古の再会(2)
インデクサの過去の話です。
あれは今より二千年前。
後に《聖杯戦争》と呼ばれることになった大陸中を巻き込んでの最恐最悪の戦いが繰り広げられた暗黒の時代。
レグザリア大陸東北部、血の眷属【 吸血種 】が住まう都市 《ブラッド・ティアラ》での出来事。
血と煙のひどい臭いが嗅覚を刺激し、インデクサ=ロウハウンドは眼を覚ました。
日はとうに暮れ、視界は薄闇に包まれている。寒気が身体に纏わり付き、吐いた息が白くなっていく。手先が悴み、ほとんど感覚がない。
インデクサは自身の上に“重し”が乗っていることに気が付いた。苦労して重しをどけ、身体を起こす。目覚めたばかりのぼやけた瞳で周囲を見渡した。
雲ひとつない真っ黒に塗りつぶされた夜空にもうもうと立ち上がる黒煙。轟々と勢いよく燃え上がる木造の家屋と、打ち砕かれ跡かたもなく崩壊した石造りの神殿。
細かったインデクサの瞳が段々と見開かれていく。寒さの事もあって、意図せず歯がカチカチと音をたてる。
感覚が戻ってきたところで、インデクサは自分がぬるりとしたものに触れていることに気が付いた。恐る恐る右手を持ち上げてみると、右手は真っ赤なべとべととした液体で染まっていた。
「・・・―――ッ!」
血だ。
思わず息を飲む。自分にのしかかっていた“重し”だと思っていたものは、両親だったものだった。父親は胴体の下、腰から下がきれいさっぱりなく、赤黒い物があちこちに四散している。母親は胸の中央辺りにぽっかりと穴があいている。首を巡らせると、あっちにもこっちにも身体の一部を喪失し、無残な肉塊と成り果てた同胞達の姿が視界に入った。インデクサは血の海の中で気を失っていたことを知る。
(い、一体何が・・・・)
幼いインデクサは己の身に起きたことを必死に思い出そうとする。
優しい父と母、そして周囲の同胞たちに囲まれていつもと変わらない穏やかで楽しい暮らしを送っていたはずだ。鼻孔をくすぐる甘い花の匂いや神殿から聞こえてくるベルの音。風に揺られて舞う蝶を追いかける子供達。木の椅子に座って空を眺めていた老夫婦。自分が意識を失う前までそこに広がっていた光景、それら全てが嘘だったかのように消えてしまっている。
「おと、さ・・・おか、・・・さん・・・・・」
かすれた声で両親を呼ぶが、2人はピクリとも動かない。体中から血を流して地面に転がっている。2人の顔は生気が失われて青白く、触れると冷たい。死後、数時間は経っていると思われた。
同胞達が死んでいるのは泣き叫びたいほど悲しいが、現状を理解できずただ呆然とその場に座り込んで、血で真っ赤に染まった光景を眺めていた。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
インデクサはゆっくりと立ち上がり、歩きだした。とにかく誰か探さないと。自分と同じく生き残っている者を。しかし、いくら歩いても広がっているのは無残な光景ばかりだった。
炭化した家屋が崩れ落ち、ぱっと火の粉が舞う。焼けた遺体からガスが発生し、焦げ臭さと混ざり合い、不快な臭いが漂っている。胃の中のモノが逆流しそうになり、思わず膝を地面について身体を折る。額を地面に擦り付け、遺体から流れ出た血で汚れるのも気にせず必死に耐える。
『いやぁ、皆死んじゃってるよ!はっはっは!』
不意に、場違いな明るい無邪気な声が聞こえてきた。ゆっくりと顔を上げると、燃え盛る家屋の間を歩く小さな人影が眼に入った。年端もいかない少年。自分と同じ同胞の生き残りだろうか。少年は小さな笑い声を上げている。この凄惨な光景を見て精神が壊れてしまったのだろうか。いや、あれほどの小さな子ならむしろ正気を保っている方がおかしいか。
インデクサは吐き気をなんとか抑え込み、その少年に声を掛けようと息を吸い込んだ。だが、炎の中から現われた数人の者達によってそれは遮られた。
全員で4人。遠眼だが、身体のラインからして全員女性だと思われる。腰に下げた剣と要所を覆った小さな部分鎧。騎士だと思われる4人の女性はまるで少年を守るかのように少年の前後左右に立った。
どう見ても吸血種の同胞ではない。外から来た者達だ。
インデクサはさっと身を低くし、息を潜めた。
外から来た兵士。燃え盛る家屋。破壊された神殿。殺された同胞達。これらから導き出される答えは一つ。奴らが皆を殺したんだ。
幼い少女がそう考えるのは仕方のないことだった。憎悪の感情が生まれ、インデクサは少年らを睨みつけた。そして増え続けた負の感情は遂に爆発した。
「ああ、ああ゛ああッ、あ゛ああ゛あああああっ!!」
言葉にならない叫び声を上げてインデクサは駆け出した。
大気中の魔力と体内の生命エネルギーを練り合わせ、両親から教えられた自分の知る最も強い火属性の魔術を発動させた。空中に紅色の構築陣が形成され、紅蓮の炎で包み込まれたインデクサの右腕が騎士の一人に向けて放たれる。
だが、炎を纏ったインデクサの右腕はその威力を発揮する前に掴まれ、勢いよく地面に叩きつけられた。激しい衝撃で肺の中の空気が一気に吐き出される。視界が薄れ、意識が朦朧とする。
腕を掴まれて地面に叩きつけられたのは一瞬の出来事だった。力量不足を感じると共に、相手の圧倒的な力を思い知らされる。
女性騎士が腰の剣を引き抜き、とどめを刺すべく振り上げる。死を覚悟したが、剣が振り下ろされることは無かった。
『ねえ、君。名前は?』
剣を止めたのは少年だった。
夜を示すような漆黒の髪に、深紅の瞳。人間種の子供だ。屈託の無いその無邪気な笑顔がとても苛立つ。
「・・・い、インデ、クサ」
インデクサは憎しみを籠めた瞳で少年らを睨み付けながら、からからと乾いた喉で答えた。すると少年は嬉しそうにほほ笑むと、自己紹介をした。
『僕の名はね、クレイヴ=R=レグザリア。竜を統べるこの大陸の王様だよ』
それがインデクサとクレイヴとの初めての出会いだった。
◆◇◆◇◆
『あ、目覚めた?』
「・・・・」
女性の騎士から受けた重い打撃で意識が飛んでいたようだ。眼が覚めると黒髪の少年、クレイヴが覗き込むようにしてこちらを見降ろしていた。今すぐ殺してやりたい衝動に駆られるが、少年の傍らに立つ女性騎士が腰の剣の柄に手を添えて殺気の籠った瞳で睨みつけていたのでどうにか留まる。
身体を起こして周囲を確認すると、そこは都市の郊外にあるテントの中だった。一目見ただけで分かる豪華な絨毯や大きなタンス、広い大きなベッドが置かれている。インデクサはそのベッドの上でシーツにくるまって寝かされていた。
『喉は乾いてない?どこか痛むところは?』
クレイヴが質問してくる。女性騎士に殴られたところがまだ少し痛むが、インデクサは無言で答えなかった。すると、傍らの女性騎士が素早く剣を抜き、刃をインデクサの首元に押し付けた。
「無礼者!竜王様を無視するとは何たる不敬!その命を以って償え!」
今にも剣を振り切ってインデクサの首を刎ねそうな勢いだったが、またしてもクレイヴが手で制した。
『いいよ。彼女はまだ現状が理解できてないだけだから』
「し、しかし・・・」
『あんな惨状を見て常人がまともでいられるわけないよ』
そう言ってクレイヴはどこか遠くのものを見ているような眼をした。
インデクサは“あんな惨状”という言葉で、血に濡れた両親、同胞達の姿、そして燃え盛る街の光景を思い出した。急激に吐き気が込み上げ、ベッドの上で身体を折った。寒くもないのに身体が震え、瞳の瞳孔が勝手に開く。
「ああ、あ゛ああ゛あ、・・・・ふっ、うう・・・・・」
涙がこぼれ、シーツを濡らす。
不意に頭の上にポンと小さな手が乗せられた。クレイヴだった。少年は泣きじゃくるインデクサの頭を優しく撫で始めた。小さいがとても温かいその手で、今まで我慢してきた感情が溢れだし、テント内に小さな泣き声と嗚咽が響いた。
しばらくして落ち着いたインデクサはベッドの端に座らされていた。クレイヴ達は、女性騎士を一人監視のために残してどこかに行ってしまった。
白と黒を基調とした衣装を身に纏った王城の侍女らしき者達がやって来て、泣き腫らした頬に温かいタオルを当ててくれたり、泥や血で汚れた髪を洗い流したり、衣服の着替え等をしてくれたりした。さっきまで着ていた衣服は持って行かれ、インデクサは今まで見たこともない綺麗な衣装で飾り立てられる。
もちろん侍女の彼女らは人間種だ。自分は吸血種の中でも高貴な一族。人間種ごときに礼を言うのは屈辱以外の何ものでもなかったが、礼儀を知らない無礼者ではない。
「え、えと。ありが、とう・・・」
「いえ、お気になさらないで下さい。私共は私共に与えられた役割を果たしているだけで御座いますから」
そう言って侍女達はテキパキと仕事をこなしてテントを出て行った。すると必然的にインデクサは、監視のために残っている女性騎士と二人きりになってしまった。何とも気まずい空気が2人の間に流れる。
沈黙を破ったのは女性騎士の方だった。
「先程はうちの子が申し訳ありませんでしたわ。あの子は戦姫になったばかりで少し気が立ってますのよ。多めに見ていただけると助かりますわ」
「・・・・」
うちの子、と言うのは先程インデクサの、首筋に剣をあてた女性騎士のことだろう。
“ 戦姫 ”という聞いたことのない単語に反応してしまったが、必要以上に人間種と言葉を交わすつもりのないインデクサは何も答えなかった。聞いていないふりをした。しかし、彼女はインデクサが何も反応しなかったことを気にしないようで、扇子を取り出してパタパタと扇ぎ始める。宝石類や金銀などの貴金属が全く使われていない、真っ黒の扇子だ。
インデクサは横目で彼女を監察した。顔は下ろされたバイザーのせいで見えないが、後ろから長い黒髪が出ている。僅かにロールがかかっているその髪は、手入れが行き届いているようで、とても艶やかで綺麗だ。部分鎧で覆われた体はすらりとしていて、胸の張りや腰のくびれ等が、彼女が美しい女性であることを示していた。インデクサは自分の身体を見降ろして、敗北感を味わった。いや、実力で敵わないのは分かっている。別のところでだ。
彼女は、ため息をついたインデクサを見て、小さく笑った。
「大丈夫ですわよ。貴方みたいな年頃の女の子はまだ成長途中、女を磨くのはこれからですわよ」
「・・・・・」
インデクサは無言で彼女を睨んでみる。しかし、彼女はまた小さく笑って見せた。なんだか腹が立つ。
その時、別の女性騎士が一人テントに入ってきた。インデクサの首筋に剣を押しあてた女性騎士だった。途端に顔が強張る。
「着ろ。竜王様が御呼びだ」
黒い外套を投げ渡され、無理矢理に立たされる。テントの外に出た途端、肌を突き刺すような寒さが襲いかかる。渡された外套を身に纏い、寒さに耐える。この外套、寒さを緩和する術式でも掛けられているようで、身に付けた瞬間寒さが嘘のように遠ざかっていった。
外にはいくつものテントが設置されており、ランプの光がちらほらと煌めいていた。魔術効果を妨害する白銀の鎧を身に付けた兵士達が交代で見張りに立っている。聞こえるのは虫の鳴き声や木々のさざめきだけで、とても静かだ。
2人の女性騎士に前後を挟まれてインデクサは森の中に入って行く。ここは吸血種の都市の周囲に広がっている森だ。家族や同胞達とよく遊んだ場所であり、眼を瞑っていても迷わず動ける場所だ。これなら逃げられるかもしれないと思い逃走ルートを模索していると、前を歩いていた女性騎士が何かを感じ取ったらしく、鋭い瞳で睨みつけてきたので逃走は無理だと判断する。おそらく逃げてもすぐに捕まる。今度は命の保証はない。
インデクサの後ろを歩いている女性騎士を見た。彼女は相変わらず黒い扇子でパタパタと扇いでいる。この寒さの中で扇子なんていらないだろうと思ったが、口にしない。
森を抜けると、そこは吸血種の都市が一望できる崖の上だった。そこに別の2人の女性騎士を引き連れたクレイヴが立っていた。未だ燃え盛る都市を無表情な瞳で眺めている。
『やあ、もう大丈夫かい?』
「・・・だい、じょうぶ、です」
何故か敬語になってしまった。少年の周囲に立つ女性騎士達の無言の威圧を感じ取ったからだろうか。
クレイヴはこちらに向き直ると、笑顔を見せた。少年は一体どうしてそんなに笑顔でいられるのだろうか。その笑顔にただならぬものを感じ思わず少年の顔を凝視してしまう。
と同時に疑念が湧いてくる。どうしてこんな事をしたのか。少年の瞳は吸血種と同じ真紅の色に染まっているが、少年の瞳は心の中を見透かされているようで何故か気持ち悪い。
『物凄く聞きたそうな顔してるね。いいよ、何が聞きたいの?』
「な、何故、あたし達を、吸血種をこんな目に・・・・?」
『ん?もしかしてこれが僕らの仕業だと思ってるの?あっははは』
クレイヴの笑い声は夜に闇に吸い込まれて消えていった。
『心外だなあ。僕らは吸血種の救援のために来たっていうのに』
「・・・え?」
『今大陸中で大規模な戦争が起きているのは知っているよね』
それくらいは知っている。いつも両親や近所の同胞達が話していた。魔力の高い者達が兵士となるべく訓練を重ねていたのを何度も見たことがある。でも、こっちに戦争の火種が飛んでくるのはまだ先だと言われていた。それに、吸血種の領土の周囲には強固な結界が張られている。それが破られたなど到底信じられない話だ。もしそんな事があればすぐに知れ渡るはずだ。
『報告を』
「はっ」
クレイヴの指示を受けて女性騎士の一人が現状を説明する。
「吸血種の結界が破られたのは昨日の正午。魔石を使用した大型魔術兵器数十台を使用しての攻撃で突破。その後、少数精鋭の魔術機動部隊による虐殺と都市の破壊。吸血種の救援を受けた我らが到着した時には既にこの状態で、生存者の捜索にあたっていた訳です。」
「うそ、嘘だ!結界が破られるはずない!それに吸血種がそんな簡単にやられるはずもない!」
吸血種は主に魔術を使用した戦い方をする。その力は絶大で、森精種には劣るが、それでも人間等に負けるはずはない。吸血種一人で、数百人の人間種魔術士を圧倒できる程だ。いくら精鋭と言えど、人間種相手に負ける道理がなかった。
扇子を持っている女性騎士がそれについて説明する。
「《魔力無効化結晶》というものをご存じ?魔力を絞りつくした魔石にちょっと手を加えるとできるものなのですけれど、まあ細かい説明は省きますわ。その結晶を用いた魔力を除去する装置があるんですの。今回使われたのは全部で4つ。都市の周りを囲むようにして設置されていましたわ」
「そ、そんな・・・」
なら、同胞達はろくな抵抗も出来ずに殺されたということか。力が抜けその場にへたり込む。魔術を封じられれば吸血種は運動能力と生命力が若干高いだけで、人間種と大差ない。こちらは魔術が使えず、向こうは使えるという圧倒的不利な状況。なんという卑怯な手段。
歯を食いしばり、地面に爪を立てた拳を握り締める。
『生存者がいないか一生懸命探したんだけどね、残念だけどかろうじて息を保ってた者達ばかりでね。つい先ほど全員息を引き取ったよ』
「ひっく、ひぐ、・・・うう、ううう・・・・・」
また涙が流れ出てくる。
クレイヴは泣き崩れたインデクサを見降ろして聞いた。
『ねえ、憎い?』
「ひっぐ、うぐ・・・・」
『君の両親を、吸血種を滅ぼした奴らが憎い?』
「っぐ、・・・い・・・・憎い!」
インデクサが頷いたのを確認するとクレイヴは先ほどとは打って変わって残忍な笑顔を浮かべた。見ているだけで背筋がぞっとする。
『じゃあ、行くよ』
「どこ、へ・・・?」
『仇打ちだよ』
クレイヴは笑顔で答えた。
その言葉の意味を問う前に、クレイヴは視線をインデクサから外し夜空を見上げた。つられて上を見上げるが、何もない。小さな星が瞬いているだけで何も見えない。だが、次の瞬間空が歪んだ。さっきまで何もなかった夜の空に、何十、何百頭もの飛竜が出現した。神話や、物語の中に登場する最強の生物。
その内、黒い鱗を持つ大きな体躯を持つ飛竜がすぐ傍に着地した。その圧倒的な存在感と、その体躯から無意識の内に流れ出る膨大な量の魔力に気圧される。
『さあ、乗って。君の憎き奴らを倒しに行くよ』
クレイヴの手に引っ張られて黒竜の背に乗る。鱗から命の温かみと鼓動を感じ、思ったより乗り心地は良かった。女性騎士達は別の飛竜の背に飛び乗った。
『それじゃあ行くよ!』
クレイヴの号令と共に黒竜は夜空に向かって咆哮すると勢いよく羽ばたいた。もっと激しいものだと思っていたが、意外と穏やかだ。顔を打つ風もそよ風のようだ。後で聞いてみたが、どうやら飛竜は背に誰かを乗せる時、害が及ばないように防護の術を発動させるそうだ。
インデクサ達を乗せた飛竜達は夜の空を高速で飛翔する。
『奴らは僕らが到着する少し前まであの都市にいたはず。だから今から追いかければまだ追いつくはずだよ。飛竜の飛ぶ速さを舐めちゃいけないよ』
独り言のように呟くと、クレイヴは黒竜に飛ぶ速度を早めさせた。他の飛竜達もそれに追随する。周囲の景色が放射状に後方に流れていき、もう何も見えない。
別の飛竜に乗っている女性騎士の一人が黒竜のすぐ傍まで寄って来て報告する。片手には黒い扇子。テントの中で一方的に話しかけてきた彼女だ。
「竜王様、戌の方角約8キロ先に人間種の生体反応を探知しましたわ」
『うん、多分それだね。全員方向転換、戌の方角に』
指示を受けて飛竜達は方向を変える。
一体どうやって8キロも先の事が分かるのだろうか。森精種じゃあるまいし。人間種とは思えない。生物の頂点に君臨する竜を従え、人間とは思えない強さを持つ。この少年らは一体何者なんだと今更ながら疑問に思う。
だが思考すぐに打ち切られた。遥か前方の彼方に、空を飛ぶ小さな影が見えてきたからだ。飛竜と比べると圧倒的に小さな影。全部で20人程。黒いローブを風にはためかせ、地表に覆い茂る木々に接触するかしないかのギリギリの高度で吸血種の都市から遠ざかるように飛んでいた。吸血種の都市を襲った人間種の魔術機動部隊の奴らだとすぐに判断する。空を飛ぶ魔術は難易度の高い高位魔術に属するもので、並大抵の努力と心構えでは会得できない。
奴らは高速で接近するこちらに気が付いたようで、空中浮遊の術式を維持したまま遠距離攻撃系の魔術を放ってきた。さすがは精鋭と呼ばれるだけのことはある。一度に複数の魔術を行使するにはよほど腕が良くないとできない。火球や氷弾、雷の槍等がいくつも放たれるが、どれとして飛竜の飛翔速度に追いつかず、飛竜が通り過ぎた後の空をきって行く。
『それじゃあ、彼らに教えてあげようか。格の違いってやつを』
「「「「 御意 」」」」
4人の女性騎士が勢いよく飛竜から飛び降り、奴らの頭上に躍り出た。攻撃をうまく避けることもできない空中に飛び出て彼女らは一体何をするつもりだろうか。飛竜に乗ったまま攻撃するのが楽なように思えるが。
奴らの一部が、降下してくる女性騎士達に気が付き、攻撃系魔術を放った。彼女らの身体に炎や氷の槍が突き刺さる光景を見るのが嫌で顔を背けようとしたが、クレイヴが小さく笑って言った。
『大丈夫。彼女らは、“ 戦姫 ”はあの程度でやられたりしない』
クレイヴの言う通り、彼女らに放たれた炎や氷の槍は寸前で防護結界によって阻まれ、霧散した。そしてお返しとばかりと彼女らの周囲に巨大な術式の陣がいくつも構築される。それはもう、一個人で行使できる術の限度を越えていた。
彼女らが放った、何度避けても目標を追い続けるホーミングの術式が組み込まれた攻撃系魔術は空を飛ぶ奴らをことごとく撃墜していった。奴らの張った防護結界を粉砕し、放たれた魔術を吸収して無効化する。
「ぐあっ!何だこいつら!」
「くそっ、魔術が効かない!」
「ごばっ!!」
たった4人で20人もの相手を圧倒していた。反撃を止めて逃げ出す奴らもいたが、飛竜が先回りして退路を塞ぐ。完全に袋の鼠だった。
奴らが降伏するのは時間がかからなかった。部隊の指揮官と思わしき男が降伏を宣言すると、また一人また一人と手を止めて、地表に降りていった。
女性騎士達は手加減して戦っていたようで、死者は出ていなかった。だが、片腕を失った者や、すぐに治療を受けなければ危険な状態にある者ばかりだった。両腕両足を拘束されて地面に転がされる。周囲を飛竜に囲まれて彼らの戦意は喪失している様だ。
黒いローブを脱がされた彼らは皆、白い髪に紅い眼を持っていた。人間種の中でも格別に魔術の扱いが上手いと言われる部族出身の者達のようだ。
『さて、君達が吸血種の都市を襲った人達で合ってるよね?』
クレイヴの問いに、指揮官の男は歯を食いしばって頷いた。
『インデクサ、彼らの処遇は君が決めるといいよ』
「え?」
『彼らは君の同胞を殺した仇だ。煮るなり焼くなり。好きにしたらいいよ』
そう言ってクレイヴは後ろに下がって行った。
インデクサは改めて白い髪の男達を見た。こいつらがお父さんとお母さんを、同胞の皆を殺した奴ら。あたしの大切な物を、場所を全て奪っていった憎い奴ら。
「ああ、・・・あああ、あ゛あ゛あああ゛ああ!!」
ドス黒い憎しみの感情が噴き出した。
彼らの瞳に映った恐怖の色はいつまでも忘れない。
木々が四方に吹き飛ばされ、地面にぽっかりと大きな穴を穿いた。先ほどまでそこに転がっていた男達の身体は跡かたもなく消し飛び、インデクサの発動させた攻撃系魔術は周囲の地形すらも変化させてしまっていた。
「はあ、はあ・・・はっ・・・・」
『気は済んだかい?』
力の使い過ぎで荒い息を繰り返すインデクサにクレイヴが優しく声を掛ける。彼女の心の中を支配していたのは大きな喪失感だった。憎悪と言う感情は無くなったが、それ以上に、全てを失ってしまったという感情の方が強かった。
クレイヴはインデクサの頭に小さな手を置き撫でた。少年に頭を撫でられたのはこれで二度目だ。何とも言えない気恥かしさを覚える。
『さて、君はこれからどうするつもりだい?』
「?」
『これからの人生だよ。戻っても都市はあんなんだし、吸血種は君以外滅びちゃったわけだし。知り合いとかいる?』
知り合いなどいるはずがなかった。吸血種の掟で、一定の年齢と魔術の技術、そして成人の儀式を終えないと領土の外に出てはいけないことになっていた。外の世界に頼れる者などいるわけがない。
クレイヴは少しの間考える風な表情をしたが、すぐに笑顔に戻った。
『君が良ければだけど、僕達と一緒に来ない?』
「え?」
『小さな女の子をこんな所に置いて行くわけにもいかないでしょ。それに救援に遅れた僕達にも非はある。どうだろうか?』
クレイヴはそう言って右手を差し出した。
インデクサはその手を取るべきか逡巡した。
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