表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/22

デュレクと傭兵隊隊長

 昨日とほぼ同じ時刻に目が覚めた。夜明け前だ。この時間の起床が習慣になりつつある。日課として決めたわけではない。意識するまでも無く身体が知っているのだ。規則正しい生活は、良質な訓練の基盤となる。


 ファーンはまだ起きていない。できるだけ物音を立てずに家を出た。肌を刺激する冷気が、夏が過ぎ去ったことを伝える。私がイシュハーブ大陸に流れ着いたのは、夏の終わり頃だったはずだ。季節は変わる。そして、変わるのは季節だけではない。


 訓練をするための場所を見つけていた。ファーンが剣を振る原っぱと同じような場所で、広さは倍ほどある。家からの距離は三倍ほど離れているが、ゆっくりと走れば額に汗が滲む。準備運動には適当な距離だ。


 鬼神のアジトで戦闘を行ってから二週間が経過していた。


 あの日、テオリアは昼間に人が殺されたことを知らなかった。鬼神のアジトから離れた場所で果物を摘んでいたのだ。しかし彼女は、見えざる異変を感じ取っていた。普段ならば挨拶を交わす人たちと出会わなかったためらしい。山菜や果物を摘む人々は、山菜や果物がよく採れる場所や、誰がそこにいるのかを経験的に知っている。テオリアも同様だ。天気のよい日であるにも関わらず、夕方になっても誰ともすれ違わなかったテオリアは、理由を確かめるためにシトカへ向かった。家に帰らなかったのは、果物を摘んでいた場所が比較的にシトカへ近く、また、私がシトカに居たためだ。


 偶然が、二つの命を救っていた。ほぼ同時刻、ファーンとファーンの友人は、攫われた女性を救出するために、無謀にも少年二人きりで鬼神のアジトへ向かっていた。結果から分かったことだが、最後に山を出た人が聞いた悲鳴は、実際には悲鳴ではなくチュルスの鳴き声だった。つまり、女性は鬼神に攫われていなかった。しかし、シトカ警備隊によって剣術の稽古中に保護されたファーンとファーンの友人は、警備隊から女性が攫われた話を聞かされ、無用な冒険心を燃やしてしまった。二人は、警備隊が目を離した隙に、木剣を持って鬼神のアジトを目指して出発した。


 シトカから鬼神のアジトへ向かう最短路が、テオリアが果物を摘んだ場所からシトカへ向かう道と交差していなければ、また、その時間帯がほんの少しでもずれていれば、ファーンとファーンの友人は、私が鬼神のアジトに到着したときには死体になっていたはずだ。テオリアがファーンたちを見かけたのは、少年たちの生死を分ける間一髪のタイミングだった。


 事情を聞いて弟と弟の友人を叱りつけたテオリアは、木剣を取り上げて、二人とともにシトカへ向かった。その時刻、私はガルトーシュ、ペルクスとともに家へ急いでいた。シトカに辿り着いて事情を知ったテオリアとファーンは私を追って家へ向かったが、辿り着いた先に私はいなかった。残っていたのは、ペルクスに保護されたフィリスと、テオリアを救うために私とガルトーシュが鬼神のアジトへ向かったという情報だ。


 一般的な判断としては、テオリアはより安全なシトカへ戻るか、ペルクスとともに家で待機すべきだった。予期せぬ状況に驚いたテオリアは、フィリスとファーンを家に残し、来た道を駆け戻ってシトカへ向かった。その行動自体は間違いではないが、目的は一般の女性が取るべきものとしては、正解から大きくかけ離れていた。人は見かけに寄らないと言うが、普段は朗らかでどちらかと言えば控えめにみえる彼女の行動力と体力は、この日に限って言えば、シトカ警備隊やベドガ騎士隊の誰よりも突出していた。


 シトカへ到着したテオリアはシトカ警備隊とともにベドガ騎士隊の到着を待ち、到着した彼らに鬼神のアジトまでの案内役をかってでた。ベドガ騎士隊に少し遅れて到着したガルトーシュは彼女を止めようとしたが、テオリアは耳を貸さなかった。山を知り尽くしている彼女は、結局、ベドガからの強行軍で疲労が溜まった騎士隊を半ば置き去りにするかたちで前へ突き進み、アジトから戻る私と出会った。ファーンも充分に無謀だが、姉にも同じ血が流れている。


 原っぱに到着した。空の端がようやく夜から抜けようとする時間帯だ。すぐには剣を振らない。時間はたっぷりとある。今日の体調にあわせたメニューはすでに頭の中に並べ終えていた。まずは、下半身を中心に筋を伸ばして、身体をほぐす。柔軟性の欠如は怪我に直結する。また、筋肉を連動させるためには、柔軟性が不可欠だ。


 あの日、気を失った私は、テオリアに遅れて到着したベドガ騎士隊に家まで運んでもらった。そのときの記憶は無い。翌日の昼前まで一度も目を覚ますことはなかった。テオリアから聞いた話では、「兄ちゃんを運ぶのは一度だけで充分だ」と泣き言を吐いたガルトーシュは、夜道の先導役を努めたらしい。


 意識を取り戻した私は、テオリアが作ってくれた料理を彼女が驚くほど大量に食べ、さらに次の日の朝まで眠った。栄養と睡眠をたっぷりと補給したからだろうか。次に目を覚ましてからの回復は、自分でも驚くほど早かった。筋肉痛は大したことがなく、左足のアキレス腱は数日で痛みも違和感もなくなった。明確な目的は無いが、身体の内側から湧きあがる欲求に従って本格的な早朝訓練を十日前から始めている。体力だけならば、すでに戦士としてのレベルに近づきつつあるはずだ。


 目を閉じ、呼吸を意識して身体を動かし始めた。無手で剣を振る。息を深く吐けば、空気は自然に肺へ吸い込まれる。ゆっくりと身体を動かしながら自分の動作をイメージした。汗が首筋を流れる。汗をかくほどに自分の身体としての感覚が高まり、より正確な動作が可能になっていく。


 鬼神は、あの夜に全滅した。私が倒した相手は三人だが、十五人いた鬼神は全員が死んだ。残りの十二人は、別の場所で戦闘を行った末に殲滅された。詳しい状況は知らない。アーフィルから知らされた情報だ。ポピンで会ったベドガ騎士隊副隊長は、戦闘の三日後、私と鬼神との戦闘を確認するため、私に会いに来た。


 鬼神との戦闘にベドガ騎士隊は関与していない。また、表向きには、鬼神は闇の鐘との抗争に敗れたことになっている。しかし、実際に鬼神が殲滅された現場を確認したアーフィルは、別の見解を持っていた。理由は簡単だ。死体は、殺した者の技術を雄弁に物語る。鬼神を死体にかえた人間は、盗賊とは明らかに一線を画した技術と膂力の持ち主だった。


 鬼神を屠り去った相手の人数は分からない。分かっているのは十二人のうち半数は弓で、もう半数は剣で倒されたという事実だ。矢はその全てが急所を正確に貫き、剣による裂傷は常人を遙かに超えたものだった。


 「たとえて言うなら、熊が全力で剣を振ったようなものです。まあ、本当に熊なら、わざわざ剣を使う必要はないですけどね」


 アーフィルは、やわらかい口調で話した。ポピンで会ったときよりも、感じの良い印象を受けた。テオリアやフィリスに不躾な視線を送ることも、高圧的な態度に出ることもなかった。この国の慣例は知らないが、ザクトスの慣例でいえば副隊長としては若い。ポピンでディーンが言ったとおり優秀なのだろう。


 木剣を構え、型の稽古を始めた。木剣はシトカ警備隊の備品だ。使用する者がいないという理由で、ガルトーシュから譲ってもらった。剣を振りながら、地面と身体の中心軸を意識した。力の源は地面にある。上半身だけで剣を振ることはできない。足の親指の付け根で地面を強く踏みしめて反発する力を吸収し、吸い上げたエネルギーを下半身と腰の捻りで増幅させて肩から腕へ伝播する。力の流れを想像しながら、ゆっくりかつ柔らかく身体を動かした。戦場では、動作の一挙手一投足を意識する余裕は無い。だからこそ、訓練の場で全身に刻み込む。体力のみをつけるのではない。闇雲に力を込めて身体を動かしたところで、筋力はついても技は上達しない。技術を身につけるには、意識して思考することこそが重要なのだ。


 しばらく剣を振り、少し休憩を取ってから、再び木剣を握った。先ほどと同様に型の稽古を繰り返す。ただし今度は、全身の動作および、筋肉や関節の連動を意識した。動作が緩やかであればあるほど、誤魔化しはきかない。不自然な動作は浮き彫りになる。しっくりこない動作があれば、何度もその動作を繰り返して修正した。


 訓練に没頭した。間違いなく幸せな時間なのだろう。剣を振っているときは、時間が飛ぶように過ぎていく。顎の先から滴る汗に気づいたときには、早朝の時間帯を完全に過ぎていた。朝日が視界の全てを照らしている。


 訓練メニューの最後は、実戦を想定する。戦場を思い浮かべながら、全力で剣を振った。


 明示的に誰かから教わったわけではないが、訓練は、理解、反復、実戦の繰り返しだと考えている。頭で理解し、動作を反復して技術を得る。習得した技術は、効果のほどを確認するために試合などの実戦で試す。実戦の結果から、さらに強くなるために必要な要素を学び、反復動作によって再び技術を磨く。この繰り返しだ。


 早朝訓練は一人で行っているために実戦が欠ける。そこで、擬似的な実戦として、仮想的な相手を目の前に浮かべて刃を交える。訓練を始めた数日は、すぐに息が上がってしまい、敗北を繰り返した。実際、剣を振ることに必死で、相手をイメージすることすらままならなかった。


 今は違う。明確な相手が目の前にいる。この大陸で出会い、私を完膚無きまでに叩きのめした男、ディーンだ。俊敏で動作に無駄が無い。私と同様に訓練によって身につけた動作だ。戦場における経験値も間違いなく高い。騎士隊隊長だった頃の私であれば勝てるかもしれない。しかし、今の私では勝てない。だからこそ効果がある。


 目を閉じ、あのときの彼の姿を思い浮かべて目を開ける。誰もいない空間に、ディーンの姿と強烈な存在感が蘇る。


 ディーンは私よりも強い。向かい合えば、ディーン自身も感じるだろう。だが、勝機はそこにある。戦闘になれば、私は死を覚悟する。状況が許せば、躊躇無く相打ちを狙う。また、脚を斬られようが、腕を落とされようが、さらに大きなダメージを与えられるならば喜んで前に出る。しかし、自分の優位性を知っているディーンは違うはずだ。彼は、身を削り、生命を磨り減らすような選択肢を選ばない。つまり、選択肢の数は私の方が多い。最善のそれを効果的なタイミングで躊躇無く掴めば、少なくとも主導権を奪うことはできる。


 気がつくと、全身が汗で濡れていた。完全に息が上がっている。ディーンが操る左右の短剣を幾度と無く身体に受け、その半数程度の斬撃を彼に与えていた。


 息を整えながら、家までの距離を歩いた。疲労感はあるが身体も気分も軽い。頭の中は心地よい空白に満たされていた。以前のように不安を感じたり、精神的な恐慌に陥ったりすることはない。今でも、二度と戻ることができない場所を懐かしむ瞬間はあるが、現実と願望を見間違うことは皆無だ。


 私は一度、死んだ。私の中に存在する世界自体が砕け散ったのか、それとも、進むべき道から転げ落ちただけなのか、正直なところ分からない。おそらく両方だと思っている。信じるべきものを見失い、精神世界が瓦解して深淵へ落ちたのだ。テオリアに手を差し伸べられて再び光を浴びた私は、はたして自分の足で立っているのだろうか。もう一度、世界が崩壊するとしたら、今度は自らの足で立ちあがれるのだろうか。答えは出ていない。ようするに、私はまだ、自分自身を信頼することができない。しかし、自分が弱い人間だったと知ったぶんだけ成長したのだとも思う。知らなければ、私は弱い人間のままだった。この経験は、きっと未来で活きるはずだ。


 家の前では、愛らしい笑顔が待ち構えていた。私の姿を見つけると、フィリスは口を大きく開けて息を吸った。


 「ファラッシュお兄ちゃん、おはよう」


 言うが早いか、こちらへ駆けて来る。走る姿に愛らしさは感じられない。小さな猪の突進だ。


 「おはよう」


 軽いため息とともに声を出した。汗まみれで少女を抱きしめたいとは思わないが、私の想いと少女の想いは一致しない。フィリスは、鬼ごっこでもしている気分なのだろう。私は、前へ進む大げさな動作をみせ、すぐに横へステップしてフィリスを躱した。抱きつく対象を失った少女は、見事に転びかける。怪我をさせるわけにはいかない。反転しながら少女の肩をつかみ、やさしく地面に降ろした。ほっとするのは、まだ早い。少女が振り返る前に家の中に駆け込んだ。家の中では、一部始終を見ていたテオリアの笑顔が待っていた。


 私は変わった。バルガルディアにいた頃の私は、常に進むべき道の先を見ていた。未来の私へと続く道だ。今は違う。当然だ。あの場所では、親友や多くの人が支えてくれたからこそ、私は前だけを向くことができたのだ。イシュハーブにいる今の私には、存在を許された場所がある。この場所で、大切な人たちとともに生きている。どちらがいいのかは、分からない。おそらく、比較すべきではないのだろう。有体に言えば、根底に存在する価値観が違のだ。自分に自分以上の意義を求めて邁進する生き方もあれば、他人から認められることによって自分の価値を知る生き方もある。


 肉体的、および精神的な強さのみを比較すれば、バルガルディア大陸にいた頃の私は、今の私よりも強い。しかし、この場所は私の弱さすらも肯定してくれる。彼女たちは、私に今以上の価値を求めない。環境に甘んじているのではなく、私は私であることに満ち足りていた。


 ここ数日、あることを考えていた。彼女たちのために、現在の私にできる最大限の行動を取りたい。自然な欲求だ。昨晩、私の中で具体的な結論を出し、テオリアに相談した。彼女は、いつものように、優しい言葉を返してくれた。


 「いいですよ。でも、約束して下さい。あくまでも警備するのであって、ふらふらと自分から危険の方へ寄っていっては駄目ですよ」


 後半部分に限っていえば自覚が足りない彼女は、微笑みながら、もう一言付けくわえた。


 「でも、最近、元気そうでなによりです」


 彼女の一言で、私はシトカ警備隊への入隊を決めた。今後、テオリアたちに何らかの危険が及ぶようであれば、私が必ず守る。その決意の延長として考えついたのだ。


 鬼神は全滅した。しかしまだ、闇の鐘という盗賊団が存在する。本業を別に持つ警備隊のメンバーは、緊急時に実質的な戦力とならない。また、ベドガにいる騎士隊がシトカに到着するまでにはかなりの時間がかかる。治安がよいという恵まれた条件が生み出した状況だが、有事におけるシトカの警備は手薄と言わざるを得ない。実は、ガルトーシュからもシトカ警備隊のメンバーになって欲しいと頼まれていた。副次的とはいえ、鬼神との戦闘によって、シトカ警備隊は戦力としての私の能力を認めてくれた。


 私が仕事を探していることを知ったガルトーシュは、警備隊の専属メンバーとして給料を出せるようにシトカの商業組合に掛け合って調整してくれた。四人で生活するには充分な額ではないが、それでも、彼の行為は嬉しかった。また、警備隊として成果を上げれば、テオリア三兄弟だけでなく、彼やシトカの人々への貢献にもなる。剣の道は捨てたなどいう狭量な考えは捨てた。今日、シトカでガルトーシュに伝えるつもりだ。


 朝食を終え、体を休めながらフィリスと遊んだ。フィリスは楽しそうに私に話しかけ、私も言葉を返した。もちろん、相変わらず圧倒的に私の口数は少ない。元気すぎる少女を持て余し始めると、テオリアに視線を送って助け船を求める。助けてくれるかどうかは、彼女の表情をみても、まだ分からない。読み違えているかもしれないが、気まぐれ、もしくは楽しんでいるのだろう。




 来訪者がやってきたのは、昼前だった。シトカへ向かうために家を出て、山道を下り始めた直後に、道の先から声をかけられた。


 「やあ」


 笑顔を浮かべて右手を上げた男は、無精髭を生やしていた。髭のために趣が増しているが、無かったとしても精悍な顔つきだ。


 「出てきてくれてよかった。もう少しは待つつもりだったが、せっかく、早起きをしてここまで来たんだ。昼を過ぎても外に出ないようなら、家まで呼びに行くつもりだったよ」


 近づいてくる男の体型は明らかに戦士然としていた。頬には、幾筋かの切り傷の痕が見える。印象としては傭兵にちかい。制服も着ていないが、帯剣用のベルトはアーフィルと同じだ。ベドガ騎士隊だろう。


 「勝負をしよう」


 目の前で止まった男は、笑顔を浮かべたまま、全ての説明を省略してそう言った。私よりも長身で、身体に厚みもある。先日戦った鬼神ほどではないが、鍛え上げて引き締まった身体だ。男は顎を撫でながら私の全身をまじまじと見つめて頷いた。次いで、私の表情を一瞥し、さも驚いたように栗色の髪を掻きあげた。


 「悪い。まったく、説明していなかったな。そういえば、名前もまだか。デュレクと言う。あんたはファラッシュだな」


 頷いた。


 「鬼神を、それもサイガとベドレを同時に倒したという腕前に興味がある。とはいえ、まずは確認しておきたいんだが、あんた、本当に一人で倒したのか?」


 答えなかった。勝負をしたいと言ったにもかかわらず、表情には緊張も気負いもない。私よりも年上に見える風貌から推測して騎士としての経験は浅くない。ベドガ騎士隊に属する好戦的な腕自慢というところか。


 「アーフィルが言ったとおり、生真面目というか、なんか固い感じだな。まあ、それも騎士の資質と考えれば悪くはない。基本的に、訓練をさぼらない真面目な奴ほど強くなるからな。さて、行こうか」

デュレクは、私の同意を求めずに踵を返して歩き出した。私は立ち止まったままだ。悪い男では無さそうだが、単なる腕自慢の相手をする気はない。今日は、シトカでガルトーシュに会う約束をしている。

デュレクが振り返った。


 「立ち止まってないで、さあ行こう。ここへ来る途中にいい広場があった。足場はあまりよくないが、実戦では場所を選べないときの方が多い。贅沢は無しだ」


 マイペースな男のようだ。私の思惑など、全く考えていない。


 「なぜ、私と闘いたい?」


 「闘うための理由を問うか。いいね、さぞかし騎士の制服が似合うだろう」 


 デュレクは、口元に笑みを浮かべた。


 「あんた、やっぱりどこかの騎士だな。傭兵と言ったアーフィルの見立ては間違いだ」


 深く考えているようには見えないが、当たっていた。洞察力は悪くない。ベドガ騎士隊副隊長を気安く呼ぶ男。個人的な友人だろうか。それとも、もしかして、同格の副隊長か。


 「気づいたようだな。正解だ。俺はベドガ騎士隊の隊長を務めている。勝負したい理由は、あんたの活躍を聞いたからだ。噂通りの腕前で、かつ真摯に望むのであれば、隊長の座を譲ろう。もちろん、俺に勝てばの話だ。そこその腕前だったらベドガ騎士隊への入隊を認める。もし、噂の方が実物よりも上だった場合は……そうだな、俺も騎士だから他言はしないが、懇願されても騎士隊には入れない。回答になってるか?」


 無言で頷いた。無精髭の男がベドガ騎士隊隊長とは、私の予想を超えていた。私も騎士隊隊長だった経験を持つが、目の前の男は、明らかに私とは異なるタイプだ。一見すれば、強引で自分勝手のように写る。しかし、他人を見る目を持ち、決断力もありそうだ。優秀だと仮定すれば、リーダーシップによって積極果敢に騎士を率いる隊長というところか。


 勝負をすることにした。相手は騎士隊隊長で、ベドガからわざわざやってきたのだ。断っても簡単には諦めてくれそうにない。拒絶して家まで来られては大変なことになる。ファーンは喜ぶかもしれないが、テオリアは驚くだろう。勝負をしたいなどと目の前でデュレクが言い出せば、血相を変えて騎士隊隊長を追い出そうとするかもしれない。


 デュレクと並んで歩き出した。先ほどと同じで、彼は空模様の話でもするかのように語りかける。

「あの夜、鬼神は全滅した。残りの兵隊たちもあんたがやったのか?」


 「違う」


 「そうだよな。そっちも相当な腕前だが、サイガとベドレをやった剣とは明らかに違う。しかし、誰だか分からんというのは気味が悪いな」


 まるで友人にでも話しかけているようだ。曖昧に頷いたが、心当たりがないわけではなかった。卓越した剣術の持ち主ならば知っている。短剣を得物とするその男は、流星の弓使いと同じ名前であり、連れていた男は巨大な剣を持っていた。


 「この地方は治安がいい。しかし、善人だけが住んでいるわけじゃない。闇の鐘もいれば、鬼神もいた。鬼神が全滅したのは喜ばしいが、闇の鐘は残っている。良くも悪くもバランスは崩れるだろうな」

「なぜ、そんな話をする?」


 「なぜって、あんた、こんな話好きだろう。さっき、騎士と言われて否定しなかった。仮に騎士なら、単なる兵隊じゃないさ」


 答えずに、苦笑した。駆け引きが好きな性格なのだろう。私の反応によって、その奥にあるものまで読もうとしている。


 デュレクが勝負の場所として見つけたのは、私が早朝訓練を行っている場所だった。広場の真ん中あたりに、木剣が二振り置いてある。デュレクが二本とも拾った。


 「望むなら、真剣でもいい」


 一瞬だけ、デュレクの瞳が煌いた。私は、首を横に振った。実力が伯仲していれば、どちらかが大怪我をしてしまう可能性もある。彼の目的は私の腕前を測ることだ。命を賭ける理由にはならない。


 「じゃあ、こいつでやるか。俺に勝ったら、騎士隊長の座をくれてやる」


 デュレクが片方の木剣を私に渡し、帯剣していた剣を地面に置いた。


 「隊長の言葉としては軽いな」


 「違うよ。決意表明さ。それくらいの意気込みで闘う。それに、敗北して何も失わないなんて、おかしいだろう。強き者には弱き者を守る権利があるが、弱き者により弱き者を守る資格なんて無い」


 笑顔を浮かべているが、ほんの少しだけ声に力が籠められていた。敗北して何も失わない世界。たしかに、騎士が生きる世界はではない。戦場における敗北は、己の絶命に等しい。目の前にいる男は心構えも含めて戦士のようだ。騎士としての純度も高く、剣の腕も相応に違いない。


 デュレクが剣を構えた。碧眼が放つ視線に力が加わる。面白い構えだった。重心が身体の中心ではなく、やや後ろにある。上体を後ろへ反らしているためだ。バランスを保つための下半身の構えも独特で、通常の構えよりも膝を曲げて踏ん張っている。この大陸で生まれた流派だろうか。もしくは、我流の剣だ。剣術試合で対戦することは少ないが、実際の戦場であいまみえることは少なくない。


 私も構えた。ほぼ同時に、デュレクが躍動した。充分に力の乗った斬撃。躱さずに、剣で受けた。デュレクは止まらない。数合剣を重ね、私は右側へ回り込むように下がった。間をおかずに、デュレクが追ってくる。


 戦い方は、それ自体が性格の一部を表す。攻撃と防御のどちらに重点を置くか。力で攻めるか、技で攻めるか。短期決戦で決めようとするか、相手の出方を見ながら長期戦に持ち込もうとするか。デュレクは、出会い頭に「勝負をしよう」と声をかけてきた。予想通り、彼の剣は、攻撃に重点をおいている。力の籠もったデュレクの連続攻撃を受けきり、再度、距離をとった。


 やはり、我流だろう。ただし、凡百の戦士が気ままに振っている剣ではない。しっかりと磨かれていた。おそらくは、習った剣術を、修練の早い段階から自分に合わせたのだ。剣の振り方に癖があり、予備動作が大きいため隙が出来やすい。また、ときおり使う大きなフェイントも、相手によっては逆効果だろう。しかし、剣術学校で習った通りに剣を振れば強いかといえば、そうとは言い切れない。マイナスの側面もある。剣術学校で教える剣術は、たしかに最も理に適った技術だが、あくまでも誰にでも当てはまるように平均化された体系であり、個人の差異や特長は無視される。相手が熟練者であれば、動きも読まれやすい。


 再び、デュレクが斬り込んできた。加速する刃には充分な力が伝わっている。先ほどと同じように剣を受けた。デュレクは防御を考慮せずに、体勢を整えつつ次の攻撃を放つ。速度と力強さは充分だが、瞬間的に急所が空き、下半身の連動が遅いために身体の軸がぶれる。ただし、一撃目が強力であり、二撃目までの動作が素早いため、隙をつくことは難しい。デュレクは攻撃を四度繰り返し、自分の体勢が完全に崩れる直前で、自ら距離をとった。


 実戦によって練り上げ、身体に刻み込んだ剣術だ。頬の傷は、その過程で受けたものだろう。身体には、おそらく、無数の傷跡があるはずだ。


 デュレクが構えるまで待ってから攻撃に転じた。連続攻撃。剣から伝わる力や純粋な剣速を比較すれば、私とデュレクのそれはほとんど同じだ。ただし、私の剣には予備動作が無く、打ち込む場所もタイミングも正確だ。数合打ち合うと、デュレクの体勢が揺らぎ出した。さらに、攻撃を続けた。デュレクの剣が明らかに遅れ、決定的な隙ができる。最後の一撃。振り下ろす寸前に、デュレクが予想外の反撃を繰り出した。身体ごと前に飛び込みながら突きを放つ。私の胸へ真っ直ぐに駆ける剣先を弾き跳ばしながら、斜め後ろに下がった。


 大きく息を吐いたときには、デュレクはすでに構えていた。上体を強引に倒したように見えたが、柔軟性の高い下半身でしっかりと支えていたようだ。加えて、激しく動いたにもかかわらず、息を切らしていない。高い身体能力と、窮地に陥った状況でも怯まずに前へ出る精神力。戦場で迎え撃つ相手としては、極めて厄介なタイプだ。


 「綺麗な剣術だな」


 言葉を終える前に、デュレクが剣を振り下ろした。怒りを感じていれば、もしくは、油断して言葉を返そうとしていれば、私の反応は遅れ、彼の攻撃は奇襲になっていた。しかし、私も昨日今日騎士になった人間ではない。奇襲を受けたふりをして、真後ろへ後退した。


 剣が噛み合い、束の間、動きが止まった。デュレクが、にやりと笑って後ろへ下がる。呼び込まれたことに気づかれてしまったが、そうなることは半ば予測していた。彼は駆け引きを得意とする人間だ。むしろ、驚くべきはデュレクの体力だった。瞬発力を酷使しながら、疲れた表情をみせない。日々、激しい訓練を己に課しているのだろう。無駄の少ない動きをしている私の方が、息があがっている。


 「剣術試合では、一等賞だっただろう」


 奇襲は来ない。自然に思いついた言葉を返した。


 「その通りだ。ただし、戦場でもそうだった」


 先ほどのデュレクと同じように、言葉を吐き出すタイミングで踏み出した。剣を振り上げて、一瞬、止める。精神的なフェイントだ。反射的に私の剣を受けようとしたデュレクの動作を確かめ、タイミングをずらして剣を振り下ろした。彼の表情を読む。微かな動揺。主導権は握った。連続して攻撃を放った。勝負を決める一撃を狙うのではなく、厳しく隙をつきながら体勢を崩していく。四合打ち合うと、デュレクに決定的な隙が生まれた。


 ここで決める。大きめの予備動作で剣を振り上げた。動作に反応したデュレクが、瞬時に膝を曲げて重心を落とした。視線と木剣の切っ先は、私の喉元を向いている。一瞬を見逃さない反応速度と、その反応に耐えうるだけの鍛え上げた身体。なにより、躊躇なく捨て身で前に出る鉄の意志。デュレクが跳び込むように突きを放つ。


 想定通りだ。彼と体を入れ替えるように横へ回り込み、首筋に軽く木剣を当てた。デュレクの口から小さな呻き声が漏れ、動きが止まった。


 「強いな、あんた」


 突きを放った姿のまま、デュレクは呟くように声を出した。私は、答える代わりに短く頷いた。剣の間合いから出て、額に吹き出した汗を掌で拭う。どうにか勝利を得たが、私の体力は限界ちかくまで消耗していた。戦闘が長引けば、負けていたのは私だったかもしれない。


 「なるほど。うまく応用できれば、学校で教える剣も悪くないということか。しかし、厳しいというか、言葉は悪いが嫌らしい剣をつかうな。フェイントが多く、常に隙をついてくる。悔しいが、身体よりも頭の方がついていかなかった」


 デュレクは、さほど悔しくもなさそうに言葉を出した。敗北を認める騎士隊長は、激しく動いたにも関わらず涼しい顔をしている。


 「もう一度やったところで、結果は同じだろうな。で、命を懸けてベドガと周辺の街を守る覚悟はあるか? 二言はない。本気で望むならば騎士隊長の座は譲るよ」


 「断る」


 即答した。何があっても、テオリアたちは私が守る。また、シトカの警備についても、可能な限り貢献したい。しかし、騎士隊隊長としての職務は別だ。私にはが荷が重すぎる。その資格もない。そして、そんなことを考える人間は決して受けるべきではない。


 「まあ、そうだろうな。あんたの強さは格別だ。活躍する場所は、ロシナム国の端っこじゃなくて、他にあるんだろうな。ウィザーブにでも入団するつもりか?」


 首を横に振った。デュレクは勘違いをしている。彼に説明をする気はないが、私には今を生きる居場所がある。活躍の場を求める気も、この地方に支部を持たない騎士団Networkに入団するつもりもない。


 「そうか。じゃあ、ここにいる間はベドガ騎士隊に協力してくれ。強き者は、その力を正しくつかう使命がある。ベドガ騎士隊の精神だ。たった今思いついたにしては、いい言葉だろう」


 笑顔を見せたデュレクは、木剣を地面において頭を下げた。


 その日、私は、イシュハーブ大陸で初めての職を得た。


 ベドガ騎士隊所属シトカ支部傭兵隊隊長。長い名前だ。不満はないが、明らかに思いつきで決めた名称だ。また、隊長という役職だが部下はいない。部下どころか、シトカには正式な拠点もない。隊員は私一人であり、主な職務はシトカ警備隊における新隊長の兼任だ。つまり、実質的に、専属のシトカ警備隊隊長となんら変わらない。シトカへ同行したデュレクがガルトーシュと相談して決めたのだ。


 「兄ちゃん、ベドガの護り人と知り合いだったのか。よかったな。ベドガ騎士隊の隊長職ってことはかなりの稼ぎになるぞ」


 たしかに、デュレクが私に伝えた金額は、シトカ警備隊として私が受け取るはずだった額の六倍だった。貰い過ぎだ。一旦は断ったが、「そう感じるなら、追加任務としてベドガ騎士隊の訓練をしてくれ」と、強引に押し切られてしまった。デュレクとガルトーシュは、私に意見を求めずに相談を続け、ベドガ騎士隊とシトカ警備隊との合同訓練は、週に一度と決まった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ