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第1話

『2012年人類滅亡説って知ってるかい?』


『聞いたことはあるよ。あれだろ、2000年のノストラダムスの大予言と同じような終末論のひとつだろ? 2000年も目の前の世紀末であるせいか、よくテレビでやってるよな』


『まあ、そう思ってくれて構わないよ。実はぼくの研究テーマがそれに関係するものでね……おいおい引いてくれるなよ。わたしは別に終末論者でもなければ破滅願望を持っているわけでもないさ。これは学術的見地からの至極真っ当な研究なんだから』


『そうは言われてもな。普通ならどこかの宗教の人かと思うよ。まさか大学教授の君の口からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかった』


『そうかな』


『そうだよ』


『……まあ、いいさ。わたしだって、家内にも研究内容は話していないし、本来なら君にも口外してはいけないことになっているんだ。守秘義務ってやつでね』


『……君は、大学教授じゃなかったのかい?』


『正真正銘の大学教授さ。考古学専門のね。ふむ、ところで君は新婚だったね』


『ああ、去年結婚したよ』


『そうかい、それはめでたいな。今が一番燃え上がっている時期だろう。どうだい? お子さんを作る予定はあるんだろう?』


『…………まあね』


『顔色が優れないね。もしかして、子宝に恵まれていないのかな』


『こればっかりは天からの授かりものだ。ぼくらの意志でどうこうできるわけじゃないさ』


『不妊検査はしたのかい?』


『君はずけずけと突っ込んだことを訊いてくるな』


『すまないね。厚顔無恥も甚だしいが、この後の話に絡んでくるものだから。それで、どうだったんだい?』


『ぼくも、妻も異常は見当たらなかった。結果は真っ白。なぜ子供ができないのかわからない……妻は、ずっと子供を欲しがっていたから、塞ぎこんでしまっているよ』


『そうか。やはり、君たちも……』


『一体どういうことだ? 君は何か知っているのか?』


『わたしが今碌でもない研究をしていることは先程話したね? その理由がここにあるんだ。この間、全国の考古学者・人類学者に日本政府から極秘裏に招集がかかった。そこで見せられたのはある統計結果だ』 


『統計? どんなものだったんだ?』


『出生率さ。近年、少子高齢化が叫ばれて久しいが、これは何てことなかった。今まではね。だが状況は一変した。年間出生数が目に見える形で落ちこんできているんだ』


『少子化だとしても、それはちょっとおかしいんじゃないか? 普通、そういうのは緩やかな減少を示すもんだろ? 戦争や未曽有の災害でも起きない限り』


『そう、異常なんだよ。それも種の存亡がかかった異常事態だ。政府は今まで何とか隠してきたようだが、減り幅が許容限界を超えてしまったんだ。もはや隠し通せる状況ではない。民間の人間の中にもこの異常に気づき始めた者もいるくらいだ。しばらくすれば大騒ぎになるだろうな……』


『嘘だろ……!?』


『嘘であったら、どれ程良かったことだろうか。わたしも心底そう思うよ。でも、君たち夫婦に子供ができないように、全国規模で同様の症例が報告されている。つまり、原因不明の不妊という症例だ。おかげで産婦人科はてんてこ舞いだ。これは日本だけでなく、世界中で現実に起こっている事実だ』


『……それと、君の研究と、何の繋がりがあるっていうんだ』


『政府も馬鹿じゃない。最初は科学者や医者たちに全力で原因を究明させようとしていたらしい。それも早い段階からね。でも何の成果もあげられず、ここまで酷い事態になってしまった。もはやなりふり構っていられなくなったんだな。そこで目を付けられたのが<終末説>というわけさ。オカルトにまで手を伸ばすんだから、末期症状もいいところだろ?』


『藁にもすがる思いってことか……』


『情けない限りだけどね。オカルトでも空想でも、手を打たずにはいられない最悪の状況に陥っている。これが民間にもれればどうなるか、君ならば想像がつくだろう?』


『……そうだな。考えたくもないけど』


『目下、我々が取り組んでいるのは再来年に迫った<ノストラダムスの大予言>についてだ。本当に後2年で我々は滅びるのか、<恐怖の大魔王>とは何を暗示しているのか、それとも言葉のまま、明確な人類の敵として超越的存在が現れるのか。わたしは現在主張されている<予言説>には懐疑的な立場でね。あれは予言ではなく、すでに起こったことを遺した<歴史録>だと考えて……と、……どうしたね、この手の話は、君の大好物ではなかったかね? こうして君に話をしているのも、君ならば荒唐無稽な与太話についてこれると思ったからなのだが』


『確かに、ぼくはオカルトに興味を持っているし、そのせいで周りから白い目で見られたりもした。でも結婚して世帯を持ったんだ。ぼくはきっぱり生まれ変わったんだよ、普通人として』


『普通人として?』


『……』


『まあ、いいさ。じゃあ、お望み通り話題を変えさせて貰うとしよう。さて、君、今せっせと会社で扱っている補給物資の横流しをしているそうだね?』


『なっ!?』


『バレてないと思っていたんだろう? 君は会社でも力のある方だし、うまく誤魔化せていると自負していたんだろうが、自衛隊向けの物資にまで手を出したのがマズかった。昔の政府はちょろいものだったろうけどね、先程も言ったように、近年、非常事態で政府もぴりぴりして警戒を怠っていない。そのせいで、君の横流しが見つかってしまったんだ』


『今日、ここに来たのは、それを教えてくれるためだったのか……?』


『それもある。だがわたしが知りたかったのは、「なぜ」犯罪に手を染めてまで物資を掠め取っていたのかだ。見たところ君は金に困っている様子でもなさそうだ。何か理由があるんだろう? わたしたちが終末論の研究に着手すると同時に、君が冬ごもりする熊みたいに物資を溜め込み始めたわけが。君が捕まる前に聞いておきたいと思ってね。友人として、いち研究者として』


『…………散々、変人だ気狂いだと言われた身としては、もう二度と人前でこんなことを言うつもりじゃなかったんだけど』


『安心してくれ。わたしとて、世間一般からすれば、まともだとは思われない研究をしているんだ。今さら何を告白されたところで、生娘みたいに拒否反応を示したりはせんさ』


『……夢を、見るんだ』


『夢?』


『そう。夢さ。内容はよく覚えていない。けれど最近になって見る頻度が多くなってきた。殺風景で、虚しくて、寂しくて、悲しい悲惨な夢だ』


『それは……、それは、どんな場面の夢なんだろうな』


『そうだな……きっと、いいや、これは間違いないと思う。君の話をきいて確信したよ。ぼくが見る夢っていうのは、ぼくたち人類がさ、―――――滅びる、その時の夢なんだ』




      ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■  ■




 周囲の空気が変わった、とぼくは思った。伊達にこれまで生き残ってきたわけじゃない。周囲の変化に敏感でないと命に関わるのだから。特に今みたいな夜時間の場合は。


 すぐに松明の炎を消せるように準備をして、入念に辺りを見回す。小さな松明の明かり程度では遠くまで見通せないし、今日は運の悪いことに月明かりもか細い。


 自動車の通らなくなった国道は至る所に破損した車体が放置されていて、まるで自動車の墓場みたいな有様だった。それは今日ではよく見られる光景のひとつに過ぎなくなっている。


 可視範囲には何も異常は見られないとなると、後は視覚ばかりでなく、聴覚に頼ることになる。夏虫が求愛する鳴き声の他に、雑音が時折風に運ばれてやって来る。そう遠くはないようだ。


 腕時計を確認するとまだ深夜2時を回ったばかり。夜明けまでかなりの時間がある。今やつらに襲われたとなると、一般人では抵抗しようもないし、逃げ切れもしないだろう。


 ぼくはしばし逡巡して、助けに行くメリットとデメリットを計算する。


 本来ならば、迷わずこちらも危険域からの離脱を急ぐところだったが、この地方の土地勘は訪れたばかりで頼りない。それに情報も欲しい。命を助けたとなれば、大きな恩を売ることができるはずだ。


 まあ、自分の命が第一なのは大前提なのだけれど。


 ぼくは荷馬車の奥に向かって声をかける。


「もしかしたら、助けられるかもしれないから行ってくるよ」


 ややあって、


「……いってらっしゃい、セージ」


 と返答が返ってきた。今が夜で良かった。おかげでキララの声が聞けたのだから。


 ぼくは馬車から降りて、ここまで引っ張ってくれていた馬たちを一撫でする。ぶるる、とつぶらな瞳で見返してくる二頭の馬に「少しここで待っているんだよ」と言いつけて、音の聞こえた方へと小走りで向かう。


 国道沿いに走っているので路面状況は悪くはないのだが、深夜に明かりひとつ点けないとなると、ある程度暗闇慣れした目でも如何ともしがたい。


 <黒いケモノ>だけでなく人間の襲撃も可能性として捨て切れない以上、無鉄砲に飛び出していくのは命取りだった。


 警戒を最大限にしながら国道を南下していくと、遙か向こうに明かりが見えてきた。


「やっぱり、<黒いケモノ>か……!」


 ここまで近づけば嫌でもわかる。糞忌々しいケモノの気配だ。他の連中はまるでわからないと言っていたが、なぜこんなにもおどろおどろしい気配がわからないのだろうか。もしくは自分が特殊なのか。


 それはともかく、今は襲われている人を助けるのが先決だ。


 速度を速めて明かりの元へと向かう。肝心なのは落ち着かせることだ。ケモノに襲われた人間の多くが恐慌をきたして、逃げられるものも逃げられなくなってしまう。


 だからまず落ち着かせる必要があるのだけれど、襲われている最中に落ち着けと言われて落ち着ける人間がどれ程いるだろうか。


 自分でも無茶な要求だということはわかっている。それでも、そうさせる以外に助け出せる手段を知らない。ぼくにできるのは、こんなことだけだった。


 やがて明かりに照らし出された人影が近づいてくる。自動車で移動していたのを乗り捨てて逃げ出したようだ。二人組の男だった。


 ぼくはすれ違いざまを狙って方向転換をし、ふたりに並んで後ろを振り返る。


 そこには、<黒いケモノ>がいた。


 ケモノと言っても、それは自然界にいるような動物に分類される生き物ではない。生きているのかさえ怪しいものだ。不定形で形を自由自在に変え、陸上を駆け抜けたり空中を飛翔したりする化物だ。


 反撃しても効果はない。<黒いケモノ>は実体を持たないとばかりに銃も刃物も通用しないのだ。それでいて向こうの攻撃はこちらに届くのだから始末に終えない。


 脱出が迅速だったせいか、追ってくるケモノとの距離は僅かながら残っていた。


「明かりを捨てろ!」


 並走する二人組に向かってぼくは叫んだ。突如現れた怪しい人間に警戒心を露わにする彼らは、言うことをきいてくれない。これが当たり前の反応だとしても、歯噛みせずにはいられない。


「明かりを捨てるんだ! 捨てれば逃げ切れる!」


「嘘つけっ、あいつらは光を嫌がるんだよ! そんなことも知らないのか!?」


 ぼくに反論して男のひとりが怒鳴った。そう、これが現在の常識だった。


 ―――――<黒いケモノ>は光に弱い。


 だが、だったらなぜ自動車のヘッドライトを点けていたのに襲われたんだ。そう諭しても聞く耳持たぬ男たち。


 口論しているうちにケモノとの距離が詰められる。もう数メートルもない。追いつかれるのは確実だった。


「ばらけるんだ! 3人別々に逃げれば―――――」


「助けにきてくれて助かったよ。だけど余計なお世話なんだよ、おまえ。さっきから訳わかんことばっか言いやがって」


 その言葉と共に横から突き飛ばされる。ぼくはバランスを崩して無様に転がった。全力疾走していたから体勢を立て直す暇もなかった。


「悪いな、そのままアイツに食われて、おれたちが逃げる時間を稼いでくれよ!」


 遠ざかっていく声。どうやらぼくは助けようとした人間に囮にされたらしい。何て世の中だ。まさに世も末だな。本当に文字通り、世界は破滅しているので笑えない冗談だが。


 ケモノは間近に迫っている。逃げ出す時間は残されていなかった。


 ぼくは立ち上がって、ゆっくりと息を吐いた。そして目をつむる。もちろん、諦めて自棄を起こしたわけじゃない。これがケモノに対する最善の手段なのだ。


 無防備に身体を晒すなんて、常人からすれば気違いの行動に違いない。だがぼくの経験から導かれるこれらの<ルール>は、そう捨てたもんじゃないと思っている。


 呼吸を整えて、なるべく心拍数を落ち着かせる。これがなかなか難しい。何せ人を喰らう<黒いケモノ>の目の前にいるのだ。檻のない場所で猛獣を前にした時、一体どれくらいの人間が平静を保っていられるだろう。


 正体不明のケモノは、悪魔とか化物とか地球外生物とか、とにかく恐れられている。あの<審判の日>を経験した人間ならば、その恐ろしさを知らない者はいない。


 なぜなら、<黒いケモノ>によって、人類の殆どが喰い殺されたのだから。


 ヤツらの動きは滑らかで一切の無駄がない。そして残酷なまでに無慈悲である。夜の帳が降りた暗闇の中でさえ落ち込んで見える黒の塊。闇よりも暗い黒。


 その化物がぼくの目の前にいる。ぼくは目を閉じたまま微動だにせず、事の成り行きを

天に任せている。


 猛獣にありがちな荒い呼吸音がしない。それどころか獣臭や生きていると示す反応が全くない。そこにいるかどうかさえ曖昧になる。けれどもケモノの存在はプレッシャーとして、ぼくの生存本能が感知している。


 うろうろとぼくの周囲を嗅ぎ回っている。見えないのにわかる。不思議な状況だった。とても現実の出来事だとは思えない。コイツらに近寄られるといつもそう思う。まるで意識を身体から切り離されて解剖されてるみたいだった。


 ケモノは足元から這い寄り、形を液状に変えてズボンの中に侵入してくる。おぞましい感覚だった。生暖くて、それでいてひんやりとしている。生理的に受け付けない感触だ。できることなら大声で喚き散らして走り出したい。でも、そんなことをすれば瞬く間に喰い殺されることは目に見えていた。


 やがて下半身が丸ごと包まれ、ケモノはさらに上へ上へと登ってくる。胸元を通り過ぎて首元へ、そこから顔面へ。


 ここが最大の難関だった。これはさしものぼくでも気が狂いそうになる。ケモノはぼくの都合など知らないとばかりに鼻や耳の中に入り込んでくる。こんな得体の知れない化物が体内に入ってきて大丈夫なのかと思わずにはいられない。


 でもまあ、こうして何回か経験しているぼくが生きているのかだから、直ちに身体に悪影響があるわけでもないようなのだ。


 それでも、何度経験しても慣れそうにない頭の中を探られる感覚。ぼくはなるべく関係のないことを思い浮かべて拷問のような時間が終わるのを待ち続けるしかない。


 動いたり、喋ったり、拒否反応を示せばそれで終わりなのだ。


 ぼくはまだ世界が平和だった頃―――――ううん、あの頃から戦争していた国もあったのだから、「世界が平和だった」というのは語弊があるかもしれない。言い直せば、「ぼくの周りの世界が平和だった頃」となるだろうか。


 ぼくはひとりで山の頂にある、とある神社に行くのが好きだった。そこは無人で、参拝客も滅多に来ない。何せ神社に至る参道は険しく、最後に待ち受けるキツい勾配の石段は来る者を辟易させるのだ。お年寄りはまず単独では来られない。


 森閑な山の社。


 そこを訪れると、ぼくはとても落ち着いた気分になれた。擬似的な孤立感を思う存分味わうことができた。人間の社会の中にいながら、そこから一歩踏み出した気分になれた。


 その神社を思い出す。ぞわぞわと薄気味悪い音を立てる頭に喝を入れて、かつて何度も足を運んだ山の神社のイメージを投影する。


 ぼくは<審判の日>以前の世界に舞い戻り、民家がすぐ近くにある作り物の<深い森>に身を委ねる。


『本当、あなたって面白い人ね』


 女の声がする。とても大好きだった人の声だ。もう聞くことのできない声だ。生きているのか死んでいるのかさえ定かでない声だ。


 愛していた―――――きっと今でも愛している元妻の声だ。


 彼女はもうぼくのことなど思い出したくないのかもしれない。嫌っているかもしれない。それだけのことをぼくは彼女にしたのだ。


 彼女を思い出すたびに、胸の底に鈍い疼きを感じる。こうして生死の境に立ったとき、彼女の声はどこからともなく舞い降りてくる。


 まるで神の啓示のように。


 それが自分勝手な妄想だということは理解している。彼女の意志などお構いなしに身勝手に肖像を弄んでいるということも。


 それが何とも情けなくあり、誇らしくもある。つまらない男の感傷だ。


 周囲を鬱蒼とした木々に囲まれたぼくは、微かに揺れる葉のざわめきや枝のぶつかり合いに耳を澄ませる。


 遠くには野鳥の鳴く声。小動物が地面を駆け抜けるか細く、それでいて力強い足音。風が広葉樹を吹きさらす音。


 地球がもたらすひとつひとつの音に酔いしれ、翻弄され、ぼくは酩酊したみたいに夢心地になる。


 自然の中にぽつん、と取り残されたように佇む神社。ところどころ風雨で傷んでしまっている。けれども、それは痛々しさよりも年月の偉大さを感じさせる損耗だった。


 周りには何もなく、誰もいない。


 ここで大型動物に襲われれば、ぼくなんてひとたまりもない弱肉強食の世界。そこからもたらされる擬似的な満足感。


 ぼくは今、誰によるのでもなく、誰のためにでもなく、自分のためだけに自分だけで生きているのだ。そう考えると、頭の中にスパークが走ったような恍惚感に襲われる。


 自由だ、平等だと叫ばれる世の中において、本当はがんじがらめに縛られているのに全く気付かない人たち。


 そういった人間を置き去りにして、ぼくは自由になる。独りになる。解き放たれる。それでいてあらゆる人と繋がっている。あらゆる獣と、虫と、植物と、空と繋がっている。


 ありとあらゆるものと一体化して渾然一体となって、区別や差別と無縁の世界。


 そんな<ぼくの世界>を思い浮かべている。


 落ち葉が敷き詰められた境内に身を投げ出し、雲ひとつない空を眺める。上空の遙か彼方をトンビやタカが飛翔している。


 ぼくはそれらを目で追って、視界から消えるまで飽きることなく追いかけ続ける。そうしていれば、いつか自分も鳥となって空を飛べるのだとでも言うように。


 背中に感じる土の感触があり、そこから根を張って地球という苗床に根付くように。


 いつしかぼくは眠気に襲われ、ゆっくりと意識を降下させていく。外界に干渉できるある一定のラインを越え、さらに下へ下へと降りていく。


 心地良い痺れとホワイトノイズに埋没し、ぼくの意識は拡散していく。


 こんな幸せな気持ちには、そうなれないだろう。<審判の日>以前も、それ以降も。


 文明社会を失った人間は夜が訪れるたびに怯え、いつケモノに襲われるのかとびくびくしながら床に就く。当然、心地良い眠りなど望むべくもない。


 誰もがかつての栄華を思い出し、ほぞを噛んで<審判の日>以前の夢の中へと逃避するのだ。そうして目覚めと共に現実を再認識させられ、耐え切れなくなった者は自らの命を絶つ。


 この終末世界において、自殺という最後は、それ程禁忌される死に方でもなくなっていた。


 ぼくはいつでも好きな時に死ねる。大方の人間がそうであるように。そうでありながら、ケモノに追われながら、人に裏切られながらも死なないのは、確かめたいからだ。


 ぼくたち人類は本当に滅びるのか。それは変えられぬ運命なのか。


 しぶとく生き延びて、その<最後の日>に立ち会いたい。それがぼくの願いだった。


 ゆっくり、ゆっくりと、白いもやは降りてきて、意識を塗り潰していく。それが何によってもたらされているかなど些細なことだった。今はただ、この心地良い意識の幕引きに身を任せる。


 たゆたう茫洋とした白の海は、酷く冷たく、ぼくたち人類を拒絶するかのような広大さを秘めたものだった。


 それに比べて、ぼくはあまりにちっぽけな存在だった。


<黒いケモノ>により引き起こされる夢は、いつもこんな抽象的な夢に終始する。何とも変な気分だった。


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