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第6話

 夜になった。ぼくとキララにとっては、まともに会話やコミュニケーションの取れる貴重な時間帯なのだが、ナズナにとってはそうではないらしく、怯えた様子だった。ぼくたちが必要最低限の光しか灯さないものだから、それが不安であるらしい。


 なぜもっと明かりを点けないのかときいてくる彼女に、ぼくは自分の考えを述べた。つまりは、明かりを点けていた方が危険だという考えをだ。


 彼女は当然のごとく半信半疑の様子だった。今まで散々「明かりを絶やすな」と言われてきたのだから無理もない。長年続いた習慣というのは、すぐに改められるものでもないのだ。それが命に関わるものであれば尚更だ。


「でも、君は、明かりなしで生き延びたんだろう?」とぼくは言った。


「そういえば、そうです。わたし、暗闇ですっごく怖かったけど、ケモノに襲われることはなかったんですよね……」


 ナズナは不思議だという顔で、


「じゃあ、みんなの言ってることは間違いなんですか?」


「そうとも言い切れないのが辛いところだな」とぼくは答えた。「これはぼくの経験則だから、絶対とは言い切れないんだ。でも、『明かりを点けない』『機械類を持ち歩かない』『集団になり過ぎない』この3つを守ったおかげでぼくは生き延びてきたわけだから」


「今もロウソク一本ぶんくらいの光量しかないですけど、いつもこうなんですか?」


「そうだね」


 これで3年間、ケモノに寝床を襲撃されたことはないのだから、あながち間違ってもいないはずだ。ぼくがケモノによる襲撃を受けたのは、いつも明かりを絶やさないようにしたり、多くの人数が集まっていた時だった。


キララとのふたり旅になったからは、致命的な接触は起きていない。


 ぼくは夕食の準備を始める。鳩の肉は食べてしまわないと駄目になってしまうので、今夜は鳩肉で焼き鳥をすることにした。


 寝床に決めた建物は街の集会場で、掲示板に貼られた掲示物は軒並み破られたりしてなくなっていた。四隅に残された画鋲だけが、取り残されたように手持ち無沙汰にしている。


 ぼくは入り口の前に焚き火を起こし、そこで焼き鳥を焼くことにした。焼き鳥のタレなんて洒落たものはないから、塩と胡椒のシンプルな味付けだ。これでもないよりはマシだろう。


 ナズナはまだ情緒不安定であるらしく、ぼくの傍を離れたがらなかった。過剰なくらいに密着して、小さな物音にも怯えている。まだまだ元気を取り戻したとは言えない状況だ。


 そんな彼女に対抗してか、焚き火の前で星空を眺めているとキララがやってきて、ぼくの膝の上におさまった。


 きょとんとした顔を向けるナズナに、キララは無言の威嚇攻撃をしている。何だか子猫が毛を逆立てているみたいで微笑ましい。


 キララはぼくの腕を取り、「もっと力を込めて!」と言わんばかりに引き寄せる。


「あれ、今、夜ですよね?」


 頭上に太陽がいないことを確認しながら、ナズナは言った。


「その様子だと、君のところにも子供がいるみたいだね?」


「はい。今はふたり程」と彼女は答えた。「前は4人だったんですけど、半年くらい前にふたりいなくなっちゃったんです」


 ぼくは驚いた。話を聞く限り、彼女の所属していた集落はそんなに大きい規模でなかったはずだ。それなのに4人も子供がいたとは。


 出生数がゼロになり、子供は珍しい存在となっている。ましてや、この世界の環境は子供に優しくないものだ。病気になって死んでしまう子も多いと思う。


 ぼくは東北を南下する旅を続けているわけだが、途中に立ち寄った集落では、子供が全くいないのが普通だった。ひとりいれば上出来な方だ。


 ちなみに、「子供」とは現在の年齢で15歳以下の子を指す。言うまでもなく、世界に出生数の激減が知れ渡り大規模な混乱に陥った<恐怖の大魔王事件>以降に生まれた子のことである。


 2012年以降に子供は作れなくなってしまったので、この世界で一番幼い子供は2歳ということになる。2012年に身ごもり、翌年に生まれた人類最後の子供たちだ。


 その貴重な子供たちも、現在どれだけ生き残っているのか、全て死に絶えてしまったのか、全くわかっていない。ぼくが旅をして調査しているのも、彼らがどうなってしまったのか調べるためでもあった。


「夜なのに、何でこんなに元気なの……?」


「この子は夜行性なんだ……って、痛いっ」


 キララに下顎を頭突きされた。危うく舌をかむところだった。彼女はジト目で訂正しろという顔だ。


「失礼。この子はちょっと特別でね、昼夜逆転してるんだよ」


「つまり、昼間は殆ど動かないけど、夜になると元気になるっていうことですか?」


「そうだよ」


 改めて説明されると、まんま夜行性ではないか。ぼくは真実を言っただけなのに、キララのお気に召さなかったらしい。真実は時として人を不愉快にさせるのだ。


 彼女のところにいる子供は、ごく普通の子供らしい。……とは言いつつ、昔と違って子供に対する「普通」の使い方が違っているから、「普通に異常である」という意味なのだが。


「やっぱり、君のところの子供は夜になると……?」


「全然こちらに反応してくれなくなります。正直、薄気味悪いくらいです。目に生気がないんですよ。まるで人形みたいに。ここ半年は、昼間も殆ど動かないし、喋らなくなりました」


「症状……と言っていいのかわからないけど、悪化しているようだと?」


 ナズナは頷いた。彼女のキララを見る視線には、怯え半分に興味半分が混ざっている。反応の薄い人形みたいな子供しか知らない彼女にすれば、キララみたいな子は珍しく思えるに違いない。


 その話題の当事者は、大人たちが話すことなんて興味ないとばかりに足をパタパタさせて暇を潰している。黒いレーススカートがまくれているのをぼくは直してあげた。


「わたしは気味悪くて、子供には近寄らなかったからよくわかりませんけど……お姉ちゃんが言うには、そうみたいでした」


「そっか。一体何が起きてるんだろうな、子供たちに」とぼくは暗澹たる思いで呟いた。「それにしても、君にはお姉さんがいたんだね」


 親兄弟姉妹がいても、逃げたりしているうちにはぐれてしまうことが多い。彼女のように、肉親と一緒に暮らせているのは幸運な部類に入る。ぼくは自分の家族がどうなったのかなんて全くわからないのだ。


「お姉ちゃん、心配してるだろうな……」


 ナズナは遠くに視線をやり呟いた。ここから先にある集落で帰りを待つ姉のことを思い出しているのだろう。


 彼女の姉からすれば、もう3日も妹が戻っていないことになる。きっと今頃捜し回っているか、諦めてしまっているかもしれない。この世界では、行方不明=死亡という図式が成り立っているのだ。


 ただでさえ危険な集落の外の世界だ。探しにやれる人数も限られている。警察という公権力が消滅してしまった現在、行方不明者は、自力で探し出すしか手はないのだった。


 お姉さんのためにも、早めに彼女を送り届けてあげた方がいいかもしれない。妹を探しに行って二次遭難なんて笑えない話だ。


「明日には出発しようと思うんだけど、ナズナは大丈夫か? 今日一日安静にしてたから、動ける程度にはなったと思うんだけど」


「おかげさまで、随分良くなりました。本当にありがとうございます。助けて貰った上に、送り届けて貰えるなんて」


 ナズナは申し訳なさそうに頭を下げた。普通の女の子なら、ここまで他人に気をつかっていられないだろうに。きっとまだ無理をしているのだろう。そんな子を放り出すなんてできるはずがなかった。


 ぼくはいい具合に焼けてきた焼き鳥の位置を調整する。立ち込める香ばしい匂いに、思わず喉を鳴らす。見ると、ナズナもじっと焼きあがりを観察している。


「ぼくもちょうど君たちの集落に向かうつもりだったからね。気にしなくていいよ」


 まさか、向かおうとしていた集落に所属する女の子を助けることになるなんて思いもしなかった。これも何かの縁だろう。


 ナズナはぼくの顔を見て、にこりと微笑む。


「しかも、セイジさんは<キャラバン>なんですよね? うちのところにはしばらく来てくれなかったから、きっとみんな喜ぶと思います」


「まあ、過剰な期待はしないでくれよ? 年々物資は減る一方だから」


 街に残されていた食料や医薬品は、<審判の日>の次の年に殆ど略奪され尽くしてしまった。元々都市生活に慣れきってしまっていた住人たちは、野山に入って食料を探すよりも街に出て宝探しするのを選んだ。


 それもそのうちに底をつき、やっと人々は自然に目を向けるようになった。それまでの都会暮らしから、いきなり暮らしの形態を変えるのは非常に困難を伴った。この時期に失われた集落、人命は多い。


 まだ世界が荒廃してから3年である。試行錯誤をしている集落も数知れず、そのために農業経験者や狩猟の知識を持っている者は優遇された。そういった人たちはリーダーの位置について、集落の人間に対して強い影響力を持つに至る。


 聞いたところによると、力と物資にものを言わせて住人を支配している輩もいるそうだ。幸い、ぼくはそんな人間にまだ出会ったことはないが。


 ぼくが<キャラバン>をしていられるのは、横領で溜め込んだ物資に頼っているところが大きい。保管場所は東北に限られているから、ここからさらに南下していくと補給がままならなくなる。


 目的の東京まで行くには、これまでと違って地盤固めをしていく必要があった。ぼくが懲役をくらってまで造った秘密の補給地点は、ここから北西35キロ地点にある。この補給地点は有効に使わないといけない。


「さて、焼けたみたいだな」


 こんがりとキツネ色に焼きあがった鳩肉の串を取る。まだ熱いから、串の部分には布を巻いて持てるようにしてあげた。ちゃんと焼き上がっていることを確認する。スーパーで売られているような鶏肉とは違って、野鳥には寄生虫などの問題がある。まあ、それもきちんと加熱すれば問題ない。


 礼を言って受け取ったナズナは、焼きたての熱さと格闘しながらうまそうに食べた。


 キララも今日は素直に受け取ってくれた。鳩をしめるシーンを見られているので拒否されることも考えていたのだが、杞憂だったようだ。


「おいしいですっ」とナズナは言った。「最近は調味料も手に入りづらくなってきましたから、こういった胡椒の効いた味は久しぶりです」


「周辺の民家はあらかた取りつくしちゃったのかい?」


 人がいなくなった民家は宝の山であるものの、3年も経てば残されているものも枯渇してくる。流通が止まり、まず生きる糧を探す場となったのが近場のスーパーや民家なのだ。


「探せる場所は全部探しました。段々遠くまで出なきゃならなくなりましたし、そうすると他の集落の範囲と被っちゃうんです」


 聞いたところによると、集落ごとに縄張りのような範囲が暗黙のうちに決まっているのだそうだ。年中見張られているわけではないが、偶然にも他の集落の者と鉢合わせすれば厄介なことになる。


 この世界では相互に助け合い融通し合わなければコミュニティーが成り立たない。特にナズナの所属するような小さな集落は、周りから孤立してしまうと命取りになる。


 なら他のところの仲間にして貰えばいいという簡単な話でもない。それぞれの集落は非常に苦しい状況で運営されているのだ。新規に複数の人間を養える余力を持つところはないだろう。


 排他的で閉鎖的な江戸時代の「村」のようなコミュニティーが再びできあがっているのだった。


「なら、香辛料類も喜んで貰えそうだな」とぼくは荷馬車に積み込んでいる物資のリストを思い浮かべながら言った。


「きっとみんな喜んでくれますよ! 最近は塩くらいでしか味付けできませんでしたから」

 

「塩は海水を煮詰めれば手に入るからね。味付けに加えて、ミネラルも含まれているから一石二鳥だ」


 この辺は海が近いから、塩も手に入れることができるのだろう。人間には塩が必需品なのだ。その点、この地域は塩には困らないようだった。


「ちゃんと食欲があるようで安心したよ」とぼくは言った。


「わたしが弱っていたら、彼に申し訳ないですから……」とナズナは答えた。彼女は彼女なりに愛する人の死と向き合おうとしているのだ。それは喜ぶべきことだった。ずっと腐られていたら、こっちとしても困り果ててしまう。


 食事中は口数が少なかった。ぼくもキララもそんなにお喋りの方ではないし、いつも食事中はそちらに専念する。今日はいつもと違う面子での夕食となったが、彼女は静かな食事に馴染んだ様子を見せていた。


 聞くと、彼女の親はしつけに厳しかったらしく、食事中のお喋りやテレビは禁止されていたらしい。


 彼女は苦笑して、「今となっては、両親の言葉が正しかったってはっきりわかります」と言った。「日々、食事にありつけることがこんなにありがたいことだなんて、昔は思いもしなかったですから。お喋りしながらとか、テレビを見ながらなんていうのは、食物に対して本当に失礼な話ですよね」


 人間とは馬鹿な生き物だから、窮状を味あわないと理解できないことが多い。そのくせ、すぐに忘れたりするから手に負えない。ぼくとしては、今の現状は、こうして足踏みばかりしていた人類への罰なのではないかと思うことがあった。無神論者が顔を赤くして食いつきそうな話だけれど。


「静かな食事は好きですよ? お姉ちゃんと食べる時も、こんな感じですし」とナズナは言って、小さい口で一生懸命に食事するキララに目を細めた。「でも、不思議ですね。わたしが知ってる子供たちはこんな風に食事を摂りませんから。何か、義務的に栄養を摂取している感じなんですよね」


「キララも昼間はそういう感じに近いな。食べるのが面倒くさそうなんだ」


「ですよね」


 我々はキララの食事風景にしばしの安息を見出し、ほんわかと和んだ空気を堪能した。食後の白湯を出してあげると、ナズナは喜んで受け取った。今は季節的に晩夏であるものの、少ない食事量で冷えた水を飲むのは身体にもよろしくない。こういった温かい飲み物の方が適しているのだ。


 片付けを終えて寝袋にそれぞれ包まる。入り口を封鎖し、明かりを消してしまうと辺りには暗闇が溢れ出した。ぼくとキララには見慣れた風景だった。安心感さえ覚える。


 けれども、ナズナにはまだ慣れない環境らしく、怯えた様子で近寄ってきた。


「できれば、セイジさんの隣で寝させて欲しいんですけど」


「どうぞ」とぼくは言った。ぼくの寝袋には、昨日に続いてキララが無理やり収まっていた。まるでカンガルーになった気分だった。


 キララはぼくの胸元でシューマンの「トロイメライ」を口ずさんだ。彼女はピアノ曲が好きなのだ。


 たどたどしいながらもしっかりとした旋律に、今度こそナズナは声もない様子だった。彼女にとって、子供とは笑わないし泣かないし、唄わない生き物だったのだ。キララに出会って軽いカルチャーショックを経験している真っ直中だった。


 楽譜なんてないから、行ったり来たり、何度も同じ場所を繰り返しながらキララは唄っている。暗闇の中の照明のないコンサートだ。ぼくはいつもこの時間を楽しみにしているのだった。


 曲が終了し、満足気な鼻息が聞こえてきたのを見計らって、ナズナは口を開く。


「とても歌が上手なんだね、キララちゃん」


「……」


 返事を返さないキララに、悲しげな表情を浮かべるナズナ。ぼくは少し彼女たちの様子を微笑ましく思い付け足した。


「お姫様は満更でもないようだ。もぞもぞと身体を捩っているしね」


 暗闇の中でも、ナズナが元気を取り戻すのが見えた。彼女は感情表現が豊かで見ていて面白い。


「うちの子供たちも、キララちゃんみたいだったらよかったのに」と彼女は口惜しげに呟く。「そうすれば、もっと守ってあげなきゃって気持ちになったのに」


 子供は守られる存在だという認識は、近代になってから常識とされてきたことだ。それ以前は口減らしのために売られたり捨てられたりするのは珍しいことでなかったのだ。


 殆ど反応もしない、人間らしくない子供を、自身のぶんまで食べる量を減らして養おうとするのは簡単ではない。それが血の繋がらない子供なら尚更だった。


 だから彼女の言うことを理解できないこともなかった。でも、ぼくの場合は、もしもキララが何も反応をしてくれなくても、ぼくを嫌ってしまったとしても、世話を続けると思う。


 最初はアカリの娘だからという理由だった。でも今は違う。ぼくはぼくの意志をもって彼女を守ってあげたいと思っている。子供を作れなかった男が今さらながらに獲得した父性からそう思うのかもしれない。


 何があっても彼女だけは守り抜くと決めている。だからといって過保護になり過ぎるのもよくない。この世界では、強かさがないと生き残れないのだから。


 ぼくにできるのは、彼女が人類の最後を見届けるための準備を手伝ってあげることだけだ。家庭をもって幸せになって欲しいという願いは、すでに前時代的になり果てている。


 できるだけの愛情を注ぎ、できるだけの生きる力を身につけて欲しいと切に願う。


「さて、そろそろ寝ようか。明日はいよいよ出発だ」


 キララは口を尖らせていたが、頭をなでてやっていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。ぼくもその一定の小さな吐息につられるようにして眠気にまとわりつかれる。


「わたしも、手を繋いでいて貰っていいですか」とほんの少し聞こえるような小声でナズナは言った。「少し、怖くて」


 昨日の今日だ。もしかしたら悪夢にうなされるかもしれない。それだけの体験を彼女はしたのだ。ぼくはできるだけのことはしてあげたかった。手を握ることによって、少しでも安心してくれるなら、ぼくとしてもこれ以上嬉しいことはない。


 左側にキララを抱え、右手を出してナズナの手を握る。思ったよりも小さい手だった。ぼくはもっと力強い手を想像していた。そう思わせる雰囲気が彼女にはあったのだ。


 でも実際はそんなこともなかった。彼女の手は小さくて、ちょっとでも強く握りしめたら壊れそうに繊細だった。


「ありがとう、セイジさん。これで、ちゃんと眠れそうな気がします」


「どういたしまして。こんなおじさんの手だったら、いくらでも貸してあげる」


 ぼくらは目をつむって暗闇に身体を任せた。建物の外で鳴く鈴虫の声が、どこかの隙間からひっそりと滑り込んでくる。


 大きな何かに包まれている感覚がした。コンクリートの建物を飛び出して、ぼくは地球の大地に寝そべっている。眼上には満点の星空があって、数え切れない星光が何億光年の旅路の果てに地球にやって来るのだ。


 天井を塞がれていてもわかる。ぼくもきっと、あの無数の星の中に生きる住人だ。地球は自力で輝けないけれど、太陽の力を借りて青く美しい姿を漆黒の宇宙に浮かび上がらせる。


 その青い宝石に生きる住人として、ぼくは誇らしい気持ちになった。ぼくが月面や火星で生まれていたら味わえなかった感覚だ。地球人で本当によかったと思う。


 意識が沈み込み、ぼくは地球上のあらゆる場所を見ることができた。これはきっと夢だった。ぼくはその時、空を飛ぶ鳥であり、水をかきわける魚だった。大地に根を張る木々であり、地表を見下ろす雲だった。


 多種多様な生き物は「生物」だけに留まらない。地球全体が生きており、生き物だった。その中心では熱いマグマが煮えたぎり、プレートを創り出している。そんな営みはずっと昔から行われてきたのだ。


 ぼくらは地球に生かされている存在だった。あるいは地球を生かしている存在でもあった。ぼくらは互いに補完し合う存在だったのだ。それがいつの頃からか関係に綻びが生じるようになってしまった。


 それは人類の裏切り行為に等しかったかもしれない。だからぼくらは地球に見放されてしまったのだ。だから子孫を残せない身体になってしまったのだ。


 過ちというのは、いつだって気づくのが遅過ぎる。もう取り返しの付かないところまでやってきてしまった。後はもう、避けられようのない終末を待つだけだ。


それも仕方のないことなのかもしれない。悪いことは悪いのだし、それに対する罰はきちんと受けるべきだ。


「ぼくらの世代のせいじゃない」という言い訳は地球に通用しない。母なる地球にとって、100年前の人類がやったことも、今の人類がやったことも、その間に違いはない。ぼくたち人類が動物に対して行う仕打ちとそう変わりはないのだ。


「罪人たる人間」とは、昔の聖書もよく言ったものである。それがこんな形で実現されるとは、当時の筆者たちも考えもしなかっただろうけれど。


 まあ、いいさ。


 罪人は罪人らしく、最後までみっともなく足掻いてやろうじゃないか。


 ねえ、地球さん。ぼくたち人類は、まだちゃんと生きていますよ? 見えてますか?


 あなたの生んだ悪ガキたちは、とても生き汚いんです。


 ぼくはだだっ広い何も見えない空間で叫び続けた。誰かに聞いて貰おうとは考えなかった。その見えない空間の先に、ぼくたちを支配する大きな力があると直感していた。その力に向かってぼくは叫び続けた。


 それは、途方もないくらい大きく、強く、渾然としていて漠然としていた。目を覚ましたら忘れているのは明白だった。こんな形容しがたい存在を人間が表現できるはずがない。


 でも、今の状態ならわかる。


 ソイツは行き着く終着点だった。ぼくらの祖先が穴蔵で生活を始めてから今に至るまで、ずっと待ち望まれていた、長い旅路の果てだった。


 ソイツは間違いなく、ぼくらの終わりの姿だったのだ。


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