騎士色の決断
「行かないで」
小さなため息をついたあと、テオリアは言葉を続けた。
「とは、言いません。止めても聞いてくれないでしょうから。でも、一つだけ約束して下さい。何があっても、必ず帰って来てください」
頷いた。
「はい、必ずここに帰ってきます」
「やっぱり、行っちゃいやぁ」
フィリスが抱きついてきた。もとい、私の直前でジャンプしたため、腹部への的確な頭突きになった。息が詰まり、言葉が続かなかい。本当は、続けるべき言葉を用意していたのだ。
テオリアがいつもの笑みを見せる。つられて、私も笑った。私を見上げるフィリスは頬を膨らませている。
「分かりました。あなたとファーンの帰りを待っています」
無言で頷いた。最後のチャンスだったかもしれないが、やはり、言えなかった。彼女への無用な制約になる。考えすぎかもしれないが、自分勝手に出て行く者としての負い目が足枷になったのだろう。しかし、自分の意志で約束をした。必ず、ここへ帰ってくる。私の数少ないとりえは、約束を破らないことだ。ならば、今回も守る。
闇の鐘との戦闘から三週間が経っていた。
アーフィルと私がシトカを守ったあの日、デュレク率いるベドガ騎士隊もベドガを守り抜いた。ベドガの戦いでは、極めて少数だが、予期せぬ援軍があったらしい。ベドガ騎士隊が奮闘しただけでなく、その援軍が大きく貢献したからこそ、戦略による劣勢を跳ね返して勝利を得た。
闇の鐘は壊滅した。残党はいるが、ベドガ騎士隊に対抗できるほどの力はない。しばらくは小さな混乱が続くかもしれないが、ベドガ騎士隊が適切に対処するはずだ。長期的な視点でみれば、この地方にはこれまで以上の平和が訪れる。
デュレクとは、戦闘の翌日に会った。副隊長のグストフが、デュレクからの伝言を携えて家に現れたからだ。負傷と衰弱から回復していなかった私は、彼と会うために無理をおしてベドガへ向かった。
デュレクから求められたのは、アーフィルの戦いに関する報告だった。満身創痍でベッドから起き上がれなかったデュレクに対し、私は華美に装飾することを避け、ありのままを伝えた。戦闘のあとに見た幻については話していない。デュレクが知りたかったのは現実であり、肉体を失った魂が残した軽口ではない。
無二の親友を亡くした男は、終始、無言だった。一滴の涙すら浮かべず、唇を強く噛みながら慙愧の表情を浮かべていた。別れ際に一言、「アーフィルを殺したのは俺だ」と湿り気を帯びた言葉を吐き捨てただけだ。
もし、彼が酷く落ち込むようであれば、立ち直るまで騎士隊長の任務を補佐するつもりだった。また、むせび泣くほど自我を無くすようであれば、叱咤するつもりだった。結局、どちらも私の杞憂でしかなかった。
デュレクは、騎士隊隊長として誇るべき強靭な精神力を持っている。哀しみと後悔の念は、時間が経過すれば、さらに濃くなるだろう。どんなに足掻いても、アーフィルは戻ってこないのだ。それでも、騎士たちに昏い瞳を向けることはない。ベドガの護り人は、親友を失った今、さらに強くなるしかないことを知っている。
ファーンは、一旦、家に帰ってきた。しかし、テオリアと根気強く話し合った末、三年以内に家に戻ってくるという約束をして、翌日に旅立った。少年は、ディーンとウィザーベルに師事して剣技を磨くらしい。
ファーンが旅立ったとき、私はベドガでデュレクと会っていた。結局、少年の門出にも立ち会えず、ディーンとウィザーベルにも会えなかった。特にウィザーベルに対しては、戦場で私に話した内容について詳細を聞きたかった。心残りはある。しかし、焦りはない。彼らとは、どのような形にしろ再び出会う予感がしている。そして、この予感が外れることはないだろう。私が進むべき道を行けば、彼らが進む道とどこかで交わるはずだ。
私は、旅に出ることを決めた。将来的なことはわからないが、現時点では、今を生きる場所よりも、未来へ進む道を選んだのだ。やはり、私は弱い。しかし、だからこそ、強くなる必要がある。今の私は、まだ発展途上なのだ。自分勝手で楽天的だと思うが、今はそう考えていた。
昨晩、窓辺に立ってずっと考えていた。
アーフィルを死なせてしまったという後悔は拭えない。また、テオリアたちとの暖かな生活に大きな未練も感じる。それでも私は、立ち止まらずに自分の意志で前に進もうと決めた。バルガルディア大陸においてそうであったように、イシュハーブ大陸においても私は騎士でいたい。そして、騎士であるならば、自ら困難な道を選ぶべきだ。
デュレクにも、すでに決断を伝えていた。彼は笑みを浮かべて賛成してくれた。彼が言うには、私を必要とし、私自身も成長できる場所はロシナム国内にも、国外にも数多くあるようだ。
旅立ちは明朝の早い時刻と決めた。いつ、ここに戻って来られるか分からない。しかし、迷いは無い。嫌がるほどフィリスと抱きしめ、テオリアを優しく抱擁してから、ドアを開ける。
登りゆく朝日は、必ず力強く見えるはずだ。




