第3話
常備していた鳥類捕獲用のハネ罠キットをついでに仕掛けておく。餌は昼に食べた乾パンのくずだ。運が良ければ何かがかかるだろう。
2000年を過ぎてから、激減していった人類とは正反対に、自然界は急激に勢力を回復しつつあった。人間の手が加えられなくなったせいもあるだろうし、動物たちの勢力範囲が広がったせいもあるだろう。
おかげで人間も彼らを捕らえることによって食い扶持にありつけるのだから、案外地球自体は終わりを迎えたわけでもないのかもしれない。まあ、その恩恵にありつくには狩猟の知識が少しばかり必要なのだけれど。
滅びに瀕しているのは人類だけであって、地球規模から見れば、ひとつの種の絶滅なんて幾度もなく繰り返されてきたことだった。だから人類が「この世の終わりだ」と騒ぎ立てているのを、地球は生温かい目で見ているのかもしれないな、とぼくは思った。
昼寝から目を覚ましたぼくは、多少気分が良くなったことを確認して出かける準備を整える。
戦利品を持ち帰るための大型リュック、それから武器としてマチェット。暗闇でも目立ちにくい黒塗り処理がしてある。
こんな終末世界で威力を発揮しそうなのは銃器であるが、<黒いケモノ>たちは精密機器や重火器に過剰反応する性質を持っているので、そうした物品は最近見なくなった。
この性質のせいで各国の軍隊はいの一番にケモノたちの餌食となってしまったらしい。人間側からの攻撃が一切通じない化物が相手では、世界の軍隊もどうしようもなかったようだ。
そのため、<審判の日>を生き延びた人間たちは、昔ながらの弓や槍で武装するのが普通である。通信手段は失われ、口伝でしか情報は伝えられないので、大規模な戦争は姿を消して久しい。
ぼくは相変わらず不動を保つキララの傍に行き、昨日の場所を散策してくることを告げる。
何も反応はないと思っていたのだが、予想に反して彼女はぼそぼそ喋り出した。
「そのふたりなら、もう、しんじゃってる」
「……逃げ切れなかったか」
あの場にどれくらいのケモノがいたのか知れないけれど、ふたりが別々の方向に逃げたとしても、ケモノが二匹いたらアウトだ。一匹だけだったら、片方は犠牲になったとしても、もう片方は逃げ切れる可能性がある。
ぼくはこうして生き延びているわけで、助けに行ったぼくを囮にした天罰を彼らはきちんと受けていたのだった。
「彼らの遺品で使えるのがあるかもしれないから。ちょっと見てくるよ。昨夜の場所からそんなに離れていないんだろ?」
キララは歌の一番を唄いきれる時間じっくり考えこんで、こくりと頷いた。
「じゃあ、行ってくるよ。君はここでおじさんの無事を祈っていてくれ」
ぼくはそう言い残して出発した。背中には無言の圧力が感じられた。彼女を残してひとり行動するぼくを非難しているのか、寂しがっているのか。昼間の彼女からは何ひとつ読み取れない。
夏も終わりに近づき、空気に涼しさを感じる季節になった。快晴の下、ぼくは死んだ人間の遺品をさらいに行くという、何ともバチ当たりな行為を行おうとしていた。
天気がいいだけに、死者を辱めるような行為は気が重かった。だがこれも生きるためだと割り切らなければならない。いちいち感傷的になっていては、この世界では生き残れないのだ。
早速気分をダウンさせながら、ぼくは昨夜の惨劇の場所へと向かう。しばらく行くと、大量の血がぶちまけられているのを発見した。死体はない。血糊でべったりの服がふたり分あるだけである。
ケモノに襲われた人間の死体は残らない。アイツらはとても行儀の良い連中なのだ。きっとママの躾がよかったのだろう。
遺されていた物の中から、使えそうなのを探す。
彼らの血をたっぷり吸い込んだ服を洗濯して着る気にはなれない。ご丁寧に下着とパンツも残っている。どうやったら服を破かずにここまで綺麗に平らげることができるのだろう。ぼくはとても不思議だった。
例えるなら、ビニールの外装を剥がさないでコンビニおにぎりを食べるようなものだ。一体全体、どうしてこんな珍妙な食べ方をするのだろう。今度会ったら訊いてみようかな。
『ねえ、ケモノさん。君たちはどうやって服を破らずに丸ごと人間を食べるんだい?』『そうですねえ、口で説明するのは難しいので、実際に実演して差し上げましょう。目の前に丁度良く食べ物があるから』
なんて。
実際のところ、<黒いケモノ>についてわかっていることは少ない。限られた情報網で伝わる噂を頼りにするしかないのだ。
情報の真偽はもちろん定かでないし、出会ってしまえばほぼ殺される相手の情報なんて集めようがない。命からがら生き延びた人間は混乱の極みにあるから、その情報も大してあてにならないだろう。
それでも、都市伝説のように口伝で広まった<三戒律>というものがある。聖書に登場する<十戒>よりもずっと物々しいものだ。
<審判の日>以降、日本人の間では、神に縋る人間、あるいは過剰な程に毛嫌いする人間の両極化が起こっていた。まあ、無理もない。こんな馬鹿げた状況に追い込まれれば、神に縋りたくなるか、罵りたくなるかのどちらかになるだろうから。
誰が言い出したのか、曰く―――――
・単独で行動してはならない
・光を絶やしてはならない
・動物を殺してはならない
ぼくが知る限りこのようなものだ。今まで旅してきた経験上、これは地方によって様々なバリエーションがある。禁則事項が3つだったり6つだったり、それこそづらづらと意味もなく多い場合もある。
単独行動と夜間時に光を絶やさないようにする項目は、ケモノ対策のためである。これはケモノが現れた当時から言われてきたことであり、まことしやかに言い伝えられている。
ぼくはこれらの禁則事項を全く信用していない。他でもない違反者であるぼくがこうして生きているのだから、戒律の信頼性は疑われて然るべきだろうに。
だいたい、昨日の男たちは明かりを点けていたために殺されている。一方、明かりを点けていなかったぼくは助かっているのだ。
悪影響しか及ぼしていない戒律だが、ぼくひとりがいくらその効果に疑問を呈したところで、賛同してくれる人間はなかなか現れない。身を持って実証してくれた輩は、今頃みんなお空の星になってしまっているのだ。
ぼくは戒律とは逆に、ケモノは光を持つ人間、あるいは群れる人間を優先的に襲うと考えている。そうでなければ説明がつかない事態に何度も直面しているからだ。
<審判の日>を迎えたその年。ぼくが参加したグループは生き残った人々をまとめ上げ、大きな<街を>創った。それは力を合わせて生きていこうとする意志の顕れであったし、本能的な自衛行動でもあった。
自然界においても、草食動物は群れを作ることによって肉食動物に狙われにくくする。的を絞らせないようにするのだ。精神的にも、大勢で助け合っていた方が遙かに安心である。
そうやって苦労して<街>を創り、夜はなるべく明かりを絶やさないようにし、我々は力を合わせて生き延びようとしたのだ。
その街は、ケモノに襲われてもう跡形もない。
グループに参加していた人間の殆どが喰い殺され、我々は散り散りに逃げ惑うしかなかった。誰が死に、誰が生き残ったのかわからない。
けれどはっきりしているのは、その時の襲撃によってぼくの元妻は死に。
同時にキララの両親も死んだという事実である。
世空野キララ。
ぼくと同じ<街>の生き残り。
元妻と彼女の再婚相手との間に生まれた女の子。
出生数が低下していく世界の中で、彼らが奇跡的に授かった愛し子だった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
男たちが使っていた自動車はすぐに見つかった。道路の真ん中で大破している。エンジンルームを真横から切り裂かれており、よくもまあ爆発しなかったものである。
自動車はケモノに狙われやすいことを知らなかったのだろうか。ぼくが馬車で移動しているのはケモノ対策のためだった。
車体の後部は丸ごと無事だったので、ガソリンも残っているはずだ。車体自体に使い道はないが、ガソリンは様々な用途に使える。持ち運ぶ際は、気化してしまうので専用のケースに入れなければならない。
ぼくはガソリンを抜き出しながらも周囲の警戒を怠らない。昼の間は常に人間の襲撃に備えていなければならないのだ。そして日が沈めば、今度はケモノに対して警戒することになる。
どちらも恐ろしい相手ではあるものの、正体がはっきりしているぶん、人間相手の方がまだ気が楽だった。それに比べ、正体も目的もわからない敵というのは、対峙するだけでも恐ろしいのだ。
ケモノに襲われた人間の多くが怖気付いて逃げられないのは、そういった本能からもたらされる恐怖感のせいだった。
ガソリンを抜き終わると、次に車内を物色する。
男ふたりで使っていたせいか、中は酷く乱雑で汚れている。空の缶詰やビニールの外装がゴミ箱とか関係なしに散らかっていた。
前述したかもしれないが、ぼくは生来の綺麗好きである。しかしながら、だからといって片付けられなかったり、あるいは不衛生な人間を無条件に軽蔑し憎んでいるわけではない。
清潔さにも様々種類があるように、散らかり具合にも多種多様な散らかり方がある。
例えば、昨夜の寝床となった個人商店。あそこの散らかり具合、寂れ具合は悪くないものだった。略奪によって破壊尽くされていた中にも、ある抵抗の痕跡が見て取れたのだ。それは形として現れていない、廃墟の記憶のようなものだった。理由でなく、肌で感じ取る類のものだ。
それに比べ、この自動車は眉を思いっきり顰めてもお釣りがくる酷さだった。あまりに酷い。
車内は乱雑に扱われ、少しも愛車への愛情が感じられない。まるで走るゴミ箱だ。だとすれば、中に乗っていた人間の程度も自ずと知れる。彼らはぼくの力及ばずケモノの犠牲となったが、それでよかったのかもしれなかった。
気分が悪くなる悪臭に満ちた車内から早く出たいがため、ぼくはざっと使えそうな物を探す。後部座席はゴミで埋まっていたので、とても手をつける気にはなれない。
運転席の周辺を重点的に探していると、ライターとタバコが見つかった。ぼくは愛煙家じゃないから無用の長物である。一応取っておけば、後に役立つかもしれない。嗜好品の類は、初めて集落などを訪れた際の顔合わせの時に渡すプレゼントとしてもってこいなのだ。
それからしばらく漁り続けるが、目ぼしい物は見つからない。ゴミ山を漁るカラスになった気分がしてきてうんざりだった。必要な行為だと割り切ろうとすればする程、一体ぼくは何をしているんだろうという漠然とした疑問に襲われた。
車内という閉塞感と悪臭に気力を根こそぎ奪われかけていた時、ふとサイドブレーキの端に紙が挟まっているのを見つけた。ぼくはそれを車外に出て広げてみる。
どこにでもあるような地図だった。関東圏を中心にしたタイプであり、ぼくを含めて旅をする人間には必須のアイテムである。
それだけならば特に見るべき所もないのだが、その地図には赤いサインペンでマークされている地点があった。海沿い、あるいは川沿いにマークは点在している。水場の近くという条件からして、このマークは<集落>を表している可能性が高い。
ぼくは東北方面から南下してきていて、関東圏辺りの地理や人間の分布情報に疎いので、手に入れたこの集落情報はとてもありがたい。
あの男たちは自動車を使用していたことから、情報屋か何かだったのかもしれない。この集落情報が記載された地図からもそう思える。
ネットや電話回線が完全に失われた現在、人々の交流や情報交換は人力に頼るほかなくなっている。そのため各集落を渡り歩いて情報を売る「情報屋」と呼ばれる者たちが現れた。
基本、命知らずで向こう見ずの人間が担うことが多く、まともな判断力があれば自ら進んで情報屋になろうとする人間はまずいない。
集落という閉鎖コミュニティーに馴染めなかった者が場当たり的に食い繋ぐには最適の役柄かもしれなかったが。
ぼくは手に入れた地図を地面に広げ、頭の中で今まで辿ってきた道順を思い出す。幸い国道沿いに南下してきたので、自分の現在位置はかなり正確にわかっている。
人口が極端に減ったこの世界で迷子になるのは命取りだ。他人から搾取して生きているような人間の支配するテリトリーに迷い込んだり、そうでなくともこの世界では余所者は強く禁忌されるので、普通の人間にも攻撃される可能性がある。
一番安全なルートが県道や国道を通ることだった。それにしても、これらの道を通る者を狙って網を張っている不届き者がいないとも限らないのだ。
つまるところ、現在において安全に通行できるルートはひとつとして存在しないのだった。どのルートも人間やケモノに襲われる可能性が付きまとう。人々が散り散りになった後、できた集落の交流が極端に少ないのはこういう理由からだった。
地図を眺めてみると、ぼくの通ってきた国道をさらに南下して行き、次の県に入る県境に一番近いマーカーがあった。現在地点から20キロくらいだろうか。
普通、集落は海沿いや川沿いに多くできる。それは食料や水の調達のためである。ライフラインがストップしているため、飲料・生活用水の確保をまず第一に考えなければならないのだ。
だが場所によっては、山間にあったり都市部にあったりと、必ず成立場所が定まっているわけでもない。事実、ぼくは何度か都市部でも人間に会ったことがある。案外、市の中心を大きな川が流れている地形は頻繁に見られるので、生きようと思えば都市部でも生きられる。
でもまあ、今のところ、そうした都市部は碌でもない狂信者共の巣窟になっているから近寄りたくないけれど。
そうだな、このマーカー地点には集落があるみたいだし、このまま特にルート変更をしなくても辿り着けそうだから、この集落を訪ねてみてもいいかもしれない。関東圏に入ってまだひとつも集落を見つけられていなかったし。
どの集落も、道路のすぐ隣にででん、と目立つように造られていない上、なるべく人の目に付かないよう偽装もされるから見つけにくいのだ。
こちらとら警戒しつつ馬車で移動しているので、一日の移動距離は大して稼げない。それなのに、あるかも知れない集落を探すのは本当に手間なのだ。そういう訳で、手に入れたこの地図はなかなかの収穫なのだった。命がけで人助けしようとした甲斐があったというものである。
地図を折りたたんでリュックにしまう。戦利品としては申し分ない代物だ。このくらいで撤退しても構わないだろう。
リュックを肩にかけ直して戻ろうとしたその時、ぼくは視線を感じた。
迷うことなく自動車の影に滑り込み、腰にホールドされていたマチェットを抜く。冷たい自動車のドアを頬に感じつつ、じりじりと地面を這って移動する。
勘―――――何とも非科学的な響きがする言葉だ。しかしながら、かれこれ2年間この世界を彷徨っている間に、何度この「勘」に救われてきただろうか。昔から「勘の良い子だ」と言われて育ってきたぼくであるが、最近は特にその第6感が冴え渡っている気がする。
ぼくは自動車の最後部部分から顔を出し、向こう側をうかがった。周囲に合わせるように廃墟と化している民家があった。その隣は何かの事務所である。ガラス戸は破壊されていて、気軽に出入りできそうになっている。
じっと目を凝らし、同時に周囲の空気も読み取ろうと集中する。あの<黒いケモノ>には特有の気配がある。それは既存の生物のどれにも当てはまらない気配だ。言葉に表すのは難しい。でも目の前にすれば嫌でも思い知るのだ。その圧倒的な気配を。
感じた視線はケモノの放つ気配と似ていた。そのおかげで反応できたのだ。あればっかりは、きっと昼寝しててもわかるに違いない。
本当にケモノが相手ならば、刃物なんて意味を持たない。ケモノは物理的な攻撃の一切が効かないのだ。
逃げるべきか、このまま息を潜めてやり過ごすべきか。
もしも向こうがこちらに気づいていたのなら、すでにぼくは襲われているはずである。それにそもそも。
―――――今は、昼間だ。
ケモノの現れる時間帯は常に日の沈んだ夜間である。ヤツらが昼間何をしているのか知らないけれど、まさか夜遊びを叱られて朝型になったなんて言わないよな。
夜に加えて昼までケモノが闊歩し始めたら、人間は本当に後がなくなってしまう。
いつの間にか荒くなっていた呼吸を沈めさせ、もう一度相手の方をうかがう。威圧感からして単独ではない。間違いなく複数だ。過去何度もケモノに襲われていた経験からの判断だ。きっとそう捨てたもんじゃないと思う。
逃げるタイミングを逃したぼくは、じっと自動車に背中を預けつつ沈黙を保った。下手に騒ぎ立てるのはまずい。このまま我慢比べだ。
右手に感じるマチェットの重みはどうにも頼りなく感じられた。人間相手ならば首をやすやす刎ねられる代物だが、ケモノ相手には孫の手代わりにもならないだろう。
目をつむって相手が去ってくれることを祈る。信じてもいないのに祈られる神様はさぞ迷惑に違いないだろうけれど、今回ばかりは大目に見て欲しい。こんな所で死んでしまうなんてぞっとしない話だ。
どれくらいの時間が経っただろう。気づけば、気配はすっかり消え去っていた。まるで元から何もいなかったように。
だがぼくの身体の緊張具合は、さっきまでの出来事が現実だったことを教えてくれる。極度の緊張に身体は強張っていたし、背中には汗をびっしょりとかいていた。口もカラカラに渇いている。
ぼくは緩慢にリュックから水筒を取り出し、喉を鳴らして水を飲んだ。
夜に出会った時と違った感覚だった。初めて味わうタイプの威圧感だったから、精神疲労も半端がない。動く気力は根こそぎ奪われてしまっていた。
それでも警戒は解かずに立ち上がる。
気配の主が潜んでいたであろう向かいの建物を調べるべきだろうか。いや、やめておこう。藪をつついて蛇を出す、なんてことになりかねない。
せっかく何事もなく生き延びたのだから、自ら進んで危険に首を突っ込むべきじゃないだろう。
ぼくは背後を気にしつつ、キララの待つ仮宿へと急いだ。変な気配のうろつく場所から早く離れたかった。
それにしたって、あの気配は何だったのだろうか。
どうにも最近おかしなことが頻発している。何か悪いことが起こる前触れじゃなきゃいいのだけれど。
憂鬱なぼくとは正反対に、空はどこまでも澄み切っていて青い。母なる地球は、矮小なぼくの悩みなど気にもかけていないようだった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
くたくたになって戻ったぼくは、そのまま横になって休みたい衝動を抑えながら夜の準備にかかった。罠に獲物はかかっていなかった。残念。餌は残っていたので、そのまま放置しておくことにする。
まず公爵夫妻に水を与え、荷馬車が目立たない位置にあることを再確認する。ここは国道の近くであるものの少し奥の場所にあるから、夜間に近くを通る人間によって発見される可能性は低いだろう。
荷馬車は目立たないように偽装されているし、公爵夫妻の毛並みは夜中に目立たないダークブラウンだ。天然の夜間迷彩を身にまとった彼らは、直接光を向けられない限り見つかりはしない。
自然界の動物を襲わないというケモノたちの習性を考えてみると、どうやら人間は「自然」の一部だとは考えられていないようだ。散々地球を汚染してきたのだから、仲間はずれにされたとしても文句は言えないだろう。
オレンジ色に染まり始めた夕空に目を細め、それはもうすぐケモノたちの時間が始まることをぼくらに示す。
かつて太陽が沈んでも明かりは消えず、世界各地に不夜城を築きあげた人間の栄華は失われてしまった。
暗闇を恐れ、太古の昔に「火」という科学の種を手に入れた我々の先祖たち。母なる地球を飛び出し、月にまで降り立った人間の栄光は、すでに遠い過去のように思われた。
栄枯盛衰は世の理だった。それは人間にも等しく適用される。人間だけが神を持ち、永遠の繁栄を約束された選ばれた種ではなかったのだ。
種族:人間。ヒト。ホモ・サピエンス。
ぼくらもまた宇宙船地球号の乗組員であり、今までは艦長職に就いていたかもしれない。けれどもどんなに権限のある艦長だったとしても、引退する時期はやがてやって来るのだ。そして下っ端の水兵と同じように、病気にもなれば突然のアクシデントで死んだりもする。
人間のキャリアは終りを告げ、代わりに新しく赴任した<黒いケモノ>たちに我々は脅かされていた。何てことない。古きものは新しきものに取って代わられる。無意識に、あるいは当たり前に人間社会の中でも行われていたことだった。
きちんと艦長職を務め上げた上での勇退ならば格好もついただろうに、あろうことか、ぼくら人類は更迭されようとしていた。それも散々悪事を働いたことによる懲戒免職に加えて死刑の刑事罰付きである。
地球全生命の命を預っていた宇宙船地球号の艦長職は、大統領や首相なんかと比べ物にならないくらい責任が重大だったのだ。その大任を果たすことのできなかった人類の罪は重いということなのだろう。
地球裁判長の下した判決に対しては、上告もできない。即時に刑は執行されてしまった。
地球判2012.12.21の判例には、きっとこんな風に明記されているに違いない。
「被告人、ホモ・サピエンス種を死刑に処する」と。
廃墟の入り口を閉め、明かりがもれないように、落ちていた新聞紙類で隙間を塞ぐ。暗闇の世界でぽつんと光が灯っていれば、ここに餌があると教えているようなものだ。ケモノは光を恐れるなんて世迷言を頑なに信じている人間の気が知れない。
黙々と作業を続けるうちに太陽は水平線の向こうに沈んでいった。頼り甲斐のある兄貴分がいなくなってしまったような喪失感を覚えた。人々が「ケモノが光に弱い」と信じている、いや、信じようとしているのも、何もかも失った世界で太陽の光だけが絶対だからだと信じているからなのだろうか。
地球に見捨てられた人類は、より強力な存在に自己の価値を認めて貰おうとしている。その姿は滑稽であって、哀れみさえ感じさせるものだった。
室内は完全に暗闇に満たされていた。ぼくはじっと息を潜め、明かりは点けない。点灯するかどうかを彼女に訊くつもりだったからだ。
暗闇に目が慣れて、ぼんやりと辺りを確認できるようになった頃、片隅で膝を抱えたまま一日中動かなかったキララが立ち上がった。
彼女はトコトコとしっかりとした足取りで近付いてきた。ぼくの目の前まで来ると、昼間よりいくらか張りのある声で言った。
「ちかくにはいないよ。ひをつかっても、へいき」
「わかった」とぼくは言って、用意していたランタンを点灯した。ぼうっと部屋は光を孕み、ふたつの影法師を生み出した。
あぐらをかくぼくは、キララの整った顔を見つめた。元妻の面影は至るところに見受けられ、かつて一緒に眺めたアルバムにあった幼少期の彼女と瓜二つだった。
子供特有の無邪気さや活発さは微塵も見られない。アルバムの中の少女は満面の笑顔を浮かべ、写真を撮っていたであろう父親に惜しみない信頼を向けていた。
そして時は流れ、少女は成人し子をもうけたが、その子はこの世に生まれ落ちてから一度として笑うことはなかった。
元妻は、その再婚相手は、自分たちの子供が微笑む姿を見ることなく逝ってしまったのだ。あまりにも悲しく、不憫であった。
キララはぼくの顔をじっと見つめていた。賢者が熟考しているようであり、愚者が呆けているようでもあった。ぼくの顔の造りから、何か重大な発見をしようと観察しているのかと思った。
無言でぼくの顔を堪能した彼女は、そのままあぐらの上に腰を下ろした。10歳の少女は軽く、火傷しそうなくらい体温は高かった。熱があるのではないかと思う程だ。
小さな後頭部を視線に捉えながら、彼女がどうしてぼくを慕ってくれるのかを考えた。
元妻と再婚相手との間にできた一人娘。ぼくが刑務所に入っている間に離婚し、再婚し、念願だった子供をもうけた元妻。
終末へと転がり落ちていく世界の中で手に入れた希望だっただろう。光だっただろう。
彼女と夫は必死に子供を育てた。名前を呼び、反応が返ってこなくても何度も呼び続けた。出来うる限りの愛情を子供に与えたのだ。
けれども少女は両親に懐かなかった。めいいっぱいの愛情を注ぎ、これでもかと愛した両親は報われず、どういう訳か血の繋がりも面識も一切なかったぼくに彼女は興味を持った。
そう、興味を持ったのだ。
それまで絵本にも玩具にも関心を示さなかった彼女は、ぼくの行動を熱心に観察し、考察し、五感を総動員して理解しにかかった。無表情に見つめられていた当初は訳がわからなかった。ぼくが興味を持たれる要素なんて小指の先程もなかったのだ。
出会ってから2年。初対面の時からあまり変わっていない背丈に、ぼくは不安を覚え始めていた。食事も必要最低限で、昼間はほぼ喋らない。そして日が沈むと、思い出したように言葉を取り戻す。
キララだけではない。きっと世界中の子供たちに異変は起こっている。これまで訪れた集落で出会った子供は非常に少数であったが、その全てが普通とは言いがたかった。
昼間の大人しさを超えた、異常とも言える虚無感に囚われる夜間の子供たち。人形のように無表情で無感情で身動きしない。子供たちで集まることもなく、誰もがまるで世界にひとりだけでいるように孤立している。ある者は空を見上げ、ある者は地面に視線を落とし、何時間でもそのままでいるのだ。
大人たちが世話しなければ餓死するしかない。それ程までに「自分」に気を使わない。自暴自棄とも異なる。わざとやっているわけでもない。
この地球に生まれ落ちたその時から、彼らには「自分」という概念がないのだ。
それでも太陽が昇っているうちは、人間らしい行動をすることがある。思い出したように自我を発現させ、コミュニケーションを取れる状態を取り戻すのだ。独特の思考と行動ではあるが、きちんと人間をしている。
キララの場合、多くの子供たちと違って、人間性が戻ってくるのが夜間だった。昼間は喋らず、近寄りもしない彼女も、辺りに暗闇が満ちれば、こうして肌を寄せてくる。まるで昼の間に冷え切った身体を温めるみたいに。
「夕飯、食べるだろ?」とぼくは訊ねた。「昼間も少ししか食べなかったし」
彼女はしばらく逡巡して、小さく頷いた。きっとぼくがいつも小うるさく「食事を摂らなきゃ駄目だ」と言うものだから、彼女も抵抗を諦めたのだろう。
用意していた小鍋にお湯を沸かし、カップスープの素に注ぐ。香ばしいコーンスープに、作り置きしておいた小麦粉パンという簡単な食事だ。これでも毎食ありつけるだけ、ぼくらは恵まれている。
食事時もキララはぼくのあぐらの上から動こうとはしなかったので、これでは食べられないからと下りて貰う。彼女は渋々と立ち上がり、それから隣に腰を下ろした。
ランタンの明かりは最小にしてあり、お互いの顔がかろうじてみえるくらいの光量しかない。ぼくはこうした淡い光が好きだった。ランタンでも、ロウソクでも、必要最低限の明かりは優しくてあたたかい。
蛍光灯やLEDの光は酷く冷たくて排他的だ。暗闇を許容せずに排除しようとしている。科学的な光なのだ。そこから非科学的なあらゆるものを排除しようとする。だからあそこまで硬質で角張った光しか出せないのだ。
薄明かりに照らし出されたキララの横顔は幻想的だった。ぼくは彼女を見ていると心穏やかになれた。遺伝子にインプットされた父性が、子供を作れなかったぼくの身体にもしっかりと根付いている証拠だった。
彼女はゆっくりとパンを咀嚼し、コーンスープを味わった。昼間は霞でも食べている顔だったけれど、今はきちんと食事の味を楽しめているようだった。
食事を終え、食器類を片付ける。キララは片隅に移動してぼくの様子を見ていた。よく見ると昼間とは別の片隅に移動していた。彼女には彼女なりの片隅に対する好みがあるのかもしれない。ぼくの乱雑さに対する好みと同じように。
残った湯をちびちびすすっていると、彼女は再びやって来て、ぼくの周りをうろうろした。まるで宝石商がいろいろな角度からダイヤモンドを見定めているみたいだった。
「どうしたの?」とぼくは言った。
「なんでもない」と彼女は言った。
遠くから見たり、近づいて見たりして、彼女は忙しなく動き回った。見ているこっちが目が回りそうだった。
やがて満足したのか、彼女はぼくの太ももの上へと戻ってくる。もぞもぞと彼女は身動ぎした。お尻のいい座り位置が掴めないのだ。ぼくは苦笑して彼女の軽い体を誘導してあげた。やっとあるべき場所に収まった彼女は満足気だった。
「今日一日安静にしていたから、身体はすっかり良くなったよ」とぼくは言った。「明日出発しよう」
あまり長く同じ場所に居続けるのは危険だった。この場合、警戒する相手は人間の方であった。ケモノの方は、どこに居ても見つかる時は見つかってしまう。そうなれば諦めるしかない。
ぼくは死んでしまった男たちが持っていた地図と、そこに書かれていたマーカーの話をした。キララは聞いているのか聞いていないのか判別付かない表情だ。まあ、彼女との付き合いはそこそこ長い。ちゃんと重要な話には耳を傾けていてくれるのはわかっていた。
あらかた話し終えてしまうと、ひっそりとした静寂がどこからともなくやってきた。悪くない静けさだった。孤独なようでそうではない。ぼくは大好きだった、あの森閑な森の社のことを思い出していた。
ケモノに襲われた時、心を乱してはいけない。初めてケモノに襲われ、自然と死期を悟ったぼくが思い出したのが森の社だった。社を頭の中に投射すると、ぼくはどんな危険に見舞われている時だって冷静になれた。それはある種の諦観だったかもしれない。だがそんなリラックスにしか役立たない特技がケモノに襲われた際に役立つとは思ってもみなかった。
おかげで何度も命が助かっている。あの森の社には本当にご利益があったのかもしれない。
暗闇の心地よさに身を任せていると、胸元から小さな歌声が聞こえてきた。キララはぼくの胸に頭を寄せ、その小さな口でパッヘルベルの「カノン」を口ずさんでいた。
童謡を好まなかった彼女にぼくはクラシック音楽を聞かせてあげた。CDプレーヤーや携帯音楽プレーヤーなんて物は姿を消していたから、ぼくの間抜けな口笛での演奏だった。それでも彼女は気に入ってくれたようだった。
バッハの「G線上のアリア」やベートーヴェンの「悲愴」が彼女のお気に入りだった。舌足らずであったが、それが微笑ましくもある。普段あまり喋らないのがもったいない綺麗な声だった。
そういえば、彼女の母親は大学時代に合唱サークルに所属していたっけ。
元妻の面影をうかがわせるのは、その容姿だけではなかったのだ。歌の才能はこうして愛娘にもしっかり受け継がれていたのだから。
ぼくも彼女に合わせて一緒にハミングした。三十路過ぎの男のコーラスは聞き苦しかないかと心配だったものの、彼女のお眼鏡に適ったのか、同席を許して貰えたようだった。
パッヘルベルの「カノン」は、ヴァイオリンの美しい旋律が繰り返される名曲である。その調べを彼女に聞かせてあげられないのが残念だった。
科学に支配された世界においても、受け継がれてきた音楽は確かに生き残っていた。そして世界は終わりを告げ、科学技術がうたかたの夢と消えても、音楽は生き残った人々の胸に残っている。
終わった世界。ケモノに怯える世界。未来を紡げない世界。
そんな退廃した世界に生きる人間に、音楽は潤いを与えてくれるとぼくは思う。人は水とパンだけでは生きていけないのだ。
きっと明日の朝には、彼女はまた失われた状態に戻ってしまうのだろう。どちらが本当の彼女なのだろうか、なんてことは野暮だった。昼と夜で人格が入れ替わるわけでもない。どちらも本当の彼女なのだ。
ぼくはキララの胸の前に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
不思議そうに見え上げてくる彼女の額に、そっと頬を寄せる。彼女は陽だまりの子猫みたいに目を細めた。
残酷な夜明けが来るまでの時間が、ぼくとキララの過ごす大切な時間だった。
だからもうしばらく感じていたかった。彼女の生きているあたたかみを、胸の中に。