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第33話

 次の日、いつお呼びがかかるかと戦々恐々していたぼくは、昼を過ぎ夕方になっても何の音沙汰もないことに不信を募らせていた。「同志」の口ぶりから、彼はぼくとの対話を望んでいたように思えたけれど、それは勘違いだったのだろうか。


 太陽はすっかり帰り支度を済ませ、夜勤のお月様が代わりに天上へと昇っている。ぼくは刑務所の窓とそっくりなはめ込み型の窓から彼女が舞台にあがるのを眺めていた。


 今日はこのまま一日が終わるのだろうか、とナズナとふたりで言葉を交わし合っていたちょうどその時、扉がノックされる。軟禁されている身としては、「どうぞ」とノックに答えるのは場違いな気分になる。相手にしても、閉じ込めておいて礼儀正しいというのは、どうにも調子が狂うのだった。


 扉を開いて顔を出したのは白沢リンネだった。一日ぶりの再開だった。


 彼女は硬い表情で、「同志がお呼びです」と短く告げる。その表情には、いつかの晩を思わせる鋭さの片鱗があった。


 昼の彼女とは違う様子に面食らう。この変化の仕方は子供たちのそれと似通っている気がした。昼は人間性が高く、夜になると感情が気薄になる。今の彼女は全く喋らないというわけでもないが、感情の色が限りなく薄くなっていた。


 これも「黒い泥」の影響なのか、とぼくは訝った。だとしたら、子供たちもこれと関係があることになる。


「黒い泥」「子供たち」「黒いケモノ」と要素が揃ってきた。3者に共通点が見られる以上、どれもが無関係だと日和見するのはもう無理だ。子供たちが何らかの関わりを持っていると確信できる。


 やれやれ、とぼくは思った。あまり楽しくないことになりそうだな、とも。


 リンネはぼくたちを連れて広場へと向かった。周囲には松明が焚かれ、どこかキャンプファイヤーを思わせる空気があった。浮ついた空気だ。これから楽しいことが始まるのではという期待。大勢が集まっていることの昂揚。それらがじくじくと周囲の人間からもれ出しているのだ。


 炎に照らし出されている顔で広場は埋まっていた。<絆教>の人間が勢ぞろいしているようだ。彼らは熱に浮かされたようにして雑談に耽っている。ぼくたちに気づくと一瞥し、すぐに視線を逸らす。ぼくとナズナはなるべくそれらの視線を意識しないよう心がけた。


 集団を突っ切り、我々は人の輪の中心近くに落ち着いた。見るからに特等席だった。とても嬉しくない席位置だった。


 ぼくたちを残し、リンネは「では、失礼します」と離れていく。ここで待てということらしい。


 まさか全員で集団リンチでもするつもりではないだろうな、と警戒していると、リンネに手を引かれて「同志」が姿を現した。昨日と少しも変わらない笑みを浮かべ、片手を挙げ皆に挨拶している。


 周囲の信者たちは一斉に頭を下げた。取り残される形で顔を上げていたぼくたちは、慌てて彼らに倣うことにする。郷に入れば郷に従えとも言う。頭を下げたところで傷付くようなプライドもないし、目を付けられるよりはマシだろう。


「同志」は最近の皆の働きについて評価し、とても素晴らしいと褒め讃えた。それに照れたような笑みを浮かべている者が数名いる。彼らが話題の人物なのだろう。


 続いて彼は、現在の教団方針について話始めた。


 どうやらこの集いはミーティングを兼ねているようだ。教団の状況を明確にすることによって信者たちの信頼を得ようとしている。その実態はともかく、長である彼が独裁抑圧しているわけでもなさそうである。


 彼がどんなつもりでこの場に連れてきたのかは知れないけれど、情報収拾にはもってこいの場面である。せいぜい、ぼくはできるだけの足掻きをしておこう。


 話を聞いているうちに、聴き捨てならない単語が耳に飛び込んできた。


 現在、彼らが標的にしているのが件の<街>であったのだ。衝撃の事実である。ぼくは目ん玉を飛び出させそうになりながら、何とか声を上げるのを堪えた。


 まだ気づいていないという楽観的観測は大外れだった。彼らの手際の良さは折り紙付きであるようだ。認識を改めねばならないだろう。


「同志」は聖人君子みたいな顔で、<街>の攻略がどれだけ難しいかを語った。まるで表情と話の内容がマッチしていない。筋肉隆々の男がデスクワークしているような違和感がある。


 目標の<街>は、野球場を中心に形勢されており、有事の際には球場に籠城できるようになっているらしい。当然、リーダーなどの主要な面々はそこで寝起きしている。一度引きこもられたら、攻略に多大な時間と労力がかかると彼は付け足した。


 だが不可能だとは一言も言っていない。それが不気味だった。時間はかかるが必ず落とせると確信しているかのようだ。周囲の信者たちも、気楽な格好で話を聞いている。とても殺し合いのためのミーティングだとは思えない。


 そしてそもそも、どうしてぼくたちをこの場に居合わせたのか。


 戦略の要を聞かせるようなことをしておいて何を企んでいるのだろう。「我々の秘密を聞いたからには生かして返さないぞ」とか? そうだとしたら自作自演もいいところである。


 敵対勢力の情報をひと通り話し終えると、「同志」は洗礼の儀を執り行うと宣言した。にわかに活気づく信者たち。ざわざわと落ち着きのない様子だった。


 ぼくとナズナは、何が始まるのかと身が竦む思いだった。儀式と称されて殺されてしまっては目も当てられない。そんな馬鹿げたことが起こり得るのは実証済みであるから、全く生きた心地がしなかった。


 しかしながら、ぼくたちは無慈悲に殴り殺されるということもなく、行われるのは「同志」による信者への洗礼であるようだった。


 彼の前に進み出る3名の信者。年齢はまちまちであるが、どれも信心深い顔をしている。ぼくみたいなバチあたりとは対極の存在である。


 厳粛な雰囲気のうちに行われる儀式は、確かに「洗礼」そのものだった。キリスト教の洗礼に近いかもしれない。その信仰対象は異なるのかもしれないけれど、似通った目的を持っていることは察せられた。


 眼前でかしずく信者の額部分に手を置いた彼は、何を言うのでもなく黙ったままだった。一種の異様な空気が辺りを取り囲む。他の信者たちを含め、我々は固唾をのんで推移を見守った。


 すると、手を乗せられていた信者が僅かに揺らいだ。その表情は恍惚としている。酒に酔っているようにも、クスリでハイになっているようにも見える。いずれにせよ、ぼくにわかるのは、偉く幸福そうであることだ。


 見ている者を嫉妬させる幸福っぷりだ、とぼくは感想を持った。この世で極楽浄土に辿り着いた者がいたとしたら、あの人みたいな感じになるのではないだろうか。


「同志」はそっと手を離し、「どうです? 我々の求める光が見えませんか?」と訊ねた。


 問われた信者は、感涙に咽び泣きながら「はい、見えます」と答えた。


 まるで三文芝居を見せられている気分になった。だけど演技にしては真に迫り過ぎている気がする。これが演技だったなら、あの人はきっと大した役者になれたことだろう。


 その後のふたりも似たり寄ったりだった。本当に祝福の光が見えているみたいだった。他の信者たちは羨望の視線を彼らに向けている。わからなくもないのだ。あの満ち足りた表情を見せつけられては、どんなものなのかと知りたくもなる。


 恐らく、この洗礼の儀式は信者たちの統制に一役買っているのだろう。従順に従えば、あなたもこのように幸せになりますよ、とでも言うように。


 だが見たところ、よくあるような集団催眠でもないようだし、何かのクスリを使っているようでもない。儀式の前に使用されている可能性も捨てきれないものの、遅効性のクスリは限られる。この状況下で乱用できる程在庫があるとは思えない。


 うまく信者を騙せたとしても、その一度限りの感覚だったら不信を持たれるはずだ。にも関わらず、この大勢の信者を抱え続けられるのは一体どういうことだ?


 戸惑うぼくたちの前で、洗礼を受けた3人は両腕を天に掲げ、何かを掴もうとしていた。


 ぼくもつられて視線を上げるも、そこにあるのはいつもと変わらぬ夜空だけだ。澄み渡った空気の彼方にある星々は確かに美しいけれど、「祝福の光」というには、いささか光量不足感が否めない。


 彼らの眩しげな様子は、ぼくたちには見えない光に目を細めているようだった。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




「あれは演技ではありませんよ」と彼は言った。その疑念を予想していたかのような余裕ぶりにぼくは鼻白む。


 彼は続けた。「あの方たちは本当に光が見えていたのです。選ばれた者にしか見えない『祝福の光』を」


 その言葉だけならば胡散臭いことこの上ないのだが、実際に目の前で見せられては反論もしづらい。彼の言葉を否定するには、こちらもそれなりの説得力のある証拠を示さなければならないのだ。


「その前にひとついいですか」とぼくは言った。


「どうぞ」と彼は言った。


「この状態ではとても話しづらいと思うんですけど、いかがでしょう」


 ぼくは女の子たちに揉みくちゃにされながら毒づいた。これでは侍られているというより、しわを伸ばされているワイシャツの心地である。


 あの儀式の後、「同志」と再び会談することになったのだが、案内された場所には彼以外にも世話役と思わしき女性たちが待っていた。彼が言うには、彼女たちは<選定者>ではないものの、洗礼を受けたことのある選りすぐりであるそうだ。


 ハニートラップだか知らないけれど、似たようなことは過去に何度も経験している。さして動揺もせず接待されていたのだが……。


 このスキンシップ具合は並大抵ではない。ゆのかわの集落でも群がれたのを思い出す。これはその上を行く困難さである。


 どういうわけか、彼女たちは昨日のリンネよろしく焦点の定まらない恍惚顔で引っ付いてくる。ぼくはまるでプレスでもされているみたいにぎゅうぎゅうされる。きっとぼくの前世はサンドウィッチの具材だったに違いない。トマトあるいはレタス、もしかしたらキュウリだったのかも。


 最初はもちろん抵抗したのだけれど、きりがないとわかったのでされるがままにしてある。それは流れにたゆたう葦のごとし。


「あなたの言うことももっともですが、こうなってしまっては、わたしにもどうすることもできません」


 彼はまるでこの惨状が見えているみたいなコメントをする。


「やはりあなたはわたしの思った通りの方だった。リンネさんのこともあるので確信していましたが、彼女たちの反応ではっきりしました」


 その白沢リンネ嬢は、昨日と同じ轍を踏むまいと離れた位置にスタンバイしている。そわそわと落ち着きない様子である。どうしたのだろうか? 何だか猫じゃらしを前にした猫みたいな目付きをしている。


 ぼくを守ろうとして奮闘虚しく散ったキララとナズナは、女の子たちの輪から弾き出されて目を回している。これでぼくを救出してくれる援軍は潰えたことになる。ぼくはこの惨い仕打ちを受け入らざるを得ないようだ。


「なら早く教えてくれないですか? 彼女たちはどうしてこんなラリってるんですか。まさかクスリでも使ってるわけでもないでしょうね」とぼくが皮肉ると、彼は「とんでもない」と肩を竦めた。


「わたしたちの教団ではそのような薬物は一切使用していませんよ。本当です。彼女たちがこうなってしまったのは、あなたの持つ力にあてられてしまったからですよ」


「力だって?」とぼくは聞き返した。


 彼は不思議そうな調子で、「おかしいですね、ご存じないのですか? こんなにも強く感じられるのに」


「……いや、それは」


 腕をさすりつつ答える。あの晩からおかしくなった体調など、思い当たる節はいろいろとある。彼やリンネの黒い瞳に反応するのもそのひとつだ。


 どうやら、あの晩に起こったことは幻ではなかったらしい。両腕は<黒いケモノ>に喰い千切られ、そのおかげでぼくもびっくり要素を孕む結果となったのだ。


 リンネが言っていた「いい匂い」とは、このことだったのだろう。


「わたしたちが扱う力は―――――」と彼は片目を開き、闇よりも深い黒の瞳を露わにする。「<黒いケモノ>と同じ系統に属するので、日が落ちてから真価を発揮します。リンネさんの変化には気づきましたか?」


 ぼくは頷く。昼よりも言葉少なになるのはこの理由からだったわけである。だが説明されていても、ケモノの力を人が扱うことに驚きを禁じ得ない。やつらは人類の天敵であって、体よく飼い慣らすことなど不可能だと思っていた。


「彼女は<選定者>なので特に適応率が高い。普通の人間はこうもいきません。わたしたちが<黒土>と呼ぶ力、これを受け入れることができるのは限られた人間なのです」


「……聞く限りじゃ、<黒いケモノ>の力を利用しているんでしょう? そんなものを体内に取り込んで大丈夫なんですか?」とぼくは訊ねた。他ならぬぼく自身もその一員なので非常に心配である。この両腕は恐らく、その<黒土>と呼ばれる力が関わっているに違いないのだ。


 彼は杖を立てると、ゆっくり立ち上がった。視力はないはずなのに、その足取りは確かである。


「確かに、宿主以外に触れると大変なことになりますが、それ自体が殺人ウィルスのように凶悪だというわけではありません。使いようによっては、人の益ともなるのです。わたしたちが洗礼で利用しているように」


 少しの間言葉を途切れさせた彼は、自然と天上の夜空を見上げていた。ぼくも彼に倣って不自由な格好のまま星空に目をやる。騒がしい下界に比べて、あの天上界は本当に静かで整然としている。その世界では、地球は中心なのではなく、路肩の小石にも及ばない存在なのだ。


「この力は、善悪には収まりきらない代物なのです」と彼は言った。「そのような小さな枠組みに収まりきるはずがありません。生や死といった概念も、その力の前では無に等しいのです」


「だからといって、罪もない人々を殺すことは正当化できないはず」とぼくは反論する。


「正当化などしませんよ」


 その能面のような笑みにぼくはぞっとした。まるで人間を前にしているようには思えなかった。根本から構造の異なる人外と話しているみたいだった。


「言ったでしょう、『生も死も等しい』のだと。あの野蛮なケモノにとっては、あの行為そのものに意味はないのですよ。殺すために殺しているわけでもないし、空腹だから人間を喰うわけでもないのです。あれはただの結果です。彼らに殺人の意思はないのだから、それはきっと罪には成り得ません」


「……そうだとしても、それは向こうの都合ですよ。喰われる人間にとっては―――――」


「なぜ向こうの都合だからといって悪いのですか? 我々だって自分たちの都合で動物を殺してきたではないですか」


 夜空を見上げたまま語りかけられた言葉にぼくは閉口した。その当人ではなかったとしても、ぼくはその行為の恩恵を受けていた人間のひとりである。動物を殺すことによって日々の生活を営んでいたのだ。


 別に牛を殺したくて殺すわけでもないし、腹が減っていたから殺したわけでもない。


 それはお金のためであったり、食料のためであったりした。そしてそのことに罪の意識なんて抱きようもなかった。これで牛の裁判所から、「殺牛の罪で逮捕します」などと命令されても一笑に付すに違いない。「何を馬鹿なことを」と。


 食物連鎖の上位者にそのような暴挙が許されているのなら、人間の上に立った<黒いケモノ>の行為は罪でも何でもない。ただの行為だ。


「わたしたち人間にケモノの行為を非難する資格はありません。それと同様なのですよ、わたしたちの行なっていることは」彼は視線をぼくに戻し、「殺人をしたいわけではありません。ただ、結果的にそうなってしまっているだけなのです」


 以前、リンネから聞いたことだった。その時は到底受け入れられるものではなかったけれど、彼の話を聞いた後だと一蹴だにできない。「許さない? どういう権利があってそう言えるのですか?」とでも返されたら言葉に窮する。


 命は大事だとでも言えば、「たくさんの動物を虐殺してきたのに?」


 人間は特に大事なのだと言えば、「滅びる直前になっても殺し合うことをやめないのに?」


 大切な人は特別なのだと言えば、「あなたの特別でない人は、誰かの特別な人であるのに?」


 法律がなくなった今、人々を律するのは存在なき法だ。それは個人の中にしかあり得ない。昔から「自然法」と称されてきたそれらが、眉唾であることは嫌という程味わわされている。


 人間を喰らう<黒いケモノ>。


 人間を殺す<絆教>。


 あらゆる生き物を殺す<ヒト>。


 これらには、どのような違いがあるというのだろう。人間は特別で、他の生物を殺しても許されるという考えは酷く傲慢だ。


 そしてそもそも、「殺すのはいけない」と規定しているのだって人間の勝手なのだ。


 動物によっては殺しも日常の一環なのかもしれない。それを人間の尺度で断ずるのは的外れもいいところである。


 人間なのだから人間を中心に考えても仕方がないという考えもある。だがそれを前提した場合、<黒いケモノ>は人間のことを食料としか見ていないとしても肯定されることになる。種族が違う。次元が違う。自らを一方的に全肯定する者は、他の者に全否定される宿命にあるのだ。


 目の前の男は特別な理念の下に生きている。彼に倫理観でものを訴えたところで通用はしない。前提が異なる人間同士は、わかり合えないのだ。


 ぼくはどうしようもない無力感に苛まれた。自分にはどうすることもできない存在を前にすると、否応なく己の矮小さを自覚させられる。<黒いケモノ>を前にした時と似ているかもしれなかった。


 気が付くとぼくを囲んでいた女の子たちが転がっていた。酔いの度合いが許容量を超えてしまったらしい。皆幸せそうな表情で意識を飛ばしている。


 まだ凍える程ではないとはいえ、シート一枚敷いた地面の上に寝かしておくわけにはいかない。ぼくは彼に頼んで女の子たちを運んで貰うことにした。


「折角あなたに楽しんでいただこうと思ったのに、申し訳ありません」


「……いえ、十分堪能させて貰いましたよ」


 女子プロレスのごとくぎゅうぎゅうされましたけれど。


 リンネが他の信者たちと協力して転がっている女の子を運んでいる最中、それと入れ替わりにキララとナズナが復活した。彼女たちは敵がいなくなっているのを悟ると、ほっとひと安心した。


 気を取り直した我々は尻を据え再び向かい合う。


 結局、とぼくは口火を切った。


「あなたは何を望んでいるんですか? ケモノの力云々は信じられないですけど真実としか思えないので受け入れましょう。ですけど、あなたたちの目的がはっきりしない。<回帰>とやらの先に天国でもあるっていうんですか」


 キララとナズナはぼくの隣に腰を下ろし、このやり取りを見守っている。ぼくは見知ったふたりに挟まれているのを心地よく思った。先程のサンドウィッチなんか目ではないサンド具合である。やはり具材の身としては、ハードよりもソフト生地が好ましい。


「そうですね。その問いにお答えするには、まずわたしの自己紹介をしておいた方が無難でしょう」と彼は言った。そして小さくお辞儀をし、「わたしの名は大河内ダイチ。以前、神野教授の下で助手をしていました」


 彼の意味ありげな笑顔に気を取られ、その内容を理解するのにしばらくかかった。それから文字を咀嚼した頭が機能し始める。


 大河内ダイチと名乗った「同志」と呼ばれる男。


 それから、神野という教授。


 そう、神野。


「神野って、神野マサクニのことですか!?」


 ぼくは驚愕して声を荒げる。


 神野マサクニ。あだ名は「教授」。ぼくの歳の離れた友人であり、ぼくが旅を続ける理由のひとつである人間。彼は考古学の教授で、政府に協力して出生率の減少に関する調査をしていた。ぼくの数少ない友人であり、横領で捕まる前にそれとなく忠告してくれた男である。


<審判の日>以降、行方が知れなくなっている友人の助手だというのか、彼は。


「ええ、その神野教授で間違いありませんよ。それからもうひとつ。あなたはなぜ自分のことが知られているのか不思議に思っていましたよね? 種を明かしてしまえば何てことありません。ただ単に、知っていたからですよ。あなたは覚えていないかもしれませんが、以前研究室を訪れた際にわたしたちは顔を合わせています」


「え……」


 確かに、何度も教授の研究室には足を運んだ。だが用があったのは彼だけだったので、他の人間の顔は覚えていない。今思い返してみても、数名くらい挨拶を交わし合った覚えがあるだけで、その顔と名前は全く思い出せなかった。


「神野教授は、出生率の低下が科学的には説明できないことを早期に悟っていました。ですからその解明を別の面から試みた。目を付けたのは『終末予言』の記述です」


 ぼくも教授から話を聞いたことがある。当時はオカルトじみている、非科学的だと笑いの種になっていたジャンルであったが、一向に問題解決ができず、2000年を境に一挙に悪化した世界情勢の中で重要視されるようになった。


 それでも大半の学者たちがゲテモノ扱いをしていたそれが、まさか真実になるとは、当時は誰も想像していなかっただろう。


「まさかあなたは、教授のいう終末説実現のためにこんなことを……?」


「それは勘違いというものです。そもそも、神野教授は聖書の『黙示録』のように、世界の終末を予言したものだとは考えてはいませんでした」


 そう言う彼は少し悲しそうな顔をする。


「『2012年人類滅亡説』などという名称で有名になってしまったからいけないのでしょうね。ですがその石文にしても、それは人類の滅亡を予言したものではなく、マヤ文明の周期を表したものだという見解もあります。終末論者が好んで飛び付く話題であっただけに、誤解されて広まってしまったのです」


 ぼくは記憶の底をほじくり回している。確か、教授も似たようなことを言っていた気がする。彼が教授の助手であったという話も、あながち嘘ではないのかもしれない。


「じゃあ、『同志』―――――いいえ、大河内さんはどのような見解をしているんですか?」


「わたしは目的達成のために元の名を捨てた身です。どうか『同志』とお呼びください」と彼は言った。「わたしは……いいえ、『神野教授は』と言った方がいいでしょうか。彼は石文の記述に関してある特異点を発見しました。それは時制の点です」


「時制?」とぼくは訊き返す。それだけだと要領を得ない。ぼくは無言で先を促す。


「教授と共に石文をくまなく解析するうちに、文の言い回しがおかしいことに気づいたのです。通常、予言というのは未来を語る文体になります。『~だろう』『~することになる』などといったように。ですがそうやって訳していくうちに、どうしてもうまくいかない部分に突き当たりました。そこでは未来時制にすると意味が通じなくなります。『未来』でははなく、『現在』あるいは『過去』時制にするとうまくいくことがわかりました」


 彼はそこまで難しいことを言っているわけでもない。だがどうにもイメージしづらい話だった。


 未来時制とそれ以外だと、どんな違いがあるのだろう? 例えば、「食べた」と「食べることになるだろう」では、そこにどんな差異が生まれるのだ?


「この違和感を突き詰めていくうちに、我々はある結論に達しました。それは今まで予言だと思い込んでいたものは、実は記録だったのではないかというものです」


「記録……だって?」


「ええ。『2012年にこれこれどうする』ではなく、『2012年にこれこれどうした』だったのではないかということですよ」


「だけどおかしくないですか」とぼくは口を挟んだ。「今年が2015年なのは誰だって知っていることですよ。その3年前、2012年を待たずしてマヤ文明が滅んでいることだって事実じゃないですか」


 そしてそもそも、その終末説が書かれている石版も大昔に造られているのだ。どう考えても矛盾するではないか。


「それは西暦での話でしょう」と顔をほんの少し上げ、「石版に記述されている『2012年』がどの『2012年』なのかは誰にもわからないのですよ。彼らが使っていた暦上のことなのか、あるいは知られていない別の特殊な歴上でのことなのか。いずれにせよ、彼らが家にあるカレンダーを見ながら石版を刻んだわけではないはずです」


 ふむ、とぼくはこれまでの話を吟味してみた。彼の言うところによると、石版は予言文ではないらしい。現在、あるいは過去の記録という線が濃厚。それから記述にある「2012年」も西暦上のことではない。


 何だかさらに胡散臭い代物に思えてきた。現在の概念から逸脱したものとしか言いようがない。まるでオーパーツではないか。きっと水晶ドクロとかのお仲間に違いない。


「予言ではなく記録だった……2012年に人類が滅んだ」とぼくは口に出してみる。「もしかして、その『人類』ってのも味噌なんじゃないだろうか」


 彼はその通りとでも言うように微笑んだ。


「大昔の人々の指す『人類』とは、酷く狭い範囲での話なのです。自分たちの知っている世界でのことでしかない。古代の人々にとって『人類』とは、「わたしたち」「彼ら」という自分で数えきれる範囲でのことだったはずです」


 唇を湿らせた彼は続ける。


「さらに指摘させていただくと、『滅亡』という点にも別の面があることがわかります。滅亡、つまりは『死』。それらが意味するのは『再生』と『生』。古代の人々にとって、死と生は当価値であったのです」


 現在でも少なからず言われていることだが、実際に生きている人間からすれば共感しづらい話だ。今を生きている人間にとって死とは一番遠くにあるものであって、決して等価値ではない。むしろ対極であると考えるだろう。それが勘違いでしかないのだとしても、多くの人間はそう信じているのだ。


 とどのつまり、死生観、時制などを現代人の感覚で捉えてはならないということだ。


「だから、その点を考慮して再訳すれば、このような『記録』になります」と彼は言った。「『我々の歴上における2012年12月21日に、我々の多くが死んだ』……簡潔に言ってしまえばこうです。そしてこれまで全訳できなかった部分をこの見解から突き詰めると、ただ死んだのではなく、同時に生まれてもいるのです」


「滅亡と再生というわけだ」とぼくは言った。


「その通りです」と彼は答えた。


 話はいよいよ冒険映画みたいになってきた。以前にも似たような映画を見たことがある気がする。それが現実問題という形で現れてくると不思議な気分だ。まるで御伽の国にでも迷い込んでしまったかのようだ。


 何てファンタジック、とぼくは思った。


「『我々の死から我々の子が生まれる』、そのような記述がありました」


 彼は長い独白を終えたように一息ついた。穏やかな表情の中にも興奮が見て取れる。この話題は彼にとってかなり重要な位置を占めるものであるらしい。教授の助手であったそうだし、彼らが突き止めた発見には自信があるのだろう。


「それで、今までの話と、あなた方<絆教>の目的とはどんな関係があるんですか」


「わたしはこのように信者たちを率いる身ではありますが、今でも学者だと思っています。神野教授が唱えた説は2012年12月21日をもって証明されたのです。石版の記述は予言ではなく、彼らの滅亡間際の記録だったのだと。そしてその災厄は周期的に訪れるものなのだと」


 すう、と彼は息を吸い、


「彼らは滅亡によって新たな子を得たのです―――――それはすなわち新たなる人類。我々は2012年という歴上において岐路に立たされる宿命なのです」


「……」


 ぼくは話の突拍子のなさに口を開けたまま言葉を失った。熱のこもった口調で語る彼は狂気に囚われているようにも、あるいは真実の一歩手前でもがいているようにも見えた。


「わたしたちは選択を迫られているのですよ―――――滅亡か、それとも、『進化』か」

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