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第42話

 硬質な物体同士がぶつかる音がした。我々は戦果を確認するまでもなく次の攻撃準備に移っている。イオリの号令、石を投げ下ろす住人たち。互いに互いを確認することもなく、目に見えない相手と戦っていた。


 3度目の攻撃を行おうとした時、ついに門の向こう側から敵が姿を表した。ぼくはマンホールから顔を覗かせた作業員みたいだ、とふと思ってしまった。


 一瞬の硬直。


 相手がこちら側に乗り移ろうとする前に、ぼくは傍らの槍を引っ掴んで相手に付き出した。槍の穂先は相手の首元にやすやすとめり込んだ。ぶにゅ、という柔らかい感触の後、赤黒い血が勢いよく吹き出した。相手はよろめき、そのまま背後の空中に身を躍らせていった。


 ぼくは返り血をまともに浴びながら、「門の中央に戦力を集中するんだ!」と叫んだ。すでに投石による攻撃段階は過ぎており、間もなく門を越えて敵がなだれ込んでくるはずだった。


 中央に向かって駆け出すと、ナズナも槍を手にしてぼくの後についてきた。


 門の歪みは中央を中心に広がっており、人が2、3人は優に通れるまでになっている。そこを目掛けて<絆教>は群がっていた。最初のひとりを皮切りに、次々と敵が姿を表した。


 我々は事前の作戦通り、盾を構えつつ、槍の穂先を相手に向けた。中央を挟み込むように通路の左右に布陣している我々は、向こう側で指揮を取っているイオリとアイコンタクトをしつつ距離を詰める。


 通路はそこまで広くはないので、いきなり大勢が乗り込めるようにはできていない。門を越えたのは5人で、その後続が後につかえていた。機動性と重視したのか、かなりの軽装備で武器は持っていない。しかし後続は武器を持っているはずだ。先に侵入を果たした彼らが時間を稼いでいるうちに、武器と人員を運びあげるつもりなのだろう。


 我々に挟み込まれた信者たちは、それでも臆した様子はなかった。こちらを威嚇するような鋭い視線を向けてくる。互いに背を預けあって、左右からの攻撃に備えている。


「か、構えろっ」と少々どもりながらイオリは指示した。これまでの遠距離攻撃と違って、今度は間近で人間を刺し貫く、文字通りの「殺人」だ。さすがに何の気負いもなく、という風にはいかないようだった。


 もたつきながらも住人たちは槍を水平に構える。目と鼻の先に敵がいれば、もたもたしている暇はない。これまでの経験でそれは住人たちもわかっていた。


 ぼくの隣ではナズナも歯を噛み締め、槍を構えている。


「ナズナ、一緒にやるぞ」


 前方を見据えたまま、彼女は大きく頷いた。「はいっ、先生。一緒にやりましょう。あの時みたいに」


 槍を突き出す一瞬の間に、ぼくは彼女と一緒にこなした最初の殺人を思い出していた。思えば、あれからいろいろなことがあった。様々な人々と出会った。その一連の出来事の終末に、こうやってナズナと共に戦っている。それはとても不思議なことであるように思えた。


「突け!」


 その合図に従って、めいいっぱいの力で槍を突き出す。先程と同じように穂先が肉にめり込む感触。続いて響き渡る悲鳴。がちがちという住人たちの歯が鳴らされる音。


 何人かの住人が槍を壊していた。元々急造であるがゆえに、無理な使い方をすると簡単に壊れてしまう。彼らはぽっきりと折れた槍を呆然と見ている。そうしている間にも敵は門を越えて侵入をしてくる。


「武器が壊れた者は下がるんだ! 次のやつと場所を交代しろっ」


 ぼくの怒声でようやく動き出した者は、後方で挙動不審に待機していた者と交代した。足元には槍に貫かれ絶命した信者が倒れており、それを踏み付けることも厭わずに後続が乗り込んでくる。


 先に侵入している者が我々を手間取らせている隙に、武器を担いだ信者が門を越えて侵入していた。槍と盾も投げ込まれ、素早くそれらを手に取った信者たちは、我々に向かい合う形で相対する。


 互いに攻撃のタイミングを見計らっていた。ゆらゆらと揺れる銀色の穂先を見ていると目が痛くなる。ぼくは盾の向こう側にいる相手を見定めようとした。


 その瞬間、両腕に衝撃がかかった。相手がこちらに攻撃してきたのだ。トタン屋根を改造した盾に穂先が半ばまでめり込んで、ぼくの側にまでその刃が見えていた。ぼくは盾を思い切り振り上げた。


 相手は槍ごと身体を引っ張られて体勢を崩していた。盾に隠れていない部分を狙ってぼくは槍を突き入れた。骨盤に当たった固い感触がした。脇腹を抉るように体内に侵入した刃は、そのまま相手の身体を突き破って外側に逸れた。


 脇腹から臓物をはみ出させた相手は膝を折るようにして崩れ落ちた。ぼくはその相手を踏みつけ、心臓を狙って槍を突き下ろす。四肢を痙攣させた相手は、それっきり動くのを止めた。


 ぼくが顔を上げると、敵味方が入れ乱れた乱戦になっていた。左右に別れて攻撃を仕掛けてくる信者たち。それを迎え撃つ住人たち。双方に死傷者が発生し、床に倒れ伏しているのは敵なのか仲間なのか判別つかなかった。


 視界の端では、ナズナが鋭い気合を発し、他の住人と協力して相手に槍を突き入れていた。複数でひとりの相手をするという約束を守っているようだった。ぼくも近場にいた者と連携して背後から相手の背中を刺し貫く。


 負傷した者は、自ら動ける場合はその足で後方に下がった。後方要員が負傷者を引きずってさらに下がっていく。


 重症で動けない者は、運が良ければ仲間に助け出されたものの、大半は他の戦闘に巻き込まれて命を落とした。


 死者と負傷者で足場は悪く、<絆教>側は思うように侵攻できないようだった。我々の奮闘もあるし、狭い通路がこちらに有利に働いていることもあった。一度に大人数を侵入させられない<絆教>は、その潤沢な人員を活かしきれていなかった。


 それでも、刻一刻と門を乗り越える人間は増え続けていた。休むことなく我々は動き回るのに比べて、相手は次から次へと新しい人員が補充される。このままではジリ貧だった。


 疲労を見せ始めた住人たちと違って、ぼくは疲れを少しも感じなかった。むしろ身体中から力がみなぎるようだった。四肢の先々まで血液が行き渡り、身体を動かすごとに感覚が研ぎ澄まされていくようだった。


 槍を振る両腕が普段よりも膨張していた。手首のすぐ傍まで黒い血管は侵食してきていた。やがては手の先まで辿り着きそうだ。ぼくはそれを気色悪がっている暇はなく、力の限りに槍を水平に薙ぎ払った。


 3人の信者が横殴りにされて吹き飛んだ。その身体は門を越え落下していった。


 尋常ならない力にぼくは戦慄した。他の住人たちも目を見開いてぼくを凝視している。だがその硬直時間はすぐに解けた。相手はぼくの攻撃に少しも動じなかった。いなくなった3人ぶんの場所に新たな信者が入り込む。


 ぼくは門の歪み付近で敵を迎え撃つことにした。イオリに後方の敵を任せることを告げ、ナズナに背後の守りを指示する。ぼくの後ろについた彼女は「先生の背中はわたしが守りますっ」と槍を構えた。


 門を乗り越えようとする相手をふたりまとめて穿った。その衝撃で槍は半ばから折れ、身体を貫通されたままふたりの信者は落ちていった。


 手身近な所に落ちている槍を拾い上げ、ぼくはそれを何度か繰り返した。途中、いくらかの信者がぼくの攻撃を掻い潜っていったが、その先でイオリたちに倒されていた。


 こちらの被害も途絶えることはなかったものの、後方要員たちの奮闘のおかげで戦闘は継続できている。イオリとミヤコも存命だった。彼らは返り血に全身を染め上げながらも、何とか勝手が掴めてきたようで、的確に相手を倒していく。


 何本も槍を駄目にしながら、ぼくは門を登ってくる相手を素早く刺し貫く。顔を出した相手には、その眼部めがけて穂先を繰り出す。盾で防ぎながら上がってくる相手に対しては、おもいっきり蹴り落とした。


 疲れを知ることのないぼくの身体は、まるで化物じみていた。平時ならば大騒ぎだったかもしれない。けれども、今は殺し合いの真っ最中だった。身体の異常はむしろ好都合だった。このおかげで想像以上にぼくは敵の数を減らし続けていた。


 門の歪み周辺は、こちらの勢力下に置けている。このままいけば、逃走準備が整うまで持ち堪えられるかもしれなかった。


 もう何度目かの薙ぎ払いかわからない攻撃をした直後、ぼくは久しぶりの感覚に総毛立った。背中に氷柱を差し込まれる感覚。頭の中に響く警鐘。人の声とも思えない直接脳内に響く声。


<当タレ>


 ぼくは背後にいたナズナを抱えて横っ飛びした。殆ど無意識の行動だった。目を丸くするナズナの顔が目に入る。ぼくたちが空中に身を投げ出した後の空間が突如爆散する。コンクリートの粉塵とひしゃげた鉄片が舞う。


 地面に転がったぼくは、そのままの体勢で「伏せろ!」と怒鳴った。けれども、事態についていけない住人たちは棒立ちになっていた。その中のひとりが、上半身を弾けさせた。身体の内部から爆発したみたいだった。人間の構成物が飛び散り、ぼくたちに降りかかった。


 攻撃は続いた。呆然と血を被っている住人が、またひとり上半身を爆散させた。ここにきてようやく攻撃されていることに思い至った住人たちは、慌てて身を伏せた。


 それは砲弾のような投石だった。しかしながら、それは投石機を用いて発射されたものではなかった。ひとりの少女によってなされたものだった。ぼくは一瞬の直感でそれを悟っていた。


 行動が後少しでも遅れていたら、ぼくも今頃下半身だけの男になっていただろう。いろいろな意味でぼくは背筋が凍る思いだった。


 信者たちの侵入が止まり、その代わりに強烈な投石による攻撃が続いた。我々は頭を抱えてうずくまるしかなく、嫌な音を立てて門は損傷の度合いを深めていく。一抱えもある石をこの高さまで、この勢いで投げられるような人間などいるはずがない。もしいたとしたら、それはきっと人間から逸脱した者だ。


 ―――――白沢リンネ。


 門を飛び越えて我々の前に降り立った少女は、このくたびれた戦場の中でひとり真白な色をしていた。肩口までの髪をそよがせ、音もなく目の前に着地した彼女はまるで天使のような姿だった。けれども、それは大きな間違いであることをぼくは知っていた。真白な装束。真白な肌。だが髪は艷やかな黒。


 そしてその片目からは、闇よりも深い<黒>を溢れ出させていた。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




「再びお会いすることができてわたしは嬉しいです、お父様」


「ぼくはちっとも嬉しくないけどね」


 口元を歪めてそう返すと、リンネは「あらあら」と上品に微笑んだ。それから埃を落とすように服の裾を叩き、尻餅を付いているぼくの前にすっくと立った。


 かつてと変わらない、戦場には似つかわしくない格好だった。ちょっとそこまで出かけてくる、という風の身軽さで、薄汚れて血にまみれている我々とは対照的だった。


 ナズナを庇いながら立ち上がる。彼女の攻撃によって戦線は崩され、一気に敵の侵入が加速した。それを防ごうにも、リンネが立ち塞がっているためにどうすることもできない。穏やかに笑みを浮かべる彼女がその見た目通りの少女でないことは十分理解していた。


「囲んで倒すんだっ」


 ぼくとリンネが睨み合っている間に、フリーズから立ち直ったイオリが抵抗の意志を見せていた。それは正しい選択かもしれなかったが、今ばかりは誤りというほかない。周囲を取り囲んだ住人たちはリンネの恐ろしさを理解できていないのだ。


 忠告するのはもう遅いと悟ったぼくは、迷わずイオリの下に走った。リンネの動いた方向と別に走り出し、他の住人がサバイバルナイフで切り刻まれているうちに、イオリの壁となる。


 ぼくが抜いたマチェットとリンネのナイフが火花を立ててつばぜり合う。以前なら一息で押し込まれただろうが、今は何とか対抗できていた。攻撃を半ばで押し留めたぼくを、彼女は少し感心したように見た。


 イオリは一瞬で殺された仲間の死体に目をやり言葉を失っていた。ぼくから話だけは聞いていた彼は、この時に初めて彼女の恐ろしさを理解できたようだった。


「彼女は、ぼくが相手する。イオリたちは、他のやつらを頼む」


「だ、大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃない」とぼくは言い切った。「時間稼ぎしかできない。十中八九殺される」


 あんまりな返答にイオリは絶句した。だが仕方ない。ぼくも無責任なことを言えないのだ。勝てる見込みがない相手を前にして、「ここは任せろ」と豪語できる程、ぼくはヒーロー適性があるわけでもなかった。


「ナズナもイオリの指揮下に入るんだ」とぼくはリンネを押し返そうと力を込めた。だがびくともしない。彼女は涼しい顔のままぼくの力押しを完全にいなしていた。


「で、でもっ」


「お話はそこまでですよ。今はわたしのことだけを見てください。お父様」


 つばぜり合いになっていた体勢が崩される。彼女は腕を振り払い、返す刃でぼくの喉元を狙ってきた。全く容赦のない一撃だった。ぼくはそれを転がって回避する。狭い通路なのであちらこちらに身体をぶつけた。それでも刃の軌跡からは逃れることができた。


 ぼくとリンネはそのまま通路を進むようにして戦闘を続ける。彼女の攻め込みをぼくが何とか回避し、または防いだ。時折ナイフが身体を掠めて血飛沫が舞った。浅い傷だった。だからまだ平気だとぼくは判断する。


 戦場は刻一刻と移動し続け、その進行方向にいた哀れな住人が彼女の斬撃の犠牲となった。ぼくは大声で退避を叫んでいるのだが、いきなり持ち場に飛び込まれた後方要員の住人は、咄嗟に行動ができない者が多かった。


 白沢リンネは、人間をバターでも切るように切り裂いた。刃渡りの長いサバイバルナイフではあったけれど、人間を真っ二つにできる高性能さはないはずである。それでも実際にやってのけるのは、ひとえに彼女の非凡な力のおかげだった。


 まともに打ち合えばすぐに得物が破壊される。だからぼくはなるべく受け流すように刃を立てた。一撃をくらうたびに嫌な音を立てて火花を散らすぼくのマチェット。刃が潰され、けれどもまだ刀身は持ち堪えている。


 ぼくは長年共に過ごしてきた相棒にかけることにした。今さら他の武器に持ち替えたところで、リンネにへし折られてそれでお終いだ。ならば使い慣れた相棒で最後まで抵抗するに越したことはない。


 じりじりと後退を続ける。リンネは周囲の壁さえも走りながら攻撃を仕掛けてくる。「どこの曲芸師だよ!」とぼくは大声で毒づく。彼女はぼくを責める手を緩めず、「さすがですね、お父様」と言った。


「反応速度もパワーも以前とは段違いです。ああ、やはりお父様は<選定者>だったんですね!」


「ぼくはごく普通のバツイチ中年だよッ」一瞬動きを留めたリンネにぼくは反撃した。首元を狙った突きは、彼女が半身をずらすことによって避けられた。ぼくの腕を絡め取った彼女は、関節を極めようとしてきた。ぼくは大急ぎで身を翻し、拘束から逃れる。


「お父様の<巫女>はかなり高位の存在だと『同志』が仰っていました。その恩恵を受けるお父様の力もまた強力なのは必然……でもおかしいですね」


 リンネはナイフの血糊を吹き飛ばしながら小首を傾げた。


「ならばなぜ、前回はあんなにあっさりわたしに倒されたのですか? あの時に全力が出せなかったのはわたしも同様です。つまりは同じ条件下だったわけですが……」


「ぼくは大器晩成型なんだ」


「なるほど」


 一瞬で距離を詰めたリンネはナイフをぐいぐいと押し込んでくる。ぼくは全力でそれに抗った。金属の擦れる音が鳴る。ぼくは背中に感じる壁の感触で、通路の端に追い込まれたことを知った。


 後ろには退路がなかった。前方には腹立たしいくらいにすました表情の白沢リンネがいる。ぼくは彼女の力を横に流し、その反動で反対側に身体を放り出した。受け身を取りつつ、ぼくは脇目もふらずに駆け出す。


 背後からプレッシャーを感じる。背中をばっさり切り裂かれるのは勘弁して欲しい。ぼくは冷や汗をかきながら全力疾走した。


 途中に逃げ遅れた住人がいた。幸いなことに、リンネはぼくを追うことを優先したようで、背後から悲鳴は聞こえなかった。もしかしたら、声を発する暇もなく殺されてしまったのかもしれなかったが、それを確認している余裕はなかった。


 この時ぼくは、生涯で一番速く走れていたことだろう。オリンピック選手も真っ青の好タイムで駆け抜けたのに、あろうことかリンネはぼくのさらに先を行った。


 全力の追いかけっこだったために、得物はそれぞれ収めていたのが幸運だった。背中を切り裂かれることもなく、終始走ることに集中する。この歳になって本気走りの追いかけっこをすることになるとは思わなかった。


 次の瞬間、背中に思い切り体当たりされたぼくは、曲がり角を曲がりきれずに窓を突き破っていた。その際に目を閉じていたので、浮遊感と共に半開きにした視界に飛び込んできたのは足場のない空中だった。


 危険を覚える頃には、身体は自然落下を始めていた。空中浮遊できないぼくは、それに逆らうことはできなかった。


 手足をばたつかせて落下する。浮遊感は数秒のことだった。地面に激突する瞬間、咄嗟にぼくは前方に身体を転がしていた。運動エネルギーのいくらかは、そのおかげで相殺してくれた。ごろごろと人間タイヤになりながらも、ぼくはまだ生きていた。


 落下先はグラウンドだった。ぼくに続いてリンネが地面に降り立った。ぼくとは正反対の綺麗な着地だった。彼女はちょっとびっくりしたような顔で、「あれでよく平気でしたね」と感心していた。ぼくもその通りだと思った。


 周囲を見渡すと、まだ避難は続いていた。まずいことに、リンネに逃走経路がばれてしまった。だが彼女は逃げ出す住人たちを鼻白んだ様子で一瞥した後、何も言わなかった。興味はないと言わんばかりだった。


 ほっとしたのも束の間、球場上部の連絡路から<絆教>信者が吐き出されるのを目撃した。イオリたちの防衛線を抜かれたのだ。


 ナズナは無事なのか、あそこの者は全滅したのかという思いがぐるぐると頭を回った。どんどん信者たちはグラウンドに降りてきており、避難している住人は間もなく追い付かれてしまうだろう。


 動けない子供たちはグラウンドに取り残されており、顔なじみである世話役の女性たちは、諦めたように立ち竦んでいた。


 ……あそこにはキララがいるんだ!


 無抵抗に殺されて堪るか、とぼくは思った。素早くマチェットを抜き放ったぼくを、リンネは頬を綻ばせて迎えた。ぼくと殺し合うのが楽しくて仕方がないという風だった。顔の半分を<黒土>に汚しながらも、残された少女の半分の顔は、とてもいきいきとしていた。


「なあ、最後に教えて欲しい。どうして君はぼくのことを父と呼ぶんだ?」


「それはわたしたちの<巫女>がそう言っていたからです」とリンネは答えた。「彼女たちは我らの神託の巫女であり、導き手です。普通、彼女たちが特定の人間に興味を示すことはあり得ないんです。けれども、お父様は違った。『同志』も非常に驚かれていました。お父様こそが<もうひとつの進化の形>だと絶賛されていましたよ?」


「その、君たちの<巫女>はどうなったんだ?」


「おわかりでしょう? もう彼女たちは、ヒトとしての機能が働かなくなってきています。じきにヒトとしての命は終わるでしょう。彼女たちの役目はあくまで導き手であって、その役割を終えれば使命は果たされたことになるのですから」


 それはつまり、子供たちが死ぬということなのか。ならばキララも死んでしまう? もう二度と目を覚まさないまま、あの子が死んでしまうのか? 


 ……そんなの、許せるはずがない。


「悲しむことはありませんよ、お父様。彼らは命を終えますが、消滅するわけではないのです。<大いなるもの>の御元において、永遠に―――――」


「御託はいいよ。死んだ後にどうにかなるにせよ、ならないにせよ、死ぬことに変わりはないんだ。確かに、彼らにとっては生も死も等価値かもしれない。そこまで嘆くことではないのかもしれない。けれどもね、ぼくにとっては違うんだよ、白沢リンネ」


 ぼくは彼女の目を見返しながら続けた。


「ぼくにとって、死よりも生の方が重要なんだ。真実がどうであるかは関係ない。ぼくはこの瞬間にしか生きていないのだし、きっと生きている間にしかぼくは生きられないのだと思う。……ぼくは不器用なんだよ。死んでからのことなんて想像もできない」


「それは悲しいことですね」とリンネは言った。「人間というのは酷く醜い生き物です。一時の快楽のために、どんな汚いことだって平気でしてのける。いつまで経っても成長しない。飽きることなく、差別や偏見によって他人を傷付け続けている。それをちっとも悪いことだと思わない人間がごろごろしています。『平和のために』とうたいながら銃を撃つんです。そうすることでしか対処ができなかったのです。あまりに現実に執着し過ぎているがゆえに、罪を罪と理解できなくなっているんです。このような世界にならなくとも、人間は遅かれ早かれ自滅していたことでしょうね」


「だから人間は死ねばいいと?」とぼくは訊ねた。


 彼女は首を振った。「それは違います。死はただの結果です。我々が成すべきことを成した場合、付随してくるのが結果としての死です。それはおまけでしかないのですよ、お父様」


「おまけで殺されちゃ、こちらとしても浮かばれないと思うけど?」


「かもしれません。けれど大丈夫です。我々が大人になりさえすれば、その死は意味のあるものになるからです。どんなに愚かでどうしようもなくとも、それは幼さゆえの過ちです。幼い子供は、罪を罪と認識できず、とても残酷なことでもしてしまいます。悪いことだと理解しつつも、我慢ができなくて罪を犯してしまいます。……それは仕方のないことなのですよ。なぜなら、わたしたちは不完全な存在だからです。それは有り体に言えば、『子供だから』です」


 彼らは進化によって「大人」になろうとしているのか。罪を罪と認識できて、自らの責任を取ることのできる大人に。


 理解できなくもない話だった。しかし共感はできなかった。例え進化に至り、念願叶って大人になれたとしても、個人としての自分が死んでいては元も子もない。<絆教>の信者たちはそれを考慮に入れていないのだ。個人としての存在よりも、種としての存在に重きを置いているのだ。分かり合えないのも無理はなかった。


「なるほどね。どうにも君たちとは反りが合わないわけだ。根本から求めるものが違うんだから」


「……わたしとしては、お父様にも共感していただきたかったのですけどね」リンネはまつ毛を伏せて、「『同志』は違う道を選んだからこそ意味があると言っていました。わたしには難し過ぎる言葉です。きっと、まだまだわたしが未熟者だからでしょう」


「君はそのままでいいのか? 自分を未熟だと自覚しているんだろう? このままじゃ、死んでも死にきれないって、そうは思わないのか?」


「我らの悲願に、個人的な感傷は無用です」


 そうきっぱりと断言してのけるリンネを説得するのは無理そうだった。ぼくたちはもう和解する道は残されていないのだ。きっとこの<街>が攻撃された時から決まっていたことだったのだろうけれど、ぼくは最後まで諦めたくはなかったのだ。そうしないと、我々が迎えるのは全滅という未来だけだったからだ。


 すでに策は残されていなかった。後は徹底的なまでに殺し合うだけだ。最悪の結果だった。考えられた中でも一番最低の未来だった。現実はいつだって無常だった。


「ようやく広い場所に出られたのですから、存分にやりましょう。お父様」


 リンネはサバイバルナイフを目の前に掲げると、あろうことか刃を自らの顔に滑らせた。黒く染まった右半分の顔面から、血が溢れ出す。それは<黒土>と混じり合い、見るもおぞましい色に変色した。


 顔を引きつらせながらそれを続ける彼女は異様な雰囲気を放っていた。あの晩の焼き直しのようだった。ぼくは全身に鳥肌が立つのを感じていた。口の中はからからに渇いていた。動悸は激しく、動いてもいないのに酸素を求めて呼吸は速くなった。


 刀身に自身の血が混じった<黒土>を塗りたくったリンネは、黒い刀身のサバイバルナイフを一振りした。これまでとは違う風切り音だった。一見して劇的に変わったところはない。しかしながら、そのまとう空気が豹変していた。ぼくの直感は危険信号を最大で鳴り響かせていた。


 リンネが動いた。


 無拍子でこちらの目の前まで飛び込んできた彼女は、鋭い眼光を煌めかせてナイフを切り上げた。呆れるくらいの大振りだった。ぼくはそれをバックステップして避けた。十分に余裕をもって避けたはずなのに、ぼくは肩を切り裂かれていた。


 驚愕して距離を取る。傷口に手を当てると、見事なまでの切り口があった。服が縦一文字に切られている。まるで手術用のメスで切開されたような跡だった。あまりに鋭いせいで、一瞬痛みを感じなかったくらいだ。


 ……何だこれは?


 きちんと避けたはずなのに傷を負っている。あの妙な刀身のせいだろうか。まあ、そうとしか考えられないのだけれど。


 ただでさえ身体能力が化物じみているのに、得物までパワーアップされたのでは、不公平もいいところである。


 ぼくは回避することに専念した。あるいは距離を詰めてナイフを振り切らせないことを心がけた。ちまちまとしたせこい作戦であったが、これくらいしか対処法が思いつかない。


 避けるにしても、ナイフの軌跡から完全に逃れないと、かまいたちのように切り裂かれてしまう。何とも厄介な代物だった。


「さすがはお父様!」


「褒めるのか、殺そうとするのか、はっきりしてくれ!」


「では殺します!」


 身体を捻って薙ぎ払いをかけるリンネ。ぼくは慌てて腰を屈めた。髪の毛が水平に刈られるのがわかる。少しでも反応が遅ければ、ぼくの頭は輪切りにされていたところだ。とても笑えない。


 ぼくは屈み込んだ足のバネで、蛙跳びみたいにリンネへ突撃した。マチェットを胸に突き立てようとするが、すさまじい反応速度で対応した彼女は、その突きをナイフのグリップで受け止めていた。


 膝蹴りをされる。咄嗟に左腕を挟み込んだぼくは、直撃を免れたものの、身体を思い切りくの字に曲げさせられた。


 考えるよりも速く丸太のように転がる。リンネはぼくのいた地面にナイフを突き立てているところだった。


 顔を顰める。左手に力が入らない。折れてはいないようだった。もしも、このヘンテコな腕に骨があればの話だったが。


 彼女は大根でも引っこ抜くように豪快にナイフを地面から引き抜いた。天から一直線に地面に立つ彼女は、首だけを異様に傾げさせている。その皮膚の表面を<黒土>が滴り落ちる。地面に落ちた傍から、それは幻のように霧散する。


 黒い太陽に照らされた我々の顔色はどす黒かった。彼女はさらに真っ黒だった。綺麗だった純白の衣装は、すでに半身を黒染めにしている。じんわりと滲み込んだ泥は、彼女を犯すように全身に広がっていた。


 旋回。


 これまでのように突進してくると思われた彼女は、ぼくの左側から回り込む動きを見せた。虚を衝かれたぼくは調子を崩した。一息で背後まで回り込んだ彼女の攻撃にぎりぎりで反応した。避けきれず、マチェットを立てて打ち合おうとした。


 眼の前で、リンネのナイフがぼくのマチェットの刀身を切り進んでいた。まるでぼくのマチェットが粘土でできているみたいだった。その瞬間だけスローモーションになっていた。ぼくは自分が息を呑む音を間近で聞いた。非現実的なことが起きていた。それは何度も繰り返されてきたことだったけれど、今回のは特にびっくりだった。


 ―――――ああ、死んだかな。


 そう自嘲して哂った。鋼鉄をも切り裂くのだ。ぼくの身体など、それ程力を入れなくとも簡単に切り裂けるだろう。きっとまろやかな切り口になるはずだ。胸の位置からコロリと上半身は転げ落ちるはずだ。


 けれども、気づいたらぼくは左腕をナイフの進行方向に挟み込んでいた。意識してのことではない。気づいたらそうなっていた。全自動で動いていた。いつ動き出したのか全く気づかなかった。


 マチェットを切り裂いた黒い刀身は、ぼくの左腕にめり込み、骨に当たって止まった。冷たい金属が肉の中に埋もれているのを感じた。刃が骨に当たってかちかちと気持ちの悪い音を立てていた。


「なッ!?」


 本日一番の驚愕だったと思う。リンネはそれ以上進まない刀身を信じられない表情で見ていた。ぼくは何が何だかわからなかった。とにかくまだ死んでないと思った。そして腕が強烈に痛いと思った。


 ぼくはその瞬間を利用して逃げるべきだったのだと思う。だけどそうしなかった。できなかったのだ。なぜなら一瞬前に、ぼくは死んだと悟っていたからだ。生きるのを諦めた人間程弱くて愚鈍なものはいない。


 この絶好のチャンスを、ぼくはむざむざ見逃した。救いようのない馬鹿だった。これは殺されても文句は言えなかった。


 だからきっとこれは自業自得だった。ぼくの腹にはリンネのナイフが貫通していた。正気をいち早く取り戻した彼女の追撃だった。ぼくは間抜けな面で、己の腹部に飛び込んできている物体を眺めた。


 ナイフを捻り込まれ、おびただしい出血が始まる。


 すごく痛い、とぼくは思った。まるで噴水みたいだ、とも。


 ぼくは血飛沫を上げながら倒れ伏した。

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