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鶴ヶ城へ

 籍姫が隣に嫁いだのは、この同じ秋のことである。

 晩稲で子供っぽい籍姫は、十歳前後にしか見えない、やたら可憐な花嫁だった。

 籍姫の婚礼を見届けると、忠三郎は数日、演能漬けの日々を送り、その後ですぐに会津へ向かった。冬姫は長旅を心配したが、どうしても完成した城を見たいという彼の気持ちと、何より母の身を強く案じて不安になっている彼の心を思うと、反対できなかった。

 それに、忠三郎はすっかり元気になっていた。

 籍姫の婚礼から数日後、他の武将と共に演能しているし、翌々日には禁中での御能でも『鵜飼』のシテを見事に務めるほどの、体調の良さであった。天候が悪くなければ、『鵜羽』も演じる予定だったが、神武天皇の父君御誕生に纏わる話で、かつて上演中に将軍足利義教が暗殺されたという曲でもあるからか、天は雨を降らせて中止にさせたらしい。

 ともかく、冬姫の目にも全快したことは間違いなしと映る忠三郎が、会津に着いたのは、十一月二十四日のこと。三度目の帰国である。

 七層の金瓦の天守が、天に向かってそびえ立っていた。

 漆黒に金銀を散りばめた天守は、雪景色に映える。忠三郎は感無量だった。

 バベルの塔ではないが、やたら天空に近付こうと思うのは、人類共通の心理なのか。忠三郎は最上階の遥か彼方、雲の上のさらに上、天空の果ての神を見上げた。

 会津黒川を、故郷の日野の馬見岡綿向神社の若松の杜から名をとって、若松と改名した彼。

 この新しい城を、鶴ヶ城と呼んだ。

 鶴とは、鶴千代の鶴。すなわち忠三郎の幼名に因む。また、蒲生家の家紋は対い鶴(蒲生対い鶴)。それもあっての名である。

 城下町は楽市楽座の効果あってか、商人達で賑わい、日野や松坂の商人が定住していた。また、産業も盛んで、松坂と変わらない城下町の発展に、忠三郎は満足した。

 ただ、気掛かりもある。母と家臣達だ。

 母と再会した瞬間はぎょっとした。

(まさか!)

 最悪の言葉が頭をよぎったほど、母は痩せ細り、老け込み、顔は黒ずんでいた。三帰りの翁の秘薬の力を借りない限り、母の死期は迫っている。

(いや、きっと治る!)

 回復を無理に頭に信じ込ませる。

 だが、母の方も忠三郎を気にしていた。

「血を吐いたと聞きましたよ。よく養生なさい。そなたはまだ三十路。若いのに、この老いぼれを不安にさせないで。ずっと鶴千代殿の側にいておやりなさい。そなたは私のようになっては駄目」

 幼い忠三郎を置いて、実家で暮らした歳月を悔やんでいるらしかった。忠三郎も孝行したい。それなのに、病身の母に心配させるようでは──。

 そして、もう一つの気掛かりは家臣達である。

 彼等は忠三郎のために生きているのではなかった。

(目的は知行か。私の夢のために盛り立ててくれるのではない。蒲生家が大きくなれば、知行が増える。自分が裕福な暮らしをしたいだけなのだ。私はいつから魅力的な主でなくなったのだろう?)

 それでも、家臣達は己の利益は二の次、忠三郎のために生きてくれなくてはならない。そうしなければならない。

 家臣の中には色々な経歴の者がいる。

 日野時代から苦楽を共にしてきた者。忠三郎と親族である者。

 六角氏の家臣時代の同僚だった者。もとは浅井や柴田の家臣だった者。

 最近になって召し抱えた者の中には、各大名の間を渡り歩いてきた者や、もとは領主であったり、その親族や家臣であった者もいる。逆にどこの馬の骨かわからぬ者も少なくない。

 彼等の中には、かつての主を忘れられない者もいるであろう。

 また、熱心なキリシタンもいれば、キリシタンに否定的な者もいる。秀吉周辺と近しい者もいれば、その真逆もいる。

 それだけに、非常に複雑な人間関係を形成している。

 彼等の中には、忠三郎に叛意さえ持つ者もいるかもしれない。下手なことを口にして、秀吉辺りにでも密告されようものなら、破滅だ。

 忠三郎は、だから、自分の本心を、野望を、夢を、大志を、これまで彼等の前で話したことはなかった。だが、それで彼等とちゃんと向き合っているといえるだろうか。

(恐れてはいけない。私が彼等に僅かばかりでも疑いを持っているから、彼等も私について来ないのだ。私の方から信じないで、彼等が信じてくれようか。デウスが全ての人間と一対一であるように──)

 忠三郎は家臣一人一人を茶室に招くようになった。今更風呂に入れてやるというのも白々しい気がして──。「蒲生風呂」はあまりにも有名になり過ぎた。

 茶室の中では相手への真心を点てる。偽りのない、忠三郎の心を、全身全霊で。

「どう思われるか?」

 そんな己の行動について、忠三郎は少庵に意見を求めることもあった。

 千少庵は利休の嗣子である。利休の後妻の連れ子で、利休とは父子関係にはない。だが、利休は己の養子とし、さらに己の娘と結婚させていた。

 利休は秀吉によって切腹させられたが、忠三郎は少庵を会津で預かっている。少庵は茶室・麟閣を作っていた。

「宜しゅうございます」

 少庵は父・利休同様、政治的なことにまで、忠三郎の相談に乗ってくれていた。

「私も、ご家中の方々をここに招きましょう」

 麟閣で口添えしようと言ってくれる、その心が忠三郎には有難かった。

 忠三郎は時間の許す限り、家臣達と向き合った。小倉作左衛門行隆には、

「私は知っての通りキリシタンだ。デウスを信じ、そのみ恵みによって生かされている。人を殺すなとデウスは命じておられる。だが、今はこの有り様だ。私はこの殺伐とした世はデウスによってしか救われないと思っている。己と同じように全ての人を大切にせよというこの教えこそが、この世を救う。私はデウスによって会津も、そして、日本も救いたいのだ」

と、日本をキリスト教国にしたいという夢を語った。

「だが、それは前途多難。無理に押し進めようとすれば、必ず反発を招き、神仏を信じる者と戦になるだろう。また、太閤に逆らうことにもなる。だから、無理には進めぬ。ゆっくりと、時間をかける」

 熱心なキリシタンには我慢ならないことかもしれないが、説得に努める。また、寺社をキリスト教に立ち返らせるのにも時間がかかる。立ち返らせるのだから、破壊してはならないと言った。

「だからと言って、イスパニアの属国になるつもりはない。我等は彼等の奴卑になってはならぬ」

 秀吉の朝鮮出兵によって、日本は討ち果たせないほど強大な国だと、スペインにもわかっただろう。そんなことを、岡左内などには言った。

「名目上、イスパニアが兄、日本が弟となるくらいは構わぬ。だが、イスパニアが主、日本が奴であってはならぬのだ。そのため、イスパニアの機嫌を損ねてはならぬ。故にローマに仲介役になって頂く」

 忠三郎は大言壮語の理由も、矛盾するようにキリシタンであることもこのように説明した。

「パードレ達の追放を、撤回にまで持っていかなくてはならない。私のなすべき使命はそれだと思っている」

 秀吉が天下人であるがために、スペインとの関係が最悪なものとなるならば、秀吉が日本にキリスト教が広まることを阻止し続けるならば、自分がやらねばならぬ。それが神が自分に与えた使命だ、と──。

「私は信長公の婿ゆえにだ」

 こう話した時、坂源次郎はやや眉をしかめた。

「殿はもしや、天下をとろうと思っておられますか?」

 イエズス会が、ヴァリニャーノが、今最も期待しているのが忠三郎である。忠三郎を天下人にしたいと願っているし、可能な限り、手を貸すつもりでいるようだ。

 しかし、源次郎は反対した。

「なりませぬ。殿下がどうして三七様にあそこまで徹底なされたのか、よくお考え下さい。三七様だけでなく、母君や姫君まで殺した、徹底した主殺し。あれは異様、異常でございました。あそこまでなさったのは、三七様にイエズス会が次の天下人と狙いを定めたからです。殿もキリシタン。殿が天下を目指せば、必ず殺されます。殿下はイエズス会を、その背後にあるイスパニアを恐れておられるのです」

 そうだろうかと忠三郎は思った。秀吉は朝廷との関係を重んじてきた。三七信孝は吉野朝(南朝)の津島十五党と近かったことが関係あるのではないか。その母まで殺されたのは、その母こそ津島四家の血を引いているからではないのか。

「そなたは三七様を通して、ヴァリニャーノ猊下と親しいようだが──あの頃、イエズス会は急に三七様と距離を置いた。何故だ?三七様を天下人にしようという意志は感じられなかった」

「……キリシタンの天下人が立った時こそ、日本がポルトガルに討ち果たされる時、日本がポルトガルの副王の国になる時と、三七様もお気づきになったからではございますまいか。イエズス会はそれを敏感に感じ取った。されど、殿下はそれにお気づきではなく、イスパニアは三七様に期待しているものと思っておられたのでは。それがしは、ヴァリニャーノ様に近づきました。ヴァリニャーノ様の殿へのご期待、よく存じております。それがしは、殿を三七様のような御目に遭わせたくないのです!」

 キリシタンの天下人が立てば、戦闘無しに日本を討ち果たすことができると、イエズス会は考えているのではないか。源次郎はそう思うのだ。


 赤座隼人と上坂左文は合戦寸前の大喧嘩をしたが、家臣たちはそれぞれに味方して、二分されていた。それを上手く纏める必要もあり、忠三郎は善処に努めた。

 だが、忠三郎には余りにも時間がなかった。彼はとんぼ返りで上洛しなくてはならない。家臣との時間をあまり持つことできず、病篤い母へ孝行する時間もなく、彼はすぐまた会津を発った。

 会津の領主となって三年半。しかし、この三年半で合わせて半年しか会津に滞在していない。

 新しい家臣達とも、どれほど分かり合えたかわからない。

(まだまだだ。今度の帰国の折こそ──そして、我が大志を!)

 病に倒れたことによって、朝鮮には行けなくなった。これは、彼の大志のためには良いことだったのか。悪いことだったのか。

 世界に飛び出すことはなくなり、会津に閉じ込められることになった。

(いかにして日本を守る?いかにして秀吉に謀反する?)

 鶴ヶ城の天守を振り返って見た。

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