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アガペー

 十一月末、忠三郎は松ヶ島に帰ってきた。

 ロルテスのことは、以前、六右衛門から聞いていたので、彼が来たことには驚かない。だが、母や冬姫まで彼をすっかり気に入った様子なのには苦笑した。

(やはり冬様は異人がお好き。さすが珍しもの好きの上様のお子だ)

 忠三郎はロルテスとすぐに打ち解けることができた。ロルテスの底抜けに明るい性格と、優しさに好感が持てる。彼が持参したイタリア製の武器も、目を見張るものがあった。

「さっそく日野に行き、職人に見せたい」

「そう言って頂けると嬉しいです」

「間もなく九州に出陣することになろうが、それまでには開発は間に合わぬであろうな。これをそのまま使わせて頂こう」

「有難うございます。どうかそれがしの武器が蒲生様の手により、日本を守りますように」

 ロルテスは次いで六右衛門からの書簡を渡し、ローマの状況について話した。

「それがしは途中までヴィジタドール(巡察師ヴァリニャーノ)と大友様達の使節と一緒でした。使節の子供四人は無事フェリペ王に会い、次いでパーパ(ローマ法王)に会ったようです。彼等はカトリック国の王の使節という扱いを受け、歓迎されました」

「王の使節?」

 有馬、大村、大友は王と呼べるほどの領主だろうか。忠三郎は首をひねった。かの三領主は、フェリペ2世やローマ法王に己の地位や身分を偽ったのか。

「それと、パーパが代わりました」

 使節の少年達が謁見したのはグレゴリウス13世だった。しかし、間もなく亡くなり、シクストゥス5世が新たに法王となっている。その即位式には、使節の少年達も招かれたという。

「六右衛門が会うとすれば、新しいパーパということになります」

「そうか」

 それについて、忠三郎はあまり気にもとめなかったが、ロルテスは問題があるという。

 シクストゥス5世はフランシスコ会出身だから、フランシスコ会が優遇され、イエズス会の力は弱まるというのだ。

 様々な修道会があるが、これからはフランシスコ会が力を持つことになるだろうというので、忠三郎は眉を寄せた。

「日本に影響は?」

「日本には今のところイエズス会しか入っていません。イエズス会は他の修道会を入れないように頑張っているので。でも、これからはそうはいかないでしょう。フランシスコ会が日本に入ってくることは避けられないと思います」

 イエズス会がポルトガル国王の保護下にあったように、フランシスコ会はもともとスペイン国王の保護下にあった。イエズス会が日本参入を阻止しようとしても、シクストゥス5世やフェリペ2世が、フランシスコ会の進出を許してしまうだろう。

「では、我等キリシタンはどうなる?」

「それがしはイエズス会でもフランシスコ会でもありません。蒲生様は修道会同士の覇権争いに巻き込まれてはなりません。それがしの人脈を利用して下さい。直接、国王やローマとやり取りなさるべきです」

 ここまで話した時、冬姫が数名の侍女を従えて、酒や肴を運んできた。冬の日暮れは早い。いつしか宵の口であった。

「お口に合うであろうか?良かったら、どうぞ」

 忠三郎がやや不安げに言うと、ロルテスは喜んで膳に手を伸ばした。

「それがし、1570年頃──えっと、元亀?その頃から日本にいました。日本の食べ物、好きです」

「それはよかった」

 伴天連、伊留満の中には、何年経っても、日本の食べ物を受け付けない人が少なくない。それもあって、九州の修道院では牧場を設け、故郷にいた頃と同じく、肉を常食にしているとも噂では聞くが。

 ロルテスは本当に平気なようで、箸も使えるし、料理を口に運び入れては、美味しそうに噛みしめている。忠三郎は安心して、

「では、杯を」

と、酒を勧めた。

 ロルテスが手に杯を持つと、冬姫が注ぐ。侍女はすでに下がり、この場には三人だけだ。だが、冬姫も酒を注いだら下がるつもりでいた。

 ロルテスは杯の酒を全て飲み干すと、

「姫様」

と、呼び止めた。冬姫は腰を浮かしかけていたが、それを察してのロルテスの呼びかけであった。

「先日、姫様にはお話ししましたね。コエリョ師父の一昨年の計画と、殿下への依頼について──」

「あ、はい……」

 忠三郎が尋ねるような表情をして、二人を交互に見た。冬姫は下がることもできず、やや困惑してそのまま座っている。

「一昨年、コエリョ師父がフィリピン総督府へ、ルソンの兵を九州に送って欲しいと頼んだのです。それは叶わず、今度は殿下に、九州出兵をお願いしました」

 忠三郎はロルテスの話に驚愕した。コエリョの言動と、それを冬姫に話したというロルテスに──。

「ローマは大友殿達を王と見なしたと言われたな?真実、王にするつもりだったのだろうか」

 忠三郎は様々考えを巡らせる。

 大友宗麟らの少年使節団を、カトリック国の王の使節として迎えたというローマ。誤解なのか、意図的なのか。あるいは、大友らが偽り、ローマは騙されたのか。

「いずれにせよ、事実とは反する。事実にする必要があったのだろうか?当時の羽柴殿と徳川殿が天下の覇権を争っている隙をついて、ルソンからの援軍と共に大挙して都を奪えば、彼等が日本の天下様だ」

「蒲生様はそう思われますか」

 冬姫も似たり寄ったりな憶測をしていたが。

「問題は誰が首謀者かということだな。大友殿か有馬殿か大村殿か。いや、彼等は左様に大それた痴夢は見るまい。己の領土さえ、守ることができぬのに」

「それで、パードレ・コエリョが?」

 冬姫が訊くと、忠三郎はその瞳を見て、

「そうかもしれない。しかし、パードレがそこまで途方もないことを考えるか……もっと上の者でしょう」

「まさか、ヴィジタドールだというのですか!」

 ロルテスが声を上げた。

「だが、長崎に要塞を築かせたのは、ヴィジタドールだというではないか」

 ロルテスはやや困惑した。忠三郎も冬姫も、いや、日本人達は、長崎のことを何故悪くとるのだろう。

「長崎は、異教徒から迫害された貧しい人々を守り入れるための要塞です。それに、ヴィジタドールとオルガンティーノ師父は、日本人ほど優れた人々はいないと、繰り返しローマのイエズス会本部に報告しています。それがしも、パーパの政庁で訴えてきましたが、皆様、イエズス会からそのように報告を受けていると言ってました。日本人は、世界のどの国の人より優れたキリシタンである、日本を征服してはならないと、そう何度も訴えていたのはヴィジタドールとオルガンティーノ師父なのですから、ヴィジタドールが日本を混乱させる目的で、ルソンから派兵させようとするわけありません」

 ロルテスの熱心な訴えに、忠三郎は己の考えが誤りであるのかと、素直に考えを改めようとした。

「ルソン兵のことは、では、やはりコエリョ様の独断なのかな?単に九州で領地を巡って小競り合いをしているキリシタン武将への支援目的なのかもしれぬし」

 ロルテスはそれを聞いて少し安心したが、同時に先日の冬姫の言葉を思い出しもした。

「ヴィジタドールの日本への考え、長崎のこと等は、それがしの想像で間違いないと思います。ただ、今の長崎は当初の役割とは違ってしまっていると、姫様は言ってましたね?」

「ほう!冬様、どんなふうに思われます?」

 忠三郎は興味津々と身を乗り出した。冬姫はやや気が引け、苦笑する。

「今は、父の生きていた頃とは状況が変わっているのだと思います」

 ポルトガルはスペインの中に組み込まれ、ローマ法王も代替わりした。

「これまでは、ポルトガルのイエズス会しか日本には来なかったが、これからは別な修道会もくる……ポルトガルとイスパニアが一緒になったことで、イエズス会はイスパニア領のルソンも使えるようになった」

 忠三郎が噛みしめるように言う。冬姫は頷いた。

「忠三郎さまは以前、しきりに地球儀の明や朝鮮ばかりご覧になっておいででした。父の見ていたものの答えがあるはずだと仰有って」

 忠三郎は複雑そうにした。信長の天下の範囲は、唐土の岐山を含めるのかと、岐阜の命名の理由を考えて気に入られた彼である。

「唐土を、明を手にするためには、日本からは朝鮮を通って行くのが最も確実。先ず朝鮮を攻め、最初の拠点とする必要があります」

 四方を海に囲まれた日本は、半島からしか攻められたことがない。逆に言えば、日本も、半島にしか攻めて行けないということだ。

「ルソンからでは、日本を攻めるのは難しいのでしょうか?」

 不意に冬姫がロルテスに訊いた。

「一昨年のコエリョ師父の依頼をフィリピン総督府が断った理由として、確かに日本の海を制覇するのが難しいというのはあるでしょう」

「では、一昨年の計画が日本を攻撃する目的だったならば、日本国内に拠点を築くしかなかったのでしょう。長崎はそのための拠点では?」

「なに!」

 忠三郎、ロルテス揃って冬姫を見やった。

「でも、コエリョ様は殿下に九州への派兵を願われ、殿下は九州を制圧して日本一統がなれば、明へ出兵すると約束なさったとか。コエリョ様の目的は日本ではなく、明かもしれません」

 それならば安心だと言いかけて、忠三郎ははっとした。

「いや。日本の軍備と地理を理由に、イスパニア軍が日本を攻めることを諦めたとして──日本を同盟相手のように言ってすり寄り、明を討つよう日本に依頼したとしても、これは──日本は先ず朝鮮に行くしかない。日本とイスパニアがこれを手にした時……」

 己で言いながら、忠三郎はぎくっとした。

 スペインが朝鮮を前線基地とすれば、明に攻め込むことが可能になるが、同時に日本に攻め込むことも可能になるのだ。

「仲間だ、共に明を攻めようなどと言っても、それは偽りで、本心は明ではなく日本を狙っているという可能性もあるのですか?」

 冬姫は怖くなった。急に父にもらった鞠を思い出す。鞠を掌中にする神。この世は全て南蛮の神のものにならなければならないと、彼等は考えているのだとしたら。

「狙いは日本も明もどちらも……」

「朝鮮に出兵できるのは日本だが、それはしてはいけない。上様が岐阜と命名なさりながら、朝鮮や明に向かおうとなさらなかった理由がわかりました。我等は朝鮮国王と協力して、朝鮮の軍備を強化させなければならない。イスパニアに拠点にされないように──。朝鮮へ出兵しないよう進言しなくては」

 そして、もう一つやらなければならないこと。それは。

「一つ確実なことがある。下の者がどんな企みをしようとも、国王やパパと交渉すれば、日本の未来は変えられるということだ。ヴィジタドールや、まして日本にいるパードレなどと交渉しても、仕方ない。だから、私は六右衛門をローマに遣ったのだ」

 そう、西欧への使節の派遣だ。ロルテスは頷いた。

「そして──」

と、忠三郎はここで息をすると、胸を反らせて言い切った。

「カトリック国・日本の王は大友殿でも有馬殿でも、また大村殿でもない。コエリョ様の周辺がそうしようと動いているのならば、私はパパを動かそう。王はこの私だ!私がパパの支持を頂く。そして、私は日本全土を、全ての日本人の魂を救う。ロルテス殿の言うように、日本人がイスラエル(ヤコブ)の末裔で、かつての日本人にデウスへの信仰があったならば、私の手で日本人をデウスに立ち返らせるであろう」

 忠三郎は途中から譫言のように喋った。体が沸々と熱くなり、何者かに勝手に口を動かされているような感覚で。

 言い切った後、自分で驚いたくらいだ。

(私の本音はこれか。私はこんな野望を!)

「ただ人の上に立ちたいだけの人が多い中、蒲生様は日本人のために頂点に立とうとしている。それがしも、協力します!」

 ロルテスのその言葉に、忠三郎の中で疑問が起きた。

(私の野望の中に、人の上に立ちたい気持ちは紛れていないだろうか?コエリョ様が王にしたいと思っているかもしれない大友殿達に、嫉妬の心はないだろうか?)

 冬姫は忠三郎の天下への野望を初めて知った。

 信長はそれを望んでいたのだから、忠三郎の気持ちも天下に向いて、これは喜ばしいことに違いない。彼が負担に思うどころか、積極的に望んでいるらしいので、少しほっとした。

 それにしても、忠三郎がキリシタンになったのは、信仰心によるものであることは間違いないようだが、それでもスペインの国益に対しては、冷静、冷酷に見定めている。イエズス会の動向と信仰心とを切り離し、イエズス会やスペインの思惑には全く影響されずに、日本を守ろうとしている彼。

 冬姫は忠三郎の受洗後初めて、胸の中にくすぶる薄い靄がすっきり消え去るのを感じた。

 忠三郎を見つめて、我知らず笑みがこぼれる。

 キリスト教そのものは素晴らしいに違いない。忠三郎が信仰しているくらいなのだから。しかし、それを広めるイエズス会に、また別の顔や目的があるとは、恐ろしいことである。こんなもの、もしや広がらない方がよかったのではないか。

「……父は間違っていたのでしょうか?」

 冬姫は独り言のように呟いた。

 伴天連を保護し、布教の協力をしたのは信長だ。今日、これほどまでにキリシタンが増えたのは、信長の政策のためである。

「父は幕府を討ち、公方様を追放し、比叡山を焼き討ち、一向宗徒を皆殺しにして、多数の人間の憎悪と恨みを買い、魔王と恐れられました。人心が離れた父。父は新しい世を作るため、戦のない世を作るために奮闘していましたが、わかってもらえませんでした。ならば、古い悪しき因習は滅ぼしてしまえと──。乱暴な手法であったがため、皆ついて行けなかったのです。父は父の目指す物を人々に説明し、説得する必要がありました。先ず、比叡山焼き討ちの謗りから世の人々に理解されるために、パードレ達は好都合。父は利用したのでは……」

 伴天連達は、信長の比叡山焼き討ちを聖戦と解釈している。つまり、神以外の物である偶像を崇拝する罪深い大悪魔の仏教は、破壊しなければならない。

 信長は偶像崇拝の悪魔の寺を滅ぼしたのだ。伴天連が褒め称えるのは当然である。

「父はパードレを利用したのでは。その教えが広まれば、父を仏敵と恨む人も減ります。キリシタンたちは父のしたことを褒め称えます。キリシタンが増えれば、父を支持する者も増える。でも、そうやってパードレ達を利用したことで、日本はイスパニア、ポルトガルの野望の餌食になりやすくなってしまったのかもしれません。父は間違っていたのかも……」

 キリスト教を日本に入れてはならなかったのではないか。

 忠三郎はどきっとした。

(私も、家中の統合に利用している──)

 信長が概念を作るために、キリスト教を利用したように、忠三郎も。

 幕府を滅ぼし、暦にさえ手を出そうとした信長。仏罰を恐れ、過去のどの権力者も手をつけなかった大寺院を破壊し。

 信長は自分のやりたいことをやるために、天地がひっくり返るほどのことをした。

 忠三郎のはそこまで大それた改革ではないが、今の蒲生家を纏めるのは難しく、新しい秩序としてキリスト教を利用している。

「そんな。上様のなされたことが間違いなはずがないではありませんか」

 冬姫を元気づけるように忠三郎は言ったが。

「でも……」

 冬姫は黙ってしまった。

 信長はキリスト教を大いに広めたが、結局最後は安土山に寺を築いて、仏教も神社も等しく保護した。キリスト教の広がりによる負の部分に気づいたからではないのか。

 しかし、そのキリスト教を信仰している忠三郎の前で、あまりなことも言えない。

 その時、

「上様のなさったことは、良い方に作用したはずですよ」

と、ロルテスが慰めた。

「確かに、パードレにはポルトガルの野望の先遣隊としての役目がありました。パードレによって日本人に信仰を持たせたら、キリスト教国の盟主・ポルトガルに、日本国を従わせる。そんな役割もパードレにはあるのです。でも、日本の殿達と関わったことで、パードレたちは日本の軍事力も目の当たりにしました」

 忠三郎はそこで、かつて信長が、安土の詳細な屏風絵をヴァリニャーノに委ね、西欧の人々に披露するよう依頼したことを思い出した。

「上様はわざわざパードレ達に、ご自分と日本の強さをお示しになったのです。上様と深く親交を持ったことで、パードレ達はポルトガルの力では日本に侵攻することはできないと知り得ました。ヴィジタドールもパードレ達も、日本は強く、攻撃は不可能であると、ローマへ報告しています。上様がパードレ達と親しくしたことは、間違いではなかったのです」

 ポルトガルに諦めさせたのだから。冬姫は不安の中にも、やや安堵の表情を覗かせた。

 ただ、今はそのポルトガルもスペインの内だが。

「だから、それがし、フェリペ王に釘をさしてもらえるよう、猊下にお願いしにローマに行ったんですけどね」

 ローマの反応を見て、おそらく日本攻撃はないものと思い、再び来日したのであるが。今は日本国内のイエズス会の状況が変わってしまったようだ。ロルテスがローマに行っていた間に──。

 それならば、自分はこの目の前の夫婦に協力して、コエリョの目的を阻止するまでだと、ロルテスは思った。

「蒲生様、どうぞそれがしを利用して下さい。一緒に日本を守りたいです」

 忠三郎は強く頷き、

「六右衛門が近くにいなくて困っていた。そなたが力を貸して下さるなら、恐いものはない。何でもできそうな気さえしてくるよ」

 爽やかに笑った。

 冬姫はその横顔を頼もしげに見ていた。

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