第29話
昼前に補給作業を終えたぼくたちは、登ってきた時と反対に山を下っていった。
山登りというものは、登りと同じかそれ以上に下りは危険なのである。自然と降りるペースが早くなり体力は消耗するし、膝に大きな負担がかかるのだ。
それは人間だけの話ではない。荷馬車を引く公爵夫妻にとってはさらに重要となる。
自分たちに加えて我々の重量まで抱えているので、一度スピードをつけ過ぎると停止が難しくなる。下手すればコントロール不能に陥って大事故に繋がりかねないのだ。
それゆえに、帰りの下り道は行きよりもゆっくりなペースを心がけているのだった。
「というわけだ」
「なるほど」
得心がいったとナズナは頷く。彼女が質問した「なぜこんなにもゆっくりなのか」という問いに答えたのである。
確かに、彼女が乗り慣れていた自動車や自転車の常識からすれば、下り坂は気持ち良く駆け下りるものだと考えても不思議ではない。だが馬車でそれをやったら、谷底へ真っ逆さまであること間違いなしだった。
歩くスピードとそう変わりはない行脚はとても気分がいいものだった。早くも眠りの妖精がぼくの周りで笛を吹き始めている。
昨日大醜態を晒したナズナだが、夜はキララの子守唄のおかげでしっかりと熟睡できたようで、それ程眠たげな様子はない。荷馬車内は日陰になっているから快適そのものであるようだ。
詰め込めるだけ物資を詰め込んだので多少窮屈になっているものの、足場もないという風でもないので我慢して貰うしかない。幸い、ナズナは閉所恐怖症でもないようなので、居場所が狭くても平気な顔をしている。
山の天気は変わりやすいという話だが、雨に降られることもなく、ぼくたちは順調に行程を消化していった。
昼には軽い食事を摂った。ゆのかわ集落で手に入れた野菜の漬物をかじりながら、補給で物資が潤ったのでカップスープを人数分開けた。かつてはインスタントということで軽視されていたそれも、濃い味から遠ざかっている現在ではご馳走である。
「前にも貰いましたけど、やっぱりおいしいですよね」と一口ずつ味わうようにナズナは言った。
「そうかもしれない。この化学調味料的な味が懐かしいよね」とぼくは言った。食品添加物満載のインスタント食品に懐郷の念を感じるのだから、現代人はどうかしている。世界が平和のままであったなら、ファストフードが故郷の味になっていたかもしれないな、とぼくは思った。
「でもぼくとしては、みっちゃん特製の野菜スープが恋しいなあ」
あの素朴な味を思い出してぼくは嘆息した。カップスープもいいけれど、新鮮な野菜がたっぷり入ったあの野菜スープを味わいたい。
生野菜を積んであっても、この場で調理する予定はなかった。ジャガイモやトマトなど、そのまま、あるいは炙るだけで食べられる種類の野菜を中心に融通して貰っている。ビタミンの補給にはもってこいだった。ビタミン不足に陥ると脚気になったりするから、意外と切実な問題なのである。
「料理はできるし器量もいい。みっちゃんはいいお嫁さんになるだろうね」としみじみと述懐した。
「まさか先生、お姉ちゃんといい感じになっておいて、本命はみっちゃん狙いだったんですか!?」
「人聞きの悪いこと言わないでくれ!」
言いがかりだよ、それはっ。
ぼくはただ単に感想を述べただけで、別に他意はないのだ。
「だってみっちゃんのことべた褒めだったじゃないですか」とナズナは頬をリスみたいに膨らます。
……ああ、友人のみっちゃんばかり褒めたから拗ねちゃったのか。
ぼくは微笑ましい気持ちになって内心苦笑する。こういう風にぼくに悟られるようでは、まだ大人のレディには程遠いかもしれないな。もちろん、彼女には絶対に言えない感想だったけれど。
「……どうせ『わたしは』可愛くないですよ」
「誰もそんなこと言ってないだろう? ぼくはナズナのことも大好きなんだけどな。それなのに自己否定みたいなことされると悲しくなるよ」
一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべた彼女は、視線を逸らしつつ何とも言えないニヤケ顔に変化する。
「だ、大好きとか、よくもまあ恥ずかしげもなく言えますよね、先生。まあ、嫌じゃないというか、むしろ嬉しい、じゃなくて誇らしいですけど」
「ああ、誇れ誇れ。君はとても魅力的な女の子なんだから。みっちゃんとは別の魅力があるんだよ」
ナズナは母性的というよりは快活な少女だ。だからといって女の子らしくないわけではない。時折見せる恥じらいの仕草は、ギャップがあって男心を大いにくすぐる。
人好きのする性格であるし、高校に通っていたら、さぞかし男子にモテたことだろう。恐らく女子にも受けはいいはずだ。さっぱりして陰口を言うような子には見えないし。
「お姉ちゃんにも負けてませんか、わたし」
「そうだね。勝るとも劣らない、といったところか」
姉と妹も方向性は異なるが、芯が強いところはしっかりと姉妹をしている。彼女たちの父親もさぞかし鼻高々だったに違いない。
ぼくの答えに気をよくした彼女は、一転して満面の笑みである。ぼくみたいな男の賛辞でも喜んでくれるというのは嬉しいことだった。それだけ信頼されている証だろうから。
くいくい、と服の裾を引っ張られる。
キララは無言で自分を指差して「わたしは?」とでもいう風である。
「もちろんキララが一番可愛いよ。君はぼくのお姫様なんだから!」と、それはもう預言者が神託を告げるみたいに言い切った。
「え? ちょ、ちょっとわたしの時とテンションが別物じゃありません? なんか天地くらい離れてる気が……」
「そんなことないさ」とぼくは言った。「そうだな、例えるなら、太陽とイカロスの翼みたいなものかな」
「それ距離感の例えじゃないです! というか融けて墜落しちゃってるじゃないですか!」
器用なことに、ナズナは座ったまま地団駄を踏んでいる。結構なレアスキルである。
「じゃあ、デラウェアぶどうとキラウェア火山くらいでいいだろ?」
「『じゃあ』ってどういう意味ですか! それにもはや何の関係もないじゃないですか!? 大自然過ぎて比較不可能になってますよ……」
心底疲れたという表情でナズナが言う。ぼくと言い争うことの不毛さに気づいたようだ。
誰が何と言おうとキララが一番可愛いのである。
ぼくは疲労困憊のナズナを労うように肩を叩く。それからぐっと親指を立てながらスマイルを浮かべて、
「そう落ち込まなくても大丈夫だよ。そもそも比較すること自体が理に適ってないんだから」
「はあ……親ばかなんだから」
げんなりとした調子で彼女は嘆息したのだった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
登りの時よりもゆっくりと移動したので、一日ぶんは余計にかかってしまった。それでも安全運転を厳守したのでトラブルもなく下山することができた。馬車にとっての難所を乗り切ったぼくらは、心底ほっとした心地だった。
さて、これで次の目的に向かうための下準備は万全になった。情報にあった<街>へと進路を取る。
ここから先は油断できない行程だ。もしも<絆教>の連中が次の獲物として<街>を狙っているのだとしたら、途中でやつらと出くわす可能性がある。偵察隊と鉢合わせしただけでも危険なのだ。
ぼくはキララに通常よりも警戒を厳にして貰う。昼間の能力行使は彼女の負担になってしまうのだが、悔しいことに彼女の探索能力に頼らざるを得ないのが現状だった。
ナズナにも警戒を怠らぬよう言い含めておき、ぼくの視界範囲外を担当して貰うことにした。この間の晩にあったように、キララの力がうまく働かないこともあるのだ。肉眼による警戒も重要だった。
人がこれだけ少なくなると、少しの生活跡でその存在がわかってしまう。それは敵にも言えることで、野宿跡などが残っていれば、そこから大体の情報を得ることだってできる。
それゆえに目を皿にして痕跡を探してみるものの、それらしきものは見当たらなかった。
国道を通っていないのか、とぼくは予想した。相手がどれだけの規模なのかわからないけれど、それなりの人数を移動させるには国道のような幅広い道が最適だ。わざわざ裏道を通るような真似をするのは、逆に襲撃を怯える単独あるいは少数の旅人である。
ぼくらは時間を優先したので国道を通っている。
自動車と違い、馬車は速度がそれ程出ないため、前方に敵がいれば余裕をもって逃げることができる。相手を先に発見できるからだ。問題になるのは後方から襲われた場合だが、その時は応戦するか、馬車を囮にして逃げるしかないだろう。
一番いいのは何も起こらないことなのだが、そうもいかないようだった。
荷馬車内からひょっこりと顔を出したキララは険しい雰囲気で「とめて」と一言告げた。ぼくは理由も聞かずに馬車を停止させる。訊かずとも、問題が発生したのは瞭然だった。
ナズナとふたり、固唾を飲んで集中するキララを見守る。その様子から、前方に「何か」があることらしいのは理解できた。だが普段と異なるのは、その相手の情報がすんなりとわからない点だった。
キララは目を閉じて相手の情報を掴もうとしていた。しかしながらうまくいかないようだった。眉を軽く顰めている。これはあの晩の様子と似通っていた。
ぼくは警戒を最大にする。キララの力を妨害するような相手が先にあるのだ。あの晩はその正体は掴めなかったものの、先にいたのは<絆教>の面々だった。彼らに何らかの関わりがあるのは明白だった。
となれば、キララが掴めないでいるものが<絆教>の人間であると考えても不都合はあるまい。しかも考えられるのは、あの泥の涙を流していた少女だ。ぼくは彼女がキララと同じような不可思議な力を持っているように思えてならないのだ。
目から真っ黒な涙を流すという強烈な印象を叩きこまれているせいかもしれない。とにかく、ぼくは彼女を要注意人物として記憶しているのだった。
「どうだい。何かわかったかな?」とぼくは訊ねた。
キララは悲しそうに首を振った。「ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。わからないってこと自体が異常であることを示してるんだから」
「それってつまり……」ナズナは苦虫を噛み潰したような顔で、「あの晩みたいな<絆教>の連中がいるってことですか?」
「それはまだわからないけど、可能性は高いと思う。キララの索敵能力にジャミングをかけられる人間なんて、あの時の少女以外思いつかないし」
ぼくの予想に反して、キララは「たぶん、セージがいうひとじゃない」とすぐさま返答をしてきた。彼女が言うには、わからないものにも「わからなさ」があるらしく、今接近してきているのと、あの晩遭遇したのとでは、はっきりとした区別ができるという。
「てきじゃない……けど、きらい」とキララは誰に言うのでもなく呟いた。
ぼくは念のため装備を整えておく。ナズナにも同様の指示を出しておき、キララの護衛に回って貰う。いざという時はふたりで逃げるように言い含めておく。
辺りはガラクタの山だった。破壊された自動車やら家電製品やらが放置されて山のようになっている。まるでゴミ捨て場だ。それが国道の一画にできあがっていた。車道は塞いでいないものの、少しでもバランスが崩れればガラクタの雪崩が襲ってきそうだった。
……どこかのお掃除好きロボットが積み上げたんだろうか。
自然に任せていては、ここまで積み上がらないはずだ。人の手が加わっていると考えて間違いない。だが誰が、一体どんな目的でガラクタ山を築いたのか。見当もつかなかった。
その鉄屑の頂を越えて、小さな顔を覗かせるのは、いつか出会った双子の少女だった。
ぼくとナズナは間の抜けた表情を浮かべ、キララは相変わらず親の仇でも見るかのようである。
「こんにちは、お父さん」と右の少女が言った。
「こんばんは、お父さん」と左の少女が言った。
だが今日は彼女だけではなかった。双子に続いて大勢の子供が山を越えて顔を出した。ずらずらと下山してくる様子は、見ようによっては秘密基地で遊んでいるかのようでもある。
けれども、その誰もが無表情に、淡々と歩みを進める光景は、宇宙人が地球に初上陸を果たしているみたいだった。
年齢も性別も様々だった。特筆すべき点は、彼らは皆「子供」であるということだった。
恐らく年齢は3歳から15歳の間。年齢が高い程自我が強いといったこともなく、表情を見ても、その自意識の有り様はまさに千差万別だった。
ざっと数えただけでも30人近くいる。これだけの子供が一堂に会する光景なんて、学生時代以来お目にかかったことがない。その異様な光景に、ぼくとナズナは声を失って自失呆然となっていた。
「驚いてるわ、お父さん。ドッキリ大成功ね」と少女は言った。
「そうね、妹さん」と別の少女が言った。
「お父さん、お久しぶり。その後の調子はどうだったかしら」
「……悪くはなかったよ。死にそうな目にあったけどね」
何とか返せたぼくの返答に、彼女たちは控え目な笑い声をあげた。それに合わせて背後の子供たち数名がケラケラと声をもらす。残りの大部分は少しも反応を示さなかった。
それぞれ自我の強さが異なるのか、とぼくは思った。双子が筆頭となっているのは、それだけ彼女たちの自我が強いからだ。他の反応を示さない子供は、双子の少女にただ付き従っているだけのように見える。
双子の少女は子供たちのリーダー格なのだろう。
「だからあれだけ注意したんじゃないの。それなのに無視したお父さんにも責任はあるのよ? わたしの言うこと、わかる?」
「わかるよ」とぼくは答えた。「でも仕方がなかったんだ。あの時はああするしかなかった」
「危ないとわかっていてもお父さんは無茶をするのよね―――――昔から」
ぼくは居心地悪く口を噤んだ。まるで昔からぼくと知っているかのような言い様は、全然慣れることができない。手のひらの上で遊ばれている気分になる。
ぼくたちは馬車から降りると、双子の少女の眼前に立った。
集団で襲ってくるわけでもなさそうだ。彼らは手ぶらだった。服はみすぼらしく、ただのボロ布をまとっているようにしか見えない。その中にあって、双子の少女は小奇麗な格好だった。見ると、他にも身だしなみを気にしているらしい者が数名確認できた。その一方で、まるでボロ布そのものでしかない服でも構わないという姿勢の子供もいる。
「それで、今日はどうしたんだい。そんな大勢で」
ぼくは何気ない様子を装って問うた。
「いやねえ、お父さん。何も用事がないなら、会いにきちゃ駄目なのかしら。悲しいわ。わたしはお父さんの娘なのに」と一方の少女が言って、「娘なのにねえ、妹さん」ともう一方の少女が続けた。
「残念ながら、ぼくには子供はいないよ。だから君たちの言ってることはおかしい」
至極真面目に答えたはずなのに、双子は「何言っているの、この人」みたいな顔をした後、くすくすとふたり手を握り合って微笑した。
「お父さんこそ何を言ってるのかしら。正真正銘、わたしたちはお父さんの子供なのよ。そうよね、お姉ちゃん?」
「ええ、その通りよ。妹さん」
彼女たちはぼくに言い聞かせるかのような優しげな視線を向ける。他の子供たちからも何かを期待するような目をされた。
その複数の視線から、ぼくを守護するみたいにキララは立ちふさがり、そのまま双子に詰め寄った。
「セージに、ちかよらないで」
「なぜ? お父さんはあなただけのものではないのよ。どうしてそんなことを言うの?」
「……」
キララは悔しげに沈黙する。こうもあからさまに敵愾心を抱くのはなぜなのだろうか。彼女の逆鱗に触れるような相手には思えない。それこそ、まだ数回しか顔を合わせたことがないというのに。
それがどうにも犬猿の仲という表現が相応しい間柄のようである。
澄ました表情の双子に憎々しい表情を向けるキララ。ぼくとナズナは蚊帳の外に置かれた気分で推移を観察した。下手に口を挟むと泥沼になりそうだったからだ。
通せんぼしようとするキララを押しのけて双子は近寄ってくる。ぼくは無意識に身構えてしまった。それを気にするような素振りも見せず、双子は淡々とした歩調でぼくの下まで辿り着いた。
「元気そうで何よりだわ、お父さん」と少女は言った。
「それはどうも」とぼくは答えた。「今日はいつにも増して派手な登場だね。彼らは君たちのお友だちなのかな?」
ぼくは集まっている子供を見渡して言う。その中に埋もれるようにしてキララがいた。彼女は他の子供を遠ざけようと孤軍奮闘中だった。無表情で近寄ってくる子供を押しのけるのだが、残念ながら彼女の腕は2本しかないので対処しきれない。
キララによる検問を突破した数名が双子と同様、ぼくの下に集まってくる。彼らはぼくを見上げていた。星を見ているようでも、詰まらない映画を見ているようでもあった。
ナズナはぼくの背にぴったりとくっ付いている。相手は自分よりも幼い子供だとはいえ、得体の知れなさに怯えるのも当然のことだった。ぼくだって少し怖いのだ。
多数に取り囲まれるというのは、それだけで心理的圧迫になる。ぼくもナズナも、ここでは少数者に過ぎず、相手のさじ加減ひとつでどうにもされてしまいそうな錯覚がした。
「お友だち? そうかもしれないし、そうでもないかもしれないわね」
「煮え切らない返事だけど」とぼくは指摘すると、双子は顔を見合わせて忍び笑いをもらした。
「あなたたちの場合、友達だと思っていても、相手が同じく友達だと思っているとも限らないことがあるでしょう? 表面上では友達みたいな付き合いでも、お腹の底では相手を馬鹿にしているみたいな。友だちか友だちでないかは、一概には断言できないんじゃないかしら」
「この子たちが、君らのことを友だちと思っているのかはわからないってこと?」
「そういうことよ、お父さん」と右の少女が答える。「他人のことはわからないでしょう? 自分のことだってよくわからないのだから」
彼女たちはどうにも抽象的な話し方をする。話題をわざとはぐらかされているような感覚だ。会話をしていて違和感を常に覚えるのだ。
「それで、友だち以上友だち未満の君たちが集まって、一体どうしたっていうんだ?」
「今日はお父さんにお願いがあってきたの」と片割れが言う。
「お願い?」
「そう。ちょっと最近食べ物が手に入らなくって、わたしたち、お腹がぺこぺこなの。だから食べ物を分けて欲しいと思って」
お腹を抑えながら言う彼女に、ぼくは「はあ」と気の入らない返事をした。
何とも常人ならば普通にありそうな問題だな、とぼくは思った。だがこの不可思議な子供たちがお腹を空かしている姿を想像できなかった。今だって、ひとりも辛そうな顔をしていない。それどころか、何かを食べなければならないとは到底思えないのだ。仙人のように、霞でも食べながら生き続けているような想像をしていた。
だが考えてみれば当たり前のことで、人間、食事をしなければ餓死するのは当然のことである。どんなに非人間的である子供たちだって、食べなければ生きることができないのは当然の帰結だった。
「なるほど」とぼくは言った。「だけど、この人数をまかないきれるかな」
在庫を全て放出するつもりで与えれば、まかないきれなくもないけれど、苦労して補給した物資を子供たちに全て与えてしまっていいものか。
ぼくが天使みたいな善人であったなら迷うことなく分け与えるのだろうけれど、心の奥底で待ったをかけるぼくがいる。こいつの言いぶんもそう捨てたものではないのは長年の付き合いからわかっている。
「別にお腹いっぱい食べさせて貰うつもりはないわ。ひとりにつき氷砂糖をひとつ貰えれば満足だから」
その言葉に、ぼくとナズナは揃って疑問符を浮かべた。
「そんなもの、食事とは言えないんじゃないか? 絶対に足りないだろう」
「いいえ、お父さん。それでわたしたちは十分なのよ。ねえ、妹さん」
「ええ、お姉ちゃん。わたしたちは少食だから」
いやいや、少食といっても限度があるだろう。一回の食事を氷砂糖ひとつで済ませられるなら、世界の食糧事情はもっとマシなものになっていたはずだ。
「目的は栄養摂取というよりも、『食事を摂る』ことだから」
ぼくは首を傾げながら、「それは同じことじゃないのかい? 食事をすれば栄養が摂れるわけだから」
双子のひとりが唇を指でさすりつつ、「例えば」と切り出した。
「運動とスポーツみたいな関係かしら。運動は身体を動かすのが目的だけど、スポーツは娯楽として行うでしょ? それと似た感じで、わたしたちは純粋な栄養摂取を目的に食べることを欲しているわけではないの」
彼女の言う通りならば、栄養はそっちのけで、「食事」自体に意味があるということになる。どうにも哲学的な問答をしている気分だ。
「よく理解はできないけれど、とりあえず何かを口にしたいってことでいいのかな?」
「ええ、お父さん。その通りよ」と双子はぼくの腰元に抱きついて言った。ナズナは彼女たちに気圧されるように後退る。
次いでキララも引っ付くわけだから、ぼくは身動きが取れなくなった。まるで保育園の先生だが、生憎双子たちはそんなに無邪気な存在でもなさそうだった。キララに対抗する目は、年齢に見合わぬ艷やかさを孕んでいる。
「そういうことなら大丈夫だけど、本当に氷砂糖だけでいいの?」
「ええ。わたしたちはそれで大丈夫」と顔を寄せる片方が言い、「ありがとう、お父さん。優しいのね」とぼくを見上げるもう片方が言った。
キララは面白くなさそうに彼女たちを睨み、他の子供たちにも同様の視線を向けていた。これでは彼女が友だちを作るのは難しそうだ。
ぼくは荷馬車から氷砂糖の袋を持ってきて、子供たちにひとつずつ配った。
彼らは配給待ちの日本人みたいに行儀良く列になって氷砂糖を受け取った。中には「ありがとう、お父さん」とお礼を言ってくる者もいた。かと思えば、自分では受け取らず、他の子供に食べさせて貰っている者もいた。
全員が口の中で氷砂糖を転がしている。これは食事というよりおやつである。とてもではないが、お腹は膨れそうにもない。
そんな仲間たちを双子は満足気に見ていた。一仕事やり終えた風であった。
「ごちそうさま、お父さん。とてもおいしかったわ」と双子は言った。
「どういたしまして。でも、たったこれだけしかあげられないとなると、こちらの方が悪い気がしてくるよ」
「それは杞憂というものよ、お父さん」と右の少女が人差し指を立てて指摘し、「食事というのは量より質なのよ、お父さん」と左の少女がウインクをして続ける。
ぼくは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。彼女たちが満腹になったのかどうかはわからない。だけど、これだけで食事を済ませたと言ってのける姿は子供離れ、いや人間離れしている。
子供だけでこの世界を生きていけるとは到底思えない。それなのに、彼らはこうしてやっていけているのだ。日々の生活をどうしているのかは甚だ疑問だった。
いつの間にか、あれ程いた子供たちが数を減らしていた。気付かないうちに消えている姿を探してみても、辺りには見当たらない。
双子の少女は大仰に肩を竦め、
「ごめんなさいね、お父さん。あの子たちはちょっと気難しい年頃だから」
まるで母親みたいな口ぶりだった。
「……まあ、誰にだってそういう時期はあるさ。もちろん、ぼくにだって反抗期はあったんだから」
「そうよねえ」と物憂げな調子で、「そうやって人は大人になっていくのよね。既存の概念に反抗して人は成長していく。きっと大昔から続く伝統にようなものなんでしょうね」
双子は後ろ手にぼくから距離を取って、「ああ、そうそう」と思いだしたように口を開く。
「さよならの挨拶の前に、ずっと伝え忘れていたことを言っておかなくちゃ」
ぼくは軽く頷いて先を促す。両脇には毛を逆立てたふたりの少女。
双子はその様子をとてもおかしそうに見た。そこに悪い感情は込められておらず、むしろ好意的な色さえ感じられる。
「わたしたちの名前よ」とひとりの少女が言った。「うっかり自己紹介を忘れていたわ。わたしたちにとっては、お父さんはずっとお父さんだったわけだから」ともうひとりの少女が言った。
「彼女の名前はソラ」と双子の片割れは、もう片方を指して告げた。
「彼女の名前はクウ」ともう片方は、片割れを指して告げた。
ソラにクウ、か。どちらも「空」を冠しているというわけだ。双子らしい名前だと言えなくもないけれど、ただでさえ判別つかない容姿をしているのに、名前まで似たようなものにするとは、彼女たちの親も思い切ったことをするものだ。
「わたしはソラ」
「わたしはクウ」
そう言って、彼女たちはくるくると回った。手を繋いでダンスをしているみたいだった。
突然の行動に目を丸くしていると、急に立ち止まった彼女たちは、いたずらっぽい表情でぼくに訊ねる。
「さあ、お父さん。わたしの名前を呼んで」
なるほど、とぼくは思った。双子らしい遊びだ。まるっきりそっくりなふたりを見分けろというわけだ。
ぼくはじっと彼女たちを見る。こっそりと背後のナズナにも訊ねてみるが、彼女は全然わからないようだった。髪型から顔の造り、服装まで同一である彼女たちを見分けるのは少々骨が折れる。
ソラとクウ、か。
ぼくはある仮説を思いつくものの、それはあまりにも突拍子もなくて、いやいやこれはどうなのだろうと考え直す。
だが普通に見分けるのはどうやっても不可能である。それは問題を出した彼女たちもわかっているはずだ。わかっていてぼくに訊ねているのだとしたら、それはきっと外見で見分けろという意図ではないのだろう。
ぼくは先程の会話を思い出す。彼女たちは食事について、食事すること自体に意味があるのだと言った。
とどのつまり、一般的な意味での目的はあまり関係がないのだ。
それをこの問題に当てはめてみると―――――。
「君がソラ」とぼくは片方を指して言い、「それから、君もソラ」ともう片方を指して言う。
ナズナが後ろで息を呑む気配がする。双子はにこにことぼくの言葉を待っている。
「そして君がクウで」とふたりを指しながら、「君もクウ。そうだろ?」
双子は「大当たりよ、お父さんっ」とはしゃいでいる。「だから言ったでしょ、お姉ちゃん。お父さんなら簡単に言い当ててくれるって」「わたしだって言ったでしょ、妹さん。お父さんが間違えるわけないって」
両手を握り、身体を寄せ合った双子のソラとクウは、上機嫌のまま別れを告げて去っていった。大勢いた子供たちが去ったガラクタ山は、とても寒々しく思えてくる。急に熱を失ったかのようだった。
ぼくは彼らが去っていった方角をぼんやりと眺め続けた。
「先生、さっきの問題。あれってどういうことなんですか?」
いまだに得心いかないという顔のナズナが質問してくる。喉に小骨が刺さったような感覚が抜けないらしく、しきりにうんうんと唸っている。
「多分」とぼくは切り出した。「彼女たちはきっとふたりでひとつの存在なんだよ。ソラとクウで『空』を表す。それはつまり、ふたりはそれぞれ区別がないってことなんだ」
「区別がない……? 見分けが付かないってことではなくて?」
「そう。文字通り、彼女たちはお互いを一心同体だと考えてるんじゃないかな。お互いを呼び合う時も、ころころと姉と妹で入れ替わってたみたいだし」
自分でもはっきりしない事柄を説明しているせいか、ナズナにはいまいち理解できないようだった。ぼくも自分で喋りつつも、何を言っているのか判然としないところがある。
「ひとつ言えるのは、彼女たちがかなり特殊な双子だっていうことさ」
答えになっていない答えなのだが、ナズナは苦笑して頷いた。これには彼女も全く同意見であるようだった。
さてと、とぼくは双子たちのことから頭を切り替える。目下の問題は、先程からむすっと黙りこくってご立腹のお姫様の機嫌を、どうやって直してさしあげるかだった。




