003-孤独
「・・・はぁはぁ・・・・っ・・・」
どれくらい進んだだろうか。本能に任せ、体が感じるままに刀を振るい、ここまで走って来た。視界は未だ暗黒の闇で何も見えない。
いくつもの金色の目玉が、生気を無くして地面に転がっている。その数はおよそ三十体以上。全て俺が倒した鬼の死体だ。
「痛てえ・・・」
左肩と右脇腹に激痛が走る。さっき鬼の爪で切り裂かれた場所だ。どろりとした生温かい液体が滴り落ちる。どのくらいの大きさかは分からないが、怪我の具合は良くない。貧血と、毒を含む瘴気で頭がぐらぐら揺れる。
「くそ・・・・」
痛みでバランスを崩し、炭坑の壁に背中をぶつけ、そのままずるずる崩れ落ちるように座り込む。
詰めていた息を大きく吐き出し、ここがまだ危険な場所であるということを忘れて全身の力を抜く。暗闇での単独戦闘で、体の疲労は限界寸前だ。
俺は座り込んだまま動かない。もう立ち上がる気力もない。
このまま寝てしまおうかと考える。このまま意識を手放せば、この痛みや苦しみから解放される。どうせ助からないんだ。
頭の中を“死”という言葉がぐるぐると渦巻く。これだけ消極的な考えを抱いたのは久しぶりだ。トレジャーハンターとして、鬼と対峙するために体力や精神力には自信があったつもりだが、ここまで体を酷使したことは少ない。罠が多い古代遺跡で、命を落とすほど危険な罠にかかった時よりもつらい。
「・・・・あ、ぐ・・・・がああ・・・」
しかし俺はここで終われない。痛む体を無理やり起こし、立ち上がる。頭の中でちらつくあの約束。あの約束を果たすまでは俺は死ねない。死にたくない。
悲痛の呻きが咽の奥からこぼれ出る。
力の入らない両足を引きずるようにして歩を進める。どこに向かっているのかは分からないが、炭坑の奥に向かっていることは分かる。
「・・・・・あれは・・・」
暗闇の向こうに明りが見える。温かく感じるオレンジ色の光だ。
自然と歩く歩調が速くなる。
あの明りのある場所まで行けば助かる。という根拠のない考えを抱き、必死で向かう。
明りの正体は、油ランプだった。
辺りには投げ出されたつるはしやスコップ、鉱石が半分ほど入った大きなトロッコが転がっていた。
どうやらここが炭坑の一番奥らしい。壁には突き崩されたような穴が開いていた。おそらくこの穴の向こうに鬼が沢山いたのだろう。
思わず安堵の息がこぼれる。今この状況で、明りを手に入れた事はとてもうれしい。これで周囲がよく確認できる。
ランプを手に取り、再び歩を進める。明りを手に入れたことにより、気持ちがだいぶ軽い。
しかし軽くなった心に、体は付いて行かなかった。
「・・・が、がは・・・・げほ・・・」
赤くどろりとした液体が咽の奥から逆流し、吐き出される。瘴気の吸いすぎで体の機能が壊れ始めた。
口の中が血の味で染まる。
やっと生きる道しるべを見つけたというのに、体は言うことを聞かない。
「げほっ・・・・げえ・・・」
血は止まることはない。俺の吐き出した血が直径三十センチほどの血だまりをつくる。
片膝をつき、俺は再び地面に倒れ込む。
「畜生が・・・・」
徐々に体の感覚が薄れていく。瘴気の毒が体中を回り、視界が霞む。冷気が背筋から首へと這い上がり、頭が考えることを停止する。
皮膚感覚、音、光、全てが遠ざかっていき、無慈悲な死神が巨大な鎌を構えて俺を待ち構える。
俺が意識を手放そうとしたその時。
―――― 我が王よ ――――
突然澄んだ声に意識が引き戻された。薄れていった痛みが激痛として再び感じる。
何が起こったのかは分からない。しかし先ほどまで辺りに満ちていた瘴気が、まるで嘘だったかのように晴れている。
「う、が・・・・ぐが・・・・あああ」
口の中に溜まった血を吐き出し、立ち上がろうともがく。いくら辺りの瘴気が消えたからといって、体内の瘴気が浄化される訳ではない。
獣のような声で唸りながら左手を地面につき、ゆっくりと体を持ち上げる。こんなところで死ぬ訳にはいかない。
全身全霊を持って体を起こした。
「・・・は、・・・はあ・・・・は・・・」
ガチャンッ!
大切な高周波刀を落としたことにも気にせず歩く。
突き崩された穴をくぐるとそこにあったのは。
「・・・・・おい、マジかよ・・・・」
地面に残りわずかな木で燃えているたいまつのような物と、燃焼しきったような丸い筒《閃光弾の燃えカス》。そして爪と胴体を切断された鬼の死体が転がっていた。
まだ記憶に新しい。ここは俺が見つけて探索していたあの洞窟だ。まさかこんな所につながるとは。
ここから出口までのルートは記憶している。このまま進めば外に出ることができる。
足を引きずる形で歩を進める。洞窟の出口ではなく奥へと。
さっき聞こえたあの澄んだ声。何故かは分からないが、俺を呼んでいるような気がする。だがあくまでもそんな気がするだけだ。本能に任せて奥へと向かう。
「がるがああ!」
「げるるるるる・・・」
まだ鬼がいたようだ。鋭い牙と爪を振りかざし、金色の目玉をこちらに向け襲いかかってくる。
よろけるようにして攻撃を避けるが、もう眼が鬼のスピードを捉えられない。三撃目はなんとかかわしたが、四撃目は無理だ。
ついに俺の体に鬼の爪が突き刺さる。
ザシュッ
「くあっ・・・・・!」
嫌な音をたてて、俺の右腕の肘から下が切断される。赤い鮮血がほとばしり、激しい痛みが俺を襲う。そのまま体勢を崩し、倒れる。そこへ鬼のもう一撃。
俺が全てをあきらめる度に聞こえてくる、あの澄んだ、頭によく通る声。
――― あなたはここで死んでもよいのですか? ―――
こんな所で死んでいい訳があるか!俺にはまだやり残したことが沢山ある。こんな暗く狭い場所で一生を終えるなんてまっぴらごめんだ。
「うお、おおおおおおお!」
ザンッ!
紙一重で鬼の爪をかわし、俺は駆ける。鬼などに眼もくれず、ただひたすら奥を目指す。
最後の力を振り絞り、跳躍。鬼の攻撃を避け、壁を走る。
これほど必死になったのは初めてだ。この奥に行かなければならないという衝動が俺を突き動かす。
「だあああああああ!」
せまい通路を抜けた先には、広く、巨大なドーム状の部屋が存在していた。冷気を帯びた霧が辺りに立ち込める。
部屋の中心には、見上げるほどの巨大な水晶が地面から突き出ていた。暗い洞窟の中を淡いブルーの光で照らす。
俺は迷わず水晶に向かう。近づくにつれて、水晶の中にある物を発見する。
「・・・・・人・・・」
水晶の中には人がいた。腰まで伸びた漆黒の長い髪。白く、生気のある肌。硬く閉ざされた瞳。そして身をつつむ白と黒のドレス。年齢は俺と同じか、下ぐらい。
言葉を無くし、茫然となる。
少女が水晶の中に閉じ込められている。まるで長い眠りについているかのように穏やかな顔だ。
歩調を緩め、ゆっくりと近づく。こいつか、俺を呼んでいたのは。
半ば倒れこむようにして水晶に触れる。その瞬間、あの声がひときわ大きく響く。
――― ああ、ついに我が王よ。
この時をどれほど待ち望んだことか ―――