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油注がれし……(上)

 最近、伏見周辺の普請作業のために、全国から多数の諸大名の家臣達が集っていた。武士で溢れる京。こっそりキリシタンになる者も少なくない。

 蒲生家は、以前キリシタンになった者が中心になってローマに赴いていたので、領内にいるキリシタン家臣の人数は、決して多くはなかった。

 だが、最近、忠三郎は会津領内での布教を進めており、小倉作左衛門にそれを任せる他、家臣達の改宗も進めていた。伴天連を追放すると秀吉が怒って以来、ここまで積極的に改宗を進めたことはなかった。

 そうした行動がイエズス会との関係を好転させている。イエズス会の中にも様々な人はあろうが、少なくともオルガンティーノとの関係は良い。


 日本は明とはまだ、和平交渉中である。日本から明皇帝に遣わした使者は、まだまだ帰国できそうにない。

 石田三成と小西行長らは、沈惟敬と共謀して、明が日本に降伏したように装ったが、逆に明皇帝に対しては、日本が降伏したと報告していた。

 その降伏を申し出たはずの日本の使者が、随分な内容の国書を持参したのだ。皇帝は怒って、なかなか交渉は進まない。

 そうした中、一応は休戦ということになっていた朝鮮で、再び戦闘がはじまった。秀吉は全羅道を奪えと言っていた。朝鮮の南部の支配は不可欠だと思ったからである。

 だが、秀吉が忠三郎に対して、その戦闘に加わるよう命じることはなかった。

 朝鮮で戦闘が再開されていた頃、会津からは悲報が届けられていた。

 忠三郎の母・桐の御方が亡くなったのである。

(父上が亡くなった時も戦に出ていた!母上の死に目にも会えなかった!なんて親不孝なんだろう!)

 忠三郎は周囲も憚らず、おんおん泣いた。

 母は会津に埋葬した。蒲生三郎左衛門(後藤千世寿)や上坂左文夫妻に妙心寺派の成願寺を日野から移すよう命じ、菩提寺とすることにした。

 桐の御方の甥の子・三郎左衛門を通じての、加藤清正の妻からの痛々しいお悔やみには、より悲しみが現実の波となって押し寄せてくる。清正の妻は三郎左衛門の従姉妹だが、彼女は今、死の床にあった。

 そのような状態でも遠縁を気にして、寄せられた気遣いに、忠三郎の胸はかきむしられたのだろう。幼い頃に別れた母の、その理由となった後藤賢豊の事件、所謂観音寺騒動が何故か思い出され、その時取った蒲生家の祖父や父と、清正の妻の実家との対応の違いに、胸は忘れていた悲憤に支配されたらしい。

 そんな忠三郎を見て、冬姫は心配になった。この伏見屋敷がよくないのだと思った。

「太閤殿下が伏見にお入りになったら、ここに住まわなければならないでしょう。でも、今は大坂においでですし、関白殿下(秀次)は聚楽第にいらっしゃるのですから、忠三郎さまも今は聚楽第に住まわれる方が宜しいかと存じます」

 忠三郎はそれに同意して、また聚楽第の屋敷に戻った。

 籍姫も父の健康を気にして、毎日隣から押しかけてくる。

「なんだかこれでは嫁にやったのだかわからんではないか」

 相変わらず子供っぽい籍姫が、庭伝いに蒲生邸にやって来るのを、忠三郎は苦笑して見ていた。とはいえ、それで元気を取り戻したのも事実。

「お顔の色も元の通りに戻られました。籍殿のお手柄ですね」

 冬姫もそう言って籍姫に目を細める。

 時々、永姫も籍姫と一緒にやって来るし、冬姫は聚楽第に帰ってきてよかったと思った。

 とはいえ、嫁いだ娘が毎日実家に帰ってくるというのは、どうにも姑殿に申し訳がなく、冬姫もたまに前田屋敷を訪れては、まつの方に詫びていた。

「あら、もとからうちと蒲生屋敷とは一軒の屋敷みたいなものでしたもの、別に良いではありませんか。もともと蒲生家ひっくるめて家族でしたでしょう?」

 まつの方は大らかで朗らかな人なので、冬姫にとっても姉や母のような感覚。籍姫の里帰りを微塵も気にしていないように、ころころ笑っていた。

 本当に有り難い。籍姫は幸せ者だと冬姫は思う。秀吉は冬姫を困らせるお人だが、籍姫の縁談だけは感謝したい。秀吉の斡旋なければ、成らない縁組みであった。

 秀吉にはきっと思惑もあるであろう。忠三郎を危険視して、自分と最も親しい前田家の中に蒲生家を取り込んでしまおうという目論見かもしれない。

 それでも、親しい身内に囲まれる籍姫であるのだから。前田家に嫁がせることができて、よかったのだ。


 親は先に死ぬもの。忠三郎も、いつまでもくよくよしていたわけではない。

 朝鮮での戦闘について、各所から意見を寄せられており、それについて家臣達と議論を繰り広げていた。

「殿、是が非でも戦を止め、和平が成るよう、太閤殿下を説得なさるべきではありますまいか」

 こう言ってくるのは、赤座隼人──蒲生郷安である。彼はキリシタン達と昵懇で、小西行長と親しく交わり、石田三成とも極めて近しい間柄にあった。彼自身、キリシタンである。

 赤座氏もそうだが、川副氏や岡氏など、蒲生家の家臣は近江出身者ばかりだから、同じく近江人である石田三成と親しい者は結構いた。家中に三成と親しい者がいることは、大いに結構なことである。忠三郎はそう思っている。用心を忘れなければ。

「それはもっともだ」

 忠三郎は隼人の言葉に賛同した。その上でこうも言った。

「だが、石田殿は明へは日本が降伏したと偽ったのであろう?降伏した者に、明皇帝が朝鮮半国を割譲してくれるとは思えぬ。恐らく明は、朝鮮からの全軍撤退を強要してくるであろう。苦労して渡海して得た地を、無条件に返還することになる。兵どもの苦労は何だったのか──と、実際渡海した者は、悔しい思いを抱くのではないか」

「そうは言っても、朝鮮へ渡りし兵どもは疲弊しきっております。せめて、和平交渉中だけでも、停戦できぬものでしょうか」

「そうだなあ。交渉中だからこそ、無理攻めして既成事実を作り、明に認めさせようということなのかもしれぬが。今撤兵して、イスパニアや新興の西欧諸国は大丈夫だろうか。この度の朝鮮への出兵により、日本の実力を十分に理解させられただろうか。もはや彼等は日本に手を出そうとは考えないだろうか、と太閤は──」

 秀吉はそう考えているに違いないだろうが、隼人はどう思うのかと聞いた。隼人は、わからないと答える。

「では、パードレ達は明での布教を諦めたと思うか?」

 それにも隼人は首を傾げた。

「パードレ達が不満なのは、太閤の指揮の下、明との戦が行われている点だ。そして、パードレ達は己の王に忠実だ」

 伴天連は王に従い。信徒は伴天連に従う。日本のキリシタンは伴天連の王の僕という構図。

 その図式を変えなければならない。

「我らはデウスの僕だが、フェリペ王の僕であってはならない。パードレ達に従うと、フェリペ王に従わされる。日本人は日本の天下様に従うべきだ。だから、日本人パードレが必要だ」

 鶴千代は司教になりたいと言っていた。さすが我が子よと思う。大司教でも枢機卿でもなればよい。日本人の司祭に従うことで、日本のキリシタンはフェリペ王の僕にならなくて済む。

 ローマ法王の認めた王の下、その王に忠実な日本人伴天連が、日本をカトリック国に変えて行く。

「和議はパードレ達の意向であろうな。されど彼等は明での布教を諦めてはおられまい。イスパニアが明を支配し、その下で布教をなさりたいはずだ。イスパニアに属する日本の支配下ならば、良しとされるだろうが。されど、私は決意している。日本はイスパニアと対等に付き合う。明での布教を許すと言えば、パードレ達とて、朝鮮を諦めるよう、イスパニアを説得して下さるのではないか」

「では、殿はパードレ達に従わぬと?殿下に戦をやめるよう、お諌め下されないのですな?」

「いや、以前諌めたぞ」

 その結果、毒飼いに遭ったようだが。今、話をつけるべき相手は伴天連たちだろう。

「コエリョ様の当初のお望みは日本が攻めて、それをイスパニアに譲ることだったろうが、ヴァリニャーノ倪下は違う。私が明での布教を約束するのだ。納得して下さると思うが」

 そんな約束、天下人でもなければできまい。隼人は主に対して疑惑を持った。


──伴天連の意見に従い、朝鮮から撤退し、二度と大陸に進出しない。そして、秀吉の下、日本国内の安定に努める──


 それが石田三成の意見だ。隼人はそうするべきだと思っている。

 忠三郎はまるで正反対のようだ。

 忠三郎は明や周辺を日本の属国とし、西欧諸国と同等の力を持っていることを見せつけ、その強国・日本の王になろうとしているのではないか。そして、伴天連たちに、己の属民に布教することを許可し、彼等を管理下に置く。

(殿はパードレの意見を聞かないつもりか。いや、殿下にとってかわろうという算段か?)

 隼人は自分の主のこととはいえ、納得できない。だいたい、秀吉は、スペインが日本を攻める可能性を憂え、その予防のために朝鮮を手にしようとしたようだが、スペインにそんな計画などありはするまい。三成もそう思っており、無駄な戦を早く終わらせようとしているのだ。

 忠三郎も当初は、スペインにもルソンにも日本攻撃の予定はないと断言していたではないか。唐入りはならぬとも。何故、いざ日本軍が渡海したら、こうも違うことを言うようになったのか。

 だが、間もなく、隼人には忠三郎の誇大妄想としか思えない、その理由を知ることになる。

 盛夏の頃、蒲生屋敷に山鹿六右衛門と岩上伝右衛門が現れたからである。

 だが、この時二人は一人の小者を伴っているだけであった。顔はげっそり、体も二回りほど小さくなっていた。

「何故六右衛門が岩上と一緒にいる?ローマは?ロルテス殿は?」

 さっそく二人を召し出した忠三郎は、待ちかねていた岩上の帰りに喜ぶ一方、何故か小者と六右衛門だけを連れているという事実に、不安を覚えた。

「二人とも、随分憔悴しきっている。苦労させたな」

 傍らには隼人がいた。

「他の者は何とした?」

 その問いかけに、岩上はばっと平伏して叫んだ。

「申し訳ございませぬ!皆……死にましてございまする!」

 忠三郎は仰天した。

 先年、ヴァリニャーノに頼んで、ロルテスと六右衛門をポルトガル定航船に乗せ、ローマへ派遣していた。ヴァリニャーノとはマカオで別れたが、ロルテスたちはその後も航海を続けていたはずである。

 岩上はロルテスたちの一つ前の使節である。

 その岩上と六右衛門が一緒にいるのはおかしい。

「ゴアで合流致しまして」

 ローマから戻ってきた岩上と、ローマへ向かうロルテスたち。インドのゴアで落ち合えたというのである。

「ところが、ほっとしたのも束の間、イエズス会所有の果樹園で談笑中、何者かに襲撃され、散り散りになりました。ロルテス様には町野殿を付けて、ローマへ向かわせました。されど、その後どうなったかわかりませぬ。ご無事にローマに向かわれたなら宜しいのですが……」

「で、ではロルテス殿の消息は不明だというのだな?」

「我等は三手に分かれました。ロルテス様たちローマに向かった組も、もう一方の組もどうなったかわかりませぬ。ただ、それがしや六右衛門の組は襲われ襲われ、一人減り、二人減りと、次々に命奪われ、さんざん逃げ回った末に襤褸船を手に入れ、扶南(ベトナム)に至りました。船の中でまた一人死にました。その亡骸を扶南に埋め、そこからは明船に乗せてもらい、マカオまで来ることができました。結局生き残ったのは三人だけ。マカオからは日本の商人の船で堺まで参りました」

 岩上はそのように簡単に話したが、襲われた理由もわからぬままの逃亡は、想像を絶するほどの艱難であったはずである。忠三郎はよく三人も生き延びられたものだと思った。

「そうか、よく生きていてくれた、よく──」

「殿、襲われた理由も敵の正体も調べず、おめおめと我等のみ生き残り、申し訳ございませぬ」

 岩上、六右衛門、そろって再び平伏した。

「なんの、敵の正体を調べる余裕もなかったことは察するに余りある」

「はっ、弁解のしようもございませぬ。それでも言い訳させて頂きますのは、パパより下されし金冠を、何としても殿にお届けせねばならなかったからでございます」

 岩上は着物を脱ぎ始めた。肌着のすぐ上に、彼はぎっちりさらしで何かを巻きつけていた。

 六右衛門が手伝ってさらしを解く。やがて天鵞絨の袋が現れた。

 天鵞絨ははじめ綿に包まれ、木箱の中に入っていた。だが、岩上は途中で外側の木箱と綿は捨ててしまい、金冠を自らの体に巻きつけて守り、逃げていたのである。

 六右衛門が岩上の体から天鵞絨を取り外すと、忠三郎の方へ向けて、恭しく置く。

「この中に、麗しい箱が入ってございます。おそらく、その中に金冠があるものかと」

 六右衛門はそう言った。

「パパ聖下が私に下さったものか!」

 忠三郎は、それならば身を清め、正装してから拝領しようと言った。

 本来ならば、伴天連を呼んで、盛大に拝領のための典礼を行うべきだが、ミサなど堂々と行える時世ではない。家中のキリシタンを集め、ささやかに拝領の儀を執り行うにとどめることにした。

 松ヶ島や松坂にいた頃は、バテレン追放令ばかりでなく、伊勢神宮のお膝元ということもあって、広く布教にあたることはできなかった。だが、会津に移され、ようやくキリシタン領主として振る舞えるようになった。キリスト教未踏の地でもあり、会津入封直後から布教に意欲を燃やしていたが、その甲斐あって、受洗する家臣が増えた。


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