褒美
バテレン追放令は、箱崎周辺に集結していた武将達に動揺を与えた。キリシタン武将が少なからずいた。今回の戦では、彼等に強い団結が見られた。
秀吉の暴挙に皆嗚咽し、中にはあくまで伴天連に従い、殉教する気の者さえいる。彼等は死ぬ気満々でコエリョのもとに集まっていた。
コエリョもフロイスもかえって火がついたか、フスタ船を降り、浜辺に小屋を作って、そこで説教を始めた。船より陸の方が行き来が楽なこともあり、以前よりも集まる人の数は増えた。
忠三郎の陣にも当然、この悲報はもたらされている。忠三郎もコエリョのもとへ行こうとした。
「待って!いけません!」
だが、ロルテスが引き留める。
「ロルテス殿、我等はどうなってしまうのだろう?パードレが、日本を追われるのだぞ!日本からこの聖なる……」
「駄目ですよ!」
ロルテスはがばっと忠三郎を抱擁した。いや、捕縛したというべきか。
ロルテスはここ数日、ずっと蒲生家の陣中にいる。
秀吉のこの命令は余りに唐突で、このような命令が下されることを、誰一人予想できなかった。忠三郎もわけがわからない。
秀吉は伴天連に寛大であったし、ここ数日、コエリョともずっと親しくしていた。
忠三郎はキリシタンとして、こんな暴挙を見過ごすことはできない。伴天連が日本から全員いなくなってしまったら、キリスト教は広まらなくなるどころか、既に受洗した人々の信仰さえ怪しくなる。
ロルテスにとっても、それは望ましくないはずである。だが、彼はコエリョに会うとか、秀吉に話を聞いてくるという忠三郎を、強く諫めるのである。
「あなたは何者なのです?」
いつになく強い口調だ。
「あなたはただの、一人のキリシタンではありません。他の殿たちのような軽率な行動は絶対いけません!今は堪えるのです。堪えて、近い将来必ずあなたが天下様になって!そして、パードレもキリシタンも助けなければ!」
ロルテスはゆっくり腕を解いた。
「蒲生様しかいません!他に誰がいますか?」
「ロルテス殿、私は……」
「必ずやり遂げて下さい。だから、今はパードレを見捨てて下さい。殿下に従って下さい。デウスはご存知です。蒲生様に必ずお力をお与え下さいます」
「だが、それはパードレを裏切るようなことでは……」
「裏切りではありません。デウスはちゃんと見ておられます。蒲生様が天下様になるまでの、一時のこと。殉教より大変な道でしょうが、あなたならできます!」
一部の伴天連の危険性は忠三郎もロルテスも認識しているところではある。
だが、彼等がいてはじめて布教が成るのだ。
伴天連の危険性はスペイン国王やローマ法王との交渉によって、拭い去れるはずである。とにかく、伴天連の日本からの追放など、あってはならない。
だが、しばらくの間はそれを黙って受け入れろとロルテスは言うのである。忠三郎が天下人となるその日まで──。
今後は秀吉の手前、武将達は棄教しなければならなくなるかもしれない。キリシタン武将に守られてきたキリシタンの民は、信仰を貫き通せないかもしれない。
(一時たりとも、パードレを失えはしないのに……)
伴天連不在の間に、キリシタンは激減してしまうかもしれない。その上、さらに、迫害まで加わったら──。
「もう少し処置を和らげるよう諫言するのも、駄目なのだろうか?」
「いけません、高山殿と同じ目に遭うだけです」
ロルテスは必要以上に冷静に見えた。
「何故そんなに落ち着いているのだ?」
「いよいよ蒲生様が日本の王になるべき時が来たからです。デウスのご英断です。パードレ達はイエズス会にもパーパにも、またフェリペ王にも今回のことを訴えるでしょう。殿下の暴挙をパーパもお怒りになるはず。だから、パーパが蒲生様に期待し、蒲生様に全てを託され、日本の王に指名して下さるはずです。蒲生様が殿下を討って、日本の王となるのです。今回のことは蒲生様を王にするべく、デウスが動かれたことなのです。デウスが大義名分を作られた!」
「馬鹿な!イスパニアやローマが怒るなら、逆効果ではないか!関白を諫めないと、今度こそ本当にイスパニアからの攻撃を受けるぞ!」
「ですから、蒲生様はパーパとフェリペ王に対して、関白秀吉を討って聖戦に勝利すると、約束なさって下さい。日本の王になったなら、日本全土を改宗させると、だから、日本はフェリペ王の盟友だと、そう言うんです」
そんなことを言い合っている間に藪下が来た。右近の使者が一通の書簡を届けに訪れたのだという。
「見せよ」
忠三郎は書簡を受け取った。
右近が忠三郎に宛てた書簡である。慌ただしさと絶望の中、わざわざ手紙をくれた事が有難くも辛かった。
右近は絶対に信仰を棄ててはいけないと書いてきていた。又、驚いたことにロルテスと同じことも言っている。はっきり謀叛とは書いていないが、キリスト教国実現のため、今は堪え、秀吉に仕えるようにとあった。
「勝手な……」
右近は殉教する気だと思った。
「高山殿は何ですって?」
右近は仮名をローマ字に充てて書いてきていた。ローマ字ゆえ、普通の日本人には読めない。一方、日本語の文章をただローマ字で書いただけだから、ロルテスにも一見わかりにくい。キリシタンが内密の手紙をやり取りする時の書法である。
「キリスト教国実現のために、私に目を付けたそうだ。そのため、私を網にかけたと──関白の労力で天下はほぼ平定された。今こそその時であると──」
ロルテスは頷いた。
「そうですとも!」
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七月。
忠三郎は秀吉とともに大坂に帰ってきた。
伴天連のことも、また右近のことも口にしないその態度を、秀吉は気に入ったのか。忠三郎がキリシタンだからといって、特に排除するようなこともない。以前と変わらぬ扱いであった。
「巌石城での働き、まことに立派であった」
改めて、秀吉は忠三郎に恩賞を与えた。
その恩賞というのが「羽柴」姓である。
以後、忠三郎は蒲生と羽柴を併用することになる。
もともと秀吉が羽柴を名乗ったのは、丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつ貰ってのことだから、忠三郎には正直、さほど嬉しくもない。
(羽栗だったら面白かったかもしれぬがなあ)
などと、どうでもよいことを思った。
その昔、唐土で、唐人の女を母に生まれた羽栗翼、翔兄弟。兄弟は日本に帰国したが、翔の方はその後、海路渤海へ渡り、陸路唐へ到った。唐から直接、海路日本へ帰ろうとして果たせず、唐で死んだ。
秀吉の前でその兄弟のことをぼうっと考えるほど、羽柴姓が名誉とも何とも思えなかった。
しかし、そんな悠長なことを言っていられなかった。秀吉が与えたのは褒美の羽柴姓だけではなかったのだ。
「これをそちにやる。いや、預ける。お伊勢の大神宮に渡してくれい」
にたり。秀吉が複雑な笑みを浮かべて忠三郎に与えたもの。それはバテレン追放令の覚書だった。
伊勢神宮はこれを見ればほっとするであろう。地元のキリシタン領主──つまり忠三郎によって、神宮を破壊される心配もなくなるし、地元の民がキリシタンに改宗させられる心配もない。
伊勢神宮の安泰を秀吉から保証してもらうことになるのだ。
しかし、敢えて高山右近や伴天連たちへ冷淡な態度を取った忠三郎は、わざわざこれを忠三郎に預ける秀吉の底意地の悪さを思った。
しかも、キリシタンに一向衆のような拠点を持たせないだとか、大名は秀吉の許可なくキリシタンにはなれないとか、キリシタン大名が家臣をキリシタンにすることなどあり得ない等、バテレン追放令の清書にはなかった厳しい文言がこの覚書には含まれ、全部で十一箇条にもなる。
それを忠三郎に渡したというのが、忠三郎個人を牽制しているように受け取れる。
イエズス会が忠三郎に伊勢神宮を破壊させたい意向であったことは事実だ。それに秀吉は気づいているのか。忠三郎はぞっとした。
なればと、忠三郎はさらに強い決意をかためた。家中全てをキリシタンにすることはできないが、そのかわりとなるものを用いて、家中の統合統一をはかることにした。それは──。
先の巌石城攻めの折、軍奉行ながらも戦闘に加わった本多正重や、抜け駆けや軍規違反をした岡左内(源八)、岡半七、岡田大介、西村左馬助等、何人もの家臣達を追放していたが、逆に恩賞を与えた者も少なくない。
彼等に与えたのが、名前であった。蒲生姓である。
これは家中統合のために与えるものである。より一層の臣従の印として、中には、特に新参者に「郷」さえ付けている。
自由気ままで、忠三郎への尊敬も足りない彼等だから、蒲生姓も郷も大して嬉しくはないかもしれない。
(だが、大事なことなのだ。これから私が進むべき道には──)
ますます軍規を厳しく、忠三郎に従わせなければならない。蒲生家に仕える者の多くは、つい数年前まで蒲生家の同輩だった有力者ばかりなのだから。
浅井、柴田旧臣の、北近江の上坂左文は養父が忠三郎の母方の伯父である。彼は蒲生左文郷可、その弟・源之丞は蒲生郷治となった。
同じく柴田旧臣で尾張出身の坂源次郎は蒲生源左衛門郷成、その弟の源兵衛は蒲生郷舎。
六角旧臣の赤座隼人は蒲生四郎兵衛郷安。同じく横山喜内は蒲生頼郷。
蒲生家支流ながら、上野田主計助には蒲生郷貞を与えた。他に、蒲生家支流の儀我忠兵衛や小谷越中守には蒲生姓を。
また、母の実家の後藤家にも蒲生姓を与えた。
織田家の重臣層に仕えていた谷崎忠右衛門や生駒弥五左衛門、安藤宗斎等にも蒲生姓を与えて、家中の譜代以外に蒲生氏が溢れることになった。
さて、秋風吹く中、忠三郎は久しぶりに松ヶ島に帰ってきた。そして、帰城するなり彼は、冬姫が配れる状態に準備しておいた伊勢の熨斗鮑を、家臣一人一人に手渡して改めて労い、皆に告げた。
「私はこの松ヶ島城を廃し、新たな城を築こうと思う」
松ヶ島の城下は狭い。これ以上の発展は見込めなかった。
もっと城下を賑わせ、商業を発展させて、豊かにならなければならない。松ヶ島には伊勢神宮の参道が通っており、賑わってはいるが、まだまだ足りない。忠三郎はもっと富貴にならねばならぬのだ。
それに、先年の地震の影響もある。
松ヶ島は海に近すぎるし、標高が低い。
「ここより内陸で小高く、広い城下町が作れるよう、平地が広がっている所がよい。が、海に出て行けるよう、海から離れ過ぎてもいけない。又、伊勢参道が通っていなければならぬ。この条件を満たす所に新しい城を築く。城下には日野から商人達を呼び寄せ、住まわせる。急いで作りたい。この松ヶ島城の材木、石、瓦、何れも再利用する」
さっそく好条件の場所を探すよう命じた。
又、独自に検地をしていたが、それも急がせた。
忠三郎の目指す新しい城と城下は七徳──暴を禁じ、兵を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするを以て治めるつもりだ。信長の言う「武」も、これであろう。




