005-街の英雄
ゆっくりと眼を開ける。途端に突き刺すような光が目に飛び込み、思わず眼を閉じる。
柔らかく温かい物の上に寝かされている。優しい花の匂いが俺の鼻孔をくすぐる。
おそるおそるもう一度ゆっくりと眼を開ける。上に天井らしきものが見える。木が格子状に組まれ、壁や屋根を支えている。横へと視線を向けると、赤い煉瓦の壁がある。窓から差し込む日の光が暗い部屋を明るくする。
ここは俺のよく知る部屋、幼馴染のシャルの部屋だ。何だ、さっきまでのあれは夢だったのか。洞窟の中、一人で鬼と戦い、美しい少女と出会った。
しかし起きてみればベッドの上。斬り落とされたはずの右腕の感覚もちゃんとある。夢オチでよくあるパターンだ。
がっかりして起きようとするが全身に力が入らない。どういうことだろうか。肩が数センチ上がっただけで、再びベッドに沈む。
どうにか動く左腕で体の状態を調べる。俺は全身が包帯でぐるぐる巻だった。あれは夢じゃなかったのか。
俺の考えを代弁するかのように激しい全身の痛みを感じる。
「くああ・・・・・・」
あれは夢じゃない。本当にあったことだ。いくつかの疑問が思い浮かぶが、俺は全身に力を入れて起き上る。助かったんだ。死神が振るう鎌をすり抜け、帰って来た。
途端に、彼女の事が気になる。会いたい。抱きしめたい。
足を床に付け、立ち上がろうとするが足に激痛が走る。だがこんなもの、彼女に会えるならいくらでも耐えられる。
「・・・は・・・はあ・・・あ」
よろよろと立ち上がり木の扉に向かって歩く。ベッドからの距離はだいたい三メートルぐらいなのだが、もっと長く遠く感じる。
体中のいたるところが悲鳴を上げうずくまりそうになるが、歯を食いしばって足を動かす。
そして扉の取っ手に手をかけ、開ける。
「・・・・・ユリアン・・・」
「・・・ああ、シャル・・・」
扉のすぐ向こうにはシャルが立っていた。手には水の入った桶を抱えている。
俺は構わずシャルの華奢な体に手をまわし、抱きしめる。
「・・・ユリアン・・・・」
ガシャッ
彼女の持っていた桶が手からこぼれ落ち、床を水浸しにする。だがそんなことは気にせず彼女も俺の名を呼び、腕を俺の背中にまわす。
シャルの頬に銀に瞬く涙の粒が伝い落ちる。何かを訴えかけるような瞳で俺をまっすぐに見つめる。
「・・・・心配させないでって言ったでしょ」
「・・・ごめん」
俺の腕の中で小さな嗚咽が聞こえてくる。
「・・・・・おかえり」
「・・・・ただいま」
翌朝。シャルの看病もあってか、なんとか自由に歩き回れるほどには回復していた。
「よお、ユリアン。元気になったようだな」
「はい。おかげさまで」
一階に下りると、グロックさんが朝食を取っていた。
朝飯の献立は、卵の目玉焼きとライ麦パン。そして簡単なサラダだ。どれも簡単な料理だが、野宿が日常茶飯事な俺にとってはかなり贅沢な朝食だ。
席に着き俺の分の朝飯をいただく。
「はあ、シャル。お前の飯が毎日食いたい」
「え、ユリアン・・・・いきなりそんな・・・」
俺の何気ない一言にシャルは顔を赤くする。何を赤くなっているんだろう。俺は思ったことをただ口にしただけなんだが。ん?待てよ、よく考え・・・・・よく考えなくてもこれって結婚を申し込んだことと同じになるんじゃないか?
今度はこっちが恥かしくなる。何か弁解しようとするがいい言葉が見つからない。
「それにしてもユリアン。お前はすごいな。あれだけの鬼を一人で倒してしまうとは」
グロックさんナイス助け舟。話題を変えてくれてありがとう。
「今街中で話題になっているぞ。鬼の大群を倒した街の英雄、ユリアン=フライヒラート」
「はは、そんな大袈裟な」
昨夜グロックさんに聞いた話によると、俺が炭坑の道を塞いだ後、街中から戦える者を集め俺を救出するために動いたらしい。
しかし炭坑を塞ぐ岩を退かし中に入ってみると、そこにあるのはおびただしい数の鬼の死体だけだった。さらに奥へと進むとドーム状の巨大な部屋があり、その中心で俺が倒れていたそうだ。
鬼の死体を数えてみると、その数実に百五体。街の者は一同唖然となったらしい。
村を救い、驚くべき数の鬼を倒した英雄として俺は今街中で噂されている。その証拠に、つい先ほどまでこのアルバーン家の前に街中の若い女衆が俺とお近づきになりたいということで殺到していた。もちろんのごとくシャルが全てを追い返した。
「・・・はあ、可愛い子もいたのに」
「何か言った?」
「何でもございません」
ただ、まだ分からないことはいくつかある。まず俺の右腕が斬り落とされていなかったということだ。あれだけの激しい痛みと、斬り落とされた腕を見た記憶があるのに右腕はしっかりと体についている。
そしてもう一つ。俺が洞窟の奥で出会ったあの少女の姿がどこにもない。グロックさんに聞いても、洞窟には俺一人しかいなかったそうだ。
謎なことがいろいろとある。
「今日は部屋でゆっくりしてるのよ」
「へーい」
朝飯を食い終わると、グロックさんは炭坑へ。俺はシャルに念を押され、こことは別の場所にある俺の家に向かう。
ここはちゃんと彼女のいう通り部屋でおとなしくしていた方がいいだろう。これ以上心配をかけさせる訳にはいかない。
アルバーン家を出ると、早速俺は皆の視線を浴びた。
「やあ、ユリアン君じゃないか。聞いたよ君の活躍は」
「はあ、どうも」
華麗な白いひげを長くのばしたお爺さんに話しかけられる。
「千体の鬼を素手で倒したんだって?」
事実とかなり違うぞ、じいさん。それは間違ったうわさだ。ちゃんと正しい噂を聞いてくれ。尾ひれが付き過ぎだ。
「きゃあ~~、あのユリアン様よ、ほら」
「え、ホント!カッコイイわあ~~」
「私もお近づきになりたい」
外に出てそれほど時間は経っていない。俺のやったことはそれほど街の人々にすごいと思われているらしい。まあ、実際鬼と一人で対峙すること自体すごいのだが、
「あ、あのユリアン様」
「ん?」
不意に後ろから話しかけられる。振り向くと、シャルよりは歳が若いかわいい少女が近くに来ていた。もじもじしていてどことなく引かれる。
「あ、あのこれ。もしよかったら」
差し出されたのは、小さめのバスケットに入ったクッキーだった。
この街の少女が作るクッキーやケーキなどのお菓子はただのお菓子ではない。炭鉱の仕事で、疲れた男達の心を癒すために様々な作用を持つ。たとえば、匂い。こうして匂いを嗅ぐだけで、気持ちが楽になる。
「おう、ありがとう。大事に食べるよ」
俺が笑顔で受け取ると、少女は顔を真っ赤にして走って行った。
今回の活躍で俺は街の者から、様付けで呼ばれることになったらしい。行く先々で敬意を持って呼ばれる。
どうにか自分の家に辿り着いた俺は、久しぶりに見た木の扉を開ける。
長い間放って置いた家だが、ほこりなどはみあたらない。どうしても空き家になってしまう俺の家は、時々シャルが来て掃除をしてくれているらしい。なんとも嬉しい。
貰ったクッキーを何枚かかじり、二階に上がる。換気のため窓を開け放ち、傍にもたれかかる。
「・・・・《剣閃の舞姫》・・・・・・・《リリアス》か・・・」
「御呼びでしょうか我が王」
「うおお!・・・・びっくりした」
記憶に残っているあの少女の名を口にした途端、まさにその少女が俺のすぐ横に実体化した。深々と頭を下げ、膝まで付いている。
ビックリしすぎて窓から落ちそうになるほどかなり危ういところだった。
「き、君は一体何者だ?」