究極下での選択(菜々版)
短い…
ちょっと特殊な端末から投稿したので、段落がなかったのですが、
PCにて修正いたしました。
いつの間にか300pv越していました。本当にありがとうございます_(._.)_
彼は困惑していた。
彼が茫然として見つめるその先には、四人掛けのありふれた食卓があった。この時間は、いつも彼の最愛の妻の作った朝食がそこに有り、会社に遅れそうになる彼を、とっくに起きていた妻と息子が窘めてくれるはずだった。だが今彼の前には誰もいない。そして朝食が有るはずのそこには・・・・二つの写真があった。
その写真はまるで遺影のようだった。真っ黒な額縁に上部に結ばれた白いリボン。ただ、映る人物の顔は酷く苦痛に歪んでいる。それは紛れも無い、彼の愛する妻の写真であった。そして、もうひとつの写真にはやはり彼の息子が映っている。
彼が困惑している理由はその写真だけではなく、あるものの存在であった。
それは、二つの写真それぞれの前にある、赤い紅いボタン。大きさはそれ程でもないのに、酷く異質な存在感を放っていた。
寝起きのぼんやりとした頭で彼は必死に考えを巡らせるが、家族の突然の不在。二つの写真とボタン。それらが何を意味するのかはわからなかった。
カチッ・・・・
古くなったものの、時間だけは正確に伝えてくれる壁掛け時計の秒針が12に重なり、微かな音をたてたときのことだった。静かなリビングにその声は唐突に響き渡った。
「おはようございます、 石橋 栄治さん。今日はいつも頑張っている貴方にプレゼントをさしあげます」
嫌に耳障りなキンキン声で、そいつは語りつづける。
「もうとっくに見つけてるとは思いますが・・・・テーブルの上にご注目下さい!! さて、それらが誰だかわかりますよね? はいそうです! 貴方の愛する家族の皆さまです。それでは、その前の真っ赤なボタンをご覧下さい! なんだかわかりませんよね・・・・?? それらは、ずばり。奥様と息子様の生命でございます!」
彼は分けがわからず、辺りをみまわした。だが、声を発する人物はやはりどこにも見当たらない。
「奥様のほうのボタンを押せば、息子様が。息子様のほうのボタンを押せば、奥様が。それぞれ命を落とすことになります。もしどちらも選択しなかった場合は・・・・両方に死んでいただきます。
制限時間は24時間! それではお考え下さい。妻と息子・・・・どちらを選ぶのかを!!」
声は聞こえたときと同様に唐突に消え去った。小さなリビングを、静寂が支配する。彼は一人立ち尽くした。
石橋 栄治はごく普通のサラリーマンであった。そこそこ大きな会社の一社員として働いては、息子が生まれた年に買った一軒家のローン返済に追われる毎日である。だが彼はそんな普通の日々に、満足していた。
今月の末で18になる息子は父親思いの良い子に育ち、四十路に差し掛かろうとしている妻は、出会った当初の美しさを保っている。まさに彼にとって理想の家族だった。
ずっと温かい日々が続くと、そう思っていた。そう思っていたはずだった。
彼はのろのろとリビングを出ると、家の中を歩き回る。声の言っていたことを信じる気にはなれなかったからだ。はたして・・・・家族はどこにも居なかった。
それだけではない、携帯もメールもいっさい通じることがなかった。それでも、彼はかすかな希望にすがり、家族が何処からか帰って来るのを待ち続けた。
時計を見る。その針はちょうど1時をさしている。声が聞こえた時から、16時間が経過していた。家族が帰ってくる気配はまるで無かった。やはり、声の言っていたことは事実なのだろう。それを認め、彼はボタンを睨みつける。
まず浮かんできたのは、妻の顔。
会社終わりに、飲んだくれて帰る彼を嫌な顔一つせず迎えてくれる優しい妻。彼女は彼にとって、もはや自分の一部であるかのように大切な人だった。
次に浮かんできたのは、息子の顔。
反抗期の欠片さえ見せない息子。必死で勉強し、志望校に合格した息子は彼の誇りそのものであった。
どちらかを選ぶことなどできるわけがなかった。だが、選ばなければ2人とも死んでしまう。
写真の妻と息子を見つめる彼の目から、涙が一筋流れ落ちた。彼は静かに目を閉じた。決断しなければならないときは、既に5時間後に迫っていた。
『私は妻と息子を愛している。
その愛は決して偽物ではない。だからどちらかを選ぶことなんて出来るはずがなかった。
のこり時間はあと1時間もない。だが、私はもう迷うことはない。
おそらく私はどちらのボタンも押すことなく、この世から消えるだろう。
私は、妻と息子を殺すのだ。自分の手で直接殺すわけではない。それでも、私の決断が私の愛した者たちを殺すことに変わりはないのだ。
私の心はそれに耐えられない。だから私は・・・・』
「あ~あ、こんなの書いちゃって・・・・・・」
女は手にした薄い手紙のようなものをびりびりに破りすてた。
「母さん。父さんは本当に僕らを愛していたんですね」
呆れたように女を横目で見やり、青年が呟いた。
「そうかもね。あら、私だって彼を愛していたわよ。
ただ、なんにも変わらない毎日に飽き飽きしたの。彼にはもう何の魅力もないもの」
「だから、殺したんですか?」
「いやね、人聞きの悪い。彼が勝手に死んだだけよ。」
女の言葉に青年は頭上を見上げた。そこにはかつて、父親と呼んだモノが静かに揺れている。その両目はかたく閉じ、二度と開くことはない。
「・・・・・・・・」
女はそれを無情に見つめている。
「ごめんなさいね、あなた。私もあなたと一緒。人殺しの罪なんて背負いたくないの」
女は言い、そのまま背を向けて歩きだした。
青年はもう一度吊り下がった男をしっかりと見据え、女に続いた。
開け放されたままのドアから風がリビングに吹き入れ、
『愛している』
その想いだけが小さく揺れた。
ありがとうございました。