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第20話

 用心深く身を隠して襲撃のタイミングをうかがっていると、想像以上に相手が統率の取れた集団であることに気付かされる。


 効率的に人員が配置されているし、捕まえた住人たちに狼藉をはたらくような愚行もおかしていない。非情なことを言うようだが、もしも敵が住人たちに乱暴をはたらく事態になっていたならば、もっと楽に事は運べたかもしれないのだ。


 ぼくを戸惑わせるのはそれだけではない。彼らはどこからどう見ても悪人面をしていないのだ。外見が全てを語るとまで言うつもりはない。しかしながら、悪事に手を染めている人間、殺しを楽しむような人間は、雰囲気や態度にその狂気が滲み出る。どこか敬遠される空気を自然と醸成するのだ。


 だがヤツらはどうだ。まるで町内会の集会をしに集まっているようにしか見えない。誰も彼も、緊張した面持ちではあるものの、至って真面目な風貌であった。


 一瞬、彼らは敵ではないのではないか、という想いが鎌首をもたげる。


 きっと、このような出会いでなく、昼間に道中で偶然に出会っていたとしたら、ぼくは普通に話しかけていると思う。それ程までに純朴な面々なのだ。その身に分不相応な武器を所持していなければの話だが。


 彼らは一様に雑多な武器を所持しており、包丁から棍棒と種類豊富に取り揃っている。それを至極真面目な表情で持ち、油断なく構えているのだから異様な光景である。


 人数は見える限りで20人はいる。ぼくひとりでは到底対処しきれない数だ。


 ……どうする? 諦めて撤退するか?


 だがここで退けば捕まっている住人たちの救出は困難になる。彼らの根城に戻られたら、それこそ手の出しようがなくなってしまう。今ならば夜間である上、敵襲に対してそれ程警戒していないはずだ。彼らは油断ない姿である一方、一仕事終えた後の緩んだ気配も同時に漂っているからだ。


 それに、とぼくは思う。一見して悪人に見えない彼らをどう扱うべきだろうか。自分は善人ではない。でも偽善者ではありたいと思っている。甘さの許されない状況下であったとしても、できることなら、殺しは必要最低限にしておきたかった。


 相手に手心を加えたゆえに反撃される可能性がある以上、無用な感傷を挟むべきでないことは理解している。でもぼくはそこまで割り切れない。殺し、殺される関係であったとしても、人間らしさを捨てたらお終いではないか。


 殺したなら後悔するべきだし、殺さないという甘えを持つことだってあってもいいと思う。その結果が自分に返ってきたならば、それを甘んじて受け入れるべきでもある。


 そうして迷っている間に動きがあった。捕まっていた住人のひとりが反抗に出たのである。


 体格のいい男だった。きっと格闘技か何かの覚えがあるのかもしれない。ずっと隙を狙っていたのか、迷いない動作で彼らを見張っていたひとりを羽交い絞めにすることに成功したのだ。


 にわかに活気づく住人側とは反対に、襲撃者側は不気味なくらい冷静だった。


 敵のひとり―――――見たところ女性のようだ―――――を羽交い絞めにした男は興奮した様子で喚いている。この女が殺されたくなかったら、おれたちを解放しろ、とそういう内容だろうことを想像がつく。


 目を凝らすと、男は細い鉄釘のようなものを女の喉元に突き付けている。その女は至って冷静な表情で男と会話を続ける。距離があるせいで話の内容まで聞き取れない。時折風に乗って声が途切れ途切れに聞こえてくるだけだ。


 住人たちは一箇所に集められていただけなので、全員自由に動けるようだった。武器はないが、捕らえた女を人質にして、逃れることはできるかもしれない。


 加勢すべきか、とぼくは考え込む。だがここで不用意に出ていけば、住人たちに敵の増援だと誤解される可能性がある。その混乱を突かれて制圧されることになったら笑えない。


 襲撃者と住人たちの睨み合いが続く。その温度差は見ていて不安になるくらいだ。襲撃者たちは一様に能面のような表情を張り付かせて推移を見守っている。誰も人質にされている女の心配をしている様子はない。


 こいつら、普通じゃない―――――。


 ぼくはその純朴な外見に騙されていたことを思い知らされた。この襲撃者なら、涼しい顔をして人を殺してのける。こういう顔をしている連中を、ぼくは一度見たことがある。


 ……この人間たちは、勘違いした善人なのだ。


 視界の端で、人質の女がやれやれと首を振った。そして次の瞬間、突き付けられていた腕を跳ね上げ、見事な体術で男を地面へと転がしていた。体重差のある男をここまで見事に倒してみせるのだから、かなりの腕の持ち主だ。女は自由になった首元をさすった後、倒れて呻く男の顔面を躊躇なく蹴り上げた。


 虫唾が走るくらいのサッカーボールキックだった。鼻の骨を折られた男は声にならない悲鳴を上げる。


 その最中、暴力を振るっている女は表情筋を少しも動かしていない。ただ工場で流れ作業を行なっているように、淡々と転げ回る男を蹴り続ける。住人たちは目の前で行われる暴力ショーに身体を硬直させており、他の襲撃者たちはセミナー中の講習者みたいに真面目な顔を崩さない。


 顔面を血まみれにした男が動かなくなると、女は他の者たちに合図を出した。すると彼らは近くの住人を押し倒し、その脚部を切りつけた。悲鳴。逃げようとする住人を取り囲み、数人がかりで抑えつけ足に刃物を突き立てる。その間、襲撃者たちは一言も口をきかなかった。


 憎しみや苦しみといった明らかな負の感情が支配する狂気はなかった。その代わりに、得体の知れないおぞましさがねっとりとした空気と共に辺りに淀んでいた。


 ぼくの腹はすでに決まっていた。殺さずに制圧しようという夢物語を思うこともない。ただ目の前の狂人たちを排除する。それだけでよかった。相手によって殺しを選ぶのだから、ぼくも糞ったれな部類に属しているのだ。それでいい。自分を全肯定するような人間になるくらいなら、ぼくはいっそ死を選ぶ。


 弓矢を構え、ぼくとは離れた場所にあった自動車を射る。ガン、という金属音。襲撃者たちは一斉にそちらの方を注視した。その隙にぼくは刃物を持っている人間を狙い打つ。幸い距離はそこまで離れておらず、相手は棒立ちなので狙いも楽だった。


 ひとりの腹部を、もうひとりも胸部を射抜くことに成功する。仲間がやられたことに気づいた連中が騒ぎ始める。さすがに自分たちが襲われた時まで無表情とはいかないようだ。


 ここでヤツらが自分たちに向かって自動車のヘッドライトを集中させていたことが幸いした。向こうは逆光となって、ぼくの位置をすぐには見つけられない。ぼくは素早く位置を変えて射撃を継続する。


 不思議な高揚感があった。ぼくはいつもより感覚が鋭敏化されているのを感じていた。まるで自分がウィリアム・テルにでもなったみたいに射かけた矢が命中していく。動きながらの射撃を全弾命中させる程、ぼくの腕はよくなかったはずなのに。


 敵の人数を半数まで減らしたことによって、捕らえられていた住人たちは逃げ出すことに成功する。ぼくは彼らを援護するように射撃する。このままなら上手くいくかもしれない、とそう思いかけた時。


 目が合った。


 隠れていた自動車の影から身を乗り出して弓を構えた瞬間、その直線上、お互いの顔がはっきりと確認できる先に女はいた。彼女はぼくと目が合ったことを喜ぶように口元を歪めた。そして間髪おかずこちらに向かって走り出した。


 ぼくは動揺する内心を叱咤して矢を放った。女は軽くステップを踏んで射線上から飛び退く。矢が命中するまでタイムラグがあるとはいえ、何て度胸だ。ぎりぎりまで矢の軌跡を見極めて回避するなんて人間業ではない。


 あまりにも現実離れした光景を見せつけられて、ぼくは僅かな間、呆けてしまった。それが致命的な失敗だった。女は一気に距離を詰める。ぼくは半ば無意識的に弓矢を相手に向かって投げつけ、腰のマチェットを抜き放とうとする。


 直前になって女はさらに加速していた。投げつけた弓を事もなげに弾き、最短距離でぼくの胸元に滑り込んだ。息をつく暇もない。


 気づくと、ぼくの腕は繰り出そうとする途中で止められていた。相手は右手一本でぼくの腕を抑えつける。女の細腕のどこにそんな力があるのだろう。力の作用点を支配されているとしか思えなかった。


 咄嗟に飛び退ろうとする。だが人間離れした動きを見せる女にとって、ぼくをいなすのは赤子の手をひねるようなもので、いとも簡単に足を払われて夜空を仰ぎ見させられてしまった。遅れて胸の中の空気が喉元をせり上がり、ぼくは目を見開いて咳き込む。


 強打した背中は熱を持ち、その受けたダメージを知らせてくれる。ここまで圧倒される経験は初めてのことで、ぼくは正常な思考ができなくなっていた。


 かろうじて視界を正常に戻すと、女の顔があった。驚いたことにナズナとそう変わらない年頃の少女だった。だがその背後に感じられる気配は化物じみていた。子供たちに感じる得体の知れなさとどこか似通った感覚だった。


「―――――『同志』?」


 と、ぼくの顔を確認した少女が今日初めて表情を浮き彫りにする。まつげを瞬かせ、困惑を隠し切れない。このロボットみたいな子も、一応人間であるようだった。


 同士? それとも同志? 聞こえてきた音に漢字を当てはめてみる。どれもぼくの身に覚えのない単語ばかりだ。どうしてこの少女が口にしたのか理解できない。


 相手の油断を狙って逃げ出そうとするも、首元を締め付けられたぼくは為すすべもなかった。みっともなく空気を求めて喘ぐ。少女はそんなぼくを見て考え込む素振りを見せた。


 顔を極限まで近づけられ、様々な角度から調査される。ぼくは古墳から出土した遺骨になった気分だった。


 ややあって顔を離される。彼女はその鋭い目元をさらに鋭敏にし、首元の手に力を込めた。


 万力のような握力だった。手の大きさはそれ程でもないから、食い込む面積が小さいために圧力が強く感じられる。そのまま喉を握りつぶされるとぼくは思った。視界が点滅する。心臓の鼓動が大きく聞こえる。視界が狭まる。


「答えなさい。あなたは何者ですか?」


 少女の声がぐわんぐわんと揺れる視界の彼方からもたらされる。それに答えることもできず、酸素の足りない頭はアラートを鳴らしっぱなしだ。マズい。非常にマズい。必死にもがくも、少女の手の力には敵わない。


 殺される―――――そんな想いがリアルによぎる。もう危険域をとっくに過ぎ去って、白目をむいて泡を吹き始める頃合いである。


 少女も無茶を言う。このように首を締められた状態で質問に答えられるわけがないだろうに。もしかして冗談を言っているのだろうか。それとも、とてもつもないうっかりさんなのだろうか。


 いずれにせよ、ぼくには笑えない冗談であるわけで、このままだと地獄の底で「首絞められながら、答えなきゃ殺すぞって言われたんだよね」とかブラックジョークを披露することになりかねなかった。


 ああ、マズい。


 思考が定まらなくなってきた。苦しみを通り越して気持ち良くなってきた。窒息死は非常に苦しいという話だったけれど、ぼくは運がいいのかもしれないな。こうして気持ち良く死ねるのだから。


 ぼんやりと霞む視界。そのまま奥底からやって来た暗闇に囚われて、どこまでも沈んでいく。この心地良い酩酊感に呑まれるなら、死ぬのも悪くないかもしれない、とぼくは思い、


「かっ……!」


 懇親の力を込めて反抗を試みた。心地良い死? ふざけるなっ。死ぬことっていうのは、もっと苦しくて辛くあるべきだ。それが「死」ってものなのだ。ぼくが死ぬ時は、苦しんで苦しんで、人に見せられないくらいの無様な死ぬ様でなければならないのだ。そうでなければ、精一杯生きたと言えないのだ。


 震える手で少女の腕を掴む。死に体だった男が急に剣呑な目付きになったものだから、少女は面食らったようだった。僅かに手の力が緩む。このまま逃れられるか、と僅かな希望が心中に灯る。


 だが少女もそれをただで許すはずはない。気を取り直した彼女は、にいっと口元を大きく歪めて再度力を込めようとする。しかしながらそれはかなわなかった。


 突然顔を歪めた少女は、頑なに離さなかった腕を離し、呻きながら自身の顔を押さえた。右側面に手をやり、声を途切れさせている。想像を絶する痛みを感じているようだった。


 その少女の豹変ぶりに戸惑う。ぼくは咳き込みながらも空気を貪った。眼前で悶え苦しむ少女の姿から目が離せないでいた。少女の苦しみようはしばらく続いた。そして始まりと同じように、唐突にそれは終わった。


 顔を上げる。


 逃げ出そうとして捕まった住人。地面に転がっているぼく。それぞれがゆっくりと顔を上げる少女に釘付けにされていた。


 いつの間にか、少女の隣には3人の子供が立っていた。この時まで、まるで存在に気づけなかった。最初からこの場にいたとは思えなかった。テレポーテーションのごとく、突如その場に現れたみたいだった。


「そう、ですか。あなたが……あなたが、そうだったんですね―――――『お父様』」と聞き飽きた、それでいてこの場にはそぐわない台詞が少女の口から発せられた。


 今まで、ぼくをその名称で呼んだのは、12歳以下の子供だけだ。どう見ても彼女はその年齢を越えているではないか。それなのに、なぜ……?


 混乱する。今までにない出来事ばかりが起こって冷静な判断ができない。そして小さな呻き声。今度は何だ……?


 顔を上げ、少女を見た瞬間、ぼくは絶句した。


 少女は、黒い涙を流していた。


 右の目は黒く淀み、そこから一筋の黒い雫が頬を伝っていた。その右目はまるでくり貫かれたように真っ黒で、白目にあたる部分がなかった。


 ぼくは情けない悲鳴を上げる。他の住人たちも怯えて声にならない叫びをもらした。


「ああ、ああ。わたしとしたことが、失念していました。かつて『同志』も言っていましたね。わたしとしたことが。これは失態ですね……」とぶつぶつと少女は独白する。頬の筋肉が痙攣しているらしく、その表情は恐ろしいまでに引きつっている。粘度の高い滴りが彼女の顎から落ちていく。まるでコールタールのようだ。


 誰もが声を失くしている中、か細い声がかかった。


「お父さん」と男の子が言った。


「お父さん」と女の子が言った。


「ほら、呼んでいますよ? ―――――お父様」とその少女は言った。


 やめろ。


「お父さん?」


 やめろ。


「……お父さん」


 やめろ!


 なぜぼくを父と呼ぶのだ! ぼくは父親になれなかった人間だ。なり損なった人間なのだ。子供を作れない身体だったのだ。そのせいでアカリは去っていったのだ。そのぼくをどうして父と呼ぶ!?


 知らない子供。見たこともない子供。一度として会ったことのない子供。


 彼らは皆ぼくを父と呼ぶ。これは呪いなのか。ぼくを苦しませるための戯れなのか。


 お父さんお父さんお父さん。呪詛のように繰り返される言葉。ぼくの心をがりがりと削り取っていく。痛い。気持ち悪い。指のささくれを無理やり剥がされる感覚に似ている。抗いようのない暴力。それに曝されたぼくは訳もわからず絶叫していた。


 喉が壊れるくらい叫び続ける。身体の底に溜まった澱を掻き出すように。形のない不安から逃れるように。


「お父さん」と幼い声が言った。


「やめろ!」とぼくは叫んだ。


「お父さん」と地の底から響くような声が言った。


「やめてくれ!」とぼくは懇願するように叫んだ。


 ぼくを蹂躙する音の中で、ぼくはいつも傍にあった澄んだ音色を聞いたような気がした。それは絶え間ないノイズに投じられた白い空白だった。ぐしゃぐしゃな世界の中で、そこだけが静まり返っていた。


 静寂の音。


 何もないことの安らぎ。


 周囲から隔絶された世界は、どうしようもなく優しげな色をしていた。


 触れる。僅かに張りのある膜を突き抜け、ぼくの手は白い世界に埋没する。その涼音をもっと傍に。微かにしか聞こえない音をもっと近くに。その響きをサインにして、ぼくは導かれる。


 もっと。もっとだ。


 身体全体で感じ取るために、ぼくは余計な感覚を遮断する。それによって、あれ程不快だった、恐ろしかった囁き声が止んだ。もうぼくを父親呼ばわりする声は聞こえない。ぼくを責め立てる声は聞こえない。


 代わりに耳朶を打つ、鈴のような音色。ぼくを包み込む、どこまでも広がった世界。


『セージ』と彼女の声が聞こえた。


 ぼくの慟哭が終わり、子供たちの声も止み、少女のおかしげな囀りも止んでいた。辺りには静寂が訪れ、各々の荒い呼吸音だけが場違いにも自己主張をし続ける。


 空気が、歪んだ。


 圧倒的な大気の揺らぎが巻き起こった。だがそれは風となって現れない。空間の歪みは現実化せず、違和感として脳に伝わった。


 ぼく、捕らえられた住人たち、襲撃者たち、顔の半分を黒く染めた少女、3人の子供たち。


 我々は自然と同じ方向を見据えていた。その視線の先に、ソレはあった。


 震える。


 暗闇よりもさらに暗い黒。周囲から浮き上がって見える奈落の底。全ての光を呑み込む終着点。


 不細工で、のっぺりとした外形。クッキーの型みたいに適当な手足の造形。


 2メートル近いヒトガタを取った異径は、初めからそこにいたかのようにして現れたのだった。

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