第30話
強烈な印象を残して去っていった双子のせいか、その後の話題はしきりに子供たちに関するものとなった。ぼくとナズナはそれぞれ思ったことを議論した。ぼくから見た視点、ナズナから見た視点、やはり年齢や性別、育った環境によって、かなり持論も異なるようだった。
キララという身近な子供に触れているとはいえ、子供に対する困惑や畏れは根強く、あの双子のように得体の知れない子供に対しては、あまり関わりたくないらしい。
次の目的である<街>へと向かう道すがら、ぼくたちは「なぜ子供たちに異常が見られるようになったのか」を議題に時間の暇つぶしを行った。
とっくに成人を果たしているぼくからしてみれば、ナズナもキララも同様に「子供」であるのだが、ナズナにとっては、キララたちのように15歳以下の子供とそれ以上の自分たちとでは大きな隔たりを感じているそうだ。
外見的なものではなく、出会った瞬間に「この子は違う」と直感できるらしい。
直感、という響きにぼくは興味を持った。他ならぬぼく自身もその手の話題に事欠かないからだ。
水遊びをした橋の上を通り過ぎ、空を滑空するトンボの群れを見送る。
ナズナは「前から気になってたんですけど」と指を空に向けてトンボを捕まえようと奮闘しながら話を続ける。
2012年以降全く子供が生まれなくなったことと、それ以前に僅かに生まれていた子供がおかしくなったことに、関係があるのは明らかではないかと彼女は言う。
ぼくはそれに同意した。そのことは以前から考えていたことだった。ぼくの他にも、世界中の殆どの人間が思い至ったことだと思う。だが確証はなく、推論でしかないという点でも共通しているだろう。
子供が生まれなくなったことと、子供の異常の因果関係は予想できても、その原因は依然として知れないままだ。まともな研究機関が消滅してしまった今、その答えを求める方法は、地道にフィールドワークを続けるほかない。
ぼくは以前から考えていたその原因についてナズナに話してみた。他の人の意見を聞くことによって、自分の中でも情報が整理されると思ったからだ。
まず考えられたのは、環境ホルモンといった、周囲の環境による影響である。以前から子供への影響が懸念されていた分野でもあるし、過去の歴史を見てみても、薬や公害の影響で奇形児が生まれるといった前例に事欠かない。
ナズナも興味津々にぼくの持論を聞いてくれている。じゃあ、それが原因なんですか、と彼女。ぼくは首を振って否定した。
がたん、と段差を乗り越えたために馬車が揺られる。ぼくとナズナは赤ベコみたいに頭を揃って上下させた。
ぼくは環境が原因だとしても、地球規模で影響が出るのはおかしいのだと言った。ある特定の地域でその傾向が出たならば公害が疑われるし、特定の製品を使って症状が出れば原因の究明も大した問題とならない。
だがしかし、子供が生まれなくなるという症例は全世界的に発生したのだ。それも同時期に。そうなると環境ホルモンや公害は考えづらい。
地球全土で同時多発という条件を鑑みると、考えられるのはウィルスや細菌など、空気を媒介として広まる原因である。あるいは宇宙からもたらされる放射線だろうか。いずれにせよ、原因を特定するのは並大抵ではなく、世界中の科学者が雁首並べても解明できなかったことから、既存の概念では説明できない可能性が高いのだ。
議論を重ねるうちに、ナズナは面白い仮説を立てた。ミュータント説である。
彼女が昔に見た映画の中に、遺伝子が突然変異を起こし、人間とはかけ離れた能力を得た人間を描くものがあったらしい。ぼくもずっと昔に見たような覚えがある。手から炎や水を出して闘っていた気がする。
言われてみれば、キララの探索能力は超能力としか言いようがないし、あの晩に目撃した少女もまるっきりSFじみていた。
かつての世界なら一笑に付していた意見も、実際に文明社会が滅亡した現在では説得力があった。事実は小説よりも奇なりを実践で突っ走っているのだから。
はてさて、だがそうなると我々は旧人類ということになり、絶滅の憂いにあることになる。何せ全人口が子孫を残せない身体になってしまったのである。子孫を残せなくなれば、後は放って置くだけでも絶滅する。新人類たるミュータント勢は、映画のように反旗を翻さずとも、屋内でぬくぬくとしているだけで勝者となることができるのである。
ぼくは荷馬車内でぼうっとしているキララを見た。彼女がミュータントだと言われてもしっくりこない。見た目が異なるわけでもないし、円盤から地球に降り立ったところを目撃したわけでもないのだ。
彼女はアカリとその再婚相手との娘であり、ぼくとは血の繋がりはないまでも大切な家族である。
もしも彼女が人類に仇す存在だったとしても、ぼくは最後まで彼女を守り続けるだろう。その結果、ぼくは最後に残った旧人類として彼女に殺されることになっても後悔はない。むしろ彼女の手で介錯して貰うことを幸運に思うだろう。その辺の道端でひとり寂しく死ぬよりはずっとマシな死に方ではないか。
虫取り網がなく四苦八苦していたナズナはようやくトンボを捕まえた。彼女に羽を持たれたトンボは、無表情にブルブルと身体を震わせている。それは恐怖しているようにも、大して怯えていないようにも見えた。
トンボの大きな両眼を覗き込みながら、ナズナは「突拍子もない話ですけどね」と今までの持論を破棄するような口ぶりで言った。
確固とした証拠がない以上、どんな暴論だって考えられなくはないのだ。SFでもファンタジーでも、無理矢理に説明付けようとすれば不可能でもない。反論材料は失われて久しく、目の前に転がっているのは茫洋とした廃墟だけなのだった。
見知った道を通り過ぎ、ぼくにとっては初対面となる街道に入る。東京に向かう道ではあるものの、田舎道としか表現のしようがない。片道一車線であり、その細路が彼方まで延々と続いている。眠気に襲われる昼下がりには交通事故が頻発しそうな緩い直線である。
幸いなことに通路を塞ぐ自動車もない。通せんぼする障害物をいちいちどかす羽目にならなくてぼくはほっとした。放置された廃車による渋滞が予想された国道を敢えて避けたのが良い方向に繋がったようだ。
曲がり下りもない平坦な道が続く。ぼくにとっては退屈なことこの上ないコースも、荷馬車を引く公爵夫妻にとっては優しいものである。夫妻は心なしか周囲の代わり映えしない風景を楽しみながら歩みを進めているようでもあった。
途中で休憩を挟み、我々は南下を続ける。
打ち捨てられた廃墟はどれも似たような風ではあったのだが、お嬢さん方ふたりは飽きもせず代わる代わる現れては消える廃墟について語っていた。とは言ってもナズナが一方的に喋っているだけだった。それでもキララがきちんと話を聞いていることはぼくにもわかった。恐らくナズナにもそれはわかっていると思う。だから飽きもせずに延々と講釈をたれているのだろう。
日が完全に沈む前に一夜の宿を見つけ、そこで一泊する。だいぶナズナも旅に慣れたようで、言わずとも自分にできることを率先してやってくれるようになった。ぼくは彼女に仕事を任せられるようになったし、キララの相手もしてくれるので大助かりだった。
手が空いている間に野鳥を捕まえてみたりと、役割分担による負担軽減を活かしてぼくは動き回った。
夜は3人で川の字になって眠る。就寝前のお喋りにナズナが加わったので、以前よりも華やかになった気がする。
ナズナもナズナで、主役はキララだということをしっかりと弁えて、あまり前面に出過ぎないよう絶妙な立ち位置をキープしていた。その涙ぐましい努力も相まって、キララの信頼を勝ち得たようだった。夜になれば、キララはナズナにも話しかけるようになった。喜ばしい進展だった。
ぼくの寝袋にキララが入り、その隣の寝袋にナズナが包まっている。
ナズナはぼくの腕の中で眠るキララを羨ましそうに見た。それから自分も試してみたいと言い出した。彼女がまだ純真無垢な年頃であったのならそれもやぶさかではなかったものの、彼女はすでに花も恥じらう年齢になっている。男女同衾が許されるのは、親子か恋人だと相場が決まっている。ぼくは断固として拒否権を発動した。
だがそれも、キララがあっさりとナズナに位置を譲ったおかげで水泡に帰した。こんなところで仲の良さを発揮してくれなくてもいいではないかとぼくは慟哭する。
嬉しそうに潜り込んでくるナズナは、わざとかわからないが的確にぼくの男心をくすぐってくる。決してあからさまに迫ってこないところに末恐ろしさを感じてならない。そんなことをすれば、ぼくが直ちに彼女をパージすることを承知している節があった。
胸の中でじっとぼくを見上げてみたり、かと思えば恥ずかしげにはにかんでみせる。ぼくは危うく彼女を猫っ可愛がりして果てる幻想を見てしまった程だった。ぼくの七変化する表情を見て、彼女はにへらとした無邪気な笑みを浮かべる。
彼女の甘え方には、子が親に求めるような親愛があるから無碍にできなかった。ぼくは手のひらの上で弄ばれていることを気づきつつも、彼女の思惑に乗るしかなかった。
まあ、それがぼくとナズナのコミュニケーションの取り方だったのだ。付かず離れずの距離とでも言おうか。彼女は姉とぼくとの関係を察していたし、そこに無理やり割って入るつもりもなさそうだった。
しかしながら、そこで何もせずとならないのが彼女が彼女たる所以だった。
危うい境界線を見極めつつ、その立ち位置を模索するのが使命なのだとでも言うかのようだった。ナズナから向けられる感情は、ぼくとしてもその種類が渾然としていてはっきり掴めなかった。もしかしたらナズナ自身もわかっていなかったのかもしれない。
彼女は恋人を亡くしており、ぼくも妻を亡くしていた。そういった共通点がぼくたちを結び付けているのかもしれなかった。
就寝前の僅かな時間に、ナズナは昔語りをしてくれた。今は亡き両親との思い出や友人たちの話だった。ぼくとキララはナズナの語る半生を粛々と聞いた。ナズナは昔語りをすることで過去との折り合いをつけようとしているように見えた。ひとつの思い出を語るたびに、彼女は故郷を捨ててきた放浪者みたいな顔をするのだ。
彼女が過去を語るのだから、ぼくも自身の人生を語らざるを得なかった。ナズナが昔語りをしたのは、ぼくの話を聞きたかったからかもしれない。直接訊ねられていたとしたら、ぼくはきっとのらりくらりとごまかしていたに違いなかったから。
他人に自分の人生を語るというのは妙な心地だった。目の前で人生のスライドショーを鑑賞させられている気分だった。言葉にしようと記憶の引き出しを開けるたびに、ぼくは名状しがたい感覚に襲われた。それは決して嫌なものではなかった。むしろほんのりとした暖かさを感じる代物だった。
ぼくの半生は幸福だったとは言いがたい。けれども、こうしてナズナに語るために思い出していると、別にそれ程悲観するような人生でもなかったように思えてくる。
学生時代はろくに青春を謳歌できなかった。だが好きなことをやったという充実感はあった。
アカリと結婚して子をもうけることはできなかった。だが彼女を好きになってよかったと今でも思っている。
その後の数奇な運命も、こうしてキララとナズナと共に語るためにあったのだと思うと不思議な気分だった。広大で何もない宇宙空間に独り漂っているかのようだった。ぼくは地球からも太陽からもずっと離れた宇宙の果てで、ひとりぼっちだった。だが目には見えない、捉えられない何か大きな存在に抱かれているような気がした。生まれる以前から知っているような、命を終えてからようやく辿り着くような景色だった。
ぼくは求め続けているものの片鱗を見たような気がした。あともう少しで手が届きそうだった。けれどもそれは、いつもうたかたの夢となって両手をすり抜けていく。
いつか手に入るのだろうか、とぼくはふたりの少女の寝顔を静かに眺めながら思った。
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風景が移り変わり、放置されている廃車の数が増えてきた。首都圏に近づいている証拠である。これから先は特に警戒を要する地域だった。入り組んだ経路は元より、都市近郊に残さている物資を狙う輩がうろついていないとも限らないのだ。
夜間のうちにキララに頼んで周囲を探索して貰ってはいるが安心はできない。キララの力を妨害する者が相手側にいる場合が問題だ。キララの話では、こちらの位置をごまかすことはできないらしい。つまり向こうからは筒抜けになってしまう。
キララはしょんぼりと自身の至らなさについて謝罪した。今にも泣き出しそうだった。ぼくとナズナは「気にしないで」とキララを慰める。彼女がいなければずっと大変な旅になっていたのは明らかだった。それを至らぬ点があるからといって非難するのはあまりに薄情だ。
それに、全く相手の位置を掴めないわけでもないのだ。キララの力が及ばぬ相手がいれば、そこは能力の認識外として探知されるから、「普通でない相手はいる」という漠然とした情報を掴める。これは重要である。
だがそれも完全ではないことを思い知らされることになる。
もうすぐ話に聞く<街>に辿り着くという手前のところで、突然キララに警告を発せられた。咄嗟に理解が追いつかずぼくは呆然としてしまった。気が緩んでいたと言っても過言ではない。
事態の把握はすぐにできた。あっという間に複数の人間に取り囲まれてしまったからである。
ぼくは無意識的に荷馬車の扉を閉める。万全とは言いがたいが、これでも防弾仕様になっている。多少の攻撃ならいなせるはずだ。
結果、ぼくは野外に孤立してしまったわけだが、問答無用で襲ってこないところを見ると、ぼくが生き残る可能性もなきにしもあらずであろう。
さり気なく目を走らせると、四方を体よく囲まれていて逃走の余地はなさそうだった。サバイバルナイフを刃にした長槍で武装している。防具は皆無だった。そこら辺にいそうな身なりである。
その誰もが落ちつている様は、ぼくにデジャヴを見せた。あの胸くそ悪い晩に見た連中と同じ顔つきだった。
<絆教>か、とぼくは歯噛みした。それなりに警戒したつもりではあったけれど、万全とはいかなかったみたいだ。前回と同様に、キララの警戒網をくぐり抜けて突然現れた。そしてあちらは罠を張っていたように物陰に潜んでいたようだ。
穂先を突き付けられたぼくは両手を上げて地面に降り立った。敵のひとりがぼくの腰元からマチェットを取り去る。それから念入りにボディチェックをされた。おかげでポケットに入れていた十得ナイフやらも奪われてしまった。ぼくは大したものだと半ば感心してしまった。
ぼくを見張る人間の中には、忘れもしない顔があった。あの晩に半殺しにされかけた例の少女である。昼間に見る彼女はいっそう人形めいた造形をしていた。彼女はボディチェックが終わるまで、ただ無言でぼくを見据えていた。
「突然の無礼、申し訳ありません」とその少女は切り出した。真面目くさった口調がこれ程似合う人物もいないだろう。
彼女は日本人形みたいなこざっぱりしたショートカットで、その目元は年齢に相応しくない厳しさを孕んでいた。戦国時代の武家の姫様じゃないのか、とぼくは感想を持った。
「わたしたちはあなたに危害を与えるつもりはありません。ですからそちらも相応の対応をお願いしたいのです」
ぼくは皮肉げに口元を歪めた。「危害を加えないって、この状況は何なんだい? 四方八方から刃を突き付けられてるんだけど」
少しでも不審な態度をしたら最後、間髪置かずにぼくはプスプス刺されるだろう。とても痛そうだ。
「これはあなたの承諾を得るための事前措置ですのでご勘弁を。誤解なきよう申し上げておくと、わたしたちは決して血を好んで争うような野蛮人ではありません。武器を持つのは最低限ですし、できることなら、このような真似はしたくないのです」
物憂げに訴える姿は迫真していた。演技であるようには見えない。
あの晩と変わらず人形めいた容姿ではあるものの、気のせいか表情に富んでいる気がする。あの時は眉根ひとつ動かさなかったのに。
ぼくの怪訝顔をどう思ったのか、彼女は仲間に命じて穂先を向けるのをやめさせた。
刃物を向けられるというのは偉いストレスである。ぼくは鈍色の切っ先が消えてくれたのと同時に安堵のため息をついた。
それでも複数の人間はぼくを逃さぬように取り囲み、少しの油断も見せていない。
ぼくは肩を竦めて、「取りあえず感謝しておくよ。ぼくも歳だから、最近はナイフの先が怖くて仕方がないんだ」
「これからお話しようというのに、ナイフを向けたままではいかないですから」
少女は僅かに笑みを浮かべた。目を凝らさなければ見逃してしまいそうな儚い笑みだった。
ぼくは毒気を抜かれた心地で彼女と向かい合った。問答無用で殺されることはないようだった。ここで強情に対話を拒否したところで有利になるはずがない。一応は相手の思惑に乗るのが懸命だろう。
降参の意を示して両手を上げたぼくは、「わかった。君たちの話を聞こう」と言った。
少女は満足気に頷く。それによって周囲の人間からもほっとした気配がもれてきた。彼らも感情がないロボットでもないようだ。それがわかっただけでもよしとしよう。
ぼくは話を聞く条件として、ぼくと残りのふたりの安全を保証させた。相手はなぜだかぼくと対話したいようだったので、この程度の条件ならばのんでくれると思ったからだ。
案の定、すんなりとぼくの要求は通過した。これでほんの少し肩の荷が降りた。まだ予断を許さないのは当然のことながら、一応の安全を確保できたのは大きな収穫である。
ぼくは荷馬車内にいるふたりの少女のことを話した。今さら隠したところで目撃されているだろうから、下手に隠し立てしない方がいいと判断した。
少女の許可を得てぼくは荷馬車の扉を開く。中で話を聞いていたらしいナズナは、キララを伴って恐る恐る外に出てきた。
人間味の薄い連中に包囲されているのは相当な圧迫となる。ナズナはぼくの背中にくっ付いて油断ない睨みを効かせていた。
向こうの少女とナズナの目が合った。同年代の親しみは微塵も感じられなかった。お互いをお互いに認めていない色があった。むしろ敵視していると言った方が相応しいかもしれない。
無言の激突をした両者はふいに目を逸らす。初めから興味がありませんよ、と意地になっているみたいだった。
「まずは自己紹介をさせていただきます」と少女は場違いなくらい丁寧な仕草で言った。「わたしは白沢リンネと申します。今回は我らが『同志』の命により、あなたをお迎いにあがりました」
白沢リンネと名乗る少女は優雅に一礼し、目的というよりは要求を突き付けてきた。どちらにせよ拒否権がないこちらにとっては茶番もいいところである。
「あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「…………」
偽名を使うべきか、とぼくは逡巡する。本名を名乗ったところで不利になることもないだろうが、思いがけない影響がないとも限らない。だが考え過ぎかもしれないけれど、偽名を名乗るのは相手に対する不義理にもなる。相手が名乗った以上、こちらも名乗らないといけないだろう。初対面で偽名を用いたと後にわかれば、いろいろと話がこじれてしまう可能性があった。
「ぼくは湯田セイジだ。どうぞよろしく」
白沢リンネはにこりとして、
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。『同志』が話していた通り、誠実な方なんですね。きちんと本名を名乗っていただきましたし」
「それはどういう……」と言いかけて事態を呑み込めた。
つまり相手はぼくのことを知っているということだ。もちろん名前も知っている。少女は予めぼくの名を知っていて名乗らせたわけである。ぼくがどのような人間であるか試すために。
いいようにやられた不快感と、こちらは知らないのに向こうは知っているという圧倒的不利な状況に恐怖感が頭をもたげる。ぼくは声を詰まらせながらも、辛うじてそれを表に出すことを避けた。
「君も意地が悪いね、白沢さん」
「リンネとお呼びください、セイジ様―――――いえ、『お父様』と申し上げた方がよいでしょうか」
口を半開きにして呆けるぼくを、彼女はくすくすと忍び笑いをもらして見ている。その様子はあの双子の少女に似通っていた。白沢リンネからもたらされる得も言われぬ圧迫感の正体を思い出して、ぼくは目の前の少女の底知れなさに心底すくみ上がった。
「セージは、セージなの」と黙っていたキララは進み出て、白沢リンネを射殺さんばかりに睨み付けて言った。「おとーさんじゃ、ない」
リンネは仰々しく頭を下げて、「それは申し訳ありませんでした。ですがお父様がお父様でいらっしゃるのは事実ではないですか。他の巫女様たちも同様に考えておられるようですが」
先程から彼女の言葉には聞きなれない単語が混ざっている。「同志」だとか「巫女」だとか。彼女たちが新興宗教団体である証拠なのだろうけれど、それが年端もいかない少女の口から出てくると違和感を覚えてならない。
同時に理解の及ばない相手と向かい合っているという実感をもたらしてくる。ぼくは引け腰になる己を苦労して叱咤した。
「ほら、このように」とリンネが身体をずらすと、背後にいた子供の姿があらわになる。その子供は灰色の瞳をぼくに向け、少しの高低差もない声を放った。「お父さん」と。
ぼくの眼前で交わされる会話はとても理解が追い付かない。ただ聞き流しているといっても過言ではない。無理に理解しようとすれば、瞬く間に脳みそは熱暴走を起こしそうだった。
キララと相手の子供は一言も発しない。でもそれは常人にはそう見えているだけで、言葉とは違った次元のやり取りが行われているようにぼくには見えた。
やがて疲れた表情をしたキララがぼくに抱きつく。聞き分けのない子供の育児疲れを起こした母親みたいな疲れ方だった。ぼくは彼女を抱き上げて頭をなでてあげる。彼女は彼女なりの闘いをしているのだ。ぼくにはそれが何となく理解できた。
「さて、巫女様のお話も済んだことですし、本題に入らせていだきます。先程も申し上げた通り、わたしたちはお父様のお迎いに参った次第です。ご同行願えますね?」
確定事項を確認するように、白沢リンネは言ったのだった。




