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第34話

 途方もない話になってきた。ぼくは人類全体の将来について考えたこともなかったし、考えようとも思わなかった。ぼくにとって「人類」という単語はありふれていながらも、どこまでも彼方にあるものだった。


 だから彼の言っていることの重大さがいまいち実感できなかった。


 子孫を残せなくなった人類に後はなく、滅亡に瀕しているのはわかる。けれども、それについて深く考えたことはなかった。ぼくが求めている謎を解く鍵のひとつという認識だ。それが「人類」の共通課題だとはちっとも思っていない。


 そう考えると、何にも考えていなかったぼくなどよりは、彼の方が何倍もヒトとして誠実なのかもしれない。


 その方法は褒められたものではないものの、差し迫った問題に対して真摯に向き合っていると言える。何も行動を起こさない人間に彼を責める権利はないかもしれないな、とぼくは思った。


 彼の話したいことはあらかた話し終わったらしく、ぼくの疑問にも答えてくれるという。それは渡りに船だとぼくは遠慮なく気になっていたことを質問することにした。


 まず気になったのは、子供と<黒いケモノ>、それからその力<黒土>の関係である。これらは密接に関係し合っているようにも見え、しかしながらケモノは子供でも構わず喰い殺した事実がある。その力関係はどうなっているのだろうか。


 それに対して彼は、その中で上位に立つのは子供たちであると考えているそうだ。<黒いケモノ>も<黒土>も、巫女である子供たちが存在するからこそ現界できる副産物であるという。


 だがそうなると、人類を滅亡に追い込んでいるのは他ならぬ子供たちの手によることになるのでは、とぼくは返した。


 彼は言った。ケモノの出現は子供たちに関わるが、その後の行為は関係ないのだと。まるで人間味のない野獣性を有し、巫女である子供であっても関係なく貪るケモノは誰にも制御はできないのだと。


 言ってみれば、あれは天災だ、と彼は苦々しく呟いた。けれども、なくてはならないものだから余計に厄介なのだ、とも。


 ヒトと<大いなるもの>の橋渡し役が子供たち、すなわち巫女であるものの、その力は<黒いケモノ>をとして顕現する。使い手と力が別々に存在している状態なのである。その中で僅かに<黒土>として力を扱える者もいる。


 それが彼や白沢リンネ、それからキララをはじめとした適応率の高い子供である。

 

 両目に<黒土>を宿した彼はおぼろげに<大いなるもの>の意思を汲むことができ、適応率の高い子供を見分け、協力して貰うこともできるのだそうだ。何度もキララの探知をジャミングした子供たちの存在はこういう訳だったのだ。


 彼が全てを手中に収めているのだと錯覚していたのだが、そうでもないようだ。常人よりも特殊な力に詳しいぶん、それなりの苦労もあるのだろう。


 次に訊ねたのは、「進化」についてだ。彼はその言葉を何度も使った。だけどその具体的な内容は明らかになっていないままだ。「進化」とはあまりに漠然としていて抽象的だ。


 人間の進化とは一体何を指すのだろう?


 それに対する答えは、<大いなるもの>との同化だった。それは肉体的に融合するわけではなく、同化によって新たな意識に目覚めるというものらしい。意識を集合させ、これまでの単体からさらに一歩進んだ精神を得られることになるのだと。


 それによって様々な恩恵を受けられるようになるそうだ。例えばそれは、精神レベルでの触れ合いであったり、これまでにない次元の感覚を得ることであったり。その片鱗は子供たちに表れていると彼は言った。


 確かに子供たちに見られる変化は驚嘆すべきものだ。超常的な力は元より、身体効率も高いようである。


 その「進化」に至るには<大いなるもの>に近づく必要があるらしく、彼らが散々強調した「回帰」はその唯一の方法なのだという。啓示に従い「回帰」を進めることにより、ヒトと<大いなるもの>の隔たりは狭まっていく。


 つまり彼らからすれば、「回帰」を果たした人間は死んだのではなく、一足先に「進化」に至ったということだ。何ともご都合的な感覚が抜け切らないけれど、それを心から信じているようだから反論する気も起きなかった。そして何より、ケモノに喰われた人間が「消失するように」いなくなることは以前から気になっていたことだ。


 まるでどこかに消えてしまったかのように、服だけ残して消失する犠牲者。


 ケモノは大口開けて喰らいついてくるので、便宜上「喰われる」と表現していたものの、実際に人間が食料とされていたのかは大いに疑問だったところだ。


 だから彼の話も、与太話だと断ずるのは早計かもしれない。ケモノや子供たちに関しては、彼らの方が詳しいことを認めざるを得ないのだから。


 その次にぼくが訊ねたことは、あの洗礼の儀式についてである。


 洗礼が<黒土>を利用したものであるのは疑いようがないとしても、人間を操っているようにしか思えない効果はいかなるものか。まさに「洗脳」としか表現のしようがない。


 どんな目的があるにしろ、人間の自由意思を奪うようなやり方には賛成できなかった。そして、そうした力を<絆教>が保持しているのだとしたら、これ以上ない脅威だった。


 ぼくの懸念に対して、彼はその洗礼の儀式の仕組みを教えてくれた。


 彼が行なっているのは洗脳ではなく、<黒土>を用いて不安感・恐怖感を緩和させるものであるそうだ。彼は自分の側頭部をこつこつと小突きながら、快楽神経系を制御することによって、いわゆる負の感情を取り除くことができるのだと説明した。


<選定者>ではない人間には、<黒土>の力は過剰過ぎる。せいぜいが数ミリリットルぶんの容量しか受け入れられない。その<黒土>が物質だと仮定した場合の話だそうだが。


 そこで少ない容量をいかに活用するか考えた結果、脳の快楽神経系に定着させ、負の感情を抑制することにしたのだ。


 肝心なのは、「抑制」であって、完全に取り除くことではないらしい。


 人間から完全に負の感情を取り除いた場合、出来上がるのは生きる気力を失くした人形のような人間である。我々は快楽を思い求めるからこそ精力的に生きるのであり、誰でも保持している負の感情を出来るだけ減少させることを無意識に目的としている。


 普通の神経を持つ人間ならば、誰だって苦痛よりも快楽を求めるはずである。


 それを彼は儀式に利用したのだ。


<絆教>の信者として尽くすことによって洗礼を受けることができる。その結果、日々の不安や苦痛を克服するすべを手に入れるのだ。そうすれば洗礼を受けた者は、さらなる安寧を求めて精進することになる。


 宗教家や武道家、哲学者などが長年の研磨によって辿り着く境地を、彼は<黒土>で脳神経を操作することによって人工的に発生させているのだ。


 彼はいわば道を造り上げただけで、人々の自発的意識に任せているのだから洗脳には当たらないと言った。


 確かに、精神の安寧は報酬のようなものかもしれない、とぼくは思った。資本主義社会では金銭を得ることによって快楽や安寧を得られた。だから人々は精力的に働いたのだ。


 この<絆教>内では、金銭の代わりに精神的報酬を得られるに過ぎない。だがそれは、肉体的なものに比べて遥かに魅力的に映るのだろう。


 娯楽の殆どが失われたこの世界で、人々は絶えず不安や恐怖に晒されている。それを根本原因から抑制できるのだとしたら、それは素晴らしいことなのかもしれなかった。


 これは人々の救いにもなっているという彼の言葉に、今まで沈黙を保っていたナズナは面白くなさそうな顔をした。


 この話は彼女には受け入れがたいのだろうな、とぼくは思った。彼女は苦痛からの逃避を望まない。恋人の死や自らの不幸と正面から向き合って、進んで苦痛を味わうことをよしとする人間だ。


 この見た目に反して炎のような内面を持つ彼女にとっては、<絆教>の面々は到底受け入れられるものではないのだろう。


 彼女はきっと、その苦痛に殺されたとしても、それで満足なのかもしれない。苦しかったことを忘れ、安穏とした日常を白痴のような顔で生きるよりは、苦痛に苛まれ、精神を患いながら狂死する方を選ぶに違いない。だからこそぼくは彼女を放っておけず、こうして至らぬ身でありながら「先生」をしているのだ。


 ぼくは彼女を危なっかしくも哀れにも思い、同時に羨んだ。ぼくの望む姿が、光景が彼女と重なる道にあったからだ。


 時間にして一時間程度の対話だった。けれどもその密度は比類なく、酷い疲労感を覚えていた。まるで夜通し議論していたかのようだった。ぼくは鈍重になった頭を抱え、自分の訊きたいことはあらかた訊き尽くしたことを彼に告げた。


 彼も彼で、「有意義な時間でした」と満更でもない様子だった。こうした踏み込んだ議論ができる人間が教団内にはいないのだそうだ。自らの内に溜め込んでいたものを吐き出すことができて、自分も気分が楽になったと彼は言った。


 その様子から、彼は自分の脳を操作していないことが推測できた。<黒土>を扱える彼ならば、自分から不安や疲労を取り去ることだって簡単なはずだ。それをしていないのは故意なのか、あるいは……。


 ぼくが考え込む隣で、ナズナは「ひとつ、わたしからもいいですか」と口を開く。


 リンネから受け取った水で喉を潤していた彼は、「どうぞ、わたしに答えられるものならば」と快諾する。


 ナズナはじっとその顔を見つめ、ややためらいがちに訊ねた。


「あなたには、ミズノという名前の妹がいるんじゃありませんか?」


「……」


 ぼくはナズナの問いに目を瞬かせた。ミズノ―――――みっちゃんのことである。あの食堂の優しげなおさげ少女の顔が思い出される。なぜここで彼女の名が出てくるのか。そしてナズナの問いかけの意味は。


 ミズノという名前の妹。


 それはつまり、


「ええ。わたしには妹がいました。もう長いこと会ってはいませんが」と彼はしみじみと言い、「……そうですか、妹のお知り合いなのですね? あの子は元気にしていますか?」


 自分から問いかけつつも、その答えに打ちのめされた様子のナズナは「ええ」と言葉少なに返す。


 何ことだ、とぼくは思った。それからみっちゃんの言葉が断続的にフラッシュバックする。


『もしかしたら、わたしのお兄ちゃんに似ているせいかもしれませんね』


『わたしとは歳が離れているんですけど、すっごく優しくて頼り甲斐があるんですよ。もうずっと会っていませんけど……』


 その彼女に、ぼくは何と答えた?


 もしも出会うことができたら、彼女の無事を知らせると豪語したではないか。それをすっかり忘れていた自分が恥ずかしい。


「同志」と呼ばれる彼がぼくに似ているという時点で、あるいは「大河内」という名字を聞いた時点で思い至るべきだったのだ。ナズナがずっと浮かない顔をしていたのは、このことを気に病んでいたからだったのだ。


「それで、どうするんです?」とナズナは言った。


「どうするとは?」と彼は言った。


 その素っ気ない返答に彼女は苛立ちを見せ、「だから、あなたの妹が生きてるとわかったんじゃないですか。会いたいとは思わないんですか?」


 彼は「なるほど」と右手であごに触れ、しばし考え込んだ。その背後では白沢リンネが堅い表情で屹立していた。気のせいか、どこか切羽詰まった雰囲気であるようだった。夜分で感情が抑制されている彼女からすれば珍しいことだった。


 彼はナズナに閉じられた目を向け、言った。「わたしはすでに大願ある身です。血縁とはいえ、妹には会わない方がお互いのためでしょう」


「…………」


 ナズナは悔しげに歯を軋ませていた。隣のぼくにまでギリギリという音が聞こえてきた。彼女は、ともすれば彼に飛びかかりそうだった。それでも懸命に自分を抑えている。


「そうですか」と彼女は言った。「そういうことなら構いません。わたしも、親友を思い煩わせるようなことはしたくないですから」


「ええ、ぜひそうしてあげてください」彼はにっこりと微笑み、「ああ、妹もよい友人を持てたようですね。実に喜ばしいことです」


 もう聞いていられないとナズナは顔を伏せた。そのまま耳を塞いでうずくまれたら、どれだけ幸せだろうか。そんな悲壮感に支配されている。


 ぼくは彼女の肩をそっと抱き寄せた。力強く飛び込んでくる細い肩を抱きしめながら、ぼくは彼に対談に応じてくれたことの礼を言った。彼は「いえいえ」と人のいい調子で朗らかな笑みを見せた。


 ―――――彼とはわかりあえない。


 ぼくにとって、そんなことを思い知らされた夜だった。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 次の日の朝は、ぼくが日に弱くなってしまった以上に陽光が堪えた。あまり眠れなかったせいかもしれない。彼との対話の後、様々な想いが頭の中をぐるぐると巡って眠りを妨げた。おかげでうつらうつらしているうちに夜が明けてしまった。


 ぼくは差し込んでくる鋭い光から逃れるように毛布を被った。睡眠不足の脳は休息を欲しているものの、これから熟睡するのは無理そうだった。ならばせめて身体だけでも休ませておきたい。


 結局、リンネが起こしにくるまでの時間、仮眠を辛うじて取れた。徹夜明けに似た感覚を味わいながら、ぼくは起床を果たす。


 共に起きてきたキララとナズナはいつもと変わらぬ目覚めを迎えたようだった。あんなことがあったのに快眠できるのは本当に羨ましい。ぼくが眠たげにしているのを心配までしてくれた。


 朝の張り詰めた空気に身を晒すと、いくらか頭の中の霧も晴れた。


 ぼくたちは朝食のスープを貰いながらリンネの話を聞いていた。彼女が言うには、今日にでもぼくたちは解放されるらしい。呆気ない解放宣言に拍子抜けする程だった。「同志」は本当にぼくと話をするためだけに軟禁したようだった。


 食事をするぼくを凝視するので、リンネに何事かとぼくは訊ねた。言うべきか言わざるべきか逡巡した後、彼女はぼくが羨ましいともらした。


 自分には「同志」と肩を並べることができない。せいぜいがお手伝いをするくらいだと。それが歯がゆいのだと。


 彼女は純粋に彼を好いているようだった。それは崇敬にも似ているし、恋愛感情にも似ていた。彼女たちが異常とも言える集団だとはいえ、そこに属する人間の持つ感情は常人とそう変わらない面もあるのだ。ぼくは少女らしい一面を覗かせる彼女を微笑ましく思った。


 ぼくは彼と肩を並べられないよ、とぼくは言った。こうして分かれるのがその証拠だ、とも。


 彼とぼくとは似ている面もあるし、まるっきり異なる面もある。通ずるところもあるけれど、ぼくと彼とは違う方向を向いている。


 彼はきっと、空を見上げているのだ、とぼくはリンネに言った。その言葉を反芻している彼女に、ぼくは地面を見下ろしているのだ、と続ける。


 普通とは少し異なった視点であることは確かだ。しかしながら、その性質は全く正反対なのだ。彼は空に、宇宙にその光景を求めている。地上に、周囲に光景を求めているぼくとは決して相容れない。


 それを悟ったからこそ、彼はぼくたちを解放する気になったのだろう。


 だから、彼を傍で支えてやるのは君の仕事なのだ、とぼくは言った。彼らは彼らなりの理念の下に動いているのだ。そこにぼくの力は及ばない。ぶつかり合うことでしか決着を付けられない。


 無言でぼくを見つめるリンネにそう言うと、彼女は視線を落とした。それから、自分は彼に命を救われたのだと言った。始まりがそのようなものだから、少し負い目があるのだと。


 もしかしたら、偶然出会っただけに過ぎないのかもしれない。自分ではなくてもよかったのかもしれない。自分よりも彼の力になれる者がいたかもしれない……。


 ぼくに不安をこぼす彼女は、苦笑しながら、お父様はとてもお話しやすい方ですねと言った。おかげでついつい愚痴もこぼれてしまうと。


 ぼくは言った。彼も君をきちんと認めているはずだと思う。彼は万人を平等に眺めながら平等に殺してのける男なのだろうけれど、君のことはきっと特別に思っているはずだ。偶然は必然とも言える。それを彼が知らないはずはない。


 そうでしょうか、と躊躇いがちに呟く彼女に、ぼくはきっとそうだよと背中を押す。驚いたことに、彼女たちに対していい顔をしていなかったナズナもぼくに追従した。わたしもそう思う、とリンネを真正面から見据えながら断言した。


 ぼくたちの視線を受けた彼女はくすぐったそうに目を逸らした。口の中でもごもごと言葉を選び、「感謝します」とぶっきら棒に一言だけ口にした。


 食事を終え、食器の片付けを済ませた彼女は、去り際に言った。あなたたちとは、もう二度と顔を合わせたくはないですね、と。


 ぼくとナズナも同意した。彼女、白沢リンネのことは嫌いになれない。例え彼女が無慈悲に人の命を奪える存在だったとしても。


 だから彼女とはこれっきりにしたかった。恐らく、いや、高い確率でもう一度彼女と出会うことになった時、その再会は間違いなく血生臭いことになるのだろうから。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




「あなた方には不自由を強いることになってしまって申し訳なかったと思っています。ですが心から対談を望んでいたわたしの気持ちも汲んでいただきたいのです。あなたとお話ができて本当によかった」


 別れの挨拶を述べる「同志」の周囲には、リンネをはじめとした<絆教>の幹部らしき人物が集まっている。彼らは総出でぼくたちを見送りにきてくれたようで、今までぼくたちを軟禁していたとは思えない爽やかな顔である。


 ようやく解放してくれるということで、ぼくたちは連れてこられた時と変わりない五体満足で教団に別れを告げることができそうだった。最悪の未来も考えざるを得なかったから、この結果は最良だと言っていい。


 最後に話があるという「同志」の願いによって、今ぼくたちは雁首を並べているわけである。言語に絶するような酷い扱いを受けたわけでもないものの、早くこの場から離れたいと思うのは仕方のないことだろう。ぼくはそれを顔に出さないようにするのが大変だった。


「ひとつ、お願いを頼まれてはいただけないでしょうか」と彼は言った。


「お願いですか?」とぼくはやや警戒気味に聞き返す。解放する直前になっての面倒事はごめんだった。しかしながら、ここで反抗的な態度を取ったら、解放の約束もご破算になりかねない。ぼくはじっと我慢する。


 彼の合図によって連れてこられたのは3人の男だった。皆手足を縛られている。いきなり物騒な光景になってきたので、ぼくは警戒心を最大まで引き上げる。


「彼らはこの先にある<街>の住人です。彼らをホームまで送り返していただきたいのです。彼らにはすでに事情を話してありますから、そう手間はかからないはずです」


 罠か? とぼくはその「お願い」を疑った。被害者を装った信者を<街>に侵入させ、内部工作をさせることも考えられる。トロイの木馬の亜種みたいなものだ。


「悪いとは思いますが、承諾できません。彼らが本当に住人なのかわかりませんし」


「そうですか……それは困りましたね」と彼はあごをなでた。「では、次の『回帰』は彼らに行なって貰いましょう。ずっと囚えておくのは、非常に非人権的です。これはわたしとしても忍びない」


 まるで脅しではないか、とぼくは歯噛みした。要求がのまれなければ、彼らは「回帰」させられる。つまりはケモノの餌食になるということだ。


 話の内容は定かではないとしても、危なげな雰囲気に気づいたのか、捕らえられている面々が暴れ始めた。それを数人がかりで押さえつける。とても演技には見えなかった。顔を真っ赤にして抵抗する姿は鬼気迫っている。


 彼らは本当に<街>の住人なのか?


「彼らと話をしたいのですが」とぼくは言った。


「ええ、構いませんよ」と彼は言った。


 ぼくは押さえ付けられている3人に近づいて事情を訊くことにした。向こうもぼくが敵の演技ではないかと疑っていたらしく、最初は互いに疑念の眼差しを向け合った。それでも話しているうちに「演技にしては……」と顔を覗き合いながら似たような感想を持った。


 彼らは<街>からの使者であり、教団に和解を求めやってきたそうだ。その交渉は決裂したあげく捕らえられていたそうだ。


「あんた、本当に<キャラバン>なのか?」と代表格らしい男が訊く。


「この通り」とぼくは背後に停められている公爵夫妻と荷馬車を指して、「細々と旅を続けている者だよ」


 男はじっとぼくの瞳を覗き込み、その奥にある虚偽の色を探していた。ぼくは視線を逸らさず彼の目を見返す。残酷なようだが、立場的に危機に陥っているのは、ぼくではなく彼らの方である。ぼくら側には、提案を断っても何ら損失はないのだ。


「ぼくはあなた方を助けたいと思っているけど、断ってくれても構いませんよ。ぼくにも守るべきものはありますから。ぼくとしては、そちらを優先したいので」


「…………」


 素っ気ないぼくの言葉に、彼らはやや動揺したようだった。


 ぼくからすれば、早くこの場を離れたかった。何よりも優先されるのが、キララとナズナの安全である。3名の身元不明の男を助けたい気持ちもないことはないけれど、あくまで優先するのはふたりの少女の方だ。


 もしも助けたところで、恩を仇で返すような輩ならば、ぼくは彼らを見捨てることも厭わない。


 そんな思考を行いながら、ぼくも人のことを言えた義理ではないな、と改めて自嘲する。


 人の命を尊重していないのは、<絆教>の人間たちも、ぼくも一緒ではないか。


 ぼそぼそと小声で話し合っていた3人は、決心した様子で「おれたちを<街>へ返してくれないか」と頼んできた。


 ぼくは頷き、「彼らを送り届けたいと思うんだけど、どうかな?」とふたりの少女にも訊ねる。彼女たちも大事な旅の一員である。ぼくの一存で決めてしまっていいわけがない。


「わたしは賛成です」とナズナは微笑みながら答える。「見たところ、悪いことを企むような人たちじゃないみたいですし」


 キララも小さく賛成の意を示した。


 これで決まったも同然なのだが、ぼくは彼らに忠告することにする。


「ひとつ言っておきたいのは、彼女たちに危険が及ぶような真似は絶対に許さないってこと。それだけは弁えておいて欲しい」


「わかった。約束する」と男は真剣な面持ちで答えた。


 難所を越えれば、後はとんとん拍子に話は進んだ。出発の準備を整え、ぼくたちは短い教団生活に別れを告げる。


 見送りには、「同志」とリンネの姿が最前列にあった。ぼくは乗客の増えた馬車を慎重に操りながら彼らに目をやる。数日ぶりの公爵夫妻は元気そうで何よりだった。きちんと食事はさせて貰っていたらしい。


 下から目上げる形になった「同志」は、ぼくに別れの挨拶を告げた。


「さようなら。しばしの別れです」


「……再会するのは決定事項なんですか」げんなりしてぼくが言うと、彼は全てを見通しているとでも言うかのような口調で、「ええ、必ず。こればっかりは運命なのですから」


「あなたとぼくが運命で結ばれているなんて、ぞっとする話ですね」


 ぼくの皮肉に、彼は控えめな笑い声をもらした。


「確かに、わたしとあなたは運命じみた出会いを経験していますね。最初は神野教授の研究室で、そして今回。ああ、そういえばそれ以外の場所でもわたしたちは出会っているのですよ」と彼は言う。「<審判の日>を何とか生き長らえたわたしは、そしてあなたは、世空野タクミのグループで顔を合わせているんです」


「え……?」


 絶句する。彼も、あのグループに参加していただって……? あのキララの父親が造り上げた<街>の住人だった?


 フリーズしてしまったぼくに背を向け、彼は「では、またお会いしましょう」と去っていく。呼び止めることもできず、ぼくは茫然自失としてしまっていた。彼の言う「運命」とやらは確かに存在するのかもしれなかった。


 ほとほと、ぼくは<街>との間に因縁のある男であるようだ。


 世空野キララと出会った<街>。彼女の父親が造り上げた<街>。彼女の両親が殺された<街>。


 では、今向かおうとしている<街>はどうなのだろう、とぼくは思った。


 人類は岐路に立たされている、と「同志」は言っていた。例にもれず、ぼくもその分かれ道に立っている気分だった。ぼくにとっては、<街>がその「岐路」の象徴なのだ。


 何かが始まろうとしているのかもしれない、とぼくは思った。あるいは、何かが終わろうとしているのかもしれない、とも。

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