073-土霊種の代表
呆然とする代表たちをおいて、会議室を出たユリアン達はインデクサの部屋まで戻ると、溜めていた息を吐き出した。
突き刺さるような鋭い視線を受け続けて、寿命が何年か縮んだ気分だ。冷や汗が止まらない。質問攻めにあっていたソレイドなど、会議室を出た途端にぽろぽろと涙をこぼし始め、今では小さな嗚咽を響かせている。よほど恐かったのだろう。
「お疲れ様です、竜王様。只今御飲み物を容易致します」
インデクサの部屋に戻ると、ジョイントが爽やかな笑顔と共に迎えてくれた。
ユリアン達はソファに腰をおろして一息つくことにした。戦姫3人とオルガ、リモルディは、まだ戻って来ていない。央都シルミールの近くにある小さな平野に飛竜達を移動させ、そこで待機しているシルミナスの兵の者に飛竜の何体かを貸与する仕事をやってもらっている。ただの素人が竜の善し悪しなど分かるわけがない。気性がおとなしく、指示を聞きやすい飛竜を選別してもらっている。オルガとリモルディの2人は、その仕事の手伝いを頼んである。もっとも、彼ら2人がすることなどあまりないとは思うが。
「しかし、まさかここまで予想通りにいくとはな。正直びっくりだ」
淹れ立ての紅茶をすすりながら呟いた。
昨夜、インデクサらと共にそれぞれの役割や取る行動を打ち合わせしておいたのだ。失敗した時を考えて、代表たちに信じ込ませられるように何通りもパターンを話し合った。しかし、思っていたよりもあっさりと信じてくれたおかげでスムーズに進み、考えたものがほとんど無駄になってしまった。
いくらなんでも信じ込み過ぎだろう。いや、信じてくれなければこちらが困るのだが、それにしても竜王信者多いな。
「我ら亜人種や異種族に取って竜王様は一種の神様でございますから」
色々なお菓子を運んで来ながらジョイントが答える。
そう言えば彼も人間種ではないんだった。亜人種の外見的特徴が見られないから忘れるところだった。
「なあ、ジョイント。お前には俺が竜王だっていう証を見せてないよな。それでも俺の言ったことを信じるのか?」
「我が主、インデクサ様は貴方様を信じていらっしゃる。私が貴方様を信じる理由はそれで十分で御座います。それに、先程窓から飛竜様のお姿を拝見致しましたから」
ジョイントは深く腰を折りながら答えた。
本来、主要都市部等には対空防衛術式の結界が張り巡らされており、飛竜達は都市部に容易に近づくことが出来ないのだが、今回は緊急時というということで、インデクサに防衛術式を解除してもらっていたのだ。今頃はもう再展開されているだろう。
彼は室内にいた数人の侍女たちを連れて来ると、揃って跪いて頭を垂れた。突然の事にユリアンは紅茶片手に固まった。
「竜王様。我らの御先祖様を御救い下さり、感謝いたします。今の貴方様が過去の出来事について御存知ないのは重々承知しております。ですが、このシルミナスに住まう一民として御礼申し上げます」
ユリアンは跪く彼らを見ながら、頭の中に意識を向けた。おそらく眠っていて出てこないと思うが、頭の中に住みつく先代の竜王。こいつらの先祖を救った張本人。
ユリアンが先代の竜王クレイヴに持つ印象は、女好き、変人、下衆、残虐といったあまりいいものではない。これは少し見方を改めるべきかもしれない。多くの者にこれだけ感謝されるほどの偉業を成し遂げたあいつを素直に称賛すべきなのだろう。
すると、頭の中であいつが小さく笑うような気がした。頭の中に他の誰かがいるような感覚はいつまでたっても慣れそうにもない。気持ちが悪い。思わず表情が歪む。
「明日の早朝に出立されるとか」
「ああ、今から支度をして明日シーラに向かう。飛竜に乗って移動するから最低で2日くらいの食料やらを用意しなきゃならないな」
表情が歪んだことを気取られないように平静を装って答えた。
「それでしたら、必要な物資は全てこちらで用意させていただきます」
「それはありがたいが、いいのか?そんな事勝手に決めて」
「構いません。事前にインデクサ様に了承を得ておりますし、この国に住む者として竜王様に御協力するのは当然のことでございますから」
空になったティーカップに紅茶を注ぎながら、優雅にお辞儀をして見せた。
必要な物資を用意してくれるのなら、央都の店を歩き回らなくて済む。先程、飛竜の姿を大衆にさらしたせいで、下は今頃大騒ぎになっているはずだ。ユリアンが竜王であることはまだ知られていないだろうが、その騒ぎの中をねり歩く勇気は持ち合わせていない。今日は1日、この巨大樹の上層階に籠っているとしよう。
ユリアンがケーキスタンドに乗っているお菓子を取ろうと手を伸ばした時、ロウリィアがその長い耳をぴくりと動かした。
「ユリアン様、何者かがこちらにやってくるようです」
「インデクサか?」
「いえ、インデクサ様でも、侍女の方でもありません」
インデクサでも侍女でもないって、一体誰だ?この部屋は最高権力者であるインデクサの私室、兼書斎だったはずだが。
少しして、ゴンゴンとやや乱暴に扉がノックされた。すぐにジョイントが扉に向かい、突然の来訪者に対応する。
やってきたのは、普通の人よりも一回り小さい身体をした髭の凄いおっさんだった。彼が背伸びをしても、ユリアンの腰ぐらいの身長くらいしかないだろう。インデクサよりも小さい。確か、さっき会議室にいた代表の一人だったと思う。
「失礼するぞい。竜王さんはおるか?」
ズカズカと入室してきた小さいおっさんは、部屋の内部をぐるりと見渡してユリアンを見つけると、ニカッと白い歯を見せて近づいてきた。
「竜王さん、初めましてだな。俺は土霊種の代表をやっている、ウォーム=ノッカーという。ロウリィアの嬢ちゃんも久しぶりだな」
「はい。ウォーム殿もお変わりなく」
ロウリィアは小さく会釈する。どうやら2人は顔見知りのようだ。
「ウォーム殿、今は会議中だったのでは?」
「ああ、今インデクサ代表が取りまとめてるとこだ。細けえ事がめんどくせぇから抜け出してきちまった」
ジョイントの問いに、ウォームは豪快に笑って答えた。
「で、俺に何か用か?」
「ああ、ちょっとな。さっき、あんたの腰にぶらさがってる得物が眼に留まったもんでな。そいつをちょいと見せてくんねえかと思ってな」
挨拶を終えたウォームは、ユリアンの方に向き直ると顎髭の端っこをいじりながらそう言った。
「《高周波刀》の方か?それとも《聖剣》?」
「出来れば両方頼みてえ」
ユリアンは座るときに外した二振りの刀に目をやった。漆黒の刃を持つ《高周波刀》と純白の刃を持つ《聖剣》。どちらも大切なものだ。自らの命を預ける武器を他人に渡すのはかなりの抵抗がある。いきなりへし折られるなんてことはないだろうが、それでも戸惑ってしまう。
少しの間考え込むユリアンに、ジョイントが助言をしてくれる。
「ウォーム様は、この国でも随一と言われる鍛冶師の方です。武器の扱いには長けております」
「まあ、竜王さんが迷うのも分かる。自分の武器を他人に触らせるのはあんまいい気しねえよな」
鍛冶師か。それなら、見せてもいいか。
ユリアンは軽く頷いて了承し、二振りを手渡した。手渡されたウォームは嬉々とした表情で2本の刀を眺め始めた。
「ほう、こいつはいい。長い事使い込まれてる。だが、ちょいと手入れが足んねえな」
まず、高周波刀を鞘から抜き放ち、漆黒の刀身をかざす。まあ確かに、LMVの手入れの仕方なんてわからないので、たまに刀身を布で拭くぐらいしかしていない。
ウォームは高周波刀を鞘に戻し、今度は聖剣を抜き放つ。純白の刀身が光を受けて輝きを放っている。
「こいつは、ただの得物じゃねえな。・・・・魔力じゃねえ・・・これは、神力か」
聖剣の力の本質をずばりと見抜いた事に、思わず目を丸くする。
「分かるのか?」
「ん?ああ。刀身に纏ってるもんが普通じゃねえ。神力は魔力と違って、一か所に集束させとくことが出来ねえからな。竜王さんよ、こいつ、どこで手に入れた?」
「妖精種の宝剣だ。妖精女王ティターニアから預かった」
「妖精女王様からか。どうりで。神力は妖精種か、聖翼種の奴らにしか扱えねえからな」
今、聞きなれない名の種族が出てきた。聖翼種だったか?名前から察するに、翼を持った種族だと予想は出来るが、その他は一体どんな種なのか見当もつかない。ジェイド王国もユプシロン帝国も完全に人の国であるから、おそらくこのシルミナス北部連合国の領内のどこかにいるのだろう。一度会ってみたいものだ。
「いいもん見してもらった。ありがとよ、竜王さん」
鑑定し終わったウォームはほくほくとした満足げな顔で二振りを返した。
「いいもん見してもらった礼と言っちゃなんだが、そいつを研ぎ直させてくれねえか?ちょいと刃が鈍ってるみてえだからな」
「研ぎ直す?今できるのか?」
「ああ、俺の部屋に来てくれりゃあいい砥石がある。それくらいならすぐに終わるぜ」
ウォームはそう言うや否やユリアンの返事も聞かずに、こっちだと手招きをして部屋を出て行った。これはもう付いて行くしかないだろう。
昇降盤に乗って、来客用の個室がある下の階に降り、ズンズンと自分の家かのように通路を進むウォームの後を付いて行く。彼にあてがわれている個室に到着すると、室内には2人の土霊種の者が彼の帰りを待っていた。大きなソファやベッドに四肢を投げだしてかなりくつろいでいるようだった。
一つ思ったんだが、土霊種って皆こんなに顎や頬の髭が長いのか?下手すれば全身が髭で隠れそうだ。身長も人よりもかなり小さい。
「こいつらは俺の付き添いだ。ソファに座ってる鼻頭が赤い奴がバイポイド。ベッドの上にいる眼つきの悪い奴がラックだ」
「初めまして。ユリアン=F=レグザリアだ」
雑な紹介をされた2人は若干表情をしかめたものの、来訪者である俺達に挨拶を返してくれた。そして、すぐにウォームの方に向き直って文句を垂れる。
「こらあ!俺の鼻頭が赤いのは、昔お前が俺の鼻に金槌くれたからだろうが!」
「目つきが悪く見えるのは生まれつきじゃ。ほっとけ!」
「ん~?そうだったか?どうでもいいわ。それよりもちょいと仕事だ。どいたどいた」
ソファやベッドの上に散乱している荷物を押しのけて、何かを探しているようだ。せっかくのびのびとくつろいでいた二人も、部屋の隅っこに追いやられてしまっている。
部屋の中を探しまわること数十分。ようやくお目当ての物が見つかったようだ。ウォームが抱えて持ってきたのは、表面が真っ黒い色をした長方形の石のようなものだ。あれが砥石なのだろう。
「すまねえ、探すのに時間かかっちまった。整理整頓は苦手でな。おい、水と水桶、それと綺麗な布持ってこい」
指示されたバイポイドとラックの2人は短い脚を懸命に動かして、水と水桶、そして綺麗な布を確保するために部屋を出て行った。多分、あの二人が走るよりも、そこらへんの侍女なり職員なりを捕まえて用意してもらった方が早いと思う。彼らは一生懸命走っているようだが、なにぶん脚が短いせいで全然スピードが出ていない。早歩きで追い抜けそうだ。
2人が帰ってくるまでの間、ウォームは散乱している荷物を力ずくで壁際に寄せて作業がしやすいようにスペースを作った。ただ、テーブルやソファを蹴飛ばしながら壁際に寄せるのはどうかと思う。散らかりすぎて、まるでここで乱闘があったかのような惨状になってしまっている。
ウォームが下準備をしていると、水の入った水桶と綺麗な布を抱えて2人が戻ってきた。一生懸命走っていたようだが、息切れしている様子はない。意外と体力はあるようだ。
「おし、それじゃ研ぎ始めるか」
そう言って、ウォームは高周波刀を研ぐ作業に入った。その作業自体はさほど難しそうには見えなかった。水でぬらした布で刀身を綺麗に拭き、ゆっくり砥石に刃をあてて研いでいく。部屋の中に刃を研ぐ静かな音だけが反響する。
「研ぎ終わったら俺にも後で見せてくれ」
「わしらはちょっと、水を飲んでくるわい」
そう言って、2人は再び部屋を出て行った。作業に集中しているウォームに聞こえていたかどうかわからないが、彼は無言で手を動かし続ける。
◆◇◆◇◆
作業はそれほど長くかからなかった。
ユリアンの手には、つい今しがた研がれたばかりの高周波刀があった。刀身が闇のように真っ黒なので外見的変化が分かりにくいが、どことなく輝いているように見えた。
「ふぃー、まあそんなもんだろ」
「ありがとう。聖剣のほうは?」
「ああ、そいつは研がなくても大丈夫だと思うぞ。それに、神力を纏った得物なんて所有者でもなけりゃ軽々しく扱えねえ。鍛冶師として恥ずかしいもんだが、何が起こるか分かんねえし、何よりおっかねえ」
近くにあった布で顔を拭きながらウォームは言った。
自分の持ち物が綺麗になって返ってくると、何だかとてもうれしい。新しいおもちゃを貰ってはしゃぐ子供の気持ちが一瞬だけ分かるような気がした。
感情が表情に出たのだろうか。ウォームは笑みを浮かべた
「竜王さんに喜んでもらえるとは、何よりだ。また武具のことで 何かあったら俺んとこ来な。色々と手ぇ貸してやるよ」
それは頼もしい。今度から武具の手入れは彼に頼むことにしよう。
それはそうと、先程から聞きたかった疑問をぶつけてみることにした。
「なあ、あんたは俺が竜王ってことを本気で信じてるのか?」
「ん~?」
「飛竜の姿を見せつけられたとはいえ、見た目の通り俺はただの子供だぜ?自分で言うのもなんだが、たいした礼儀もない。何で手を貸してくれる?」
ウォームは一瞬キョトンとした表情になったが、すぐに元に戻り、ベッドの上に座った。彼の鼻頭ぐらいの高さがあるベッドによじ登るのは大変そうだった。歩き始めたばかりの小さな赤子を想像してしまう。身体が小さいのも考えものだな。
「俺は実際に見た事ねえが、竜王さんについては親父共から耳にタコが出来るぐらい聞かされた。それはもう嫌ってほどな。俺達の種族を助けてくれたとか、右に出るものはいないってぐれえの武人だったとか。まあ、話聞く限りではすんげえ奴だったって事は知ってる。けどよ、正直どうでもいい」
「は?」
「正直言ってよぉ、俺、竜王さんがどうとか、恩がどうとか、どうでもいいんだわ。まあ、確かに種を救ってくれたことに関しては感謝の思いもあるが、過去の話だろ。俺が生まれる前の話だ。当事者でもねぇのに感謝や畏敬の感情なんて持てるかっての。それよりも今を見ろっての。あの老いぼれジジイ共が。ったく」
「・・・すると何だ。つまりあんたは、竜王に対して特に信仰心とか無いのか?」
「あるわけねえ。昔の事ばっかに執着すんのはカビ臭い年寄り共で十分だ」
「だったら何で・・・」
「お前さんに手を貸すのには別に大した理由はねえよ。こうして面と向かって話して見て、お前さんは悪い奴じゃないって思ったから。それに、さっきその刀を研がせてもらったが、多少雑だが大事に使われてることが分かった」
「そんなことわかるもんなのか?」
「まあな。今までに何本もの武具を見てきたからな。だいたいのことは分かる。その使い手の性格もな。根っからの悪人は武具の扱いも雑だ。それは戦いの時に動きにも出てくる。もしお前さんが悪人だったなら、その刀を今この場で叩き折ってたかもしれねえ」
「・・・・」
「まあ、他にもいろいろあるが、お前さんは信用してもいい奴だと思ってる。まあ、ほとんど勘みてえなもんだけどな」
「俺が竜王でも関係ないと」
「そうだ。さっきも言ったが、そんなもん俺にとっちゃどうでもいい。竜の鱗に眼が眩んじまったのは事実だけどな」
竜の鱗というのは、鍛冶師にとってみれば伝説級の素材らしい。入手が困難であるのは当然のことながら、硬く、どんな衝撃にも耐え、竜の力の一部を秘める。竜の鱗を使用した武具一つで、そこらの一等地にお城が建てられる程の価値があるそうだ。だが、加工も難しいため、並の鍛冶師では手もつけられない。
ウォームは伝説級の素材を山ほど身に付けた飛竜達を見て、内心よだれを垂らしていたらしい。
何はともあれ、ウォームは信仰心の薄い奴だった。言い伝えよりも、ユリアンの人を見て手を貸してくれるそうだ。どちらかというと、こちらの方が気軽に接しやすい。ガチガチの信者だったら、もう息苦しい。崇め奉られることに興味はない。幾分か、気が楽になったような気がする。
その後すぐバイポイドとラックの2人が戻ってきて、研ぎ終わったばかりの高周波刀を吟味し始めた。鍛冶師同士の会話の内容は、専門用語が多すぎて全く理解できなかった。
読んでいただきありがとうございます。