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第10話

 案内された食堂にはすでに多くの住人が揃っていた。手製のランタンに照らし出された室内は薄い緋色に染められており、各々の表情を淡く照らし出している。彼らは見慣れない来客に対して興味を隠せない様子だ。


 6人掛けのテーブルは、白く無機質な病院特有の匂いがする。それが行儀良く等間隔に並べられている。彼らはそこにぴったりとはまり込んでいて、まるでオーダーメイドで特注されたかのように馴染んでいた。


 手前の席にはナズナや茂野さんの姿も見える。ぼくは最前列で再び紹介をされていた。スミレは無難な調子でぼくを歓迎すると述べ、仕事は果たしたとばかりにバトンを放ってきた。


 ぼくは最初の自己紹介と大して変わりのない挨拶をし、それから言い残していた事項についても喋っておくことにした。


「この通り、自分は<キャラバン>として活動をしていますが、並行して各集落の現状についても調査をしています。近いうちに皆さんにおうかがいする時があるかもしません。その時はどうぞご協力お願いします」


 最後に付け加えた事項については初耳だと、スミレは目を吊り上げて言った。「それで、どういう調査をしているの? というか、あなた科学者だったの?」


「<審判の日>以前は、政府機関の下で調査を手伝っていました」とぼくは言った。実際は、ぼくはまるで関係しておらず友人が携わっていたのだが。まあ、ちょくちょく助言を求められることもしばしばだったから、「手伝っていた」というのは真実だろう。うん。


「調査しているのは、<審判の日>当日のこと、住んでいた地域の情報、そしてこれが一番重要なのですが―――――子供たちのことです」


 その言葉に反応したのは、ぼくと同世代かそれ以上の人々だ。ナズナのような十代の子たちは特に何とも思わなかったようだ。


「本当に普通だった頃の」子供たちを知るのは我々の世代くらいからだ。それ以下の世代にとっては、子供たちが異常であるのが普通なのであって、元から異常であれば、それが普通なのだと捉えられる。何だかややこしい話だが、ジェネレーションギャップとも言える問題かもしれない。


「……そんなこと、調べてどうするのよ」とスミレは言った。「まさか原因究明して人類を救おうとか考えてるのかしら。だとしたら大言壮語甚だしいと思うわ」


「そこまで仰々しいことを言うつもりはないよ。これは亡き友人が取り組んでいた課題だからね。ぼくが生きてるうちは引き継いでやろうと思ったのさ。それから個人的なこだわりがある」


「個人的?」


「そう、個人的」とぼくは言った。「2000年に発覚した出生率の激減。2012年の<審判の日>。これらの出来事のせいでぼくの人生はめちゃくちゃになってしまった」


 それは誰もが思っているようで、住人たちは互いに顔を見合わせて頷いている。


 これらの出来事は、人類史において最も重大な意味を持っているのは間違いないだろう。原始時代から始まった人類の歴史は、数々の時代の転換期を経て、この2012年をもって終焉を迎えたのだから。


 始まりと終わりによってクロニクルは結ばれる。その歴史的大事件の現場に居合わせることができたのだから、ある意味で我々は幸運なのかもしれなかった。それが人類という種の滅亡の時だったとしても。


「この一連の悲劇は、ぼくの妻だった人をも殺しました。ですから、少しでも知りたいんです。一体ぼくたちの身に何が起きたのか。起きているのか。人生を狂わしたモノの正体を、死ぬまでに少しでも知りたかったんです」


 住人たちも当時思ったに違いない。どうしてこんなことに。なぜこんな目に。そうしながらも、日々生きていくうちに疑問は押し流されていく。今を生きる方が優先だからだ。その日の食い扶持を手に入れることが何よりの問題だったからだ。諸悪の根源を探す暇がなければ手段もなかったのだ。


 そんな中、ぼくには時間があった。手段もあった。だからこうして旅をしているのだった。


 以前は訳のわからぬ大きな力に翻弄されるだけだった。だから今度こそは自分の意志で自らの進む道を決めようと決心した。誰に言われたのでもなく、惰性で行なっているのでもなく、ぼく自身が知りたいと、探したいと思ったことを旅を通じて求めているのだ。


「そんな訳で、ちょっと湿っぽい話になってしまいましたけど、皆さんのお話を聞かせていただければと思っています」


 ぼくは傍らにおいてあった酒瓶を取り上げて、


「この通り、ぼくは<キャラバン>を兼ねていますので、今日はお近づきの印にウィスキーの試飲をしていただこうと思います。ひとりぶんは少ないですが、ご了承ください。若い子たちは無理しないで、舐める程度に自重してくださいね」


 テーブルの上にウィスキーの瓶を並べる。大人たちからは歓声が上がった。酒なんてしばらく口にしていなかったからだろう。茂野さんは酒好きらしく、年甲斐もないはしゃぎっぷりだった。


 これはあくまでお近づきの印であり、無料の試飲である。だからひとりぶんはコップに半分もない。それでも全員に配れば結構な量になる。これはぼくから住人たちへの賄賂のようなものだった。


 最初に扱う商品の品質を示しておけば、後の交渉にも役立つ。一種の示威行為だ。


「やけに気前のいいことね」とスミレは言った。


「まあね。あまりケチケチするとひんしゅくを買うだろうし、気前の良さっているのは大事なステータスなんだよ、<キャラバン>をやっている人間にとってはね」


 厄介なのは小物と見られることだった。そうなれば交渉も難航する上、力にものを言わせて物資を奪われるかもしれない。あの男は只者でないと思わせるのが初期の段階では重要なのである。


 ぼくは前の席にいたスミレたちに酒の酌を手伝って貰った。席をひとりずつ回って酌をしていく。少女たちは酒に慣れていないせいか注がれた量の少なさに文句を言っていたが、待ちかねている大人たちに一斉攻撃されて沈黙した。


 全員ぶんを完了させるのに結構な時間がかかった。空になった瓶が行儀良く並んでいる。ウィスキーの瓶は、それだけで美術的な見栄えがあるから面白い。仄暗い環境に非常にマッチしていた。


 音頭はスミレが取ることになった。彼女はコップを掲げ、


「では、太っ腹なお客人に乾杯!」


 彼女に続いて「乾杯!」という声が響く。大人たちは懐かしむように、少女たちは恐る恐るウィスキーを口にする。初心者にはキツい酒類かもしれない。水で割って飲ませた方が具合が良かっただろう。今となっては遅いが。


 案の定、加減がわからず一気に飲み干した少女たちが盛大にむせ返っていた。ナズナも一緒になって顔を真っ赤にしている。姉に背中をさすって貰っていた。


 若い面々が泡を食っている様子を大人たちは微笑ましそうに見ていた。酒の肴に丁度いいという顔である。少ないウィスキーを後生大事に味わっている。


 酒の味を思い出させて、後で高く買って貰うつもりだった。旅を続けるにあたって生鮮食品の仕入れはぼくの楽しみのひとつだった。缶詰ばかりの食事では飽きてしまう。


こうして集落に寄って交換して手に入れる野菜は貴重だった。常に移動しているぼくは野菜を育てることができないのだ。定住していない身ゆえの悩みである。


 ぼくは騒然としている住人たちに苦笑しつつ、自分に宛てがわれている席についた。スミレとナズナが向かいに座っており、隣には茂野さんが陽気な笑みを浮かべていた。


「いやあ、酒なんて久しぶりだ! 大事に飲まんとな」すでに注がれたぶんの半分を飲んでしまった茂野さんが言った。「さあ、湯田くん。おれたちが丹精込めて育てた野菜も味わってくれ」


 夕食のメニューは野菜のスープだった。味噌やコンソメがないので味付けは塩だけだそうだ。素材の味が活かされた料理である。ジャガイモや人参がゴロゴロと入っている。しばらく缶詰生活だったから非常にありがたい。


 しばらくえずいていたナズナは復活したようで、「おいしいとは思えない……」とウィスキーをうまそうに飲む茂野さんを、納豆嫌いの大阪人みたいな目で見ている。


「このジャガイモ、すごくおいしいですね」とぼくは嘘偽りない賞賛をした。


「当たり前だ。おれたちが愛情込めて育てた野菜たちだぞ。うまくないわけがない!」と茂野さんは鼻の穴を大きくして自慢した。彼が豪語するだけの味だった。肥料や農薬が制限されている環境下で、ここまで立派な野菜を作ってのけるのだから感心である。


「わたしも手伝ってるんだよっ」とナズナは身を乗り出して言った。


「そうなんだ」とぼくは言った。「ナズナが頑張って育ててくれたから、野菜たちもこんなにおいしく育ったのかもしれないね」


 彼女は頬を赤くしてはにかんだ。


 と、服の裾を引っ張られる感覚がして目線を下げると、キララが途方に暮れた様子で自分の皿に盛られている人参を持て余している。彼女はこのカロテン豊富な緑黄色野菜が苦手だった。


「……」


 じっと救いの手を求める視線を向けられる。ぼくはほだされてはいけないと気持ちを強く持つ。ここで甘い顔をしては代理の親代わりとは言え失格である。


「キララ、君が人参を苦手なのはよくわかるけど、苦手な物は少しでも克服するべきだとは思わないかい? それに君に嫌われると人参だってかわいそうだ」


 彼女はぼくの言葉を吟味して首を傾げた。


「かわいそう?」


「そりゃあもう、キララみたいなかわいい女の子に煙たがれちゃ、誰だって傷つくさ。きっと人参も同じだよ。このままじゃ、女の子に嫌われたという消えないトラウマを背負ってしまって、恋愛できない体質になってしまうかもしれないよ? そうなれば一生独身で人参は一生を終えることになってしまう。そんなのあんまりだと思わないか?」


「ひとりぼっちでかわいそう……」と居た堪れない表情を浮かべた彼女は目をつむって人参をひとつ食べた。もごもごと咀嚼して飲み込む。「たべたよ」


 ぼくは満面の笑みで、


「うわあ、すっごいなあ! 人参も人参冥利に尽きるだろうなあ。偉いぞ、キララ。よく苦手な物を食べられたね」


 散々褒めちぎると、彼女は満足気に頷く。ぼくはよしよしと彼女の頭をなでてあげながら、自分の皿を指差して言った。


「ところで物は相談なんだけど、ぼくは人参が大好物でね。キララ、もし良ければ、君の人参とぼくのジャガイモを交換してくれないかな?」


「いいよ」と彼女が差し出した皿から人参を拉致して、代わりにジャガイモを解放してやる。オレンジ色が少なくなり、若干地味な色に支配されたスープを、彼女はゆっくりと食べる。


 ぼくらのやり取りを隣で見ていた茂野さんは、穏やかな表情を浮かべていた。


「仲がいいのは、素晴らしいことだ」


 人参の塊を口に入れて、何度も噛み砕く。ここでは早食いは罪である。少ない食料は極限まで味わられるべきなのだ。それにゆっくりと食事をすれば、それだけ満腹感にも繋がる。


「羨ましいことね」とウィスキーによって少し顔を赤くしたスミレは呟いた。「わたしたちの子供たちは、そんな表情を浮かべてくれない……」


 彼女の視線の先には、中空をじっと見据えたまま微動だにしないふたりの子供がいた。世話をする大人にも反応を示さず、料理にも殆ど手を付けていなかった。見慣れた光景なのか、周りの住人たちは気にしている様子はなかった。


 淋しげに子供たちを見て、頭を振る。彼女はどうにもならない現状に対して諦めているようだった。


「そういえばあなた、子供たちの調査もしてるって言ってたわよね? 他の所ではどういう状況なのかしら」


「……正直、食事をしながらする話題じゃないから、後で話すということにして貰えないかな? せっかくのご馳走なんだ。おいしくいただきたいから」


 彼女は失言だったと謝罪した。それから残っているウィスキーを口に含み、その芳醇な香りをめいいっぱい楽しんでから飲み干した。あまり酒に強い体質ではないようで、コップ半分程度で顔を紅潮させている。


 その後の食事は談笑を交えながら終始穏やかに進んだ。ぼくは茂野さんやナズナと野菜の出来について語ったり、キララの口を拭いて世話してあげたりした。スミレはキララを気に入ったみたいで、何かにつけて構いたがっていた。だが酒臭いスミレはキララに避けられてしまう。自分は嫌われているのかとスミレは本気で慟哭していた。ちょっと酔いが回って変な人になってきている。


 ぼくが商品の品質を、集落側が生産している野菜の味をお互いに確かめる形で初日の夕食は終わった。ここの中心人物であるスミレと茂野さんとも交友を深められたことだし、まずまずの成果と言ってよかった。


 後片付けに各々が解散していく中、ぼくはスミレと茂野さんのふたりとこれからのことを話し合うことにした。ナズナは手伝いがあるからと女の子たちに混じって退出していった。


 食堂に残っているのは我々4人だけになった。


 ぼくはナズナがいなくなるのを待っていた。彼女の姉にどこまで話すか迷っていた。彼女自身がどの程度姉に告白しているのか気になっていたのだ。本人が話していないことを、部外者のぼくが勝手に喋るのは許されないだろう。


「最初に、妹さんのことについて話があるんで、スミレとふたりで話をさせて貰っていいですか?」


 茂野さんはそれだけで大方の話を掴めたらしく、顔を曇らせて了承した。ナズナ本人は何事もないように装ってはいるが、彼女と親しい間柄の人間ならば、それが無理をしているのだと勘付くはずだ。


「……外で待ってる。終わったら呼んでくれ」


 食堂の扉の閉まる音がした。薄明かりに照らし出されているのは、ナズナとよく似た顔立ちの姉である。彼女にどう話すべきかぼくは思案した。だが結局のところ、どうごまかしたとしても悪い話にしかならないのだ。


 ぼくは重い口を開いた。




   ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 やはりというべきか、ナズナは姉に事件の全容を話していなかった。恋人が殺されてしまって自分も危うかったとだけ告げ、自身の身に起こった悲劇はぼかして教えてくれなかったそうだ。


 ナズナはきっと姉に心配されたくないと思ったのだろう。そして自身が汚されたことを知られたくなかったのだろう。それをぼくが本人のいない場所で語ってしまっていいのだろうか。


 スミレはキララがいることで居づらくしていたが、彼女は全て知っているから大丈夫、口も固いと安心させる。ぼくの言葉にスミレは力なく頷いた。


「わたしは妹に恨まれることになっても、何があったか知っておかなきゃならないの。だから、教えてちょうだい」と彼女は言った。


「……わかったよ」とぼくは言った。


 そうして、ぼくは事件のあらましをできるだけ客観的に伝えることにした。無味乾燥に語り、ナズナの身に起きた悲劇をできるだけ少ないダメージで受け止められるように努力した。


 全てを終えると、スミレは「話してくれてありがとう」と礼を述べた。ぼくは彼女の色を失った表情に何も言えなかった。アルコールは完全に抜けてしまったようだった。


「悪いけど、5分だけ、ひとりにして貰える?」


「わかった」


 ぼくはキララの手を引いて食堂の扉を開けた。廊下に出ると、片手にランタンを持った茂野さんが壁に寄りかかっていた。目をつむって何か考え込んでいるようだった。声をかける気にもなれず、ぼくは彼の隣に腰を下ろした。その膝の上にキララは座った。


 スミレはこれからどうするつもりなのだろうか、とぼくは思った。ナズナ本人が隠したがっているのか、あるいは心の準備ができていないのか、それともずっと胸にしまい込んだままにするつもりなのか。


 いずれにせよ、彼女ひとりで抱え込むことは歓迎されるべきではない。他人に迷惑をかけては駄目だからと、孤独に悩み落ち込むのは特にいけない。ナズナに必要なのは、思いっきり泣きつける相手だ。それはぼくの知る限り姉であるスミレ以外にいない。


「ナズナなら、大丈夫さ」と茂野さんはぼくの内心を見透かしたように言った。「彼女とはそれなりの付き合いがある。彼女は強い子だよ。それに姉もしっかりしてるからな。あの姉妹なら乗り越えられる」


「全てお見通しってことですか」


「……そんなんじゃねえよ」


 鼻を鳴らした彼は、目をつむったまま後頭部を寄りかかっている壁に打ち付けている。ゴツゴツという鈍い音が断続的に鳴る。キララは音のする方に関心を示してじっと目を向けている。


「見たところ、ナズナはあんたに気を許しているみたいだ。あの子を助けてくれたんだろ? 感謝する」


 ぼくはナズナを助けることができたのだろうか、と自問する。すぐに助けに入らず、こちらに都合のいいタイミングを狙っていた男なのだ、自分は。ナズナも、茂野さんも、ぼくがヒーローのように颯爽と現れて救出したと誤解しているのではないだろうか。


 ぼくは褒められるような人間ではない。自分の都合ばかりを考えて生きている人間だ。だから自分に害をなす相手の命を奪うことに抵抗はないし、気まぐれに人助けをしたりしている。矛盾する行為を続けながらも何ら変調をきたさない曲がった性根をしている。


 こんな人間が善人として通るなんてどうかしている。ぼくは改めて憂鬱になった。自分よりもまともな人間ばかりが先に死んでいく。彼らに先立たれたぼくは死ぬタイミングを完全に逸してしまっていた。だけど現在傍らには放っておけない存在がいるのだ。彼女がひとり立ちするまでは、ぼくは死ねないのだった。


「ナズナは、恋人を亡くして精神的に参ってるはずだ。できれば、彼女の力になってやってくれないか」


「その役目は、ぼくではなくて彼女の姉や友人たちだと思いますけど」とぼくは控え目に言った。


「そりゃあ、おれたちもなるべく彼女の力になろうと思っている。だけどな、一番助けて欲しい時におれたちは傍にいて力になってやれなかった。これは重要なことなんだ。わかるよな?」と茂野さんは言った。


「わかるかもしれません」とぼくは答えた。


 本当に傍にいて欲しい時に、実際そこに居合わせることは難しい。大概の場合が、望むべき時に叶わない運命にある。現実は非常だ。そこには運命と偶然とが入り乱れて人間を翻弄する。


 だから、あの時ぼくが居合わせたことによって、本人たちが望むと望まざるとに関わらず、ぼくはナズナの「特別」になってしまったのだった。ならば必然、ぼくは彼女について責任の一端を背負うことになる。


 いくらぼくがまともな人間ではないとは言え、一度背負った責任を放り出す程薄情であるつもりはない。この集落に滞在している間は、ナズナの回復にも目を向けなければならないだろう。


「ぼくも、できる範囲でお手伝いさせていただきますよ」


「助かる」


 茂野さんはぼくにむかって忌憚のない笑みを浮かべた。なるほど、憎めない人柄だった。彼が住人たちから信頼されているのも頷ける。彼みたいな真人間はそうそういないだろうとぼくは思った。


 扉を開けて顔を覗かせたスミレが「ごめんなさい、もういいわよ」と言って我々を招き入れる。目はウサギみたいに充血している。ぼくと茂野さんは気づきながらも指摘するような無粋な真似はしなかった。


 食事の際に使ったテーブルに我々は集まった。キララはぼくの隣に座ってランタンをいじって遊んでいる。明かりが嫌いな彼女も、この素朴な灯火は例外であるようだった。


「取り引きの話は明日でいいわよね」とスミレは言った。


「いいよ」とぼくは言った。「今日はそんな気分でもないからね」


 話題は子供たちのことに移った。現在、この集落にも2人の子供が存在している。彼らは事前に聞いた通り、無気力・無反応に陥っており、その原因は一切不明だった。最初は何かしらの病気を疑ったそうだ。この傾向は<審判の日>以前も見られたものだったが、それが悪化しているようだった。一体全体、何が起こっているのか見当もついていないのだと言う。


 ぼくは彼らに子供たちに起きている現象をかいつまんで説明した。


 まず症例として見られるように、外部に対して無反応になる。そして殆ど自分から活動しようとせず、無気力になる。それは昼間に比べて夜間になると悪化し、まるで人形のようになる。昼間はまだ夜間に比べると症状は軽い。


 こうした症状を見せるのは、3歳から15歳の子供たちである。16歳以上になると、この症例は全く見られない。これは<ノストラダムスの大予言>や<審判の日>に関係しているとしか思えず、何かしら非科学的な要素が絡んでいるのは明白である。


 また、そうした子供たちに共通して「異能」の力が見られる。それは遠くのものを察知する力であったり、人の心を読む力であったりする。これは子供によって千差万別であり、力の根拠も法則性もわかっていない。


 また、子供の数は北に行く程少なくなっている。子供がひとりも見られない集落はざらにある。南下するにつれて子供の数は多くなっている。その理由は不明である。


 今現在の時点で判明している事柄を話し終えると、ふたりは難しい顔をして思考を整理していた。にわかには受け止めづらい内容である。しっかりと吟味して貰いたかった。適当に流されてしまうと、こちらとしても話は進まないのだ。


 思考の海から浮上してきたスミレは、ぼくの隣にいるキララを見ながら、


「話の中で『異能』っていう言葉が出てきたわよね」と確認するようにひとりごちる。「なら、キララちゃんにもそれは見られるのかしら」


「イエス、だよ。キララにもしっかり異能は現れている。彼女の場合、探知能力に優れているみたいなんだ。結構広い範囲の人間の気配を察知できる」


 彼らは非常に驚いていた。この集落の子供は、そういった異能を見せないそうなのだ。まあ、彼らは必要がなければ力を見せないから仕方がないかもしれない。その広範囲を見通す「千里眼」とも呼べる異能をこの少女が持っていると言われたところで、普通納得できないだろう。ぼくだって最初は信じられなかった。突然敵の襲来をキララに警告された時は耳を疑ったものだった。


「ナズナも後1年遅く生まれていたら、今と全く異なる人間になっていたかもしれなかったのね……」


「そうかもしれないね」とぼくは言った。


 子供たちの異常と世界に起きている事象とは結び付いているとしか思えず、この世界で何が始まろうとしているのか、あるいは何が終わろうとしているのかを知るには、旅をしながら子供の状況を調査するのが最良だと確信して今に至る。


「全ての始まりは出生率の低下、つまりは子供たちに関わっている。彼らを中心にして様々な出来事が発生しているんだ。子供たちが全ての謎を解く鍵であるとぼくは考えている」

 

 ぼくの締めの言葉を最後に、辺りには静寂が隙間を縫って現れていた。ひとつの灯火を囲んだ我々は、しばらくの間呆然として過ごした。彼らはぼくの話を懸命に咀嚼して飲み込もうとしているようだった。身近にいる子供たちが全ての原因だという考えは、彼らにとって突拍子もないことなのだろう。


 終わってしまった世界、いや、社会と言うべきか。廃墟となり、日々形を崩していく人間社会の残滓は見る者から気力を奪う。そこに住む人間は「なぜ」「どうして」「これからどうなるのか」といった、かつてなら考えずにはいられなかった思考を放棄してしまっている。


 なぜなら、もうどうにもならないからだ。


 子供が生まれなくなった世界には「未来」がない。ならば事態の原因を求めたところでどうなるというのだ? 知り得たところで何が変わるのだ? 結果が過去を変えるなんて因果の逆転が起こるわけでもなし、全ては収束されてゼロへとひた走り続けている。


 世界が廃墟になってしまった理由、そしてこれからの未来を探す行為は、現実と極限まで向かい合う苦行なのだ。誰が好き好んで行うというのだろう。


 つまるところ、ぼくがしている旅はそういうものだった。何も改善されない。何も得られない。行き着くところは虚無しかあり得ない旅なのだ。


 手に入れるのがどのような情報であれ、ぼくは無力感に支配される。だが歩みを止めようとは思わなかった。こんな虚脱感や絶望感など、すでに何度も経験しているのだ。今さら子供のように目をつむって耳を塞ぐことなどできやしなかった。


 ぼくのメンタルはどうでもいいのだ。これはすでに決定されていて変更不可能なプロセスなのだ。ぼくの内のプログラムは、主人の手を離れて走り続けている。


 ランタンの炎が揺らぎ、壁に張り付いた影法師がゆらゆらと踊る。ぼくは沈降する思考を引き上げにかかった。静かな空気はこの上なく好ましいけれど、音のない世界は騒音の中に少しだけ現れるからこそ美しいのだ。永遠に続く静寂は耳にうるさ過ぎる。


「それで、協力して貰えるのかな?」とぼくは訊ねた。


 その声に現実に引き戻されたスミレは、キララから何か隠されたメッセージでも探しているみたいに熱心な視線を向けていた。キララは表情筋を一定にしたままスミレの視線を受け止めていた。


「いいわよ」とスミレは言った。「その代わりひとつお願いなんだけど。あなたみたいに動いているわけでもないし、その資格もないのだと思うんだけど。もし、いつの日か何かわかったのなら、わたしにも教えて欲しいの。子供たちに何が起こったのか。わたしたちはどうなってしまうのか。構わないかしら?」


「構わない」とぼくは言った。「君にも知る権利がある」


 スミレは礼を言って立ち上がった。それに倣う形でぼくと茂野さんも椅子を引いた。対談はお開きの時間だった。情報過多になった頭を休ませるには丁度いい頃合いだった。


 ぼくは茂野さんと食堂前で別れて、スミレに寝泊まりする部屋を案内して貰った。二階の個人病室だった。203というプレートが掲げられていた。


 そこは何の変哲のない病室だった。ベッドがあって、テーブルがあった。他には何もなかった。ここには必要な全てがあって、不必要な全てがなかった。


「いい部屋だね」とぼくは言った。


「気に入って貰えて何よりだわ」とスミレは言った。「おやすみなさい。いろいろと話が聞けて有意義だったわ」


「就寝前のお話にしてはシビア過ぎる気もするけどね」


「言えてる」


 彼女は苦笑して去っていった。ぼくはしばらく気の抜けたように立ち尽くした。真剣に議論したり、自分の思いを伝えたりする行為はいつになっても慣れない。嫌いではないけれど、長い距離を一気に駆け抜けたような疲労感がある。


 基本的に、ぼくは他人と通じ合うのが苦手なのかもしれなかった。それは肉体的にも精神的にも。


 ぼくとキララは寝る準備を整えてから、一緒にベッドに潜った。それからいつものように彼女と短く限られたコミュニケーションの時間を過ごした。彼女は集落の感想やら出会った人たちの顔が何に似ているのかやらを一生懸命に語った。ぼくは相槌を打って時折笑った。彼女の観察眼はなかなか的を射たものだった。


 眠りに落ちようとする手前に差し掛かった頃、病室の扉を静かに開けてナズナがやってきた。彼女は姉に全てを知られていたことについて、ぼくの身勝手を非難した。そして穏やかな口調で感謝した。自分ではきっと話せなかっただろうから、と。


「彼の復讐をしたことは黙っててくれたんですね」


 別にその復讐行為自体を忌んでいるわけではない。これは彼女自身の問題だからだ。ぼくが彼女の殺人行為を姉に話したところで何があるというのだろう。何を得るというのだろう。害にしかならないようなものならば、それは別に語られずとも構わないはずだ。


 ナズナはお節介焼きなぼくへの感謝と罰だと言って、ベッドに横たわっていたぼくの額にデコピンを一回行った。触れたかどうかというくらいの接触だった。


 暗闇の中で身を翻す彼女の背に向かって、呼びかける。


「おやすみ、ナズナ」


「おやすみなさい、セイジさん」


 扉が閉められると、ぼくの胸には安堵感が去来した。彼女はきっと大丈夫だろう。茂野さんの言葉は、あながち嘘でもなかったようだ。彼女の周りには力になってくれる仲間や家族がいるのだ。


 ぼくが大切な人を喪った時、頼れる人間が周りにはいなかった。だから少しだけ、ナズナのことを羨ましく思った。


 それと同時に、こうして立ち直れている自分を誇らしく思い、薄情なヤツだと自嘲したのだった。


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