表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/119

百万石(上)

 今回の一揆が秀吉と政宗の共謀なのだとしたら、虎口を逃れてしまった忠三郎に、秀吉はしてやられたという思いだろう。だが、政宗を無罪とすることで、忠三郎が嘘を申し立てたことにできた。忠三郎は諸大名からの信頼を失ってしまうかもしれない。

 諸大名が政宗の煽動の事実に気付いたにせよ、秀吉が無罪にする程気に入った男を、それと気付かず訴えたとして、忠三郎は鈍い愚者と見られよう。事実でも、秀吉の御意に気付いて見ぬ振りするのが賢者だと。

 いずれにせよ、得をしたのは秀吉だ。

(ああ、私を殺すために戦をするとは。無闇に無意味な戦をするのは……。上様の目指されたものを秀吉は分かっていなかったのか。そんな秀吉に、愚かにも従ってしまったとは)

 信孝や信雄の顔が浮かんだ。間違っていた、自分は。何故、秀吉を選んでしまったのだ。

 そして、屋敷で冬姫を見た時、忠三郎は秀吉の邪な恋を思い出した。秀吉の全てが憎い。

「冬姫さまそのものが私の人生!」

 忠三郎は思わず冬姫を強く抱きしめた。

(そう、私の人生は冬姫様が握っておられる)

「御身の婿であることで、私はひどい仕打ちを受けるかもしれません。それでも──絶頂もどん底も、冬さまと共に。それが私の人生。冬さまは離しはしません」


 それからしばらくして、忠三郎と政宗の仲違いを何とかせねばなるまいと、前田利家邸で一席設けられることになった。

 一応杯を交わして和解ということにはなったが、忠三郎の心は少しも晴れなかった。

(私はこの若者に希望すら持ったのに)

 会津にやられ、天下が全く見えなくなった忠三郎に、奥州からでも天下は望めると気を取り直させてくれたのが、この政宗という人間だ。

 信長の考える「武」の意味も伝えた。

 彼には負けるまいと、気持ちの良い対抗心さえ覚えた。

 だが、小田原に遅参して危うい立場だったとはいえ、秀吉の奸策に従って実行した政宗は、爽やかではない。忠三郎とて、政宗の立場を考えないわけではないが、許せない感情が、どうしても拭いきれないのだ。

 政宗は狭量なと笑うだろう。だが、どう思われたって構わなかった。

 政宗も忠三郎の壁を感じたのか、とうとう二人は和解できなかった。

 子供の頃から誰とでも仲良くなれる奴だったのにと、こんなことは初めてだと利家は忠三郎を見て思った。

 忠三郎は気が鬱ぐ。政宗を許せないのも、それもあってのことかもしれない。

 今回の上洛は、一年ぶりの家族との再会と、ヴァリニャーノから聞かされた神の意志を知ることと──忠三郎に喜びと安らぎを与えたが、同時に災厄をも与えたのだ。

 千利休の死である。

 秀吉が利休を切腹させたのだ。

 理由はよくわからない。様々な理由がまことしやかに語られている。いずれにせよ、秀吉が利休に激怒してのことだった。

(秀吉は壊れた)

 だが、忠三郎は、自分を可愛がってくれた利休の賜死に何もできなかった。何もしなかった。師は弁解一つせず、春風と共に逝ってしまった。

 だが、気が鬱いでも、嫌なことばかりな京でも。忠三郎はまだ京にいたかった。しかし、秀吉はそうはさせてくれない。

 奥州から急を告げる使者が到着したのは、まだ春のうちだった。

 忠三郎が一月の末に会津を発ち、上洛したのを好機到来と見て、挙兵した男がいた。九戸政実である。南部氏の一族である彼は、本家の当主となった南部信直に謀反したのである。

 秀吉はそれで、忠三郎と政宗に平定を命じたのであった。

 忠三郎は冬姫や娘に後ろ髪を引かれながら、再び奥州の地へと下向して行った。

 九戸勢は五千ほど。しかし、秀吉は、後から甥の秀次を総大将として、六万人もの大軍勢を送り込んだ。軍目付には浅野長政と石田三成。

 忠三郎は新しい家臣を急に大量に抱えたこともあり、軍律をより厳しくしなくてはなるまいと、出陣にあたって実に細かい法度を発布した。その甲斐あってか、蒲生軍は整然と乱れなく、凄惨なばかりの戦いぶりで敵を惨殺、殺戮の限りを尽くし、全滅させた。謀反など、無意味な戦をする者は、信長の説く「武」に反するからだ。


 さて、この戦の後、秀吉は改めて領地割りを定めた。

 政宗は本拠地米沢を取り上げられ、旧大崎・葛西領に移された。

 忠三郎は会津に加え、旧伊達領の二本松、塩松、伊達、信夫、田村、刈田、長井、米沢などを与えられ、一挙に七十三万四千石になったのである。

(先の政宗との一件、秀吉は政宗を無実とした故、そのうち私を、改易とはいかなくても、何らかの処分をするつもりかと思っていたが)

 いっそのこと、会津を召し上げられ、減移封にでもなればよかったのにと、忠三郎は思った。

(減封されて西国に小領与えられれば──旧伊達領なぞを加増されたって……こんな場所。これで完全に田舎者、天下取りの脱落者よ)


 嘆く忠三郎の一方で、九戸の乱を軍目付として見ていた石田三成は、忠三郎の采配と軍制、法度を危険と見た。秀吉はつい最近、忠三郎を殺そうと計画したらしいのに、今回加増するのは妙だと思った。

「それがしも蒲生殿は危険な人物と見ました。彼は殺すべきです。伊達殿と共倒れさせようとして失敗したばかりですのに、何故逆に三十万石も加増するのです?」

 三成は秀吉が、もう忠三郎を害するのを諦めたのか、逆に甘い汁を吸わせて懐深く抱き込む方針に転換したのかと惑った。

「蒲生殿はいかようにしても、殿下に心から従うようなことはありませぬぞ」

「ふふふ。簡単には殺せぬから自滅させることにしたのよ」

 秀吉は三成を笑った。

 つい先頃まで十二万石だった者が、いきなり四十万石を超えたら、それだけで難儀する。至難の業だ。

 だが、忠三郎は俄に多数の者をかき集め、仕官させた上で、うまくやってしまった。

「奴にはそれだけの才能があるからの。が、初めから四、五十万石あった者が、数十年かけて倍に増えたのではなく、去年まで十二万石だったのを、たった一年で六十万石も増え、七十万石超えになったら。破滅だ」

 木村吉清の例に見てとれる。多数の家臣を俄かに仕官させ、そうして集めた家臣達それぞれに広い領地と兵を任せるわけである。忠三郎個人に能力があっても、任せた家臣全てに、領主としての能力が備わっているかどうか。いくら忠三郎が非凡でも、それはそれは難儀な未来が待っているはずだ。

「うまく行くはずない。亡き上様とて、父上様のご尽力があった。尾張半国から、徐々に尾張一国、さらに周辺国と、数十年かけて支配を広めていったのだ。忠三郎は一年でいきなり六十万石も増えた。それも、自分で切り取って広げたのではない。いきなり目の前にぽんと餌に与えられて、失敗せぬわけがない。しかも、わしに逆らっておったような者、無頼者さえ召し抱えよと、わしは命じた。わしにも従わぬほどの強烈な家臣ばかりじゃ、忠三郎の性格上、相当気を使い厚遇するだろう。去年会津にやった時、家臣どもにかなり高禄を与えておったからな。今回の加増で益々、高禄に城にと大盤振る舞いするはずだぞ。いや、広大な地故、己一人では無理、家臣どもに委ねるしかないのだ」

 我が儘な新参外様に支城を与え、数万石の知行と数千の兵を任せる。任された者はかなりの力を持ち、忠三郎との力の差がなくなる。我が儘放題になる。

 そのような万石城持が家中に十人、二十人と溢れれば、忠三郎は家臣の統率をうまくできなくなるだろう。家中一体にならず、ばらばらに空中分解するだろう。

 しかも、彼等は俄か大名もどき。領内の統率に失敗するかもしれないのだ。

「忠三郎は伊達や一揆勢をひどく警戒しておった故、支城を多数維持し、本拠の会津黒川の守りとするに違いない」

 城持家臣を増やす方向性だろう。

「それは戦時には有効だ。じゃが、わしの天下統一は完成した。奥州はしばらく小競り合いは起きるだろうが、それも一年二年のこと。すぐ平和になる。さすれば、安定した世に、支城制は適さない。戦のない世では家中の一致こそ必須だ。かといって、平和になったからと忽ちに支城を壊せば、城持として甘い汁を吸った家臣どもは納得せぬ。怒ってさらに家中の統率がとれなくなる。なれば、忠三郎の性格上、支城制はやめられぬであろう。支城制を続ければ、また家臣どもに蒲生のお家のためという気持ちが育たず、家中一体になれぬ、悪循環よ」

 平和な時は、家中の一体こそが望ましい。だが、力を持った城持万石領主が溢れていたら、蒲生のお家を守るという意識は育つまい。

 仮に当主に何かあって、嗣子が幼ければ、重臣の中から主に成り代わる者が出てくるであろう。少し前の織田家と秀吉のように。いや、それどころか主君へ謀叛する者さえ現れるかもしれない。もっとも、それは秀吉によって禁じられているから、そのような動きを見せれば、今の九戸政実と同じ運命を辿ることにはなるが。

 下剋上は起きないが、これまでの世の中なれば、起きても不思議ではない環境下に、蒲生家は置かれるのだ。家臣たちの意識は、主家・蒲生家を軽んじるはずである。

「けちな奴ではなく、大盤振る舞いする忠三郎だからこそ、加増してやって、奴の自滅を誘うのだ。奴に先見の明があって、今回増やした三十万石相当を、己が蔵入りとしてしまうと、ちと厄介じゃが。奴に泰平の世を見極める先見力はあるかのう。ま、何れにせよ、わしには奥州なぞ、どうでも良い。どうでも良い場所だ、わしには関係ない、天下に関係ない。そんなところの太守、わしには痛くも痒くもないことだでの」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ