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第12話

 滞在3日目。お互いの在庫を確認し合った我々は本格的に交渉へと移っていた。ぼくの場合、この取り引きはあくまで調査を円滑に行うための隠れ蓑である。しかしながら手を抜いていいわけでもない。限りある物資を有効に活用して、できるだけ長期間の旅路に臨まなくてはならないからだ。


 そんなこんなで、ぼくの大きな目的のひとつとして、この集落を調査拠点にできたらいいと考えていた。ホームを持たないぼくではあるが、これまでの道中には、顔なじみであり受け入れて貰える集落がないこともない。それは東北を南下しつつ創り上げたコミュニティーである。


 一回限りの取り引きならば、いくらがめつく絞り上げても構わないかもしれない。けれども、これから先も友好関係を築きたいならば、こちらが譲歩した方が好印象を持たれやすい。


 2日間滞在してみて、この集落の住人たちは十分信用に値するとぼくは判断していた。何やら上から見線で申し訳なく思うくらいだ。彼らはぼくが<キャラバン>であるという以上によくしてくれている。仲間であるナズナを助けたことによって最初から好印象を持たれているせいかもいしれない。


 東北区域を離れるにあたって補給が困難になるため、信用のおける集落を見つけられたことは幸運と言ってもよかった。それに規模的にみてもここは理想的だ。あまり巨大過ぎるとこちらが軽んじられる可能性が高くなるし、大きな懸念事項としてケモノに狙われやすいということがある。


 集落の中にいると忘れがちだが、外には人知の及ばない存在が闊歩しているのだ。こうして平和な住人たちに囲まれているとまるで嘘みたいに思えてくる。実は<黒いケモノ>なんてものは眉唾物で、実際には、ぼくの不安感が創り出した幻影なのではないか。


 そんな妄想に取り憑かれるくらいの日常を、ここの住人たちは送っているのだった。


 さてさて、3日目ともなればお互いに気心も知れてくる。同じ釜の飯を食うという諺もあるくらいだ。顔見知りも増えてきて、気軽に声もかけ合う仲に進展していた。


 本来の目的である調査を行なってもいい頃合いだった。この手の話は古傷をつつく行為であるのは間違いなく、親しくないうちに持ちかけると機嫌を損ねて二度と相手にされなくなることがある。


 それ故に、ある程度の信頼を勝ち取ってからでないと貴重な話は聞けないのだった。フィールドワーク時のインタビュー方法に性質が似通っているかもしれない。


 そういう訳で、ぼくはスミレに頼んで、住人たちを食堂に集めて話を聞かせて貰うことにした。こちらからのお返しとして、以前に作り置きしてあった燻製肉を提供することにする。


 集まったのは10名程であり、聞くところによると色々な地域から集まってきているらしいから、多様な情報を得られそうだった。


 重い話の潤滑油として用意した燻製肉は思いの外好評だった。彼らは野菜食中心らしく、肉は滅多に食べられないそうだ。狩猟が得意な人間がいないせいである。


 テーブルを囲みながら、ぼくは出身地と以前に住んでいた場所、<審判の日>以前と以降、それから子供たちの状況をそれぞれ調査した。ひとりだけに訊くと雰囲気が悪くなりがちな話も、多くの人数で集団討論的に行うと不幸自慢の体裁を帯びてくる。あの人がそんな目にあっていたのか、なら自分の話も―――――といった風に、自然と口も軽やかになる。


 その意図を知ってか知らずか、スミレはぼくの調査にいい顔はしていなかったものの、黙認する方向のようだった。


 興味深かったのは、自衛隊の生き残りだという男の話だった。彼は<審判の日>に出動し壊滅した隊の生き残りであり、仲間たちは殆ど死んだか行方知らずだと言う。彼は真っ先に逃げ出したおかげで助かったと恥ずかしげもなく力説した。


 少しでも<黒いケモノ>に立ち向かった隊員は喰い殺されたのだから、こうして生き残っている自分は賢い選択をしたと鼻息荒く断言した。ぼくは彼の意見を大袈裟に肯定して警戒を解きつつ、話の続きを訊いた。


 何でも、彼はケモノの気配を部隊で一番に察知したらしく、その時点でこれはマズいと直感したらしい。装備の一式を放棄する彼を指揮官は一喝したが、次の瞬間には統率が取れない程の混乱に陥った。


 正体不明の敵、という情報しか与えられていなかった部隊は一瞬にして蹂躙され尽くし、戦闘継続能力を喪失したのだそうだ。それでも散発的に反撃する者も当初は存在していたのだが、やがて全滅し、逃げ出した者にまで矛先は向いたのだった。


 彼が言うには、抵抗しようとした者から喰われていったらしい。銃を向ける者、装甲車に乗っている者が優先的に狙われ、装備を全て放棄して丸腰で逃げ出した自分はそのおかげで生き残ったのだと。


 ケモノとの戦闘は夜間であり、照明を装備していた者もひとり、またひとりと喰われていった。


 ぼくの経験談も交えて意見を述べると、やはり彼も同じ結論に達していた。


 つまり、ケモノが人間と襲う時には優先順位があるということだ。襲われやすい傾向から簡単にまとめると次のようになる。


 集団、武器・機械類装備、明かり所持、敵対行動。ここからひとつ要素をなくすにつれて危険度は減少する。つまり最も安全なのは、丸腰で明かりを持たず、ケモノが目の前に迫っても抵抗せず受け入れることである。


 でもそんなの無理だよな、と彼は言った。あんな化物は生理的に受け付けない。もしも可能なヤツがいたら、それこそ人間じゃないと。


 自分がそのような人間であるとは、とてもではないが言い出せなくなってしまった。化物扱いされるのはごめんである。


 逃げ出したという彼を責める者は誰もいなかった。ここにいる住人たちは多かれ少なかれケモノに遭遇したことのある人間だ。もしくはその恐ろしさを耳にたこができるくらいに聞かされた人間だ。


<黒いケモノ>に出会ったら生き残れない。


 それを絶対的な真理として身体に刻まれている者たちなのだ。逃げ出せただけでも賞賛されて然るべきだった。殆どの人間が、そのまま抵抗できずに喰われていったのだから。


 そこに国民を守る自衛隊の義務なんて代物は存在しない。そもそもどうやっても撃退不可能な化物相手に何をしろと言うのだ。彼ら自衛隊員は捨て駒ではない。歴とした日本国民である。彼らにも人権は存在しているのである。敵前逃亡や任務放棄が罰せられるのは人間相手の場合であり、自衛隊組織が正常に運営されており、日本国が存在しており、日本国憲法以下の法律が機能している間に限られる。


 そして大前提として、彼らの指揮権を有していた政府関係者が一夜のうちに捕食され尽くしてしまったのだから、彼らの敗走責任を取れる人間がいないのは当たり前の帰結だった。


 ケモノについて情報があるのならば、どうして教えてくれなかったのかと住人のひとりが訊いた。その問いに彼は、これらの情報に確証が全くないからだと答えた。


 それについてはぼくも同感だったので、彼を援護する意味でも持論を提示することにした。


 ケモノについての行動傾向と一口に言っても、それは断言できる程の信頼性に欠けていた。出会う人間の殆どが生き残れず捕食されるし、命からがら生き延びた人間たちの話は脚色されて伝わることも多々ある。


 自分が遭遇したケモノがそうであったからといって、全てのケモノの特性だと断ずるのは早計過ぎるのである。しかもこれは命に関わる問題であるから、憶測で周囲を混乱させるわけにはいかなかった。


 事実、ぼくが「光を絶やさぬべし」に代表されている<三戒>を守らずとも生き残れているのと同様に、律儀に守っている彼らも生き残れているのだから、どちらが正しくてどちらが誤っているのか、判断することはできないのだ。


 もしもはっきりと答えが提示される時があるとすれば、実際ケモノに襲われた場合だろう。


 だから鵜呑みにしないで欲しい、と断った上でぼくは経験談を披露した。これまでの旅話は住人たちにとっても興味深い話だったらしく、それなりに盛り上がった集いとなった。ぼくも必要とされる情報を得ることができたので満足だった。


 午後になってそれぞれが仕事に向かう中、距離を取って話を聞いていたスミレがぼくの隣の席に座った。彼女はぼんやりと視線を漂わせ、心あらずといった感だった。


 しばらくして焦点が戻ると、彼女は大きなため息をついた。


「わたしも、それなりに苦労してきたと思ってたんだけど、あなたには負けるわね」


「……? どういうことだい?」


「だってあなた、これまでに何度も死にかけたって言ってたじゃないの」


 確かに、住人たちに話した内容はそうだったかもしれない。でもそれは、旅をしていれば当然に通る問題であり、こうして根無し草の生活を始めた当初から覚悟していたことなのだ。


 その過酷な旅路に幼いキララを同伴させることに抵抗がないわけでもない。しかしながら彼女自身が付いてくると決めた以上、その意思を尊重するべきだとぼくは考えている。卑しくも、彼女と共にいたいという不純な動機がないこともない。こればかりは否定しようのない事実だった。


「死にかけた経験なんて、<審判の日>を生き延びた人間なら誰でもあることじゃないか」とぼくは言った。


「ええ、わたしもその時は死にかけたわよ」とスミレは言った。「でもそれは外部から強制的にもたらされた命の危険であって、自ら進んではち合わせた危険じゃないわ」


 呆れたような彼女の視線に、ぼくは内心憤然としていた。彼女の言いたいことがよくわからなかった。ぼくが非難されているらしいことはおぼろげに掴めるものの、彼女が何に対して呆れているのか見当がつかなかった。


「ねえ、あなたの旅の目的は何? 世界がこうなってしまった原因を探るって言ってたけど、それは命をかけるに値するものなの? あなたにはキララちゃんがいるのよ。もしもあなたが死んでしまったら、彼女はひとりぼっちになってしまうのよ」


 そんなの、言われずとも承知しているさ。その上でぼくは旅を続けているんだ。キララの処遇は、確かに恵まれたものでもないし危険を伴うものでもあるが、彼女自身が望んだことなのだ。出会って間もないスミレに指摘される筋合いはなかった。


 だが一方で、彼女言うことは正論だと頷く自分がいる。キララを危険に晒し続ける旅は褒められたものではない。せめて信頼できる集落に預けた方がいいという意見は真っ当である。


 原因を究明するという決心さえも、ぼくの勝手な持論でしかない。誰に強制されたわけでもないし頼まれたわけでもないのだ。ぼくひとりで勝手に決意し行動しているに過ぎないのである。


 今は亡き友人も、死んでまでぼくに原因究明を求めているはずがなかった。


 とすれば、なぜぼくは頑なに旅を続けているのだろう? 自問自答すれば、ぼくの人生はこの時のためにあったものだと直感しているからだった。


 直感。


 そう、あの忌々しい直感だ。思春期に散々ぼくを悩ましてくれた他人には見られない特異な力だ。そいつがぼくの耳元で囁き続けるのだ。答えを求めろ、足掻き続けろと。


 説明のつかない大きな力がぼくを突き動かしているのだ。それは焦燥感や使命感となって胸の中央に沈殿していく。無視することなんてできやしない。じわじわと、むずむずとした違和感が絶え間なくぼくを襲うのだ。


 それに、とぼくは思った。理由はまだ他にある。子供たちに出会ってから今まで、常に疑問にまとわりつかれていたのだ。その理由は、きっとぼくにとって重要である気がしてならない。自惚れているわけでもない。彼らの無機質な瞳が、硬質な声色が、ぼくに何かを見つけさせようとしている気がするのだ。


 スミレがテーブルを小突く音がする。彼女はぼくの答えを待っていた。それはきっと、ぼくの身を案じるというよりも、一緒に連れているキララの安全を懸念しているに違いなかった。


 ぼくは背もたれに体重を預け、視線を天井に向けた。


「わざわざ危険を冒しているのも、旅を止められないのも、子供たちに関わる問題なんだ」とぼくは言った。「もちろん、キララにも関係する」


 隣に座るキララは行儀よく、背筋をぴんと伸ばした体勢で椅子に座っていた。きちんと身だしなみを整えてやっているし、彼女の端正な顔立ちもあって、人間離れした空気を醸し出している。


「……子供たち、か。結局のところ、核心は彼らに向かうのね」


 何か含蓄のある言葉だった。もしかしたら、スミレも子供たちに感じることがあるのかもしれない。だからキララにも拘るのではないだろうか。


「この集落の子供は2名だったね」とぼくは記憶を呼び起こして訊ねた。


「そうよ」とスミレは答えた。「今はきっと裏庭にいると思う。……会ってみる?」


「ぜひ、そうさせて貰いたい」とぼくはやや緊張の面持ちで答えた。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 建物の裏には、こじんまりとしたスペースが設けられていた。昨日、裏に流れていた小川を案内された時には気付かなかった。建物と斜面の僅かな間に無理やり作り込められた庭園は、どこか空虚な色に支配されている。


 その忘れ去られた裏庭にふたりの子供はいた。世話役の女性が付き添っているものの、彼女は子供たちの面倒を見ながら縫い物をしていた。確かに、全く活動的な面を見せない子供の面倒を見るには、何か気を紛らわす仕事があった方がいい。


 スミレは眼前で体育座りをしている子供たちの紹介をした。男の子と女の子ひとりずつだった。どちらも6歳程度の年齢に見える。実際にはどうだか知れない。キララのように、実年齢よりもずっと幼く見えないこともないのだ。スミレたちも実年齢を知らないらしい。


 ふたりは仲良く遊んでいることもなく、めいめいが好き勝手な方向に視線を漂わせている。傍から見れば、喧嘩してそっぽを向いているようにも見える。けれども、彼らはぎこちなくもなく、反発し合ってもいなかった。


 ―――――まるで存在感のない。


 そのまま空気に蕩けてなくなってしまいそうだった。あるいは初めから存在などしていないように思われた。ぼくがこれまで見てきた中でも、彼らは特に存在感をなくしている。


 ぼくは閉口せざるを得なかった。どうにもならないことだと理解していても、彼らのような子供を見るたびに無力感に苛まれる。


 子供が泣いている姿、傷ついている姿、どれにしても大人は心を痛めずにはいられない。ぼくの目の前には原因不明の無気力症に囚われた子供がいる。なのに我々大人は何もしてあげることもできないのだ。


 キララの様子を確認する。彼女は同じ境遇の子たちに少しも興味を示さず、ぼくの手を握って向かいの山を眺めている。


 いろいろな集落を回ってきて、子供たちが自発的にコミュニケーションを取ることは一度としてなかった。キララは話しかけることも、話しかけられることもなかった。旅を始めた当初は、彼女の友達になってくれる子がいないものかと淡い期待をしていたものの、今ではすっかり諦めてしまっている。


 だが今までと同じならば、子供たちは、「ぼくには」反応してくれるはずだった。


 彼らの目線と重なるようにしゃがみ込んだぼくは、「こんにちは」と声をかけた。


「……残念だけど、この子たちは―――――」とスミレは言いかけて絶句した。ぼくの言葉に反応してふたりの子供が視線を寄越したのだ。彼らは一様に色を失った瞳ではあるが、きちんとぼくの視線と交わっていた。


「こんにちは」と男の子が言った。「こんにちは、お父さん」と女の子が言った。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 息子に、娘に、「お父さん」と呼ばれることは未来永劫ないのだとぼくは諦めていた。妻は子供のできないぼくに見切りを付けて別れていったのだし、世界的に見ても、余程運のいい人間でなければ子供はできなかった。


 だが皮肉なことに、この終末世界で出会う子供たちの「全て」がぼくを「お父さん」と呼ぶ。何て皮肉だろうか。何て残酷な神の悪戯なのだろうか。


 出会う子供の全てがぼくをお父さんと呼び、僅かながらの反応を見せてくれる。もちろん突然饒舌に喋り出す、なんてことはなく、個人差もあるが短い応答を行える程度だ。


 それでも一方通行だった子供とのコミュニケーションを成功させるぼくを、集落の人間たちは毎回驚きの目で見つめる。


 なぜ子供たちはぼくを「お父さん」と呼ぶのか。会ったこともないのに、皆押しなべて同じ反応をするのか。疑問点は限りない。


 今は「セージ」とぼくの名を呼ぶキララも、出会った時の第一声が「お父さん」だった。それから行動を共にするうちに、何とか今の名前に落ち着いたのだった。


 正真正銘の血の繋がりのある父親を差し置いて父親呼ばわりされるのは非常に気まずかったのを思い出す。キララの父親が人格者でなかったのなら、ぼくはきっと追い出されていたに違いない。


 アカリの再婚相手、つまりはキララの父親は最初期のグループのリーダーであって、その集団を<街>にまで発展させたやり手の男だった。立場的に微妙であるぼくから見ても好ましく頼り甲斐のある男だった。柄にもなく、「この男になら、アカリを任せられる」と思ったくらいだった。


 そんな彼が、酷く傷ついた表情を浮かべたのは、後にも先にもぼくがキララに「お父さん」と呼ばれた時だけだろう。彼の心中を思うと本当にやりきれない。結局、最後までキララは父親と母親に興味を示すことはなかったのだ。


「嘘……どうなってるの?」


 顔面蒼白のスミレはまるで屋根裏でお化けにでも会ったような顔をしている。この反応も見慣れたものだった。どうやっても改善しなかった無気力症の子供が、出会ったばかりの得体の知れない男と会話を成立させたのだから、その衝撃は計り知れない。


「なぜ」とか「どうやって」とか訊かれてもぼくにはわからない。その答えを知るために調査を続けているのだから。


 ぼくは何らかの形で事態に関係しているのではないか。そんな推論を恥ずかしげもなく立てられたのも、こうした子供たちの不可解な行動があるせいだった。


「ぼくの名前は湯田セイジだよ。君たちのお父さんじゃないんだ」


 その言葉に、ふたりの子供は揃って小首を傾げた。


「お父さんはお父さんじゃないの? お父さんはユタセージ?」


「そうだよ。ぼくはお父さんじゃない」


「ボクハお父さんじゃない。ボクハユタセージ。ユタセージはお父さん」


 会話はできる。言葉も通じる。けれども円滑なコミュニケーションができるわけではなかった。彼らはぼくの及びもつかない領域に踏み込んだ会話を振ってくる。ぼくみたいな常人には辛いものがある。会話をしているうちに頭が痺れてきて考えがまとまらなくなってくる。


 彼らの言葉は要領を得ていない。少なくとも、ぼくにはそう感じる。スミレはどう思うか訊いてみたところ、彼女も混乱してしまって全く理解できないようだった。


 ぼくはふたりの子供にいくつか質問をしてみるものの、やはり返ってくるのは無秩序な文字の羅列だけだった。


 気疲れしたぼくは会話を切り上げる。すると子供たちはまるで何事もなかったかのように定位置に戻った。そしてばらばらにまた空中と眺め続ける。


 スミレと世話役の女性が、ぼくに説明を求める無言の圧力をかける。


 やれやれ。いつも同じ説明の繰り返しだから嫌になる。彼らが理由を求めるのは当然のことだが、毎回説明を強いられる身にもなって欲しい。きっとうんざりするだろうから。


 ぼくは手短に身の周りで起こったことを説明した。行く先々の集落で出会う子供は全て「お父さん」と呼んでくること、彼らには何かしら超常的な情報網が構築されているとしか考えられないこと。自分が父親呼ばわりされるのに全く身に覚えのないこと。


「だからこうして、旅を続けてるわけさ」とぼくは最後にしめた。


「……なるほどね。あなたの言いぶんは理解できるわ。何かしら関係があるとしか思えないもの。あなただけに反応するなんていう顕著な証拠があるわけだし、初対面であるあなたへの子供たちの反応は異常だし」と彼女はふたりの子供に目をやって、「でもそうすると、この子たちは離れていても情報のやり取りが行えるっていうの……?」


 そうとしか思えないではないか。行ったことのない土地で、出会ったことのない子供たち全員に「お父さん」と呼ばれるなんて頭が変になりそうだった。


 彼らは無口である裏で、常に子供だけのネットワークを形成して情報のやり取りを行っているのかもしれない。そうとしか理由の説明ができない。


 子供たち自身に訳を訊いても意味のないことは散々理解した。だからぼくは自分の足で各地を巡り、調査を続けながら答えを探し続けているのだ。


 ぼくはキララの手を引いて、壁に背をもたれるように座り込んだ。背後の壁は無機質な冷たさを孕んでいた。火照った身体と頭を冷やすのにはこれ以上ない適役だった。ただ義務的に熱を奪ってくれる感触が心地いい。


「…………」


 いつも通り、ぼくの膝の上に来るかと思いきや、キララは少し離れた位置に腰を下ろした。ぼくはじっと彼女の表情を読み取ろうと試みた。彼女はぷいっと顔を逸した。


 間違いない。


 彼女は機嫌を損ねているのだ。昼にこんなあからさまな感情表現をしてくれるとは思ってもみなかった。特に今日は。


 朝から反応が気薄だったから、今日一日はこの状態が続くものとばかり思っていた。時折こうした状態が波のようにやってくることがあった。その時は、彼女が戻ってきてくれるのをただ待つよりほかなかったのだ。


 この変化は一体……?


 最近になって感情豊かになったことと関係しているのだろうか。他の子供たちと異なる症状を見せている彼女も、何かしらの影響を受けているのかもしれない。その原因を突き止めることが問題の解決への糸口になるはずだ。


 だいぶ頭が冷えてきたのでぼくは立ち上がった。


「もう、いいの?」とスミレは戸惑いがちに訊ねてきた。ぼくは頷いて返す。これ以上ここに留まっても収穫はなさそうだし、ぼく自身もキララ以外の子供たちと接するのは苦手だった。


 彼らと話をしていると、まるで宇宙人と対面しているような気分になる。常識の通じない相手。価値観の異なる存在。相互理解の及ばない関係。


 それ故にぼくを含めて、我々大人は子供たちに得体の知れなさを感じるのだろう。


 最後に振り返ったぼくは、ふたりの子供に「またね」と別れを告げる。


 彼らはこちらにゆっくりと顔を向け、全く同時に「またね、お父さん」と言った。あまりに声が揃っていた。気持ち悪いくらいにぴったりで、和音を奏でているように感じられた。


 ぼくとスミレはしばし言葉を失ってその場に立ち尽くした。彼らの2対の瞳はぼくを捉えて離さない。かび臭い地下の牢獄に囚われた錯覚に陥った。息苦しささえ感じられる。


 そんなぼくの手を引いてくれたのはキララだった。彼女は一刻も早くこの場から離れたいと言わんばかりに引っ張ってくる。その強引さに感謝しなければならないだろう。気を取り直したぼくは、スミレの肩を叩いて正気に戻し、その場を離れた。


 肩を怒らせて歩くキララにぼくは礼を言った。彼女はちらりと視線を向けただけで、未だご立腹の様子だった。


「本当に感謝してるんだ。さっきも、君がいなかったら雰囲気に呑まれていたと思うし」とぼくはキララの頭を撫で、「ありがとう、お姫様」


 その言葉を聞いた彼女は、急に足を止めると腕を伸ばしてエスコートを要求してきた。どうやら機嫌を直してくれてようだ。


 ぼくは彼女を腕に抱き、ぎゅっと抱きしめた。くすぐったそうにする彼女は、あの子供たちとは違う存在だ。ぼくにはわかる。


 世空野キララ。この子は、ぼくの特別なのだから―――――。


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