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不戦と火薬

 翌日の午後、ロルテスは庭でファララと軽快に口ずさんだり、時にアルカデントの『アヴェ・マリア』を歌いながら、鉄砲を磨いていた。

 冬姫はロルテスを見ると、茶に誘った。

「ロルテス様、干し柿が届きました。いかがですか?」

 ロルテスは干し柿が好きだと言っていた。以前、堺の豪商の所で出された干し柿が大変美味しかったと。

 庭には沢山の見慣れぬ武器が積まれていた。ロルテスは干し柿と聞いて目を輝かせながらも、手はせっせと動かしている。

 移動させるのも悪いので、冬姫はその場に干し柿と茶を運ばせた。日本人なら、白湯でも飲むところだが、南蛮人には白湯というものがどうにも受けつけないと聞く。ロルテスは茶は飲むようなので、白湯の代わりに茶を出した。

「ありがとうございます!」

 ロルテスは鉄砲を置くと、縁の下にうずくまって干し柿を食べ始めた。

「そのように──かしこまらなくてよいのに。そこに腰掛けて召し上がって下さい」

 広縁に座らせ、冬姫は邪魔しないよう、侍女達と立ち去ろうと思った。しかし、ロルテスが話し掛けてきた。

「あれをどう思いますか?」

 庭の武器を指差した。

「ロルテス様のお国のものですか?」

「そうです。蒲生様が気に入ってくれたら、献呈します」

「まあ!」

 日本にはない、イタリアの武器である。日本の物より性能に優れているであろうことは、冬姫でもわかる。

「日本は遅れていますのね……ロルテス様のお国では、どれ程の量の火薬を放てる大砲がありますか?地震でも嵐でもないのに、山崩れや洪水を起こし、町を無にしてしまう程の物は、あるのでしょうか?」

 その問いに、ロルテスの脳裏に、かつて自身が体験した光景が蘇った。今は考えないようにしている、オスマンにマルタ島を包囲された時のことである。感情が涌き出す兆しに、頭を振り、単純に自分達の艦隊の様子を語った。

「我々の、ある艦隊、ガレオンにはカノン砲1門。カルバリン砲2門とセーカー砲2門。旋回砲9門ずつ……そう、カノン砲の威力は姫様の仰有るようなことも。大袈裟ではありませんが、地上なれば、かなり大型のカノン砲を配備できますので」

 冬姫はそれほどの物が存在することを、初めから予想していたのか、驚きもせず、ただ感嘆したような表情だった。

「それを、こちらにもお伝え頂ければと思いますが──幼い頃、父が私に話してくれたことが思われて」

 信長が、何を言ったのだろうかと、ロルテスは興味深く感じられた。

「かつて父が私に、人間には獅子のような足も爪も牙も無いけれど、知恵がある、と話したことがありまして──」

 冬姫は昔を懐かしみ、虚空に目を向けた。

 動物は力の強い者だけが勝つが、人間は力の弱い者でも、知恵を働かせて、強い者に勝てる。

「獅子の足の代わりに弓矢を、牙の代わりに槍を、爪の代わりに刀剣を持った。それでも勝てないと、弓を強くしてさらに威力を増し、槍を鋭く研ぎ、時に毒を仕込んで。ついに、知恵に聡いけれど腕力弱き者が、強者に勝つようになって──」

 それでも足りない、もっともっとと開発し続け、ついに人間は摂理を凌駕するものをも生み出した。

「それが火薬だと」

 まだ幼かった冬姫にはよくわからなかったが、傍らにいた濃姫には信長の言わんとしていることが、全てわかっていたようだった。

「なるほど、そうですね」

 ここまでの話は、ごく普通のことと思える。ロルテスは微笑さえ浮かべて相槌する。ただ、元マルタ騎士のロルテスには、摂理という言葉は引っ掛かる。

 それに気付いてか、急に冬姫は現に返って、

「父の言うところの摂理とは、デウスのご意志ということではなくて」

と、所謂自然の摂理という意味だと補足した。

「わかっていますよ」

 ロルテスは穏やかに首肯した。

「その摂理によると」

 つまり、自然の摂理によると、人間は本能的に戦うようにできているのだという。

「戦うのが摂理とか。幼い日にはわかりませんでしたが、今日まで生きてきて、なるほどその通りかもしれないと思います」

「それは、それがしも同意見です」

 しかし、ロルテスは冬姫の心の内を、神の摂理でさえあると、この姫は思っているだろうと推察した。

「ですが、父は知恵に聡い非力な者は、さらに、戦わずして勝つ方法まで考え出したと言うのです。つまり、兵法です。兵法はついに、相手と話し合って解決する道を、つまり不戦を生み出しました」

 人間は戦うという本能を、摂理をついに捨てるまでになった。

「火薬は摂理を凌駕するもの。一方、その対極にある不戦も摂理を凌駕するもの。両極端の摂理をどちらも凌駕し得たと。天下布武をお聞きになったことは?」

「それがしも日本は長いです。よく耳にしました」

「武とは、戈を止めること、偃武修文とは夫も常に口にしております」

「ほう」

 初めて、ロルテスの表情が動いた。

「武器を片付けて使わない、そして火薬の重要性を理解する人に夫を育てよなどとも、父は幼い私に言いました。けれど、夫は、父よりも先に鉄砲の重要性に気付いた家に生まれました。日野筒を産み出す夫には、逆に私が教えてもらうべきで、それ故に夫は父に選ばれたのだと思うのです」

 ロルテスはまだ見ぬ蒲生忠三郎という人間の器量を思った。

「夫はそのカノン砲のことを聞けば、それを手にしたい、或いは作りたいと思うはずです。教えて頂ければと存じます」

 摂理を凌駕する武器の重要性を知る人なればこそ、その対極の不戦もなせる。それ程の武器を抑止力として備えること、それがスペインから日本を守る道でもあろう。

 武器は用いず、キリスト教の愛、偃武修文をもって静謐の世を実現しようとしている、それが冬姫の夫であるという。

「それがしは、すでに騎士ではありません。戦は戦を呼び、永遠に無くならないことを知ってしまったからです。日本に同じ道は歩んで欲しくありませんね」

 冬姫は再び、ロルテスが持ってきた庭の武器に視線をやった。

「日本ではあのような物を沢山持っている人が勝ちます。沢山あれば、すぐに勝ちます。そして、間もなく天下一統され、あれらは袋に包み納められるでしょう。許し合い、慈しみ合う世を夫は作ります。そのためにも──」

 スペインの思惑は気になるところだ。

 ロルテスは忠三郎に会ったら話そうと思うことが山程あった。しかし、この信長の娘であるならば──。冬姫にも話すべきだと思った。

(姫に能力があるのだから、夫婦力を合わせた方がいい)

「九州にはあのような武器が集められています。日本に来る前、ルソンに寄ったのですが、そこで驚くべき話を聞きました。一昨年、コエリョ師父が、ルソンの兵を九州に送って欲しいと言ってきたというのです」

 ロルテスの急なその発言に、冬姫が身を研ぎ澄ました。

 一昨年といえば、小牧の戦があった年。秀吉と家康が真っ正面から戦っていた頃、コエリョはルソンからスペイン兵の九州への派兵を企んでいたというのだ。

「まさかそのようなこと!」

「それがしも驚きました。ルソン側は一蹴したようで、出兵はなされませんでしたが」

 大友宗麟らの欧州への使節を武者でなく、あえて子供にしたのは、日本とスペインの衝突を避けるためだったが、ヴァリニャーノのその計画を台無しにする行為だ。

 謁見の席上、仮に不穏な話になっても、子供相手にフェリペ王でも怒るまい。寧ろ日本の可愛い子供に目を細め、日本に好意を抱く筈。そう考えたのだ。

「それと。こちらへ来る前、オルガンティーノ師父に会って聞いたのですが、コエリョ師父は関白殿下に、九州に出兵し、日本を統一したら、明を攻めてほしいと願い出たとか」

「ルソン兵の派遣依頼は日本を討つためですか?でも、それでは殿下に九州出兵を依頼するのは?」

「パードレ達は日本をポルトガルの手に渡すために来ているのだと、以前から噂されていたでしょう?実はそれは事実なのです。それを阻止するため、それがしは一度ローマに戻り、また日本に来ました。蒲生様を訪ねたのは、蒲生様もそれを阻止しようと、六右衛門をローマに送ったと聞いたからです。日本は我等が尊敬するべき国。討たせてはなりません」

 オルガンティーノは、日本の領主は米のみで生計を立てている清貧の人であると、イエズス会本部へ報告していると冬姫は聞いている。よく言えば清貧だが、悪く言えば、他に何の産業もない価値低き地ということである。

「どうして日本が欲しいのでしょう?日本にそれ程の価値がありますか?南蛮から来る品よりも、日本の物は皆劣っています。明のように硝石が出るわけでもなければ、明の磁器や絹のように、南蛮よりも優れたものが作られるわけでもありません」

 伴天連からの報告を受けたポルトガルやスペインが、遠征の犠牲を払ってまで、魅力のない日本を手に入れたいと思うだろうか。

 ポルトガルとスペインは一つになったと聞いた。

「ルソンから出兵は断られたのですよね?何故ですか?」

「さあ、パードレがポルトガル人だから馬鹿にしたのでしょう」

 ルソンはもとからスペイン領(ヌエバ・エスパーニャ副王領)だった。フェリペ王の名を戴いたフィリピン総督府なるものが置かれている。

「ルソンが動かないのは、それが国王の意志だからでしょう?パードレは国王に反した行動を取っているのでは?」

 伴天連は上の者には絶対服従するもの。王には必ず従う。フェリペ2世が外国人だとか、コエリョがポルトガル人だとか、そういうことには左右されないものだ。

 ならば、これはどうしたことだろう。

「──いずれにせよ、パードレや王の狙いは日本か明ということでしょうか?」

 ロルテスは長崎の要塞化について話した。冬姫は驚きつつも、やがて頷いた。

「やはり、狙いは日本か明。どちらにせよ長崎は前線基地でしょうね」

「迫害されるキリシタンを守護する砦ですよ」

 冬姫は首を横に振った。

 秀吉と家康が天下の覇権を争っていた最中、コエリョがスペイン兵を九州に派遣させようと画策していた。

 もし、あの小牧の戦の時、ルソンの兵が九州に上陸していたら、日本はどうなっただろう。日本が二分されていたのだ。その混乱に乗じて、ルソンの兵に秀吉も家康も討たれてしまったかもしれない。

 今頃は、日本はスペイン領になっていたかもしれない。

 あるいは、ルソンの兵は九州のキリシタン大名を奉じて、秀吉、家康と三つ巴の戦いを繰り広げたかもしれない。そして、キリシタン大名を天下の座に据え、傀儡化し、日本をスペインの属国に──。

「ルソンが出兵しなかったということは、やはりフェリペ王は日本に明を攻撃させるよう、パードレに指示を出したということでしょう。そして、長崎は作られた当初はヴィジタドールの願われた通りだったとしても、今はパードレ達によって違った役割を持たせられてしまっている──」

 もう迫害されたキリシタンを守る家ではない。きっとそうだ。冬姫はまだきちんと考えがまとまったわけではないが、漠然とそう思った。

 日本に、武器を抑止力とする未来は訪れないのではないか。

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