油注がれし……(下)
翌日、沐浴して正装した忠三郎は、キリシタン家臣たちと正殿でミサを行い、金冠を拝領した。
天鵞絨の中に、細工が施された白い箱があり、開錠すると、金冠があった。
冠には装飾が施してあり、宝石も幾つか埋め込んである。
さらに、金冠の下には刺繍された薄い布製の封筒があって、これは法王からの手紙であった。
有馬、大友、大村の三氏は聖木の十字架を賜ったと聞く。それが羨ましかった忠三郎だったが、彼は今、金の冠を賜ったのだ。
(パパ聖下が私を認めて、私を選んで下さった……私はデウスの僕。イエズス会の手を借りなくても、直接聖下に従える)
しばらく金冠に見入って感激していた忠三郎は、やがて家臣達の方を見て、決意を口にした。
「……イエズス会が今後も国益のために行動するなら、私も方針を改めなくてはならない」
家臣達はそれはどういう意味かと、忠三郎へ不審の眼差しを向けた。
日本にはこれまでイエズス会しか入ってこなかったから、布教にはイエズス会の力を頼るしかない。だが、実際修道会は他にもあり、日本参入を虎視眈々と狙っている。
(イエズス会には布教だけして頂くよう要請する。聞き入れられなければ、布教だけしてくれる他の修道会を採用する。そして、パパ聖下に認められたこの私は、デウスの名のもとに、秀吉に反旗を翻し、天下をとる!日本がイスパニアになぞ負けない強国であることを世界に知らしめ、しかし、平和的に、世界と手を携えることを宣言し、日本じゅうをデウスに立ち返らせる!)
忠三郎は家臣達に宣言した。
「見よ、パパ聖下から賜った金冠だ。イエズス会はイスパニアの国益に関わっておる故、日本に不都合なこともある。イエズス会には本来の布教にのみ専念して頂く。それが叶わぬなら、対応を改めなくてはならぬ。我等は日本の国益を損じてはならぬ。私は日本を守りつつ、パードレ達のお力を借りて、日本全国をデウスに立ち返らせるつもりだ。私はこの冠により、パパ聖下より正統性を認められた。ロルテス殿をローマに遣わしたは、まさしく聖下からのお墨付きを頂くためであった。このパードレが追放されている日本に、聖下のご威光を後押しに私は立ち上がるであろう」
これで大義名分もできた。
「しかし、殿。イエズス会に逆らって、キリシタン領主たちの支持は得られないかと存じますが」
隼人は忠三郎の野望に否定的だが、そう意見した。確かに、キリシタン領主の団結あってこその忠三郎の天下である。
伴天連に従順でない者を、伴天連ばかりでなくキリシタン大名たちも支持するわけがない。
「確かに。だが、だからこその大義名分なのだ。パパ聖下の周辺からイエズス会の総長にお話し頂ける。私のイエズス会への要求はイスパニアの国益から離れて頂くことだけだ。イスパニア人のパードレからは反発があろうが、本当はパードレ達とて、ただ純粋にデウスを愛し、デウスのためだけに生きたいと願っておられるはず。日本をフェリペ王に献上するためではなく、全日本人の霊魂を救うために、遥かなる旅をしてこられたはずなのだから。そして、フェリペ王にも話をつけにロルテス殿を遣わした。フェリペ王とは友好的な関係でなくてはならぬ。それに、私の意志は既にヴァリにャーノ倪下もご存知だし、ご賛同下さっている」
その後、忠三郎は奥に来て、その金冠を冬姫に見せた。
「大義名分は成った。あとは大名達を引き入れ、機会を窺うのみです」
謀反は余程慎重に進めなければならない。突発的に行っても、明智光秀の二の舞となるだけだ。
これまで、忠三郎は多くの大名達と親しく交わり、信頼と尊敬を得てきている。ヴァリニャーノもオルガンティーノも忠三郎を支持しているし、忠三郎のローマへの使節派遣の理由を知っている上で、応援してくれた。彼等の口利きがあるはずだ。
とはいえ、いざ謀反を持ちかけるとなると、余程気をつけなければならない。誰もが従ってくれるとは限らないし、中には裏切る者も出よう。
「キリシタン領主たちの力が最も頼りとなるところではあるのですが──」
忠三郎は冬姫には不安も隠さない。
彼等は朝鮮からの撤兵を望んでいる。だが、忠三郎は逆に明への侵攻を口にしてしまった。病平癒後、明、果ては台湾等への布教が叶うよう、自分がそこを押さえるつもりだったのだと、伴天連やキリシタン領主へ弁解し、一応の納得は得られたが、本音では忠三郎をどう思っているかわからない。
「ところで、使節たちが襲われました。敵は誰だと思われますか?」
使節団を狙った敵の正体や目的について、冬姫の意見を聞いた。
「単純に金目のものを狙った盗賊か──パパ聖下から賜った物と知ってのことなら、やはり高価なものと睨んだ盗賊か、聖下からの賜物を欲する間違った信奉者でしょうか。忠三郎さまが冠を賜ったことを知って襲ってきたなら、忠三郎さまが天下人となることを望まぬ者。冠は関係ないなら、忠三郎さまとローマの接触を望まない者では?」
「秀吉周辺の可能性は?」
「石田治部様なら。殿下がお命じになったか、石田様ご自身のご意思かは判りかねますが」
石田三成は秀吉の寵臣。三成も秀吉を崇拝している。にもかかわらず、小西行長と共謀して明との和議を押し進めていた。それに、立場上、伴天連を取り締まらなければならないが、実はキリシタンと親しく交わり、受洗さえ望んでいるのではないか。
三成ならば、キリシタン武将の仲介で南蛮人を雇い、使節を襲わせることもできるのではないか。
「なるほど、そうか」
だが、秀吉への忠義心のみでなく、イエズス会の意向をも汲んでの可能性だってあり得るかもしれないと、冬姫はひそかに思った。忠三郎の発病を思い出す。
忠三郎が昨年名護屋で発病したのは、どうも毒が原因らしい。毒であるなら、盛った犯人は誰なのか。
毒を盛られた時期の少し後で、使節が襲われている。
忠三郎に毒を盛った者と使節を襲った者は、同じなのではあるまいか。
忠三郎の発病は、彼が「朝鮮を賜れ、明を討ち果たさん」と秀吉へ大言した直後のことである。
秀吉周辺から、危険だと思われたのかもしれない。あるいは、朝鮮からの撤退を望む者が、忠三郎を恨んでしたことかもしれない。
後者だとすれば、イエズス会の可能性も出てくるのではないか。そして、そのような忠三郎がローマ法王に認められることなど、許せないのではないだろうか。
日本が撤退した後のスペインの動向を気にする思いが、実はあることを、イエズス会は悟ったのではないか。本当にスペインが朝鮮を狙っているなら、忠三郎に核心を突かれた、本音を見抜かれたと、彼を恐れたのではないのか。
「忠三郎さま、マカオにいらっしゃるヴィジタドールとよくお話しになられては?国内のパードレとも、聖下からの賜物についてご相談を。今、高山右近様は洛中の、お隣にいらっしゃいます。高山様を頼られては如何でしょう?」
改易された高山右近は、前田利家に預けられていた。名護屋で秀吉に対面を許されており、近年は好きに移動してよいとの許しも得ている。今は京の前田屋敷にいるというのだ。
もしも忠三郎がイエズス会に憎まれたならば、右近に仲裁を依頼するべきだ。また、イエズス会には金冠のことも話し、忠三郎の野望への協力を依頼する必要がある。もともと彼らは、忠三郎を日本の頂点にと望んでいたのだから、法王の金冠を手にしたことを伝えるべきである。
「そうですね」
忠三郎は頷き、改めて金冠を眺めた。
「冬様は信長公の姫君ゆえ、利用されたりおかしなことに巻き込まれる可能性を案じて、私は御身をパードレ達に近づけませんでした。でも、イエズス会が純粋に布教だけを行うようになったら──私が天下を奪ったら──その時は、御身も洗礼を受けては下さいませぬか?」
冬姫は目を上げて忠三郎を見つめた。
初めて、忠三郎が冬姫にキリシタンになって欲しいと口にした。
本音では常にずっとそう思ってきたのだろう。
だが、冬姫は日本の神や仏を信じる者の動揺を恐れて、決して自らキリシタンになりたいとは口にしなかった。その教えに同意できない部分もあった。それでも忠三郎に望まれれば、キリシタンになっていただろう。
だが、忠三郎はその望みを口にせずにきた。冬姫の心を尊重してのことだろう。
初めてそのことを告げられて、冬姫は驚くほど素直な心になった。不思議と心が癒されるように、一気に満ち足りたのである。
彼女は美しい涙をかすかに浮かべて頷いた。
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京にひっそりと住まうオルガンティーノにとって、頼りとなるのは前田屋敷にいる高山右近である。あまり自由に振る舞えないオルガンティーノにとって、最近ゆゆしき出来事が起きている。
先年、フィリピン総督のもとからペトロ・バプチスタという使節が遣わされたが、この人が京に教会や病院を建て、布教を始めたのである。
バプチスタはフランシスコ会の宣教師であり、イエズス会の今日の有様を好機と捉えていた。
スペイン系に対して、ポルトガル系は思うところある。逆もまた然りだ。
イエズス会へ疑いを抱いている秀吉に、イエズス会を悪口して取り入っている──イエズス会はフランシスコ会をそう見ている。
事実、イエズス会はこれまで他の修道会の日本参入を許さなかった。秀吉は先年のコーボやソリス同様、バプチスタの話に乗ったように見える。
だが、秀吉にはフランシスコ会を優遇する気など全くないであろうことを、オルガンティーノは悟っている。
「布教などもってのほか!殿下の怒りがキリシタンたちに及びます。すぐにやめて下さい」
オルガンティーノはバプチスタに進言したが、新参のフランシスコ会は、秀吉という人間を理解していないのだ。
「イエズス会に殿下はお怒りになったのだ。それで追いやられたからとて、僻んで我等に嫉妬しよるわ」
バプチスタは熱意を持って布教に専念した。フランシスコ会は清貧に基づいている。貿易収入を得ているイエズス会を非難した。
同じ京にいながら、ほとんど活動せずにいるオルガンティーノと。着々と信者を増やして行くバプチスタと。
そして、最近、忠三郎は六右衛門を会津に遣り、代わって小倉作左衛門行隆と坂源次郎を京に呼び寄せた。
作左衛門と源次郎は、何やらそのバプチスタのフランシスコ会の教会にも出入りしているらしい。
目的は不明だが。
また、他の大名は皆イエズス会としか繋がりがないが、忠三郎だけは独自の人脈を持っていて、ローマ法王と知己を得ている。ロルテスは聖ヨハネ騎士団だった。
オルガンティーノはロルテスの友であるし、イタリア人故に、他のイエズス会員たちとは考えも違う。忠三郎に対しては信頼の心しかない。
それだけに不安だ。
忠三郎は時々使者を遣わしてくるし、オルガンティーノとは親しくしている。他のイエズス会の伴天連ともキリシタン武将たちとも、色々やり取りをしているらしい。
だが、オルガンティーノは何事か起こるのではないかとの予感に襲われていた。
フランシスコ会の存在が。忠三郎の行動が。
忠三郎をこそ、天下人にと望んでいるが、今は不安ばかり、そして、それを実行できる現状にない。
いや、忠三郎が自力で秀吉を討って天下人となれば、スペインが日本を武力で制圧しなくとも、日本は手に入る。キリシタンの天下人が立つ日こそ、日本がスペインの属国になり、フェリペ王のものとなる日だ。
しかし、忠三郎には暗殺の手が伸びているとも聞く。フェリペ王の、ヴァリニャーノの狙いに気付いた者が秀吉支持者の中にいるのではないか。
戦で暴れ回っている秀吉にはわかるまい。日本制圧の手段が戦闘ではないこと、布教であることに気付いた者だろう。




