるわっ!!」」」」」
「それでもやるのよ! これは命令よ!!」
「「「「「誰がやるか!! 大体、お前は脱ぐのかよ!!」」」」」
「そんな訳無いじゃない。裏方として見物させてもらうわよ。何か文句ある?」
「「「「「大ありだぁあああああああああああああああああっ!!」」」」」
委員長は横暴だった。
寧ろ独裁者と言っても過言では無い。
自分の手を汚さずに他人を動かして楽しむ気なのだ。
「流石にヌードは不味いよ。せめて水着着用にしておきなさい」
「先生……わかったわ。じゃぁ、葉っぱ一枚で隠して……」
「「「「「ふざけんじゃねぇえええええええええええええええええええっ!!」」」」」
「それなら、男子のみで…」
「「「「「異議無し!!」」」」」
「「「「「女子が寝返った?! 異議大ありだぁあああああああああああああああああっ!!」」」」」
「言ったはずよ! 独断と偏見で選ぶって。これは決定事項よ!!」
「「「「「嘘だろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」」」」」
独裁政権の前に、他者の意見など塵芥に等しい。
男子はいきなり窮地に立たされた。
逆に女史は期待の籠った目を彼等に向け、賛同の意を示す。
「大丈夫、貴方達は野原先生の教え子よ? 彼は幼稚園児の時にお尻を出して変な動きをしたり、ゾウさんを曝け出して愉悦に浸った猛者なんだから、貴方達にもきっと出来るはず……」
「「「「「何してんの、しんちゃぁ~~~~~~~んっ!!」」」」」
「野々村がなぜ知っているかは知らんが………。フッ……昔の話さ………あの頃は俺も若かった……」
野原先生は窓際で煙草に火をつけ、一服吸うと…白煙を静かに吐き出す。
男の哀愁を感じる無駄にハードボイルドな仕草であった。
「『嵐を呼ぶ男』と呼ばれいい気になって、新幹線に変形するロボと共に悪と戦ったモノさ………何もかもが懐かしい……」
「「「「「混じってる!! 別の何かが混じってる!!」」」」」」
「大学に入った頃は喧嘩に明け暮れ、ドラムを叩いては結構にぎわせたんだぜ? 今となっては若気の至りだな……。認めたくないものだ…自分自身の若さゆえの過ちと云うものを……」
「「「「「ヤバいから!! 色んなものが混じってヤバいから!!」」」」」
どんな人生だ?
それ以前に文明水準が色々おかしい。
「野々村っ! お前は俺達に、得体の知れない生命体繊維と闘えというのかっ!!」
「アンタ等の戦闘力に期待はしてないわ。せいぜい雑魚を引き付ける捨て駒になってちょうだい」
「せめて学生服を用意してくれっ!!」
「セーラー服も学生服も孰れは卒業するものよ? 別に今卒業しても同じじゃない」
「「「「「人生まで卒業したくはねぇ―――――――――――――――――っ!!」」」」」
「葉っぱ一枚あればいい。生きているならラッキーでしょ?」
「「「「「とんでもねぇ~暴論を吐きやがった!?」」」」」
取り付く暇も与えない。
このままでは彼等は『ドキッ! 男だらけのヌーディストビーチ』をさせられる事になる。
一部の者達にしか需要の無い、全く意味不明の学園祭の出店だ。
寧ろ警察の世話になる可能性しか存在しない。
「あのさ…教室で出店するのに、ビーチはおかしいと云うツッコミは兎も角、それ以前に生徒会に却下されるんじゃないかな? 常識的に考えて……」
「「「「「おぉ……流石は瀬良! 我等の勝利の女神!!」」」」」
「僕、男だよっ?! 女神は変でしょっ!!」
「チッ……逆転裁判敏腕弁護士が居たか……。確かにそうね…諦めましょう……」
「「「「「スゲェ~~~~っ、残念そう!?」」」」」
野々村さんは本気だった様だ。
そして、会議は振出しに戻る。
「稼ぐならキャバクラだが……これも却下されそうだな」
「男子しか喜ばないじゃない! 私達はやらないわよっ!!」
「雀荘なんか開いても、全国民が麻雀する訳じゃないし……客が寧ろ遠のきそう」
「水着相撲て……コレ、どうやって稼ぐんだ?」
「お尻で水に突き落として、その賭け金で稼ぐんじゃない?」
「却下だな。常識的に見てそれは賭博だ、許可を取っていない以上は違法になる」
「緊急救護班て何なんだよ? どうやって稼ぐんだ? わからん」
クラス全員が稼ぐ事しか頭に無い。
「何でメイド喫茶や、お化け屋敷を省くの? 普通ならこっちじゃないの?」
「「「「「定番過ぎて面白くない!! どうせ他のクラスもやるからだ!!」」」」」
「定番で何がいけないの?! 寧ろ考えなくて良いんじゃない?!」
「「「「「男子に変な目で見られるのが嫌なのよ!!」」」」」
「「「「「このクラスの女子がメイドになったからと云って、何処に需要がある!!」」」」」
「君等、仲が悪いの?! 冷戦状態なのっ!?」
一つの事では意見は一致しても、男子と女子の間には大きな亀裂が生じていた。
これでは纏まる物も纏まらない。
優樹は只疑問を口にしただけなのだが、そこに在った溝はあまりに深い。
「でも、流石に妥協案は必要ね」
「だな、このままでは平行線をたどる事になり、いつまでも終わる事の無いワルツだ」
「てな訳で瀬良、お前が決めてくれ」
「何で僕が決めるのっ?!」
「瀬良君がこのクラスで中立だからよ」
「野原先生も居るじゃん!」
「先生はどこか遠くを見ているから駄目よ。過去の世界に入り込んでるわ」
優樹が野原先生を見ると、彼は『そう言えば風間の奴……昔は金持ちだったのに、会社が倒産して貧乏になったっけ……。あの時の落ち込みかた凄かったな。今じゃ、銭ゲバになっちまって……』と乾いた笑みを浮かべている。
彼の過去に何があったのだろうか? 些か興味が尽きない。
「確かに……アレは少し不味いね…」
「だろ? だからお前に決めて欲しい」
「えぇ~? 定番は嫌なんでしょ?」
「この際、定番でも構わないわ! 早く決めないと生徒会が五月蠅いから」
「さっきまでの口論は何だったのっ?! 定番をメッチャ否定してたじゃん!!」
「「瀬良(君)が決めてくれれば、俺(私)達は従うから!!」」
「僕の立ち位置がおかしくね? 君等にとって僕は何なのっ!?」
「「「「「我がクラスのアイドル!! 寧ろこのクラスの神!!」」」」」
「怖いよっ!! そして重いよっ!!」
優樹の知らない間に神に昇格していた様である。
このまま新興宗教を立ち上げる勢いであった。
「どうしよう。トシは何か意見は無い?」
「まぁ、男女逆転するしかないんじゃないか? 定番だが、普通よりはマシだろう」
「ぅ~ん……このクラスの男子が女装………。うん! 不気味なだけだね☆」
「「「「「確かに!」」」」」
「似合いそうな奴も数人いるからそいつらをホール担当にして、他は厨房行きか?」
「女子は執事服?」
「だな。定番だ……」
学園祭の計画なので、多少の際物はありだろう。
しかし、そうなると人員にあまりが出て、必ず何もしない連中が存在する事になる。
「そもそも、クラスの皆が料理できるとは思えん。買い出し班が居たとしても素材が余るのは戴けないし、予算管理も必要だな」
「それでも人が余ると思うよ?」
「そいつらは……可哀そうだが笑い者になって貰おう。客呼びの宣伝班だ」
「「「「「それは良いわね!! 採用!!」」」」」
何故か女子が食い付いた。
「あ、安藤なら女装が似合いそうだが、俺達は無理だぞ?! まさか、お前等!!」
「アンタ達の黒歴史、しっかり記録してあげる♡」
「うふふふふ……せいぜい愉快なピエロになってね?」
「特に佐久間君と大谷君……前からアンタ等にはムカついていたのよ」
「「「「「こいつ等……この機に乗じて俺達を闇に葬る気だっ!!」」」」」
「だから、君ら何でそんなに仲が悪いの?」
彼等は別に仲が悪い訳では無い。
単に同類なだけに意見が対立しているだけである。
それ以前に男子と女子では考え方も異なり、男子は欲望の赴くまま、女子は怖いもの見たさが率先している。
何よりも、他人の不幸を見るのが楽しみなのだ。
「決まりね。逆転メイド執事喫茶、イケメンはメイドに、美少女は執事に! 女子の殆どは厨房担当、男子の余りは葉っぱ一枚!!」
「「「「「何気にヌーディストビーチを入れんじゃねぇ!!」」」」」
「色んな意味で自由になれるわよ? 世間一般的な倫理観と言う檻を抜け出して……別に羨ましくないけど」
「「「「「自由になった瞬間、別の意味で檻の中になるわっ!!」」」」」
何処までも自分に正直な野々村委員長である。
一方で野原先生はと言うと……
「寧音ちゃんも、今じゃ官僚だしなぁ~……。性格の問題で未だ独身だが……結婚は無理かな…」
過去と今を振り返っていた。
本当に彼の人生で何があったのだろうか?
余談だが、優樹はこの時の為にクラス全員から誘導され、逆転メイド執事喫茶を選ばされた。
ただ一人、安藤俊之だけが参加していなかった事を記して於く。
「会長、失礼します」
「どうしたのかな? 磯崎さん」
生徒会は現在、ひと月先の学園祭に向けて予算案を考察していた。
この高校は学生の数は平均だが、無駄に部活や同好会の数が多い。
しかもその活動に複数所属する剛の者もおり、幾つかの部活や同好会を牛耳っていたりする。
無論、そこは飽くまで校内活動の範疇にあり、学外で問題を犯す者は存在しない。
ただ、その活動の中には過激なものも存在している事も確かであった。
そんな彼等の活動を抑制したり、時には全力でサポートするのが生徒会である。
彼等は決められた予算枠を一円単位まで見逃す事無く各部活動に振り分けていた。
ある意味で優秀なのだが、彼等生徒会の活動は国家予算を管理する官僚並みに徹底しているのだ。
「1-Cから学園祭の催しが決まったとの報告です」
「へぇ~……で? 何にするって?」
「逆転メイド執事喫茶だそうです」
「ほぅ・・・・・」
生徒会長のメガネが光る。
「男子はメイドに、女子は執事……その他は厨房と宣伝をするための呼子をするとか」
「ふむ……定番だね。これで三クラス目だよ、他にはお化け屋敷が五クラス……捻りが無いね」
「ですが……このクラスには彼が居ます」
「彼? いや、まさか……」
「我が校の天使、瀬良優樹ですよ会長」
「「「「なにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」」」」
会長を含め、生徒会の役員全員が一斉に立ち上がる。
彼等はまるで神にでも会ったかのような驚愕に包まれ、同時に今の現実を受け入れられないでいる。
全員が言葉の意味を何度も反芻し、そこから導き出される結論を理解するのに暫しの時間が掛かる。
「そ……それは、優ちゃんが……女装をするという認識で…………良いのか?」
恐る恐る真実を知ろうと言葉を紡ぐ会長。
そして……
「その認識は間違いではありません。優ちゃんは……メイド服を着ます!!」
「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」
普段は筆記用具と計算機、必要な言葉しか音の無いこの部屋に歓喜の雄たけびが響く。
彼等は全員優樹のファンだった。
「予算を見直します! 1-Cの予算を最重点に、他の有象無象の予算を削減!」
「「「「異議無し!!」」」」
優樹の影響力は、本人が知らない所で此処まで強大だった。
高校から商店街、更にはご近所に至るまで大勢のファンがいるのである。
そんな優樹が芸能界デビューしないのは、彼等が全力で情報統制をしているからなのだ。
でなければ既にスカウトが来ている筈である。
彼等は色んな意味でおかしかった。
「2-Dの映画鑑賞会はどうします? 去年放映した物を見せると言ってましたが……」
「視聴覚室のBRDプロジェクターを貸してあげなさい。映写機を持ち込むなど予算の無駄です!」
「3-Fの女装喫茶は?」
「1-Cに比べれば大したことは無いでしょう。大幅に削っても構いませんよ」
「調整が難しいですね? 衣装代を大幅に上げて、その分を他から削りましょう」
「許可します。出来る限り不満が無いよう、ギリギリまで削り取るのです!!」
「マッスルコンテストの予算は?」
「潰しなさい。筋肉を見て誰が喜ぶというんです」
……酷い。
真面目に高校生活をしている部活動まで、学園祭の準備の出来るギリギリまで予算が削減されて行く。
しかも優樹一人の為にである。
中には学園祭での出店すら潰される所も出て来る始末だ。
何が彼等を其処までさせるのだろうか?
この予算調整は下校時間が過ぎるまで続き、次の日まで持ち越される事になる。
中には抗議に来た者もいたが、優樹の存在を知ると納得して帰って行った。
彼等の一学期は、この学園祭の前準備で終わる事となる。
放課後、優樹は俊之と共に、いつもの帰り道を他愛のない話をしながら帰宅中。
だが、今日に限ってはいつも通りでは無かった。
某メーカのハイブリッド乗用車が優樹たちの前に留まり、そこから一人の女性が下りる。
「優ちゃん、ちょうど良かった。ここで会えて助かったわ」
「母さん?」
「小母さん?」
「あら、俊之君、久しぶりね♡」
「どうも」
優樹の母親である【瀬良幸恵】であった。
優樹の両親は共働きであり、母親である幸恵は知り合いの会社で臨時の社員を請け負っていた。
何の仕事をしてるかは知らないが、彼女はスマホで呼び出しが来ると急いで職場に行くのである。
恐らくは今日もその仕事関係だと思ったのだが、車の中には妹の真奈の姿も見られる。
「母さん、今から仕事?」
「そうなの……でも、今日は人手が足りなくて…優ちゃん達にも手伝って欲しいのよ」
「何の仕事なのさ?」
「う~ん、今時間が無いから車の中でね?」
「いいけど、アルバイト料は出るの?」
「それは………社長に掛け合ってみるわね?」
どうも時間が無いと判断した優樹は、何も考えずに車に乗る事にした。
それが何を意味するかも知らずに……。
「トシ、ごめん。何か急用みたいだ」
「気にするな。所で、貸してもらった本だが……」
「月曜で良いよ。そんなに急いでないから」
「そうか? じゃあ、明日フィールドで」
「わかった。いつもの時間でいいね」
二人はオンラインゲーム【ミッドガルド・フロンティア】の高ランクプレイヤーである。
そのゲームをする待合時間を確認すると、優樹は車に乗ってその場から遠ざかる。
「相変わらず若いな……小母さん…」
優樹も知らない事だが、俊之の初恋の女性は幸恵である。
見た目が若いだけでなく、どこか年上のお姉さん的性格が彼の好みであった。
しかし人妻な上に親友の母親であり、何よりも未だに初恋が続いている事など優樹には知られたくない。
彼もまた儘ならない思いを抱いて生きていた。
俊之は溜息を吐き、一人家路に就く。
そんな彼の心内を知らない優樹は、車の中で何処へ向かっているのか気になっていた。
「母さん? 所で僕は何をするの?」
「ちょ、声を掛けないで! 運転に集中したいからぁ~……」
「・・・・・・・・・・・・」
彼女は運転が苦手だった。
今までに無いくらい集中してハンドル操作をしている。
この時優樹は直ぐ傍にある死を確かに感じた。
「……真奈ちゃんは何か聞いてる?」
「わたしも行き成り車に乗せられて、何処へ行くか知らないのよ……それより…」
「うん……僕達、生きて帰って来れるかな……?」
車は安定して走っているが、運転する幸恵にはどうしても不安が残る。
結局二人は無言のまま目的地まで一言も喋る事は無かった。
いや、寧ろ喋る事すら出来なかった……。
その後……三人が着いた場所は、湾岸近くに建てられたコンクリート製の小ビルである。
如何やら全てが一つの会社で所有し、その会社が何をしている所なのか皆目見当がつかない。
「早く! あ~ん……少し遅れちゃったぁ~……」
どう見ても二児の母親とは思えない行動である。
「・・・・・・若いわね・・・・・母さん・・・」
「・・・うん・・・・・・・同年代の女性よりも・・・特に見た目が・・・」
優樹も実の母親の若々しさと、その子供っぽい行動に翻弄される時がある。
元が童顔なのは仕方が無いとしても、未だに十代と見ても遜色無いのがおかしい。
自分の遺伝子が、何かとんでもない物が混ざっているのではと本気で思う時があった。
そんな母親の後をついて行くと、どうやら撮影スタジオの様であった。
無数のカメラとフラッシュ。反射板にブルーのシートが目に付く。
「幸恵! 遅いわよっ!」
「ごめぇ~ん。二人を迎えに行ってたから……」
「で? あの二人が貴女の娘で今日のモデルね?」
「そうよ? 中々に可愛いでしょ♡」
優樹の耳に入った情報は、その意味を理解するのに僅かに時間が掛かった。
その意味が浸透して来るにつれ、自分がとんでもない場所に来た事を自覚する。
「母さん!? 気の所為か、今……モデルと言わなかった?!」
「そうよ? 言わなかったかしら?」
「聞いてないわよ!! そんな事最初から言ってないじゃない!!」
「あれ? そうだったかしらぁ~?」
「相変わらずね…あんた・・・」
それの意味する所はつまり……。
「「母さん、モデルやってたのっ?!」」
「それも言ってなかった?」
「「一言も聞いてないよっ!!」」
何処までも自分のペースで生きている幸恵であった。
二人は力無くへたり込む。
そんな優樹たちの元に、長身だが落ち着いた雰囲気のキャリアウーマンが近付く。
「ようこそ、私のスタジオへ。私が此処の社長でカメラマンの【石塚紫乃】よ? 宜しくね」
「い、石塚紫乃って……あのファッション誌で有名なShinoですか?!」
真奈が食い付いた。
彼女はその手の雑誌から紫乃の事を良く知っていた。
「そう、そのShinoよ♡ 幸恵とは中学時代からな友人でね、偶にモデルとして協力してもらってたの」
「お会いできて光栄です! わたし、先生のファンなんですぅ~!!」
「母さん……聞いてないよ。とんでもねぇ~事になってんじゃん……」
その意味する所は自分が此処で撮影のモデルをする事に他ならない。
何気なしに車に乗ったらこの様である。
「僕、モデルなんか…した事無いんだけど?」
「大丈夫よ♡ 綺麗な服を着て写真を撮るだけだからぁ~」
「その綺麗な服って……」
ハンガーに掛けられた数多くの女性用の衣装。
つまりは女装しろという事である。
「冗談じゃないよ!! 僕にあれを着れとっ?!」
「うん、そう♡ きっと似合うわよぉ~?」
「君、男の子みたいな喋り方をするね?」
「僕は男だよっ!!」
「「「「「えぇええええええええええええええええええええええええっ!?」」」」」
スタッフ全員に驚かれた。
「・・・・・うそ・・・ホントに?」
「極めてマジです・・・・・・」
「うっ・・・・・」
「?」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふ♡ いい……実に良いわ、君……」
この手のパターンは嫌な予感しかしない。
優樹はゆっくりと距離を取り、逃げ出す準備をする。
「何処へ行くのかなぁ~? 優ちゃん♡ お仕事はちゃんと熟さないとね☆」
だが、実の母親にそれを阻止された。
「兄貴……わたし、一度でいいから女装した兄貴を見てみたい♡」
「真奈ちゃん……お前もかっ!?」
「こんな素晴らしい素材を見せられたら、私の熱いカメラマン・スピリッツが天元突破するじゃない!!」
「してるからっ! 完全に時空の果てまでぶち破ってるから!!」
「なら問題無し!! 皆、彼をメイク室に連れて行って」
「「「「「サー・イエッサー」」」」」
優樹は行く行く、メイク室へ。
酷いもんだよ、男の娘。
こうしてドナドナされた優樹は一時間後、見事なまでに美少女へと変身していた。
ウィッグを装着し、白いフロントホックのワンピース、ヒマワリがワンポイントのサンダル。
麦わら帽子が実に映える夏を演出している。
そんな姿の優樹は本気で泣きそうであった。
「夏用のカーディガンは何処かしら?」
「この後は浴衣も良いかもしれませんよ?」
「花を持たせて見たら? 儚い印象を出すのも結構いいかも♡」
「素人なんだから無茶な要求は出来ないわよ」
「あの娘なら……世界を狙えるわ…。ここは攻めるべき」
スタッフの目つきが異様にヤバい。
「兄貴……いえ、姉さんと呼ばせて♡」
「優ちゃん……可愛いわよ♡」
「泣くよっ! 本気で泣くよっ?! 慟哭しちゃうよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
最早涙目の優樹。
そんな彼をいつの間にか撮影している紫乃。
彼女はプロなだけに、目の前にあるシャッターチャンスを見逃さない。
「さて、ウォームアップは済ませたわ……。ここから本番よ!!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」
優樹の試練の時間は始まった。
まさか、元の世界でも男として大事なものを失うとは思ってもいなかった。
狂気的な熱意に絆され、スタッフ達は目まぐるしく動く。
長い時間が過ぎ、気が付けば辺りは夕焼けで赤く染まっている。
途中から優樹の記憶は無く、己を取り戻した時は廊下に設置されたソファーの上で座っていた。
心に開いた穴に虚無感を感じながら……。
そして時間は進む。
街の書店には、ある写真集が陳列されていた。
閲覧用に置かれた写真集に手を伸ばし、思春期の少年や会社員の男達は一目で魅了された。
写真集のタイトルは【Summer】。
三人の女性をモデルとしたShinoの傑作写真集である。
「おい……この子、可愛いな?」
「あぁ……三姉妹なのか? これは買いだろ」
「特に二人目の子……涙目な所が庇護欲を誘う…」
「何か、大切な人を失った悲しみと言うのか……守ってあげたくなるな」
当然モデルは優樹、真奈、幸恵の三人であり、まさかその本人がこんな所にいるとは思わないだろう。
書店で背筋を凍らせるような怖気に耐える優樹の傍で、何も知らない男性たちは挙って写真集を購入して行く。
本来は夏祭りのイベントポスターの撮影だったのだが、何をどう間違えたのか写真集を出す事になってしまったのだ。
そんな泣きそうな優樹の傍で、俊之が写真集に手を取り中を覗く。
「・・・・・・コレ・・・お前だろ? 優樹・・・」
「聞かないで・・・・今、涙を堪えるのに大変なんだ・・・・グス・・・」
「・・・・真奈と、小母さんか・・・・・」
そう呟くと、俊之は写真集を持ったままレジに向かう。
「買うのっ?!」
「ん・・・・・・なんか面白そうだからな」
優樹のメンタルは死んだ。
そんな彼を他所に、俊之は初恋の女性の写真集を購入するのであった。
未だ思いは振り切れないでいる様である・・・・・・切ない。
久しぶりに元の世界での話です。
やりたい放題に書きました。
悪ノリ120パーセントです。
あぁ……仕事が忙しくなりそう。
暫く投稿が遅れそうです。




