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まことの恋は一目惚れから始まる

 数日後。

 世の中には、生涯で初めて伴天連に会った日に、生涯で初めての説教を聞いて、その場で洗礼を受けてしまう人がいる。

 冬姫はロルテスに会って、そういう人の心理が初めてわかった気がした。ロルテスには不思議な、人を癒やす力がある。桐の御方もすぐに馴染んで、すっかり信用している。冬姫も信頼していた。もしもロルテスが伴天連だったら、冬姫もいきなりキリシタンになってしまったかもしれない。

 ロルテスは伴天連達とは違って、仏教にも寛大であることを知った。神社に対して興味さえ持っている。そこも冬姫には好感が持てる点だった。

 地震で倒壊した櫓の跡地に立っていると、ロルテスが近付いてきた。

 伴天連達の中には、来日するまで地震の概念すらなかった者もいるが、ロルテスはそうではない。だが、昨年の地震は体験していなかった。

 松ヶ島の人々に寄せる彼の心。それがわかるから、冬姫もたった数日でこの異人を信頼するようになったのだ。

 ロルテスは毎日城下に出ては、片付けや補修の手伝いをしており、また、どんな話をしているのか、人々を癒やしていた。

 城に戻れば、蒲生家のキリシタンの家臣達に、グィード・ダレッツォの『ヨハネ讃歌』や、『タントゥム・エルゴ・サクラメントゥム』という讃歌を教えていた。

 日本人の一般のキリシタンに歌わせる宣教師がいたからで、蒲生家の家臣達もミサで歌えるようにというロルテスの好意である。『タントゥム・エルゴ・サクラメントゥム』には、複数の作曲家が曲を作っており、幾つかの旋律が存在した。スペインで良く歌われる旋律があるが、日本にはそれが伝えられていた。

 だが、標準的な旋律は、イタリアで歌われている系統のものであり、スペインのは正統から逸脱した、スペイン独自のものである。オルガンティーノはイタリア系の旋律を日本人キリシタン達に歌わせており、ロルテスもそれを教えてくれていた。

 さて、その日、朝方出かけて、城に戻ってきたロルテスは、櫓の跡地に佇む冬姫に、何故かいきなりこんな質問をした。

「姫様はどうしてキリシタンにならないのですか?」

 冬姫はこの聖なる教えをよく聞き知っている。ある程度理解もしているようだし、夫がキリシタンなのに、キリシタンにならずにいるのは不思議に思えた。

 冬姫は振り返り、正直に答える。

「異教を信じる者は、悪魔に支配されているのだと聞きます。そのような霊魂は神の御国には行けないと。何故、悪魔に支配される哀れな霊魂はデウスに愛されないのか。愚かな人間の罪を許し、無償の愛を下さるデウスは、ご自分に背く者さえ愛して下さるものではないのかと──」

 まだキリスト教のことを、よく理解できていないのだと言った。

「わからないまでにも、受洗してしまえば、自ずとわかるようになるのかもしれないとも思うのですが、あえてそれをしないのは、デウスがわざと私の目を閉じさせているのかもしれないと思うからです。中には、初めてこの御教えを聞いて、即信仰に目覚め、その場で受洗する人もいます。それなのに、何度お話を聞いても理解できないのは、デウスが私が理解できないようにしていらっしゃるからではないかと」

 肯定も否定もせず、ロルテスはやわらかい眼差しを向けたまま、静かに話を聞いている。冬姫は伴天連には言えないことでも、ロルテスの前では自然に口にできるという事実に、内心驚いた。

「夫に、より深い信仰を持たせるためでしょうか。身近に悪い手本がいることで、夫がより熱心にデウスを信じるように──デウスが夫を不十分だと思し召し、私の目を曇らせているのならば、私は望んでもキリシタンにはなれないでしょう。私を伊勢の地に置いておかれるのも、デウスのご意志と存じます」

「伊勢?何故そう思いますか?」

「伊勢は古くから日本人の聖地です。だから、民も、他のどこよりも伊勢信仰が強く──この地でデウスは争いのもとにしかならないでしょう。それでも、夫は正しきものを信じ、キリシタンになりました。けれど、それでこの伊勢の人々はどう思うでしょう。畏れ多くも、主上……帝とて──。私までもがキリシタンになることはできませぬ」

 ロルテスは大きく頷いた。彼は、目の前の女人に為政者を見た。哲婦が城を傾けるというのは、唐土の誤った道徳観だと改めて思った。

「やはり上様の実のお子ですね」

 ロルテスは笑っている。冬姫には意外だった。

「私を悪魔憑きとは思われないのですか?」

「思いません。大丈夫、そんなに気にしなくて、良いですよ」

「夫は未だ、この地の民にデウスを押し付けようとはしていません。デウスは手緩い夫にお怒りではないでしょうか?」

「先程から聞いていますと、姫様は蒲生様の信仰心に疑いを持ってるようですね。何か心配なことでも?」

 忠三郎は伊勢神宮に対して、今のところ敵対する様子はない。民に対して、熱心な布教もしていない。

 その上、昔冬姫が贈った、彫漆の厨子に入った阿弥陀仏を持ち歩いている。

 忠三郎がキリシタンになったと聞いた当初は、彼が阿弥陀を破壊してしまうのではないかと疑った。キリシタンには不要なはずだし、捨てるなら、父の形見なのだから返して欲しいと思った。しかし、忠三郎は未だ大事に持っているらしい。最近は、それでデウスの怒りに触れるのではないかと心配になった。

 阿弥陀は敵である。彼がそれを手放さないことなど、伴天連やキリシタンの家臣たちに相談できるわけがなく、冬姫は心配を誰にも打ち明けられずにいた。

 ロルテスなら。彼にならば、打ち明けても大丈夫だろうか。

「昔──」

 阿弥陀とは伏せて、話してみた。

「私がまだ幼かった頃、父の小姓だか人質だか、よく知らぬ無礼者が寄ってきて、私を好きだと言いました」

 興味津々な話題と見え、ロルテスは目を輝かせて身を乗り出す。

「あまりに無礼で突然で、私は父から貰った宝物を渡しました。腹立たしく、悲しくもあり、くやしくもあったのです。どうしてそのような感情に支配されたのか、わかりませぬ」

「それで、宝物をあげたというのはよくわかりませんね」

 ロルテスはいちいち楽しそうだ。

「私は父が嫁げと命じた人のもとにしか嫁げません。好きと言われた衝撃は、生涯忘れられないでしょう。私は生涯この無礼者を忘れることができなくなるのだと思うと、責任を取って欲しくて……相手も身分はある人、私と同じように、家のため、親の決めた人を妻にしなくてはならない。妻を娶ったら、私への無礼を忘れるかもしれない、だから。手元に私が贈った宝物があったら、嫌でも私を思い出すでしょう。私を生涯忘れないように──宝物を渡しました」

 ロルテスは声を出して笑い、姦淫させようとしたと罵るどころか、冬姫を可愛いいと言った。

「姫様は、ご自分のことを忘れられたくなかったのですね。姫様は真実の恋をなさったようです」

「恋?あれが?」

「そうです。姫様はその人に一目惚れしたんですよ。それがしの故郷や周辺の国々では、最近、こんなことをよく言います。一目惚れこそ真実の恋。一目惚れでないものは、まことの恋でないと」

「……一目惚れ?私は腹が立ったのに?」

「それでいいんです。初対面の時、怒りがわいたり、嫌悪したり、それも一目惚れです。憎悪は愛の裏返し、嫌悪は快感の紙一重」

「でも、一目惚れだけが真実の恋とは……初めて見た時に何か感じたのだけが恋なのですか?」

「長く一緒にいるうちに、いつしか友情が恋に変わったなんてよく聞きますが、それは違うと言いますよ。真実の恋の相手には、初めて会った時から何か感じるもの。何も感じなかった人に、次第に想いが出てきても、破滅してでも貫く恋にはならぬでしょう。長らく友人だった男女が恋人になる場合も、思い返せば、初対面の時には、何らかの強い衝撃を受けていたはずです」

 冬姫は忠三郎に一目惚れしていたのだと指摘されるまで、自分のことなのに気づかなかった。父が自分に与えた男ゆえに大事にした、父が大事にしたいと思っている男ゆえに冬姫も大事にしたのだと。

「それで、その宝物はどうしました?」

「あ、ええ、今でも夫は持っています」

「夫!?」

 ロルテスは目を丸くした後、思いきり幸せそうに笑った。

「ああ!姫様が真実恋した相手は蒲生様だったのですね!」

 冬姫は今さらながらはにかんだ。

「姫様は蒲生さまのことを本当に本当に愛しているから、そんなにも心配なんですね」

「それが……渡した物が、阿弥陀様だからなのです」

「阿弥陀……」

 ロルテスでもさすがに困っただろうと冬姫は思った。

「夫は私から贈られたものであることを気にして、捨てられないのでしょう。でも、キリシタンに許されることでしょうか?夫から返してもらうべきでしょう?」

 ロルテスはしばらく黙った。よく考えた後で柔和に言う。

「阿弥陀は大丈夫。あまり思いつめないで下さい」

「大丈夫って。夫が持っていてもですか?」

「多分。阿弥陀は多分、デウスと関係あります」

 冬姫は目を見開いた。

「関係?聞いたこともありません」

「まだパードレたちにも言ったことはないのですが、遠い昔、日本に我等の聖なる教えが伝わっていたようです。それがし調べました。阿弥陀は我等の聖なる教えと関係あります」

 仏教は敵だ、阿弥陀は大悪魔だと伴天連たちは口を極めて否定するのに、このロルテスは──。

 阿弥陀を信仰するだけで救われるというのは、キリスト教と同じだ。いや、その影響を受けて、阿弥陀信仰が始まったのだ。

 ロルテスはそう言って冬姫を驚かせた。

 唐の時代、その都に景教(キリスト教ネストゥリウス派)の教会・大秦寺があったが、日本からの留学僧は、おそらくそこでキリスト教に触れる機会があったのだろう。弘法大師が学んだかの青龍寺も、大秦寺の近くにあったという。

 また、多数の渡来人の中に、景教徒もいたのであろう。

 アッシリアに敗れた北イスラエルの人々が日本に渡ってきた可能性は、神社を見るとあるように思われるが、仏教については景教の影響ではないかとロルテスは考えている。

 ロルテスのその話にも驚いたが、冬姫には、真の恋は一目惚れからはじまるということこそ衝撃だった。冬姫は初めて会った瞬間から、忠三郎に恋をし、ずっと好きだったのだ。それも、真実の恋。その事実に──。無上に嬉しかった。


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