表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

激情色の戦場

 スローモーション。


 傷口から飛び散る赤い飛沫。その一粒一粒を見てとれた。まだ、集中力は切れていない。弾かれた私の剣は、それでも、浅くだがガルディの右肩をさらに切り裂いた。ガルディの目元と鼻筋が歪む。致命傷ではないが、確実に戦闘力を削いだはずだ。


 相手を窺いながら、小さくかつ速く空気を吸う。左腕と肩の筋肉に緊張が見えた。眼光は強烈な光を失っていない。反撃がくる。地面を擦るように半歩下がった。横に薙いだ剣が、鋭い風圧を伴って顔の直前を流れる。力強い。しかし、予測の範疇だ。強風の直後には無風地帯が生まれる。そこを突く。


 後ろに下がったエネルギーを膝で吸収した。反動を利用して相手の懐へ飛び込むためだ。戦慄。殺気に満ちたガルディの瞳が、私の動作を追っていた。


 踏み出しかけた右足のつま先を、再び地面に着いて踏ん張った。どうにか踏みとどまったが、下半身の瞬発力を続け様に逆方向へ酷使した重心移動だ。上半身を支えきれず、前のめりになった。そのままの体勢で、強引に後ろへ跳び下がる。眼前で銀光が煌き、一瞬前まで顔があった位置が斬り裂かれた。


 息の塊を吐き出し、肺を空にして空気を吸い込んだ。まずい。悪寒が背中を走る。ガルディの一撃は躱したが、無防備に急所をさらけ出していた。ふくらはぎと膝上の筋肉が、地面を踏み締められないほど震えている。今、剣が振り下ろされれば、為す術は無い。致命的な瞬間の連続が全身に刻まれ、死への距離が限りなくゼロへと近づく。頭では判っていても、全身の筋肉は、弾性を失って硬質化したゴムのように動かない。


 永遠にも感じる数瞬。生命を絶つ斬撃は襲ってこなかった。目の前では、巨体が微かに揺れている。私と同様に、ガルディにも攻撃するだけの余裕はなかった。横に薙いだ剣を途中で止め、両手で握り直して薙ぎ返したのだ。体幹や腕だけでなく、負傷した右肩にも相応の負担がかかったはずだ。それゆえに私は予測できなかったが、代償はガルディ自身にも刻まれた。右の肩口から血液の筋が流れ出ている。


 ガルディの片腕は死んだ。現時点で考えるべきは、相対的な戦闘力だ。私の疲労とガルディの負傷、どちらが戦闘力をより低下させているか。総合的に判断して、前へ出るか、それとも一旦下がるべきかを決める。後者の選択肢を掴み取り、後ろへ下がって空気を吸い込んだ。


 ガルディは下がらない。互いの視線が衝突して噛み合った。強烈な感情が湧き上がってくる。思考が押し潰されてしまいそうだ。ザクトスの新しき最強。目の前の男はそう呼ばれている。ザクトス国内だけではない。他国にも知れ渡った二つ名だ。


 「最強」


 呟くように唇が動いた。無意識に、首を横に振っている。


 ふざけるな。マグマのような怒りが胸へ流れ込み、血肉を焦がして溢れ出た。瞳が熱い。身体の中心にエネルギーの波動を感じた。立ち向かっている相手は、致命傷にちかい傷を負った一人の騎士に過ぎない。まだ鋭い眼光を携えているが、視線で心臓を斬り裂くことなどできはしない。


 暴走しそうな感情を抑え込み、もう一度、空気を吸い込んだ。ガルディも体勢を整えつつある。勝利を確実にするためには、一定の間合いをとり、相手の攻撃を受け流しながら長期戦に持ち込むべきだ。時間の経過とともに酸素負債による私の疲労は回復し、逆に深手を負ったガルディは弱っていく。衰弱したガルディが掴む選択肢も推測できた。体力が尽きる寸前、そのタイミングで猛攻に出る。私は、それすらも、無理に斬り合わずに受け流す。相手に合わせる必要はない。どれほど苛烈な攻撃であっても、予測さえできれば対応できる。ガルディが全ての力をつかい果たすまで待ち、その後で、温存した体力の半分もつかわずに打ち倒せばいいのだ。効率的で、かつ最もリスクの少ない闘い方だ。


 選ぶべき選択肢は一つしかなく、私の勝利は揺るがない。


 しかし、思考ではなく、煮えたぎる感情が強弁に訴えかける。戦術による勝利に何の意味がある。どれほどの価値がある、と。私は、単なる勝利では満足できない。いや、そんなものなど欲していない。全身を黒く染め上げるほどの憎しみ、哀しみ、そして、未だ残る憧れの欠片。マグマの芯では、不均一でいびつな感情が反発しながら溶け合っている。自分自身であるにも関わらず、制御できそうもない。


 内なるマグマが望むものは知っている。殺意の対象そのものとなったガルディを真っ向から打ち砕き、完全に破壊して絶望の奥底へと貶めたい。ガルディの瞳に映る全てを恐怖へ凍らせて殺したいのだ。そのために、剣技のみでガルディを圧倒したい。純粋かつ完全な勝利が欲しい。


 感情が思考を浸食し始めていた。分かってはいるが抗えない。短絡的な思いが、新たな選択肢を作り上げる。結論を正当化する理由など、いくらでも考えついた。酸素負債のみではなく、今の私は筋肉疲労も限界ちかくまで達している。また、長時間にわたって戦闘を続けるだけの精神的安定性も失った。やはり、長期戦は不利だ。多少のリスクを犯してでも先に攻撃を仕掛け、連続攻撃でねじ伏せてしまうべきだ。


 正しい選択肢が最善なのか、それとも感情の欲する選択肢こそが最善なのか。重心を残したまま前足を擦り出し、僅かに沈み込んだ。時間稼ぎのフェイントだ。ガルディが過剰に反応すれば、そのときは、次なる真の攻撃を放つ。


 激しい視線のみが私を打った。戦慄が顔面から後頭部へ突き抜ける。中途半端な陽動など通じない。後悔とともに自分自身への憎しみが膨れ上がった。無意識に首を横に振っている。一瞬でも抱いてしまった恐怖を恥じるかのように、黒い感情が弾けた。


 迷うな。考えるな。恐れるな。斬り裂いてしまえ。


 内なる声が脳に響き渡る。


 衝撃。先手を取られた。頭上へ振り下ろされた剣を受け止める。私もガルディも両手で剣の柄を掴んでいる。しかし、今のガルディにはいつもの圧力がない。肩口を負傷した右手は添えているだけだ。


 衝動。憎しみにまかせて、前に出た。急所を狙うことなく、叩きつけるように連続して剣を振り下ろす。剣と剣が噛み合うたびにガルディの右肩から血が流れ、力が抜けていく。


 ガルディの剣が不安定に揺らぎだした。私の感情は止まらない。殺す、殺す。そう、殺す。荒れ狂う激情を剣にのせ、無酸素運動を続けた。金属音がこだまのように鳴り響き、筋肉と関節が体の内側で悲鳴をあげる。連続動作に体幹がついていかず、剣に充分な力を伝播できない。それでも、剣を振り続けた。


 精神も感情も、肉体の限界を超えることはない。それが現実だ。生命のやり取りを経て相手の血煙を吸った者は、この戦場の真実を知っている。人知を超越した存在や、根拠の無い感覚を無闇に信じるようであれば、幸運にでも頼らない限り己の足で戦場を出ることはない。また、純粋な体力や気力の充実に頼りすぎては戦闘力にムラができる。戦士の生命は、屈強な肉体で支えられている。しかし、たった一度のミスで肉体のグラスから零れ落ちるのだ。


 一対一の戦闘であれば、相手の技術、体力の消耗、負傷の度合いを考える。また、判断すべき情報と時間的余裕があれば、性格、感情、癖も考慮する。同様の思考を自分自身に対しても行い、最終的に最善の選択肢を選び取って行動する。定常的に力を発揮するために、私が自分に課した戦闘方法だった。勝利は、この一連の思考を迅速かつより正確に繰り返した者にこそ与えられる。


 ガルディがふらつき、ついに、崩れるように真後ろへ下がった。連続攻撃をしのいだ剣は、いまや構えることすらできず、切っ先が地面を向いている。


 殺せ。


 胸の裡に溜まったマグマが叫んだ。しかし、前へ踏み出したのは感情だけだった。ガルディだけではない。私の方こそ体力をつかい果していた。重力に下半身が負け、足の裏が地面から離れない。両手で握る剣すらが重い。


 私もガルディも動けなかった。この空間だけ、時の流れから忘れ去られたかのようだ。二人の呼吸だけが聞こえる。


 時計の針を動かしたのは、私ではなくガルディだった。


 「愚か者」


 侮蔑した表情が言葉を吐き捨てる。瞬間的に頭の中で何かが沸騰した。


 「黙れ」


 叫び声を絞り出し、全身に絡みつく重力を引き千切って前へ出た。


 渾身の一撃。全ての力を賭して剣を振り下ろす。視線の先。強烈な眼光が私を射る。ガルディは、私よりも一瞬早く剣を縦に一閃させていた。剣と剣が衝突し、分厚い鉄板が破裂したかのような金属音が鳴り響く。


 頭ではない。身体が理解していた。振り下ろすタイミングが遅れたぶんだけ、私の剣には力が籠められていない。弾き飛ばされてしまう。実際に剣から力が伝わるより先に身体が反応した。重心を横に移動して受け流す。無理だ。それでも、耐えきれない。動作の途中で、今度は頭で理解した。飛び込むように斜め前に倒れこんで、ガルディとの間合いを潰す。


 肩をガルディの胸元へぶつけた。同時に、左手を剣の柄から離し、赤く染まった相手の肩口を掴む。呻き声が耳元で聞こえ、巨体から力が抜けた。肩から手を放し、掌をガルディの顎へと突き上げた。上腕の筋肉だけをつかった力の無い攻撃。ガルディの頬を掠ったが、仰け反ってかわされた。支えを失った私は前に倒れこむ。


 剣を落とし、平伏するように両手を地面に着いた。完全に無防備な体勢だ。無我夢中で剣を握り、片膝を立てて上半身を上げた。剣先をガルディへ向ける。それ以上は動けなかった。視界は真ん中以外が白くかすみ、周りの音も聞こえない。喘ぐような自分の呼吸音だけが体内から聞こえる。


 ガルディ。白い靄の向こうに見える身体は傾いていた。朱に染まった右腕を垂らしたまま、左腕のみで剣を構えている。今にも倒れそうだ。数秒間の空白。なんとか立ち上がり、後ろへ下がった。


 後悔の念が込み上げていた。感情に支配され、ガルディのたった一言に踊らされて、死地へ踏み込んでしまった。身体が反射的に動かなければ、私は死んでいた。生き長らえているのは、剣技が優れているわけでも、これまでに培った経験が生きたわけでもない。単なる幸運だ。


 逃げていた。感情の波に溺れ、本来の思考を放棄してしまった。体力が尽きるまで愚行を犯し、ようやく気が付いた。思考を止めてはならない。深く息を吸った。


 戦闘の目的はガルディを殺すこと。それが全てだ。目的を達成するためには、如何なる手段をも使う。その先の未来など、私には必要ない。


 ガルディが、前へ踏み出した。分厚い胸を上下させて呼吸している。疲労の度合いは私の方が重い。しかし、相手は片腕しかつかえない。選ぶべき選択肢を考え、最善を選び取る。あとは、行動するだけだ。


 ガルディを殺す。


 私も前へ踏み出した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ