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第41話

<絆教>による攻撃は散発的に続いた。相手も勝手を掴んできたようで、なるべく人的被害を少なくしようという工夫が見られるようになった。


 盾の改良や波状的な侵攻、それに火事の一件もあって、我々に対する煙幕が有効であることに気づいたようだった。


 相手は盾を用いて門近くまで接近し、黒煙をあげるような建材を選んで燃やした。大量に吹き上げられる煙のせいで対応に手間取り、目や喉をやられる住人が続出した。


 こちらも合間を縫って消火用の土砂を運びあげてはいるものの、効果の程は期待した通りとはいかなかった。地面まで高さがあるため、土砂が落下しきるまでに散らばってしまうのである。ピンポイントで火元を狙えないので、あまり有効とは言えなかった。


<絆教>は着実に門の攻略を進めていた。多大な犠牲を出しながらも、その死体さえ利用しながら正門突破の足台を造りあげていく。


 我々も黙って見ていたわけではない。何とかそれを壊そうと、上部から落下物によって崩そうと試みた。しかしながら、その落下物が積み重なる結果になってしまい、大失敗だった。


 長い棒を用いて崩す作戦は、強度のある棒が用意できず実現できなかった。


 また、<絆教>が撤退するのに合わせて門から工作員が地面に降り、直接足場を崩そうとしたのだが、その企みが相手に露見してからというもの、本隊が間近で野営するに至った。そのせいでこの案は使えなくなってしまった。


 我々と<絆教>は僅かな距離を挟んで睨み合う形になり、心理的圧迫感が否応なしに高まった。警戒にあたる人員が増やされ、敵襲があればすぐさま対応できるように、幹部は必ず残ることにした。


 3日目、4日目と籠城が続くと、<街>の住人にも疲労感が見られるようになった。定期的に鳴らされるサイレンは精神を掻き毟り、安眠を妨げた。


 攻撃のなかった昼間まで小規模な工作が行われるようになると、こちらとしても対応しないわけにはいかず、当番の者たちのみで対応にあたった。このような小規模な工作にいちいち総動員していれば、そう遠くない未来に我々は瓦解してしまう。必要最低限の戦力でやり過ごすしか手はなかったのだ。


 次第に口数は少なくなり、ちょっとしたことで言い争いが起こるようになった。<街>の内部には嫌な雰囲気が漂っており、イオリやミヤコたちは諍いを鎮めることも行わなければならなかった。


 ぼくは<街>内部の問題に首を突っ込むわけにもいかないので、淡々と防衛任務をこなした。


 相手は盾を常備しているので、一撃必殺とはいかないものの、油断しているところを狙って負傷させることはできた。


 足場が積み上がるということは、それだけ我々の位置に近づくということである。それは交戦距離の接近も意味しており、このままいけば、近いうちに白兵戦が発生する可能性があった。


 接近すればする程、攻撃もしやすくなるのだが、それは相手も心得ていた。ひとり用の盾と槍を装備した信者が見受けられるようになったのだ。恐らく彼らは突入要員なのだろう。


 それに合わせて、我々もいよいよ進退が窮まってきていた。門の上部は歪んでいるため、侵入されやすくなっている。ここから信者たちがなだれ込んだ場合、後方要員はグラウンドまで撤退し、我々は狭い通路で白兵戦を行うことになる。


 この数日で戦闘に慣れてきた住人たちも、実際に至近距離で殺し合うとなると、これまでのようにはいかないはずだ。人員の面で圧倒的優勢な<絆教>に、一気に防衛線が崩されることになる。


 一応、相手側と同じような盾と槍が用意されてはいるが、これを用いて抵抗できる住人はどのくらいいるだろうか。敵に侵入を許した時点で、彼らは背中を見せて逃げ出す者が殆どだろうとぼくは思った。


 別にこれは<街>の住人たちを非難しているわけではなく、常人ならばそうするだろうと思ったことだった。


 住人たちは民間人である。これまで戦闘訓練を受けたことのない人間が、いきなり武器を持った相手に立ち向かえるはずがないのだ。状況はこちらが圧倒的に不利であり、そんな条件下で圧倒的な敵に反抗できるのは、余程酔狂な者であろう。


 ぼくだって2人以上を一度に相手取るなんて、まっぴらごめんだった。もしもそのような状況に陥ったら、迷わず逃走するだろう。


 今回は逃走経路がないに等しいので、我々は後方要員を守るために壁になる必要があった。


 用意されている電光掲示板下の地下通路は、出口が球場の目と鼻の先である。それゆえに、ぎりぎりまで相手を引きつけないと逃げ出す前に攻撃を受けてしまう。


<絆教>は常に斥候を放っており、こちら側の動きを監視している。視界が悪いとはいっても、百人単位で人が移動すれば確実に気づかれてしまう。大勢の人の気配というのは、なかなか消すことができないのである。


 事前に練られた白兵戦プランでは、ふたり組になって相手ひとりを倒すことになっている。けれども、それを実際に行えるかは疑問だった。


 戦場となる通路は狭く、大人数になだれ込まれたら、それこそ泥仕合になる。人数に劣る我々は必然的に負けることになるはずだ。押し合いへし合いの状況下では、ひとりひとりの「強さ」なんてものは、まるで役に立たないのだ。そこでは、「運」のみが全てを決める。


 位置が悪ければ、味方の誤認によって殺されるかもしれない。踏み倒され、しっちゃかめっちゃかにされる未来もあり得なくもないのだ。


 とても心苦しかったけれど、ナズナに「そろそろ覚悟を決めた方がいい」と言わざるを得なかった。まだ負けたつもりもないし、抵抗するのを諦めるつもりもなかった。だが最悪の状況になりつつある中、いつまでも現実から目を背けているわけにもいかなかった。


 彼女はどこか悟った様子で「わかってます」と答えた。こうして戦いに挑んだ時から、最悪の未来は起こり得ることも覚悟していたと。


 ぼくはその言葉を聞いていたたまれなかった。ナズナのように未来ある若者を死なせてしまうのは、あまりにも惨い。彼女はすでに悲惨な目にあっている人間だ。酷い経験をしたぶん、残りの人生は幸せになって欲しいとぼくは思っていた。


 彼女を連れてきたことが間違いだったのだろうか、という方向へ思考が流れると、ナズナは考えを読んだように「わたしを連れてきたこと、まさか後悔なんてしてませんよね?」と指摘した。


 言葉に詰まるぼくに彼女は「やれやれ」と肩を竦め、「わたしがそういう結果論が大嫌いなの、先生も知ってますよね? そもそも、わたしが自分から付いて行くって言ったんだし、そのことの責任はわたし自身にあるはずじゃないですか。先生が責任を感じるのはお門違いです」


 一息つくと、彼女は遠くを見つめながら続けた。


「考えてもみてください。もしもこの<街>が攻略されてしまったら、次は周辺の中小規模な集落が狙われるんですよ? 仮にわたしがゆのかわに残っていたとしても、どちらにしろ戦いに巻き込まれてます。この<街>は籠城にも向いてるし、人数も多いですよね。これで駄目だったら、きっとわたしたちの所も駄目なんです。わたしの言いたいこと、わかりますよね?」


「わかる気がする」とぼくは言った。「君の言うことはもっともだ。……どうにも、ぼくは臆病風に吹かれてるみたいだ。ああすればよかったんじゃないか、こうすればまだましだったんじゃないかって、そればかり考えてしまう」


 それはきっと現実逃避なのだろう。避けがたい現実に直面した人間は、得てして関係のないことを考えがちだ。ぼくは無意識にそのような逃避行動を行なっていたのだ。肉体的疲労、精神的耗弱、知らず知らずのうちに溜まっていたそれらのせいで、ぼくはとてもネガティブになっていた。


 他人のその姿は見つけやすいけれど、いざ自分が落ち込むとなかなか気づきにくい。そこまで思考が回らないと言うべきか。


<街>全体を覆い尽くしている後ろ向きの空気は、ぼくの思考まで影響を及ぼし始めていた。言わずもがな、他の住人たちの士気低下は確認するまでもなかった。


「わたしが先生に付いてきたのは、困ってる人を全部助けたいとか、悪いやつらを皆殺しにしたいとか、そんな大それたことをしたかったわけじゃないんです。今のわたしにできることをしたかったんです。目をつむって、耳を塞いで安穏と生きるなんて絶対に嫌です。そんな風にして生きるくらいなら、わたしは困ってる人をひとりでも多く助けて死にたいです」


「そんな滅多なことを言うもんじゃないよ」とぼくは苦笑して言った。この子は外見にも名前にも似合わず、まるで炎のような心を持っている。それはあの事件のせいなのか、それとも生来持ち得たものなのかはわからない。けれども、この一途にも自分を貫こうとしている少女を放り出すわけにはいかなかった。彼女の手綱を握っておかないと、どこまでも標識を無視して彼女は走り続けるだろう。その先に待っているのは楽しくもない未来だ。ぼくは彼女にそんな結末を迎えて欲しくなかった。


「死ぬ気で難問に挑むのは悪くないけど、最初から死ぬつもりなのはいただけない。君は困ってる人を助けたいと言ったね。ならば、もっとも身近な人間である、君自身のことを忘れちゃいけないよ。でないと、自分どころか大切な人たちまで困らすことになってしまうから」


 姉や友人たちのことを思い出したのだろうか、ナズナは何とも言えない表情を浮かべた。集落を出発する時に言った「絶対に帰る」という自らの言葉を、彼女は忘れたわけではないだろう。


「わたしは、いっぺんに多くの人を助けられる程、強くはないんです。お姉ちゃんたちのことも、他の人のことも、一度にまとめて助けてあげられるんでしょうか」


「さてね。無責任なことを言って済まないけど、それはぼくにもわからない。『あきらめなければきっとできる』なんて夢物語を君に言うつもりはないから」


 現実はいつだって無常だ。そのことを誰よりもナズナは理解しているはずである。だからこそ、行動を起こさずにはいられなかったのだろう。何もしなければ、それは定められたレールを進むように現実となるのだ。けれど、行動を起こすことによって小さな変化を起こすことだってできる。


「……これはぼくも忘れてしまいがちなことだけど」とぼくは先程の弱気を恥じるように頬をかき、「地面の底で蹲ってるだけじゃ、ぼくたちは助かれない。行動を起こさなきゃ何も変わらないんだ。まずは目の前の壁をよじ登らなくちゃね」


「途中で落っこちることもありますよね?」とナズナは言った。


「大いにあり得るね」とぼくは言った。


「墜落死、いいじゃないですか。何もしないで死ぬよりずっと素敵だと思います。先生もそう思いません?」


「そうだね」とぼくは同意した。それから昼間の夜空を見上げた。不気味な太陽の下でさえ、小さな星々は美しく瞬いていた。大いに目立つ黒い太陽に気を取られて、今の今まで気付けなかった。


 ぼくは言った。「きっと地球に生まれた者として、一番名誉な死に方だと思うよ。命をもって母なる地球を全身で感じるわけだし」


 その場で身体を伸ばし、ぼくはまだ十分戦えることを確認する。墜落死するのもいいけれど、それはあくまで最後のフィナーレだ。その前にやることがある。


「ナズナ、目の前に壁があるぞ。どうすればいい?」とぼくは訊ねた。


「よじ登りましょう」と彼女は力強く答えた。「目の前に壁があるんですから」




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 儀式というものには段取りがある。それは動作であったり方角であったり日にちであったりする。<絆教>が出し惜しみするような攻撃しか行わなかったのは、今日のための調整であったのではないか、とぼくは思った。


 ついに太陽が全て隠れた。昇ってきた太陽において、辛うじて外周部分に見えていた光のリングは姿を消し、真っ黒な穴としか思えないものが中空に浮かんでいた。まるで宇宙の果てに続くブラックホールみたいだった。


 光源である太陽が失われたのだから、地上は暗闇に満たされると思ったがそうではなかった。完全な黒と化した太陽と違い、周囲の空は赤茶けた色に濁っていた。おかげで視界は確保されているものの、目に血が流れ込んだような光景が広がっている。ただの暗闇よりもずっと趣味が悪い。食欲は失せるし、空気が淀んでいる錯覚に囚われる。


「まるで世界の終焉だな」と正直な感想をもらすイオリに、ミヤコは「変なこと言わないでよ」と夫を嗜めていた。


 イオリの言うことはもっともだった。口には出さない者も、同じような感想を持ったに違いなかった。ぼくもこの光景を目にして最初に思ったことが「この世の終わりが来たのか?」という感想だった。


 のっぺりと口を開ける黒い太陽は、ペンキで塗りたくられたような不自然な色をしている。自然界にはそぐわないので、そこだけ作り物めいた雰囲気があった。出来の悪い日本映画を見ているみたいだった。


 あの太陽は光を全て吸い込みそうなのに、異常色とはいえ視界が確保されているのはどういうことだろう、とぼくは思った。目が見えるということは、何らかの光が上空から降り注いでいるということである。順当に考えるならば、光を放つ光源がなければならないのだ。


 だが不気味な空をいくら探してみても、その光源は見当たらなかった。血の海に穿たれた穴以外に、見るべきものはない。自然現象では説明のつかない事態が引き起こされている証拠だった。


 それにそもそも、いつから「正常」が失われたのか思い出せなかった。ずっとこの地獄みたいな世界に住んでいた気がする。空はいつも薄暗かった気がする。最後に青い空を見たのはいつだったか、とぼくは首を傾げた。


 地の底から悪霊でも湧いてきそうな空気の中で、来るべき時が来たのだ、とぼくは悟った。自然とそう感じた。「同志」はこの時を待っていたのだと得心した。物事には、儀式には、段取りがある。それが重要なものであれば尚更だ。


 この<黒い太陽>に何の意味があるのかはわからない。しかしながら、「同志」が執着していたのは「回帰」であり「進化」だった。この禍々しい黒点はそれを象徴するもののように思えた。


 状況が大きく動くのだろう。誰に言われるでもなく、我々は理解していた。ぼくもナズナも、イオリもミヤコたちも無言で上空を見上げていた。陳腐な言い方ではあるけれど、終わりが始まろうとしているのだ。


 積み上げられた墓標は、天の黒点を目指して屹立している。正門はすでに異界と化しており、そこにいるだけで精神を削られるようだった。


 我々の予想は裏切られなかった。正午0時。これまで、昼の間は動きを見せなかった<絆教>は、総動員をかけた。


 魔物の叫び声のようにサイレンは鳴り響いた。最後の戦いに相応しい、身の毛がよだつ音だった。何度も聞いているはずなのに、今日ばかりは耳を塞ぎたくなった。<街>全体が悲鳴を上げているようだった。


 我々前衛は、装備を槍と盾の白兵戦使用に変更していた。イオリたちは、今日、門を乗り越えられると覚悟していた。


 度重なる攻撃によって正門は歪んでおり、上部に至っては人が優に通れる隙間ができている。そこに群がるように死体が敷き詰められており、もはやそれを突き崩すことも不可能になっていた。


 昨日は水際で侵入を防いだものの、今日はそんな幸運に恵まれないことを我々は確信していた。相手は総力を結集している。じわじわと近づいてくる教団信者は、眼下の駐車場いっぱいに広がる程であった。


 これまで多くの敵を屠ってきたというのに、ここまで余力を残していたとは驚きだった。もしかしたら、あの後に援軍がきたのかもしれない。そうとしか考えられないくらいの規模だった。


 彼らの鳴らす足音が、まるで地響きのように聞こえた。前方の者は投石を防ぐ盾を構えており、その後ろを身軽な信者が槍を携えて続く。中には手ぶらの者や、スコップや鎌など、寄せ集めとしか思えない武器を手にしている者もいた。


 ここまでの信者を集めるのに、どれだけ時間がかかったのだろう、とぼくは思った。魔法のように信者を確保できたわけでもあるまい。地道に人間を取り込み、教化して、この巨大な<絆教>教団を造り上げたのだ。


 それはきっと、その名の示す通り、<絆>の力なのかもしれなかった。


 我々には理解できない思想や感情の下に彼らは団結している。新たなる種への「進化」を目標として、彼らは我々との激突を望んでいる。それは神聖な戦いであり、より優れた種が生き残るという、古来よりずっと繰り返されてきた伝統ある儀式であった。


 絨毯のように広がる人の海から、杖をついた男と、彼に寄り添う白装束の少女が歩み出た。「同志」と白沢リンネは、相手を侮蔑することもなく、味方を鼓舞することもなかった。ただ集団の最前列で、戦いの始まりを静かに指示した。


 サイレンは飽きることなく鳴り響いていた。強烈に飛び込んでくるその音色は、これが最後の戦いであること否応なしに実感させた。


 我々は緊張に身を強張らせ、大群が押し寄せるのを他人事のように眺めていた。


 効果は薄いとわかっていても、投石は行われる手筈になっていた。少しでも相手の数を減らすための苦肉の策だった。大半は盾に防がれるとしても、運の悪い人間がひとりでも倒れれば、後に続く者の障害となるはずだ。


 すでに油やガソリンは使いきっていて火計は行えない。こちらの物資も底を尽き始めている。まさに後がないという状況だった。


 後方要員は、サポート役を除いて逃走の準備を始めている。相手は狙い通り総攻撃を仕掛けてきたので、球場裏から逃げ出すことも可能になったはずだった。


 こちらが相手の戦力を見誤ったせいで、当初の「相手を減らして和平に持ち込む」という案は使えなくなった。残されているのは、最後まで抵抗するのみである。とてもシンプルで、とても具体的だった。難しいことは考えずに、相手を殺すことだけに集中すればよかった。


 その時、個別のチャンネルで無線に連絡が入った。応答すると、相手はミヤコだった。こんな時に悪いわね、と彼女は前置きして言った。


「正直、状況が悪くなったら、あなたたちはすぐに逃げ出すと思ってたの。でも違った。こうして最後まで残って、一緒に戦ってくれてる」


 ぼくは黙って彼女の独白を無線機越しに聞いていた。事実、ぼくは逃げ出す算段は考えていた。それが実現しなかっただけで、彼女が言うような立派な行為とは程遠かった。


 しかしそれを今告白するのは、非常に無粋だった。知らなくてもいいことは知らせないでいるべきだし、ぼくがここで告白しても、それはただの自己満足でしかなかった。


 ぼくたちが残ったのは、この<街>のためであると思われているのなら、それでよかったのだ。


「―――――ありがとう。それを言いたかったの」と彼女は言った。「最後までよろしく頼むわよ。湯田セイジ」


「こちらこそ、どうぞよろしく。結木ミヤコ」


 無線が切れ、敵は眼前まで迫っていた。我々は各自一抱えもある石を持ち上げ、門の縁から下を見下ろした。


 妙な興奮が周囲に伝染していた。状況は悪いはずなのに、どこか浮かれた心地がした。自暴自棄とはどこか異なる高揚感だった。恐怖はある。不安もある。けれども、これから大きなことを成すのだという期待感も併存していた。名状しがたい心情だった。今までに感じたことのないものだった。


「投擲用意!」


 イオリの号令がかかった。ぼくとナズナは門から落下しないよう気をつけながら、石を落下させる地点に狙いをつける。相手は盾を掲げて防御体制をとっている。タイミングを合わせて石を落とさなければ、大した効果は発揮できないだろう。


 じりじりと焦らされる時間だった。敵が到達するまでの僅かな瞬間がやけに長く感じた。まるで時間を引き伸ばされているみたいだった。鼓動はうるさいくらいに早鐘を鳴らしている。身体の内外で時の流れが異なっているようだった。


 怒声と共に信者たちが門に体当たりをする。


 その直前、「落とせぇッ!」というイオリの合図が叫ばれた。


 自らの鼓動、大量の落下物が盾にぶち当たる音、信者たちが門に激突する音が重なって轟いた。


 それは、最後の戦いの火蓋を切る始まりの轟音だった。

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