秀吉の疑惑(下)
その日、コエリョを大坂城に迎えた秀吉は、コエリョに対して、かつて信長がしたように歓待することにした。
諸将の前で、伴天連たちを寵愛しているように見せ、次いで奥の間に入れてもてなし、信長がしたように、重臣にも側近にも許していない最奥まで見せて歩く。
そうすることで、しばらくイエズス会の様子を見ようと思った。
コエリョは伴天連を四人連れていた。フロイス、オルガンティーノに、ダミアン・マリン、グレゴリオ・デ・セスペデスである。日本語に通じるフロイスは通訳であった。
フロイスは、エンリケ1世の在世中に出された命令により、日本布教史を執筆していた。『日本史』というもので、フランシスコ・ザビエルによる日本布教の創始から記されている。すでに信長が安土に君臨していた頃辺りまで書き終わっていた。
秀吉はコエリョと四人の伴天連だけを部屋に呼んで、親しく会談しようとした。ただ、彼等へ疑いを持っている秀吉は、彼等の事情に詳しいであろう高山右近だけを同席させ、何か問題があれば、後で見解を聞こうと思った。
問題は起こった。
コエリョが何事か言ったのを、フロイスが日本語に通訳したのは──
「我々の使命は、世界中の霊魂を救うことです。まだ全ての日本人を救えていませんが、殿下のご配慮により、布教を随分進めることができています。問題は九州、そして明です。九州は悪魔に蹂躙され、戦乱で荒廃しています。明は未だ悪魔によって深く閉ざされたまま。かの地の人々の魂を救うため、殿下のお力を貸して頂きたいのです」
秀吉は途中から身を研ぎすまして聞いた。
(明を攻めろだ?)
だが、決して荒唐無稽とは思わなかった。
「未だ国内の平定が終わっていない。九州も奥州も平定しなくてはならぬ。全国一統が成らぬうちに、かようなことができようか」
「さしあたって。すぐにも九州に出陣して下さい」
フロイスがそう訳した。
「ふむ。で。日本全国を統一したなら、明か……明は大国、わしが負かせられるような相手ではない」
秀吉には意外に思われた。ポルトガルは、いやスペインというべきか、その得体の知れない大国は、日本を蹂躙するつもりだと思っていたが、この要求は何だろう。
「もちろん、軍船などの製造にはポルトガルもご協力致します。ご用意も致します」
秀吉はここでまた信長の言葉を思い出した。
日本は海に囲まれた島。異国からの攻撃は元(蒙古)からしか受けたことがない。その元も、日本を攻めるのは困難と見て、攻め取った高麗、つまり朝鮮半島から攻めてきた。
(ポルトガルだかなんだか知らんが、言うこと聞かなきゃ、日本を力で攻めるぞと言うのか?)
現実問題として、彼等がそれを容易にできるほど、日本の近海は生やさしくない。とはいえ、可能性がないわけではない。
「わかった。そうしよう。その時は、船を頼むな」
そう返事をしておいて、あとは丁重にもてなしておいた。
コエリョらを送り出した後、しばらく秀吉は考える。
(南蛮人どもは明を狙っているのか。難儀ゆえ、わしにやれと言うのか。もし、奴らが明を手に入れ──明のついでに朝鮮をも奴らが占拠してしもうたら、南蛮人ども、いよいよ極めて安全に日本を攻撃できてしまうよの?いや、明より朝鮮の方が落とし易い。明は無理でも朝鮮は手にできるかもしれぬ。──奴らが朝鮮から攻めてくる!奴らに騙され、協力させられた果ては、日本は南蛮人どもに蹂躙されるということか!奴らに朝鮮を占拠させるわけにはいかぬ)
朝鮮の軍事力を調べる必要がある。秀吉の伴天連への疑惑はますます深まった。
高山右近はオルガンティーノに、コエリョの発言の意味について質問していた。オルガンティーノの答えは。
「九州の敵を討てるのは、もはや殿下くらいしかいません」
敵とは非キリシタンの領主たちのことである。彼等は強かった。一方、キリシタン領主達は弱かった。
キリシタン領主達が、領内の民を悉くキリシタンに改宗させても、非キリシタン領主に敗れ、その地を追われてしまうと、残った民は迫害されるか仏教徒にさせられる。伴天連のそれまでの布教の努力が水泡に帰してしまう。
そうならないように、キリシタン領主に武器を与えて援助してきたのだが、結局うまくいかなかった。
「だから、これはもう殿下のお力をお借りするしかないのです。殿下は我々に愛情を示して下さっています。殿下なら、きっと敵を討って下さるだろうと」
それが、九州への出陣依頼の理由だという。また、明にキリスト教を伝えたいというのはイエズス会の希望、夢である。秀吉の愛情、何より軍事力を信頼して、あのように頼んだのだ。
オルガンティーノから説明された右近は、後で秀吉にそのまま話した。
秀吉は右近の説明には釈然としなかったが、それでも、大坂に来た豊後の大友宗麟から九州の情勢を聞くと、九州には近々出兵すべきだろうと思った。
宗麟はキリシタンである。秀吉は、九州のキリシタンなら、右近とはまた別なことを言うのではないかと、コエリョについて聞いてみた。
「余り好かれてはいませんな、多分……」
宗麟は曖昧に言った。
「それは前任者のカブラルではないのか?」
「かの人もですが」
「コエリョはポルトガル人か?」
「そうです」
「何故明を討てと言う?奴はポルトガル人だろ?イスパニアのために版図を拡張させるのか?」
「王はもっと思慮深いと思いますが。日本に明を討たせて、それを日本がイスパニアに手渡すなどと、左様な楽観はしていないと思います。日本が明を討ったなら、それは自領だと日本が主張することくらい、王にも分かっておりましょう。共に明を攻め、明を手に入れたら山分けしようと提案するならわかりますが──まったくパードレの考えることは、いつもよくわからん」
コエリョもカブラルも、いつもわからんと言った。ヴァリニャーノもわからんことがあるとも。
「ああ、備慈多道留か」
「はい。未だにそれがしの名代として、羅馬に連れて行かれた子供達のことが釈然としないのです」
宗麟が大村純忠と有馬鎮貴と共に、スペイン(ポルトガル)国王とローマ法王への使節として、四人の少年を遣わした。これは有名な話である。
「わからんて、自分で出した使いじゃろ?」
秀吉は、目の前の老人は耄碌でもしたかと思った。
「あれは、ヴィジタドールが日本を発つ直前に、俄かに思いついたものらしいです。それがしは遠くにおりましたから、相談している時間はなかったようで。ただ子供を羅馬に遣ると聞かされました。で、何のためにと尋ねると、ラモンという者が、向こうの人々に日本人を見せるためだとか申しまして。ようわかりませんでしょう?」
「確かに。見せ物とは妙な話じゃの」
「しかも、それがしの名代だという子供が、これまた知らん子で。何でも、安土のセミナリオにいた子を派遣しようとしたらしいのですが、出発間近だったので、安土から呼び寄せる時間がなく、その辺におった子を代わりに選んだのだそうです。ただ、確かにそれがしの縁者ではあるようですよ」
「益々変じゃ」
ヴァリニャーノはいったい何のために、少年達をフェリペ2世に会わせ、ローマに派遣したのか。
宗麟の話は秀吉に、より不信感を抱かせることとなった。
秀吉にどう思われているか知らないカブラルは、オルガンティーノとの話にほくそ笑んでいた。伊勢神宮の地の領主がキリシタンとなり、しかも日本の天下様に相応しい血筋で、キリスト教にすっかり心酔しているというので。日本の宗教をキリスト教のみに一変できる可能性が出てきた。
(日本の王の社が消えれば、日本全国を我等の御教え一色にでき、王も──。その時、我等の王が立つこと叶う)




