第2話
ノストラダムスによって予言された2000年の<恐怖の大魔王>は、ヒト種の出生数が大幅に落ち込むという形で実現された。それは世紀末から片鱗を見せ始めていた出生数の減少傾向から、ある程度予測されていたことでもあった。
しかしながら、世界の出生数が前年比で半分以下という異常事態は世界を震撼させ、絶望の底へと突き落とした。どれ程知恵を付けたとしても、人間も動物である。その本能に子孫を残すという重要な使命が刷り込まれている。
子孫を残せないということは、未来を紡げないということだ。
混乱をきたし始めていた世界は、ついに張り詰められていた糸が切れてしまった。暴動、金融恐慌、宗教対立が激化し、国家間のみならず国内の問題さえも満足に対処できない国が続発した。
人種の坩堝と化していたアメリカ合衆国も例にもれず、諸悪の根元を互いになすりつけ合い、人種間の対立はもはや修復不可能な域にまで悪化していた。
アメリカはカトリック、プロテスタント、イスラムという宗教観対立のみならず、白人種、黒人種、ヒスパニック、ラテン、中華と人種間の対立も抱えていたため、大規模な内戦状態へと突入した。
他の国々でも似たような状況に陥っており、特に大国で多種多様な人種を抱えるロシアや中国でも内戦が勃発。かと言って、小国だから安心というわけでもなく、小国は自国内の対処で手一杯であり、他の国の援助などもってのほかだった。
幸いだったのは、あまりの異常事態のため、「敵対国家」という外敵を半ば忘れ去ってしまったことだろう。人類共通で襲われているのは、「種の絶滅」という途方もない敵なのであり、それは姿形を持たない対処不可能な敵として立ちふさがっていたのだ。
そのため、第3次世界大戦が勃発するような事態は回避され、核兵器が使用されることもなかった。誰もが視野狭窄に陥っており、混乱していた。坂の上から小石が転がり始めたように、混乱は混乱を呼び、犯罪率は激的に増加した。
日本政府は非常事態を宣言し、治安維持に自衛隊を出動させるに至る。生来、暴動やデモに抵抗があったせいもあり、日本は諸外国に比べて秩序は守られている方であった。
それでも、どこかから現れた終末説は日本全国に蔓延し、様々な問題が次から次へと噴出した。
既存の経済形態は機能不全を起こして各地で物資の不足が相次ぎ、食料品や日常生活品は元より、医療品の不足が大きな問題となった。
輸入の大部分がストップしており、食料自給率が低い日本は窮地に立たされていた。ストックされていた分は1年ももたずに放出され、紙幣は紙くずとなった。
ガソリン不足を始めとした燃料の不足で流通は滞り、公共機関も軒並みストップされ、人々は徒歩か自転車での移動を余儀なくされることとなる。当然、遠くまで移動することができなくなり、不安とストレスで身体を壊すという悪循環が続いた。
かろうじてライフラインは維持されていた。これはまさに「命綱」であり、この綱が切れた時、人々がどんな行動に出るかは誰も予想したくはなかった。
年々子供が生まれなくなったせいで学校の閉鎖が相次ぎ、人々は食料の調達に1日の時間の殆どを割かなければならなかった。
特に都市圏の住人は食料調達に時間をかけなければならなかった。近隣の農家は早い時期に作物を物々交換しているのが殆どで、当然のことながら大都市圏の住人全員をまかなえるような生産力はなかった。
闇市のようなものが各地で開かれ、田舎に疎開するというまさに戦後の日本が繰り返されていたのだった。
人間は順応する生物である。
2001、2002、2003……と月日が流れるにつれ、不便ながらも人々はたくましく当時の社会の中で生き続けていた。
出生数の減少状況は続いており、人口は毎年尋常でない勢いで減少していた。
老衰、病死、事故死はもちろんのこと、自殺や餓死、凍死という死因が顔を並べ、食料や物資の奪い合いによる殺人も日常茶飯事になっていた。
人々は2000年を過ぎて終末期を迎えた時から、それまで遠くにあった「死」という概念を身近に感じるようになった。そのため、経済活動が低下するのに反比例して、宗教活動が活発化した。
各地で新興宗教が乱立し、それまであったキリスト教カトリックやプロテスタントも<黙示録>や<最後の審判>に傾倒し始める。
不安の極地にあった人々は、互いに身を寄せ合うことでそれを紛らわそうとしたのである。
それに伴う問題も発生した。教祖を名乗る人間が<救い>を与えるという名目で信者から物資を搾取し、信者を死亡させる事件が激増。さらに<絆教>という集団自殺を唆す新興宗教団体が問題となった。
2011年までに日本の人口は戦後直後並みに低下し、日本という国家はかろうじてその体制を維持するのみだった。その時点で生まれてくる赤子の数は絶望的なまでに少なく、もはや出生数ゼロという悪夢の事態は目の前まで迫ってきていた。
幸運だったのは、日本が島国だったことだろう。陸続きのヨーロッパやアジア諸国は国境という概念が抹殺され、混乱に拍車がかかっていた。国家自体が消滅し、無政府状態になった地域も多く、まさに終末世界の様態となっていた。
アメリカ、ロシア、中国もついに国家は瓦解し、軍閥による支配が横行していた。中央政府は完全に崩壊し、跡形もなく指揮権は消滅していたのだった。
2000年を迎えた当初、世界が連携して原因の究明に当たっていたが、それもとっくに打ち切られており、「なぜ子供が生まれなくなったのか」と考える人間さえいなくなり始めていた。殆どの人間が諦観にのまれていたのである。
各人は今日その日を生きるだけで精一杯だった。他のことに構っている暇など、小指の先程もなかったのである。
そして2012年12月21日を迎えたその日、午前0時を時計の秒針が回った時、<黒いケモノ>たちによって世界の終焉の扉が開かれたのだった。後に生き残った人々は、その一連の出来事を<審判の日>と呼ぶようになった。
果たして人類はその日に、どのような裁定がくだされたのだろう。ケモノたちに殺された人々は罪を赦され天へと昇っていったのか。一方で、地上に残されたぼくたちは罪の償いのためにこの世に縋り付いているのか。
神ならぬ身にはわからないことだらけだ。だからこそ自分の手で解明しなくてはならないのだ。原因究明を代わりにしてくれる人間が殆どいなくなってしまったこの世界で。この諸問題に取り組んでいた友の意志を継ぐ意味でも。
―――――<審判の日>を境に、人類には、子供がひとりも生まれなくなったその理由を。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
目を覚ましたのは、日が完全に昇りきった昼近くのことだった。
朦朧とする頭を起動させるのに時間がかかったぼくは、自分が今どこにいるのか、なぜこんな所で寝ていたのか、皆目見当がつかなかった。
周囲を見回すと、廃墟と化した個人商店の中であるのがわかった。打ち壊されたレジスターや中身のない商品の外装があちらこちらに転がっている。
店内の価値ある物は、あらかた略奪された後だったので、残っているのはガラクタばかりだ。
しばらくぼうっとしていると、ようやく事態が飲み込めてきた。
昨日、ケモノに襲われていた人を助けにいったぼくは、そいつらに囮にされ、危うくあのケモノの餌になるところだったのだ。だがこうして生きていることからすると、今回も何とか生き延びたらしかった。
ケモノに襲われて生き残る―――――ただそれだけで、この世界では特別視される。それは襲われる人間が、ほぼ100パーセントの確率で喰い殺されるからである。
ぼくが様々な人間に影響を持つに至ったのは、こうしてケモノに襲われながらも、しぶとく何度も帰還を果たしているからでもあるのだ。
店先から顔を出すと、昨日まで通行していた国道のすぐ脇にある個人商店であるのが確認できた。その隣の小さい駐車場に、カモフラージュシートが被せられた荷馬車が駐めてある。背中までかかったシートを迷惑そうにしている2頭の馬もいた。
雄の方が「公爵」で、雌の方が「婦人」という名だ。暗闇やケモノに対してある程度の耐性がある名馬で、旅には欠かせない仲間だ。
公爵を撫でてやると、「おまえ、生きてたのか」とばかりに冷たい目で見られた。
……見られた気がする。
まあ、気のせいだろう。ぼくは婦人にも挨拶してから、一晩を明かした店内に戻る。
店の片隅、倒れた棚を椅子代わりにしてキララは虚空を眺めていた。その目は何も映していない。ぼくが目の前に立ってもまるで気にした様子はなかった。
太陽が出ているうちは、「こう」なってしまう。この症状が見られるのは他の子供たちも同様だが、キララの場合はその無気力症状が昼間に現れる点で異なっている。その差異が一体何を表すのか。医者でないぼくには全然わからない。
彼女は体操座りをして、組んだ両腕の中に顔を半分程隠している。傍から見れば落ち込んでいるようにも見えるけれど、実際のところ、この状態の彼女に感情らしい感情を見出すことはできない。
一言で言い表せば―――――まるで人形のようだ。
半分閉じられたまぶた、意志の光のない瞳。精気を失った白い肌。病的なまでに寡黙であるせいもあって、本当に彼女が生きているのか不安になる時がある。それくらい生命力が希薄なのだ。
ぼくはキララの隣に腰を下ろした。10歳の少女にしては小柄である彼女は、ぱっと見て実年齢よりさらに幼く見える。7、8歳くらいだろうか。
髪を肩口で切りそろえるのは、いつもぼくの役割だった。彼女は身だしなみに無頓着なので、放っておけばいつまでも伸ばし続けてしまう。
夜の闇に溶け込むような黒いワンピースに身を包んだ彼女は、一心に虚空を見つめている。ぼくは彼女に倣って視線を宙にやるが、そこには何もない。内装が剥げかけた天井があるだけだ。
「そんなに一生懸命、何を探しているんだい?」とぼくは訊ねた。彼女は何も答えなかった。ぼくなんて初めから存在していなかったみたいなスルー具合だった。
それでも構わずに話し続ける。
「ここまでぼくを運んでくれたのは君だろ? 感謝してるよ。あのまま道路に寝転がっていたら、車に轢かれてぺしゃんこになっていたかもしれない。君は命の恩人だよ」
ちらり、と盗み見る。彼女の視線は前を向いたままだけれど、耳はちゃんとこちらに向けてくれている。なんてお行儀の良い子なんだろう、なんて。
「それにしても、どうやってここまで運んだんだ? 君の力じゃ、とてもじゃないが気絶したぼくを運べないだろ?」
10歳の少女には、10歳の少女に見合った腕力しかない。だから抱き抱えるのはもちろん、引きずっても難しいだろう。それこそ、ぼくが紙みたいにペラペラの二次元人間でない限り。
返答を待つことたっぷり30秒。今まで不動だったキララは、当社比120パーセントのスローモーションで落ちている看板を指差した。その看板には縄が取り付けられていて、引っ張れるようにしてある。
それから彼女は指先を並行移動させて壁を指した。
「ああ、公爵夫妻に運んで貰ったのか」
看板にぼくを乗せるだけでも一苦労だったろう。そこから先の仕事は公爵夫妻にやって貰ったのだ。店頭までずるずると引きずり担架で運んできて、そこからごろごろと転がして店内に搬入したのだ。
彼女なりに最善を尽くしてくれた結果だった。
「本当に助かったよ。ありがとう、キララ」とぼくは言った。
「……」キララは黙り込んでいた。
彼女は再び壁の染みを観察する仕事に精を出し始めたので、ぼくはすっくと立ち上がった。まだ立ちくらみがする。このぶんじゃ、今日一日は安静にしていた方が良さそうだった。
頭の中を散々弄くり回されたのだから、仕方がないかもしれない。
「……」
立ち上がったぼくをキララが見ていた。まるで色のない瞳だが、一年中一緒にいれば、彼女が何を言いたいのかも察しがつくようになる。
ぼくは彼女の前で屈み込み、頭を撫でてやった。
「おじさんはお疲れ気味なので、今日はお休みです。だから出発するのは明日にします。今日一日ゆっくり静養しましょう」
彼女は返答の代わりに、ぱちくりとひとつ瞬きをした。受け取った答えに満足したのか、それっきりぼくから興味は離れていった。虚空の観察人という通常運行モードに戻っていった彼女に苦笑し、ぼくはゆっくりと身体に気遣って立ち上がる。
もう若くないないせいか、20代の頃のように無茶はできなくなってきた。こうしてケモノにたかられても、あの頃はまだこれ程堪えてなかった気がする。
二十歳の頃なんて、本当に大昔のことみたいだ。こうやって次第に歳を取っていくんだなあ、としたくもない実感をしてしまった。嫌だ嫌だ。後数年もすれば40歳のおっさんになるなんて考えたくもない現実だった。
伸びをしながら外に出る。太陽は頂点に差し掛かっており、思い出したように腹の虫がなった。普段は昼を抜いた一日二食なのだが、今日はぼくが寝坊したせいで朝食を摂っていない。
何も食べないという手もあるにはあるけれど、体力の回復が最優先の現状では、何か腹に入れておいた方が無難だろう。その方が回復も早いはずだ。
できれば食事の材料は現地調達が望ましい。しかしながら周囲を見渡してみても、食料が残っていそうな建物はひとつもなかった。
こうした国道に面した店は、まっ先に略奪の対象になるのだ。早い段階で商品は根こそぎ持ち去られたに違いない。店主もとんだ災難である。
近くに山もないし、川もないので、何かを捕まえることもできない。諦めて荷馬車内の保存食に手をつけることにする。
積んであった缶詰の中から、ツナ缶と乾パン、それからコンソメスープを取り出して腕に抱える。店頭に缶詰類や携帯コンロを並べて、スープを温めつつ周囲の警戒も怠らない。
食事時が一番危険なのだ。調理の匂いというのは、かなり遠くまで流れていく。腹を空かした動物が招き寄せられるように集まってくることがある。それは野犬であったり人間であったりする。
公爵夫妻はそこら辺の草をもしゃもしゃ食んでいた。手入れをする人がいなくなってからというもの、道端の草は伸び放題なので、夫妻の餌には事欠かない。人間も草食だったなら、もう少し多くの人間が生き残っていただろうに。ベジタリアン万歳。
スープを温めている間、手持ち無沙汰になったぼくは周囲の状況を見て、簡単に片付けを始めた。滅茶苦茶に荒らされている店内はどうにも落ち着かないのだ。ぼくは生来の綺麗好きなのである。
落ちている空の缶詰やビン類をまとめて、隅の方へ押しやる。それからまだひっくり返っている商品棚をせっせと立ち上げ、そこにまだ汚れていない方であるワイン瓶などを陳列する。
それなりに手をかけても、廃墟が少しマシな廃墟になっただけだ。だがぼくは満足していた。こうした意味のない行為がぼくは好きだった。
キララは店の隅っこで、そんなぼくを海岸で日光浴をするエチゼンクラゲを眺めるみたいな目で見ていた。
温まったスープをよそり、キララに声をかける。彼女はうまそうな匂いにも反応せず、ただ沈黙を保っていた。無言で食事を拒否していた。
「食べなきゃ駄目だ。今朝から何も口にしてないんだろ?」
彼女は自発的に食事をしようとしない。ぼくが無理矢理に食べさせなければならないのだ。
昼の彼女にとって、食事とは栄養摂取行為以外の何者でもなく、その必要性を感じなければなるべく避けたがっているように見えた。
どんなに心が拒食を示しても身体の方に影響は現れるはずであるのに、彼女は痩せてはいても、痩せ過ぎてはいなかった。最小限のエネルギー補給のみで活動を維持しているのだ。
エネルギー効率がぼくとは根本的に異なっているかのようだった。
ぼくがしつこく勧めるものだから、観念したのか緩慢な動きでスープと乾パンを受け取りにきた。ツナの存在は無視されていた。
彼女は大して欲しくもないクリスマスプレゼントを貰った子供みたいにがっかりした表情だった。親の過失を責めるみたいにぼくの顔を見た後、元居た隅っこの方に戻っていく。
ちょこんと座り込んだ彼女は、無表情のまま、黙々と食事という課題に取りかかり始めた。戦場で軍用レーションを食べている兵士の方がよっぽどうまそうな顔をするだろう。
ぼくも腰を下ろして食事に取りかかる。
熱いコンソメスープは胃に染み込むようだった。それだけでは喉に詰まる乾パンをスープと一緒に食べながら、キララがちゃんと食事しているのを確認する。
隅っこの方で小動物よろしく乾パンをかじる姿は微笑ましい。表情に薄いところがまたリスを思わせる。彼女ならば、アク抜き前のドングリだって同じように食べられるかもしれない。
短い食事を終えて、食器類を片付ける。
キララはスープを完食し、乾パンは缶詰の3分の1を食べていた。まずまずの食事量だろう。日によっては固形物を口にしない時がある。そんなものでも、彼女はまるで空腹感を見せない。本当、どうなっているのだろう。
食後の昼寝をしながら、ぼくは昨日の男たちのことを思い返していた。
助けにきたぼくを囮にしたのは腹立たしいが、別に驚くことでもない。この世界では利用できるものは何でも利用しなければ生き残れないのだ。
ぼく自身が助けに行くことを決めたのだから、囮にされても感謝されても、どちらであってもぼく自身に責任があるのだ。彼らを責め立てたところで意味のない話だし、弱者から死んでいく現在の世界で良心の話をしても栓のないことだった。
彼らは無事に逃げ切れただろうか、と目をつむりながら考える。
仮にもぼくが囮になったくらいだ。ちゃんと逃げきってくれていないとぼくの努力は無駄になる。
助けたかった人が死んでしまうのは悲しいことなのである。
殺したかった人を殺せなかったのと同じくらいに。
人を救うのも殺すのも同じくらいの重さを持つに至った今日では、殺人罪や強盗罪なんて刑罰規定は意味をなさなくなった。そもそも国家自体が消滅してしまったのだから、罪刑法定主義を掲げていた我らが日本国家の消滅と共に、法が一切喪失した無法状態に突入したのは何ら不思議なことではない。
いわゆる「自然状態」になったわけだが、残念ながらロックやルソーよりホッブズの唱えた説が真実であったようだ。
「相互扶助」が成り立つためには秩序がなければならない。秩序を成り立たせるためには武力が欠かせない。
力なき者がどれ程高説を述べたところで、この世界の人間を更生させる力はないのだった。
<黒いケモノ>の襲撃や飢餓によって身体の弱い高齢者から亡くなり、残っている生存者の年齢層を人口ピラミッドで見れば、恐らく壺型になるはずだ。
高齢者は極端に少なく、20~50代が一番多い。そして年少者は殆どいない。<審判の日>以降、子供が生まれたと全く聞かなくなった。ぼくが回った集落では、妊娠している女性は皆無だった。ぼくは新たな集落を訪れるたび、その現実に向き合わされる。次の世代が誕生しなくなった種に待ち構えているのは絶滅だけなのだ。
このような異常な社会構造の中で、人々は絶望し、あるいは諦観し、自棄を起こして凶暴化していった。
しかしながら、皮肉なことに率先して暴力を働く男は優先的にケモノたちの餌食になることが多かった。それはふらふらと廃墟を出歩くせいかもしれなかったし、その血の臭いがケモノを引き寄せているのかもしれなかった。
徒党を組んで略奪を行う輩は早い時期に姿を消し、残っているのは細々と悪事を働く者たちである。
それでも、生きる力を失いかけている人間にとって、彼らは抗いがたい強者であった。彼らに襲われ、殺される者が後を絶たないのも、弱者を守護する人間の不在に原因があった。
戦闘者としての具合を見ると、生物学上どうしても女性は不利である。ライオンやチーターとは訳が違った。ひとりの男を倒すために複数の女性が必要になる。残念なことに、<審判の日>から2年が経ち世界は変革を遂げたものの、その実態は過去の歴史を繰り返しているに過ぎなかったのだ。
弱肉強食の理で犠牲になるのは、いつだって女性や幼い子供たちだった。
中には義憤に燃え、弱きを助けようとする者もいないこともないが、そうした人間はごく少数だった。物資に限りがある終末世界で人助けをするには、あまりにも障害が多過ぎるのである。
ぼくが昨夜に人助けをしようと思ったのは、情報が目的だったからだ。ここのところ人の気配がない地域が続いているから、どうにか集落や<街>の場所の情報が欲しかったのだ。それも骨折り損に終わってしまったが。
少し休んだら、昨日の彼らがどうなったか確かめに行こう。もしも彼らがケモノにやられていたとしたら、痕跡が残っているはずである。
それに、持ち物を置き去りにして彼らは逃げていたから、残された中に収穫があるかもしれない。
身体のダルさは抜け切っていないけれど、近場の移動くらいは大丈夫だろう。日が落ちる前に済まさなきゃならない。夜の世界はすでに人間の手から完全に離れてしまったのだから。
ぼくは鋭気を養うために、しばしの眠りに落ちた。