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第18話

 日が暮れると人の活動時間ではなくなるのは前述した通りであって、灯りの燃料節約のためであったり、早朝の仕事のためであったりという理由で集落の住人の就寝は早い。


 夜も深まり始めた頃に発生した非常事態は、眠りにつこうとしていた彼らを大いに混乱させた。その元凶たるぼくはといえば、困惑の目を一心に向けられる存在となっていた。


 大急ぎで主要メンバーを集めたスミレは、戸惑う住人たちに正体不明の人間がこちらに向かっていることを告げた。その報告に目を丸くした後、どうしてそんなことがわかったのかなど、矢継ぎ早に質問を返されたスミレは苦労して彼らの疑問に答えていった。


「つまりは、こういうことなのか」と代表して茂野さんは言った。「そこのお嬢ちゃんには『特別な力』とやらがあって、それによってこっちに誰かが向かっているのに気づいた」


 確認するように一字一句噛み締めて口にした彼は、その味に対して疑念を禁じ得ないようだった。


 それも無理はない。キララの力は非科学的なものであって、<黒いケモノ>などの超常的存在を知っている人間であっても、すぐには受け入れがたい代物である。ましてや年端もいかない少女の話とあっては、その真実性に疑問を呈したくなるのも当たり前のことだった。


「それで、より詳細に相手を掴むために、集落の灯りを全部消して欲しいんです」


 それでも、ぼくにできるのは、真摯に相手を説得することだけだ。この集落に起こる事情に首を突っ込むのはご法度だけれども、こうして今日まで同じ釜の飯を食った以上、彼らに起こるであろう危険を見逃すわけにはいかないのだ。


 ぼくの提案に首を傾げる面々。灯りを消すことによって、キララの力を強く発揮できることを理由として告げる。原理を訊かれても答えられない。ぼくだってわからないし、キララだって同様だろう。


 決して場を混乱させるために世迷言を言っているのではなく、至って自分は真剣だと彼らの前でぼくは誓った。


 その必死な態度が功を奏したのか、彼らの疑念の目は緩やかになった気がした。


「ふむ……確かに、このタイミングで何かをしでかそうっていうのもメリットがあるとは思えないしな。それに、まだ付き合いは浅いが、あんたがあることないこと吹聴するような人間じゃないってことは、おれたちは理解しているつもりだ」


 なあ、みんな、という茂野さんの問いかけに、彼らは迷いなく頷いてくれた。


 柄にもなく、ぼくは泣きそうになった。これまでの集落では、あくまでビジネスライクな付き合いしかしてこなかった。向こうからすれば、ぼくは余所者でしかなかったし、ぼくからすれば、相手はただの情報源でしかなかった。


 こうして、信頼し、信頼される間柄になったのは、この人たちが初めてのことだった。


 それは脆く、壊れやすいものだとは十分理解している。けれども、長らく人の輪から逸脱した生活をしてきた身にとっては、彼らの言葉は、涙が出る程嬉しいものだった。


 彼らに共通する優しさは、この終末を迎えた社会にとって非常に得難いものだ。それを育むこの集落は、スミレやナズナたちは、ぼくにとって重要な位置を占めるようになったことを自覚していた。


「セイジの提案に乗っても、別に損するわけでもないからね」とスミレは片目をウインクして言う。


「でもスミレよ。セイジ殿の話を受け入れるってことは、おれたちも非常事態体勢を取らなきゃならないことになるぞ。向かってくる相手は、もしかしたら敵かもしれないんだからな」


 茂野さんの言葉を受け取ったスミレは、しばしの間熟考にふけった。それから、「そうね」と一言呟いた彼女は、集まっている主な面々に向かって宣言した。


「念のため、これより非常事態に移行するわ。ずっと前だけど、敵の襲撃に備えた訓練をしたのを覚えてるわね? 今回の場合、相手が敵と決まったわけじゃない。でも用心するに越したことはないわ。それに、しばらく訓練してなかったからちょうどいいと思うわ」


 なかなか様になった様子だった。彼女よりも年配の人間がちらほら見える中、彼女はリーダーとして堂々と彼らをまとめあげていた。


 この場に集まっているのは、各部署の代表を務める面々である。彼らからその下部の人間へと指示は順次伝えられる。トップダウン型の指揮形態がきちんと作り上げられているようだった。


「それじゃあ、まずは装備の確認から始めてちょうだい。その後に灯りを消すように。間違っても先に灯りを消すようなヘマはしないようにね」


 了解、との返答があって、彼らはそれぞれの持場に散って行った。ぼくはその様子を感心した面持ちで眺めていた。肝心なところでポカをやらかす彼女も、やる時はやるのであった。


 ぼくの尊敬の眼差しに気づいたのか、スミレは得意げに胸を張った。


「どう? 見直した?」


「ああ……何というか……びっくりだよ。惚れそうだ」


「ほ、ほれ……!?」と動作不良に陥ったアンドロイドみたいになるスミレ。しまった。馬鹿正直に内心を吐露してしまった。ここは「見直した」と言うべきだった。


「ま、まあ、あなたにそう言われるのもやぶさかではないけどね……」


 何だか一昔前の素直じゃないお嬢様みたいな反応を返されてしまった。名状しがたい心地になっていると、姉の後ろではナズナが声を殺して笑っていた。自分の姉がテンパッているのを見て楽しんでいるらしい。末恐ろしい妹君である。


「でもさ、スミレ。こんな突拍子もない話を、よくもまあ信じる気になったね」とぼくは気を取り直して言った。


 ぼくなら、きっと信じないに違いなかったから余計にそう思える。集落全体を総動員させるのだから、並大抵の理由では受け入れられないだろう。


 スミレはぼくから視線を落として、キララに目をやった。彼女の視線の先では、先程から一言も喋らない少女が焦点を失った瞳を虚空に向けている。


「この豹変ぶりを見せられてはね……キララちゃんが演技をする程器用でないのは理解しているつもりよ。それから、彼女が普通からかけ離れたところにいる『特別』だってことも」


 やや悲しげな口調であるのは、無邪気な子供でいられなかったキララに対する憐憫なのかもしれない。「特別」であるのは、多感な子供時代において大きな傷跡となって残るのだ。ぼくもその実害を被った被害者である。それゆえに、彼女のキララに対する思いやりは、ぼくの過去の傷をも優しく包み込んでくれる気がした。


「やさしいんだね、スミレは」


「な、何よ。藪から棒に……」


「別に。ただそう思っただけさ」


 そうしている間にも、辺りは体制を整える人で騒々しくなってきた。彼らは、ぼくが最初にここへ訪れた際に見かけた手製の槍を手に、慌ただしく準備を整えている。やがて、どこからともなく灯火が落とされていく。


 我々はおぼろげな光を放つランタンを手に屋上へと向かう。


 不思議と、制御できない第六感とも呼べるところで、周囲の光が少しずつ数を減らしているのを感じた。昔から備わっていた「直感」に感覚が似ているかもしれない。


 今までにない感覚に戸惑うものの、この非常時に厄介事を増やすわけにはいかないので無理やりに無視をする。別に害はないのだ、放っておいても問題あるまい。


 言葉少なに、その時を待つ。


 屋上から外へ出ると、不気味なくらいに静かな夜に覆われていた。ぼくは精神が高ぶっているせいか、普段より夜の密度が高まっている気がした。いつもより深く、いつもより重苦しい闇が目の前に横たわっているように思われたのだ。


 もちろん、それは気のせいでしかないのだろうけれど、今宵ばかりは些細な変化にも敏感にならざるを得ない。この変化も何かしらを暗示しているとしか思えなかった。


 階下から、全ての灯りが消されたことを報告される。スミレとナズナによって再確認された後、ふたりは消灯の完了をぼくに告げた。


 彼女たちに頷いて返したぼくは、キララの手を引いて、抵抗感のある夜の海へ歩みを進める。


 全ての灯りが消え去った集落は、しんと静まり返っている。気のせいか、いつもはやかましい夏虫やカエルの鳴き声が耳に届かない。もしかしたら今日は動植物たちの休日なのかもしれないな、とぼくは思った。


 だからいつもは感じる、自然のあたたかみがないのだ。在るべきものがそこになく、聞こえるべきものが聞こえない時、大自然は無色の「死」に支配される。それは無機質で硬質的で容赦がない。その場に放り出された生き物は、ただ周囲の闇に貪り食われるしかないのだ。


 そう、ぼくは久しぶりに太陽の加護が消え去った夜を恐ろしいと感じていた。


 今夜はおかしい。そう悟らざるをえない。きっと一騒動起こるに違いないのだ。ぼくにできるのは、その被害を最小限に抑えるだけ。頭を低くし、地面に伏せって、脅威が通過するのをやり過ごすことだ。


 人は何かと脅威を乗り越えられると考えがちであるが、時には抗えない場面に出くわすことがある。そういった時は、無理に抵抗しようとはせずにやり過ごすのがベストだった。強風に逆らって屹立するよりも、葦のようにたなびく方が理にかなっている時もあるのだ。


 我々は屋上の縁の付近に到着する。


 キララは音もなくぼくの手から離れた。彼女がそのまま闇の底に吸い込まれていく錯覚を覚えて、ぼくは声を詰まらせた。悪い予感が次から次へと押し寄せてくる。


 何だっていうのだ。


 ぼくは何を恐れているというのだ。漠然とした不安感に押し潰されるなんていう状況を甘受していられない年齢なのに。ぼくはもう大人であって、キララを守ってやらなければならないというのに。


 我々の目の前に躍り出たキララは、そっと両手を胸の位置で組んだようだった。背後からは彼女の表情はうかがい知れない。


 何かぼくたちの及びもつかない力を使って、遠くの人間を探ろうとしているのだ。普通の人には行えない所業をする彼女。ぼくの立ち位置からずっと遠い場所に彼女が行ってしまったように思えた。


 変化は突然だった。見間違いかと思った。けれども、ぼくだけではなくスミレとナズナも目の当たりにしているのは、その驚愕の表情から明らかだった。


 キララの肩口まである髪がふわりとそよぎ、僅かに発光していた。伴って淡い水色の光が全身に広がっていく。漆黒の闇の中において、彼女は神々しいまでの光をまとっていた。


「夢、じゃないわよね……」とスミレが口を半開きにして言う。


「ちゃんとわたしたちは起きてるはずだよ、お姉ちゃん……」姉の独り言に、ナズナも半ば呆然として返した。


 スミレはぼくに向き直り、そしてもう一度キララを見てから訊ねた。


「以前にも、こういうことが?」


「まさか。ぼくだって今日初めて見た」頭を振りながら、「こんな、目に見える不思議な光景、一度見たら忘れないだろうさ」


 まるでキララの足元から水色の風が噴き出しているかのようだ。もちろん、足元に仕掛けがあるなんてこともなく、灰色のコンクリートが地面としてあるだけだ。


 本人は驚きもせず、怖がりもせず、まるで始めからそうであったように風の流れに身を任せていた。彼女にとってそれはありふれたものでしかない。そんな心情が顕れていた。


「……3、4」とキララは僅かに聞き取れるだけの声量で言った。「おとこがみっつ、おんながひとつ。こっちにくる」


 人数ばかりでなく、性別まで言ってのけたことには驚きを通り越して呆然としてしまった。今までにない精度である。誇張でなく、「千里眼」と呼んでも差し支えないだろう。


 明らかに彼女の「力」が強まっていた。そのことに対して喜べるはずもなく、ぼくは筆舌に尽くしがたい不安を覚えていた。悪い予感は、彼女の変化として如実に顔を出し始めた。


 以前よりも自我が強まり、それに伴って得体の知れない「力」も増幅された。その力が最大限使えるのが夜であり、彼女が活発に行動し始めるのも太陽が沈んでからである。


 ……関係があるのだろうか。人類を完膚なきまでに喰い尽くそうとしている<黒いケモノ>に。


 いや、今はそれを考える時ではない。少なくとも、目の前の問題を片付けてからでないといけない。でないと、取り返しの付かないヘマをやりかねない。目先の問題に集中できない人間は足元をすくわれるのだ。


「すごくおそい。けがをしてるのかも」


 その言葉を最後に、キララにまとわりついていた光は消失した。漂っていた髪も重力の井戸に落ち込み、規則正しく並んでいる。


 ぼくは彼女に駆け寄り、がむしゃらに抱きしめた。


「くるしい……」と胸の中で抗議の声がするが、ぼくは構わず抱きしめ続けた。


「大丈夫か? おかしなところはないか? 痛いところとか、気持ちの悪いところとか」


 切羽詰まったぼくの様子に目を白黒させているキララ。一見したところ、異常は見つけられなかった。あの不可思議な光に害はないようだ。まずは一安心する。


 スミレもほっと一息ついていたものの、すぐに現状を思い出して顔を険しくした。彼女に急かされて、我々は階下で待つ住人たちの下へと向かう。


 階段の踊り場でスタンバイしていた面々に状況を説明する。


「4人の人間、か。その情報を信じるなら、こちらを襲いに来たわけじゃなさそうだな」


 茂野さんはあご髭をこすりながら独白し、


「それで、どうするんだ? 助けに行くのか?」


 質問はリーダーたるスミレに向けられていた。彼女は答えあぐねて即答できない様子だった。もしも相手が助けを求めているのなら救援に向かうべきだろう。しかしながら、それが敵であったら、まんまと罠にかかりに行くようなものである。集落を襲わないまでも、少人数を誘い出して襲うつもりなのかもしれない。


 歯噛みするスミレは、助言を求めるようにぼくへと視線を向けた。そのあまりにも迂闊な行動に、ぼくは怒鳴り散らす寸前だった。


 彼女は集落のリーダーなのだ。その彼女が、古参の仲間を差し置いて、訪れて間もないぼくに意見を求めるなどどうかしている。仲間の信頼を失いかねない愚行だった。


 幸いにも、そのアイコンタクトに気づいた者はいなかったからいいものを、下手したら全てを失う結果になっていたかもしれないのだ。彼女には、後でしっかりと注意しておかなければならない。


 これ以上、スミレが暴挙に出ることを阻止する意味でも、ぼくは彼らに意見することにした。


「あくまで参考として聞いて欲しいんだけど」と言いづらそうな表情を作って、「もしかすると、わざと泳がされてるって可能性もある」


「泳がされてる?」スミレが腑に落ちないという風に繰り返す。


「うん。集落の人々は仲間意識が強固だから、襲われたとしても、他の集落の位置情報だけは頑なに喋らないことがあるんだ。それを知っている襲撃者は、わざと生き残りを逃がすことによって、次の獲物の位置を探ることがある」


 逃げ出した方向からも、おおよその位置は掴めるのだ。キララの探索範囲には引っかからなかったものの、敵はどこかに隠れている可能性だってあるのだ。


「あるいは、被害者を装った加害者かもしれない。いずれにせよ、考え出したらきりがないんだ。だから決断するにあたって考え過ぎない方が無難じゃないかな。君の優先順位を忘れないようにして答えを出せばいいんだ」


「優先順位……」


 少し喋り過ぎたかもしれない。これでは助言したのと大差ないではないか。ほんの短い諫言程度で済ますつもりだったのに、何だか調子が狂うな……。


 スミレは腕を組んで考え込んだ。彼女の答えを住人たちは静かに待っている。


 ややあって、彼女は屋上へと続く階段を見上げながら答えた。


「こっちから外には出ないわ。わたしたちの中で戦い慣れている人は殆どいないし、この暗闇で満足に動ける人間は皆無だろうから。その人物たちはこちらに向かっているようだから、いずれここまでやってくるでしょう。その時に対応すればいい」


 彼女の答えに住人たちは同意した。無難な解答であると言えよう。対応に向かわすならば、男たちの中から選抜するしかないが、そうなると貴重な男手が失われることもあり得るのだ。


 僅か50余人しかない集落では、ひとりの損失でも、与えられる影響は小さくないのだ。


 彼女の答えはベストとまではいかなくとも、ベターであった。


 だがその答えに反対する者が現れた。他でもない、彼女の妹である。


「わたしは反対。助けに行くべきだと思う。少しの遅れが致命的になるかもしれないんだよ? わたし自身が経験したことだからこそ言うんだからね」


「ナ、ナズナ……」


 何があったのかを知るスミレは悲痛な声をもらした。ナズナの憤りは正しい。その心中を思うとやりきれなくなる。姉であるスミレは、ぼくよりもさらに心が痛むに違いない。


「誰も行かないなら、わたしが行く」とナズナは強い口調で言った。


「馬鹿なことを言わないで。危ない目にあったならわかるでしょう? せっかく助かった命を危険に晒すようなことはやめて」


 痛ましい程の嘆きを受けてもなお、ナズナの意志は変わらないようだった。今までにない険しい表情を浮かべた彼女は、消極案に落ち着く姉や住人たちを軽蔑した目で見やった。


「ねえ、お姉ちゃん。わたしはね、助かったからこそ行かなきゃならないんだよ。痛みを知っているからこそ、同じように苦しんでいる人を見捨てちゃいけないんだ。助けられる人を見捨てた時、きっとわたしは自分に殺されるんだと思う」


 ナズナの意志は揺るがない。ぼくにはそれがわかった。諦めのような心境でぼくは彼女の姉を見た。スミレは狼狽し、二の句が継げないでいた。いつもの仲良さげな姉妹の雰囲気は霧消していた。周囲の住人たちも、誰もが戸惑いを浮かべている。


 このままでは埒が明かない。スミレは譲らないだろうし、ナズナだって同様だ。かといってそのままでいれば、ナズナは飛び出して行きかねない。


 思わぬ問題が持ち上がったことによって、スミレの処理能力は限界を迎えたようだった。しっとりと汗の粒が浮き上がっていることからも、追い詰められていることは察せられた。


 やれやれ、とぼくは思った。仕方がないなと思いつつも、彼女を助けられることに喜びを見出してしまっているのだから始末に終えない。自分でも調子のいいヤツだと呆れてしまう。普段は消極策を第一に考えるのに、こうした場面では危険度外視の行動に出るのはぼくの癖のようなものだった。


 ぼくは凝固した空気を打ち破るべく、意見を投じた。


「なら、ぼくが偵察に行けばいい」


 茂野さんはむっつりとだんまりを決め込み、リーダーであるスミレを見守っている。ぼくと彼女が懇意にしているのは、この狭いコミュニティーではすでに周知の事実であるはずだ。だからぼくがあえて危険に晒すような真似を彼女が許すのか心配なのだろう。


 彼ら住人にとって一番好都合なのは、ぼくだけに偵察を任せることだ。それならば人的損害がなくて済む。それに、ぼくが死ねば遺された物資を手に入れることだってできるのだ。


 でもまあ、彼らは本当に優しい人たちばかりだから、むざむざとぼくが死ぬのを黙って見ていられる程世の中に適応してはいないだろう。


 その上で、ぼくに助力を言い出せないのは、己の力量を自覚しているからにほかならない。夜間の行動はそれだけ危険なのだし、自分ひとり守れない人間が一緒に付いて行ったってお荷物以外の何者でもないのだから。


「お姉ちゃん、わたしとセイジさんが―――――」


「ぼくが行くと言ったんだ。君は留守番だよ」とナズナを遮って断ずる。


 正直、彼女がいたところで戦力になるとは思えなかった。ただの救助ならともかく、戦闘になる可能性がある以上、ナズナのような非戦闘員を引き連れていくわけにはいかない。彼女が女性だから足手まといと言うのではなく、夜間の行動はぼく以外の誰であってもお荷物である。


 それに、もしも自分がヘマをして死ぬことになったとしても、ナズナを巻き込むのはごめん被りたい。せっかく助けた少女を再び己の手で殺すことになったら、きっとぼくは後悔のあまり悪霊化するに違いないのだ。


「邪魔はしませんからっ」


「邪魔するも何も、付いてくるだけで負担になるんだ」とこの時ばかりは取り付く島もなく、ぼくはナズナを相手にしないことにした。ナズナから後で恨まれようが、ここで自分自身の無力さを弁えさせないと、後々同じようなことが起こりかねない。


 役に立たないことは重々承知しているようで、悔しげに彼女は歯を軋ませた。内心ほっとしたのも束の間、彼女は思い出したようにはっと顔を上げた。


「キララちゃんも連れていくんですよね? 彼女はどうするんですか」


「…………」


「わたしが一緒に行けば、セイジさんが離れている間、彼女の面倒を見ることだってできます」


 痛いところを的確に突いてくるな、この子は。


 思い出さなくていいことをこのタイミングで思いつくのだから、不測の事態にめっぽう強い性格をしているのかもしれない。姉とは正反対だ。


「どういうこと? キララちゃんも連れて行くって本気なの!?」とすごい剣幕でスミレがにじり寄って来る。


 そうだよね、これが普通の反応だよね……。


 散々危険だ何だと言っておいて、10歳の少女を連れて行くなんて正気の沙汰ではない。誰もがそう考えるだろう。


 だがキララの場合は別だ。彼女はぼくから片時も離れたがらないし、きっとぼくが崖から身を投げたとしても、何のためらいもなく彼女は一緒に飛び降りるに違いないのだ。これまで行動を共にして、キララの献身的を通り越した盲目的信頼を目の当たりにしてきた身だ。こればっかりは、例えぼくが口酸っぱく言い聞かせたとしても、彼女の考えは変わらない。その前提―――――ぼくとの一蓮托生という柱は、世空野キララの最も奥深くに根ざしていて、誰にも触れることはできないのだ。


「ぼくとキララは一心同体なのさ」


「馬鹿なこと言わないで! ……と言いたいところなんだけど、あなたたちの場合、それが言葉通りの意味として成り立っているから笑えないわね……」


 一転して無力感に苛まれた様子を見せるスミレは、踵を返して住人たちの方へと向かった。どうやら彼らと話し合うつもりのようだった。


 これ幸いにと、ぼくは出発にあたっての装備確認を脳内で行なっておくことにする。


 戦闘のための七つ道具たち、相棒のマチェットや弓矢を始めとして、夜間の戦闘に備えて強力なフラッシュライトを持っていくことにする。ケモノを刺激するのであまり気が進まないけれど、対人戦がメインになるだろうことを考慮すると捨てられない選択肢だった。


 それから本当の緊急時に使用するスタンガン。これはその用途からして最悪の事態に使うものなので、出番がないことを祈ろう。


 そうしてあれこれと思案にふけっている間に、住人たちの答えは出たようだった。


 緊張を張り付かせたナズナと、疲れた表情のスミレを見れば、答えは自ずと導き出されるだろう。ぼくはスミレの心労を慮らずにはいられなかった。死んだと思っていた妹が無事生還したかと思えば、また危険な行動を取るのだから休まる暇もないだろう。そのうちぶっ倒れるのではなかろうか。


 のろのろと目の前にやって来たスミレは、懇願するように言った。


「少しでも危険な兆候があったら、迷わず逃げ出してちょうだい。約束して」


「約束する」とぼくは答えた。


 彼女は深い深いため息をついた。日本海溝から湧き出したみたいなため息だった。


 非常事態に備えて守りを固める彼女たちから離れて、ぼくは持っていく装備を取りにいく。


 移動に公爵夫妻は使えない。夜間であるし、ナズナもいる。建物の脇にあった自転車を使わせて貰うことになるだろう。燃料を必要としない自転車は、移動手段として最適なものだった。多少の悪路でも走行可能な点も評価が高い。


 さて、ナズナの独断行動を戒めるためにも、ちょっと脅かしておいた方がいいだろう。


 ぼくは彼女を間近から見下ろして言った。


「これから地獄の三丁目までサイクリングだ。もしかしたら、死ぬことだってあり得る。そのことを忘れるなよ。……動きやすい格好で正面入口に集合するように」


 冗談とも取れないぼくの言葉に、ナズナは少しも臆せず答えた。


「そこはついこの間通ったばかりだから平気ですよ。わたしは、そのずっと先まで行ってきたんですから」と彼女はまだ幼さの残る顔を凄惨に歪めながら続けた。


「地獄なら、もう経験済みですよ、セイジさん」

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