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手鞠の王

 忠三郎は忠三郎で、秀吉に殺意さえ抱きながら上洛したのだが、家族と再会すると、それも忘れたように生ぬるくなる。

「今度こそは長くいらっしゃるのでしょうね?」

 つい本音を漏らしてしまった冬姫にも笑顔だ。言ってはならないことなのにと、冬姫は俯いてしまったが、忠三郎は心底喜び、

「嬉しい。そう思ってもらえることが、男にとっては何より幸せなのです」

 立派な賢婦人より、可愛い恋人が欲しいもの。本音では側にいて欲しいと思い願ってくれている冬姫が可愛い。

 相変わらず娘たちも甘えん坊なので、忠三郎はすっかり角が取れ、秀吉の面前でも野望は顔を覗かせなかった。

 その日、秀吉は蒲生家と南部家の縁組みを許可した。

 先頃、九戸の謀反に悩まされた南部信直は、秀吉の手を借りて、これを鎮めることができた。この時、やたら強かったのが忠三郎だ。

 南部家は忠三郎にすっかり世話になったという思いから、頭が上がらない。忠三郎は城の再建にまで介入するほどで、さらに蒲生家から娘を南部家に入れる。

 秀吉の御前から退出して帰宅すると、冬姫は縫い物をしていた。

「会津は寒いでしょう?母上様に」

 分厚い綿入。忠三郎は喜んだ。

「それは有難い!次は於武に作ってやって下さい。会津より寒そうだから」

「え?」

「於武を南部殿の嫡男に嫁がせることになりました。婚儀はまだ先ですが」

 三戸の南部家との婚約を伝えた。武姫が嫁ぐといっても、この京の内の南部屋敷であって、国入りすることはあるまい。綿入れは必要ないだろうとは思われる。

 冬姫は、かつて南部家から安土に使いが来て、父・信長に鷹を献じた時のことを思い出していた。あの時の使者は当時の南部領の内の津軽から来たのだったか、確か。

「南部は恐ろしく北にありますが、海もあるし、良き漆も金も採れます。なかなか良き所。新しい航路も開拓できそうだ」

 南部領からの船出ならば、太平洋を横断し、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ周辺)経由で、西欧に行く航路が開拓できるかもしれない。

 忠三郎は南部家を取り込めることが余程嬉しいのか、童子のように目を輝かせている。

「それはおめでたいこと」

 冬姫は笑顔で応えた。

 先には籍姫と前田家との縁組が決まっている。籍姫の婚礼も、まだ当分先のことだが、早くから嫁ぎ先が決まっていることは、めでたくも、有難いことだった。

 南部信直は前田利家とも親しく、嫡男は利家を烏帽子親として元服し、利正(利直)と名乗っている。武姫の夫となる人は、その利正だ。

 蒲生家と前田家には、それぞれ冬姫と永姫の姉妹が嫁いでいて、もともと親戚だが、さらに籍姫が嫁いでより縁を重ねるばかりか、南部家を介してより強固に結び付くことになるわけである。


 その夜の寝物語に、忠三郎はおかしなことを語った。

「いよいよローマに使者を遣ります。家臣どもにもまだ言っていない、冬さまにだけ打ち明けますが──」

 忠三郎はそこで起き上がって、棚に置かれている美しい漆の箱を持ってきた。冬姫もなよやかに起き上がり、褥の上に座る。

 箱の蓋を開けると、麗しい鞠が姿を現す。未だ色褪せない碧。信長が冬姫が嫁ぐ時に贈ったあの鞠だ。

 忠三郎はそれを取り出すわけでもなく、ただ眺めながら言った。

「私の覚悟をお聞き届け頂くのです」

 ローマ法王は件の三領主へ、四人の少年使節を介して、聖木の十字架を賜ったと聞く。彼等でさえ、国王並みの扱いをしたのだ。忠三郎の覚悟とて、受け止めてくれるであろう。

「覚悟?覚悟とはどういうことでしょう?」

 冬姫は懐かしさから、鞠を取り出した。相変わらず艶やかな色と手触りをしている。

「国王はデウスにより選ばれた者。よって、天への鍵を預かりしパパ聖下により、その冠を被せられた者が王であるのです」

 冬姫は顔を上げた。

「え」

「聖下が王だと認めて下されたら、私は権威を得られる。秀吉を討つのに賛同してくれる者が増えましょう。私は聖下が認めたカトリック国日本の王として、逆賊・秀吉を討てます」

 狂った。忠三郎は狂気だ。

「私はもう小領主ではない。南部殿やキリシタン領主達もついています。この世はその鞠のようなもの。それを掌中にしているのはデウスです。世界中のキリシタンが私を支持し、助けてくれるでしょう」

「でも……」

「この世は掌中にできる形と言ったのは、冬さまではありませんか。上さまの仰せられたように、そうやって鞠を掌中にするようにデウスが──」

 忠三郎はただ危険極まりない妄想にとりつかれているわけではない。

 秀吉は最近、挑発的な書状を周辺諸国に送りつけている。実際、朝鮮には出兵するわけだが、ルソンにまで服従を促していた。

「ロルテス殿は最近ルソンに行っておられたのです」

 フィリピン総督やイエズス会、フランシスコ会の様子を見に、ロルテスはルソンへ渡っていた。ルソンの軍事力を知っておく必要があった。

 ロルテスはそこで、初来日の頃から知己を得ていた原田なる者に会った。原田は帰国後、秀吉と会ったが、その直後、秀吉はルソンへ恐ろしい書簡を送りつけたのだという。原田がルソンの警備の甘さを告げたためだろう。

「秀吉は先年、パードレ達を追い出し、イエズス会総長猊下ばかりかパパ聖下、フェリペ王を怒らせました。それだけでは足りず、ついにルソンを挑発して完全にイスパニアを敵に回した。しかも、ルソンの警備が甘いならば、日本が攻められる心配もないのに、秀吉は朝鮮へ出兵してしまう。日本の実力では、失敗するのは確実。結局、途中にして撤退してきたら、その後は、ルソン兵にだって、イスパニアと一緒になって、弱った朝鮮を攻める気になれば攻められる。ルソンが朝鮮に拠点を持ってしまったら、世界中のキリシタンが秀吉を憎んでいるのですから、日本を攻撃してくるかもしれません。イスパニア、ルソンが直接朝鮮を手にしなくても、朝鮮と同盟し、援軍を派遣することもあり得る。朝鮮は、ルソン兵を援軍に得て、明と共に日本に復讐しに攻めてくることもできてしまうのです。秀吉は日本を危険に晒した愚か者」

「日本を守るためですか?」

 そのために、世界中から攻められる前に、忠三郎が秀吉を討つというのか。

「それが最も望ましいですが、秀吉の軍と私の軍とでは差がありすぎます。私はせいぜい三万しかない。キリシタン武将達が皆私に従っても、数では秀吉に及ばないでしょう」

 残された道は暗殺。

「いずれにせよ、簒奪した者に従う者は少なく、私は明智光秀の二の舞かもしれません。しかし、パパ聖下と世界のカトリック諸国の支持があれば、事情が違ってきます。秀吉の失策で、カトリック諸国を敵に回し、日本が非難されている時、そのカトリック諸国や聖下が支持する者が、秀吉を討ったとなれば──」

「ローマから支持を得られるという確証はあるのでしょうか?」

「前の全日本の君主として知られている御身のお父上様の婿ですから、血統的にも支持されるはず。まして私はキリシタン。現日本君主はキリシタンの敵なのですから」

 冬姫は頷いた。鞠に目を落としながら。

「忠三郎さまはご自分の天下を目指されるのですね。よかった。あなた様の天下が見えて」

 信長が亡くなった頃、信長の思い描いていた天下の姿がわからないと忠三郎は言っていた。自分で思い描くこともできないと。

 忠三郎の目指す日本の形は、信長の思っていたものとはきっと違う。もしかしたら、秀吉のやっていることこそ、信長のと同じなのかもしれない。

 だが、父の天下と違っていても。忠三郎が自分のものを見つけられたのならば。自分で目指す日本の形があるならば。

「私は忠三郎さまに従います。ただ──」

 忠三郎が簒奪者だろうが鬼だろうが従うが、一つ気掛かりがある。

「雲居の、畏き辺りをどう遊ばすのですか?」

 天下を手にした者でも、帝の臣下である。帝は他国のようなただの君主ではないからだ。帝は天照大神を祖としている。

「デウス以外の神は、まことは神ではないとは伺っております。でも、ロルテス様が日本の神社はデウスの祭壇と関係があると仰せでした」

「確かにそうですが、やはり歪められてしまっている。人間・ダビデの子孫はいても、神デウスの子はイエズスだけです。歪められた神話は正しく戻さねば。それに、秀吉は明を制圧したら、雲居を明に移すそうで、主上を明皇帝にするそうな。日本の国土の内から玉座は消えるらしいですからね」

 忠三郎は秀吉の構想を嘲笑した。しかし、冬姫は忠三郎の構想の方こそ気掛かりである。雲居の禁中にまでよからぬ企みがあるとすれば、有史以来初めての、極悪の逆賊だ。

「それでも、御身は私について来て下さるでしょう?」

 そう言う忠三郎の瞳が怖い。

 忠三郎は冬姫から鞠を取り上げると、箱の中に戻し、また言った。

「私がいかなる悪であっても、私に従うと御身は仰有った。冬さまは私を愛している」

 腕を伸ばすと素早く。冬姫は忠三郎に抱きしめられていた。手弱くそのまま崩れるように身を委ねる。

 得体の知れない恐怖のようなものに冬姫は襲われていた。けれど、それでもどこかで、忠三郎について行こうと思う冬姫がいた。

「冬さまにだけ、打ち明けました」

 冬姫にだけ打ち明けたというほど、冬姫を片身と感じている夫なのだから。冬姫にとっても片身なのだ。

「私はレオ。偶然にも、いや必然か、ローマの歴代のパパ達の御名に同じ。獅子のことを言うのです」

 獅子はラテン語でレオという。ローマ法王の多くがそれを名乗るのは、獅子が王者の象徴だからだ。

 旧約聖書の時代から、北イスラエル、南ユダ、アッシリア、バビロニア周辺で恐れられ、王の象徴ともされた獅子。

 オルガンティーノによって洗礼を受けた時、レオの名を戴いた彼は、すでに王となるべき運命を神より授かっていたのである。

 冬姫はその腕の中で、震えながら応える。

「……私にとっては忠三郎さまだけが善……忠三郎さまが善とすることは、忠三郎さま以外の全ての人間が悪としていることであっても、私には善……忠三郎さまの敵は悪。忠三郎さま以外の全ての人間が正義と呼ぶ者であっても、忠三郎さまの敵であるならば、私には悪でございます」

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