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第4話

 早朝特有の澄み切った空気の匂いがした。ぼくはもぞもぞと寝袋から這い出ると、腕時計をたぐり寄せて時間を確認した。午前5時10分。アラームをセットした時間まで20分程余裕があった。


 そのまま二度寝する気になれないので起きることにする。隣では子供用の寝袋にくるまってキララが寝息を立てていた。


 あどけない顔だ。気のせいか、寝ている時の方が子供らしい表情をしていた。


 眠り姫は口元に微かな笑みを浮かべている。幸せな夢をみているのかな、とぼくは思い、そうであればいいな、と願った。現実の世界は彼女に対してあまりに残酷だ。せめて夢の中では溢れんばかりの幸福に包まれていて欲しかった。


 キララを起こさないように外へと出る。目を覚ましたばかりの太陽は、栄養剤のCMに出られそうなくらいはつらつとしていた。寝起きの三十路男には辛いものがある。


「うん?」


 羽ばたき音が聞こえたので目をやると、昨日仕掛けておいた罠に一匹の鳩がかかっていた。


「鳩か……」


 人間に勝手に平和の象徴とされてしまった鳩。きっと彼らも他種族が勝手に決めた決定に迷惑していることだろう。鳩にだって個性はあるはずだ。極悪鳩がいたって不思議じゃないのに、一緒くたに平和の象徴とみなすのは個鳩を尊重していない証拠だ。ぼくだって、鳩が勝手にぼくを鳩世界の平和の象徴に決めてしまったら迷惑だと思う。


 その平和の象徴たる鳩は、食べるとなるとあまりおいしくない。すずめの方が断然美味である。それでも食べられないことはないし、この世界では生鮮食品は貴重なのである。


 罠から獲物を外し、早速しめようとすると、キララが起き出してきた。彼女は無表情なりに眠たげにしており、ぼくの姿を認めると、その手にしている獲物である鳩に視線を送った。


 ぼくはとても居心地悪くなった。彼女は「かわいそう」とも「殺さないで」とも言わなかった。ただ無言でぼくを見据えていた。これから命ある者を殺そうとしているぼくを断罪しているかのようだった。


 やれやれ、とぼくはため息をついた。


「君は見ない方がいいと思うんだけど」とぼくは言った。


 彼女は否定もしなければ肯定もしなかった。その代わりに態度で答えを示していた。この場から立ち去るつもりはないようなのだ。


 子供に殺生のシーンを見せるのは悪影響だと言われていた時代はとっくに終わりを告げていた。この世界には死の臭いが濃密に満ちている。むしろ「死」はより身近になって我々と同生するようになった。


 ぼくは彼女が見守る中、鳩の首を刎ね、羽をむしり、内蔵をかき出した。それから血抜きのために逆さ吊りにして一連の工程を終えた。


 彼女は一瞬でも見逃さないとばかりに目を見開き、鳩という生き物が食用にされていく過程に立ち会い続けた。


 作業の後、ナイフの血を拭うぼくから視線を外し、彼女は生き物から死体に、そして食料になった鳩をじっと眺めていた。


 生物の死というものを、彼女はきちんと理解しているようだった。怖いもの、苦しいもの、痛いものだと理解した上で、死から目を逸らさずに向き合っていた。生物を殺さずには生きていけない罪深い人間である現実をきちんと自覚していた。


「中に入ろう。朝ごはんだ」


 キララはぼくの声に反応し、ぼくの顔を見てから、首を刎ねられ、羽をむしられ、内蔵を抜かれたかつて鳩と呼ばれていた死体から離れていった。


 彼女は食べてくれるだろうか、とぼくは思った。殺すのがかわいそうだから、なんて台詞を吐く人間はこの世界で生きられない。その相手が人間であれ、動物であれ。加えた手心は、致命的な反撃となって返ってくるのだから。


 優しい人に育って欲しいと思う。けれどもそれは時と場合によるのだ。生きている中で、非情にならねばならない場面は必ず訪れる。その場面で中途半端な選択をして欲しくないのだ。


 例えそれが冷酷無慈悲と罵られるような選択であったとしても、行った人間の人間性まで冷酷とするのは間違っていると思う。殺人を犯した者は押しなべて非人間とは言えないし、誰にでも優しく愛想のいい非人間もいる。


 優しさと厳しさを併せ持った大人になって欲しいと切に願った。きっと、そうでなければあまりに辛い。


 彼女のたちは、恐らく人類の絶滅を目にする最後の世代なのだ。


 出発の準備を済ませてしまい、簡単な朝食にする。残り物のパンだけである。すぐに食べ終えてしまいそうな量なのに、キララは手をつけようとはしなかった。ぼくがどれだけ言ってもきいてくれない。


 やれやれ、困ったものだ。


 朝食を抜けば、後は夜まで何も食べないことになる。朝に弱いから朝食を抜く、という甘い話ではないのだ。ただでさえ彼女は羽みたいに軽いのに。栄養失調にならないか心配だった。


 この世界では医者に見て貰うこともできない。病気になれば、自力で治すしかない。もし重病にかかればアウトだ。大怪我も然り。一応、ぼくは携帯の医療器具を持っているから、傷口の縫合くらいならこなせないこともない。でも自分が大怪我した時は別だ。自分の傷口を縫うなんて真似はとてもできそうにない。ぼくはブラックジャックではないのだ。


 風邪をひくのも命にかかわることもある。満足に薬も得られず、栄養状態だって良くないのだ。なるべく食べられる時に食べ、体力をつけておかなければならない。


 まあ、薬に関しては、簡単な総合風邪薬のストックは十分にある。しかしながら、この手の風邪薬は風邪を治すためのものではないのだ。風邪のひき始めに予防する効果しかない。


 老人や子供は特に風邪に気を付けなければならないが、幸いにもキララは大きな病気をしたことがない。あの細い身体のどこにそんな抵抗力があるのか不思議だった。


 どうしても食べてくれないキララに、ぼくは悲しげな目を向けた。熊のプーみたいに純真で哀れみを誘う目だ。


 彼女はぼくの視線を無言で受け止めた。彼女の表情はツングースカの永久凍土みたいに冷たい。まだ蒸し暑い日も続くというのに、少しも雪解けていない。地球温暖化という単語は彼女の辞書にないようだった。


 ぼくは負けてられるか、と中年のプーを演じ続け……、何か嫌な響きだ。まるでぼくが穀潰しの働かないおっさんみたいだった。


 精神力をすり減らす戦いは、僅差でぼくの勝利となった。彼女はのろのろとパンを一掴みすると、半目のままマズそうに食べてくれた。心なしか呆れているようだった。


 それでも食べてくれたのは嬉しいことだ。ぼくは破顔して自分の分に取りかかる。


 バツイチという傷を持つ中年のプーも、なかなか捨てたもんじゃないってことだ。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 国道を管理していた日本国が消滅した今、この通っている道を国道と読んでいいのか疑問がある。便宜上、国道と呼び続けているわけだけれど、国がなくなったのだから「国」道ではないはずだ。でもそうすると、県道やら市道やらも同じ問題に突き当たることになって面倒くさいので、別に国道でもいいだろう。


 地方の国道は整備状況も格差が激しく、管理されなくなった現在でも、当時の格差からくるみすぼらしさは色濃く残っていた。


 色の剥げたガードレール、赤錆の目立つ信号機。予算が回されない地域は見た目よりも動いているかどうかが重要だった。それらの信号機は2012年そろってお亡くなりになり、赤青黄色の鼓動は完全に動きを止めていた。


 国道には廃棄された自動車が散乱しており、いちいちそれらを避けながら進まなければならなかった。おかげでずっと手綱の操作に集中せざるを得ず、公爵夫妻も煩わしそうに鼻息を荒くしていた。


 我々は目印となる道路標識に注意しながら、目的の集落を目指していた。死んでしまった男たちが持っていた地図にあった例の集落である。


 現在、残り13キロという所まで来ていた。太陽は中程にさしかかっている。一番日差しのキツい時間帯だ。キララは荷台の中に引きこもって物音も立てない。まるで彼女の周りの空気だけ固定されてしまったかのような静けさだった。


 ぼくは話し相手もおらず(キララも昼間はほぼ話し相手とならないが)、要するに暇を持て余していた。これでもちゃんと集中は切らしていない。だが黙ったままの集中は極度に疲労するのだ。少し会話をしてリラックスした方が集中力も高まるのに。


 中国から青磁器を持ち帰る西洋の商人みたいな気分で国道を南下していく。ここはシルクロードとは違って舗装もされているし起伏も少ない平坦な道だ。大昔の彼らと比べれば、恵まれた環境にある。


 障害物よろしく点在する廃車の数が増した。思うように距離を稼げないせいでぼくは多少イラついていた。全く、路上駐車も甚だしい。交通課の警察官は何をしているのだろうか。


 気を紛らわせるために思考を遊ばせていると、荷台からキララがひょっこりと顔を出した。珍しいこともあるものだ。いつもなら、馬車を止めるまで一向に顔を出さないのに。


 さらに驚くべきことに、彼女は口を開いた。


「2じのほうこう、5にん」


「―――――」


 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。それから彼女の色のない瞳を見て、直ぐ様思考を再起動させる。呆けている暇はないのだ。


「それは確かなのか?」


 答えの代わりに彼女は瞬きをした。


 愚問だったかもしれない。昼間の彼女は無駄なことを一切しないのだ。伊達や酔狂で喋ったりするわけがない。


 つまり彼女の言う通りなら、この先に人がいるということになる。ここはまだ集落のある地点でないし、もしも地図に載っていない集落だったとしても位置的におかしい。ここら辺はあまり長居するのに向かない建物ばかりだ。


 ぼくはキララに目をやる。彼女は役目は果たしたとばかりに荷馬車内に戻るところだった。この際、彼女の超能力としか思えない言動には目をつむろう。以前からあったことだし、理由を訊ねても答えは返ってこないのだから。他でもない彼女自身が力について何も知らないのだ。


 彼女に続いて荷馬車に移りながら考える。こんな所で出会う人間が善良無害であることは考えられない。同業者なら、キララはそう教えてくれるだろう。5人というのも半端な人数だ。


 人数で劣るこちらが囲まれるのは避けたい。先制を仕掛けるのが無難だった。ありがたいことに、辺りに散らばる廃車がいい隠れ蓑になる。奇襲をかけるのに最適だった。


 さっきまで全部消えちまえなんて思っていてごめんよ、廃車さんたち。君たちが居てくれて本当に助かったよ。


 ぼくは竹から造った手製の弓矢を携え、小型のリュックを背負う。簡易医療キットやら、必要最低限の装備が中に入っている。


 軽装備だ。奇襲を仕掛けるには軽装備の方が好ましい。あまり武器が多過ぎると足が鈍重になってせっかくの利点が潰れてしまう。こちらは機動力で勝負だ。


「付近にいるのは5人だけ?」とぼくは訊ねた。


 キララは頷く。なら腹は決まった。


「偵察のつもりで行くけど、多分戦闘になると思う。君はここで隠れているように」


 慣れた調子で彼女は積まれていた木箱の中に身を収めた。彼女と旅を初めて2年。こうした事態には何度も出会っている。ぼくも彼女も訓練されたみたいに己のするべきことがわかっているのだ。


 地面に降り立ち、公爵夫妻にぼくは言った。「お姫様を頼むよ、閣下」


 夫妻はこれまでになく大きくいなないた。頼もしい限りだ。


 ぼくは小走りでキララに指示された方向へ向かう。相手の視線に入り込まないように、廃車の影を中腰になって進む。昔のぼくならさぞかし辛い体勢だ。しかしながら、常に命がけの世界になってからは身体も引き締まったし中年太りとは無縁だった。


 肥満の人間はもういない。日々の食事に事欠く我々は、余分な脂肪をアクセサリーにしている余裕はなかったのだ。


 なるべく足音も立てないようにして先を行く。ちょうど廃車の列がないぽっかりと空いた空白地帯に目的の人間たちはいた。


 這いつくばって廃車の下から様子をうかがう。遠目からだが、何をしているのかひと目でわかった。4人の男たちが女を組み敷いている。胸糞悪く、また見慣れた光景だ。どこに行っても同じような光景は広がっている。まるで今年のトレンドみたいに皆同じ行動を取るのだ。呆れてくる。


 4人の男は全員ぼくの方を向いていないから、もっと近づけそうだ。注意深く、物音を立てないゆっくりとした動作で距離を詰める。襲われている女性には悪いが、すぐに飛び出したところでこちらが敗北するのは目に見えている。


 たったひとりで4人の男を倒すには、それなりの手順が必要になる。無鉄砲では生き残れないのだ。


 タイミング的にばっちりと言うべきか、これから男たちは陵辱を始めようとしているようだった。あまりの巡り合わせに意図的なものを感じずにはいられない。もしかして罠なんてことないだろうな?


 以前、同じような状況を一芝居うたれたことがある。その時は被害者役の女も一味だった。危うく殺されそうにもなった。この世界では、どうにかして日々の糧を得ようと誰もが必死になる。頭を使う。


 ようするに、お人好しでも構わないけれど、その結果騙され殺されても自己責任だということだ。終末世界は完全自由主義社会なのである。


 苦労して接近すると、ようやく各々の顔が確認できる距離になった。強姦魔たちは揃いも揃って薄汚い服装だった。なぜ強姦魔は強姦魔っぽい服装をしているのだろうか。タキシードを着ろとは言わないが、もう少し着ているものに気を配ればいいのに。洗濯できる川はそんなに離れていないのだから。


 女は激しく抵抗していた。複数の男にのしかかられながらも抵抗の意志を失わない姿は立派だ。多くの女性被害者は、複数に襲い掛かられると抵抗の意志をなくしてしまうのだ。


 用心深く観察してみる。演技だとは到底思えない。これがぼくをおびき寄せる演技だとしたら迫真の演技だ。アカデミー主演女優賞ものだと思う。


 ぼくはじっと襲うタイミングを測っていた。呼吸を整え、手製の竹弓に矢をつがえる。背中に次弾があるのを確認。それから腰のホルダーにおさまっている相棒のマチェットが準備万端なのを最終確認する。


 視界には、ズボンを膝まで下ろして汚らわしいイチモツを露出させるふたりの男の姿があった。


 舌打ちする。全員がズボンを下ろしてくれればやりやすかったのに。何でこういう時だけ御行儀よく順番待ちするんだ。これだから日本人は!


 ぼくは呼吸を止め、身体の動きをなるべくなくした上で、ズボンを下ろしていなかった男を狙い撃ちにした。近距離まで近寄ったかいがあった。射られた矢は、真っ直ぐ狙い通り命中する。


 何が起きたかわからないという顔で後ろにひっくり返る男。悲鳴はなかった。「くひゅ」という間抜けな声がもれただけだった。


 続いて第2射。もうひとりのズボン装備中の男だ。そいつは倒れていく仲間の男に目を奪われていた。強姦というパーティーの最中に、突然矢が飛んでくるなんで思いもしなかっただろう。反応できないのも無理なかった。


 疑問符を浮かべる男に射かけた矢も命中する。だがその間にこちらに気付かれた。行為の真っ最中だった男たちは、予想外に素早い動作で逃げ出す。ぼくは弓矢を廃車の下に隠して飛び出した。こうなれば弓矢も使えない。障害物が多いし、動きまわる標的に矢を命中させるのは非常に技量がいるのだ。ぼくはそこまで玄人ではない。


 すっかり身体の一部と化したマチェットを引き抜き失踪する。潔くズボンをリリースした男は二手に分かれるところだった。判断も素早い。やりにくい相手だった。何かしらの戦闘訓練でも受けている動きだ。


 男たちはなるべくぼくの視界外に出ようとしていた。ふたり組の利点は視界外からの攻撃それに尽きる。一方にかかりきりになったところをもう一方が襲うのだ。単独者相手にはこれ以上ない定石の攻撃法だった。


 だが定石なだけに、相手の取る行動もある程度予測できる。


 ぼくは前方の下半身丸出し男に襲いかかった。息子を晒しながらもナイフを構えた姿はそれなりに絵になっている。強姦魔のくせに見上げたヤツである。もう少しまともな倫理観の持ち主だったら友人になれたかもしれなかった。


 男は銀色に輝くサバイバルナイフを突き出してきた。ぼくはそれをマチェットの腹で軌道を逸らす。金属同士がこすれ合う嫌な音がした。


 防がれるとは思っていなかったのか、男は驚愕に目を見開いた。まともなナイフ戦をしたことがないのだろう。身体は馬鹿正直に正面を向いている。


 渾身の力を込めて振り払う。がら空きになったボディーに刃を向けると、反射行動で男は両手をクロスさせた。その両腕にぼくの相棒が襲いかかる。


 クロス前面を担当していた相手の右腕を切り落とし、左手の半ばまで刃が埋没する。


 悲鳴。


 ぼくはマチェットを引き抜く。残った左腕は骨が邪魔して断ち切れなかった。右腕を失くした男は言葉にならない悲鳴を上げながら地面を転げまわっている。無力化したと考えて構わないだろう。



<背後カラ刺ス>



 頭に直接響くような声。ぼくはその声に反応して左手をズボンのポケットに突っ込む。中に予め入れておいた砂を、振り向きざまにまき散らした。


 背後に迫っていた男は、その砂をもろに受けた。顔を歪めて、立ち上がったばかりの赤ん坊のように両手を突き出した体勢で後退する男の脇を通過する。その一瞬にぼくはマチェットを振り抜いていた。


 男の首元から、遅れて大量の血液が吹き出す。男は口元から血泡を吹きながら崩れ落ちた。前のめりに倒れた男は二度と起き上がることはなかった。


 4人を何とか倒しきったぼくはようやく安堵のため息をつく。倒れている男の数をきちんと数え上げ、誰も逃していないことを確かめる。仲間を呼ばれるのが一番マズいのだ。


 襲われていた女は何が起きたかわかっていない様子だった。いきなり現れた殺人鬼に驚きもしない。強姦されていた彼女にとって、有害な強姦魔と無害な殺人鬼のどちらが恐ろしいのだろうか。


 まあ、呆けていてくれた方が錯乱して暴れられるよりか手がかからなくていい。


 彼女は放っておいて大丈夫だと思ったので、ぼくは最後の作業に取りかかった。とても気の滅入る作業だ。唾棄すべき作業でもある。


 首を切り裂いた男はともかく、片腕を切り落とした男の方はまだ生きているし、矢で射ったひとりも辛うじて息があるみたいだった。そいつらに止めを刺さなければならない。


 前述した通り、生き残りが仲間に助けを求めるのは阻止しなければならない。それにコイツらはぼくの顔を見ているから報復をされる可能性がある。この手の輩は想像以上に粘質で辛抱強いのだ。一旦恨みを持ったらどこまでも追いかけてくる。


 自分を殺しにきた人間に反撃するのは心が痛まない。強姦だとか意味のない殺人だとかをする輩についても同じだ。


 だけど、虫の息の人間を殺すのは何とも後味が悪いし良心の呵責に襲われる。すでに何人も殺しておいて何を言ってるのだかと思われるかもしれない。


 好きで殺しをしているわけじゃないと声高に言いたい。でもこうして殺す以外に、平気で強姦や殺人をする人間を無力化して口を開かないようにし、こちらに怨恨を残さないようにする方法が果たして存在するだろうか。そんな都合のいい方法を、ぼくは寡聞にして知らない。


 なるべく苦しまないよう即死させてやるのは最後の情けだった。できることなら、ぼくも死ぬ時は即死したいと切に願う。


 ひとり終え、残りのひとりにかかろうとした時、ぼくは人影に気づいた。強姦されていた女―――――よく見るとまだ少女と言える容姿だった―――――が落ちていたナイフを片手に立ち上がっていた。


 ぼくが呆気に取られていると、彼女はぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で「その男は、わたしに、殺させて、ください」と言った。酷いしゃがれ声だった。ずっと泣き叫んでいたのだろう。あまりに痛々しい姿だった。


「殺したいくらい憎いのはわかるよ。でもよした方がいい。殺してしまったら、ずっと記憶に残り続けることになるよ。襲われた記憶と一緒に」


 彼女は前髪を垂らしたまま、


「恋人が、こいつらに、殺されたんです」


「……」


 ぼくは口を噤むしかなかった。それ以外にどうしろと言うのだ?


 彼女の復讐は正当なものだ。恋人を殺され、自身も強姦されたのに彼女を止める輩がいたらぼくが殺してやる。そいつは博愛主義者でもなければ善人でもない。ただの愚か者だ。


 復讐は褒められたものではないけれど、他人が邪魔していいものでもない。もしもその復讐を止める資格を持つ者がいるとすれば、それは他でもない自分自身だけだ。


「やれやれ」とぼくは言った。「君の復讐を止めるつもりはないけど、そいつを虫の息にしたのはぼくでもある。ぼくはこの男の死に責任があるんだ。わかるかな?」


 彼女は無言でぼくを睨みつけていた。邪魔するなら誰であっても許さないという顔だった。


「だからふたりでやろう」と言って、彼女の後ろに回り込む。知らないおじさんに背後から抱きすくめられた彼女は最初驚いて固まっていたものの、ぼくの意図に気づくと涙声で「ごめんなさい。ありがとう」と言った。


 ふたりで殺せば、そのぶん罪も半分になればいいと思った。きっとそんな都合のいいことがあるわけもないのだろうけれど。気持ちの問題なのだ。


 そうして我々は、結婚式でウェディングケーキに入刀する新郎新婦みたいに強姦魔の生き残りにナイフを突き立てた。苦悶の表情で死んでいく男から最後まで彼女は目を逸らさなかった。


 やがて物言わぬ躯となった男から離れると、ぼくに縋り付いて彼女は泣いた。散々泣き続けたろうに、一体人間のどこにこれだけの量の涙が貯蔵されているのだろうとぼくは思った。

 

 彼女が落ち着くまで抱きしめ続ける。名も知れぬ少女は、やがて泣き疲れて電源が落ちるように眠りに入ってしまった。


 悲惨な体験をした眠り姫の寝顔は残酷なまでに安らかだった。


 武器を回収し、彼女を背負って馬車の下へと戻る途中、ぼくは耳元で小さな寝言を聞いた。


 人の名前。男の名前。何度も愛情を込めて呼んだ名前だったのだろう。


 傷つき、疲れ果てた少女の声は空へと昇る。


 それが弔いの音色となればいいな、とぼくは思った。


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