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縁組

 来るよう命じられていた部屋に入ると、いるはずのない父の賢秀の姿があって、吃驚した。領地の近江・日野から遠路はるばるやって来たらしい。

 信長から招喚されたという賢秀。その理由がわからず、困惑していた。

(父上まで召し出されるなんて、まさか、一昨日の姫様のことがお屋形様に知られてしまったのか?)

 それこそ手討ちにされるかもしれない、先程の文のことを父に相談するまでもなく──。忠三郎は青ざめた。

「忠三郎、そなた……」

 倅め何かやらかしたのかと、賢秀も蒼白になっていると、早くも信長が現れた。父子は硬直したが、信長はどっかと座るや否や、いきなり、

「忠三郎に嫁をとらせる」

と言った。

 一瞬、理解できなかった。父子そろって信長の言葉を脳内で反芻していると、信長が重ねて、

「俺の娘を忠三郎にやる!」

「は、ひ……?姫さまをでございますか?」

 忠三郎がやっと面を上げた。信長の眼が猛禽のように鋭い。

「まさか不服か?」

「滅相もない!」

 全力で全否定した。

「ただ驚いてしまって……」

 父など、何も言えなくなっているではないか。

「くっ。まんざらでもあるまいに」

 信長の炯眼が変に笑い崩れる。

「奇妙の奴が言うておったわ。忠三郎と冬姫は相性がよさそうだと」

 ひどく物欲しそうに、妹の白い足を見つめていたと、奇妙丸は父に報告した。

「以前からお前を我が婿にと考えておった。とはいえ、一門の娘なら誰でもよいというわけにはいかぬ。妻として、また家族として共に過ごすことになるのだから、相性が悪いのと一緒にさせるわけにはいかん。冬姫はどうかと思うて、奇妙と謀って様子を見たのよ」

 ぎゃははと信長は笑い転げている。

 先日、山道で姫に会ったのは、偶然ではなかったというのか。わざと鉢合わせするよう、仕組まれていたのか。

 まさか一昨日のも──?

「お屋形様はお人が悪過ぎます!」

 忠三郎が思わずむきになると、隣で父が慌て出した。だが、賢秀の心配をよそに、信長はげらげら笑っている。

「先日の戦の褒美だ。お前たちが不服でなければ、すぐにも祝言を挙げよう。そして、冬姫を連れて、三人で日野へ帰るがよい」

 心底楽しげだ。

「あ、あまりにご寛大な仰せ。恐縮の極みに存じまする」

 賢秀ががちがちになって、ようやくそれだけ言った。

「なんの。娘の身を任せられるのは忠三郎しかいない。忠三郎は是非にも婿に欲しいのだ。それに、忠三郎のこの教養。歌人輩出の蒲生家の教育に感嘆しておった。娘は幼い。蒲生家で養育して欲しいのだ」

 蒲生家の教育を受ければ、万人の思い描く理想の女性像そのものに育つだろうという信長に、賢秀は感激しきり、額を床にこすりつけた。

「すぐにも祝言をしたく思うが、蒲生家にも準備があろう」

 さっそく支度を言いつけられ、賢秀は退出した。後には忠三郎だけが残された。

 忠三郎の感激は父と比較にならないほどである。言葉にならない。

「この幸せはお前が自身の力で掴んだものだ。胸を張って受けてよいのだ」

 信長は早くも父親の気分だ。

 忠三郎が頬を紅潮させた時、奥の金の襖が開いた。するすると衣擦れの音がする。

 あ、と忠三郎は思わず声を上げそうになった。

(姫さまだ!)

 冬姫が現れたのだ。

「おう、姫。こっちへ来い」

 信長は忠三郎の真向かいに姫を座らせる。冬姫は今日も可憐でありながら、華やかだ。忠三郎は反射的に目を伏せてしまった。

──姫を思いながら、他の女を妻とし、忠三郎を思いながら、他の男の妻となる──そんな悲恋の運命かと思えば、そうではなかった。姫を妻とするのは他でもない、忠三郎なのだ。

 信長は二人を交互に見て、にたにた。

「姫、こやつに会ったか?」

 冬姫はまだ嫁ぐことを命じられていないのか、表情一つ変えず、

「はい、会いました」

と、何でもないことのように答える。

「さようか、覚えおるか」

 藤袴の野辺で忠三郎が冬姫を見ていたことは、姫も知るまい。とはいえ、一昨日のことは姫にも衝撃的なことだった筈である。

 しかし、姫は忠三郎などまるで眼中にないように、静かに座り続けている。

 信長は突如、傍らの箱をあけて、中から手鞠を取り出した。美しい五色の糸で組まれている。中でも天蚕を思わせる碧の糸が、殊に優れて美しい。

 信長が両手に捧げるようにして持つと、その手鞠はすっぽりと覆われて、碧の色はすっかり見えなくなってしまった。

「姫、手を出せ。これをそなたに遣わす」

 冬姫は言われるままに両手を出した。子供のものとは思えないほど白い手である。その差し出す仕草も典雅で、忠三郎は目をみはった。

 信長はそっとその手に鞠をのせてやる。が、

「む、寒いのか?爪が紫色になっているではないか!」

と、目敏く見つける。

「忠三郎」

 信長が何事か命じようとした。まさか、手を握ってあたためてやれとでも言うのではあるまいかと、ぎょっとしたが、

「火桶を持って来させろ」

と、普通のことを言った。

「はい?」

「妙な返事よな。語尾を上げて、はいと言う奴があるか。はいは尻を下げて言わんか」

 笑っている。

「は、こ、これは……」

 忠三郎は慌てて下がって人を呼びに行った。

 姫は礼を言って鞠を見つめる。少女の両手には余る。指の隙間から、碧の糸が美しく輝いている。

「これは結婚祝いだからな」

 そう言われて、さすがに驚いた。だが、いつかそう言われる日が来ることを知っていたし、その日がいつ来てもおかしくないと、常に覚悟を決めていたから、姫はすぐに意を決し、

「はい」

と、信長を真っ直ぐ見返した。

「相手はそなたもよく評判に聞いていよう、近江日野五万五千石の人質、蒲生忠三郎賦秀だ」

 五万五千石は随分小領だ。信長の娘なら、公家や将軍に嫁いでもおかしくない。事実、信長の姉妹、娘、養女は何れも公家や大領の大名に嫁いでいた。

 それに蒲生忠三郎は人質だ。

「今そこにいたあいつだ」

「え、あの方?」

「そうだ。評判以上の奴だ。大事にしてもらえよ」

 めまいがした。一昨日のあの無礼者が夫になるという。告白された仕返しに、姫は大事な阿弥陀像を渡した。

 だが、姫にとっては無礼者の忠三郎でも、父はよほど気に入ったと見える。将来のために、婿として確保しておきたいのだろう。

 才能、器量は持っている石高よりもはるかに貴重なものだ。

「かしこまりました。父上のお心遣い、ありがたく承ります」

 それを聞いて、信長が満足げに頷いた時、火桶を抱えて忠三郎が戻ってきた。おずおずとそれを冬姫の膝元に置く。そして、少し離れた所にちんまり座った。

 信長の目が悪戯っぽく光る。ひどく鞠ばかり見つめている冬姫に話しかけた。

「話によるとな、この世はその鞠のように球形なのだそうだ」

 伴天連がそう言っていた。

「えっ?」

 驚く姫。してやったりの信長。

 思った通りの反応だ。

──この世が球形なわけがない。平らでなければ、皆落ちてしまうではないか──

 誰もがそう言って反論するのだ。信長は楽しそうに笑っている。忠三郎の表情だって、見なくともわかる。冬姫と同じ顔をしているに違いない。

「この世は球形ゆえ繋がっている。この世の果てというものはない。東に向かって船出すれば、必ずもとの港に着くそうだ」

「……この世は掌中にできる形だったのですね」

 信長は眉を吊り上げた。想像していたこととまるで違うことを言われて、面白がる心も紛れている。

「さっき父上はこの鞠をすっかり掌中に覆い隠してしまわれました。もしも、この世が地図のように平らだったら、地図の端から端まで両手で覆いきれません」

「だそうだ、忠三郎」

 不意に信長は忠三郎に話し掛けた。忠三郎は目を点にしていた。子供の発言だ、荒唐無稽に映ったか。

「お前は今の話、いかに思う?」

 東海姫氏国の意味を、常人とは違った捉え方をした忠三郎だ。岐阜の意味。天下の意味。信長の天下を、中原を含む唐土、またその周辺と日本だと考えたらしい忠三郎。冬姫の言葉に何と答える。

 部屋の向こう、冬姫の真っ正面に屏風がある。その絵は地図になっていた。

 忠三郎は迷い迷い言った。

「誠におそれながら……姫さまが想像なされた地図は、あの屏風絵のように大きなものだったのではございませんでしょうか?ですが、例えば、姫さまのお膝ほどの大きさの紙に書いた地図ならば、両手で覆い隠せるかと存じまするが……」

「あ!」

 そうかと気付く冬姫。

「そなた等は!子供とは面白き生き物よな。いやいや、この世というものはだな、その鞠のような形でな、南蛮人どもの神が創造したのだそうだよ。姫が鞠を手にしている(てい)、それがまさしくデウスやらいう南蛮人の神の体だな。デウスがそうやって、鞠のごときこの世を掌中にしているのだ」

 姫が不安げな声を出す。

「この世は南蛮人の神が作ったのですか?」

「そうらしい」

「南蛮人の国だけでなく、明も、天竺も?」

「うむ」

「日本も?」

「伴天連がそう言っておった。伊邪那岐がどうのというのは奴らは信じておらんが、まあ何だ、デウス以外、神はおらんと言うからなあ」

「この世は全て南蛮人の神のものなのですか?」

「案ずるな、神なぞおらん」

 神も仏も皆、人間が作り出した偽物に過ぎず、偶像なぞはただの石だと信長は信じている。伴天連の言うことはいちいちもっともだと思った。だが、信長はいかなる神とて信じてはいないのだ。

(デウスを信じない。だが、この世はデウスが掌中にしているようなものと仰る)

 忠三郎は息苦しさを覚えた。心臓の鼓動が異常に速くなっているのだ。

「そなた等はまことに気が合いそうだな。仲良くしろよ」

 信長によって、こうして忠三郎と冬姫の縁談は成ったのであった。

 それにしても信長は、藤吉郎には織田家の娘なら別に誰でもよいだろうにと言ったくせに、実際には忠三郎に与える娘を吟味していた。

 それは実の娘がよいに決まっているが、相性というものがある。合わない娘を与えて、悪い影響が出るくらいなら、養女を与える方がいい。信長はそれとなく一族の女性たちを忠三郎に見せて反応を確かめたが、忠三郎は冬姫を気に入ったようだった。

 抜け目ない蒲生家のこと、たとえ気に入らない娘であっても丁重に扱うに違いない。だが、本心を偽って厚遇しても、いざという時、本音が出るものだ。

 近江の日野という場所がいかに重要か。ここを押さえておくためには、新参者の蒲生家を心からつなぎ止めておかなければならない。

 忠三郎は賢い。彼を骨抜きになど、普通はできまい。だが、冬姫なら、彼の心を繋ぎとめておけるかもしれない。

 冬姫を日野にやってしまったら──仮に変事起こり、蒲生家が裏切るようなことがあれば、冬姫の命の保証はなく、状況によっては、信長は娘を見殺しにせざるを得なくなる。

 人質としてやってきたとはいえ、忠三郎は信長を尊敬している。それは信長にもよくわかる。

 だが、忠三郎はまだ十四歳であり、蒲生家の当主は父の賢秀だ。また、老獪な祖父も健在なのである。その祖父や父が信長を裏切ろうと思えば、裏切るのだ。

 それでも忠三郎が一人頑張って、織田家のために、蒲生家の謀反を思いとどまらせてくれなければ困る。

 忠三郎が親にも蒲生家にも逆らうには、彼に信長への余程強い崇拝、織田家への情がなければ駄目だろう。

 だから、冬姫の、女の黒髪が、情愛が、実はかなり重要な役割を担っているのだ。忠三郎が蒲生家よりも、冬姫を選んでくれるように──。

 婚姻は家と家との問題とはいえ、その家を動かしているのは人だ。人ゆえ、感情というものがある。

 感情に左右されてはならないし、左右されないのが普通だろう。しかし、それでも左右されるものなのだ。

 損得勘定だけでは動かない時もある。

 信長は忠三郎と冬姫を並べて眺めると、こくりと頷き、

「これよりは許嫁だ。少し話でもして打ち解けておけ」

と言い残して、先に部屋を出て行った。


 二人きりになってしまうと、冬姫は困惑してしまう。信長の前では子供ながらも平静を装っていた彼女だが、二人だけになると、一昨日のことがあって、気まずいらしい。

 忠三郎は胸が高鳴っている。改めて阿弥陀像の礼を言おうと、懐に手を入れかけた時、そこに入っている例の文がかさとひそかな音を立てた。

(そうだ、あまりのことに言いそびれてしまった。このまま内密にはできない。しかし、御屋形様にいきなり申しても……ここは先ず……)

 ちらと冬姫を見やった。

 阿弥陀像の君が自分の妻となる人で、それが告げねばならぬ主君の娘であるのは。二人きりになったのは。天の導きか。

 天啓を信じて、彼は思いきって冬姫に助けを求めることにした。

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