071-代表会議
ユリアン達が再びインデクサの元に訪れたのは、翌日の正午過ぎぐらいだった。
その日の午前は、央都シミールを観光がてらにぶらついていた。買って荷物となった品を一旦宿屋《シャッテン・ガルテン(影の庭園)》に置き、一階の食堂で、休憩を取っている時だった。インデクサからの使者が訪れ、何やら冷静さを欠いたような、慌てたような表情で、なるべく早く来て欲しいことを伝えてきた。その使者は用事を終えると、逃げ出すようにして帰って行った。
「・・・・今の、何だったんでしょうか?」
「・・・さあな」
紅茶を飲んでいたロウリィアが、ティーカップを持った手を止めて呆然としていた。食堂にいた他の面子や、宿屋のマスターも揃ってぽかんとした表情で、今しがた転がるように出て行った使者の後ろ姿を見ていた。
あの慌てようは、重大な何かが起こったか。何にせよ、早く来てほしいというのだからこれから赴いて直接インデクサに聞いてみた方がいいだろう。
休憩を済ませてから向かうと、行政区画の前で待っていたジョイントが部屋まで案内してくれた。どうやら彼は精神ショックから復活できたようだ。何はともあれよかったな。
行政区画最上階にある部屋に入ると、インデクサが山のように積み重ねられた書類に囲まれて決裁の仕事をこなしていた。朝からずっと仕事を続けているらしく、傍らには昼食のトレーが、手がつけられていないままあった。
彼女は書類の一枚を書き上げると、手を止めて仕事を一旦中断した。手を振ってユリアン達をソファへと促して、自分もソファに移動する。
「忙しそうだな」
「ほんに。悠長に食事もしてられんわ」
インデクサは深いため息をついて、眉間によったしわを指でもみほぐす。
仕事を一時中断することを知らされたジョイントが、数人の侍女達と共に紅茶やお菓子の用意をして運んでくる。色とりどりのお菓子に反応するティアを横目に、早速本題に入る。インデクサも疲れているようなので、長い前置きは不要だ。
「どうしたんだ?急に呼び出したりして」
「ほんまやったら、地に指つけて頭下げるんが道理なんやけど、状況が切迫しとってな。出来んのよ。許してたも?」
インデクサは運ばれて来た紅茶を一口含み、一息ついた。
「あんま時間もないし、ほんなら、まあ、単刀直入にいこか?」
ティーカップを机に置き、細めた真紅の瞳でユリアン達を見据えた。
「今、シルミナス北部連合国は“ 国家非常事態宣言 ”を発令中や。気付いとるやろうけど、空気がギスギスしとるわ」
「そうみたいだな。ここに来る前にも、走り回っている連中を見た」
インデクサの部屋に訪れる少し前のことだ。昇降盤を使って最上階へと向かっている途中に慌ただしく動き回っている職員達を多く見かけた。皆表情に余裕がなく、何かを恐れているかのように青ざめていた。
国家非常事態宣言が発令されている事までは分からなかったが、それでも深刻な事態が発生していると予測するのは容易だった。
「シルミナスの東にあるシーラっちゅう港町から報告があったんやけどな、大勢の兵を乗せた船が近づいて来よるらしい。まだ調査隊が戻って来とらんからハッキリとしたことは言えんけど、黒旗を見たそうや」
「!?」
危うく紅茶をひっくりかえすところだった。
黒の旗ということは、黒地に竜のシルエットが描かれたジェイド王国の国旗以外に考えられなかった。
現在、ジェイド王国とシルミナス北部連合国、そしてユプシロン帝国の3国は同盟を組み、それぞれの軍隊の不可侵を決定している。相手国の同意のもと国境を越えることは可能だが、仮に無断で越えたとなれば国際問題、最悪戦争へ発展する可能性もある。今までに保たれていた表層上の平和が一気に剥がれ落ちてしまう。
ソレイドを見ると、顔が青ざめて身体を震わせていた。
「ま、待ってください!王国は貴国と事を構えるつもりはありません!な、何かの間違いです!」
ソレイドは声を震わせながらも抗議する。それはもちろんそうだろう。王国が戦争を始める気があるのなら、戦争を無くすために旅をしているユリアン達への協力や監視のためにソレイドを付けさせる理由が無い。ユリアン達がジェイド王国の国内にいた間に何かしらの手を講じて動きを封じているはずだ。
「やろうな。占領したとしてもここは森ばっかりの扱いづらい土地やで。住んどる連中も気性の荒いもんばっかり。それにや、ジェイド国王とはたまに会うとる。あの小僧がこんなことするとは思えんしな」
国王を小僧呼ばわりされてソレイドが若干顔をひきつらせるが、2000年以上の年月を生きているインデクサにとっては子供も同然だ。
「心配せんでも、うちは戦争する気あらへん。念のため、確認はせないかんけどな」
ソレイドは無言で胸をなでおろした。
「あんさんらを呼んだんは、こんこと知らせるんともうひとつ。ある会議に出席して欲しいんよ」
「会議?」
「シルミナス各地の代表が集って国の方針を話し合う会議や。そこで竜王様を紹介しようと思っとる。かつての時代を知るもんが少ないとはいえ、竜王様の武勇伝は後世にちゃんと語り継がれとる。こん国を味方につけることもできんでもないかもしれんなぁ」
インデクサは軽く笑って再び紅茶に口をつけた。
シルミナス北部連合国を味方につけることが出来れば、ユリアンは大きな政治的発言力を手に入れることが出来る。竜王の力を抑止力として誇示させることによって、きたる争いの火種を回避することが出来るかもしれない。願ってもない提案だった。
だがここでふと気が付いた。この提案で得をするのはユリアンの方で、インデクサにとっては何のメリットもないことを。
「会議の出席を断ってもええけど、こん国を味方につけるんは相当時間かかるで?」
つまり、機会をやるから何か対価をよこせということか。
「・・・何が望みだ?」
すると、インデクサはこの言葉を予想していたかのように方頬を上げて、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「話が早ようて助かるわ。心配せんでも竜王様に無茶な要求はせん。竜王様は少なくとも竜を持っとるやろ?実はな、飛竜を貸して欲しいんよ」
「飛竜をか?何故だ?」
「今、シルミナスの各地で鬼や原生生物の異様な活発化と凶暴化が確認されとる。うちの警備兵らではとてもやないけど対応が間に合わんのよ。エルフ種のような事は二度と起こらんようにな」
ロウリィアがピクリと反応したが、すぐにいつもの表情に戻る。
エルフ種の集落が鬼のよって壊滅的な被害を受けたことは記憶に新しい。あのような事がもう起きないとは言い切れない。いくらLMVを装備した部隊があると言っても、広い国土の中を移動するのはかなりの時間がかかる。報告を受けて出撃し、現場に到着するまでにどれほどの被害が出るだろうか。
飛竜に乗って移動すれば、かなりの時間短縮になると共に、強大な戦力としても使うことが出来る。それに、飛竜の飛ぶ姿を多くの者に見せつけることで、他国への牽制にも繋がる。一石二鳥というやつだ。
「つまり、防衛のために飛竜をよこせと?」
「そうや。もちろん飛竜の力つこうて戦争する気はあらへん。事が収まったらちゃんと返す。悪い取引やないとは思うんけどな?」
ユリアンは隣に座っている戦姫達に視線を送った。すると、彼女らは小さく頷いて、瞳を閉じた。
(私は我が王の意思に従います)
(好きにしなさいよ。あたし達は別にあんたの意見に異論を唱えるつもりはないから)
(竜王サマの思う様にすればいいと思いマス!あ、あとこのお菓子おいしいデスッ!)
一人、能天気な奴もいるが、彼女らは口を挿むつもりはないようだ。
「わかった、飛竜を貸そう」
「取引成立やな」
インデクサと固い握手を交わし、取引を成立させた。
「それで?会議はいつあるんだ?」
「緊急招集をかけたんやけどまだ代表者が全員集まっとらん。会議は明日になるやろ。また使いのもんを送るわ」
「分かった」
「ああ~、使いのもん送るんもめんどくさいな。いっその事ここに泊まっていかん?」
「荷物とかまだ向こうの宿にあるんだが」
「あとで下のもんに運ばせる。どうや?」
まあたしかに、いちいち宿と行政区画を行き来するのは面倒くさいな。それならお言葉に甘えて泊まらせてもらった方がいいかもしれない。それに、あの大浴場が何気に気に入っている。またゆっくりと浸かりたかった。
「・・・・わかった。ありがたく泊まらせてもらおう」
「ジョイント、竜王様方の部屋を用意しい。くれぐれも粗相のないようにな」
「畏まりました。竜王様と御連れの方々、御部屋に案内します。どうぞこちらへ」
その日は、用意された豪華な部屋で一日過ごすこととなった。
大浴場で戦姫達と一悶着あったのは言うまでもない。
◆◇◆◇◆
翌日の正午程。
集まった各地の代表が会議室に籠り、今後の対策を協議していた。窓の外は眩しいほどの快晴が広がっているのだが、対する部屋内部は暗雲が立ち込めていた。
「―――シーラ沖に確認されている大型船は全部で25隻。遠目ではありますが、船の大きさからしておよそ400から600の兵が乗っているかと。シーラ住民の避難は既に開始していますが、あまり進んでいません」
秘書のような獣人種の男が報告書を読み上げると同時に、会議室にくぐもったため息が溢れた。
「なお、25隻の船は全て黒旗を掲げていたとのことです。シーラ沖で停泊し、依然動きはありません」
度重なる溜息。インデクサからの緊急招集を受けて集まった代表の面々は、誰もが現状にどう対処すればいいのか迷っていた。会議委員長でもあるインデクサに意見を仰ごうにも、彼女は今ちょうど席をはずしていた。
「現在、騎士団にも召集を掛けていますが、集まっているのは60パーセント程です」
その場の重苦しい空気がさらに色濃くなり、何人かの者は頭に手を当てて小さく呻いていた。何故こうなってしまったと誰もが思っていた。
シルミナス北部連合国とジェイド王国は互いに仲が悪いわけではなく、むしろ良好だったと言えよう。ジェイド王国のジェイド=A=ベルンハント国王は、亜人や異種族に偏見をもたない出来た王で、自らの直轄部隊である王室特務警護隊の隊長をエルフの者に任せているほどだ。年に数回2国間で行われている会談でも、シルミナスを嫌っている様子はなく、互いの国をより良くするための政策や祭り事をいくつも提案してきたものだ。若い頃は“東の黒竜”などと呼ばれた剛剣の使い手だったそうだが、争い事を望む者にはとても見えなかった。
ならば、今回の事はシルミナスを良く思わない貴族連中の者達が起こした反乱だとでもいうのか。いや、反乱などあの国王が許すはずがない。
「何にせよ、2国間の関係が今後は同じようには行かないだろう」
友好条約の破棄。だがこれは状況的に王国側が先に破ったものであり、領海侵入を受けたシルミナスが破棄しても何ら咎められるものではなかった。
シェイド王国に事の真相を確かめようにも、向かわせた使節団と連絡が途絶してしまっていた。連絡用に持たせていた、遠く離れていても会話が可能な魔術道具からは耳障りな雑音しか聞こえず、完全に使節団の位置を見失っていた。考えたくはないが、消された可能性もある。その場合、本気で戦争を考えなければならなかった。
誰もが黙り込み、静寂が訪れる。
その時、会議室の扉が開かれてインデクサが帰ってきた。何人かの表情が和らいだのもつかの間、帰ってきた彼女の表情を見て目を少しばかり見開いた。緊迫した状況だというのに何故か彼女は微笑をたたえていたのだ。
「あーあー、じゃんくさいな。息が詰まりそうやわ」
「い、インデクサ様!今の状況を理解しておいでですか!国の一大事ですぞ!」
代表の一人が声を荒げるが、インデクサはさして気にせず
「わかっとるよ。けど、辛気臭そうにしても状況は変わらんで」
インデクサは侍女達に窓を開けさせ、部屋の換気を行う。地表から数百メートル離れた巨大樹の幹の上にある会議室内に冷たい風が吹き込む。吹き飛びそうになる書類を押さえつけながら、代表たちは疑念の思いを彼女に向けた。
何故彼女は、ああも嬉しそうなのか。まるで新しい玩具を与えられた小さな子供のように生き生きとした表情だ。もちろん、外見的未発達を気にしている彼女にそんな事を言えばただでは済まないので皆黙っているが。
「実はな、皆に紹介したい方がおるんや」
インデクサは皆の視線を面白く思いながら、部屋の中へその者を招き入れた。
入ってきたのは、夜のような漆黒の髪に、何者も寄せ付けない美しい紅い瞳を持った人間種の青年だった。その瞬間、部屋の空気が変わった。息をするのも苦しく、身動きが取れないまま、代表の面々はその青年から目が離せないでいた。
「偉大なる竜王、ユリアン=F=レグザリア様や」
◆◇◆◇◆
会議室に入室する前、ユリアンは部屋から漏れる息苦しい暗い雰囲気を感じていた。状況はよほど深刻な状態のようだ。先に入室したインデクサの指示で窓が開け放たれ、冷たい風が廊下にまで吹き込んできた。鳥肌が立ち、思わず身を振るう。
今、ユリアン1人だった。戦姫達や他のメンバーは別の場所で待機してもらっている。大人数で会議室におしかけるわけにもいかないし、何より彼女たちにはある役割を頼んであった。この国(シルミナス北部連合国)の代表陣の面子に竜王の威光を示すための大事な役割を。
インデクサに呼ばれ、ユリアンは両の頬を軽く叩いて気を引き締め直した。両開きの2枚扉をくぐると、難しそうな表情を浮かべてこちらを見る代表達がいた。当然、人間種の者は誰ひとりとしてない。異国に来ている事を改めて実感させられる。
代表の者達はさすがというべきか、睨まれればすくみあがってしまいそうな眼力を持っていた。思わず一歩後ろに下がりそうになってしまうが、拳をきつく握りしめて耐えた。そして、負けじと深紅の瞳で見つめ返した。
「初めまして。竜王、正統継承者のユリアン=F=レグザリアです。宜しくお願いします」
ユリアンは右手を左胸にあてて、腰を軽く折って挨拶をした。
代表達は、一瞬呆けて間抜けな顔をさらした後、それぞれが行動に移った。勢いよく椅子を倒してその場に跪く者。その場で立ち上がり、両眼を見開いて口の開閉運動を繰り返す者。椅子に座ったままで、未だ呆けている者。反応は実に様々だ。こっそりと囁く声も聞こえる。
(竜王様って、あの!?)
(た、ただの言い伝えではなかったのか・・・!?)
(で、でも本当に本物か?)
(インデクサ様が嘘をつくはずがないが、しかし・・・・)
竜王という言葉に反応して、咄嗟に平伏する様な行動を取ってしまったが、ユリアンが本物の竜王であることを疑っているようだった。一見すれば人間種のただの若造だ。信じろと言われても無理な話だろう。
ユリアンは小さく溜息を吐き、事前の打ち合わせ通りに動き出す。硬直している代表達の横を抜け、先程開け放たれた窓際へと向かう。そして、央都を見降ろせる青空を背後にして振り返り、こちらを注視している代表達に不敵に笑いかけた。
「驚き過ぎて腰を抜かすなよ」
ユリアンは右手を軽く持ち上げ、ぱちんと指を鳴らした。―――と同時に、ユリアンの背後にある青空が歪んだ。いや、ユリアンの背後だけではない。央都シルミールから見える空の全てが歪み、隠れていたものが姿を現した。
硬質な鱗で全身を覆われた巨大な体躯、風を切る大きな翼、何物も切り裂き噛み砕く鋭い鉤爪と強靭な牙を持つ最大最強の生物。合計230体の飛竜だった。
透き通るような白い鱗を持つ白竜にリリアス、漆黒の鱗を持つ黒竜にアリアーク、黄土色の鱗を持つ雷竜にティア、そして比較的小さな体躯の飛竜にロウリィアやソレイド達がそれぞれ乗っていた。
見渡す限りの空が全て飛竜に覆い尽くされている光景はまさに圧巻だった。誰もが言葉を失い、その光景を眼に焼き付けていた。
「改めて自己紹介をしよう。竜王ユリアン=F=レグザリアだ」