和議(上)
一ヶ月にも満たない文禄元年はあっという間に明け、翌文禄二年(1593)。
秀吉も名護屋に戻ってきた。
日本の軍勢は朝鮮で目覚ましい勝利を重ねながらも、極度の寒さと兵站不足から、大量の死者を出していた。一方の名護屋では特にすることもなく、所在ない日々が続く。
忠三郎の陣中に、来客があった。親族である。
親族の小倉作左衛門行隆(行春)は熱心なキリシタンで、その人脈で、忠三郎は身内を志岐にいるジョヴァンニ・ニッコロに預けていた。その者が訪ねてきたのだ。
ニッコロは伊留満で、画家でもあった。
そこで絵を学んでいる者が、休暇でも与えられたのだろうか。それとも、ニッコロの、或いはイエズス会の使いなのかもしれない。
その場に通すと、大きな丸顔の青年が現れた。貞秀という。青年になりかけの、未だ少年とも呼べそうな彼は、一時、忠三郎が養嗣子にと考えていた養弟だ。
本能寺の変直後、日野で籠城した時、信雄に援軍を頼もうとして、幼かった彼を人質に出そうとしたこともあった。結局、籍姫が人質となったので、貞秀は信雄のもとには出さなかったが、鶴千代に万一のことがあった時のためにと、備えに養っていたのでもある。だが、今はこうしてキリスト教の中に身を置かせて、修行させているのだ。
この青年、いや少年は以前、ルソンの日本人居留地はじめ、東南アジア諸国を巡ってきたことがある。なかなかの情報通となったが、絵に親しみ、あまり武将らしさを持たない質に育った。
もはや鶴千代の身に何かあったとしても、家督にかかわらせることはないだろう。
「今日はセスペデス様からの伝言で。しばらく休暇をやると言われて参りました」
と、貞秀は一親族、一家臣のように挨拶する。
今回の朝鮮への出兵。実はこの後、キリシタン武将に付いて、伴天連も渡海して朝鮮に上陸することになる。グレゴリオ・デ・セスペデスなど、朝鮮に渡った人々からの情報は、日本のイエズス会のみでなく、マカオのヴァリニャーノなどからも大変重宝されることになるのだ。今まで知ることのなかった朝鮮の情報であるから。
だが、現時点でも、伴天連たちはキリシタン武将達へ、後方で指示を出し、彼等からの相談にも乗っていた。朝鮮にいるキリシタン武将達は、日本にいる伴天連達と連絡を取り合っていたのである。当然、朝鮮の戦況など、様々な情報がイエズス会のもとにもたらされていた。
ニッコロのもとへも何らかの情報が、いや、情報をもとに上の者達が決めた命令が届いているのであろう。
朝鮮への先鋒は小西行長と加藤清正が務めていた。特に行長は一番隊である。清正は二番隊だった。
一番隊の行長はキリシタンである。一番隊は、他にも、宗義智や有馬晴信、大村喜前などのキリシタンが多い。
秀吉の方針、命令に忠実な清正とは異なり、行長は開戦当初から、しきりに朝鮮側に対して降伏を促していた。現在までずっと、清正と競い合って目覚ましい勝利を重ねながらも、しばしば朝鮮側に和議をもちかけている。
これは行長一人の考えではなく、一番隊の武将達の考えであるのだろう。イエズス会の助言があるのかもしれない。ともかく、行長は時に清正が秀吉の意を実行するのを邪魔するかのように、先んじて行動してきた。
ただ、行長と清正が競い合った結果でもあろう、日本軍は朝鮮での戦闘を有利に進めていた。
朝鮮が攻められたというので、明が参戦してきたが、それでも日本軍は強く、敗れた戦闘もありはしたが、戦闘そのものでは深刻なことはあまり起きていなかった。
問題は朝鮮水軍に敗れて兵糧の補給が難しくなったことだ。また、厳しい寒さと病のため、多数の死者を出した。それで、逃亡してしまう兵も少なくなく、兵は当初の三分の二ないし半数にまで減っているという。
「このような状況で、なお戦闘に及ぶは不可能。また、明の方でも、日本には勝てぬと、戦闘意欲をなくしているというのです。そこで、小西アゴスチーノ殿が密かな計画を──」
アゴスチーノとは行長のことである。
「計画とな。それを私に伝えよと、そなたが遣わされたわけよな?」
忠三郎は急に貞秀が休暇を与えられた理由を察した。行長の計画とやらには、イエズス会の意向が存在するであろう。貞秀は頷き、
「小西アゴスチーノ殿は、これまでにも何度も明との間に休戦、和議を持ちかけてこられました。明は応じつつも、実は休戦している間に、次の攻撃の準備をするという有り様。しかれども、この度ばかりは誠にございまする」
とにかく、朝鮮に行かされている兵は皆、この戦が嫌でたまらない。戦を止め、即時撤退したかったのは行長だけではないのだ。軍奉行の石田三成らも、明との和議には賛成なのである。
明側としても、日本には穏便に帰国してもらいたい。
明の沈惟敬は、今度こそ本当に行長に和議を求めてきた。それに行長も三成も乗った。
そこで日本軍と明軍との間で談合に及び、沈惟敬から名護屋の秀吉のもとへ、使節を派遣することになったのである。
「ただ問題は、この明軍との和議が、明皇帝の預かり知らぬ事だということです」
秀吉も知らぬ事である。
「正式な和議ではないということだな」
明から持ちかけた和議ならば、明皇帝の指示でなくてはならない。又、日本から持ちかけたものならば、当然秀吉の指示でなくてはならない。
「左様です。つまり、戦に辟易した現地の敵と味方とが、現地で勝手に戦をやめようと共謀したということです」
「それはいかん。発覚したら、死罪だ」
「ですが、この和議、是が非でも成立させんと、既に使節が名護屋に向かっておりまする。己一人、死罪になるくらい厭わぬと、石田殿達が──」
「では、和議は明皇帝の指示だと偽り、太閤に和議に応じさせるわけよな?応じれば、和議は偽りから誠に変わる。今度は和議は日本の意志として、正式に明皇帝に申し入れが叶うということか」
忠三郎は、現地で勝手に、強引に終戦に持っていこうとするほどの、現地の窮状を思った。やはり、当初忠三郎が危惧していた通りになった。この遠征は失敗に終わり、途中で撤兵することになるのだろう。
「それで、私に小西殿らの計画を後押しせよというのだな?」
イエズス会が貞秀を送ってきた理由が判明した。
「御意。これ以上、明人、朝鮮人を殺してはなりませぬ。戦はならないのです」
石田三成は小西行長は、いや、イエズス会は、朝鮮から撤兵するよう秀吉に進言してくれと、忠三郎へ依頼してきたわけである。




