追放令
高山右近は秀吉に呼ばれ、妙なことを聞かれた。
「あそこの姪の浜によ、公方ってのがいるだろ?」
足利義昭のことである。
信長に追われ、備後鞆の浦にいた。秀吉は今回、彼を従軍させており、島津方との交渉などに当たらせていたのだった。
今、義昭はすぐそこの姪の浜に置かれていた。
「コエリョの奴が──」
右近は瞬間、目を剥いた。
準管区長が冒涜されたというよりも、これまで伴天連に愛情を見せてきた秀吉が、コエリョに礼を欠く言動をしたことに驚いたのだ。
「わしが箱崎に着く前に、わざわざ訪ねて行ったというのは本当か?」
コエリョは秀吉に会うためこの地に来ていて、秀吉より数日早く到着していた。その間、コエリョは足利義昭も当地にいることを知り、会いに行っていたのである。
「……は、お訪ねになったようにございまするが──」
「あれが、将軍として京へ戻ったなら、日本全土を耶蘇に改宗させると約束したそうではないか」
「さような妄想、かえって哀れに感じるほど」
滑稽極まりなく、右近は嘲笑した。今更、将軍に返り咲けるはずがない。
だが、秀吉は真顔である。
「公方の名の威力は馬鹿にできまい。未だ、その名に震え上がって、成せぬことさえ手助けしようとする者もおる。亡き信長公がどれほど苦しめられたか。いや、信長公を亡きものにさせたは、奴に違いない。未だ将軍として上洛する気でいる。そして、奴が声をかければ、なお従う者も出るということよ」
「……はあ、さようで、しょうか……」
「この度は、耶蘇宗門の結束がいかに強いかを見せてもらった。関白のわしが右と言うても、コエリョに左と言われたら、わしは切支丹どもを誰一人として右に連れて行けぬであろう」
「……」
右近は答えられない。己の王に従えと教えられている。しかし、司祭(伴天連)から、既に王には天意なし、謀反せよと言われれば、司祭に従うであろう。
右近ばかりでない。キリシタン武将達は皆、第一にコエリョに従い、第二に秀吉に従うはずだ。
「コエリョが公方の名の威力に気付いて謀を巡らせれば、そちら切支丹はわしに背くわけよな」
「滅相もない!何故、急にさようなことを」
「信長公討たれし時、伴天連どもの動向が怪しかったと申す者がある」
「それは、僧侶らの讒言です!」
「さよう。讒言に違いない。坊主どもの伴天連への憎悪は、わしもよう知っておる」
秀吉はひっひっと笑った。
「先日、フスタに乗ったであろう?あの時のコエリョの話は楽しかったぞ。翌日、わざわざ訪ねてきてくれたが、あの時貰うた南蛮の酒は美味かった。コエリョに礼を言っておけ」
「……は」
秀吉は一つまばたきすると、通常の人懐っこい顔に戻った。
「いやフスタには感心したわ。さすが、長崎にあれだけのものが築けるだけはある。明出兵のために、優れた軍船を用意してくれるとのことだったが、その自信のほどがよくわかったわえ。ははははは、まことにポルトガルは凄いのう」
ポルトガル定航船を見るのを楽しみにしていると付け加えると、急に気が変わったように手で払いのけるような仕草をして、右近を下がらせた。
速やかに退出した右近は、いいようのない不安に襲われていた。
大坂での対面以降、秀吉は一貫してコエリョに好意的であり、武将達も次々にキリシタンになっていたから、イエズス会の未来は栄光に満ちていること、疑いなかった。だが、胸騒ぎがした。
右近の不安は的中して、数日後、秀吉は何事をか書かせた。その翌日、カピタン・モール(船隊司令官)のドミンゴス・モンティロが秀吉を訪問した。
秀吉はいつものように歓迎して見せた。まるで何事もないように見えた。モンティロが連れてきたポルトガル人達には、本当に興味があったようである。
「コエリョ師父からは、何度も礼を言われたわい。わしがはるばる九州まで出向かねば、切支丹どもは今頃、全て滅んでおったとな」
秀吉が親しげな顔で自慢すると、モンティロもいかにもその通りだと頷いた。
「全くです。大村殿などは、領主でなくなってしまったほどの危機的状況でした。シモはいつもキリシタンの殿達には過酷でした。それでも、ブンゴは比較的安定していたのです。それが俄かに大友殿に危機が訪れて。最も安定し、大きな力があった大友殿まで、滅んでしまうかもしれない状況になった時は、パードレ達は絶望しましたよ。ルソンに助けを求めても叶わず、このまま九州のキリシタン宗門は滅び去るのかと。殿下が来て下さらなければ、滅亡は現実のものとなるところでした」
モンティロは昨年夏にポルトガルの定航船に乗って来ていた。しかし、凄まじい戦乱のために、交易できずに滞在していたのである。コエリョばかりでない、自分にとっても秀吉は恩人だと彼は言った。
しかし、感謝されたというのに秀吉は得意にならず、人懐っこい笑みのまま訊いてきた。
「ルソンに助け?それは、ルソンに援軍を求めたということか?」
「はい。もはや日本の内には、九州の敵から九州のキリシタン宗門を守る聖なる軍は、なかったからです。ルソンに頼るしかなかったほど、危機に瀕していました。ですから、殿下が来て下さって……」
「ルソンには──」
と秀吉は前のめりになり、さらに早口になった。
「コエリョ師父が依頼したのか?」
「はい」
「ほう、さすがは。コエリョ師父にはルソン軍を動かす力もあるのじゃな、いやまことに素晴らしい。ルソンはイスパニア軍であろ?ポルトガル人なのに、ルソン軍を動かせるとは凄いな。わしが明へ出兵する時には、ルソンの援軍を師父にお願いできるかの?」
「ルソンを動かすのは難しいでしょうが、大恩ある殿下のため、師父も努力はするでしょう」
「なに、コエリョ師父がルソン軍を出兵させてくれるのか!」
有り難いと秀吉は笑顔で言った。
「明出兵はコエリョ師父が言ってきたことじゃ。ルソンからも出兵するのは当然というものじゃが、さりとて、そこまでルソン軍に影響力を持っているとはのう。コエリョ師父はただ者ではないの」
秀吉はさらに、定航船を見たいと言った。
「明に出兵するからには、ポルトガルの船でのうてはの。そちの船の装備を見ておきたい。平戸から博多に廻してくれぬかの?」
「博多は水深が浅く、危険にございますれば、申し訳ないことですが──」
「ううむ、そうか。ふむ、なるほど」
秀吉は頷き、そして、終始上機嫌のまま、モンティロとの対面を済ませた。
その宵のこと。
モンティロが持参した贈り物を、秀吉は気前よく甥の小吉に分けてやろうとした。
小吉は秀吉の姉の子で、秀次の弟である。秀吉の養子だった信長の子・於次と同じ、秀勝という名であった。
この小吉秀勝、この時留守であった。
「どこへ行きおった?探せ」
探させると、間もなくその居場所が判明した。小吉はコエリョのフスタ船にいるという。コエリョから説教を聞いているのだ。
「なにを!?」
秀吉はあからさまに怒った。
「わしは帝をお支え申し上げる関白であるぞ!その身内が帝を冒涜するような邪教を聞いて何とする。すぐに呼び戻せ」
呼びにやるまでもなく、小吉は間もなく帰ってきたので、秀吉は怒りを抑えつつ、モンティロからの贈物を渡し、諭して言った。
「あれの話を一通り耳にすることは、今後のためにも必要ではあるな。じゃが、あれは悪魔の教えじゃ。一度聞いたら沢山じゃ、もうコエリョのもとへは行くでないぞ」
「……は」
「そちも、あれが如何に呪われたものだかよくわかったであろう。一見、素晴らしく聞こえる。じゃが、帝のお側近くで奉公する者が信じてはならぬ。よいな?それに、デウスもさることながら、伴天連は悪魔じゃ」
「……伴天連が、悪魔とは……」
日本の神を悪魔と言う伴天連の方こそ悪魔だと思わねば、神を祖とする帝にお仕えすることはかなわぬということか。
「ポルトガル商人どもはな、日本人を売り払っておる。沢山の日本人が、異国に売られて行くのだぞ」
「それは、日本のキリシタン領主がキリシタンでない者を、商人に引き渡しているからで、伴天連とは関係ないかと」
「左様、それはわしも知っておるが続きがある、まあ聞け。さすがに博愛を口にする伴天連ども、異教徒にも優しく寄り添い、愛情を持って諭してきた身で、矛盾するように人身売買を容認するのは、たとえ異教徒の身であったとしてもまずいと思ったのであろう。伴天連どもは日本人の売買をやめるよう言ったそうだ。だが、彼奴らはな、日本人は白人だから売ってはならぬと言うのだ。すなわち、黒人は売って良いということぞ。黒人は人にあらずと差別する。何が博愛か、ポロシモを大切にだ。デウスの御大切とやらが、いかにいい加減なものか」
「それは多分、黒人は信仰を持たぬデウスの敵であるから……」
「そりゃ矛盾しておる。信長公の黒坊主殿はデウスを愛しておった。耶蘇か否かで判断しているのではない。日本人は白人だから売るななぞと、伴天連どもの思考はいい加減じゃ。わしは伴天連を信用ならぬと思うておる。以後、関わるな」
秀吉は小吉には丁寧に諭したが、その後召し出した高山右近には、実に厳しい態度であった。
「高山、そちを改易に処する。理由はわかっておろう?」
「わかりませぬ」
「ほっ!あっはははは!わからぬか、そうか、そりゃいいわ。そちは要らぬ」
秀吉の口調は比較的静かだった。
「そちは最近、俄かに切支丹になった者らとは違う。まだ誰も切支丹でなかった時分から、伴天連の忠実な僕であった。そちは、他の誰よりも伴天連の本質を知っていたはずじゃ。伴天連の狙い、企み、知り尽くした上で、わしの大名、側近どもを次々に仲間に引き入れた。そして、そちに切支丹にさせられた哀れな者等を、伴天連の企みに加担させたのじゃ。彼等は何も知らず、ただそちの説くデウスを信じ込み、哀れにも、自分の知らぬところで売国奴にさせられていたのじゃ」
「売国奴とは……!」
いくら関白とは言え、聞き捨てならぬ言葉ではある。
「とぼける気か?わしがコエリョの企みを知らぬとでも?奴が日本を討つため、ルソンの兵を九州に集結させようとしたは、明らかじゃ。そちもその企み知っておったはずじゃ。そちは日本人でありながら、日本をイスパニアに討たせようとした。そち一人ではできぬことゆえ、蒲生忠三郎や黒田官兵衛の力を借りようと、彼等を洗脳して、切支丹にしたのであろう」
「違いまする!断じて違いまする。そもそも、イスパニアは日本を討つ気なぞありませぬ。ルソンの兵の件は、大友殿達を敵から守るために……」
そこで、はっと右近は口を噤んだ。
「ほおれ、やはりそちはルソンの兵のことを知っておったではないか。そちはその恐ろしきイスパニアの計画を、その手先のコエリョの口から聞きながら、わしに黙っておったのじゃ。日本人なら、わしに報告するのが当然であろう。そちは日本人などではない、伴天連の手先よ。さらに、わしの側近達まで伴天連の僕にするとは、許せぬ。彼等はわしの僕なのであって、異人の僕ではないわ!」
最後だけ語気を強めて、秀吉は右近の弁解など、いっさい聞く気はない。
「だがよ、そちに死を与えれば、伴天連どもはそちを聖なる殉教者だと吹聴して回るであろう。殉教なぞと、いかにも尊いことのように言われてはかなわぬ。そちには死は与えまい。普通の武士なら、屈辱に堪えられず、自ら腹を斬るであろうが、切支丹は自害できぬというから、よかったわ。殉教なるものに、わしが利用されるのは嫌じゃからの」
秀吉はこの夜、突然右近の所領を召し上げ、追放してしまった。
そして、それだけにとどまらなかった。
その夜更け、すっかり寝静まったフスタ船は、秀吉の使者に叩き起こされ、コエリョは尋問されたのだ。
コエリョはキリシタンである小西行長の陣に連れ出され、尋問された。
何故キリシタン大名らに寺社を破壊させ、その地の領民を強制的にキリシタンに改宗させたのかと問われると、彼等の信仰がそうさせた、彼等の自発的な行いであり、たとえ相手が異教の敵であっても、伴天連は攻撃しない、故にキリシタン領主に寺社破壊や攻撃をさせたことはないと偽りを言った。
何故、馬や牛を食べるのかという問いには、すでに畿内では食べていないと答えた。確かに、肉は食べるべきでないと、イエズス会内で取り決めてあった。
尋問の後、コエリョはフスタ船に戻った。夜が明けて、そこに秀吉の使者が来て、一通の布告をモンティロに渡した。
──
神国日本に、このような邪教を伝えた伴天連の行為は悪である。
神社、寺院を破壊することを禁じる。
伴天連は二十日以内に日本を去り、自国へ帰るように。ただし、この期間中に伴天連に危害を加える者があれば、罰する。
ポルトガル人のナウ船が、商いに来ることは構わない。
日本の神仏を妨害せぬならば、商人に限らず、キリスト教国のいかなる者も、日本に来て構わない。
──
これこそ世に言う、秀吉のバテレン追放令である。
また、これとは少々内容の異なる覚書が前日にしたためられている。それの行方は──。
その覚書を渡された者は。




