ローマから来た騎士
家康と和睦した秀吉は、家康へ、何とか上洛してくれるよう頼んだ。だが、家康は不承不承に和睦したので、なかなかそれには応えない。
秀吉は、四十を過ぎた妹を家康に嫁がせることにした。この妹には夫がいたのだが、無理に離縁させて、家康のもとに送り込んだのである。
今の家康には正室がいない。人質でもあるので、家康は秀吉の妹を迎えたが、なおも上洛する様子を見せなかった。
九州へ出陣する前に、家康との関係を盤石なものにしておかなくてはならない。でなければ、秀吉の留守を狙って、必ず家康が動くであろう。
秀吉は是が非でも家康を呼び寄せようと、今度は自分の母を人質に差し出した。本当に秀吉の母が家康のもとに下向してきたのである。
さすがに家康も重い腰を上げざるを得なくなった。
家康は十月二十六日に大坂へ入った。観念して秀吉へ臣従すると、秀吉は満足して家康を連れ、京へ向かった。
十一月には、家康は秀吉の聚楽第の中にいた。真新しい聚楽第は息をのむばかりの豪華さで、家康でさえ感嘆しきりであった。
この時、忠三郎も秀吉の供の人数に加えられていた。
秀吉はあらかじめ朝廷へ根回ししており、五日、除目があった。秀吉はこの時、家康だけでなく、頼みの大名数名も伴って、御所に参じた。忠三郎も参内させられた。
家康は正三位に。
忠三郎は従四位下、侍従に任ぜられた。先に飛騨守になっていたので、侍従を兼任するようになったのである。
それで、忠三郎は松ヶ島侍従と呼ばれるようになったが、一方で、相変わらず蒲生飛騨守とも呼ばれる。
間もなく家康は帰って行き、秀吉の母も戻ってきた。ようやく秀吉は、九州に向けて出陣できるようになったのである。
忠三郎が京にいた頃、松ヶ島ではちょっとした騒ぎが起きていた。
海辺に建つ松ヶ島城。濠としての役目もあったその磯に、一隻の小早舟が現れた。
すわ、狼藉者かと城側では身構えた。しかも、乗っていた者の中に、明らかに異様な風采の男がいたのだ。
立ち上がると、周囲の男達の二倍は大きい。しかも、髪の色は赤く、肌は白く赤みがあり、日本人でないことは一目瞭然だった。おまけに、やたら大きな鉄砲を肩から担いでいた。
舟は、城から出す停止命令を無視して、どんどん近づいてくる。ついには鉄砲の射程圏内にまで至った。
だが、船上の異人はのんびりした様子で、どうやら大声で歌っているらしい。朗々と聴いたことのない旋律が、城の内にも届く。
「なんだなんだ?歌か?呪文か?」
「ふぁらら?ふぁらとは何だ?」
「溌剌かの?」
城にいた者達は首を傾げた。だが、相手は武器を持っているし、危険だ。城側でも、弓や鉄砲を手に構え、再び停泊を命じた。
すると、異人は初めて慌てふためき、歌らしきをやめ、両手を小刻みに振りぬいた。
「違う違う!それがし、友達友達!」
日本語で喚き散らした。
「友だ?」
城側の警戒はかえって増すばかり。異人はさらに慌てて、騒ぎ立てた。
「山鹿六右衛門殿知らないですか?それがし、六右衛門殿と友達です!」
六右衛門と聞いて、城側の反応が変わった。
「六右衛門?確か、岩上殿と羅馬へ渡った者よな?」
「そうだ!」
そう言い合っている間に、異人は肩から鉄砲を下ろすと、紙をくくりつけて、それをぼんっと投げて寄越した。それは砂の中に、見事、突き刺さった。いくら射程圏とはいえ、素手で物を投げて、届く距離ではない。それなのに、この巨漢はいとも容易く、大きな鉄砲を投げつけたのだ。
城側では仰天して、さらに警戒を強める。
投げられた鉄砲は見たことのないもので、くくりつけられた紙は書簡であった。だが──
「あ!」
その宛名に仰天した。忠三郎宛ての書簡だったからだ。差出人は六右衛門。
途端に大騒ぎになった。
異人は上陸して城に入り、広間に通された。たまたま城にいた重臣や留守居達が集まり、異人を取り囲んで話を聞く。
「ジョヴァンニ・ロルテスです。それがし、六右衛門殿の友達で、六右衛門殿から蒲生様宛ての手紙、預かってきました。蒲生様に会わせて下さい」
「殿は京におわす、ご不在や」
「ええ?」
異人が落胆したのを見て、家臣の中でもキリシタンの者たちが、
「話なら、わしが聞こう」
とか、
「お急ぎでなくば、我が屋敷へ滞在されよ。殿が戻られたら、取次いで進ぜよう」
と、興味津々と誘う。
この時、冬姫は松ヶ島城にいた。
冬姫は秋風が立つ頃、無事に姫を産んでいた。そして、この秋はここでゆっくり静養していた。産後の経過も順調で、もう通常の生活に戻っている。
今年、忠三郎が母を引き取ったので、これまでとは違い、姑の側で出産することができた。姑がいてくれることで安心し、やや予定より早かったが、安産であった。
ロルテスが来た時も、姑は冬姫の居間を訪ねていて、二人で世間話に花を咲かせていたのである。
異人が来たと、表では大騒ぎになっている。騒ぎを聞きつけた次兵衛は、冬姫にそれを伝えようと、奥御殿にやって来た。冬姫が談笑しているのを見て、次兵衛はちょうどよかったと喜び、母堂・桐の御方に尋ねた。
「表で騒ぎが起きております。山鹿六右衛門の友と申す南蛮人が、六右衛門の書状を携え、殿に拝謁を願い出ているのです。ご母堂様には、六右衛門をたいそう御目にかけておられると伺っております。もしや、その六右衛門の南蛮人の友に、お心当たりなぞございませんでしょうか?」
「六右衛門に南蛮人の友がいるのは確かです。もしや、宝玉のような瞳をしていますか?六右衛門がそんなことを言っていました。名はロルテス様とかいったかしら」
次兵衛はたいそう驚き、そのロルテスだと答えた。
「なれば、きっとそうね。今来ているというその人が、六右衛門の友人の南蛮人よ。会ってみたいものね。何でも六右衛門が私の世話をすることになったのは、私の身の上を知って、私が気鬱しているに違いないから、私を慰め仕えるようにと、その南蛮人に頼まれたからなのですって。見ず知らずの私を案じてくれた南蛮人。会ってみたい」
冬姫は頷き、
「会いましょう。殿の代わりに義母上様と二人でその方に会うと、表に伝えて下さい」
と次兵衛に言った。
ロルテスには広間で会った。周囲にいた家臣達は、末に下がって並んでいる。
「そなたがロルテス様なのね!」
桐の御方はロルテスを見るなり歓喜の声を上げた。
ロルテスもとても嬉しそうに、破顔して応じた。
「蒲生様の母上様!お幸せそうですね、よかった!」
綺麗な瞳をしていると、冬姫はロルテスを見て思った。色々な伴天連や伊留満を見てきたが、どの人の目よりも澄んで、愛情に満ちていると感じた。
母が一目見て、理由なく癒されたらしいのも頷ける。不思議な力の持ち主である。
「上様の姫様、はじめまして。ロルテスと申します」
ロルテスは礼儀正しく冬姫に向かって平伏した。
「ロルテス様のお話は時々、山鹿から伺っておりました。お訪ね下さり、ありがとうございます」
ふと冬姫は身をよじって、傍らの侍女に耳打ちした。侍女はすぐ出て行く。
冬姫の、体を捻る様、それをゆっくり戻す様に、艶やかさを超えたものがあり、南蛮人でも色香を感じる。以前、安土でちらっと見かけた時は、可憐な可愛らしい印象を持ったものだった。幾年かを経るうちに、夫によって引き出されたのであろう、随分艶やかな女性になった。
「それがしはローマから日本に戻る途中、六右衛門殿はモザンビークに行く途中、インドで再会して、蒲生様への手紙、預かりました。それがしはパーパ(ローマ法王)に会えるよう、猊下に紹介状を書きました」
しばしロルテスはインドでのことや身の上を話した。
そして、どのようにして松ヶ島まで来たのかということを、簡単に説明した。
「船で堺まで来て、オルガンティーノ師父に会いに行きました。そして、六右衛門殿の手紙を渡すため、船でこちらまで来たのです。蒲生様に会えないのは残念ですが、姫様、母上に会えて良かった。二人ともお幸せなご様子。それがし、安堵しました」
そこに、先程の侍女が来て、冬姫に耳打ちした。冬姫は頷くと、ロルテスを見やった。
「茶室の支度を整えさせました。どうぞそちらへ。おくつろぎ下さい」
松ヶ島城はもともと冬姫の兄・信雄が建てたものだ。千宗易(利休)流のものとは違うが、茶室があった。それを忠三郎が好みに設え直していた。
教会など、イエズス会の施設には、だいたい茶室がある。伴天連達も茶の味には慣れているはずで、ロルテスもイエズス会と深く関わっているようであるから、人目の多いこの場所より、茶室の方が落ち着くだろう。
冬姫はロルテスを茶室に案内すると、あとは桐の御方と二人きりにした。六右衛門のことで、互いに何か話もあるだろう。
夜になって、改めて城に泊まるよう告げ、忠三郎が戻るまで滞在させることにした。




