表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/119

花見と温泉

 数日、長旅の疲れを癒し、ゆっくり過ごした後、大坂へ向かい、忠三郎は秀吉の供の人数に加わって、吉野へ旅立った。この吉野での花見は、思いも寄らず素晴らしく癒やされ、気分転換にもなった。

 古来より吉野は花見の名所。全山に桜が咲き、まるで山に雲がたなびくようにも、霞がかかっているようにも見える。

 遠くから山全体を眺めるのも素晴らしい。だが、その桜の群だちの中に入ってしまっても、夢路に迷い込んだようだ。

 どの顔も穏やかに笑っている。忠三郎も陶然と微笑を浮かべていた。

 花垂れ下がる枝を間近に見たり、姿のよい木を少し離れた所から眺めたり。また、花を下から空と一緒に眺めると、より美しいと感じる。

(花筏だ)

 空の青と白い花。まるで天空の水面にたゆたう花筏を、水底から見上げているような。

(可愛いな……)

 花びらはきれい。可愛いと忠三郎は思う。

 木は一本一本違う。花の色も形も。それぞれに個性を持っている。

 花の中を歩くうち、一際白く輝く一本を見つけた。

 天空から雲が降ってきて、この木を被ったか。春風に吹き飛ばされた残雪がこの木に宿ったか。それほど白く、日に輝いて眩しい。

 そういえばと、不意に、昔自分で詠んだ歌が脳裏によみがえった。


雪か雲かとばかり見せて山風の

花に吹き立つ春の夕暮


 忠三郎は目を細め、その木に寄った。

 花弁は溜め息が出るほど完璧な造形をしていた。理由もなくつい触れると、忠三郎の指に花粉を付けて、花びらはさらっと散ってしまった。

(おっといけない!)

 力が強過ぎたか。

 その時、やわらかな風が微かに吹いて、花びらを数枚ふわりと舞わせた。

 頬の皮膚に笑いが浮かんでくる。

(なるほど、同じだ)

 ふふっと一人、笑ってしまった。

(風の恋だな)

 冬姫の色っぽい言葉を思う。

「そなたは、触らないで、ただ見ていてと訴えているのか?」

 花に話しかけ、ふうっと息を吹きかけた。はらりと一枚散っていく。

「そなたがあまりにも美しいから、風も我慢できずに触ってしまったのだよ。恋をして、見ているだけでは堪えられないのが風の性というものだ」

 男というもの──好きなものには触れずにいられない。短絡的な性。花は儚くなってしまうのに。

 美しいがために魅入られて散らされる。優れたものほど散り急ぐのはそのためか。


 吉野から京へ帰ると、忠三郎は、

「籍は馴染めたのかな?」

と、嫁いだ籍姫はもう新しい生活に慣れたかと、心配を口にした。

「ええ、前田家の皆様はとても良くして下さっていますから」

 冬姫は朗らかに答えた。

 実は忠三郎が会津に行っている間に、籍姫は隣の気安さもあって、何度か蒲生家に来訪していたが、正月を過ぎた頃、一度、蒲生家と前田家との違いに軽い戸惑いを見せたことがある。

 前田利政のもとへ、正月の挨拶に来た家臣達への手土産を、蒲生家から籍姫に付けた老女達が用意しておいたのだが、籍姫はそれを手渡せる状態にして、一つ一つに会津の起き上がり小法師を添えた上で、並べておいた。夫の利政は、

「そなたが用意したものなのに、何故自分の手から家臣達へ直接渡さないのか。我が家では母上や姉上達が、何でも自分の手でやる」

と言って、籍姫に家臣一人一人へ配らせたのだという。

「母上はいつも、支度だけしておいて、家臣達に直接手渡すのは、父上でしょう」

 前田家で冬姫のやり方をしたら、家風の違いに戸惑ったというのだ。

「それで、ご家中の籍殿への評判は良くなったのではありませんか?」

「評判は知り得ないけど、皆喜んで、親しんでくれました。起き上がり小法師が良かったのかしら?」

「嫁いだばかりの籍殿に、初めて年始の挨拶に来た家臣の方々は、興味津々でしょうし、不安もあったかもしれません。籍殿が自ら土産を用意して、手ずから渡したら、ご家中の評判は良くなったはずです。前田家は、籍殿や籍殿を育んだ蒲生家に、気を使って下さったのですよ。有難い御家ですね」

 利政の、籍姫への気配りなのだと、良い夫君で良かったと冬姫は喜んでみせた。それで、戸惑い、少し悩みさえした籍姫は安心した。

「このような些細なことで、父上を煩わせてはなりません。父上にはこのお話はなさらないように」

 冬姫はそう言ったが、籍姫は、父の家臣からの評価を上げるために、母はいつも用意だけしているのだろうかと思った。確かに、忠三郎の気配り、思いやりに、家臣達はいつも感謝している。

 そのようなこともあったが、それだけに籍姫は前田家で大事にされている証拠であるし、冬姫は忠三郎に、案じることは何もないと言った。

 忠三郎は安堵し、己の役目に集中する。彼はまた休む暇もなく準備にかかった。

 秀吉は今、伏見に城を築いている。そのため、蒲生家もその地へ屋敷を建てねばらならかった。

 伏見城はまだ完成していないが、蒲生屋敷はできつつある。そこへ秀吉がやって来るというのである。

 至急完成させて、御成の支度を整えなくてはならない。

「本当にお忙しいこと……」

 このままでは使い殺されてしまう。冬姫は日々駆け回る忠三郎を心配した。

 その一方で、ここまで動けるようになったことが嬉しい。一年前に下血したとは思えない。

 毒素は完全に体外に排出されただろうか。それだけが気掛かりだ。


 顔色もよく、元気な忠三郎が、久しぶりにくすんだ色を見せたのは、夏になってからのことであった。

「伏見屋敷に太閤を迎えなければならないが……その、冬さまにもご同席頂かなければならなくなったのです」

「私が表に出て行くのですか」

 とはいえ、天下人のお渡りともなれば、臣下の妻も出迎え、もてなさなければならないだろう。

「かしこまりました」

 冬姫は快諾した。だが、忠三郎の顔色が冴えない。

「どうかなさったのですか?」

 まさか具合が悪いのかと慌てたが、忠三郎は何でもないと首を振った。

「三条殿(とら姫)もお越しとのことです」

「それは楽しみですね。それなのに、どうしてそんなに暗いお顔なのです?」

「……」

 何とも言いようがない。

(秀吉め、何故急に冬さまを思い出したのだ?)

 近年、秀吉には子が二人できただけに、子に夢中で、またその母の茶々を寵愛しており、冬姫からは気が逸れていたと思っていたのに。

 忠三郎は冬姫を聚楽第から嫌々連れ出し、伏見に移った。

 そして、秀吉が三条殿と共にそこを訪れた。蒲生家では豪勢な饗応をしなくてはならず、前々からの準備も含めて大変だったが、特に当日はてんやわんや。裏では特に戦のようだ。

 表では華やかに、整然と秀吉を迎える。

 冬姫も忠三郎の後ろに控えて迎えたが、上機嫌でやってきた秀吉は、彼女の姿を見た途端、愕然とし、そのまま陶然と無遠慮に見つめ続けた。

 忠三郎や三条殿だけではない。さすがに、蒲生家の家臣達も異変を感じ、こそこそと目配せし合っている。

 冬姫も何事かと思った。

(まずい!家臣達にも気付かれたぞ!)

 忠三郎は冬姫を思い、秀吉の気を逸らそうと、自慢の庭木の話題でも振ろうとしたところ、秀吉は冬姫目掛けて歩み寄り、目の前で膝をついた。

「はああ、何と、冬姫さま、少しもお変わりなく……いいや、さらにお美しく艶やかであらせられる……お若いですなあ、お子をお産みになって、ますます嫋やかに、お綺麗になられて。いったいお幾つになられたのですか?」

 容色は衰えるどころか、色香が増し、十代の頃よりも、さらに秀吉の好みになっている。それに、二十歳前後にしか見えない。若さをそのままに、そこに艶やかさだけを加えたように見えた。

「……それがしより五つ下でござる」

 秀吉の供廻りや蒲生家の者達も多数いる中、女性の年齢を言うのも憚られ、忠三郎はそう答えた。

「えっ、左様か?いやお若い。姫さまは不老不死の天女さまか?十七、八とも見えるぞ」

 さすがにそれはないだろうと、冗談だと思って冬姫は笑って答えた。

「それが誠でございましたら、私は余程長生きするのでございましょう。常人の二倍、百まで生きるかと存じます」

 いくら老けないとはいえ、百にもなったら老婆だろう。

「ひゃひゃ、姫さまは面白い。なるほど、だから普通より老いるのに二倍の時を要するのですな。とはいえ百を越えたら、さすがに皺もありましょうなあ」

 それは困るなあと秀吉は笑って、

「のう、忠殿」

と、忠三郎に同意を求めた。

「……は」

「だそうじゃ、姫さま。忠殿は姫さまが若くないと嫌じゃとよ」

「まあ、では早く死ぬことに致します」

 冬姫は莞爾と答えた。

「わしゃ別に見た目なんぞ、どうだって構わんがのう。醜い醜い醜いと、醜いとしか言われたことのないわしに、初めて勇気を下されたお方じゃからのう、冬姫さまは」

 六指を褒めて慰めた幼かった姫は、大人の女性になって、今も秀吉を魅了する。

「忠殿は若い美女でなきゃお嫌だそうじゃから、長生きして皺が出てきたら、わしの所へおいでませ。わしが面倒見てあげましょ」

 忠三郎も三条殿も、そして秀吉の供も蒲生家の者も、凍り付いた。

 冬姫もはっとした。秀吉の瞳を見つめ、青ざめる。

 秀吉が冬姫を狙っているという噂は、この時から広まった。そして、冬姫自身も秀吉の邪心に気付いたのだった。


 そのしばらく後で、体調のすぐれない秀吉は、有馬湯山温泉で湯治した。供を命じられた忠三郎も、前田利家等と一緒に、数日湯治生活を送った。

 その間、とら姫や本願寺准如とやりとりをしており、秀吉もいたことなので、単純に湯治や遊びとは言えない。湯は気持ち良いが、正直心からはくつろげなかった。

 ただ、短期間での会津との往復、吉野への花見と、長距離移動が続いたので、有馬までの移動は疲れはしたものの、湯は彼の身体に良く効いた。

 また、時間もあったので、前田利家とはじっくり話もできた。

 利家の嫡男・利長(利勝)は忠三郎と相婿だったが、数ヶ月前からはそれだけの関係ではない。利家鍾愛の次男・利政は忠三郎の娘婿となったばかりだ。

 利長と利政は歳が離れていて、同母兄弟とはいっても、共に遊んだ仲ではない。利家は自分そっくりな質の利政が可愛くてならず、子のない利長にこのまま男子が生まれなければ、利政を利長の養嗣子にして、前田家を継がせたいと考えるようになっていた。

 何より舅に、忠三郎を持つことになった。蒲生氏郷というこの上なく強大な後ろ楯がある利政なればと、ますます利家はそう思う。

 これまで、弟のような、息子のような存在だった忠三郎が、我が子の舅となった。互いの息子、娘の舅同士として、これまで以上に親しく語り合った一時であった。

 忠三郎も安心しきって利家に籍姫を頼んだ。

 心身すっかり快復して、京の冬姫のもとに帰ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ