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第25話

 夕食では、救助した人たちの紹介が行われた。これをもって、彼らは無事この集落に迎い入れられることになった。この<ゆのかわ集落>は、余裕が有り余っているというわけでもないが、助け出した8人を養うくらいの懐の深さはあるようだった。


 助け出したはいいが、ここの人々に全員を受け入れて貰えるかわからなかったので、ぼくは正直ほっとした。最悪の場合は、彼らを連れて他の所も回らなければならないかもと覚悟していたのだ。


 食事の後、救助者の代表役となっている顔見知りの男がぼくに礼を言いに来た。テーブルの向かいに腰を下ろした彼は、こちらが恐縮してしまうくらい頭を下げた。


「自分たちは、あそこで死ぬんだと思ってましたから」と彼は言った。こうして生きていられるのは、あの晩にあなたが命がけで助けにきてくれたからこそだと彼は付け加えた。


 彼が去った後も、ぼくはその言葉を反芻していた。


「命がけで助けに、か」


 一番大事にすべきなのは、言うまでもなく自分の命だろう。それはどんな人間にだって共通することだ。基本的人権なんてものが綺麗サッパリ消失した世の中になったとしても、自己の生存権だけは誰にだって残されているはずなのだ。


 ぼくはそれに逆らうようにして彼らを救出しに行った。それは傍から見れば無謀な行為に思われるかもしれない。保護するべきキララという存在があるのに、危険な真似をするのは褒められた行為ではないのはわかっている。


 ならば、ぼくはどうして人を助けようと思ったのだろうか。


 彼らの時だけではない。助けられなかったふたり組の男の時やナズナの時。ぼくは何を天秤にかけて救出を決意したのだろう。


 ぼくには目的がある。それにつり合うだけの価値が認められるからこそ、ぼくは迷いなく行動することができたはずだ。だがこうして思い返してみれば、それはどんなものなのか見当がつかない。つり合っている天秤皿の片方は、空っぽなのだ。


 それなのに天秤は傾かない。ぼくには、それが釈然としないのだ。気味悪いとさえ思えてくる。


 その片方の皿に乗っているものの正体は、道徳か倫理か良心か。いずれにせよ、そういった不定形のものであるのなら、見出すのはなかなかに骨の折れる行為だった。


「だーれだ?」突然視界が真っ暗になる。目隠しされているらしい。定番といえば定番のイタズラだが、こうして実際にやるのは何年ぶりだろう。もしかしたら、幼少時以来かもしれなかった。


 四半世紀ぶりに味わった目隠しに感動していると、再度「さて、わたしは誰かな?」と声がかかる。


 この声は明らかに久保田ナズナ嬢であるのだが、果たしてそう簡単なものだろうか。彼女はあれでいて聡い子だ。この遊びひとつとっても手を抜かるはずがない。ならば、何らかの策を弄しているとみて間違いないはずだ。


 声の主と手の主が異なるのか? それともナズナの声真似をしたスミレが幇助しているのか? 


 ぼくは添えられている手の感触を極限まで見極めようとした。すらっとしていてほっそりしている。男の手でないことは確かだ。それがナズナの手であるかと問われれば、ぼくは彼女の手をじっくりと眺めたり触ったりしたことはないので判別つかない。


「……もうちょっとしっかり握ってみてくれ」とぼくは言った。


「え?」と困惑するナズナ以外の声がした。この手の持ち主か!


「……セイジさん。それはちょっと女の子に対して破廉恥なんじゃないのかな」とナズナの責める声が少し後ろの方から流れてくる。なるほど、これで彼女は声だけの出演だということがはっきりした。


「ナズナさんや」とぼくは人差し指を立ててくるくると回しつつ、「ぼくは遊びに対しては妥協しないたちなんだ。だから目隠しゲームでも最善を尽くしたいんだよ。ぼくの言ってること、わかってくれるかな」


「わかる気がします」とナズナは答えた。「セイジさんがとっても子供っぽいってことは」


 心外だな。本当に子供だったら、ろくに考えもしないうちから適当な答えを言うのがおちだろうに。ぼくみたいに真剣に熟慮するのが大人ってものだ。


 ……そうだよね?


「ほらほら。もっとぼくの顔に手を当てて」


 そう急かすと、おずおずした様子でぎゅっと力が込められる。なかなかの握力だ。下手したら頭蓋ごと握りつぶされかねない力だ……というのは冗談で。


 ふむ、とぼくは思った。注意深く鼻を鳴らすと、どこか青草のような香りがする。料理で野菜を扱った人の手だ。


「このか細いようでしっかりとした手の感触、そしてほんのり漂ってくる大自然の野菜の香り―――――ここまでくれば答えはひとつだね、ワトソン君」


「……」


 誰も突っ込んでくれない。元ネタがわからないのだろうか。少し寂しい心地になってぼくは続ける。


「『誰だ』という問いの答え。それはふたつある。ひとつ、声の主はナズナだ。ひとつ、ぼくの目を隠してる手の主は、みっちゃんだ!」


 手を外して振り返ると、顔を真っ赤にしたみっちゃんとお冠のナズナがいた。みっちゃんは自分の手をすんすんと嗅ぎながら、「そ、そんなに匂います……?」と狼狽している。


「キララ、見た? 大正解だ。どんなもんだい」


 キララは少し考え込んでから、ぱちぱちと疎らに拍手した。


 ……何か、あんまりすごいと思われてない気がするけど、ぼくの気のせい?


「わたしとしては、手の感触とか匂いとかから見事に当てちゃうところが末恐ろしくありますけど……」とげんなりした表情のナズナが言った。


「て、手を洗ってきた方がいいかな……?」とみっちゃんが駆け出そうとしたので、ぼくは彼女を呼び止める。


「別にそんなことしなくてもいいんだよ。みっちゃんの手は優しい香りなんだから。ぼくはとても好きだよ」


「そそそ、そ、そうですかい?」


 何か江戸っ子みたいな返しがきた。彼女はさらに顔を発火させる。そのまま悶絶死しそうで心配である。


 リンゴみたいな顔に反して、頭の中がブルースクリーンなみっちゃんを庇うようにナズナが前に出る。


「セイジさん! いい大人がいたいけな女の子を弄んで楽しいですか!?」


 ぼくは慌てて釈明を試みる。


「弄ぶなんて誤解だよ。確かにちょっとデリカシーが足りなかったとは思うけど」


「なら、後はわかりますね? 女の子に恥をかかせたんですから」


 ううむ、とぼくは唸った。ナズナやみっちゃんくらいの女の子はやはり気難しいのだろうか。年齢差とか世代差ゆえのギャップを感じる。というか、ぼくの方がその少女たちにやり込められている気がしないでもないのだけれど。


「ごめんね、みっちゃん。ちょっと調子に乗り過ぎたよ」


「い、いえ……わたしが勝手に取り乱しただけですから」


 頭を猛烈に振ってぼくのせいではないと主張するみっちゃん。そのままユリの花みたいにぽろっと首が落ちそうで怖い。


 ぼくとみっちゃんの和解が済むと、ナズナがここに来た本来の目的を教えてくれる。何でも、ぼくの出発が近いことをそれなく察した面々が話をしたいのだそうだ。スミレや茂野さんが別室に集まっているらしい。


 いつもみたいに食堂で話をすればいいのではないかと訊ねると、ナズナは声を潜めて「ちょっと内緒話的なこともしたいんですって」と一言。


 集落の防衛に関することなのかもしれない。こういった話題は、不特定多数に広がると不安を招くことになりかねないのだ。決定の前は最小限の人間だけで話し合った方がいいという判断なのだろうな、とぼくは思った。


「了解。じゃあ、行こうか」


 そうと決まれば早く出向いた方がいいだろう。ぐずぐずしていたら、スミレに何言われるかわかったものではない。


 キララの手を引いて食堂から出ると、至る所で作業をしている住人の姿が見える。階段部分にバリケードを作っていたり、出口側の窓枠に投石用の石を置く台座を作っていたりする。本業とまでいかないものの、有事の際には役立ちそうな改装ばかりだ。


 しばらくの間、この改装工事と農作業とで分担して仕事をするつもりらしかった。いつ襲ってくるとも知れない敵が近くをうろついているのだから、できる限りの準備をするのは当たり前といえた。


 窓の外を覗くと、投石の落下位置の確認作業をしている人たちがいた。敵にわかりにくいような目印を付けている。こうすることで、その目印付近に来た対象に投下物を効率よく命中させることができる。


「へえ……」とぼくは感嘆の声をあげた。なかなか本格的ではないか。しっかりと襲撃に耐えられる改装を施すつもりなのがうかがえる。


「これ、誰が指示を出してるんだい? そうそう素人に考えつけることじゃないだろ?」


「朝倉さんだよ」とナズナは答えた。「ほら、セイジさんも何度か会ってるでしょ。自衛隊の人」


 ああ、一度<審判の日>の話を聞かせて貰った彼か。確かに、自衛隊に在籍していた経験があれば、防衛のためにいろいろとアドバイスできるかもしれない。もちろん、装備や施設に雲泥の差があるわけだけれど、野戦の知恵は何かと応用できるものが多い。この非常時では、彼の存在は非常に貴重なものとなっているようだ。


 それにしても、日差しがきついな。


 ぼくは顔を出していたのを引っ込める。少々目が眩んでしまった。


「どうしたの、セイジさん」とナズナは心配そうに訊ねる。


 体調は回復したのだけれども、目がかなり弱ってしまったようで日差しが辛いのだとぼくは答えた。


 しばらくすれば治るかと思ったのに。一日二日では治ってくれないらしい。


 まぶたの上から眼球をマッサージしていると、ナズナが「ちょっと待っててくださいね」と駆け出していってしまった。取り残された我々は仕方なしに近くの壁に寄りかかって待つことにした。


 ナズナが消えていった先を見つめていたみっちゃんは、穏やかな口調で言う。


「なっちゃん、元気みたいでよかった……」


「みっちゃんとナズナは仲がいいみたいだね?」


 互いに「みっちゃん」「なっちゃん」とあだ名で呼び合っている仲だ。同世代の仲間は彼女たちを含めて多いが、彼女たちは特に親しげに見えた。


 猪突猛進のけがあるナズナと物静かなストッパー役のみっちゃんは、なかなかいいコンビであるように思える。


「なっちゃんたちが戻らないって聞いた時、本当に目の前が真っ暗になったんです……。なっちゃんも、彼も、きっと死んじゃったんだって、みんな口にしないけど思ってたんだと思います。でも、なっちゃんは帰ってきてくれた」


 彼女の口にした男の子の名は、ぼくが助けられなかったナズナの恋人ものだった。ぼくはその名を聞くたびにナズナに対して申し訳なく思う。彼女自身は、ぼくを悪くないと言ってくれているけれど、ぼくはナズナのその態度さえも痛ましく思えてならないのだ。


 誰も彼も救えるとは思っていない。でも、救えたかもしれない命を失ったことに対して、「仕方なかった」と済ませることだけはしたくないのだ。


 救えなかった人は、ぼくの記憶にしっかりと焼き付けておく。そうすることでその人は存在をし続ける。少なくとも、ぼくが生きているうちは。ぼくにとって、それは弔いの意味を伴った行為なのだ。


「きっとなっちゃんも悲しいんだと思います。でも、セイジさんのおかげでなっちゃんも元気になってくれたんです。本当に、ありがとうございます」


「…………」


 ぼくは言葉に窮した。ナズナは表面上は恋人の死を乗り越えたように見受けられる。でもそれは外見上のものなのだ。彼女が受けた傷は未だ癒えてはいない。それは暗い怒りとなって、彼女の胸の底で燻っている。


 いわゆる悪人と評される輩に対して過剰な反応を示すのも、その顕れだろう。


「ナズナは負けず嫌いだから、他の人の見えないところで泣いてる時があるかもしれない。その時は、みっちゃんが慰めてあげて欲しいんだ」


「はい。それはもう、言われるまでもありません」と彼女は力強い調子で頷いた。


 ナズナもいい友だちを持ったものだ。自分を本当に心配してくれる友人を持てたことは、ナズナにとって幸運だったに違いない。ぼくはそんな友人に恵まれなかったから、正直彼女たちが羨ましかった。


 なっちゃんとナズナを話題にして盛り上がっていると、話の当人が帰ってきた。


「何だか楽しそうですね。どんな話してたんですか?」


「ナズナの嬉し恥ずかしNGシーンについてさ」


「え!? ちょっと何ですかそれ! わたしのNGシーンなんて聞いたことないんですけど!」


「いや、そこは君の友人であるみっちゃんからの貴重な情報提供があってだね」


 ナズナは般若みたいな剣幕で友人へと詰め寄る。ぼくの巧みな話術によって口を滑らせてしまったみっちゃんは、「あわわわわ……」と為すすべもなく締め上げられていた。


「まあ落ち着きなよ、ナズナ。別に君を笑いものにしてたわけじゃないんだから」


「だったらどんな話をしてたっていうんですか」


「うん。みっちゃんがどれだけ君を好きかよくわかる内容だったかな。『なっちゃんはすごいんですよ』とか『かっこいいんですよ』とか」


 鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたナズナは、首根っこを捕まえている友人の顔を覗き込んだ。みっちゃんは顔を真っ赤にしてナズナから逃れようとしている。羞恥心で人が死ぬとしたら、きっと彼女は今頃臨終しているだろう。


 その様子にナズナの機嫌も直ったようだった。嬉しいような、こそばゆいような様子で「まあ、そういうことなら許してあげなくもないかなっ」と掌返しである。乱れたみっちゃんの服装と髪を直してあげている。


「セイジさんも、誤解されるような言い方は自重してくださいよ?」とナズナは気を取り直すように言い訳した。「それから、これ、よかったらどうぞ」


 彼女から手渡されたのはサングラスだった。レンズがあまり大きくないタイプでスマートなイメージがある。


「いいのかい?」


「ええ。これ、お父さんが昔かけていたものなんですけど、ずっと放ったらかしにされてたんですよね。埃を被ったままでいるよりも、誰かに使われた方がこのサングラスも本望ですよ」


 ナズナの父親の遺品か……そんな大切なものを貰ってしまっていいのだろうか。


「きっとお姉ちゃんも貰ってくれって言いますよ。持ち主だったお父さんだって嬉しがるに違いありません。娘のわたしが言うんだから間違いなしです!」


「そういうことなら、ありがたく頂戴するよ。どうもありがとう。大事に使わせて貰うね」


『娘のわたしがいうのだから』か。一度でいいから、ぼくも言われてみたかったな。


 ぼくとアカリとの間に子宝は授からなかったけれど、こうしてキララという少女が傍にいる。彼女はぼくにとって本当の娘のような存在だ。そんな彼女が成長した暁に、ナズナたちの父親のように慕われる存在であれたら、これ以上嬉しいことはなかった。


 ナズナとスミレのお父さん、とぼくは貰ったサングラスに心の中で話かける。


 あなたの娘さんたちは立派に育ちましたよ。おかげで、ぼくはスミレさんに惚れてしまいました。もしもぼくを認めてくれるなら、どうかぼくたちを祝福してください。全身全霊で彼女を護り抜くことを誓います、なんて。


 ぼくはそんな願いを込めてサングラスをかけた。


「どう、似合う?」とぼくは3人の少女たちに感想を求めた。


「何か中学生が背伸びしてサングラスかけたみたい……」とナズナ。


「セイジさんが不良になってしまいました……」とみっちゃん。


 少女たちにはあまり好評でない様子。というか、ぼくにこのサングラスをくれたのはナズナなのに……。


 キララはといえば、サングラスをかけたぼくをじろじろと仰ぎ見て、まるでぼくの顔で間違い探しをしているみたいに造形を読み取ろうとしている。それから「ちょっと屈んで」というジェスチャーをしてくる。


 屈み込んだぼくからサングラスを取る。「セージ……」


 再びぼくにサングラスをかける。「だれ……?」


「酷いよ!」


「まあまあ、セイジさん。キララちゃんもそのうち慣れますよ。サングラスをかけるのだって、年がら年中かけなければならないわけじゃないんですから」


 そりゃあ、サングラスが必要になるのは、日差しがきつい日に外を出歩く時なんだろうけどさ。


 サングラスひとつで人相が変わるなんて、ぼくはどれだけ薄っぺらい顔をしていたのだろうと思わざるを得ない。モンタージュ写真を重ね合わせ続けたら、ぼくの顔が出来上がったりするのだろうか。


「でも効果の程はあるみたいだ。かけてるとかなり楽だし」


 今はちょうど日差しが窓から入り込んでくる時間帯だから、このサングラスは大活躍中である。さすがに個室内に入ったら必要ないと思うけれど。


「見た目より機能性ですよね、やっぱり!」


「的確なフォローありがとう、ナズナさん……」


 本当、一言多いんだから、この子は。


 しかしながら、こうして亡き父親の遺品をくれるくらいには信頼してくれているのだろう。そのことが嬉しかった。思い入れのある品というのは、本人にとって大きな価値を持つものだ。それを贈る行為は、相手に対して信頼を示す行為にほかならない。


 ナズナには何かお返しをしなければならないな、とぼくは思った。彼女の信頼に報いるものは何だろうか。とてもすぐには思いつけそうにもなかった。ナズナという少女は、これまでの旅の中でも特に関係性の深い人間だったから。


 先の方から大きな荷物を担いだ一団がやって来る。すれ違うために我々は一列なる必要があった。ナズナを先頭にして、みっちゃん、キララ、最後尾はぼくというポジションである。


 電車ごっこでもしているみたいだった。


 こうして見ると、彼女たちの中で一番背の高いのはみっちゃんだということがわかる。もしかしたら170センチ近くあるかもしれない。比較する対象が少ないから確かではないけれど、女性にしては背の高い方だろう。


 彼女とは今までこうして並んで歩く機会があまりなかったから新鮮である。


「どうしたんですか?」とぼくの視線に気づいたみっちゃんが訊ねる。


 元通り横に並んで歩きながら、ぼくは言う。「みっちゃんはスタイルいいなって思ってさ」


 予想通りというか、狙った通りというか、みっちゃんはぼくの褒め言葉に「べ、別にそんなこと……」と尻すぼみな返答をしてうつむいてしまった。初々しい反応である。全く動じないで感謝される反応もありだけれど、こういう可愛らしさは演技ではできないからとても貴重だ。


「あ、セイジさんもそう思います? ほらね、わたしがいつも言ってる通りでしょ。みっちゃんてば、自分の背の高さが恥ずかしいって、事あるごとに言うんですよ」


「それは大きな間違いだね。むしろどんどんアピールするべき点だと思うよ。しゃんと胸を張っていた方が綺麗に見えるし」


 彼女がもじもじとした様子を見せていたのは、自身の長身にコンプレックスを持っていたせいかもしれない。男ならば長身は誇るべきことだが、女性は、特に年頃の少女はそうもいかないらしい。男の場合の低身長コンプレックスみたいなものかもしれなかった。


「む、昔、からかわれたことがあって……」とみっちゃんは悲しげな顔で言った。「それ以来、人の目が気になっちゃってるんです。こんな世界になって、見られる程の人がいなくなったのに、治らないなんて変ですよね」


「昔からの癖っていうのは、環境の変化で簡単に変わるものでもないと思うよ。何かしらの自己改革が必要なんじゃないかな」


「自己改革、ですか?」


 みっちゃんは目を瞬かせながら言った。


「そう、自己改革。『自分はスタイルがいいんだ』とか『他人はそこまで人に気を配らない』とか。そういう風にポジティブに考えなきゃね。人がいなくなった今でも、それは変わらないさ。結局、問題は自分自身にあるんだから」


 彼女に悪意を向ける人間が文字通りいなくなったというのに、かつての鎖に繋がれ続けたまま生きていくのはあまりにも悲しいではないか。


「ひとつの参考意見として聞いて欲しいんだけど」とぼくは前置きして、「ぼくはみっちゃんのことを可愛いと思うし、綺麗だなとも思うよ」


「へうっ!?」と素っ頓狂な奇声を上げた彼女は、ぱくぱくと無声映画の世界に入っていってしまった。前衛的な動きも織り交じっている。ピカソらへんとコラボレーションしているみたいだった。


「みっちゃんまでもがセイジさんの餌食に……」


「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。ぼくは正直な感想を言ったまでさ。ナズナだってぼくの意見に賛成だろう?」


「それはそうですけど……」と煮え切らない返事。


「何だか狙ってやってるみたいに思えなくもないんですよねー、セイジさんの性格からして」


 実にぼくの性格を掴んだ感想である。まったくもってその通りであったが、ここで馬脚をあらわすとろくな事態にならないのは目に見ていたので、ぼくはしれっとした表情で彼女の疑念に満ちた目をごまかしていた。


 ぼくは愛と正義以外には友人がいないみたいな風に、「そんなこと、あるわけないだろう?」とのたまった。


「いいですよ。いずれ化けの皮を剥いであげますから」


「そうだね。ぼくがここを出発する前までに頑張って正体を突き止めてくれ」


「…………」


 ちょっとした軽口の最中だったというのに、ナズナは難しい顔をして黙り込んでしまった。眉を軽く顰めながら何やら考え込んでいるようだった。


「どうかしたの?」とぼくはみっちゃんがひとりで変な方向に行かないよう誘導しつつ訊ねた。


「セイジさん、ここを出ていっちゃうんですよね……」


「―――――そう、だね。ここはあまりに居心地がいいから長居してしまった。けど、ぼくにも目的はあるし、やりたいこともある。それはここでは叶わないことなんだ」


 ナズナが立ち止まった。「ここです」と部屋の中に入っていく。彼女の後ろ姿はどこか決意に満ちているようにも見えた。みっちゃんが言ったように、ナズナも変わりつつあるのかもしれない。それがいいことなのか、悪いことなのかは、神ならぬぼくにはわからなかった。


「目的なら、わたしにもありますよ、セイジさん」と彼女は言った。「それに、やりたいことも」


「……それはいいことなんじゃないかな。ぼくも、できる限り応援させて貰うよ。できることがあるなら、遠慮なく言ってくれ」


「ありがとう、セイジさん。そうさせて貰いますね」と彼女は笑った。


 それは、いつかの夜に見たような、凄惨な笑みだった。

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